関連記事
勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【パート1】


251 : VIPに... - 2012/08/09 23:30:34.27 s+mPglMj0 217/1099

――――――――――――――

??「勇! いさむーっ! アンタいつまで寝てんのよ、起きなさいってば!」

 俺を呼ぶ声が聞こえる。きんきんと頭に響く金切声だ。正直勘弁してほしい。
 がしかし、なんだかんだ言っても幼馴染。邪険に扱うことはできない。起こしに来るのだって十割の善意からなのだし。

 俺の両親は現在地方巡業で家を空けている。二人そろって舞台人なのだ。

??「田中勇ッ! 早く起きなさい!」

 布団がはぎとられ、カーテンが開かれる。朝日が直接俺の顔にあたっている。たまらず目を覚ました。

「女川、少し静かにしてくれ」

 ツインテールで小柄な少女が、セーラー服を身に纏って眉根を寄せていた。
 女川祥子。俺の幼馴染兼、両親の不在の間の我が家を任された存在でもある。両親はこいつに「息子をよろしくね」と言いやがり、挙句の果てには丁寧に合鍵すらも渡して旅立った。まったくいい迷惑だ。

「あと五分だけ……」

 とりあえずテンプレから入る。するとこれもまたテンプレ通りに、女川のぶん投げたスクールバッグが俺の顔面へ飛んでくる。
 慣れた状況である。俺は枕でそれを受け止めた。

女川「アタシまであんたの遅刻に巻き込まないでほしいのっ」

「先に行け、先に」

女川「そんなことしたらご両親に顔向けできないでしょっ! ご飯はおにぎりだから、食べながら行くよっ!」

252 : VIPに... - 2012/08/09 23:31:34.79 s+mPglMj0 218/1099

 胸ぐらを掴んで一気に引き寄せてくる女川。準備をしていなかったものだから、勢い余って顔が近づきすぎてしまう。

女川「――っ!」

 顔を赤くして女川は飛び上がった。全く不思議な奴だ。騒ぐだけ騒いで勝手に静かになるだなんて。
 俺はのそのそと起き上がり、寝間着代わりのジャージを脱いだ。パンツ一丁になったのでまた女川がぎゃーぎゃー喚くが、なんのことはなかった。
 スラックスに足を通し、シャツに腕を通す。季節は夏なので学ランは羽織らず、そのまま居間へと歩いていく。

 なるほど、確かにおにぎりが小皿の上に置いてあった。二つ。恐らく中身は梅干しとチーズおかかだろう。なんだかんだで女川は俺の好みをわかってくれている。こいつの作る弁当には、俺の嫌いなものなど一つも入っていない。

 それを口に運び、一度部屋に戻った。かばんを忘れていたのだ。
 今度こそ準備を万端にして学校へと向かう。起きてからここまで五分である。

 顔は最悪学校で洗ったって怒られやしない。学校で寝ては怒られるから家で寝るのだ。これぞ合理的というものだろう。

 女川と話をしながら歩く。話と言ってもたわいもないものばかりだ。やれ天気がどうした、やれ昨日のアイドルがどうした、やれ授業がわからない、等々。学生の身分にとっては中身よりもコミュニケーションという手段が重要で、目的だ。
 手段の目的化が悪いことであるとは一概に言えない。悪いものは、初めから性悪な手段を用いているから性悪なのだ。

254 : 誤爆ではない - 2012/08/09 23:44:01.34 mWpCjEH10 219/1099

??「あ、勇くーん」

女川「げっ」

 合流する信号で手を振っているのは上春瑛先輩であった。俺と女川の一つ上で、俺の所属する冒険部の先輩でもある。一人称が「ボク」という、いまどき珍しい部類の女子である。

上春「や。おはようだね。ボクは眠くてたまんないよ」

「実は俺もなんですよ」

女川「上春先輩、早く行ったほうがいいですよ、遅刻しちゃいますから」イライラ

 馬鹿丁寧に女川が言う。
 俺は時計を見た。八時半……学校の正門は八時四十分に閉まる。ぎりぎり間に合わなさそうな時間だ。とは言っても少し気合を入れて走れば十分間に合う時間と距離だろう。

「速度と距離と時間を求める公式ってどうやって覚えたっけ」

女川「『はじき』でしょ。ってそんなことはどうでもよくてっ」

「避難訓練のは」

女川「『おかし』でしょ! もう!」

上春「ボクのところは『おさない・はしらない・しゃべらない』で『おはし』だったけどね」

女川「そんなことはもうどうだっていいんですよっ!」

 乗った癖に文句を言うのは理不尽ではないだろうか。

255 : VIPに... - 2012/08/09 23:57:02.19 mWpCjEH10 220/1099

 と、その時である。
 キーンコーンカーンコーン。前方で鐘が鳴った。登校時刻を過ぎた合図だ。これ以降は正門が閉まり、教師にねちねち言われながらの裏口登校となる。
 ……そこはかとなく犯罪くささを感じるのは気のせいだろうか。

上春「あはは。二人の漫才は面白いなぁ」

 冗談でも茶化しでもなく、単純に笑って上春先輩は言った。

二人「「漫才じゃありません」」

 上春先輩はそれを受けて、今度こそ大きな声で笑った。
 先輩の声は快活だ。聞くだけで元気になる類のエネルギーを持っている。声がでかいのは女川も同じだが……おっと、睨まれたのでくわばらくわばらと九字を切っておこう。

 学校へとついたが、当然のように正門は締まっている。生徒指導部の教師が適当に「おらー、遅刻したなら裏口だー」と生徒の移動を促す。無論俺たちもそれに従って歩くしかない。
 どうやら遅刻者は俺たち三人だけのようで、裏口は人の気配がしなかった。こっそりと上がり、正面玄関へと移動し、上履きを履いて教室を目指す。

 二年B組が俺と女川のクラスである。目立たないように教室の後ろから入るも、HR中だったようで、注目はやはり避けられなかった。女川が八つ当たり気味に俺を小突いてくるのを耐え、着席。

「ん?」

 おかしなものがあった。今まではなかったところに空席ができているのだ。
 これは、もしや。

「転校生?」

256 : VIPに... - 2012/08/09 23:58:55.00 mWpCjEH10 221/1099

??「らしいぞ」

 呟きに返したのは長部だった。おっさん臭い顔をしている、俺の隣席の気さくなやつだ。
 刀剣が趣味という変なところはあるが、それを補って余りある以上の真人間である。

長部「ほら、来た」

 長部が指で示した先には、教壇に今昇ろうとしている一人の少女がいた。そういえば先ほど廊下にいたような……。
 どよめきが上がる。それもやむなしと俺は思った。壇上の女子は、なるほど確かに魅力的だったからだ。

 異国の血が混じっているのか、それとも活発なだけか、割と浅黒い肌。大きな瞳は多少三白眼がちで、アンニュイなイメージをもたらす。
 体はすらりとしており、長身でこそないものの、とてもスタイルが良い。実に均整のとれた、端整な異性だった。
 俺は思わず面喰いながらも、それが周囲にばれないように気を巡らせる。

??「狩野真弓。よろしく」

 ぶっきらぼうに転校生は言った。気持ち低めのトーン。顔立ちとのギャップが著しい。新たな生活集団に馴染む気がないのか、それともなるようになるだろうと構えているのか。

教師「えー、狩野さんはお仕事の都合で、こんな時期だが転校してくることになった。みんな仲良く頼む。席はあの空いてるところだな」

 促されるままに彼女――狩野は席に着いた。
 俺の席の隣を通った時、仄かに甘い香りが漂ってくる。コロンや香水ではない。女子特有の香りだ。
 俺はどこかでこの香りを嗅いだことがあるような気がした。だが、それがいつ、どこでであったかはわからない。
 なんだかもやもやしていると、前の席に座っていた夢野がにんまりと笑って振り返った。

夢野「勇ちゃん、かわいー娘だねぇ」

257 : VIPに... - 2012/08/09 23:59:25.13 mWpCjEH10 222/1099

「そうだな。ってか、ちゃんづけはやめろよ」

夢野「転校生が来るかもとは聞いてたけど、あんなかわいー娘だとは思わなかったわぁ」

 聞いちゃいなかった。夢野はにやにや笑いのまま、視界の端で狩野を捉えている。
 燃えるような長髪にグラマラスなスタイル。夢野だって十二分に美形だと思うが、そんな意見は実際はクラスの誰からも上がってこない。飄々とした、人を喰ったような性格が一因だろう。

女川「どこにも美人はいるものなんだね」

夢野「あら、女川っち」

夢野「朝から勇ちゃんと一緒に遅刻とは、熟年の夫婦カポーですな」

 夫婦とカップルは同時に存在しないのじゃないか? カップルは所詮「つがい」という意味だから、別にかまわないのか?
 俺の疑問をよそに、女川は慌ててそれを否定にかかる。両手を胸の前でぶんぶんと振りながら、

女川「な! 夢野、あんた朝から頭に蛆がわいたこと言わないでよっ!」

 お前も、女の子が「頭に蛆がわいた」なんて言っちゃだめだと思うが。
 あ、夢野の背中が叩かれてる。それでも動じずに女川をからかい続ける夢野は、遊びに命を燃やしているというか、真面目に不真面目を貫いているというか。見上げた根性だ。

 遊びのために自らを貫ける人間は強いと思う。そこにはある種の恐ろしさもある。
 大抵人間の動機なんて経済的か宗教的か大別できる。そのどちらにも当てはまらない時、それは第三者から観測しえない事柄となり、それが恐ろしさを呼ぶのである。

258 : VIPに... - 2012/08/10 00:00:53.62 FbrR8VTh0 223/1099

 閑話休題。女川はぷんすかと長部に八つ当たりをし、夢野は転校生へ手を振っていた。
 転校生の席の周りには人の壁が出来上がっている。構成員は全員女子だ。あいつらはすぐに新しい人間をコミュニティに取り入れたがるが、俺にはそれがいまいち理解できない。友達すらもファッション感覚なのだろうか。
 男子はそんなことはしない。というか、男子という生き物は根性なしが大半を占めているので――特に美人には――畏れ多くて声などかけられないチキンなのだ。
 それゆえに、クラスの男子らは颯爽と登場した可愛い級友に視線と興味を向けることこそすれ、積極的に声をかけたりはしないのである。

 人と人の隙間から見える転校生は、どうにも興味がなさそうに見えた。応えはもちろん返しているのだろうが、鞄や机や教科書を確認するふりをして、あえて視線を合わそうとはしない感じが見て取れる。

夢野「気難しい感じなのかなぁ?」

女川「緊張ってのもあると思うけど。でも、ま、あんまり人付き合いの好きそうな自己紹介でもなかったしね」

 嫌がる猫を無理やり触れば嫌われるだけだ。そういう時は遠巻きに見ているしかできないし、それが一番利口なのだ。急がば回れとも言う。

 結局、狩野は授業の合間合間にも囲まれたが、一体どんな受け答えをしているのだろうか、一日のうちに次第に人は減っていった。昼休みには、それこそ根気強い、もしくはそっけなく扱われることの気に食わない女子のリーダー格が「わたしのグループに入れてあげる」的に近づいて行ったが、それも大した成果はあげなかったようである。
 となると、クラスの男子も危機察知能力を働かせる。狩野は可愛いが、手綱を握るのは難しそうだぞ、と。またクラスの女子を敵に回すことになりかねないぞ、と。

 俺はここにきて逆に狩野という転校生に俄然興味がわく。自分の初志を貫くことは難しく、彼女はそれができている。純然たる尊敬と、僅かに見世物小屋の興奮を覚えたのだ。
 とはいえ、俺も人並みの危機察知能力はある。気安く彼女に声をかけては誰からもいい印象を受けないだろう。ほとぼりが冷めるまで、数日、もしくは一週間程度待つ必要があった。

