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フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」 #1 #2


306 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/22 12:34:02.70 WMKgr9Ku0 163/658


二つの道があった。

一つは、何も見ないフリをする楽な道だった。
もう一つは、全てを受け入れて辛い思いをする道だった。

選ぶ権利は、あるかのようで、最初から無かった。
ただ、背中を突き飛ばされるままに歩いてきた。
『神の右席』の頂点に君臨する者として、これまで沢山の人を救ってきた。

物資は限られていて。
人々はいがみあっていて。
格差は激しい。

一つの国を救う為に、いくつかの街を滅ぼす必要があったりもした。
その時自分は、迷わなかったように思う。

だからこそ、強く思うことがある。
そんな自分がトールとの復縁を望んでしまうのは、あまりにも身勝手なのではないか、と。

307 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/22 12:34:43.24 WMKgr9Ku0 164/658


イギリスは火の海だった。
否、そう言ってしまうと少々語弊がある。
正確には、クーデターによる混乱の渦中にあった。
何しろ、クーデターを起こしたのはイギリスの第二王女なのだ、当然のことだろう。

「………まあ、俺様が誘導したのだが」

事実を呟いて、ゆっくりと歩き進む。
『神の子』の恩恵を利用した隠蔽術式によって身を隠しているため、誰にもバレない。
今頃は幻想殺しのあの少年が右往左往しながら戦っていることだろう。

ままごと遊びのようだ。

クーデターをしようがしまいが、自分の目的は達成される。
達成されれば、何にしても世界規模の戦争は起きる。
大掃除のようなものだ。致し方あるまい。

「………おや?」

宮殿へ入る。
常は警備の兵が多く居るはずだが、一人も居ない。
周囲を見回し、やがて一通の通知書を発見した。

308 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/22 12:35:20.68 WMKgr9Ku0 165/658


「『退避』、か。なるほどなるほど」

全員、重要なものや機密文書を持って退避するように。

そんなような内容の通知書だった。
フィアンマが今回取りにきたものは、イギリス清教の暗部中の暗部に存在するものだ。
故に、その存在は誰も知らない。だから、持ち出せるはずもなく。

「だからといってポンと置いておかなくても良いだろうに……」

『それ』の使用方法を知る人間はごくわずか。
存在が秘匿されていればそれでいいのか、実際の『それ』は鍵のかかった箱の中で転がっていた。
鍵は存外軽く外せた。実に安易でつまらない仕掛けだった。

「…さて」

顔見せをしておくべきだろうか、と思う。
上条当麻に宣戦布告をしておくのも悪くはないだろう。
彼にはロシアへ来てもらった方が手間が省けるというもの。
ゆっくりと一歩踏み出し、向かう先は戦闘の終わったであろう中心地。

309 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/22 12:37:04.70 WMKgr9Ku0 166/658


「久しい―――といったところで、覚えてはいないか」
「誰だ、テメェ。インデックスに…ッ、何をしやがった!!」
「知らんよ。整備不良はそっちのミスだろ」

敵意をむき出しにする少年の姿は、滑稽だった。
自分のことを覚えていない。つまり、禁書目録のことも覚えてはいないのだ。
そして本質的な性格を鑑みるに、記憶喪失について彼女に話してもいないのだろう。
ほんの少し会話しただけでこれだけのことがわかってしまうのは、やはり同族だからか。

「右方のフィアンマ、だし……ローマ正教…っぐ、」
「おいおい、自己紹介位自分でさせてくれよ」

のんびりと遮る。
緩やかな口調と共に、右手を振るう。
たったそれだけで、敵は面白い程距離を離して吹っ飛ぶ。
戦闘で苦労などしたことはなかった。
全て、自分の右手が、奇跡が、何とかしてくれた。

「ジ、ガ………」

ふらり、と揺れて。
インデックスの体が、地面へ倒れこむ。
フィアンマは彼女を一瞥し、上条を見た。

「俺様は、右方のフィアンマ。
 ローマ正教『神の右席』―――最後の一人」
「ッ、」
「――ーその右手の管理は、今暫く任せておくか」

背を向ける。
上条が走ってきた気配を感じ取って、小さく笑う。

自分は今、どんな悪人に見えているのだろう。

310 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/22 12:37:41.02 WMKgr9Ku0 167/658


間もなく戦争が起きる。
『ブリテン・ザ・ハロウィン』と称された事件についてのニュースを聞きながらトールはそう思った。
恐らく、実態はイギリスでクーデターが起きたのだろう。
それも、魔術が絡むものだ。
英国国民全体を巻き込んでの『不可思議な現象』―――魔術しかありえない。

「なあ、オティヌス」
「何だ」

メンバーと馴れ合うつもりはないといっても、オティヌスは『グレムリン』のリーダーだ。
それなりにメンバーの言葉は聞くし、返事もする。
トールはそんな彼女に話しかけ、ぼんやりとした表情で質問する。
今、この部屋にはオティヌスとトールの二人しかいない。

「戦争の中心地は、何処だと思う?」
「ロシアじゃないか? 恐らくだがな」
「ん、そうかい」
「―――右方のフィアンマを、捜しているのだろう?」
「………、…」

トールを見やって。
オティヌスは珍しく、緩やかに微笑んだ。

「見つかると良いな」
「…応援してくれんのか? 意外だな」
「そうか?」

彼女に関しては別だよ、と。
魔神は嬉しそうに笑っていた。
トールは困惑のままに、頑張って捜索する、と頷いた。

316 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/23 21:53:28.14 XKAfEPCK0 168/658


十月十九日。

先日の宣戦布告をもって、第三次世界大戦は開始された。
フィアンマは現在、ロシア軍基地の奥地で、椅子に腰掛けていた。
周囲には幾百もの見張りの魔術師が居る。
仮に侵入者が来ても彼らが排除するし、最悪彼らを囮にすれば逃げるのは容易だ。

「……」

机に片肘をつく。
短く低く詠唱し、光りだした本を開いた。
これは、本の形をした通信用霊装である。

「やあ、ニコライ。調子は如何かな?」

フィアンマの通信相手は、ローマ成教のニコライ=トルストイ司教だ。
出世の為、権力、財力のために、フィアンマに協力している人物だった。
漁夫の利を狙うばかりの意地汚い小物と称されることもある程に、人望はない。
人望がないからそうなったのか、こうなったから人望がないのか。
それは鶏と卵の不毛な論理のようにゴールや答えの見つからないものだ。

『良い訳はないだろう』
「んー? 予定通り開戦させたのはお前だろうに」
『お前が提案をした戦争だろう。本来ならばこうなる前に…。
 ……勝てるのだろうな。絶対に』
「勝てないのなら最初から誘ったりしないさ」

舌先三寸で適当に弄び、通信を終える。
空腹を感じない。
彼と一緒に居た頃には、あんなにも。

317 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/23 21:54:10.80 XKAfEPCK0 169/658


ざく、ざく。

雪を踏みしめる。
酷く寒かったが、術式を用いて我慢する。
ロシアには今多くの魔術師が居るはずだ。
自分一人がまぎれたところで問題はないだろう。

「いや、戦争代理人だからマズイんじゃねえの、フツーに」
「暴れなきゃいいんだろ?」

トールの隣で冷静に突っ込んだのはウートガルザロキである。
『捜索を手伝う』と宣言したので、付き合わない訳にはいかなかった。

「はー。軍服フェチだったら良かった」
「あ? 何だそりゃ」
「かわいー女の子も大体軍服だろ? マジ萎えー」

そんなことをぼやきつつ、彼は歩き進む。
トールも同じく歩き、やがて分かれ道に辿りついた。

「一旦二手に別れるか」
「おー。それっぽい女見つけたら連絡する」

318 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/23 21:54:44.29 XKAfEPCK0 170/658


成功しても失敗しても、もうトールと笑い合うことは出来ない。

でも。
もし、失敗して、それで、彼がまた自分を望んでくれたら?
ありえない。
ばかばかしい。

綿密な計画を再度見直し、適宜戦闘を行いながら。
フィアンマはずっと、トールのことを考えていた。

「……おっと」

せっかく回収してきた大天使の素体をうっかり握りつぶしそうになり、意識を整える。
ぼんやりしていると大天使の召喚に失敗してしまう恐れが高まる。
仕事は真面目にしなければ、と深呼吸して臨む。

「……それにしても」

上条に、記憶喪失の件で糾弾した時。
今までにない絶望の表情を浮かべていた。

心地良かった。

この感覚は、優越感というものによく似ている。
彼のことは、昔からずっと嫌いだった。
今の彼の方が、前よりずっと嫌いだが。

『jhgxjsqbhvgbh』

ジジジ、とラジオのノイズにも似た音が聞こえた。
魔法陣の中心に鎮座しているのは、水の大天使。

『お前の名は?』

遠隔制御霊装をはめ込んだ、操作用の杖。
杖型の霊装を通して話しかければ、思った通りの返答があった。

『ミーシャ=クロイツェフ』

319 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/23 21:55:12.10 XKAfEPCK0 171/658


初めに世界の歪みに気がついたのは、七歳の頃だった。
ありとあらゆる書物を読みふけり、術式を完成させていく途中でのことだった。

四大属性のズレ。

人々の争いの主原因は、世界の傾きや歪みによるものだ。
格差、階級、男女、学歴、政治、…数え切れない程の『悪性』。
最初は善良だった人間が、どうしてここまで狂ってしまったのか。
神様に似せて作られた人々が、どうしてこんなにも憎み合ってしまうのか。

答えは簡単。

世界に限界が来ているからだ。
神様の作った世界を動かす歯車のいくつかが、限界に達しているから。
ならば、それを調整して、あるいは継ぎ足しすれば、元に戻るはず。

手を取り合い、笑い合い。

そんな、神の国のような世界を取り戻す事が出来る。
そして、それを実現出来るのは自分だけだった。

正確には。
自分に宿る力は、そのために用意されてしまったものだった。

320 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/23 21:55:40.17 XKAfEPCK0 172/658


フィアンマは見つからない。
宙に浮かぶ城の中に居るのだろうか、とふと思う。
はるか遠く、高みに存在する彼女は、正しく神のようだった。

手を伸ばせど、手を伸ばせど。
矮小な人間程度に、神は捕まらない。

「……なら、あそこから降りてくりゃ、そん時は」

あの場所まで飛ぶことは、出来ない。
なら、神様が堕ちてくるのを待つしかない。
そして、トールは一つ、期待しているものがあった。

「上条当麻―――か」

今まで何度も学園都市、ひいては世界を救ってきたヒーロー。
トールがかつて嫉妬したことのある、フィアンマの友人。
彼は今ロシアに居ると、トールは聞いている。
英国の禁書目録と共に居ることも。否、彼女を救いに来ているということも。

「………」

彼女は今、成功と失敗のどちらを望んでいるのだろう。

トールは救いの城を見上げ、ふー、と息を吐きだした。

330 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:54:16.08 k8jyXvqo0 173/658


整えられた世界は美しかった。
月の光る、星の無い真っ暗な空。
自分が好む、綺麗な夜空。
『神の力』に整えさせた、思い通りの空模様。

「遅かったじゃないか?」
「『神の力』は消失した。テメェの負けだよ」
「あの大天使の役目は、あくまでも俺様好みの空へ、空模様を転じさせることだ」

正確には、世界環境―――四大属性のズレを元通りにすることだ。
自分の計画通りに、全ての事は進んでいる。進んで来た。
こうして上条当麻が目の前に立っていることも、計画通りである。
必要なのは彼の右腕であり、採取するには生きていてもらわなければならない。

「四大属性は全て元の位置へ配置された」
「……インデックスは返してもらう」
「ああ、返してやるとも」

右手の中で、遠隔制御霊装を転がす。
これを使えば使う程、あの少女には負担がかかるだろう。
そう事実を認識しながらも、使用しないという選択肢はない。

出来ることなら、目の前の少年をもっと苦しめてやりたい。

これは多分、自分という一人の人間としての、嫉妬だ。

331 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:54:48.79 k8jyXvqo0 174/658


出発点は同じだったくせに。
特殊な右手、極端な運、決して『普通』にはなれない特異さ。
自己犠牲の精神も、大切なものは手放すべきだという強迫観念も。
全て同一だったのに、上条は自分と進む道を変えた。

「俺様と違って、お前は自分の得を選んだ」

同じ劣等感と焦燥感に駆られていたはずなのに。

自分はトールと離れ、世界の為を願った。
上条はインデックスと共にあり、自分自身を幸せにした。

「俺様には綺麗事を言ったくせに。臆病者」

宝石が傷つかない環境ではなく、自分の手で宝石を守ることを選んだ。
"あの日"の電話で自分に同調しておきながら。裏切りに等しいと、そう思う。

「何を言って…?」
「今のお前の話ではないよ。だが、やはり俺様はお前が嫌いだ」

右手を振るう。
上条は咄嗟に右手を伸ばし、『第三の腕』を防いだ。

「お前を殺したところで気が晴れるとは思えんが」

生かしておくよりは、幾分か楽になるかもしれない。

フィアンマはそう思いつつ、大剣を振りかざした。

332 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:55:44.17 k8jyXvqo0 175/658


「一つ聞こうか」

学園都市側光化学兵器からの攻撃と思われる、閃光の爆弾。
空気が弾ける程の熱、その源を『聖なる右』で振り払い、フィアンマはそう問いかけた。
上条は拳を握り、間合いを測りかねながら、何だと聞き返した。

「お前は今のその行動が正しいと、確信は得られたのか?」
「正しいかどうかなんて関係ねえだろ」
「ほう」
「助けての一言も言えずに、インデックスが苦しんでる。
 苦しんで欲しくないやつを助けに行くのに、理由なんかいらねえよ。
 これが間違ってるっていうなら、まずはそのふざけた幻想をぶち殺してやる」
「なるほど。…そういう結論に至ったか」

右手を振るい、力を発揮する『第三の腕』の攻撃を防ぐ度。
上条の右手首は酷く軋み、その場に踏ん張ろうとする脚は酷く痛む。

「ぐ、……」
「この世界は歪んでいる。それは、根幹となる四大属性のズレに留まらん。
 人種、国家、男女、財力、身分、力量―――数え切れない程だ。
 世界が始まった時点では正常だったものが、何故歪むのか。
 答えは簡単だ。世界に限界が来ているからだよ。このままでは滅んでしまうだろう?」

世界滅亡は即ち、全人類の死亡を意味する。
その時までに、他の惑星に移住出来るかもしれない。
そうすれば一部の人間は助かる。だがやはり、人類の大方は助からない。
だからこそ、フィアンマはこの戦争を起こした。
戦争のために必要だという名目で、全ての材料を集める為に。
この大戦で多少の犠牲を払ったとしても、全人類を救うために。

それは絶対に正しいことだ。

「たとえば、目の前で今にも発射されんとする核ミサイルがあるとする」
「自分の手に握られているのは、ミサイルの制御キーだとしよう」
「この時、ミサイル発射を食い止めようとしようとすることは不自然か? 間違いか?」
「制御キーを差し込んで発射を食い止めた瞬間、それを発射しようとした者の死刑は確定する」
「俺様とお前が他者にやってきたのはそういうことだ。今回だってそういうものだよ」
「それを、お前は間違いだと否定するのか。お前の行動だって、今まで散々他者の人生を」

「他者が精一杯積み上げてきたものを、右腕一本で滅茶苦茶にしてきた」

333 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:56:19.89 k8jyXvqo0 176/658


「居なかったぜ」

トールと合流したウートガルザロキは、そう端的に報告した。
だろうな、と相槌を打ち、トールはゆっくりと息を吐き出す。
平熱の息は、寒空へ白い煙となって溶け消えた。

「に、しても。バカでかい城だな」
「拠点なんだろ」
「右方のフィアンマだっけ? 俺らの敵といやあ敵だよな」
「……、…」

トールは返事をせず、息を吐く。
そうだ。敵なのだ。彼女は、自分の敵。

「何、見つからなくてガチへこみ?」
「そういう訳じゃねえよ」

見つかったといえば見つかった。
しかし、どうしたって届かない。

「魔術師代表って感じで出てやがるな。あれで負けたらどう責任取るつもりなんだか」
「俺達が殺すんだろ」

トールの返しに、ウートガルザロキは僅かに目を瞬いた。

「…お前、殺し出来たんだ?」
「戦争代理人だぜ、これでも」

334 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:56:49.15 k8jyXvqo0 177/658


「キーなんていらない」
「…なに?」
「発射システムをハッキングしても良いし、キー穴に針金を突っ込んで食い止めてもいい。
 方法なんて探せばいくらでもある。発射しようとしたヤツが死刑になる? 
 やったことに対しては当然のことだろ。でも、事情があるなら助けに行くよ、俺なら。
 やむにやまれずミサイルを発射しなけりゃならなかったなら、それはそいつだけの責任なんかじゃない。
 犠牲ありきの方法なんか認めない。そんなのはハッピーエンドじゃないだろ」

そういった偽善者然としたところが嫌いなのだ、とフィアンマは思った。

「お前は、世界中でどれくらいの人が笑ってるか―――知ってんのか?」
「興味深い意見だ」

『神よ、何故私を見捨てたのですか』の光線が、上条に向かう。
それを右手で受け止め、彼は身をかがめて剣の一振りを避けた。

「お前は世界中の人間がどれだけ嘆いているか、知っているのか」
「沢山居るだろうさ」
「ならば、」
「だが、それを救うのはお前じゃない」
「……、…」
「上から目線の救いなんざクソ喰らえって言ってんだ!!」

上条が間合いを詰めようとする。
霊装を軽く揺すった。
『硫黄の雨は大地を灼く』が発動し、硫黄の雨が上条を襲った。
右手で払い、上条当麻はその場で立ち止まる。

335 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:57:22.63 k8jyXvqo0 178/658


フィアンマは、左手で自分の胸元に触れた。
トールがくれたループタイが、そよ風に揺れている。
大規模な攻撃で天井は突き抜け、床は二つに割れていた。
床の向こう、黒い粒子が見えた。
人の憎悪がくすぶっているように見えた。
フィアンマは、人の持つ『負』の感情をよく知っている。

人間は汚くて、醜くて、争ってばかりで、歪んでいて――――。

だから、誰かが救ってやらなければならない。
そしてそれは、『世界を救える程の力』を持つ、救世主たる自分の役割だ。

「御託は良い。どのみち、話し合って結論が見えるものでもあるまい」

以前の上条ならばともかく。
今の上条当麻と話し合ったところで、何の共感も無い。

ただ一度、右手を振るう。

大剣が床より振り上げられ、その過程で上条の腕を切り落とした。
少年の右腕を。右肩の先、その全てを。

336 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:58:21.40 k8jyXvqo0 179/658


宙を舞う右腕を、掴む。
右腕を分解し、『聖なる右』の力の受け皿として取り込んだ。
途端に『第三の腕』は血肉を得、空模様が変化していく。
現在の空はストッキングのように破け、神秘的な夜空へ変化する。
黄金の光がはるか天空より降り注ぎ、『ベツレヘムの星』を照らした。
あまりにも神秘的な存在となった右方のフィアンマの為に、世界自体が変化したのだ。
吸収時、『幻想殺し』と自分の力の源がぶつかり合う違和感に唇を噛み締め。息を吐き出し。

「右腕は回収した。お別れだ、幻想殺し。
 いいや、今は上条当麻と呼ぶべきか―――」

視線を向ける。
上条は下を向いたまま、大量に血液を滴らせていた。

ずるり。

力が抜けていく感覚に、フィアンマは眉を寄せた。
取り込んだはずの右腕が、徐々に消え失せていく。

「……何、だ…?」

力は取り込んだ。
だというのに。

「お前は何をして……」

上条の右腕。
正確には右腕のあった場所に、透明な『何か』が見えた。
生きている者全てを戦慄させるような、『何か』だった。

「テメェが何なのかは知らない。だが、」
「ここでは俺がやる。テメェは黙ってろ」

上条はそれだけ言った。
そうして『何か』を握りつぶすと同時、右腕が元に戻った。
フィアンマの内に、先程回収したばかりの右腕はない。
砕けた皿に料理を盛り付けるという役割は果たせない。
それと同じ、吸収した方の上条当麻の右腕は急速に劣化する。
まるで、『幻想殺し』を宿す右腕は、上条の右肩にしか相応しくないというように。

337 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:58:51.37 k8jyXvqo0 180/658


このままでは『幻想殺し』が『聖なる右』を食いつぶす。
素早く判断し、フィアンマは右手を振るった。
癒しと奇跡の力が、腐っていく右腕を地面へ排出する。

「っ、……」
「お前は」

排出時の苦痛に下を向いたフィアンマは、顔を上げた。
距離を保ったまま、上条当麻は右拳を握っていた。

「本当にやりたくて、今の行動をやってるのか?」
「……何を言っている?」
「俺は俺の得を選んだだとか、綺麗事だとか、裏切っただとか。
 俺には何の話かわからない。だけど、これだけは理解出来る。
 お前は、"以前の俺"と知り合いだったんだな。いや、…友達だったんだ」
「………」
「今の俺には、記憶がない。お前が指摘した通りにさ。それは事実だ」

右手が震える。
この男が何を言おうとしているのか、わからない。読めない。

「お前は、俺にとってのインデックスと離れた。
 多分俺は、その後押しをした。その結果が今なんだろ?」

338 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:59:21.64 k8jyXvqo0 181/658


「………、…な」
「俺はインデックスを救って、記憶を喪った。
 お前は大事なヤツと離れて、世界を救うことに専念した。
 だけど、そのことをずっと悔やんでる。そうなんだろ」
「……く、な」
「俺はお前と同じだって、何度も言ってたよな。
 同一視してた俺が自分と違う道を選んだから、お前は俺を憎んでる。
 切り捨てるものに、自分と同じ『大切な人』を加えられなかった俺を。
 お前は、そいつを手放したくなかったんだ。なのに何で―――――」
「知ったような口を利くな!」

右腕を振るい、霊装を握り込む。
彼女の瞳には世界に対しての憎悪があり、その精神は傷だらけだった。
幻想殺しによって力を削られ、魔道書の『汚染』が脳を苛む。
激しい頭痛に見舞われながらも、フィアンマは歯を食いしばって上条を睨みつけた。

「何も共有出来ない今のお前に、俺様の間違いを指摘する権利はない。
 俺様には手放すことが最善だとそう言いながら、お前はそうはしなかった。
 人間はそんなやつばかりだ。悪意と敵意と、欺瞞にしか満ちていない。
 それを救ってやろうと言っているんだ。上から目線の救いだとしても、お前達には必要なものだ」
「義務感だけで救おうとしてるのか」
「ああ、そうだ。それが俺様の使命だ、本分だ、義務だ、権利だ、責務だ。
 生まれながらにして『世界を救える程の力』を内包した、人間の。
 誰かがいつかやらなければ世界は崩壊する。俺様がやらなければならない!!
 俺様にしか出来ない。……やらなければならなかった。そうしなければ、」

世界が滅んだら。
自分が何もしなければ、トールは人類滅亡に巻き込まれる。

「俺様は免罪符だ」

戦争の全責任を負ってもいい。
何もかも自分のせいにしてくれていい。
そうして世界を救って平和にした先に。
彼が生きて、安心して戦える世界を。

「誰かにやれと言われたから。あいつのせいでやらなければならなかったから。
 お前達はそう言い訳しながら、俺様の思うように動いた。
 人間が善性に満ちていれば、こうはならなかった。
 この戦争は、確かに俺様が先導した。だが、実際に事を起こしたのはお前達だ」
「確かに、人は醜いところばかりかもしれない。俺にだって、目を背けたくなるようなどす黒さがあるに決まってる」

339 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 21:59:47.65 k8jyXvqo0 182/658


上条はそう認めた上で、対峙する。

「でも、人はそれだけじゃない。お前が救わなくても、いつか自分達で自分達を救うかもしれない。
 お前が、大事なやつを見つけたことがその証明だろ。醜い面しかないなら、大事には思えない。
 善性に満ちていなくたって、それは確かにある。お前が悪性を引き出して利用しただけだ。
 何でこうなる前に、誰かに打ち明けなかったんだよ。お前が間違う前に、誰かが止めたかもしれないのに、」

何度も、打ち明けようと思った。
手を伸ばして、誰かに縋ってみようかと思った。

「……俺様は間違ってなどいない」

こんな人間を、誰が救えるだろう。
こうする以外に方法がないのだから、良案など出てこない。
巻き込めば、親しくなった分だけ傷つける。
自分の手には、大事なものがあってはいけない。
だからこそ、教皇も、右席の面々も、記憶を消した。

「いや、間違ってるよ」
「何故そう言い切れる?」
「お前は、今のこの状態が楽しくないと思ってる。
 お前自身すら幸せになれないなら、この戦争は絶対に間違ってる」
「………」
「大事なやつは、死んだ訳じゃないんだろ。
 俺が止めてやる。お前が人類を無理やり救って只の免罪符になるなんて未来は食い止めてやる。
 使命と義務に追い立てられてるなら、俺がお前の悪役になってやるよ」

上条当麻のせいで救えなかった。
だから自分は悪くないと思え。

自分が免罪符になることを防ぐために、彼が自分の免罪符になるという。

「お前は、誰かに使命の重さを語ってよかったんだ」
「困惑させるだけだ」
「だとしても。…たった一人で背負って、大事なものを全て捨てる必要なんてどこにもなかった」

激しい頭痛と『汚染』で、視界が歪む。
酷く吐き気がして、まともに立っていられそうになかった。
上条が距離を詰めてきているのに、一歩後ろに下がることすらままならない。

340 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 22:00:26.97 k8jyXvqo0 183/658


「言っただろ。核ミサイルを発射しようとしたやつにだって、事情があるなら」
「自分は救ってやる、か」

息が切れる。
ぼろぼろと、変化術式で纏っていた身体が壊れていった。
右手に握った霊装を水平に掲げるが、立っていられない。
その場に座り込むと同時、上条との距離がほぼゼロになる。

「誰も、同じ役割なんて持っていなかった」
「誰も、止められるはずがなかった。気づくはずも」
「自分は正しいと言い聞かせて、ずっと立ってきた」
「何を喪っても良いように、ずっと我慢してきた」
「そっか」

「なら、もう我慢しなくていい」

重かった。
背負ってきたものは、無理やり背負わされてきたものばかりだった。

「お前でさえ、あの時、止めてくれなかった」
「ああ」
「お前のせいだ」
「そうだな」
「お前の」
「そうだな。だから、もうやめよう」

神浄の右手が、自分の右手を握る。
やめよう、という声は優しかった。
自分が嫌った、昔の彼によく似ていた。

「義務感に追われるまま、自分は正しいなんて言い聞かせて進むのは、もうやめよう」
「やり直せると、思うのか。普通の人間として。今、戦犯になってから?」
「出来るさ。記憶なんて無いし、お前と過ごした思い出なんて何一つないけど、そう思える」
「何故だ? 覚えてなどいないのに」
「多分、覚えてるんだ。お前が優しかったことも、辛かったことも。
 お前に大事なやつがいたこととかも、全部」
「どこ、に……?」



「心に」



そう言って、世界を救ったヒーローは優しく笑った。

341 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 22:00:53.76 k8jyXvqo0 184/658


「お前、…何で男の格好してたんだよ?」
「勝手がよかったからな」

霊装は上条へ渡し。
上条はインデックスに謝罪をした後、霊装を右手で壊した。
フィアンマはその間、どう『ベツレヘムの星』を始末するか迷っていた。
世界中の『善意』が救済を拒み、自分は弱体化を辿っている。
間もなくこの城は崩壊するだろうし、そうなると上条が危険だ。

「脱出用のコンテナがあ『聞こえてますか? 私です、レッサーです!』」

少女の声が割り込んだ。
何でも、自分に対してやれる限りの妨害行為を済ませたので先に脱出するとのことだった。
コンテナがだいぶ消費されているだろうな、とフィアンマはうっすらと思う。
これでは上条が安全に脱出出来ない。百人程度の魔術師など殺しておけばよかった。

「俺様は、お前が妬ましかった」
「インデックスのことで、か?」
「それもそうだが、他にも色々と要因はある。
 俺様の思ったように動かない男はお前だけだったしな」

コンテナのある場所に残るのは、個人用のものが二基。
幸運にも、二人分残っていた。

「俺様は後から行く。お前は先に行け」
「まだ後始末あるんだろ」
「問題ない。すぐに追うさ」

上条を追い立て、フィアンマはゆっくりとため息をつく。

「もし、」
「? 何だよ」
「もし再び会うことがあれば」
「ああ」
「友人に、なってくれるか」
「………インデックスに謝ったらな?」

その会話を最後に、上条は自ら選んだコンテナに乗って脱出した。
一人残った少女は、夜空を見上げる。
指先を床につけ、制御を行う。
地表を目掛けた『天使の力』を空中へ分散させ、息を吸い込む。

「………トールは、俺様と会っても、……また、笑ってくれるかな…?」

342 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/31 22:01:19.64 k8jyXvqo0 185/658


『jocbhvdusxijknbh不足vgsuhij』

ゴボリ。

『fxgyuhyiszjkhxbgvs』

足りない。

『guxhijbw水sx』

水が足りない。

『dgwusdquhgyhbjxnkinh』







大天使『神の力』が、再び動き出す。

348 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:22:09.00 mmZG/6ru0 186/658


神殿の城たる『ベツレヘムの星』内を歩き回り。
適所を破壊して天使の力を世界に還元しながら、フィアンマは地上を見やった。
黒い粒子のようなものは見えず、ただ地上の様子だけが見えた。
放っておいても墜落していく城に攻撃を仕掛けようとする人間は居ない。
ニコライ辺りが核兵器を打ち込みそうだと予想していた彼女は、首を傾げ。

(ああ、『善意』か)

核兵器を搭載したロケットを止めるのに、資格も義務も必要無い。
道具も何もかも、自力で揃えて止めれば良い。
やれる人間がやればいいし、やらなければならない人間なんていない。

そんな考えを持つあの少年には、多くの助けがあっただろう。
この戦争の最中でも、彼に与した人間は多かったはずだ。
その彼ら、或いは彼女らが核兵器の発射を食い止めたとして、何の不自然もない。