 そのはずだった。

259 : VIPに... - 2012/08/10 00:02:55.62 FbrR8VTh0 224/1099

 が、しかし。

 狩野が席を立つ。
 とことこと歩いて、やってくる。
 なぜか、俺のところへ。

 教室中の視線が俺に向けられているのがわかる。それは錯覚ではない。
 俺は唾を飲み込んで、ひたすら机の上に置かれた自分の手を見ていた。

狩野「田中勇くん、だよね」

 やはり、俺であった。ここまで来たら無視するほうが労力を使う。ここでようやく視線を挙げる。

「……なんだ」

 務めて無愛想に受け応えた。

狩野「学校を案内してもらいたくて」

 なんで俺が。なんで俺が。なんで俺が。

「……なんで俺が?」

狩野「その辺に理由はいる?」

「いるだろ」

 あってくれなければ困るのだ。いや、ないはずがない。こいつは今の状況を楽しんでこそいないが、義務感の雰囲気が漂う。彼女にとってこれは「なくてはならない」行動なのだ。
 けれど、その義務はどこまでも彼女の世界の内側にあるものだ。俺の世界に内側にまで侵入しては来ない。

 狩野は一瞬、本当に一瞬だけ、その瞳の奥が揺らぐ。そして俺はその一瞬を見逃さなかった。

「……」

狩野「なんていうか……まぁ、いろいろ。こっちにも色々事情があって」

 罰ゲームの類なのではないかと思える返答だった。そんなわけはありえないので、余計に頭を悩ませられる。
 有体に言えば、困った。

260 : VIPに... - 2012/08/10 00:04:48.38 FbrR8VTh0 225/1099

「今?」

 言ってから、しまったと思った。これでは校内の案内を前向きにとらえていると思われても仕方がないではないか。
 狩野は頷いた。コミュニケーションの成立。もう待ったはかけられない。
 ここまで来てしまえば理由をつけて断るほうが不興を買う原因となる。「周囲を気にしています」アピールは、周囲にアピールしていることを悟られてはいけないのだ。

 俺はあくまで平静を装って立ち上がった。学級内ヒエラルキー、もしくはスクールカーストは、今日この時を持って大幅な変動を果たした。主に悪い方向で。
 仕方がない。最早狩野真弓という存在を俺は被弾した。箇所は治療でどうにかなる部分で、銃創も大きくない。追撃さえきっちりと避けられれば、俺の楽しい生活をエンジョイする道は、まだ残されている。
 そしてそのための逆転の方法が俺には残されている。

「今からじゃ、悪いけど案内できないなぁ。部活なんだ」

 そう、部活である。本当は部活などはない。いや、ないというか、適当に部室に集まって適当に駄弁っているだけなので、あるなしの問題でもないのだ。
 が、狩野がそれを知ることはできない。理由としては完璧だ。

 歯医者、アルバイトと並んで、部活は学生の言い訳ベスト3であると個人的には思っている。許されないことでもなんとなく許されてしまう魔の言い訳。伝家の宝刀をまさかここで抜くことになろうとは。

狩野「わたしも行く」

 ……え?

狩野「冒険部でしょ。わたしも気になる」

261 : VIPに... - 2012/08/10 00:06:50.80 FbrR8VTh0 226/1099

 追撃を被弾した。しかもこれは、予想していなかった。腹に大穴が空いている。ホローポイント弾なんじゃないか?
 こいつ、どこまでついてくる気だ?

 可能性は二つある。まず一つ目は、そもそも冒険部に入りたくて俺に声をかけてきた場合。これは理由としては正当だ。そして俺も周囲に言い訳が聞くというものである。
 どこからその情報を仕入れたかは定かでないが、経路などいくらでもある。級友からでもいいし教師からだって教えてもらえるだろう。ただ冒険部に入りたいことを伝えれば、周りが教えてくれるのだから。
 二つ目は、これが厄介だ。狩野はなんとしても俺にまとわりつきたい、という可能性。自意識過剰と言われるのを恐れずに言えば、どうも裏があるようでならない。

 とはいえ、結局は周囲に言い訳が立てばどうだっていいのだ。俺は積極的に前者を支持する。

「お、そうなのか。ならついてこいよ、紹介するから」

 心にもない笑顔を塗布し、俺は教室を後にした。スクールバッグを持った狩野も小さい歩幅で後を追ってくる。
 てくてくと、とことこと。
 狩野が僅かに足を速める気配があれば、俺もそれだけ足を速め、決して一定以上の間隔が狭まらないように努める。数字にしておおよそ一メートル。それは心の距離に他ならない。

 結局のところ、俺は狩野真弓という人物がいまだ掴めていないのだ。何が目的で俺に近づいているのか。本当に他意はないのか、等。この距離を詰めるのか、それともさらに広げるのかは、今後の展開次第。

 旧校舎への渡り廊下は二階にある。二年生の教室は三階にある。そして部室は三階にあるため、三階、二階、三階という手間を踏まなければいけないのが面倒だった。

「……」
狩野「……」

 無言のまま扉を横にスライドさせた。

262 : VIPに... - 2012/08/10 00:07:42.10 FbrR8VTh0 227/1099

「おはようござーす……え?」

 上原先輩はともかくとして、夢野がいた。

夢野「遅かったねー」

 ひらひらと手を振る夢野。なんでこいつがここにいるのかわからないが、いるものはいるのだから仕方がない。
 俺の背後で狩野がごくりとつばを飲み込む音がした。鉄面皮を絵に描いたような女だが、緊張もするのか。

 冒険部は冒険とは名ばかりの弱小部であり、そのため部室を与えられるだけでも恩の字だろうと、僻地にある元物置をあてがわれている。長机と椅子の数個でいっぱいいっぱいの部屋に、三人以上がいるのを見るのは初めてだった。
 なんとか机と壁の隙間に体を押し込み、椅子に座る。

上春「今日はお客さんがたくさんくるね。いいことだ」

上春「で。勇くん、そっちの女の子は誰かな?」

「あー。今日来た転校生で」

狩野「狩野真弓です。冒険部に興味があったので」

 流石に自己紹介くらいはできるようだ。恭しく頭を下げた狩野は、けれど雰囲気を決して変えることがない。まるで自らのアイデンティティのように。

 俺、上春先輩、狩野、夢野。四人で、どうでもいい話を始めた。

 冒険部の活動の趣旨は、本来は冒険をすることである。どうやら話に聞く限り、かつての先輩方はそうしていたらしい。たとえば山に登るとか、たとえば森に行くとか、様々だ。
 しかし時代の流れは残酷である。教師たちも生徒を放任していては、保護者や教育委員会からの突き上げがある。自らの目の届いていないところで生徒に怪我や問題が起こっては、火の粉は全て彼らにかかる。
 それを恐れた結果が、冒険部の暗黙的な活動の自粛だ。校外活動許可証は、こと我が部に限っては、十割受理されないといってよい。

263 : VIPに... - 2012/08/10 00:09:12.65 FbrR8VTh0 228/1099

狩野「大変なんですね」

上春「ん。まぁでも、ボクたちは話してるだけで十分楽しいからねぇ。ね、勇くん」

「そうですねぇ」

上春「狩野さんは冒険に興味があるんだって?」

狩野「はい。いろいろ、ありまして」

 「いろいろ」を強調して狩野が言った。
 ……なぜ俺を見てくる? そしてなぜ夢野はくつくつと笑う?

 よくわからないひと時は、のんびりと流れていく。

* * *

272 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:01:34.33 WuXosgBm0 229/1099

* * *

 空は朱色に染まっている。
 ビルの向こうに隠れて夕日は見えないけれど、その存在は確かに確信できる。他者の心というものも、恐らくはそんな類のものなのだろう。

 何やら自分でもくさすぎると自嘲。まったく、キャラではない。

 帰りには大抵書店に寄ることにしていた。めぼしいものがあるわけではない。ただ、なんとなくで帰路につくのはもったいないような気がしたのだ。
 自動ドアを開き、冷房のよく効いた店内へと足を踏み入れる。

 平日の夕方でも人はいるものだった。やはり学生が多い。セーラー服に学ランに、ブレザー。
 白いセーラー服と学ランは俺が通う県立高校、ブレザーは近所の有名私立高校のものである。校則が厳しいと噂のブレザーたちでも下校時の道草は許されているらしい。それともお忍びで来ているのだろうか。だとしたらご苦労なことだと思う。

 入口に入るあたりで、店に入るセーラー服と、出ていくブレザーがニアミスを起こす。スクールバッグ同士がぶつかり、お互いの中身が多少ばらまかれた。
 慌てて落ちたものを拾っていく二人。俺も手伝おうと小走りになるが、どうやらそこまでたくさんのものは落ちなかったようだ、そこへたどり着くまでには二人ともものを拾い終えている。

女子生徒「あ、すいませんでした」

 セーラー服が言うと、ブレザーも頭を下げ、歩いていく。そういえば鞄同士がすれ違う際、お互いのキーホルダーが絡まって云々という話を聞くけれど、今回のこともそういうことだったのだろうか。
 俺はいつの間に関わっていた店内の内装を見やりながら、ぼんやりと考える。

 店内にはポップや店員からのおすすめ紹介などがひしめいていて、実に自己主張の強い場となっていた。躍る惹句は「ゴールデンウィークに本を読もう! 春の読書フェア!」を筆頭に、五月の長期連休にちなんだものばかりだ。

273 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:05:05.01 WuXosgBm0 230/1099

 残念ながら新刊は出ていなかった。前回来たのが三日か四日前だから、それも当然と言えば当然だ。
 まぁ、本を買うのが本懐ではない。店の中をもう一度見まわしながら、足の向くまま気の向くまま、散策する。

女川「あ、勇じゃん」

「女川か」

女川「なに、文句ある?」

「ねぇよ。絡むなよ」

女川「いーじゃん。幼馴染の仲でしょっ」

「はぁ……」

 相も変わらずよくわからない女だった。十数年の付き合いだが、時たま以上に理不尽である。
 だがしかし、あの転校生には負けるだろうが……。

 女川の眉根が寄った。

女川「あの転校生、可愛かったもんねっ!」

「……なんでわかった」

女川「ふん、デレデレしちゃってさっ」

 俺の質問に答えることなく女川は言った。そんなに顔に出やすいタイプではないと思っているのだが。

女川「あ、そうだ。あんた夜ヒマ?」

「まぁな」

 高校生に夜の予定などはいるはずもない。我が高校はよほどの理由がなければバイトも禁止されているのだし。

274 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:08:09.18 WuXosgBm0 231/1099

 女川は「ま、そうでしょうね」と呆れたようにつぶやく。いや、お前だってヒマに違いないだろう。

女川「今日そっち行くから、待っててよ」

「なんかあるのか?」

女川「なんかっていうか、なんていうか」

「焦らすなよ。笑ったりしねぇよ」

女川「ちょっと、夢を見るんだけど、その話」

「夢?」

女川「その話は夜に言うから! 帰るよ!」

 帰るよ、と言われても、俺はたった今来たばかりなのだが。
 ……仕方がない。我を通すばかりがコミュニケーションではない。どうせ用事も別段存在はしないのだ。
 女川に促され、帰路についた。

* * *

275 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:09:19.44 WuXosgBm0 232/1099

* * *

 夕食はカレーライスだった。月に一回は必ずカレーの日がある。そして一旦カレーが出ると、その後数日は出続けるのだ。これは我が家の特徴というよりは、全国どこでもそうなのではないだろうか。
 明日も明後日も食べられることを思うと、どうにもがっつく気にはならない。皿一杯だけを食べ、部屋に向かう。

 宿題は確かなかったはずだ。手持無沙汰を紛らわすために本棚から漫画を引き抜き、読み始める。
 久しぶりに読んだ本だったため、思ったよりも展開を忘れていた。知らず知らずのうちに夢中になって読み込んでしまう。
 スペースオペラはたまに理解できない部分があるけれども、他の読者はわかっているのだろうか。特にタイムリープや並行世界などが出てくるとお手上げだ。とはいえ、難解さも含めて魅力であるという論には俺も同意ではある。

 魔女とスペースオペラという素材の料理の仕方に妙味を感じつつ頁を繰っていると、俺の部屋の窓が叩かれた。
 窓である。扉ではない。

「鍵は開いてるぞ」

 女川が外に立っていた。
 こいつの家は我が家の隣である。お互いの部屋は二階にあって、しかも窓を面している。スチール製の梯子を渡せば、高さに目を瞑る限りにおいて、簡単に行き来ができるのだった。

女川「お邪魔」

「夕飯は」

女川「食べてきたよ。あんたもでしょっ」

「まぁな」

276 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:13:07.17 WuXosgBm0 233/1099