「……才能と努力の差か」

才能だけで辿りついた人間には、誰もついてこない。
努力だけで辿りついた人間には、誰かがついてくる。

恐らく、一生かけても自分は彼に追いつけないだろう。
追いつこうとも思わないが。自分はヒーローには不向きだ。

349 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:22:36.88 mmZG/6ru0 187/658


適所を破壊する毎に、落下速度が早まっていく。
時々制御して墜ちる方向性を変えながら、城は進んでいった。
北極海に着水しなければ、地表に激突する。最悪の場合、それが原因で氷河期が訪れるからだ。

『cghjiowsh』
「……、」

ゾゾゾ、という音が聞こえた。
大きな津波がやってくるような音に思えた。
『神の力』が北極海の氷や水を使い、自身の身体を再構成しようとしている。
万一にでもそれが完了してしまえば、それはそれで世界が変革してしまう。
自分の手を離れた天使が何をするか。
惑星の破壊、というフレーズがもっともしっくりくるようなことをするだろう。
自分が元の『座』へ戻るために。天使とはそういうものだ。

「努力とは報われないものだな」

自分に言っているのか天使に言っているのか。
ぽつりと呟くと、フィアンマは右手を水平に掲げた。
幸いにして、『ベツレヘムの星』は間もなく着水する。
『聖なる右』で目の前の大天使を片付けてしまえば、心配事は無くなるのだ。

「巻き込んでしまってすまなかったな」

人語で告げたので、きっと伝わりはしなかっただろう。

ただ、右手を振ったその瞬間。
水の大天使は、慈愛を湛えて微笑った気がした。

350 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:23:05.19 mmZG/6ru0 188/658


冷たい。
苦しい。

壊れた城の瓦礫が、身を裂こうと迫ってくる。
死力を振り絞って右手を振るい、のろのろと陸へあがった。
水で冷えたところに、ロシアの冷気はあまりにも冷たすぎる。

「は、」

逃げなければ、と思い立つ。
自分が脱出しなかったことは、既に一部に知れ渡っているだろう。
捕縛される相手にもよるが、相手によっては処刑は免れない。
たとえ、ローマ正教所属の人間に捕まったとしても極刑は免れないだろう。

自分の味方はどこにもいない。

そうなるように仕向けてきた。
自らの手で、味方になってくれる可能性を潰してきた。
ただ一人、こんな自分を傷つけないでいてくれそうな相手は。

「トー、……る」

体温が低下しているからか、足がもつれる。
うまく歩けないながらも、一歩一歩、着実にその場から遠ざかる。

彼に会いたかった。

謝って、言い訳して、みっともなくすがりつきたかった。
それを許してくれる程、この世界は甘くないことを知っている。

351 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:23:33.60 mmZG/6ru0 189/658


目の前で、神殿は徐々にスピードを上げながら北極海へ着水した。
その衝撃で城はバラバラに砕け、北極海は瓦礫の海と化した。
走ったが、間に合わなかった。
一つ、脱出した人物が乗っていたらしいコンテナは見えた。
それは少し不良箇所があったらしく、不安定な動きをしていた。
あちらは上条当麻が乗っているとの話を聞いた。
今頃は学園都市側が回収しているだろう。故に、トールは城の方を追った。
上条脱出後、コンテナの二つ目が脱出することはなかった。

つまり。

城の中には、彼女が残されていた。
今ならまだ、海水の中でもがいているかもしれない。
他の魔術師は捕縛という目的で彼女を探す中、トールは純粋な心配で捜していた。
走っている最中に連れ合いを残してきてしまったが、彼なら大丈夫だろう。

「クソ、」

水は冷たい。
ただ指先が触れただけで凍えそうなのだ、体ごと浸かったら低体温症は免れまい。

「何処だよ、」

もう少しで、後一歩で手が届く。
ずっと捜してきた。
たとえ敵に回っても、嫌われても、もう一度あの顔を見たかった。
欲を言えば、笑って欲しかった。泣き顔でも良かった。

「居ねえ…」

もしかしたら海の中からは脱出出来たのでは。

そんな考えに至り、トールは何度も海を振り返りながら周囲を捜索し始めた。

352 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:24:01.76 mmZG/6ru0 190/658


「………、…」

低体温症は、症状が進むにつれて意識が希薄になってくる。
独り言を呟く気力すらないまま、どこへ向かっているのかわからないまま。
彼女は鉛のように重い脚を引きずり、雪原を歩いていた。

「――――あ、」

不意に。
何の前触れもなく、彼女の右腕が切り落とされた。
肩口から切られ、細い腕が雪原を転がって彼方へ消えていく。

「がッ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

痛みは僅かに麻痺していて、ただ、咄嗟に左手で右肩を押さえた。
傷口からは大量に血液が噴き出し、酷く吐き気がした。
震えながら振り返った先には、逆さまに浮いた銀髪の人間が居た。

それは、『人間』としか表現出来ない。

女性とも男性とも聖人とも悪人ともつかぬ。

「……アレイスター=クロウリー……?」

直感的にそう思い当たり、彼女は首を傾げる。
対して、アレイスターは彼女を見据えた。

『君の行いは、私の『プラン』に大きな誤差を与えた。
 修正不可能、深刻なレベルに達している。…着眼点は悪くなかったが』
「お前、は……」
『十字教程度で"あれ"を理解しようとしたことがそもそもの間違いと言えよう。
 幻想殺しは―――ああそうか、私は月並みに怒りというものを覚えているのかもしれないな』

『プラン』。着眼点の間違い。誤差。怒り。

自分の救済計画が、アレイスターの想定していたものと似ていたのか、と彼女はぼんやりと思う。
上条の右腕を切り落とした直後に『見た』ものが、見てはいけないものだったのだろうか。
上条が無事見つからなかったのだろう。怒りを覚えているということは。

しかし、あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。

恐らく、彼に友好的な魔術師に保護されたのだろう、とフィアンマは予測する。

353 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:24:33.10 mmZG/6ru0 191/658


『君の生存はプランにとって不都合だ』
「そう、だろうな」

アレイスターは、自分への怒りだけで殺しに来たのではない。
自分の計画、実行、その不出来な結果から自分のプランを逆算されないようにするために、消しに来たのだ。
そうして自分を殺した後、この魔術師はどのような行動に出るだろう。

上条当麻を利用することは間違い無い。

それは、絶対に許されざる行為だ。
あの少年の善意を利用してはいけない。
ヒーローとして駆けずり回った日々は、あの少年と彼を慕う人々達だけのものだ。
そして何よりも、再会したその日、魔道書図書館への謝罪を終えたその時。
自分と彼は友人となる。友人を策略に利用されるというのは、どうにもカンに障る。

「あの男が守ろうとしたものを、穢される訳にはいくまい」

上条を利用しようとするなら、上条の周囲の人間も利用することになるだろう。
彼が利用された思惑は、自分一人のものだけでいい。

今ならまだ戦える。

右腕を切り落とされたとはいえ、『第三の腕』の顕現位ならば、まだ。
左手をのろのろと外す。ボンッ! という音と共に、怪物の腕のようなものが現れた。
血液と天使の力で構成されたものだ。勿論、世界環境を整えたあの時よりは余程弱い。

「無駄だと思うがね」
「無駄かどうかの問題ではない」

『銀色の杖』のような、銀のもや。
伝説級の霊装のようなものを見て、彼女は少しだけ笑った。

この世界には救いなんて無い。
自分が願ったことなんて何一つ叶わない。

ただ、ここで死んでもあまり後悔はないだろうと思う。

『第三の腕』と、『銀色の杖』の力がぶつかり合う。
結果は言うまでもなかった。
片方はそのままに、もう一方が雪の山を転げ落ちていく。

354 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:25:02.56 mmZG/6ru0 192/658












もう、寒さを感じない。
身体の震えは完全に止まっている。

負けた。

生きているのは幸運と言っていいものか。
いや、捕まった後のことを考えると不運かもしれない。

「………」

視界がぼやける。
意識が薄れていくのが、自分でもわかる。
このまま死ぬのかもしれないな、と考えるも、文字通り手も足も出ない。

「……?」
「まだ生きて…いるようだね」
「運が良かったってところか」
「いや、彼女自身の実力だろう。あの場面で手を抜く理由がない」

金髪だけが目についた。
トールのものよりは、やや色素が薄い。
目の色は緑色で、透き通った水色とはまるで違う。

「……、…」

誰だ、と聞こうとして。
そのまま、フィアンマは気を喪った。

355 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:25:41.36 mmZG/6ru0 193/658


「………ん」

目が覚めた。
暖かそうな内装の、さほど広くない部屋だった。
アパートメントだろうか、とフィアンマは考える。
そんなことはどうでもいい。問題は、誰が自分を拾ったのかということだ。

「目、覚めたみたいだね」

唐突にドアが開いた。
入ってきたのは、金髪の女性だった。
豪胆そうな、さっぱりとしたイメージを与えてくる人だった。
身にまとうのは決して豪奢ではないエプロンなど、シンプルそのもの。
だが、彼女がまとうことで不思議と『メイド』のシルエットを浮かばせていた。
彼女が手にしているのは、湯気の立ち上るマグカップ。
甘い匂いだった。ココアだろうとすぐに予想出来る程、濃厚なカカオの香り。

「飲みな。多少は温まる。回復術式だけじゃ完全には良くならないだろ」

差し出されるマグカップ。
毒は盛られていなさそうだった。
毛布を手繰り寄せ、カップを受け取る。
一口啜ると、心地良く、甘い味が口の中に広がった。

「……それで。俺様が服を纏っていないのは、凶器を没収するためか」
「凍った服着たままじゃ回復しないから脱がしただけだよ。今は洗濯中」
「そうか」

ココアを飲む。
洋菓子やそれらに関連づいたものしか飲食出来ない自分にはありがたかった。

356 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:26:16.68 mmZG/6ru0 194/658


見つからない。

また、ダメなのか。
彼女の手がかりだけ掴んで、見つけられないのか。

トールは絶望感に駆られながら、雪原を歩いていた。
泣き出したい程に、彼女は見つからない。
何も、多くを望んでいる訳ではないのに。
ただもう一度、彼女に会えればそれだけでいいのに。
それだけできっと、我慢出来るのに。報われるのに。

「フィアンマ……っ!!」

視界に入ったのは、華奢な指先だった。
かつて握ったことのある、女の子の手だった。
雪に埋もれて、体温を奪われているのか。
ピクリともしない指先だったが、あの赤い袖は明らかに彼女のもの。

やっと。

ようやくだ。
ようやく、彼女を探し続けてきた努力が報われる。
まずは引っ張り出して、それから救命活動をしよう。
回復魔術は詳しいという程ではないけれど、冷えた体を温める程度なら自分にだって出来る。

「今出してやる、」

トールは瞬時に腕へ近づき、手を伸ばした。
しっかりと手首を掴み、雪の中から掘り出す。
腕の先には、青ざめた彼女が居るはずだった。
少なくとも、この状況なら女の子が雪の中に居るはずだった。

357 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:26:47.30 mmZG/6ru0 195/658

 
雷神トールが引っ張った瞬間。

切断面が鮮やかな腕だけが、小さな雪山から引っこ抜かれた。
 

358 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:27:34.75 mmZG/6ru0 196/658


「………あ…?」

トールの思考が、全停止した。

この腕は彼女のものだ。
血液が、雪に滲んでいる。

どうして?

彼女が居なくて、切断された腕だけがある。
いや、切断ではなく体がバラバラにされた、その内の肉片かもしれない。
彼女は今、第三次世界大戦の首謀者としてありとあらゆるサイドから狙われている。
科学サイドからはそうでもないかもしれないが、魔術サイドはほぼ全員が狙っているはずだ。
見つけ次第私怨で殺してしまったとして、誰も殺人者を責めはしないだろう。
彼女の純粋な味方は、実質自分一人しかいないのだから。

自分以外の誰かが彼女を見つけた?

だとすれば、殺されてしまった。
高威力の遠距離砲撃なら、弱った彼女を破壊し殺すには充分だ。

或いは。

城が着水した衝撃により、体が砕けてしまったのか。
科学についてはあまり詳しくないが、過去に起きた有名な飛行機事故程度なら知っている。
飛行機がバラバラになれば当然、乗っていた人体もバラバラとなる。
火薬こそ積んでいないものの、衝撃分散装置があの城にあったとは思えない。

事故か、殺人か。

何にせよ、ここに腕しかないという事実から導き出せる真実は一つ。

彼女は死んだ。
自分がもっと早く追いついていれば、見つけていれば、助けられたかもしれなかった。

359 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/04 00:29:03.93 mmZG/6ru0 197/658


「う、……ぇえ゛ッ…!」

のろのろと腕から手を離し、こみ上げるままに嘔吐した。
元々ロクに食べてはいなかったが、胃の内容物全てが胃液に混じって雪原へ吐き出される。
真っ白な雪が黄色に染まる様を眺め、苦い水に涙を浮かべながら、少年は嘔吐した。
喉が灼かれ、息が苦しい。死んでしまいそうな程苦しい。

「げほっ、かは、」

雪にみっともなく手をついて、吐き出す。
やがて治まる頃には、全ての気力が抜け落ちていた。

何だったんだ。

自分の努力は。
そもそも、希望を持ったことが間違いだったとでもいうのか。
ただ一度、もう一時だけ彼女と共に在りたかったというその願いは。
そんなにも悪いことだったのだろうか。

何も、胸を張れる人生だとは思っていない。

自分はどちらかといえば日陰者で、彼女もきっとそうだろう。
しかし、彼女とてそんなに悪いことをしたとは、トールには思えなかった。
たとえ扇動を命じたとしても、彼女は引き金を引いただけだ。

ここまで無慈悲な扱いを受けなければならない程、悪いことをしたとは思わない。

それは恋人の欲目だと批判されても、トールは構わなかった。

「………」

形見と呼ぶにはあまりにも残酷な腕一本を持ち。
彼はふらつきながら立ち上がると、やがて歩き出した。
大好きな少女の、片腕を抱きしめながら。





帰り道雪原を見やったが、指一本見つからなかった。

367 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:42:00.65 gRzkvjwz0 198/658


そうしてトールはやがて、『グレムリン』本拠地へと戻って来た。
先に戻っていたらしいウートガルザロキが、彼の方を見やる。

「ずいぶんお早いお帰りじゃねえか。見つかったのかー?」

気楽な声。
軽薄そうな青年は立ち上がり、トールの表情を窺おうとして。
少年の持っているものに、思わず後ずさった。

「……、…」

あれ腕じゃね? つーか腕だろガチリアルグロなんですけど。

そんなこと思いながら後ずさる青年に対し。
トールはうっすらと笑みを浮かべ、虚ろな瞳でこう申し出た。
口調やトーンが妙に平たいことが、聞く者の恐怖を誘う。

「なあ、氷とかクーラーボックスとか、ないか?
 このままじゃほら、腐っちまうかもしれねえだろ」
「………あ、ああー、クーラーボックスね! ちょい待ち」

逃げ出すようにウートガルザロキはそう答え、ひとまず奥へ引っ込む。
トールは少女らしい細腕を抱きしめたまま、椅子へ腰掛けた。

「………腐ったら、くっつけてやれねえもんな…?」

ぽつりと呟いて、手の甲へ口付ける。
まだ雪にまみれて凍ったままの腕は、死人のそれと同じように冷たかった。

368 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:42:42.07 gRzkvjwz0 199/658