「で、なんだっけ、夕方に言ってた……」

女川「夢」

「そう、それ。たかが夢だろ、って……言えたら、お前はそんな顔してねぇわな」

 俺の知っている女川祥子という人間は、小柄で、だけれど強気だ。不安になることもあるだろう。辛いことだってあるだろう。ただ、夢見が悪いといって俺に話をしに来るなんてのは尋常じゃない。
 夢の話は、本題の呼び水なのかとも思ったが、どうやらそうでもないようだった。

女川「あんた、夢は覚えてるほう?」

「……あんまり気にしたことはないな」

女川「アタシは覚えてるほうなの。でね、最近同じ夢を見る」

 夢に同じ場所や同じ人が繰り返し出てくるというのは珍しくない話だ。
 かくいう俺も、気にしたことはないとは言いつつも、夢を見ると決まって廃工場が舞台になる。人間の頭は実に不思議な構造をしている。

女川「ファンタジーの世界、なのかな。アタシは旅をしてる。魔王を倒すために。……RPGまんまな感じ」

女川「道路は土が剥き出しの未舗装で、森がぶわぁってあって、町も、なんていうか、スチームパンクみたいな世界」

「お前、その歳でそんな夢みたいなこと言うなよ」

女川「うっさいっ!」

 座布団が飛んでくる。
 顔目掛けて投げられたそれを軽く弾き、俺は女川の顔を見た。

 あ、これは駄目だ。実によくない。
 本気でどうしたらいいか困っている顔だ。

277 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:15:41.60 WuXosgBm0 234/1099

女川「アタシだって真剣に考えるだけ馬鹿らしいとは思ってるけど……」

女川「でも、こんなばからしいこと相談できるの、あんたしかいないし……」

 どきりとした。平静を装いつつ、言葉を返す。

「……それで」

女川「出てくるの。あんたが。いや、あんたに似てる人が、なんだけど」

「知り合いが夢に出てくるなんて珍しくないだろ」

女川「そうなんだけど、そうじゃないの!」

 女川は語気を荒げた。普段から強い物言いをするやつだが、それとはニュアンスが違うように感じられる。わかってもらえない苛立ちがそうさせるのだ。

女川「そりゃ、あんたが出てくるだけなら単なる夢で済むと思う。けど、あんただけじゃなくて、長部も、上春先輩も出てきてて……」

女川「長部はともかく、上春先輩なんて、アタシ会ったこと一回か二回しかないよ。夢に出てくるもんかな」

「出てきたなら、しょうがないだろう」

女川「でもっ!」

 これから話すことが、話の核心なのだ――女川は言外にそうまとわせて、身を乗り出してきた。

女川「転校生――狩野真弓、あいつもアタシ、夢の中で見たことあったのっ!」

「まさ」

 「か」を何とか飲み込んだ。まさか、そんなことがあるはずはない。きっと偶然じゃあないのか? それを言うことは簡単だ。そう断定してしまうこともまた。
 だけれど、それがどう作用するというのだろう? 女川は自分が所謂現実的でないことを言っている事実を客観視できている。そして頭がおかしな女のレッテルを張られることを覚悟の上で、俺を頼っているのだ。

278 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/11 14:17:53.00 WuXosgBm0 235/1099

 俺は慎重に言葉を探し、選び、言う。

「……本当に狩野なのか」

女川「うん。絶対」

 絶対、か。それほど自信があるのだろう。
 確かに狩野は特徴的だ。容姿や喋り方が。夢に出て、現実にも現れれば、「あ」と思う気持ちもわかる。
 だが、女川の不安はそれだけではないはずだ。狩野が夢の世界から抜け出してきたなどとは彼女も思っていない。でなければ、不安にする要素が他にもあるのだ。

女川「夢が、さ、すっごいリアルなの。どっちが現実なのかわからないくらい。夢ってそういうものなのかもしれないけど、最近なんか、わかんないんだ。アタシってのが」

女川「「果たして本当にここは現実なんだろうか?」」

 言葉が重なる。
 胡蝶の夢だ。夢を見ているのは蝶か、人間か。

女川「……なんか、ごめんね」

「いや、別にかまわないけど?」

女川「うん、わかってるけど、ごめん」

女川「そろそろ戻るわ。今日のこと、覚えといても忘れても、どっちでもいいから。じゃあね」

「風邪ひくなよ」

女川「うん……」

 女川は窓から出て、梯子を伝って自室へと戻る。
 部屋に戻る前にこちらへと手を振ってきたので振りかえす。そうして窓ガラスが閉じられた。
 俺はベッドへと倒れこむ。

 女川には悪いが、真面目に聞く類の話ではなかった。が、あいつが何かを不安に思っているならば、それを取り除かなければならないと、俺はそう思う。
 そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

* * *

288 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:46:39.94 hgvusBa00 236/1099

* * *

 醜悪な魔物が眼前にいた。
 剣で切って、倒す。

 醜悪な魔物は次々湧き出てくる。
 剣で切って、倒す。

 醜悪な魔物の出現は止まらない。
 剣で切って、倒す。

 「俺」は、剣と防具を身に着けていた。機動力を重視しているためか、分厚い鎧ではなく簡素な皮の鎧だ。鞣した皮のにおいは甘く、まだ新品なのだろうということは容易く想像できる。
 念じると体の内部に火が灯る感覚が走る。丹田から全身へ駆け巡る暖かい衝動。それをコントロールし、左手に集めると、手のひらから紫電が走った。

 不思議と痛みはない。体内のエネルギーとでも呼ぶしかないものが、徐々に、徐々に放出されている感覚はあるものの、「俺」が感じることのできるのはそれだけだ。

 「俺」は、勇者だ。

 ぞわり、とした感覚が、足元の泥濘から這い上がってくる。
 否、泥濘などはどこにもなかった。感覚器官が暴発しているだけで、地面は確かに濃密な土の匂いを醸している。
 暴発? 「俺」は考えた。それは一体どういうことだ。ならばこの黒い塊はなんなのだ。

 黒い、靄のような塊。それは酷く冷たく、類稀な悪意を包含し、じわりじわり「俺」の体を這いあがってくる。
 足から腰へ。
 腰から胸へ。

 黒い塊が、ついに「俺」の首へとかかる。
 それは手の形をしていた。

 頸動脈に指が押し込まれる。それだけでいともたやすく血流は止まり、俺は目の前が白くなっていくのを感じた。

??「勇者!」

289 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:47:57.95 hgvusBa00 237/1099

 俺が目を覚ますと、目の前には少女がいた。狩人も老婆も、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
 なんだ、何がどうなっているんだ。

狩人「急に倒れるから、どうしたかと思った」

老婆「日頃の不摂生の賜物じゃな、ひゃひゃひゃ」

 俺の体よりあんたの寿命を心配したらどうだ。

老婆「いざとなったらおぬしの体に乗り移らせてもらうから大丈夫じゃよ」

 こいつなら本当にやりかねない。俺は少し老婆との距離を置く。

狩人「大丈夫?」

 冷えた手が俺の額にあてられる。随分と気持ちの良い手だ。安心する。

 なに、疲れが溜まってるんだろうさ。もうちょっと頑張って、宿についたらしっかり休むよ。

狩人「……そう、それならいいんだけど」

 森の切れ目には、確か交易で栄えた町があるはずだった。鬱蒼とした大森林と切り立った尾根を避けながらうねる道々の交差点、俺の国にも隣国にも属さない、交易という唯一にした絶対のカードを握る町だ。
 俺たち四人は現在そこを目指しているのだ。

 夜な夜な亡霊が現れ、町の人間を襲うのだという。ギルドや酒場から依頼があったわけではないが、賞金もかけられており、財布の中身が心もとなくなってきた俺たちとしては、この機会を逃すつもりはなかった。

290 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:48:48.05 hgvusBa00 238/1099

 と、不意に違和感を覚える。

 いや、それは違和感という次元ではない。普段と何かが違う、とか、そういうことではない。

 根本がおかしい。

 不意に気が付いてしまった事実に、俺は眩暈をせずにはいられない。頭を横殴りにされたような衝撃と驚愕。そして混乱。
 思わず足元が前後不覚になる。なんとか木に手をついて体を支えようとするが、力が入らないのは脚だけではなく全身だ。背中を木に預け、滑り落ちて尻もちをつく。

 ここはどこだ。
 こいつらは誰だ。

少女「ちょっと、あんた本当に大丈夫? ここは大森林のはずれでしょ?」

 かわいらしい姿の少女が、今の俺には化け物のように感じられた。俺のことを取って食おうとしているのではないか――そんな感覚が拭い去れない。
 というか、この少女、どことなく女川に雰囲気が似ているような……。

少女「は? 何言ってるの? ちょ、ちょっとおばあちゃん!」

 老婆――俺の担任に似ている人物は、今更気が付くが、時代錯誤のローブと杖を持っている。何のコスプレかと思うほどに。

狩人「ゆう、しゃ?」

 その少女は弓を背負い、肌こそより浅黒かったが、確かに狩野真弓その人であった。寡黙そうな雰囲気も、三白眼も、全て。

 三人が心配そうな顔をして俺に近づく。
 俺は喉から「ひっ」という引き攣った音が漏れ出るのを、自ら聞いた。

 圧倒的な恐怖。
 俺は世界から見放されている。

少女「ちょっといい、先に謝っとくけど、ごめんね?」

 少女は手を振りかぶって、そして――

291 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:49:47.06 hgvusBa00 239/1099


 バチーン!

 と、俺の頬が鳴った。

女川「勇、勇!? 大丈夫?」

 瞳を開けば天井があった。空を遮る木の葉も、枝も、何もない。
 尻の下にはベッドがあって、腐葉土の痕跡など感じられない。しっかりとした自室の床。大地の質の差異は歴然としている。

 そして、視界いっぱいに移りこむように、女川祥子が俺を覗き込んでいた。

 涙を目に一杯溜めて。

女川「よかった、揺すっても叫んでも起きないから、どうしたのかって……」

 俺は、けれど暫し愕然としていた。今の夢は、即ち、女川が昨晩言っていたそれではないのか? 一笑に付すことこそしなかったが、内心女川の不安を俺は理解できなかった。それも今ならば理解できよう。
 酷く、気分が悪い。
 あのまま世界に連れていかれるのではないかという焦燥は、依然消えることなく全身を取り巻いている。

 夢なのだ。それは事実であるが、決して納得を俺にもたらさない。なぜなら俺はこの景色――ベッドと、出窓と、本棚と、机と、女川に対して、限りなく懐疑的になりつつあるからだ。
 もちろん無意味さを感じないわけではない。触れているものは存在しているし、見えているものは存在している。唯物論は主観において絶対的である。そのはずだ。

 そのはずなのに。

292 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:52:20.39 hgvusBa00 240/1099

 頭の中に霞がかかっていく。桃色の霧が俺の耳から侵入して脳髄を握りしめた実感が確かにあった。力を籠めれば今すぐにもお前のことなど殺せるのだぞ、という警告だ。
 けれど同時に愉悦も感じられた。だけど、お前のことは絶対に殺さないぞ、という。その上でびくびくしながら生きればよいのだ、という。

 頭を振る。まるで脳内の霧を散らすかのように。

 そんな俺の様子をどう思ったのだろう、もう一度女川は俺の顔をじっと覗き込んだ。
 一点の曇りもないその瞳。白状せずにはいられなかった。

「昨日お前が言ってた夢な。たぶん俺も見た」

女川「!」

「ありゃ、駄目だ。引きずり込まれそうになる」

女川「それで、いた?」

「いた、って?」

女川「アタシに似た人。転校生とか、長部とか、先生とかに似た人」

「あぁ、見たよ。長部はいなかったけど、狩野もいたな」

「たぶんあの世界での俺は、俺に似てるんだろうな」

女川「単なる夢なのかな」

「……」

 当たり前だ、そりゃそうだろう。軽く言えればどれだけ楽か。
 荒唐無稽な話だとはわかっている。だが、今の俺たちは、あれがそんなたやすいものではないということを、肌でひしひしと感じていたのだ。

 あれは恐ろしいものだ。心から底冷えするほどの。

 母親の「遅刻するよ!」の声に促され、俺たちは家を出た。
 脳内のしこりがとれないまま。

* * *

293 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 09:54:56.63 hgvusBa00 241/1099

 授業中に自然と狩野の背中へと視線をやってしまっていた。
 どうやらそれは女川も同様であるらしく、時たま彼女と視線が合うこともある。そのたびに気まずそうな顔をして俺たちは顔を反らすのだ。

 夢の原因が可能であるなどとは思ってはいない。だが、だとしたらあの夢はなんなのだろう。いったい何があの夢をもたらしているのだろう。
 当事者である俺たちにはわかる。あれはよくないものだ。決してこの世のとは相容れないものだ。
 陳腐な表現だが、心霊的怪奇現象。

 教室の前方では、我が学級の担任、夢に出てきた老婆に酷似している定年間際の女性教師が、国民年金について説明している。
 板書を書き取らなければいけないが、つい視線は狩野のほうへ。

「!」

 狩野が俺のことを見ていた。視線に気が付いたのだろうか。
 堂々としていればいいものを、つい視線をそらしてしまう。黒板へと視線を移すが文字など頭に入っては来ない。脳にそこまでのCPUはつまれてはいない。

 視線をそらす一瞬、俺は気が付いた。狩野が微笑んだのを。

 その微笑みが意味するところを理解できない。意味がないと断ずれないほどには、その微笑みはこれ見よがしだった。

 チャイムが鳴る。担任は中途半端なところで終わってしまったことにため息をつきながらも、教科書を閉じる。
 それを合図にして、教室の仲が徐々にざわめき始めた。いつものことだ。一時間目とはいえ、授業の終わった解放感は、いつだって誰にだって格別である。

294 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 10:00:04.01 hgvusBa00 242/1099

 狩野が立ち上がった。こちらへ来るのかと思って身構えるが、何のことはない、そのまま教室の外へとぺたぺた歩いていく。

 ぺたぺた?

 狩野は上靴を履いていなかった。
 白い無地のソックスが、細すぎる足首に映えている。色の濃い肌とのコントラストもまた眩しい。
 転校してきたばかりだから指定の上靴がない? いやまさか、そんな。昨日は履いていたはずだろう。大体、それにしたって靴下のままやってくる必要もあるまい。

 熱くなっていく頭を冷ましたのは、背後から投げられた女川の言葉であった。

女川「あんた、ちょっと不自然すぎじゃないの」

「え? あ、女川か」

女川「気になるのはわかるけどね」

 小声で女川は言った。彼女もまた狩野が気になる一人なのだ。
 しかも女川の場合、狩野が転校する以前から夢で狩野に酷似した少女を見ていたのだから、それも仕方がないのかもしれない。

「そういや、狩野の奴上靴履いてないみたいだけど」

 何の気なしの指摘だったが、それは存外女川のクリティカルなポイントを突いたらしい。露骨に視線をそらし、頬へと手をやる。

女川「あー、それは、なんていうか」

295 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 10:02:20.47 hgvusBa00 243/1099

 言葉を濁す女川を見て、ようやく俺も一つの答えに辿り着く。

「……マジかよ」

女川「マジもマジ、大マジよ。クラスの女子に昨日メール回ってきたっつーの」

 努めて小声で女川は言う。自らの立場を公言するのは得策ではないのだ。
 学生という身分は、つまり一介の兵士であると同時に首相でもある。時として、自らという領土を守るために銃を取り、指揮を執り、生存を勝ち取らなければならない。そのためには外交努力も当然手段として入ってくる。
 狩野側に回ることは敵対を意味する。せめて中立でいれば、戦火からは逃れられる。物資の提供をすることがあっても、戦争へ加担しているという罪悪感は軽い。

 俺は女川を叱責できなかった。叱責するのならば、今すぐ首謀者をひっぱたいてやらなければならないからだ。

 しかし、それにしても、転入してきたのは昨日だ。たった一日どれだけ不興を買ったというのか。狙いでもしなければできないことである。

夢野「どうしたの、二人でこそこそと」

 遠くからやっとこやってきたのは夢野だった。あっけらかんとした笑顔で、虐めなど自領域には存在しないかのように、距離を詰めてくる。

女川「ん、ま、ちょっとね」

夢野「えー、仲間はずれかよぅ」

女川「ちょっと、やめてよ。あんまり大声で喋ることじゃないんだから」

夢野「ってーと、あれ? 転校生のメンタルをボコそうってやつ?」

「ばっ」

 あまりにも普段の声量で夢野が言うものだから、俺は思わず叫び出しそうになる。
 この学級でいじめはないものなのだ。あるとしたらヒエラルキーであり、調教なのだ。
 俺たちは知らんぷりをしていなければいけない。それがいじめられもしない、いじめもしない中立派の、ただ一つのルール。

 そのルールを破ったものは、次に対象となってもおかしくはない。

296 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/14 10:04:52.18 hgvusBa00 244/1099

夢野「なに、そんな大声で。気にしなくていいじゃん。そんなのストレスフルになるだけだって」

「お前……!」

夢野「やだなぁ、勇ちゃん。面白けりゃいいんだって。娯楽だよ、娯楽」

 視界が赤熱する錯覚を覚えた。見て見ぬ振りする俺や女川が人間として上等だとは思わない。だが、五十歩百歩、どんぐりの背比べ、目くそ鼻くそを笑うだとしても、夢野の言いぐさはあまりにもあんまりではないか。
 俺のそんな雰囲気を察して、夢野は困ったような顔をした。そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。感情を表すならばこうだろうか。

 肩をすくめて夢野は去っていく。俺はそれを追うことはなかった。俺に一体全体追う権利があるだろうか? 既にまったき加害者だというのに?

 酷く吐き気がした。重石を飲み込んでしまったと思える程度には、重力が辛い。

 わかっている。俺「も」悪いのだ。俺「すらも」悪いのだ。
 だけれど、平穏で安寧とした学校生活を送るために、全力で策を巡らせて何が悪い!?

女川「……勇」

 女川がばつの悪そうな顔をしている。こいつの性根は真面目で正義感が強い。例え同調圧力に負け、保身に走ってしまったとしても、根が腐っているわけではないのだ。
 それが欺瞞であるということは、恐らく彼女自身が最もわかっている。だから口にしない。口に出さないことで、何とか自らを罰しているのだ。
 自己満足であるとしても。

* * *

307 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:47:11.54 nCIrDtoE0 245/1099

* * *

 次の日、狩野の机に菊が置かれていた。
 狩野は一瞬目を見開くが、まるで何もなかったかのように椅子を引く。
 せめて花と花瓶くらい除ければいいのに。そのようなこれ見よがしな態度が攻撃を激化させることをわかっていないのだろうか?

 しかし狩野の行動は明らかに不自然だ。俺が今考えたように、本来ならばおとなしくなるべきなのだ、やられている側は。
 性格なのだろうか。やられて黙っていられないほどの。

夢野「全く、転校生もよくわかんないねぇ」

女川「……」

「……」

夢野「どうしたのさ、二人とも。そんな黙りこくっちゃって」

「いや、なんか、頭が痛くてさ」

女川「うん……」

夢野「風邪でも引いたんじゃないのー? 保健室にでも行ってくればいいよ」

女川「うん……」

 女川の生返事を夢野は気にしないようで、花瓶に挿された菊の花を前に、じっと席に座っている狩野をにやにや見ている。

308 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:47:42.86 nCIrDtoE0 246/1099

夢野「怖いよねぇ女って」

 女である夢野が言うのはおかしかったが、俺はそれを指摘する元気もない。日がな一日こうなのだ。それでいて病院にかかろうとは全く思えない。
 思えないというのは、単にやる気の問題であり、かつやる気の問題でしかなかった。やる気が根こそぎ奪われているのだ。誰が何の目的で俺のやる気などを奪っているのかはわからない。世界中の恵まれない子供にでもばらまくつもりだろうか?

夢野「ま、転校生も付き合いが悪かったしね。ね、ね、聞いてよ。あの娘、クラスのリーダー格の○○さんに、『存在が臭いからどっか行って』って言ったんだってさ!」

「あぁ……あぁ、そう……」

夢野「もう、もっと頑張ってよ! 張り合いがないなぁ!」

夢野「九尾の一押しだから期待してるのにさ!」

 夢野が何やら変なことを言っている。
 隣にいるはずの彼女なのに、どうしてか薄い膜を隔てた向こう側にいるようで、俺はどうにもうまくそちらを見られない。
 あぁ、そうだ、頑張らなければいけないのだ。頑張って、頑張って、何かをどうにかしなければいけないのだ。
 そんな気が、するのだけれど。

 チャイムに引きずられるように、俺は眠りについた。腕の枕は実に気持ちがいい。

* * *

309 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:48:28.90 nCIrDtoE0 247/1099

* * *

 また次の日、トイレから戻ってきた狩野は、なぜかびしょ濡れだった。まさかトイレの中で夕立にでも降られたのだろうか? だとしたら運の悪いことである。
 朝にやっている教育番組のように、狩野に対するソーユーコトは、手を変え品を変えバリエーションが豊富だ。ゲームでチーププレイを拒む心理に通じるものがある。変なことに熱意を燃やす人間もいるものだ。
 最近、頭は痛くなくなってきた。代わりと言ってはなんだが、視界の端がうっすらと桃色に染まり始めている気がする。

 俺は女川の席を見た。彼女は本日欠席である。体調が悪そうだったから、家で安静にでもしているのだろう。

夢野「ねーねー、勇ちゃん。転校生がまたやられてるよ。あんなに頑張って意味あるのかな。どうせうまくいきっこないんだしね」

 何がうまくいきっこないんだろう。夢野は何を知っているんだろう。

夢野「ていうか、本当わけわかんない。クラスメイトに喧嘩吹っかけるなんて、どういう攻略法だろう?」

 俺にはお前の言っていることのほうが全然わかんないけどな。
 喉まで出かかった言葉は、けれどやる気の問題で失われる。無気力が全身をつつみ、がんじがらめにしているイメージ。
 なんとかしなければな、とは思っているのだが。

 いずれこの意思さえも縛られてしまうに違いない。

 それはそれで楽な生き方なのかもしれなかった。全てを自分の意思で選択し、決定し、進んでいくのは、経済的ではない。時には周囲に流されることも利得である。
 俺はぼんやりと夢野の言葉を聞いている。

310 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:49:39.16 nCIrDtoE0 248/1099

夢野「あ、もしかしたらマゾなのかもね。それならよかったな」

そうなのか?

夢野「うん。ちょーっと登場人物のパターン弄って、みんな転校生をいじめるようにしといたんだ」

夢野「折角みんなに喧嘩売ってるみたいだったからさ」

 そんなこともできるのか。

夢野「まぁねー」

 違和感があった。俺はいま、口に出していたか?
 ……会話が成立しているということは、恐らくそうなのだろう。

 チャイムが鳴る。頭の奥へと侵食する、鈍い音だ。
 ぐぉおおおん、ぐぉおおおんという独特の鐘の音は、何かしら叫びだしたくなる衝動を増幅させる。もちろん俺は理性によって守られているため、そんなことはしないのだが、それにしてもこの音はどうにかならないだろうか。

 俺は立ち上がって鞄を取る。今のチャイムは放課を告げるものだ。ならば教室にいる必要もない。一刻も早く部室へ行かなければ。

 部室は安息の地である。あそこならば、何ものに惑わされることもない。

311 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:50:14.41 nCIrDtoE0 249/1099

 脳髄へと伸ばされた誰かの手を振り払い、教室を後にする。無節操に解剖されるのは好きではない。だのに、誰かが違法行為をおかしているのだ。ぞわりぞわり這い登ってくる悪寒の主はその誰かに決まっている。

 部室へ行って、夢野と駄弁る必要がある。そしてそのあと本屋に寄って、女川の見舞いに行こう。そうしたら明日は学校で、それさえ乗り切ってしまえば土日の連休。
 そこで頭をゆっくりリフレッシュすればいい。夢だの現実だのに振り回される必要はない。

 もうすぐ終わるのだ。
 なにが? ――学校が。平日が。

 だけれど本当にそうだろうか? もっと大事な何かが終わりを迎えるのではないだろうか?
 心がぎしぎしと軋んで悲鳴を上げる。経年劣化した輪ゴムが千切れるように、心もまた、劣化は早い。

 体中を掻き毟りたくなる感覚をなんとか押さえつけ、俺は部室を目指す。

* * *

312 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:51:36.40 nCIrDtoE0 250/1099