「っくしゅん、」

くしゃみをしつつ、ココアを飲み終えた頃。
今はまだ痛みを麻痺させられている右肩を見やり、少女はため息をついた。
利き腕を失うというのは、魔術を使うにも、日常生活においても不便だ。
切られてしまった腕は恐らく雪に埋もれたままか、アレイスターに砕かれてしまっただろう。
出来れば拾って欲しかったが、シルビア達に要求するというのもお門違いで。

「…かといって感謝する気にもなれんが」

女性の方はシルビアで、もう一人の男の方がオッレルス。
……と、メイドのシルエットを持つ、ココアをくれた女性に聞いた。
気を失う直前に見た青年の名前だろう。
もっとも、北欧神話の神の名が本名だとは思えない。
魔術師にとって本名は特には意味を持たないため、どうでもいいが。

「……」

空っぽのマグカップを机へ置く。
流石にいつまでも裸のままでは風邪を引くので、服を貸してもらった。
シルビアは既に退室しているし、暫くは誰も来ないだろう。

369 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:43:19.07 gRzkvjwz0 200/658


毛布を左手で畳み、脇に置く。
軽く感じる眠気を首を振って払い、服を手にした。

広げてみる。

シックな赤いワンピースのようだ。
スカート部がかなり長く、清楚なイメージの一着。
長袖なので少々着づらい…と思ったものの、後ろにチャックがついている。
ドレスのようにゆとりのあるデザインらしい。

「…赤か」

自分、もとい神の如き者の属性色だ。
いざという時術式を執行するにあたって都合が良い。
余計な魔術記号が散りばめられていないか確認した後、ジッパーを下げる。
ジジジ、という音がして、ワンピースは上着のように別れた。
下着がないが、一体型のようである。シルビアのものではサイズが合わないからだろう。
わざわざ買ってもらうというのもおこがましい。そもそもそこまでの義理はない。

「っくしゅ!」

寒い。

さっさと着よう、とワンピースに腕を通したところで。

370 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:44:06.78 gRzkvjwz0 201/658

 
ガチャッ
 

371 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:45:02.64 gRzkvjwz0 202/658


ドアが開いた。
一瞬目に入ったのは金髪だったが、シルビアのものではない。
そしてフィアンマに、見知らぬ男へ裸を見せる趣味は無かった。
ノックをしないのはマナー違反である。たとえ家主であろうとも。

よって。

数々の条件から、フィアンマはノーラグノータイムで詠唱した。
一定の区域から敵を排除するものである。
防衛などで拒絶した場合にはペナルティーが課せられ、軽くビンタされた程度の痛みが走る。
実用的ではないが、日常生活の叱咤程度ならば有用である。

「痛、った!!」
「唐突に入ってくるとは良い度胸じゃないか」

さっさと服を着てドアを開ける。
ビンタ程度の威力をモロに喰らったのか、若干涙目の男が立っていた。
フィアンマは彼を(身長の関係上)見上げ、わざとらしくため息をつく。

「何の物音もしなかったから寝ているかと思って。すまなかったね」
「それで良い」

謝罪を受けて満足したため、フィアンマはベッドへ腰掛ける。
シルビアから軽く説明を受けた限りではもっと恐ろしい男だと想像していたのだが。

「…まあ、『神の右席』もそんなようなものだったしな。
 中に入ってしまえばイメージと違っていて当たり前か」
「? 何の話だい?」
「こちらの話だ。…さて、本題に入ろう。お前が俺様を助けた理由は?」

まさか何のメリットもなしに、とは思えない。そこまでお人好しには見えない。

聞かれた男―――オッレルスはというと、少し考えて。

「君の見聞きしたことを全て教えて欲しい。そして、今後協力して欲しいことがある」
「ふむ。良いだろう。こちらからも条件がある」

フィアンマはゆっくりと息を吸い込み、オッレルスを見据える。
本来は条件など出せる身分ではないが、約束事は大切だ。

「俺様が協力する、必須条件だ。守らないというならお前を殺しても構わん」
「はたして君に私を殺せるかどうか…まあいいか。内容を聞かせてくれ」

372 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:45:42.48 gRzkvjwz0 203/658


オッレルスの目的は、戦時中の混乱に乗じて『グレムリン』という組織を完成させた魔神を殺すこと。
フィアンマの目的は、雷神トールに会うこと。及び、彼の安全が守られる状況を作ること。

詳しく言えばお互いの目的は増えるのだが、大まかにはそんなところだ。
何にせよ、利害関係が一致していることは間違い無い。

「雷神トール―――戦争代理人とも呼ばれる魔術師か」
「知っているのか?」
「『グレムリン』の直接戦闘担当だよ」
「…なに?」

嘘はついていない。
オッレルスの様子を観察してそう判断し。
フィアンマはゆっくりとため息を吐き出し、天井を見上げた。

「条件は―――雷神トールを殺…いや、危害を加えないことだ」
「あちらから攻撃を仕掛けてきても、ということで良いかな」
「そういうことだ。……気絶させる程度に留めて欲しい」
「わかった、約束は守るよ。……では、私からの条件は」

知っていることは全て話した。
トールとの個人的な事は口にしていないが、こんな条件を出した時点で理解してはいるだろう。
魔神のなり損ないたるオッレルスはフィアンマを見つめ、やがて条件を出す。

「共に行動し、私の指示通りに動いて欲しい。君の指針と食い違わない程度で良いから」
「……シルビアは『聖人』なんだろう? 何故俺様を一番の手駒に?」
「力量、かな。…ああ、でも君の身の安全は保障するよ。ある程度は」
「そうかい」

信頼はともかく、信用はおけるだろうか。

ぼんやりと思ったところで、くきゅるる、という音がした。
ちら、と自分の平たい腹部に視線を向ける。お腹が空いた。

「何か食べたいものは?」
「……カスタードプティング」
「普通の食べ物は吐き気を催すのだったかな」
「そうだよ。ストーカーこわい」
「違うよ!? シルビアに聞いただけだよ!!」

373 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:46:51.32 gRzkvjwz0 204/658


ウートガルザロキにクーラーボックスをもらい。
シギンに大量の氷をもらったトールは、一人ふさぎ込んでいた。

クーラーボックスの中には、沢山の氷。
それから、薄手のビニール袋に包まれた一本の腕。

ボックスを隣に置き、トールは別人のようにぼんやりとしていた。
初めて守りたいと思ったものを喪えば、当然ではある。
彼女は生きていると信じたい想いと、死んだのだろうという予測する現実的な思い。
どちらをとるか測りかねて、トールは黙々とクーラーボックスを撫でる。
少なくとも、彼女のカケラはこの中に入っているのだから。

「完全に鬱入ってるね…」

トールの様子をチラ見したマリアンの呟きに、ミョルニルがガタゴトと揺れて同意する。
戦闘こど血なまぐさく、思考にもやや異常が見られるマリアンだが、感覚は情に篤い。
仲間が落ち込んでいれば何とかしてやりたいというのは、実に人間的な想いである。
しかしながら、どう慰めればトールが元気を取り戻すのかはわからない。

「オティヌス、」
「私に任せておけ」

音もなく部屋に入ってきた魔神の少女を見るなり、マリアンが期待の眼差しを向ける。
オティヌスはゆっくりとトールに近寄り、ボックスとは反対側、彼の隣へ腰掛けた。

374 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:47:27.94 gRzkvjwz0 205/658


「お前が行った後、私や使い捨て要員の方でも捜索を行った」
「………」

透き通った水色の瞳は、オティヌスを見ない。
少女のような印象を与える長い金の髪を垂らしたまま、彼は黙っている。

「……まだ、その腕の持ち主は……少女は、生きている」
「……適当な事言ってんじゃねえよ」

オティヌスに対してこのような態度をとれるのは、トールだからだろう。
他のメンバーであれば沈黙したままの方が賢いと考えるに違いない。
或いは、大切な人を喪った衝撃で自殺願望でも持っているのか。
内心ヒヤヒヤとするマリアンの視線をものともせず、トールは塞ぎ込む。

「オッレルス」
「………」
「私の対となる…虫唾が走るが、事実その状態にある男だ」
「…名前位なら知ってる」
「ヤツが拾った。恐らく、生かしている」
「……何のために」
「無論、使用するためだろう。使い捨てのつもりかもしれないな」
「ッ、」

悲しみは、怒りに転じやすい。
期待すればする程、絶望の濃度が高いように。

「我々は今後、奴らとぶつかることになるだろう。
 その過程で、取り戻せばいい。腕はその時まで保管しておくのが良いだろう」
「……本当だろうな」
「嘘をつくメリットがない。調べて判明した情報をそのまま伝えているだけだ。
 オッレルスの思考回路は私と対して変わらない。いや、魔神である私だからこそ読める。
 ある程度の戦闘は彼女を使って切り抜け、使い潰して捨てるつもりなのだろう。
 何かを失敗しても、彼女のせいにしてしまえば済む。何しろ先の大戦の首謀者なのだからな」

ギリ。

トールが歯ぎしりをする音だった。
怒りという感情は強く、立ち上がるには十分な原動力となる。

375 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/05 15:48:18.66 gRzkvjwz0 206/658


「……落ち込んでる場合じゃねえな」

これ以上、彼女を免罪符にさせる訳にはいかない。

トールはのろのろと立ち上がり、オティヌスを見た。
騙されているとも知らずに、彼の瞳には怒りの炎が点っている。
そんな少年の様子を眺め、魔神は満足そうに笑みを浮かべた。

「それで良い。私の役に立て」
「ひとまず飯食ってくる」

クーラーボックスを持ったまま、トールはふらりと本拠地を出て行く。
会話を盗み聞くにはいたらなかったマリアンは、ほっと胸をなで下ろした。

「私は作業に戻る」

告げて、オティヌスはマリアンの横を通り過ぎた。
帽子を目深にかぶった彼女の口元には、下卑た微笑みが浮かんでいる。

382 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:32:05.38 IhUfCYqQ0 207/658



オッレルスが一般人に紛れてハワイへ行っている中。
フィアンマはというと、シルビアと共に留守番をしていた。
さながら保護された子供である。あながち間違ってもいないのだが。

「手品を見た経験は?」
「特には」
「なら、暇潰しに見せるよ」

『聖人』は、その圧倒的な腕力をもってして敵を制す。
故に細かい芸当は苦手なはずなのだが、シルビアは類に漏れるようだった。
彼女の場合、結界術が得意だということに関連しているのかもしれない。

「右手がマシュマロ。左手がキャンディー」

口にした通り、シルビアの右手には個装のマシュマロ。
反対の手には個装のキャンディーが乗せられている。

「…それを?」
「これを、こう」

彼女はフィアンマの目の前でマシュマロを放り、キャンディーと入れ替える。
通常は、既に今の行動で右手にキャンディー、左手にマシュマロがあるはずである。

「さて、キャンディーはどっちだと思う?」
「……右手」
「残念」

手のひらを見せるシルビア。
確かにその手に収まったはずのキャンディーは無く、ちょこんと乗っているのは。

「残念賞でクッキー贈呈」
「………」

むくれながらも素直にクッキーを受け取るフィアンマは年相応である。

「種明かしは必要?」
「どうせ俺様が一瞬放られたマシュマロを見上げている間に聖人の力で素早く弾き、変えたのだろう?
 原型を留めていない以上、俺様にキャンディーを見せられるはずもあるまい。手品としては三流だな」
「何だ、バレてたのか。なら、何でキャンディーが入ってるって答えた?」
「菓子がもらえるかもしれんだろう?」

損をとって得をとる。

可愛くない子供だ、とシルビアは小さく笑った。

383 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:32:46.08 IhUfCYqQ0 208/658


「ただいま」
「何か成果はあったのか」

シルビアからもらったキャンディー(いちご味)ひと袋を漁りながら、フィアンマはそう聞き返した。
成果がないのなら話は聞かない、といった態度でもある。

「まあ、多少は。火山が噴火してしまったよ」
「そうか」
「……素っ気ないな」
「歴史上、噴火などありふれているだろう。死者数によっては多少は反応を変えるがね」

『グレムリン』は、着々と下準備を行っている。
身内を切り捨て、命綱を絶ち、一歩も留まることなく前進する。
そのやり口は、フィアンマがかつて行ったものに似ていた。

机上で計算され尽くした犠牲者数。
その犠牲によって得られる恩恵。
全てを思いのままに動かす少女。

自分に対しての嫌味だろうか、とフィアンマはぼんやりと思う。
元はと言えば自分が戦争を起こしたせいで『グレムリン』は生まれてしまったのだが。

「上条当麻が居たよ」
「………、…」

飴を食べる手を止めた。
安堵を隠しきれない。良かった、生きていて。
魔神の思惑に振り回されているというのは少し哀れだが、死んでしまったよりもずっと良い。

384 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:33:54.91 IhUfCYqQ0 209/658


「甘いものを好む人間は愛情が足りていないらしいね」
「…俺様に向かって言っているのか?」

シルビアは現在買い出し中である。
フィアンマは空っぽにした飴の袋を枕代わりにオッレルスを睨んだ。
彼は少しだけ微笑んで、悪意無く指摘する。

「正確には、愛情が足りていない人間は甘いものを好む。
 君の場合は体質的なもので、食べる様はつまらなそうだ。
 でも、まあ、見ていれば思うよ。雷神トールは、君の恋人なんだろう?」
「………だったらどうした」
「私は『グレムリン』の人員に容赦をするつもりはない。
 ただ、君との約束は守るし、あの魔神から離反するというのなら止めない」
「…………」
「もしも私と行動をするのが嫌になったら、いつでも離れてくれて良いよ」
「言われずともそうするつもりだが」

手を伸ばし、既製品のカスタードケーキサンドの袋を開ける。
甘ったるいバニラビーンズの香りを感じつつ、フィアンマは口を開けた。
相変わらず何を食べても美味しいとは感じられないが、食欲は戻った。
オッレルスは優しい。人間的には嫌いではないタイプだ。
上条と少し似ている気もするが、偽善者の感触がまるでない。
恐らく、彼もどこか歪んでいるからだろう。内と外の切り替えがはっきりとしている。
そもそも大人とはそういうものだし、魔術師とはそんなやつばかりだ。

自分も。

385 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:34:22.93 IhUfCYqQ0 210/658


「………俺様に」
「……ん?」

ケーキを口に含む。
甘いものは、頑なな心を溶かす作用があるような気がする。
ほわほわとした生地と、甘ったるいバニラの香り。
舌先に広がるちょっぴり脂っぽいカスタードクリーム。
鼻を抜けていくのはバニラシュガーの香料だろう。

「トールとやり直す資格はあるのかどうか、自信がない」

同意が欲しい訳ではない。否定が欲しい訳でもない。

ただの独白。

自分はトールを事実上捨て、自らの目的を優先した。
その結果がこのザマで、トールはなりふり構わず進む破滅的な道に進んだ。
元々戦闘狂だったが、戦争代理人としての暴力的な側面が目立ち始めたのは自分と別れてからだ。
今頃になって、都合良く"はい元通り"といくのだろうか、という不安のようなものはある。