* * *

 さらに次の日、狩野の机の中身が丸ごと避妊具に置き換えられていた。ご丁寧に中身が入った状態で。

 誰が何のためにやっているのか。そんなことは最早どうでもいい。戦争はすでに包囲戦へと突入している。諦めて退くか、兵糧が尽きて陥落するか、どちらか一つしか結末は存在しない。
 生きるということは戦争である。学校ならば、それに拍車をかける。

 吐き気がする。頭痛がする。倦怠感。眩暈。幻聴に幻覚。病んでいるのは周囲なのか、それとも俺の精神なのか。
 現実は加速し、とどまるところを知らない。ブレーキはすでにどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのだろう。手を伸ばしたとしても、それより早く遠ざかってしまっては、行為をするだけ無駄というものだ。

 そしてまた、夢もとどまらなかった。あの日を境に現れた仮想現実は、俺の安眠を妨害こそしないまでも、着実に現実を蝕み始めている。
 目を覚ませば、明日にも俺は俺であって俺でない俺になっているのかもしれない。その考えは何度振り払ってもこびりついて黒ずんでいく。

313 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:54:10.43 nCIrDtoE0 251/1099

 ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。

 鐘の音で気が付けば、すでに放課後であった。昼食はどうしたのか、板書は書き留めたのか――その辺りの記憶がまるでない。霞がかかった中で、正確な事実を引き出せない。引き出すほどの事実が本当にあったのだろうか。

 苛立ちは焦燥感を引き寄せ、精神を不安定にさせる。
 何かをしなければいけない強迫観念だけがあった。けれど、何を強迫されているのかがまるでわからないのだ。目的の欠如は方向感覚を乱して大いに俺を惑わせる。

 自然と手に力が入ってしまっていた。爪は加工された机の天板の上を滑っていくだけで、何にも引っかかることはない。力すら籠めさせてくれないのは、俺に対しての罰のつもりだろうか。だとすればなんと効果的な。

「部室……いかなきゃ」

 ほとんど反射でそう口にする。こんな状況下でも、俺は足繁く部室に顔を出していた。必ずそこには夢野がいて、気さくな会話を繰り広げる。
 あそこが唯一の安住の地だった。俺をやさしく包み込んでくれる桃源郷だった。

314 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:56:11.61 nCIrDtoE0 252/1099

 脇目も振らず一目散に、誰よりも早く教室を出る。後ろからクラスメイトが声をかけてくるが知ったことか。掃除当番などサボタージュの対象だ。今はただ、今はただ俺は、この心を休めたいのだ。

 二階に一旦降り、渡り廊下を伝って特別教室棟へ移動し、さらにそこから階段を上って三階へ。
 突き当りを右に曲がった一番奥、物置のような小さな冒険部の部室。
 そこに酸素を求めるかのように、俺は扉を開ける。

夢野「やっほー」

「あぁ、夢野か。上春先輩は」

夢野「今日は用事でお休みだって言ってたよ」

「そうか……そうか」

 それは残念であるが、とにかく部室までたどり着けたことに意味がある。ともすれば過呼吸気味になりそうな深呼吸を経て、俺はぼんやり天井を見上げた。

 夢野の顔が目の前にあった。

夢野「――んっ」

 口づけをされる。舌が歯の間から割り込んでくる。
 蹂躙される口内。舐られる舌。
 けれど、驚きよりも心地よさが増すのはなぜだろう。

夢野「ぷはっ」

 口を離すと唾液が糸を引いた。満足そうな顔をしている夢野を見ると、俺は心の中心がほっこりしていくのを感じる。

 思考がうまく回らない。抵抗感が失われ、筋肉が弛緩する。

夢野「あの娘は結局どうにもできなかったみたいだね。賭けは、私の勝ちか」

夢野「なーんだ。案外呆気ない。見込み違いだったかな」

 下卑た笑みを浮かべ、軽やかに笑った。

315 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:56:55.38 nCIrDtoE0 253/1099

 こいつは何を言っているのだろうか。浮かんだ疑問は、しかし一瞬で霧散する。誰かが思考の流れを絞っているのだ。脳髄の根っこを掴んだ手が、きっとどこかに転がっているはず。

夢野「勇ちゃん、私のこと、好き?」

 血のように真っ赤な夢野の唇の向こうに覗く、鋭い犬歯。桃色の吐息は酷い酩酊をもたらす。
 最早何もかもが面倒くさかった。

 ゆっくりと頷く。全てを彼女に任せておけば問題はないのだ。だって夢野は夢野なのだ。だから大丈夫。問題ない。
 ワイシャツのボタンが外されていく。次いで、夢野自身のそれも。
 豊満な胸が零れ落ちた。それに手を伸ばすと、夢野はにこりと笑って、触りやすいように突き出してくれる。

 夢の中にいるようだった。こんな心地のよいことがあるだろうか。茫洋とした霧の中でへらへらと浮かんでいるアリの群れが俺だ。
 外からは吹奏楽団の飛行機が屋根の上で大蛇と缶詰のツーシームに決まっていて格好いい。四件目のラーメン屋を混ぜ込んだヨーグルトと粘土の川は、今日がまた今日で来年の今日に決まった。
 蛋白質は電波に重なる魚の樹液に違いない。なぜならその中心に夢野が立っているから。

 夢野。
 歪む景色の中で夢野とその周りだけが燦然と煌めいていた。明るく、後光が差し、道を指示してくれているのだと俺はすぐにわかった。
 甘い香りに包まれる中で、これが現実なのだ。これだけが現実なのだ。

316 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 08:59:43.27 nCIrDtoE0 254/1099

 柔らかく反復するトリツチェルマジネ電離層が俺の背中を押してくれていた。足元も蚕の微笑みが渦巻くように前転をしていて、放っていても自然と足が前に進む。実に快適な環境だった。

 思わず夢野の唇を貪る。

 頭の中でリトルボーイが五人ワルツを踊っている。おーい、俺も混ぜておくれよ。お料理教室のテーマに沿って踊りましょう。
 快楽物質で世界中の多幸感が俺にハッピーエンド。スポイトで一滴一滴垂らされたラブ&ピースは俺の幸福上限値に表面張力を働かせる形で盛り上がる。

 気持ちいい。
 気持ちいい。

 このまま溶けてなくなったとして、俺は何一つ不満がないだろう。

夢野「ちょっと勇ちゃん、そんなにがっつかないでよ」

 苦笑しながら夢野は言った。そんなことを言われても止まらない。夢野を壁に押し付け、唇と言わず耳朶と言わず、舌を這わせて吸い尽くす。
 仄かに甘い香りは香水だろうか? いや、ケミカルな感じではない。もっと生物由来の、艶めかしい香りだ。

 窓の外は夕焼けだった。橙の光が俺と夢野のシルエットを部室に浮かび上がらせる。
 窓は空いていて、そのためか陽光だけでなく風もふんわりと差し込んでくる。外の景色は不思議と見えない。きっと夢野だけを俺が見ていたいからそうなったに違いない。

 誰かの苛立ち交じりの声が聞こえて、硬いものと硬いものがぶつかる音も聞こえた。
 別に、そのまま夢野の体を漂っていてもよかったのだけれど、当の夢野が「ほらほら、勇ちゃん」と引っ張って、外を見させてくれる。

 ちょうど真下で、狩野が暴行を受けていた。

317 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 09:01:26.75 nCIrDtoE0 255/1099

 四人の女子が彼女を取り囲んで、ひたすらに足蹴にし続けている。狩野は蹲って耐えているようだが、それにどんな意味があるだろうか。
 もっと楽に生きればいいのに。だって世界はこんなにも濃密な乳白色の空なのだ。

 辛いことなど何もない、悦楽だけがそこにある、桃源郷色のユートピア。
 いや、ユートピア色の桃源郷なのかもしれない。どっちだろう。

 俺のへらへらした笑みが零れ、狩野に落下する。
 音符の見えない世界において、どうしてだろう、俺はその事実を視覚的に捉えた。

 そうして、彼女は俺を見る。
 鋭い、余りにも鋭い、まるで矢のような視線が俺を打ち抜く。

 血を吐いた。

 いや勿論そんなことはなくて俺は健全健康な学生だし肺尖カタルなんてもってのほかだから急に血を吐くことなどありえない。袖で口元を擦っても学生服の黒は黒のままで黒々しくそこにある黒でどこにも赤い要素が見当たらないということはつまりそういうことになるだろう。だけれど果たしてそれが本当にそうなのかはわからないという思考の波と波と波と波と大回転と

318 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 09:02:23.49 nCIrDtoE0 256/1099

「わたしがピンチになったら、絶対助けに来てね」

 誰かがそう言った。
 誰がそう言った?
 言われたのは、いつだ?

 助けるって誰を?

 ん?

夢野「勇、ちゃん?」

 夢野の顔が驚愕に彩られている。
 心配をかけてしまったか。俺はせめて大丈夫だと示すため、引き攣る顔面の筋肉を総動員し、笑顔をつくって見せる。

夢野「まさか、なんで、こんな、今更……っ!」

夢野「私の勝ちだったのに、そのはずだったのに、なんで!」

 珍しく見る夢野の恐慌状態だ。なんとか宥めなければ。ほら、俺は大丈夫だぜ。いつも通りの田中勇だぜ。だから落ち着けよ。

「ら、らい、らいじょーぶ、らお」

 呂律が回らない。落ち着かなければ、一度落ち着かなければ。夢野を落ち着かせるよりもまず先に。
 落ち着かなければ世界の街灯が全部計画停電だ。それだけでなく俺はスナック菓子すらもマントルの/夢野の/中に放り込まれ/服を掴んで/スティック糊の熱さ/窓から身を/が券売機/投げ/を焦が――投げ、

 意識と行動に介入が/力一杯に夢野を/この感覚は一体/いや、「夢野」では、なく/俺は/俺は/俺は/俺は

319 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 09:08:48.04 nCIrDtoE0 257/1099

 切れそうになった電球が点滅している。おかしい。部屋の電気はつけていないはずだ。ならばこの明滅はどこで起きているというのだ。
 あぁ、そうか。
 俺の脳内だ。

 妙に冷静な感覚があった。思考だけが急速に回転し、肉体の動きはほぼ停止しているといっても過言ではないだろう。
 頭の中は冴え冴えとしている。と同時に、割れそうなほどの頭痛もまた。

 本来同時に起こりえないであろう事象が同時に起きているのに、俺は極めてそれを傍観者気取りで見ている。そんなことに振り回される前にすべきことがあるのではないか。
 すべきことがあるのだ。
 理屈とか、理由とか、わからないけれど。
 過程とか、考えたところでわからないけれど。

 誰かと約束をしたのだ。
 約束を守らねばならないのだ。

 「勇者」と誰かを呼ぶ声がした。

 だから。

 だから、俺は、

320 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/15 09:10:07.31 nCIrDtoE0 258/1099

 俺は、

 夢野の、

 服を、掴ん、で!

 窓――窓、窓だ、窓から、落ちたら、死ぬかもしれないけれど!

 死ぬかもしれないけれど、

 けれど――だからこそ!

 しれないからこそ、俺は、

 俺は!

 爪切りの内臓が四つ折りになって違う! そうじゃない!

 夢野の悲鳴、が、聞こえる、と、言う、

 ことは!

 家賃の漬け汁違う! このまま、で、

 正しい!

夢野「や――やめろ、やめろ、やめろぉおおおおおっ!」

「か、の――か、か!」

「狩人ぉおおおおお!」

 重力からの解放。

 衝撃。

――――――――――――――

327 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:21:41.14 YYhMJExk0 259/1099

――――――――――――――

 頭の中で焦燥と冷静が入り混じる。赤と青は決して紫になることはなく、それぞれの色を保ったまま思考の渦を巻く。
 狩人は頬に汗が伝うのを感じたが、それを意識的に無視した。冷静を装うふりなどしてられなかった。

 焦燥の部分――二人はどこへ行ったのか。無事なのか。攻撃を受けたのは彼らなのか、それとも自分なのか。
 冷静の部分――違和感の正体はこれだ、という理解。背後が静かすぎたのだ。

 ともかく、分断されてしまったようだ。二人は二人でいるのか、あちらも一人ずつに分断されたかまでは、彼女にはわからない。

 狩人は沈思黙考する。焦ってはいけない、敵の思うつぼだ。冷静に、冷静に。

 この状況が敵の攻撃によるものであることは明白。しかし、敵の術中に自分たちが陥っているならば、なぜ傀儡となっていないのか。他の兵士と自分たちの置かれている状態の差異は捨て置けない。

 仮定。意識は明快であるが、実は肉体は傀儡となって勇者たちを襲っている。
 仮定。何らかの理由があってこちらに傀儡の術をかけることができず、やむなく分断した。
 仮定。初めから分断することが目的であった。

 可能性としては一番か三番が有り得そうな気もしたが、あくまで可能性だ。
 狩人はあまり魔法に詳しくはない。初歩の初歩くらいならば用いることもできるが、精神汚染、精神操作といった超高難度の魔法など、理論すら聞いたこともない。
 老婆ならばわかったのだろうがと考えて、気が付く。

 老婆がいない。

328 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:22:17.56 YYhMJExk0 260/1099

 否。狩人は知っている。老婆は洞穴や大空洞を調査していて、まだ王城へは戻ってきていない。
 問題はそこではないのだ。老婆がいれば、恐らく精神操作には対抗できるだろう。気付けだってできるかもしれない。

 この状況は老婆がいなくなった隙を意図的に狙って引き起こされた。そうでなければここまで大規模にはならない。
 つまり、相手はこちらの状態を把握しているのだ。その考えに至って狩人は眉根を寄せる。

 それが、例えばウェパルのように兵士に化けているのか、それとも遠見なのかは、彼女にはわからない。しかしなぜ自分たちが? 狩人はそれだけが納得できなかった。
 確かに自分たちは冒険者にしては強いだろう。勇者は実質不死で、少女も老婆も埒外の強さを誇る。正当な手続きを踏まずに宮仕えとなったことからもそれは明らかである。
 ただ、その程度で敵に目を付けられる理由になるだろうか。脅威という観点ならば隊長のほうがずっと魔物に対して脅威だろうし、そもそも傀儡にしてしまわないわけも不明だ。二人を消せるならいっそ傀儡にしてしまえばいいのに。

 ざく、と瓦礫を踏みしめる音が聞こえた。反射的に狩人は鏃を後方へと投げつける。

??「あ、あっぶないなぁ!」

 赤髪の女が立っていた。煽情的な体つき、顔つきで、露出も多い。
 背中からは悪魔の羽が一対生えており、尻尾もある。切れ長の眼に収まる桃色の瞳は、それを見ているだけでくらくらしそうだ。

 脳内に手が伸ばされる感覚がした。思わず地を蹴って後ろへ下がり、鏃で腕を突き刺す。
 激痛が走る――しかしその痛みで覚醒。不快感は消失した。

??「え、マジ。チャーム効かないの。そっかー、マジかー。やっべー」

狩人「あなたが、元凶……」

 最早疑う余地はなかった。狩人は断定的に呟いて、鏃をあるだけ指の隙間に挟む。武器はこれだけしかないが、それでも立ち向かわなければならない。傀儡となった兵士、そして消えた勇者と少女を助けるためにも。


329 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:24:06.27 YYhMJExk0 261/1099

??「やや、どもども。私はアルプ。夢魔アルプ。よろしく」

 目の前のアルプは言う。けらけらと、あっけらかんと。

 内心の動揺を悟られぬようにしつつも、狩人は実のところ気が気でなかった。夢魔アルプ。第四の四天王。精神も肉体も操れぬものはない、状態変化の卓越者。
 彼女の攻撃は物理的に働きかけるものではなく、限りなく精神的かつ魔術的だ。狩人は魔法抵抗のルーンなど刻めなかったが、結局のところ退くわけにもいかない。せめて一矢報いようという気概だけは心にとどめている。

アルプ「うわ、すっごい警戒されてるよ」

狩人「……これはあなたのせいなんでしょ」

アルプ「そうだよ」

 まさか返事が普通に帰ってくるとは思っていなかった。狩人は拍子抜けした感覚を受け、しかし罠かもしれないと気を引き締める。何せ相手は単なる魔物ではないのだ。

狩人「……あなたを殺せば、兵士たちは元に戻る?」

アルプ「まぁね」

狩人「あなたを殺せば、勇者と少女は帰ってくる?」

アルプ「さぁ、どうだ――」

 ろう。アルプが続ける前に、鏃が二つ、時間差でアルプを襲う。
 あらぬ方向へと曲がって、それぞれ地面と天井へ突き刺さった。

狩人「……!」

 有り得ない動きであった。狩人は決して手加減などしておらず、乾坤一擲、頭を潰して殺すつもりで投げたのだ。しかしアルプはそれを触れることなく軌道を変えて見せた。
 鏃が弾ける音以外は静かすぎる城内に、唾液を飲む音さえ響く。

330 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:24:38.00 YYhMJExk0 262/1099

 狩人は、手や背中にじっとりと汗をかいている自覚が確かにあった。そうやってなんとか恐怖としり込みを体外に排出しようとしているのである。

アルプ「四人組ならまだしも、私とタイマン張ろうってのは、ちょーっと早いんじゃないの」

 飄々とした態度とは裏腹に、なるほど確かにアルプは実力者で、四天王なのだと狩人は理解する。
 実力差はいくらもあろう。だが、しかし。

狩人「それでも、私が死ぬまで私は貴方を殺す」

 鏃を引き抜く。とは言っても勝機なぞ皆無であった。隙を見て逃げ出す算段なのだ。

 投擲――弾けて本棚を砕く。
 投擲――軌道が歪曲し壁に突き刺さる。
 投擲――衝突寸前で停止、アルプはそれを軽くつまんで捨てた。

 木製の机に鏃が転がる。

狩人「――っ!」

 隙もクソもあったものではない。こちらは攻撃するために行動しなければいけないのに、あちらは防御に行動をしなくてもよいのだ。まともに遣り合えば遣り合うほど損をするばかりである。
 狩人はちらりと背後を見た。電気の付いていない物置には、箒や藁、板などが無造作に積まれている。そこの壁に、少女が空けた穴と、扉の二種類の脱出路。

 かび臭い部屋の外からは依然として足音が近づいてきている。時間にして一分か、一分半。それまでに心を決めなければいけない。

 アルプは客室のベッドへ腰を下ろした。その余裕が狩人にとっては憎らしいが、それこそが実力の違いである。

アルプ「別に逃げてもいいけどさ、きみの仲間の身柄、こっちで預かってるんだからね」

331 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:25:22.03 YYhMJExk0 263/1099

狩人「……何が目的。殺すなら殺せばいい」

アルプ「だから人間って駄目なんだよねー。なんていうの、ほら」

アルプ「生き急ぎすぎ」

 狩人の体を唐突に衝撃が襲った。横からの圧力にたまらず吹き飛び、冷たい石の壁に激突する。
 からん、からんと床に何かが散らばる音。見れば物置においてあった木の板であった。それがぶつかってきたのだ。

 地面に肩から落ちる。打撲がもたらす痛みに顔を顰めるが、それより先に立ち上がらねばという危機感が体を叱咤した。反射的に体を叩き起こし、

狩人「……」

 背後、喉元、両足の付け根の五か所に、鏃の先が押し付けられる。先ほど狩人が投擲した鏃が、なぜか空中に浮かんでいるのだ。
 動けば刺さる。痛みを度外視したとしても、アルプが今度こそ息の根を止めに来るだろう。
 逆に言えば、ここまでして動きを封じてくるという以上、あっけなく殺される可能性は少ないと考えられる。無論まだアルプの過ぎたお遊びという考えもできるが、狩人はアルプから殺意の気配を感じられなかった。それを唯一の頼りにして不動を貫く。

アルプ「ただでさえ短い寿命を自分で削ってどうするのさ」

 いつの間にか傍らにいたアルプが、やれやれというふうにため息をつく。
 背中から生えている一対の羽が泳いでいる。天使の羽が厚く、温かく、柔らかいのだとすれば、彼女の羽はその真逆だ。薄く、ひんやりとしていて、骨ばっている。
 その姿からは筋肉の緊張は一切見られず、あくまでも自然体だ。単に狩人が取るに足らない相手として認識されているわけではない。彼女は常に真剣で、真剣に他人のことに興味がないのである。

 それはある種の魔族らしさだった。そのような意味での「らしさ」という一点において、アルプは誰よりも――序列的には上である九尾よりも、ウェパルよりも、デュラハンよりも、魔族然としている。

アルプ「逃げられないんだから、頑張らなくていいんだけど?」

 狩人はそのとき視線の端に確かにとらえた。壁に空けた穴はきれいに塞がり、存在したはずの部屋の扉が、まるで最初からそうであったかのように、石の壁となっているのを。
 彼女には何が起こっているのかわからない。アルプは夢魔である。その名の通り、精神を操ることしかできないのではないか。

332 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:26:21.78 YYhMJExk0 264/1099

アルプ「折角チャンスをあげてるのに、変なことしないでよねー」

狩人「チャンス……?」

アルプ「そう。これからあなたにやってもらいたいことがあるの。で、それを成し遂げられたら、あなたの最愛の人は返してあげるよー」

狩人「……もし断ったら」

アルプ「あなたは死ぬし、操られてる人たちも、お仲間も全滅だね」

 狩人は口内で舌を噛んだ。アルプの意図がまったく読めない。
 いや、と頭を振る。思考などここに至っては意味がない。彼女の申し出を引き受けないことには全滅しかないのだ。

狩人「……わかった。どうせ選択肢なんてない」

アルプ「さっすが、そうじゃないとね」

 喜色満面の笑みを零して、アルプは笑った。狩人はその笑みに、けれど恐ろしいものしか感じない。

 アルプが指を鳴らすと景色は一瞬にして転換した。王城から、異空間へと。

 桃色の空間であった。地面を踏みしめている感覚はないが、確かに大地のような基準平面があって、そこに狩人もアルプも立っている。
 空間はどこまでも広く、限りなく向こうまで伸び続けている。が、この見えざる大地と同様に、もしかしたら不可視の障壁に囲まれているのかもしれない。

333 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:29:08.53 YYhMJExk0 265/1099

狩人「ここは……」

アルプ「私のテリトリー。夢と精神の世界。心の内。貪欲なる病」

アルプ「私は他人の心を弄ぶのが好きなの。その点では、魔族よりも人間のほうがずっとおもしろい。だから、ね」

アルプ「賭けをしようよ」

狩人「賭け?」

アルプ「ゲームと言い換えてもいいかな。あなたがクリアできたら、ご褒美をあげる」

 狩人は覚悟を決めて先を促す。

アルプ「ルールは単純」

アルプ「仮想世界の中で、あなたの愛する彼の目を覚まさせてみてよ」

狩人「目を、覚まさせる」

 言葉の意味が理解しきれずに思わず鸚鵡返しで尋ねる。

アルプ「そう。勇者くんの精神は私の手の上にある。今から仮想世界をつくって、これをそこにぶち込むから、あなたはそれを助け出すの」

狩人「そんなことができるの?」

アルプ「さぁ? 今までできた人はいないけど、どうかな。できるんじゃない。知らなーい」

 全く無責任な返答に狩人は苛立ちを隠せない。
 目の前の夢魔は、結局のところ狩人にも勇者にも少女にも、ましてや何百人以上の傀儡にも、興味がまるでないのだ。無理難題を吹っかけてそれに喘ぐ様子を高みから見物したいだけに違いない。

334 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:30:20.12 YYhMJExk0 266/1099

 が、立場が弱いのは狩人である。拳を握りしめて会話を試みる。

狩人「その、仮想世界? って、どういうものなの」

アルプ「んー、ま、普通の学生生活だよ。アカデミーみたいなものだね。あなたには縁がないかもしれないけど」

アルプ「あなたは転校生としてやってくる。クラスには勇者くんがいるから、なんとかして精神を現実世界に引き戻さないと、あなた共々ゲームオーバー」

アルプ「心が壊れたまま一生を終えることになるから、気を付けてね」

アルプ「期限は五日間。それを超えても駄目だから。……何か聞いておきたいことは?」

狩人「私が使えるものは?」

アルプ「んー、答える義務はないよ」

狩人「……っ」

 そちらが聞いてきたんだろう。一言言ってやりたかったが、寧ろアルプはそれを待っているのだ。
 人の心を弄び、揺らぎを生み出し、見つけ、そこに付け入ることを何よりの娯楽と感じているのだ。
 だから狩人は、努めて冷静に自己を律する。あちらのペースに巻き込まれては負けだ。