無償の愛は難しい。

好きになればなるほど。

「無いだろうね」

オッレルスはさらりと言い、フィアンマの前にクッキーの袋を置いた。
黙っている彼女に向かって、彼はどこか懐かしむように言う。

「そして、人間関係に資格という概念はないと思うよ」
「………」

386 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:35:09.46 IhUfCYqQ0 211/658

 
「……良いことを言っているつもりなら、ずいぶん恥ずかしい男だな」
「え、今のは悪くなかったと思うんだけど。あれ? 何で引き気味のリアクション…?」
 

387 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/07 22:36:03.45 IhUfCYqQ0 212/658


弱い者いじめをするというのは性に合わない。

それが、雷神トールの基本的な考えである。
それは『グレムリン』の面々が知るところ。
故に彼はハワイの一件には参加することがなかった。
否、正確にはあまり知らされなかったのである。

「………」

ぼんやりと。

天井を見上げ、トールはゆっくりと息を吐きだした。
今頃、彼女はどうしているのだろう。
自分のことを想ってくれる日はあっただろうか。

『トール』

自分の名前を呼んで笑う彼女の姿が、目を閉じるまでもなく浮かぶ。
一方的な情報を信じるつもりは無いが、オッレルスという男の全容は掴めない。

『優しいフリをして』
『甲斐甲斐しく世話をして』
『笑顔で地獄に突き落とすような』
『そういう男だよ、オッレルスは』

あくまでもオティヌスの談である。
嘘かもしれない。本当かもしれない。
もし彼女が少しでも心を許しているのなら、厄介だと思う。
自分の言葉を聞いてくれないかもしれない。

「……元々の目的は、敵になってでもアイツに会うことだ」

会ったら何とかなる。

自分に言い聞かせ、トールは枕元のクーラーボックスを撫でた。

395 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:21:05.66 7JEVBzDw0 213/658


「バゲージシティでは一緒に行動してもらう」
「てっきり俺様はのけものかと思ったよ」
「君が居ないと困る」

嘘臭い。

そうコメントしながら、フィアンマは手を伸ばす。
引っ張り出したのは、乾いた自分の衣装だ。
赤一色のそれは、天使の力と対応している。

「………先に言っておくけど、彼は来ないと思うよ」
「……直接戦闘担当なのに、か?」
「君が語る通りの人物なら、弱い者いじめは嫌いだろう。
 使いにくい人材だ。私なら使わない。…ということはつまり、オティヌスも立ち入らせない」
「バゲージシティで起こされる争乱は『弱い者いじめ』なのか?」
「力量差で言えば確実に。そんなことを気にする連中でもないだろうしね」

見目を整える。
もはやローマ正教とは関係のない自分にとって、男の見目は不要だ。
しかし、神の如き者の力を扱うにあたってはこちらの方が都合が良い。
人工聖人と同じ理屈である。偶像の理論を扱うのなら、力を流す方の身体を変えるべきだ。

「……それにしても、ちぎれた袖の元も無しに服を直すというのはどういう技術だ?」
「メイドの特有スキルなんじゃないかな」

396 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:21:40.68 7JEVBzDw0 214/658


「よお、トールちゃん」
「あ? ああ、お前かよ」

食事を終え、一休み。
そんなトールに近づいてきたのは、予想通りというべきか。

ウートガルザロキ。

幻術を究め、神の名を名乗る魔術師。
彼はクーラーボックスを眺め、のんびりと笑った。

もしかすると。

今後、トールと話せなくなるような気がして。
自分の力量に自信がない訳ではない。
だが、バゲージシティで行う『実験』に巻き込まれる以上、悲劇に喰われれば死ぬ。
死ななくとも、無事では帰れないだろう。

それでもいい。

学園都市に一矢を報いる必要がある。

「彼女に会えると良いな」
「ん? おう」

何も知らないトールは、快活に笑ってみせて。
何も識らないウートガルザロキは、純粋に彼の恋を応援する。

世界は残酷だった。
いつでも、昔から、未来に至るまで。

397 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:22:16.32 7JEVBzDw0 215/658


コツ、コツ。

自分の前を歩く男の様子を眺め。
フィアンマは彼に歩調を合わせつつ、目的地へ向かう。
『実験』は食い止められなかった。
いくばくかの死者が出ただろうし、悲劇も起こっただろう。

何の感慨もない。

「……ん」
「……どうかしたかい?」

視界の端に、懐かしい顔があった気がした。
ウートガルザロキ、と名乗っていた魔術師だろうか。
死んでいるように見えた。眠っているようにも。
祈りを捧げるでもなく、通り過ぎていく。

自分にとって価値があるのは。

もはや世界ではなく、幻想殺しでもなく。

398 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:23:14.16 7JEVBzDw0 216/658






「出来損ないが」

吐き捨てながら振り返った魔神の少女。

オティヌス。

「――――、」

彼女を見た瞬間、フィアンマは息が止まるかと思った。
見覚えがある顔だ。緑の瞳は、以前見た時よりもずっと無機質で。

彼女の『見えない力』と、オッレルスの『北欧王座』がぶつかり合う。

何千何万という音が集約し、一つの大きな爆発音に聞こえた。

「私を殺しにきたのか?」
「殺せないよ。出来るんだったらもうとっくに殺してる」
「殺されに来たか」
「それもないな。わかっているくせに」

覚えている。

あの日、自分を睨んでいた少女の顔を。

「―――まあ、ちょっぴりだけなら、押し返す心当たりはある」
「なに…? ……、」

視線が合う。

緑の隻眼が、細まった。
見下ろす側に居ながら、フィアンマは緊張と恐怖を抑えきれなかった。
彼女は自分への悪意の象徴だ。そして、罪深い自分という一人の人間としての。

399 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:24:04.06 7JEVBzDw0 217/658


後にオティヌスと呼ばれる少女は、平凡だった。
否、正確には非凡さがバレていない子供だった。

彼女が産まれた街は、魔術<オカルト>一色。

魔術結社のメンバー同士が子を為し、歴史を作ってきた場所。
少女は周囲の人々が好きだったし、学んだ魔術は誇りだった。
それがどれだけ忌まれるべき内容だったとしても。

フィアンマがその街を訪れたのは、何年も前の冬だった。
排他的と思われた人々は存外に友好的で。
一定の異常性を越えたら殲滅対象、そのための訪問だったが、このままなら問題ないだろうと思った。

だが。

訪れて泊まり、三日目の夜に。
彼らはとある儀式の為に赤子を殺した。
"そういった"術式しか扱えない魔術師達だった。
そしてそのことを、微塵も悪いとは思わない。
生まれて来る前から、先祖がずっとやってきたことだから。

400 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:24:40.61 7JEVBzDw0 218/658


悪魔崇拝。

文字通りの宗教を持つ彼らは、赤子を使って悪魔を呼び出した。
何人殺されてもいい、誰かが願いを叶えられるのなら。
そう思ったのだろう。現れたのは本物だった。

もうそれだけで殲滅対象だったが、黙っておこうとフィアンマは思った。

人には良い側面がある、赤子一人の犠牲には目を瞑ろうと。
けれど、彼らが犠牲に選んだのは訪問者である自分でもあり。
悪魔はそもそも人間程度の言う事など聞かず、獣のように荒れ狂った。

少しだけ迷った。

右手を振るって悪魔から人々を救うか。
だが、そうしたところで、一度悪魔を呼び出すことに成功した彼らは変わらない。
そして、変わってくれることに期待するつもりもなかった。
もしも彼らが矛先を『外』に向ければ、他の街は壊滅する。

ここで、一つの選択をした。

聖職者でありながら、フィアンマは一歩引いて、彼らを見殺しにした。

そうして血まみれになった部屋で、ようやく右手を振った。
一瞬で悪魔は消え、多くの死体と自分だけが残った。

きっと、自分が殺したように見えただろう。
事実、それは間違っていなかった。
自分を陥れようとした彼らが恐ろしかった。
赤子を殺して笑っている人間が怖かった。
他の街のためにと口では言いながら、自分が怖いと感じたという実に人間的な理由だった。

401 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:25:16.35 7JEVBzDw0 219/658


『……なにしてるの?』
『……、…』

きっと、その子供は何も知らなかったのだろう、と思う。
あまりにも幼い子供は自分を見上げ、純粋な眼差しでそう問いかけた。

何と答えれば良いのかわからなかった。

自分が正しかったのか、間違っているのか、わからなくなった。
少女は自分が血を浴びていることと、死体を確認した。
言葉を喪い、静かに立ち尽くす彼女に、何も言えなかった。

『おとうさん』

父親の死体の残骸を揺さぶり。
小さな子供は、こちらを睨んだ。

ふわふわとした金髪。
緑色の美しい瞳。
真っ白な肌。

自分が慈愛をかけていれば、神様のように人を愛して、信じられたなら。
起こらない悲劇だった。取り返しがついた。




自分は。
彼女の親や大切な人達が死ぬことを、容認した。

ただ殺すよりも、余程悪質な方法で。

402 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/08 21:25:42.29 7JEVBzDw0 220/658


苛烈な争いを終えて。
フィアンマはのろのろと歩きながら、そんな昔のことを思い出していた。
二者択一を繰り返す中で一種の解を手にした今なら、あの人々を救っただろう。
ただ、あの時は幼かった。未熟だった。
人の可能性を信じる事が出来ない程に。
いいや、それは少し前まで継続されていたことだが。

言い訳にならない。

自分は、オティヌスから全てを奪った。

「君はこれから学園都市で実験を行って欲しい」
「…実験?」
「自分の気配を完全に消せる術式を作ってくれないか」
「……」
「学園都市に潜入したら別行動としよう。君は感知されないよう、歩いてくれていればいい」
「……わかった」

トールとやり直したい、とそう望むには。
やはり自分は罪に塗れ過ぎているのだと、今一度自覚した。

409 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:41:27.75 IQXL6W5a0 221/658


母が死んだ。

病気だと聞いていたが、幼心に違うと感じていた。
一定以上の年齢を越えたら皆が参加する『儀式』の日に死んだから。

『生贄』にされたのかもしれない。

そのことについて、憤りを覚えたことはなかった。
きっと、母親にも叶えたい願いがあった。
命を賭けてでも。今の自分と同じように。

父親と兄は優しかった。
運が良いのか、何度か集会に行っても死ぬことはなかった。
生活はそれなりに満ち足りていた。
自分や、自分の住む周囲がおかしいことなんて知らなかった。

『あの日』の三日前。

外部からやってきた人は、外の事を沢山教えてくれた。

食べたことのない果実のこと。
病の苦しみを楽にしてくれる薬のこと。
甘いお菓子や、砂糖の種類のこと。

どこか、母親に似ていた。
中性的な人だった。

410 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:42:05.88 IQXL6W5a0 222/658


『おかあさんにあいたい』
『ここには居ないのか』
『しんじゃったから』
『………』
『………』
『俺様と一緒に、死者を蘇らせる術式を考えよう』
『できるの?』
『魔術を究めれば、最終的には何でも出来るようになる。
 世界を創ったり、壊したり。死者と生者の区別を曖昧にすることなど造作もない』
『わぁ……!』
『…ただ、そのためには余程勉強して、神上になるか…はたまた魔神になるか。
 素質によっても左右されるしな。努力すればある程度の高みまでは昇れる』
『がんばる』

二人で文献を読んだ。
難しい文章は噛み砕いて説明してくれた。
もしも自分が『届かなければ』、代わりに願いを叶えると約束してくれた。





なのに。

411 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:42:33.26 IQXL6W5a0 223/658



オッレルスと賭けをした。
きっと自分が勝つだろう、とフィアンマは思う。
昔から賭け事には負けたことがない。

気配を殺す術式を構築することは簡単だった。

元々、昔は出向いて殲滅対象を決定していたのだ。
潜入に際して気配を殺すことはよくやっていた。
少々伝承を織り交ぜたが、不具合は無い。

「いらっしゃいませー」

入学希望者向けの一端覧祭は、所謂学生色がよく出ている。
そこかしこで、ほとんど裸みたいな女の子が歩いていた。
今はまだ準備期間のはずなのだが、コスチューム合わせというものらしい。
準備期間中の学生向けなのか、暇な学生や一部業者が出店をしている。
売っているものはたこ焼きや焼きそばといった、一般的な種別。

…なのだが、さすがは学園都市というべきか。

焼きそばはケミカルな色をしていたし、たこ焼きにはチョコ入り。
昆虫チョコなんてものも販売していて、なかなかシュールだ。
オッレルス曰く、自分が一般人と関わる分には問題無いらしい。
恐らく、オティヌスへの不意打ち要員として自分が選ばれたのだろう。

「……ん」
「かっていきませんか!」

フィアンマの服を引っ張ったのは、小さな子供だった。
魔力を練ったことのない人間以外には、フィアンマは気づかれるようになっている。
そういう隠蔽術式だ。なので、フィアンマは驚くでもなく、しゃがんで視線を合わせる。

「飴でも売っているのか?」
「えと、えと…ちょこましゅまろです!」

服のポケットから紙を取り出し、金髪の幼い女の子はそう読み上げた。
ふわふわとした金髪。少しだけ、懐かしい気持ちになる。
本人を前にしたら、恐怖と緊張と、申し訳なさしかないけれど。

「一つもらえるか」
「ありがとうございます、はいっ」
「ありがとう」

412 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:43:01.93 IQXL6W5a0 224/658


ウートガルザロキは、死体すら戻ってこなかった。
シギンもまた同様に。
学園都市に保護(という名の略奪)をされたかもしれない、とオティヌスはぼやいていた。
どうでもよさそうな態度だったので、あれ以上問い詰めても詳細はわからなかっただろう。

「………まあ、生きて…りゃ良いけどな…」

クーラーボックス片手に、トールはそう呟いた。
もしかすると、此処、学園都市内で会えるかもしれない。
ただ、トールにも優先順位というものがある。

目下のところ、自分をハブって弱い者いじめをしていたオティヌスからは離反する。
学園都市内で幻想殺しの少年を見つけ、『槍』の材料を助けるよう交渉する。
次に、オッレルス勢力内で此処にやって来ているであろう『彼女』を探す。

『槍』が完成してしまえば、後はオティヌスの強制恐怖政治だ。
そうなれば、仮に『彼女』を見つけられても殺されるのを待つだけ。
オティヌスの妨害をしつつ、フィアンマを助け出す。
かなりの度胸と力量を試されるが、今の自分は彼女よりも強いと、はっきりと言える。

もう二度と。

『彼女』を一人ぼっちで戦場に行かせたりしない。

「……さて」

上条当麻を発見するなり、トールはポケットに手を突っ込んだ。
使い捨ての霊装を取り出し、静かに詠唱する。

『―――其は白きアースの助言が故に。嫁ぎの装に変化せよ』

バリバリバキン、という硬質な音と共に、トールの見目が変化した。
具体的に言うと、その姿は寸分違わぬ『御坂美琴』という少女の見目。
声もまた同様に。仕草は自分で気をつけなければならないが。