アルプ「ま、説明もそろそろ面倒くさくなってきたから、いっちょ行ってみっかー」

 桃色の空間がぐにゃりと歪んで、現れたのは青い空とコンクリートのブロック塀、電柱とガードレール、生垣の向こうで鳴く犬の存在であった。

335 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:30:58.03 YYhMJExk0 267/1099

 不意に、今後やらねばならないことがわかった。この世界での常識。ルール。物品の使用法。何より、勇者の精神を助け出すこと。

 このまま緩やかな坂を上っていけば学校につくらしい。時間は決してたっぷりあるとは言い難い。この世界の彼は記憶を消され、この世界での記憶が埋め込まれている。そんな彼に真実を正直に話したとしても、それを信じてくれるだろうか。
 アルプは、あの人の怒りのツボを的確に押してくる夢魔は、確かに言っていた。「今までできた人はいない」と。
 恐らく狩人が最初ではないのだ。今までに彼女は何度もこのような「ゲーム」を主宰し、それら全てに勝ってきた。

 狩人は苛立ちがせり上がってくるのを感じた。
 勝たなければいけない。何としてでも。

 正直に話す、つまり正攻法が望めないのならば、搦め手を使っていくしかない。彼の精神を正気に引き戻す誘引剤を考えなければ。
 彼のためならば、どんなつらいことにだって乗り越えられるから。
 泥水を啜ってでもゲームに勝たなければならない。

 力強く右手を天に伸ばした。

――――――――――――――

336 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:32:00.73 YYhMJExk0 268/1099

――――――――――――――

――だから私はっ!」

 勇者を背に、アルプに対峙した狩人は、鏃を構えて鋭く睨みつける。

狩人「あえて自らやられに行ったんだっ!」

 怒声を張り上げるなど何年ぶりだろうか。ともすれば人生初なのかもしれない。
 狩人は自らを温厚で冷静だと評していた。そしてその自らについての人物評は、あながち外れではない。だが、彼女は知らなかった。自らの中にここまでの激情が眠っていたことを。

狩人「人の恋人に手を出した罪、今すぐここで償ってもらう……!」

 現実世界に戻っていた。場所は転移する寸前の、来客用の一室である。勇者はまだ気を失っているが、その顔、格好は間違いなく勇者で、その点についてはアルプは約束を守ったのだ。
 最終的に約束を破ったとしたら。狩人は心の内ではそのような心配をしていたが、アルプは自らの持ち出したルールに対しては厳格だ。そうしなければゲームとしての体をなさない。そしてそれは彼女が最も忌避すべき、「楽しくない」ことである。

 狩人には仮想世界での記憶が残っていた。残滓ではない。まるまるしっかり、自分が何をしたのか、何をされたのか、どうしてこうしているのか、すべて覚えている。
 賭けだった。しかも、分の悪い、リセットの効かない、一度きりの投身自殺だった。
 それでも生きているということは、賽を投げた甲斐はあったのである。

 狩人が仮想世界において行ったことはただ一点、勇者を信じる、それのみ。彼は誰かを助けたかったし、誰もを助けたかった。その想いの強さとそれによって引き起こされた苦悩を狩人が知らないはずもない。
 彼が仮想世界においても彼であるならば、意識を取り戻す願いはそこにしかない。
 あのゲームが単純に看破されないのならば、単純でない策を打つ必要があった。

337 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:32:50.63 YYhMJExk0 269/1099

 問題は時間の兼ね合いであったが、アルプが思わぬ手助けをしてくれたことは僥倖だ。無論、彼女の性格からして、こちらを甚振る何かしらを仕掛けてくることは想像に難くなかった。うまく利用できた、の一言に尽きる。

 狩人の眼前、深紅の髪を持つ夢魔は、顔を顰めて頭を押さえている。三階の窓から落下した衝撃は仮想のものだが、仮想から現実に放り出された衝撃は、特に彼女には堪えたらしい。
 先ほどの、アルプ曰くゲームには勝てたものの、次に彼女が何を起こしてくるのかは全く予想がつかなかった。潔く引き下がってくれるのか、それとも。

狩人(……動きがない)

 その事実がなおさら怪しく、狩人は僅かに身をこわばらせる。

 アルプの行為に対して狩人も勇者も抗う術を持たない。魔術的な障壁自体を展開できないし、仮に展開できたとしても、生半可なものでは気休めにしかならないだろう。
 彼女は王城へと侵入し、容易く今回の事件を引き起こして見せた。侵食力には、いらない折り紙が付帯している。

 アルプの瞳が見開かれる。
 体が震え、爆発するように立ち上がった。

アルプ「す、す」

アルプ「すっげー!」

 奇術に魅せられた子供のように、目を輝かせてアルプは言った。狩人が鏃さえ持っていなければ彼女に抱き着いていたかもしれない。

アルプ「いやいや、マジで、すっげー! 何それ、まさか普通できないでしょ、賭けにしては分が悪すぎるでしょー!」

 甲高い黄色い声とともにはしゃぎだす。興奮冷めやらぬ様子だ。

338 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:33:24.42 YYhMJExk0 270/1099

 そもそも彼女はゲームがクリアされるとは思っていなかった。他の四天王が気にかけている冒険者がいるから、とりあえず潰してみよう、その程度の悪意だったのである。
 何より狩人が用いた方策こそがツボに嵌ったらしい。これまでの挑戦者は、みな当初から積極的な交流を以て攻略しようとしていた。その程度で解ける術ならばアルプは四天王など名乗っていないというのに。
 自らを追い込んで、気が付かせる。まさかそんな方法があったとは。

 二人の関係をアルプは知っていたが、間で交わされた言葉や約束までは知らなかった。もし敗因を探るとするなら、その辺りの情報収集が足りなかったと言わねばならないだろう。
 しかし、アルプは試合に負けてこそいるが、勝負に負けたわけではない。

アルプ「自分を虐めさせて気が付かせるかよ、おかしいっしょー! どんだけ肝っ玉母さんなんですかー、もう!」

アルプ「あー、くそ、惜しかったなー! もうちょっとで精神ぐちゃぐちゃにできたのにさー!」

狩人「ちょっと……」

アルプ「約束通り返してあげるよ、あなたの最愛の人をね!」

アルプ「んじゃ、お幸せにー!」

 大きな音を立てて彼女は翼を広げた。指を鳴らすと、彼女の背後の壁に、音もなく穴が空く。ひと一人なら簡単に出入りできるほどの大きさだ。
 狩人は鏃を振りかぶる。

狩人「逃がすと思っているの?」

アルプ「逃げられないと思っているの?」

339 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:33:59.92 YYhMJExk0 271/1099

狩人「あなたには聴きたいことが山ほどある。食らいついてでも止める」

アルプ「やってみるがいいよ!」

 もしかするとアルプにとってはこの現状すらもゲーム、遊戯なのかもしれなかった。そこにあるものをただポジティブに享受するだけの姿勢。
 勝とうが負けようが、畢竟それすら関係はないのだ。

 アルプが叫ぶと同時に、部屋中の家具が一斉に狩人へと襲い掛かる。机、本棚、それに収まっていた本、ベッド、壁の装飾。それぞれが巨大な弾丸となって狩人を打ち砕こうとする。
 防御に時間を割く狩人を見やりながら、すぐさま後ろへと飛び出すアルプ。しつこい存在など相手にしていられない。彼女にはもっと楽しいことが待っているのだから。

 落雷。

アルプ「う、ぎゃあああっ!」

 幾条もの電撃が、狩人だけを避ける形で部屋を蹂躙する。全ての存在は撃ち落とされ、当然それはアルプも例外ではない。
 焼け焦げ破壊された家具のせいで、部屋中に異臭が蔓延した。鼻の奥を刺激する灰の臭いだ。

勇者「てめぇ、よくもやってくれたな……」

 狩人の背後で勇者が何とか立ち上がっていた。精神を弄繰り回されていた後遺症だろうか、脂汗が酷いが、命に別状は無いようで何よりである。果たして精神をやられて死んだら、彼は生き返ったのちどうなるのだろうか?

 勇者の右手にもう一度稲妻の光が集中する。
 光は収斂し、人差し指の先端で一際大きく輝きを増した。

340 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:34:46.71 YYhMJExk0 272/1099

勇者「きっちり倍返しだ」

 電撃を放つ。
 まるで雲間から降り注ぐ光条のような太さの雷撃が、まっすぐにアルプを狙う。

アルプ「効かないよ!」

 雷撃は膝をつくアルプに命中する寸前で大きく方向転換し、体の表面を滑るようにして、壁に空いた穴から外へと逃げていく。そうして一拍後に大きな爆発音。

狩人「大丈夫なの」

 短く狩人は尋ねる。お互いの背中を預けあう形での戦闘は、二人きりで旅をしていたころは日常茶飯事であったものの、少女や老婆と組んでからは久しい。
 緊張を解かずに、どこまで自然体で呼吸を合わせることができるのか。しかも相手は単なる魔物ではなく、四天王の夢魔アルプ。

勇者「まだちょっと頭痛はするけどな。……しかし、なんだ今の……魔術障壁でもないみたいだし」

狩人「わかんない。さっきからそうだった」

 魔術障壁ならば展開する瞬間に詠唱か、ないしは詠唱破棄のための手続き――ルーン文字の書かれた護符などが該当する――が必要になる。しかしアルプにはそれすらも見られない。
 恐らくはアルプ特有の能力なのであろう。二人にもそこまでは考えが至るが、それ以降へ思考を進めることはできなかった。

 方向性を切り替え、二人は半身になりながらアルプのほうへと目をやる。

341 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:35:19.60 YYhMJExk0 273/1099

 落雷に撃ち落とされたアルプが立ち上がろうとしている最中だった。それほど効果はなかったようだが、皆無とまではいかない。痺れが残るのか動きにくそうにしている。
 ずい、と二人は一歩前に出た。

狩人「訊かせてもらう。なんでこんなことを?」

アルプ「なんでって言われてもなー。遊び?」

 電撃を纏った勇者の右手が向けられる。回避されるのだろうが、脅しとしてはまだ何とか有効だろう。
 アルプは諦めて両手を挙げた。負けを認めたのではなく、強情な二人に付き合ってやるか、その程度の認識だ。

 随分と余裕であったが、その余裕こそがアルプの強みでもあり、力量差を指示しているといってもよい。一度に百人もの兵士を操ったことからもわかるとおり、アルプにとっては一対多の戦いは全く苦ではないのだ。

アルプ「わかった、わかった、わかりました。わかったよぅ」

 何度も繰り返し、にやりと笑む。

アルプ「だってみんなずっと戦いばかりやってるからさー、つまらないんじゃないかなって」

勇者「つまらない?」

アルプ「そう。視聴者サービスってやつだよ」

勇者「?」
狩人「?」

 要領を得ない返答に、二人は顔を見合わせるばかりだった。全く会話が噛み合っていない。それでもアルプは「訊かれたことには答えた」という顔をしている。

342 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:36:26.82 YYhMJExk0 274/1099

狩人「私たちをどうして狙ったの」

アルプ「九尾があなたらばかり気にしてるんだもん。ここ最近は特に」

勇者「九尾が……?」

 大空洞、地底湖での一件を二人は思い出す。鬼神。白沢。海の災厄ウェパル。不穏な暗雲渦巻く事件は、考えればつい数日前のことだ。
 魔物が近隣の町を襲ったことに端を発する一連は、ここにきて必然実を帯びたことを勇者は感じた。もしかしたら初めから自分たちは九尾の手の上で踊らされていたのではないか。そして、今もまた。

 先日の一件を皮切りに、九尾が自分たちに興味を持ったというのならばまだわかる。そこにはれっきとした始まりが存在する。事の起こりに疑問を抱く必要はない。
 が、先日の一件すらも九尾の興味の上でのことなのだとしたら、折角の始まりは消失だ。なぜ九尾が興味を持ったのかについて答えてくれる事実や人物は存在しない。永遠に思考を続けなくてはならなくなる。

勇者「どういうことだ……?」

 アルプに向けてではなく、自分に向けて呟いた。

 問題はアルプの言葉にある。彼女の言葉には、九尾が勇者たちを気にし出したのが数日より前であることを暗に示していた。それが果たしてわざとなのか、無意識なのかは彼女にしかわからない部分である。
 そのまま素直に受け取るなら、九尾と勇者たちの関係は後者ということになるだろう。しかしそれでは彼は納得できないのだ。