「まずは拳骨で良いのかしら?」

フィアンマ関連で一度妬いた相手(今なら認められる)だ、ちょっとばかし鬱憤もある。
それに、彼女を救ってくれなかったという逆恨みも。

なので。

飛び蹴りからの拳骨コンビでご挨拶させていただくことにした。

413 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:43:30.32 IQXL6W5a0 225/658


チョコマシュマロは安っぽい味だが、妥当な値段だった。
むにゃむにゃと咀嚼しながら、街を歩く。
どんな魔術師にも、自分の姿を見つけることは不可能だ。
魔術師である時点で、一度魔力を練ったことがあるのだから。

「………」

たとえば、雷神トールにも。

フィアンマの視線の先には、先述の彼が居た。
彼はファーストフード店で、ハンバーガーらしきものを食べている。
その向かい側に居るのは上条当麻で。

「……」

恐らく、自分ならあの場所に介入しても良いだろう。
直接戦闘担当であるはずのトールが上条と交渉している時点で、『グレムリン』から離脱することは読める。
上条もトールも、自分に対しては拒絶の態度は取らないだろう。あまりにも優しいから。
そうしたら、オッレルスの元からは抜け、トールと逃げることだって出来る。

だけど。

そんなに楽な道を選ぶ訳にはいかない。
オッレルスは資格なんて必要ない、いつでも離れてくれと言ってくれたが、物事はそんなに簡単じゃない。
少なくとも、オティヌスとの間に決着をつけなければ、トールと顔を合わせる訳にはいかない。
上条に気づかれてしまえば、自分の存在を指摘される。
だとすれば、このまま眺めていることは問題だろう。してはいけない。

「……トール」

話の一つでもしたかった。

思いながら、背を向けて走り出す。

414 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:44:15.75 IQXL6W5a0 226/658


「フロイライン=クロイトゥーネ」

上条当麻とひと悶着あった後、トールはファーストフード店でポテトをつまむ。
彼の向かい側に座る上条は、のろのろとハンバーガーを食べ終えた。
そんなところで、トールは本題に入る。

「あの『窓のないビル』に閉じ込められてる、正真正銘の化け物だ。
 ……正確にゃ、化け物染みた力を持った、何年生きてるかもわからねえ女、か」
「そいつが…?」
「それが、『グレムリン』…もとい、『オティヌス』の求める主神の槍の最後のピースだ。
 彼女はオティヌスの手に渡れば、『主神の槍』は完成しちまう。
 彼女を手に入れるためなら『グレムリン』は何でもするし、それを妨害したいオッレルスもまた然り。
 そこで、お前を誘った訳だ」
「……」
「ヤツ等が彼女を捕まえる前に、俺たちで逃がしてやるって話だ」

上条当麻は、熟考する。
『窓のないビル』の中で閉じ込められているその女性は、きっと辛いだろう。
その話が本当なら、誰かが絶対に助けてあげるべきだ。
ようやく外に出られたとして、オッレルス勢力に殺されたり、『槍』を作るピースにされるなんてあんまりだ。

それでも。

上条は、尻込みする。

「……お前は敵だろ」
「だから?」
「本当の事を言っているかどうか、証拠がない。確信を持てない。
 それに、俺が救って…その後、どんな結果になるかわからない」

その一言は、トールの気に障った。
彼は視線を下に下げ、ゆっくりと指先で隣のクーラーボックスを撫でる。

「だから助けねえのか」
「……」
「俺が敵だから。信用できないから。
 本当にその子が閉じ込められているのかわからないから。
 本当に救えるかどうか確証が持てないから救うなんて嫌だ、テメェはそう言いてえんだな?」
「俺は! …俺はもう、俺が何かをしたことで、誰かが傷つくなんて結末を見たくないんだよ!!」

415 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/12 17:44:55.82 IQXL6W5a0 227/658


だから。

『彼女』を中途半端に見捨てたのか。

敵だからと切り捨てず。
敵だからといって、と救い出すこともせず。

中途半端に引きずりあげて掬っただけで。

そのせいで、『彼女』がどれだけ絶望したと思うのだろう。
最初から救おうとしないなんてもっての他だ。
そして、救ったなら最後まで責任を持つべきだ。

ましてや、今回助ける相手は敵じゃない。

敵だろうが味方だろうが救ってきた上条が敵でない彼女を救わないなんて、認めない。

「よく知らないから、会ったことがないから、仲良くないから。
 だから、自分が傷つきたくないなんて理由で見捨てられるのか」

テーブルを跳ね倒して立ち上がる。
上条の胸元を掴み、二発その頬を殴った。

「なら、最後まで救えば良いじゃねえか。
 最高のハッピーエンドを迎えられるまで付き合えよ。
 直近はともかく、今までのテメェは―――上条当麻はそうしてきたんだろうが!!」
「俺はただその子を救えれば良かった! なのに、お前らみたいな奴が1を0に、マイナスにしやがる!
 もうそんな結末はうんざりなんだよ!! 俺の"救った気"が、誰かを知らずに追い詰めてたなんて未来は!」
「そうかよ。テメェが振るってきた拳は、そうなりゃ只のワガママの道具だ」

上条の拳を途中で掴み、手首を捻った。
痛みに顔を歪める上条を見下し、トールは唇を噛む。

「……そして。もしもそんな理由で、本当に誰も助けなくなったら。
 テメェは、正真正銘の悪党だよ。誰が何と言おうともな」

紙ナプキンにメモに手をかざす。
上条にその内容を見せ、燃やした。

「夕方四時、ここで待つ。来ようが来まいが、俺はアイツを救う」
「……本当に」
「……あん?」
「本当に、フロイライン=クロイトゥーネは閉じ込められているんだな」
「ああ」

トールは手を伸ばし、クーラーボックスを取り、肩にかける。

「……悪りぃな上条ちゃん。さっきの内、一発は私怨だ」

告げて、店から出た。
いつまでも残っていると、警備員に捕まってしまう。

425 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:22:48.50 1YzLwSxl0 228/658


「やあ」

裏路地。
地道に自分を探り当てたのか、オッレルスは現れた。
自分から居場所を教えたのに、随分と遅い到着だ。

「遊んでいたのか?」
「きちんとやることはやっていたよ。そうそう、賭けは君の勝ちだ」
「そんなことだろうと思っていたがね」

賭けの報酬は奢りディナーである。
フィアンマはオッレルスと共に、スイーツ食べ放題の店へ向かう。
高級店でデザートを多量注文しないのは彼女なりの情けである。

「シルビアはどうした」
「『グレムリン』の構成員とぶつかるだろうね」
「心配じゃないのか?」
「彼女は聖人だ。そう簡単に死んだりしないよ」
「お前と一緒に暮らしてきた女だしな」
「まあ、そういう実績も含めて」

無事、到着。
飲み物と皿にケーキを用意し、席につく。
ぱく、とティラミスを口に含み、フィアンマはニヤリと笑った。

「しかし、好いた女を自分の目の届かない戦場に送り込むというのはどうなんだ?」
「ぶふっ」

426 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:23:52.35 1YzLwSxl0 229/658


コーヒーを思いっきり吹き出しそうになりながら、オッレルスは動揺する。
目の前にいるのは美青年だが、その中身は少女である。
自分よりも年下の少女に恋愛事でからかわれるというのは居心地が悪い。

「い、いや別に、俺はそういう感情は、す、きとか、そういう、っっ」
「嘘をつくな。バレバレだぞ?」
「う、」
「……ずいぶん物知り顔で俺様を揶揄すると思えば、そういう訳か」
「………」

チョコレートを口に含み、オッレルスは沈黙する。
結婚すればいいのに、とフィアンマは思った。
恐らく、彼には彼なりの葛藤があるのだろうが。

「……確かに、俺は彼女が好きだよ」
「………」
「……ただ、優先順位を絞っていない。絞れない。
 彼女の為に世界中を滅ぼして回れるかと言われれば迷うしね」
「優柔不断だな」
「自覚はしているよ」

甘いクリームを舌で伸ばし、しっかりと味わう。
牛乳の匂いがするクリームだ。美味しい。

「なら、何かを犠牲にすれば踏ん切りがつくのか」
「……何の話かな」

427 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:24:23.48 1YzLwSxl0 230/658


ぱく、とプレッツェルを口に含む。
チョコレートの豊かな香りと、焼き菓子特有の軽快な音と、味。
ゆっくりと食べ進め、フォークでチーズケーキを突き刺す。
少しレモンを強めに効かせたらしいニューヨークチーズゲーキ。
甘くて良い匂いがする。口に含むと、爽やかで甘酸っぱい風味が広がる。

「はっきりとは言わんよ。ただ、一つ言っておく」
「……」
「…もしも何かを犠牲にするのなら、俺様を捧げてくれ」
「……雷神トールと会いたかったんじゃなかったのか?」
「そうだよ。…チャンスはあったが、捨てた」
「何の為に?」
「どう思う?」

妙な聞き返し方だ、とオッレルスは思った。
フィアンマはココアを啜り、視線をプリンに落とす。

「……もう疲れ過ぎて、自分がどうしたいのかもよくわかっていないんだ。
 楽な方に流れてしまえばずっと楽で、きっと幸せだと頭では理解している。
 ただ、それでトールと過ごせる程、俺様は様々な問題を無視出来ない」
「………」
「………お前に話すことでもなかったな」

ホイップクリームと共に、プリンを口に含む。

「俺様は、お前と友人になれたことを誇りに思うよ」
「……、…」

カスタード特有の、ふんわりとした卵の味がした。

428 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:24:49.21 1YzLwSxl0 231/658


フロイライン=クロイトゥーネを『窓のないビル』外へ出すことは成功した。
したのだが、敵味方の区別がついていない彼女はあまりにも無差別に攻撃し。
結果として、雷神トールは現在、体内の『妙な凝り』に身悶えていた。

「ぐ、……ぉが、…」

まだ、死ぬ訳にはいかない。
こんなところで死ぬ訳には。
少なくとも、彼女を救わなければならないから。

もう一度、彼女の笑顔を見るまで。
一緒に、何でもない日々を過ごせるようになるまで。
自分は何としても、生き延びなければならない。

バジジジジジジジィ!!! と激しい音がした。
体内の凝りを無理やり電気で破壊した途端、呼吸が元に戻る。
のろのろと手を伸ばして、上条の体にも同様の処置を施した。

「げほげほ! っ、あいつ、は?」
「フロイラインなら逃げちまったよ。想定外だ。どうするか…」
「……まだ、逃げて時間は大して経ってない。
 今ならまだ誤魔化せる。トール、俺に考えがある」

上条当麻は、立ち直った。
もう一度、ヒーローになることを決意した。
トールは、そんな彼の様子を眺めて満足していた。

(さあ、楽しいお祭りの始まりだ)

429 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:25:23.91 1YzLwSxl0 232/658


オッレルスは、再び闇に姿を消した。
彼には彼なりのやることがある。
自分にもまた、実験という義務があった。

「………」

一端覧祭が始まったようだった。
街中には着ぐるみやら何やらが闊歩している。
直接触れない限り、自分は魔術師には見つからない。
一般人からも、その姿を消そうとすれば出来る。
今日は一般人からも姿を隠してみることにする。
人ごみで軽くぶつかってしまえば、その人物にはわかってしまうのだが。

「フロイライン=クロイトゥーネは脱走か」

色々と読めるところはあるが、今回には参加しない。
あくまでも参加しないのだから、考えを伝える必要はない。

何となしに、自暴自棄な気分だった。

自分の思いは、いつでも自分の思うようにならない。
そのことに腹が立つ。酷く不服だ。

「……ん…」

軽い目眩を感じ、ビルの壁にもたれる。

自分が魔術師じゃなかったら、こんな目には遭わなかった。
自分が魔術師ではなかったら、トールには出会わなかった。

この世界は本当に、冷酷で、残酷で。

430 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/13 20:26:01.96 1YzLwSxl0 233/658


クーラーボックスをホテルへ。
中身を取り出して、ひんやりとした手の甲へ口付ける。

「……」

適切な防腐処理を施し、懐へ。
これで、しまっていても腐りはしない。
いつか彼女に出会えた時、つけてあげられる。

「行くか」






向かった先は、幹線道路の走る場所。
立っているのは、オッレルス勢力の二人だった。
途中捕まえた御坂美琴は、どうやら片方の相手を請け負ってくれるようだった。
上条を引き合いに出せばすぐ乗ってくれたのだから、恋する乙女はチョロいものである。

「今回ばかりは、私もそっちが良かったよ」
「今からでも遅くはねえけど?」
「悪いけど、こっちにはこっちの、心地良いしがらみってものがあるのさ」
「そりゃ羨ましい。…俺は精一杯生きてきて、ソイツを見つけることは―――出来なかった」

否。
実際には、見つけたはずなのに、喪ってしまった。

彼女の笑顔が。
彼女の声が。
彼女の手が。
彼女の涙が。

大切だったはずなのに、自ら手放した。
自分の鈍感が、彼女の孤独と、別れを招いた。

「まあ、安心しろよお嬢ちゃん。今回は『雷神』のトールさんでいてやるからさ」
「言うねえ。あんまり大人をナメるモンじゃないと思うけど?」




―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。


この想いは間違っていないと胸を張れるように。
今は、ここで戦うことが正しいと、そう思える。

438 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:35:41.55 8u0N3qsI0 234/658


「……」

真っ暗な路地裏で、女はふらふらと歩いていた。
向かう先は決めていない。
全てをゼロとイチで決めるその生き物は、何も考えていなかった。
何も考えないようにしなければ、『友達』を食べることを、考えてしまいそうだったから。

「………」

『それ』は。
フロイライン=クロイトゥーネと呼ばれる、魔女狩り時代の怪物だった。
あまりにも人間離れして、あまりにも人間染みた、人間には思えない生き物。
多くの人類が『異物』の烙印を捺し、恐れた存在。

「……?」

彼女は、顔を上げる。
そこには、一人の青年が立っていた。
とっさの反応で彼の体には異分子が紛れ込んだはずだが、苦しむ様子は見られない。
じっと自分を見上げるフロイラインに対し、彼はこう聞いた。

「…フロイライン=クロイトゥーネ、だったか」
「………」

フロイラインの瞳が、ぎょろぎょろと動く。
まるで、検索エンジンにキーワードを入力したかのような、作業的な時間。

「……はい。私、はフロイライン=クロイトゥーネ、です」

ロボットが言わされているかのような、無機質な返答。
彼は、或いは彼女と呼ぶべき人間は、彼女と目線を合わせる。

439 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:37:41.77 8u0N3qsI0 235/658


「上条当麻には会ったか」
「………」
「黒髪の、…お前より身長が低い少年だ。
 お前を庇ったりしなかったか?」
「…はい」

こくりと頷いて、フロイラインは壁に寄りかかる。
その口からは、熱い息がひっきりなしに吐き出されていた。

「もう、限界、です」

ずるずると、彼女はその場に座り込む。
自分を友達だと言ってくれた、優しい少女達。
その一人を捕食したくて、この身は震えている。
自分に笑いかけてくれた少女の頭にかじりついて、脳みそを啜りたい。

それは、もはや『本能』。

我慢している状態の方が不自然だ。
空腹や睡眠をいつまでも我慢出来ないことと同じ。
そういう『機能』を獲得してしまったフロイラインには、今の状況が果てしなく辛い。
自分の意思だけで空腹を押さえ込める人間はそうそういない。
それに、空腹とは比較にならない程、フロイラインの抱える衝動は、強すぎる。

あの少年は、『大丈夫だ』と言ってくれたけれど。

きっと、ダメだ。
自分はいつしか彼女を捕食して、絶対に後悔するに決まっている。
全力で拒絶しても消えない衝動で、息が苦しい。
殺して欲しい。もう楽になってしまいたい。

440 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:38:45.78 8u0N3qsI0 236/658


「あの男に会ったなら、お前は救われるよ」
「……?」

焦点の合わない瞳でぼんやりとしているフロイラインに対し。
フィアンマはそうはっきりと告げた。

「お前は俺様と違って、何も悪いことをしていない」
「……、…わた、しは」
「俺様には『機能』をかく乱してやることしか出来ないが、時間稼ぎ程度にはなるだろう」

バードウェイのように、フロイラインを殺す技術を、フィアンマは持たない。
それは目指してきたものの違い。人間を超える存在となるべく純度を高める思想の、ローマ正教徒故。
フィアンマは手を伸ばし、フロイラインの右手に触れる。
ジュウ、と肉が焦げるような音がして、フロイラインの抱える衝動が僅かに鈍った。
鈍っただけで、消えた訳ではない。言うなれば、焼け石に氷を投げた程度。

「一箇所に留まるのは得策ではないな。行け」
「あり、がとう―――ござい、ます」
「………結局俺様は、誰も救えないんだな」

441 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:40:57.82 8u0N3qsI0 237/658


発生する過程は魔術でも、発生した電気は科学サイドのものと大して変わらない。
トールは砂鉄で作り出したクッションに足を置き、空中でのバランスを保っていた。
彼の敵であるシルビアは、懐から取り出した縄で結界を構築する。
聖人の腕力は人並み外れたものであり、幼少期より当人は使いこなそうと努力する。
シルビアは軽い手品を行える程に手先が器用で、且つ豪胆な女性だった。

「あれは……、」

注意を払い、シルビアの手元を観察する。
ただ適当に縄を揺蕩わせている訳ではない。
ぐん、ぐん、と速度を上げて振り回される縄。
結界を専門にしている、と先んじて主張した彼女なら、どんな魔術を使うのか。

「私は力の制御が苦手でね。よく宮殿を壊したもんさ。
 で、怒られる度に考えた。どうやったら制御出来るか?
 答えは簡単だ。結界を作って、自分から宮殿を守ればいい」

宮殿を守るのに使用するのは、通常『天使の力』。
トールはシルビアを観察しながら、とある事実に気がつく。
彼女が描いているのはシジルだ。
精霊や天使の力を多く借りたい時に使用する、ルーンとは違う魔術記号。
その形は役を為した瞬間に次々と形を変えていく。
単一の莫大な『天使の力』を制御する『神の右席』とは違う形。
シジル同士の相生のバランスをもって、それらの者を上回る為の技術。
縄を回してその『力』を制御し、高速回転させた上で、シルビアは思い切り振りかざした。
結界とは要するに莫大な質量の壁であり、この行為は家の屋根を投げたことに等しい。
当然のことながら、その力の矛先の制御は超厳密には絞られない。

だから。

トールの背後にある廃ビルが、丸ごと破壊された。
通常の物理現象である『ビル倒壊』は、周囲を巻き込んで被害を肥大化していく。

「ばッ、馬鹿野郎!!?」
「宮殿でもよく言われたっけな」

『天使の力』で加速化した怪物は、橋側面を走りながら縄を一段と大きくたわませる。
トールは指先からアーク溶断ブレードを現出させ、振るう。
彼の唱えた詠唱は、一瞬にして天候をも変化させた。



二つの巨大な力がぶつかり合い、一閃の雷、そして。

442 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:43:46.99 8u0N3qsI0 238/658


ガギャン、と形容すべきか。

激しい物音がして、シルビアの腕が軋む。
聖人といっても、人は人。
人体には変わりがない。
音速以上の攻撃を立て続けに防がれれば、腕にはダメージが残る。
だがそれは、雷神トールの比ではない。

「く、そ!」

鳴り響く雷鳴。
雷を呼び出し、ブレードで照準を合わせる。
シルビアはそれを易易と回避し、さらなるシジルを描いた。

神の如き者から神の力。
神の力から神の薬。
神の薬から神の火。
そして、神の如き者へ。

「は、」

神の如き者の性質は、彼女の専門だ。
彼女と戦い、過ごしてきた中で、天使の力にはクセがあることを知っている。

「これは、アイツに感謝するべきかな」

ぽつりと呟いた。
ブレードで地面に刻みつけた焦げ跡は、魔法陣を描いている。

「な――――」
「介入させてもらうぜ、結界のプロフェッショナルさんよ」

443 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:47:27.39 8u0N3qsI0 239/658


通常、天使の力には既に属性が付加されている。
フィアンマが通常魔術を使うのに『火』を使わなければいけないことがその証明だ。
『神の右席』は単一の天使の力の扱いに特化するが故、自分専用の霊装しか使用出来ない。
シルビアはあくまでも聖人であり、その体は『神の子』に似た人体でしかない。

つまり。

一定以上の天使の力が溢れた場合、術者の体に害がある。
『神の右席』やサーシャ=クロイツェフのように、彼女は天使の力を受け入れる度量を持たない。
また、キャーリサのようにどこまでも天使の力を受けいれられる霊装を持っている訳でもない。
そこを利用し、トールは魔法陣で結界に余剰な『神の如き者』だけの天使の力を封入した。

ケーキに小麦粉がありすぎると、焼き上がらないように。

結界はぐらりと揺れ、縄をもっているシルビアの表情が僅かに歪む。
制御を誤れば、高圧電流に触れた人間の身体のようになる。
つまりは即死。だからこそ、天使の力は軽々しく扱ってはならない。

繊細な力押しと、悪知恵の勝負。

シルビアは縄を回し、『神の力』の力を喚び込んだ。
『水』と『火』の属性がぶつかり合い、かえって中和される。
これは、第三次世界大戦中にフィアンマが召喚した『神の力』と同じ状態。

制御に時間がかかったのは、たった三秒。
だが、その三秒で充分だ。充分過ぎる。
トールは手にしている凶器で、思い切りシルビアの間合いへ飛び込むことが出来るのだから。

「届け――――」
「――――天使の力は神の御元に」

444 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:51:41.17 8u0N3qsI0 240/658


一瞬、空白が出来た。

シルビアは天使の力を、突如縄から解放した。
あれだけのシジルを描いて呼び出した力を、手放した。
それは、目の前のトールの攻撃に対応するためである。
術式で反撃や防御を行うものだと思っていたトールは、僅かに目を見開く。

それに対し。

シルビアは縄をコンマ二秒で結び、『剣』を作った。
例え縄で出来た『剣』であろうと、偶像崇拝の理論で本物と化す。

神の如き者の剣。

フィアンマの扱うそれに比べれば、見劣りする。
だが、それを聖人が振るうのなら話は別だ。
火を放ちながら、トールの眼前へ剣が振るわれる。

回避出来ない。

トールは仕方なしに右手を突き出し、ブレードで縄を切った。
強烈な膝蹴りが腹部に突き刺さり、彼の体が吹っ飛ぶ。

「…っと、危なかった」

あまりにも涼やかなシルビアには、追いつかない。

(これが才能と努力の差ってヤツかね)

ため息をつきたくなりながら、トールはふらりと立ち上がる。


445 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:52:08.22 8u0N3qsI0 241/658


レイヴィニア=バードウェイの離脱により、戦闘は終了した。
お互いに大怪我を負った訳でもなしに、一歩下がる。
武器をしまい、お互いの姿を両の目できちんと見た。
それだけで、場の雰囲気が和やかなものへと変化していく。

「ちぇ。だから言ったのに。そっちが良かったって」
「しがらみ持ちは大変だな」

トールは深呼吸し、シルビアを眺める。
フィアンマのことを聞こうか、迷う。
それによって彼女に不利益が生じても困ってしまう。
なので、ひとまず口を噤んでおいた。

「それにしても、結界を攻撃に転用するのは初めて見た」
「結界に関してはプロの自負があるよ」
「俺の『トール』と同じか。またやり合おうぜ。会えたらさ」
「戦闘狂相手の戦闘なら、一回でゴメンだね。二度もやったら身がもたない」
「体力自慢の『聖人』がそれを言うのかよ?」

会話を終えて、お互いに背を向ける。
シルビアには沢山の帰る場所があるし、トールには探さなければならない人が居た。

446 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:52:57.76 8u0N3qsI0 242/658


打ち止めと、フレメアと、フロイライン=クロイトゥーネ。

抱き合う三人の少女を遠くから眺め。
良かった、とフィアンマは思う。
自分と違い、罪の無い、或いはずっと軽い人は救われるべきだと願ったから。
上条当麻は本物のヒーローだ。自分と違って。

「……実験は成功か」

何だかんだいって、誰にも気づかれなかった。
フロイラインには自分から気づかれようと振舞ったのでノーカウント。
オッレルスには良い報告が出来そうだ、とぼんやり考える。
とても有意義な実験だった。これなら、誰でも後ろから刺せる。

「………」

自分を尖兵とするつもりなのだろうか。

オッレルスの考えを考察し、読み取っていきながら。
使い潰される人生こそ自分には相応しいと、フィアンマは考えてみる。

447 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/18 23:53:25.49 8u0N3qsI0 243/658


フロイラインの件が解決した以上、学園都市に留まる理由はない。
しいて言えば、彼女が脱出したかどうかを知りたかった。
彼女が居ないのなら、それこそ学園都市に用はない。

「………、」

怪我という怪我はないが、シルビアは強かった。
爆発などの余波で、少々身体は疲労している。
元々、トールは特別な体質の持ち合わせなどない。
努力だけで全能神の力にまで手を届かせたからこそ、この場所に立っている。
天性のものなど無い。あるとすれば、そうそう折れない心だけだ。

そんな、トールは。

ぴたり、と立ち止まる。
そこに立っているのは、オティヌスとよく似た雰囲気を纏った青年だった。

「やあ、雷神トール」
「……、…」

自分の中で、殺意が爆発的に膨らんだ。
オティヌスの言葉が全てだとは思わない。
だが、目の前の男は敵だ。それも、自分の気に食わない方の。
戦争に負けて戦犯にされ、ズタボロの彼女を引きずり回して戦わせている張本人だ。
フィアンマを愛するトールならば、苛立ちを隠せないのも当然といえよう。

「何の用だ」
「"彼女"からは、君を傷つけないように言われている。だから、そう警戒しなくてもいい」

トールは、僅かに警戒を解くか悩む。
対して、オッレルスは微笑むでもなく。






「――――なんて。言うつもりもなければ、彼女との約束も今は無効なんだけどね」

453 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:24:55.71 Oze1huzB0 244/658


殺気は無い。
殺意も無い。

いや、感じられないだけかもしれない。
こと、戦場において、オッレルスの態度は不自然だった。

あまりにも、緊張というものがみられない。

まるで家の中で寛いでいるかのような弛緩。
雷神トール程度の相手には、緊張する価値などないと宣言するかのような。

「彼女と私の契約は単純だ。
 彼女は私の命令に従い、私と共に行動する。
 その条件が守られている場合、私は雷神トールを攻撃しない。
 たとえ攻撃されようと、回避して、気絶させる程度に留める、とね」
「なら、今がその時じゃねえのか」
「ああ、一般的にはそういうことになるだろうね。
 ただ、彼女も私との契約を守っていない時間中なら、当てはまらない」
「…何…?」


 ・・・・・・・・・・・・・・
「私と彼女が共に行動していない」


屁理屈だった。
だが、彼は本気でそう発言している。

だからといって。

ここで殺される訳にはいかない。

454 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:25:21.36 Oze1huzB0 245/658


シルビアと違い、抵抗する隙さえなかった。
ノータイムノーモションでぶつけられた『力』。
オッレルスはそれを『北欧王座』と称している、不可解な術式。

頭のてっぺんから。
足の指先まで。

痺れるような、重いダメージが浸透している。
壁に叩きつけられた背中が、ひどく痛む。

「が、ぁ…?」
「理解も出来ない内に叩きのめされる、というのは少々辛いかもしれないな」

そんなことを言いながらも、手加減は感じられなかった。
いや、力押しで圧殺されないだけマシかもしれない。

「本当は君を殺して彼女に見せても良いが」
「ッ…ふざ、けんじゃ、ねえ…」
「ああ、私もそう思うよ。だから、君のことは約束の一部通り、気絶に留めようかとは思う」

話しながら。
一瞬で、何の気配も動きもなく。
トールの眼前に、オッレルスが現れた。
五百メートル程の距離を、あっという間に詰められた。

455 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:25:48.46 Oze1huzB0 246/658


まるで落ちた紙切れを拾うように、手が伸びてくる。
指先で地面に文字を描き、雷を落とす。
一閃の雷光はオッレルスの身体を貫いたはずだが、まるで効果をなしていない。

「余計な事を言われると困ってしまうから、」

まるで。
煮込み料理の鍋に、塩を足すような気軽さで。

オッレルスは手を伸ばした。
トールの片脚を掴み、容赦なく横に捻じ曲げる。

バギャグギ

そんな音と形容した方がいいのか。
はたまた、ただの衝撃であると言うべきか。

あまりにも軽い動作に反した重々しい痛みが、トールを襲った。
骨が無残に肉を突き出し、空気に晒される。

「ぎ、が、ぁアアアアアアア!!!!!!?」

痛みが強すぎて、何もわからなくなる。
痛いと思うことすら許されないまま、トールは一方的に攻撃されていた。
反撃をしようにも、届かない。間に合わない。

456 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:26:16.79 Oze1huzB0 247/658


「全能神トールに届く程の実力はあるようだが…。
 それでも、人間に想像出来る程度の全能に過ぎない」

魔神の力とは確かに、違うだろう。
その差は絶対的で、埋められないものだ。

「君には彼女の鎖になってもらう」

いつでも離れてくれていい、と告げたその口で。
フィアンマを自分の手駒として縛り付ける為に、オッレルスはそう吐き捨てた。

怒りが力に変わるなんて展開は、少年漫画の中だけだ。
いくら目の前の男を憎いと思っても、トールの実力は上がらない。
こんなところで立ち止まる訳にはいかないのに。

彼女を、戦場から引きずり下ろしたい。

日常というステージまで。
それだけの願いなのに、叶わない。

457 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:26:47.26 Oze1huzB0 248/658


どちゅっ、という音がした。

「……ぁ、…?」

トールの喉元には、弓が突き刺さっていた。
弓矢を放つモーションなど何一つなかったはずだ。
ありとあらゆる知識を総動員すれば、魔術発動に必要なキーは減る。
だとしても、あまりにも説明の出来ない攻撃。

致命傷。

そんな言葉がトールの頭に浮かんだが、彼が死ぬことはなかった。
代わりに、彼の腹部、服の内側で何かが砕けた音がした。
それは彼の体に刺さることなく、服の隙間からボロボロと地面へ落ちていく。

(こ、れ……)

そうだ。
彼女が、クリスマスにくれたものだった。
致命傷を受けててくれる、身代わりの霊装。

(フィアン、マ……)

『………大事にする』

彼女の嬉しそうな、涙声が、蘇る。
それを振り返る時間もないまま、トールの意識は深淵へ落ちていく。

458 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:27:14.99 Oze1huzB0 249/658


オッレルスとの合流場所へ来た。
待ち合わせ時刻は間違っていないはずだ。
別に遅れたところで怒る性格とも思わないが。

「………、遅かった、な…」

言いかけて。
オッレルスが腕に抱えている少年の姿に、言葉を失った。


血まみれで、脚からは骨が突き出ている。
呼気は浅く、内臓が傷ついていることは明らかな顔色。
喉にも傷があり、掠れた吐息ばかりが零れている。


「……あ、…」
「路地裏で倒れていたんだ。…オティヌスの内部粛清だろう」

沈痛な面持ちで、オッレルスは俯く。
フィアンマは慌ててトールの身体を抱き受け、顔を覗き込んだ。
まだ生きているが、失血量もそれなりにあるようだ。

「私はこれから『グレムリン』に、…彼として潜入する」
「………ッ、…」
「君には追って連絡をするよ」

オッレルスは、ゆっくりと深呼吸をして。

「……間に合わなくて、すまなかった」

そう、小さく謝罪の言葉を残して、その場を去った。
フィアンマはトールを抱えたまま、ホテルへと向かう。

459 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:27:42.18 Oze1huzB0 250/658


やや古びたホテルの者に多額の金を渡せば、一番良い部屋を用意してくれた。
あれで一ヶ月は宿泊出来るだろう。何をしても嫌がられないはずだ。

トールの身体を、ベッドへ寝かせる。

全てを回復させる術式は扱えない。
右腕がない以上、奇跡を借りることはそんなに出来ない。
無力感に打ちひしがれないように、必死で自分を鼓舞する。
失った生命力を元に戻すイメージをして、天使の力を使う。

呼吸だけは、楽になった。

露出している骨も、足の中へ戻す。
時間はかかるが、ここでじっとしていれば一ヶ月以内に全快するはずだ。

「………」

術式の設定を終え。
フィアンマは、トールの傍に膝をついた。
いつかの、倒れた彼を看病した時に似ていた。
ただ、その時よりも今の方が、ずっとくるしい。

「とー、る」

ぽた。

ぱた、ぽたぽた。

涙と呼ばれるものが、あふれて、ベッドに落ちる。
彼の衣服や、顔をも濡らした。

もう、我慢出来なかった。

ずっとずっと辛抱してきたものを、抑えることなんて出来なかった。

460 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:28:12.07 Oze1huzB0 251/658


「あいたかった、ずっと、」

(俺も、だよ)

思っても、伝わらない。
どうやら声帯は完全に潰されているらしい。
身体は徐々に癒されていくが、今はまだ楽にならない。
指先の一本すら、自分の思うように動かせない。

「トールがいなくても、ずっと頑張ってきた。
 歩いて、走って、すすんで、立ち止まっちゃいけないと、おもって」

(そう、だな。お前はずっと、我慢して―――)

「俺様を捜していたのか。だから『グレムリン』に入ったのか」

(ああ、)

肯定も否定もしてやれない。
ただ、彼女の涙と独白と問いかけだけがこだましている。
胸が痛かった。抱きしめて、頭を撫でてやりたかった。

「俺様のことなんて忘れれば良かったんだ。
 ちょっとした偶然で出会っただけなのに、…」

(…それで片付けられないから、お前は泣いてるんだろ……)

涙で歪んだ顔をぐしゃぐしゃに歪め、彼女は唇を噛み締めた。
後悔している人間の顔に他ならなかった。

「俺様のせいだ」

(ちが、う)

「俺様がお前に頼らなければ、甘えなければ、こんなことにはならなかった」

(そんな、こと、)

「聞いてくれ。…死ぬかもしれないと思った時、お前の顔が浮かんだんだ。
 トールに甘えたいって、抱きついて、なきわめきたいって、…そんなことを」

(そっ、か…)

「あまりにも身勝手で、自分に呆れる。そのせいで、トールはこうなった」

(俺は、ただ…お前に、もう一度会って……)

届かない。
叫んでも、掠れた吐息にしかならない。

461 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:28:46.80 Oze1huzB0 252/658


自分は、彼女にあえて良かったと、こんなに思っているのに。
出会って、話して、笑い合って。
何でもない日常を一緒に過ごして、好きになって、好かれて。

幸せだった。

きっと、それは自分の知ろうとしなかったものだった。
それは、あまりにもあたたかいものだった。
捨てたくないと、失いたくないと、みっともなくしがみつきたいほどの。

「馬鹿だな、…俺様に価値なんてないのに」

(価値だとか、善悪じゃねえよ。俺はお前が好きだから、)

「トールと一緒にいたかった。トールと一緒に、またお菓子を食べたかった。
 笑ってほしかった。叱って欲しかった。それしか望んでいなかった。
 俺様が間違っていたんだな。俺様の報いはいつでも、俺様には来ないんだ」

(どうしても――――)

「俺様が、トールを好きだと思ってしまったから」

(―――届かない)

「トールのことが…だいすきだったから……」

ただ、頷いてやれれば。
それだけできっと、彼女は楽になれる。
頭ではわかっているのに、身体は頭の命令に従わない。

462 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/19 23:29:39.19 Oze1huzB0 253/658


「……もうかかわらない」

彼女はベッドに手をつき、ふらふらと立ち上がる。
引き止めたい、けれどやっぱり、声が出ない。

「……もう頼らない。甘えたりしない」

深呼吸をして、彼女は目元を拭う。
最初から出ていた答えを、再確認するように。

「……俺様が生きていることが、そもそもの誤算だった」

元を正せば、生まれてきたことすら。
自分の選択に、人生に、何の意味もなかった。
ただ、大好きな人達を不幸にしてきただけだ。

「俺様じゃなくたって、トールを好きになる女は沢山いる」

彼女は、笑みを浮かべる。
歪んだ笑みだった。
その身体は、小さく震えていた。

「その中に一人くらいなら、トールが好きになる女だっている」

言い聞かせるように。
そうしなければ、前に進めない。

(フィアンマ、俺、は……代わりじゃ、嫌なんだよ。何で、)

トールの指先が、ぴくりと動いた。
背中を向けているフィアンマは、気づかない。







「もう、大丈夫だ。俺様が、全人類の免罪符になる。――――さよなら」


ドアが閉まる。
『あの日』と同じように、無残に、残酷に。

471 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:45:06.38 qV96IREh0 254/658



泣いたからか、精神的には少し楽になった。
ただ、身体的疲労はのしかかってくる。

オッレルスからの連絡待ち。

フィアンマはひとまず『外』へと出た。
学園都市の中に居るメリットを感じられなかったからだ。

『フィアンマ』
「……ん」

唐突に話しかけられ、反応する。
直接意識に割り込みをかけてくるタイプの通信術式だ。
結構な遠距離からかけてきているのか、声の大小が不安定だ。

『実験は成功だったようだね』
「ああ」
『下準備の方は覚えているかな』

思い浮かべる。
そういえば、アパートメントで二人で本を読んだ。
共通点はよくわからないものの、読むだけ読んで、と言われたものだ。

『あれの共通するテーマを元に術式を組んだんだけど、再現出来るかい?』
「…口伝でさせるつもりなのか?」
『君なら出来るよ』

472 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:45:44.09 qV96IREh0 255/658


レシピを口頭で教えられながらリアルタイムで料理をしているような気分だった。
それも、フランベなどの危険な作業に近いので危険度が洒落にならない。
そもそも、魔道書や写本で教えるべき術式手順を口頭でとは如何なものなのか。
自分が『汚染』された場合どう責任を取るつもりなのだ、と文句が口を突いて出る。

『君の場合そうそう汚染はされないだろう。宗教防壁は無くなるものじゃないんだし』
「俺様がこの局面で死んだら困るのはお前だろう」
『その通りだよ。…今度何かご馳走するから、機嫌を直してくれ』

困ったように言われて、少し笑う。
そういう気の遣い方は勘違いされやすいので、感心しない。

「……潜入は出来たのか」
『ああ。だから、そろそろ切ることにするよ』
「また後で」

通信を終える。
戦いのことを考えていれば、何も振り返らないで済む。

元は、ごっこ遊びだったはずだ。

傷つく方がおかしい。
おかしいのだ。間違っている。

「……だから、…」

473 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:46:21.87 qV96IREh0 256/658



あれから、何日経っただろう。
部屋に誰一人訪れないのは、彼女が金を出したついでに従業員へ言ったのか。
何はともあれ、身体の調子は徐々に良くなってきたように思う。

「ぐ、……」

起き上がる。
ぼんやりとした頭は、まだ少し血液が足りていないらしい。
ただ、それでも考えることは山ほどあった。

「………」

泣いていた。
身を震わせて、我慢してきたんだ、と吐き出していた。
会いたかったと、抱きつきたかったと、言っていた。

大好きだ、と。

言って、いた。
それなのに、また全てを我慢して、これまで以上に精一杯飲み込んで。
自分を『免罪符』なんてモノ扱いをして、彼女は行ってしまった。

「…は………」

視界が揺れる。
それでも、進まなければならない。

脚が折れようと。
手が砕かれようと。
内蔵が潰れようと。
声帯が駄目になろうと。

ここで進まなければ、一生後悔することになると、そう思うから。

474 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:47:08.04 qV96IREh0 257/658


十字架を背負って、ゆっくりと下る。
この先の場所が、自分の墓場だろうと思いながら。

「………」

『神の子』も、こんな気持ちだったのだろうか。
全人類の罪を着せられて殺される気分というものは。

「………」

十字架を、地面に突き立てる。
石に天使の力を込めて昇華させた、特殊なものだ。
聖霊十式程ではないが、教会の歴史あるものを使用した。
対応するそれは聖ピエトロの術式を組み替えたもので、自分にしか扱えない。

自分の死をもって。

世界を、大規模魔術による干渉から救う術式。
世界の全てをねじ曲げようとする魔神にしか効果はない。
元となった『使徒十字』とはまったく真逆の性質のものだ。
魔神が完成する前に、自分は死ななければならない。

「……」

そして、この術式には一つ、小細工が施してある。
それは、悪意や敵意といったものを自分へ集めるというものだ。
死して尚、自分は悪の象徴として祀り上げられるだろう。
それは、オティヌスの罪が消えるということも意味する。

敵意を向けさせる。

これは『天罰術式』の研究過程で得られた数値を流用したもの。
まだ記憶を消す前のヴェントが、自分へ教えてくれたこと。

「魔神オティヌスを止めるのは、俺様でなくてはならない」

ただ、幸せに暮らしていた少女の家族を。
結果的に、見殺しという形で殺害した自分の、けじめのために。

475 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:47:54.49 qV96IREh0 258/658


『船の墓場』は、思った以上にごみごみとしていた。
多くの、船の残骸が積み上がっている。
小舟から大型客船、無人船や元々は有人船であっただろうものもある。

「そこで何をしている」
「見てわからないのか?」

雷神トールの姿を保ち続けたオッレルスは。
モックルカールヴィの心臓を握りつぶしながら振り返った。
ごぞぞぞん…、という山の崩れるような音がする。

「出来損ないが。私の前に二度も現れるとはな」
「気づかなかったようだが」
「無限の可能性の傾きだろう」
「ああ、そうだな」

オッレルスは、オティヌスの目を見る。
ただそれだけで、遠くで、閃光が炸裂した。
あちらの方には確か、マリアンと投擲の槌が居たはず、だが。





つまり、製作中の主神の槍は―――――。

476 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:48:27.76 qV96IREh0 259/658


「……私の『死者の軍勢』は、人のためのものだ。
 神をその列へ加えるつもりはない」
「本物の魔神様が、他人を神様扱いか? いくら自分が寂しいからって、私を同類扱いしないでくれ」

激しい音と衝撃とがぶつかり合う。
魔神という領域にまで踏み込んだ二人が行う戦闘は、もはや人の言葉では語れず。
多くのものがひしゃげ、吹き飛び、粉々にされていく。

オッレルスは、片腕を犠牲にして前へ出る。

攻撃が一瞬やんだ中を進む。
オティヌスの攻撃が容赦なく突き刺さろうと、構わなかった。

手を伸ばす。

光の杭は、オティヌスの胸元を貫――――

「なかなか面白い小細工だ」

――――かなかった。

彼女はニヤリと笑い、その術式の性質を看破する。
理解するということは、術式を扱えると同義。
オティヌスは手を伸ばし、オッレルスが自分へそうしたように。

彼の胸のど真ん中へ、光の杭を叩き込んだ。

477 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:49:05.08 qV96IREh0 260/658


「第一希望は―――叶わなかった、が」

男が呟いた。
僅かに首を傾げたオティヌスの胸から。
赤の色を帯びた光の杭が、突き出した。

「が、はっ、げほ、」

びちゃびちゃ、とオティヌスの口から血液があふれた。
魔神へ杭を突き刺したのは、言うまでもなく。

「……」

右方のフィアンマに他ならなかった。

「第二希望は叶った…。…元より、私は自分の才能に固執などしていない。
 ただ、お前を止めることだけを考えていた。…本物の魔神に、人類は敵わない。
 ―――だが、妖精程度なら、人間でも何とかなるものだ」
「く、ふ。ああ、やはりお前は…出来損ないだな……」

どこか。
夢想するように、オティヌスは言った。
彼女はほっそりとした腕を伸ばし。

フィアンマの左腕を、掴んだ。

「私は、お前のことなどどうでもよかった。
 真に必要なのは、この女一人だ。お前は本当に天才だよ。
 私に利用され、私の願いを叶え続けるだけの! 嗚呼、私の人生は、ようやく報われる――――!」

ずるり。

少女の左瞳を覆う眼帯を、神の槍が。
容赦なく貫いて、主神の槍が現れる。
オティヌスは笑って槍を引き抜き、振るった。

478 : 次回予告  ◆2/3UkhVg4u1D - 2014/01/20 22:49:55.14 qV96IREh0 261/658





「これまでの悲劇が、全部、ぜんぶ夢だったら良いのに。
 俺様が目を覚ましたら、隣にトールがいて。
 昨日はケーキを食べ過ぎたな、なんてからかわれて。
 恥ずかしいような気持ちになって、トールに文句を言って。
 誤魔化すように頭を撫でられて、俺様は、何も言えなくなって笑うんだ」
                  
                    元『神の右席』――――右方のフィアンマ




「全部知っていて、君は最初から俺を――――」

             妖精へ堕とされた魔術師――――オッレルス




「良い光景だ。私の感じた絶望に少し似ている。
 安心しろ。お前が産まれてきたという事実を含め、私が全て消してやる」
                 
                   完成した純粋な魔神――――オティヌス




「よお、フィアンマ。……間に合ったのは、これが初めてだな」
          
                  守る為の戦いを知る少年――――雷神トール






続き
フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」#4


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