アルプ「九尾、全然かまってくれないしさ。だから、ね。殺しちゃおうかなって」

343 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:37:05.92 YYhMJExk0 275/1099

狩人「……クソみたいな女」

 吐き捨てるように言う狩人であった。アルプは寧ろそれが褒め言葉のように鼻を鳴らす。

アルプ「上等だよ」

勇者「狩人」

 狩人を制して勇者はアルプを見据えた。

勇者「お前、何か知ってるのか」

アルプ「知ってても答えると思う?」

勇者「無理にでも答えてもらう」

 返事を聞いてアルプは大きくため息をついた。

アルプ「恋人二人して同じこと言うんだもんなぁー」

アルプ「知らないよ。本当にね。考えはあるんだろうけど、みんな秘密主義者だから」

勇者「魔王の指示かなにかなのか?」

アルプ「魔王?」

 アルプの眉が初めて顰められた。歪んだ顔の理由を勇者たちは理解できない。

アルプ「魔王なんていないよ?」

344 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:37:39.22 YYhMJExk0 276/1099

 今度は二人の顔が歪む番であった。魔王がいない。それはどういう意味なのか――二人が問い質すよりも先に、アルプの眼が見開かれている。
 桃色の、魅了の魔を宿した瞳が。

アルプ「ゲームオーバーだよ、二人とも! 既に魅了はかけ終わった!」

勇者「ん、なっ!」

 ごぐん、と、低く響く音が、周囲から万遍なく響く。
 部屋が揺れる。煉瓦造りの建築が、怒りに打ち震えているのだ。
 狩人はそれが、まるで巨大生物の胃腸に住んでいるかのような錯覚に陥った。城を一個の生き物に喩えるならば、確かに部屋は、客室ならなおさら胃にあたるだろう。そこに住む人々は絶えず居り、かつ流動的なのだから。

 天井が抜けた。
 大量の煉瓦と、土と、木材と、そして上の階に存在した全てが、二人目掛けてなだれ込んでくる。

 狩人は察する。これまでの攻撃がアルプにあたらなかったわけを。そして、なぜ彼女が四天王足り得ているのかを。
 彼女は二人に魅了をかけたのではなかった。
 魅了をかけたのは、この部屋に、だ。

勇者「うぉおおおおおおおおっ!」

 押し潰されそうな焦燥感――それは決して比喩ではない。
 勇者は咄嗟に狩人の手を取り、蹴り飛ばす。少女が客室に空けた穴はまだ空いていた。そこ目掛けて力一杯。

 彼の視界を覆う、雑多。

 一寸の差で狩人は隣の部屋へと倒れこむ。地鳴りと土煙が聴覚と視覚を奪っていて、最早何を感じることもできなかった。
 しかし、何が起こったのかはわかる。勇者は身を挺して自分を助けてくれたのだと。

345 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 09:38:36.74 YYhMJExk0 277/1099

 やがて地鳴りも止んだ。恐ろしいほどの静寂。静けさが針となって心をひっかくというのは、まさか彼女も想像していなかったことである。

 アルプには恐らく逃げられてしまっただろう。油断がこの事態を招いたのだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
 無論あのまま二人でアルプを倒したり、実力で抑え続けることができたかというと、それは甚だ疑問である。そうだとしても、狩人は徒に勇者を復活させることには消極的だった。
 彼は笑って言うだろう。死んでも平気な人間が死ぬべきなのだ、と。それは正しいが、狩人は正しいことならばすべて納得し受け入れられるほど大人ではなかった。
 なにより、そんな大人にはなりたくなかった。

 考えはまとまらない。先ほどアルプの言った、「魔王などいない」という言葉もある。その言葉が示す意味を、狩人はわからない。所詮考えることは本業ではないのだ。そのようなことは、それが得意な老婆や少女にやってもらえばいい。

 ……少女?

狩人「……え?」

 狩人は思わず土煙の晴れてきた周囲を見回す。
 少女の姿はどこにもなかった。

――――――――――――

347 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/18 23:14:18.17 YYhMJExk0 278/1099

――――――――――――

 黒い疾風が川沿いを奔っていた。
 黒毛で首から上のない馬が一頭、己の体よりも暗い、闇夜のような馬車を引いている。幌がついているため中の様子は窺えないが、それがこの世のものでないのは明らかだ。

??「しかし、いいのか。こんな形で連れてきてしまって」

 馬車の中では全身鎧を着た、男の声を持つ存在が、目の前のアルプに尋ねる。

アルプ「別に。だって私嘘言ってないし。最愛の人は返したけどね、他の人は知らないよ」

アルプ「それよりも、あなたの我儘叶えてあげたんだから、もう少し感謝してくれてもいいんじゃないの。デュラハン」

デュラハン「うーむ……まぁ、そうだな」

 デュラハン――漆黒の首なし騎士は、どこから声を出しているのか、唸って頭を下げた。
 彼の膝の上には、眠ったままの少女が横抱きにされている。

 彼は気が付いた。アルプが馬車の外、高速で移り変わる景色を見ながら、何やらにやにやと笑みを零しているのを。
 長年の経験から、彼はその笑みが決して良い類のものではないことを知っている。歪んで歪んで歪みきった性根がもたらす、他人の努力を嘲笑う笑みだ。他人を出し抜き、してやることに情熱を燃やしている顔だ。

 無い首を器用に使ってため息をつく。仕方がないとはいえ、アルプに頼んだのは大きな不安を引き起こす。もしかしたら人選のミスでないかと思う程度には。

 馬車はある塔へと向かっていく。

アルプ「さぁ、勇者くん、囚われのお姫様だよ。早く助けに来てあげないとね、うふふふふふふふふ……」

――――――――――――――

349 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:22:06.24 z4Z7oF2k0 279/1099

――――――――――――――
 子供のころから勝気なことで有名だった。
 今も子供だろう。勇者――あのいけ好かない男はそういうかもしれない。まぁ、それは置いておいて。

 生まれ故郷の町は牧畜が盛んだった。
 朝は鶏の鳴き声とともに目覚め、日が沈むとともに眠る、そんな生活。
 けれど、その生活は、だからといって穏やかであるとは言い難い。

 唯一にして無二の問題は、魔物の砦と砦の、ちょうど中間にあるという立地。
 たとえ碌な思考を持たない、生殖と食欲に突き動かされている魔物といえども、見栄や他人に先んじたいという気持ちはあるのだろう。
 お互い競い合うようにこの町へとあの汚らしい手を伸ばすのだ。

 家畜が襲われるだけならまだいい。それが人に及ぶとなると……。

 我が家は代々、町の人々を守る家系だった。護り手、防人などと呼ばれる。
 幾世代を経て受け継がれてきた魔力は、ルーン文字ではなく血液に刻まれている。体中を巡るその力は、アタシの場合、膂力として顕現した。

 楽観的に見れば誰かを守るための力であり、悲観的に見れば刻まれた肉体改造の歴史である。どちらかと問われれば、
 ……どっちだろう。どちらでもあるという答えが許されるならば、そう答えるしかない気がした。

 その日は厚く暗い雲が空を覆い、湿度も高く、嫌な天気だと記憶している。
 かん、かん、かんと三点鐘。火事ではない。まぎれもなく魔物たちが襲ってくる音に違いない。
 アタシは反射的に武器を取った。家族も武器をとる。おばあちゃんは杖、お父さんは剣、お母さんは弓、アタシは鎚。
 見張りの人が駆けてきて、方向とおおよその規模を伝えてくれる。かなりの規模だ。だけど、絶望するほどでもない。

350 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:22:38.30 z4Z7oF2k0 280/1099

 散開。真正面にアタシとお父さん、後ろにおばあちゃんとお母さん。撃ち漏らしのないように。
 町の人々は非難するか、でなければ最終防衛ラインを築いている。
 
 見えたのはゴブリンの軍勢だ。浅黒い肌、尖った耳と鼻、醜悪な顔つき、鋭い牙と餓鬼のような肢体。こん棒や剣のなりそこないをそれぞれ手に、突っ込んでくる。
 鎚を力強く握りしめ、走り、振るう。アタシの仕事はそれだけでよかった。

老婆「……おかしい」

 おばあちゃんが言う。アタシはゴブリンの手首から先を吹き飛ばしながら、尋ねる。

少女「なにが?」

老婆「一気に襲ってくるでもなく、退くでもなく……なんじゃ? なにが目的じゃ?」

老婆「継戦になんの意味が……」

「大変だ!」

 声が背後から聞こえた。背後には町しかないはずだし、門は一つしかない。いったい何が?
 やってきた男性は息を切らしながら、こう言ったのだ。

「ゴブリンども、ならず者たちと手を組んでやがった! 女子供がさらわれて……!」

 さぁっと血の気が引いていくのがわかった。それはきっとおばあちゃんも、お父さんも、お母さんも同じ。
 おばあちゃんが目を剥いた。早口で呪文を唱えながら――アタシにはわかった。おばあちゃんは怒りに打ち震えているのだと――力の奔流を杖の先端に蓄えたまま、ゴブリンの軍団へ歩を進めていく。

351 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:26:03.99 z4Z7oF2k0 281/1099

少女「おばあちゃん!」

父親「逃げるぞ!」

少女「なんで!? おばあちゃんが――」

父親「バカ言ってんじゃない! おふくろ――ばあちゃんから逃げるんだよ!」

 アタシの返事を両親は待たなかった。軽々と担がれたアタシは、韋駄天の速さで町へと引き戻される。
 背後で地鳴り。何故だか心の臓がつかまれたみたいに、きゅっとなった。

* * *

 町は大騒ぎだった。破壊の後こそほとんどないが、ところどころに血や、服の切れ端や、農具、武器の類が散らばっている。

母親「あなた……!」

父親「もちろんだ。助けに行く」

 後から先のことは、覚えていな

 ……いや、覚えているのだ、本当は。
 思い出したくなど、ないだけで。

 ならず者のアジトに辿り着いたアタシたちは、結果として、遅かったのだ。
 狂乱。享楽。饗宴。
 ゴブリンと人が交わっているところなど、見たくなかった。
 同族の血のにおいなど、かぎたくなかった。

352 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:34:50.28 z4Z7oF2k0 282/1099

 ならず者たちは金と女がほしかっただけなのだろう。ゴブリンだって、きっと大差はあるまい。

 なぜ無辜の民が殺されなければならないのか?
 なぜこんな目に合わねばならないのか?

 お父さんが叫び、お母さんが無言で矢を引き絞り、おばあちゃんが呪文を詠唱するその僅かな間隙を縫って、アタシは走り出していた。

 激情。
 激情!

 真っ赤に滾る溶岩は誰しも腹の内に秘めている。普段はおとなしいそれを御しきれなくなったとき、噴火は加速力となって、一気に思考を蹂躙するのだ。

 アタシはそうして人を殺した。
 ヒトであって人でない獣に成り果てた。

――――――

353 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:35:42.53 z4Z7oF2k0 283/1099

――――――

 少女は目を覚ます。
 体が重たい。思考回路がジャムを起こしている。重要な体の神経は絡み合ってぐちゃぐちゃだ。
 夢の中で夢を見ていたような、連続するスライドをずっと眺めていたような、そんな気分である。思わず彼女は自らの頬を触り、次いで手の甲をつまんでみる。

少女「いた……」

 痛覚がある。意識も次第に明敏化してくる。この感覚すらも夢の産物でなければ、確かに自分は夢から目覚めたのだろう。
 と、少女はそこで、自らの居場所が王城でもどこかの宿屋でもないことに気が付いた。
 天蓋――少女はそれを初めて見たため、言葉では知っていても、それが本当に「それ」であるか自信がなかったが――つきのベッドに、彼女は寝かされていたのだった。

 ベッドは柔らかく、体をやさしく包んでくれると同時に、しっかりと受け止めてもくれる。その上に敷かれたシーツもまた上物で、素材は恐らく絹。流れていくような触感がどこかこそばゆい。
 枕も、上にかけるリネンもまた一級品であった。詳しくない者でもわかる程度には。

少女「え、これって……」

 まさかまだ自分は夢の中にいるのだろうか。少女は考える。だって、自分はこれまで王城にいて、何らかの敵の攻撃を受けて、そして――
 そして。

少女「……それから」

 それからの記憶がないのだ。目が覚めたらここにいるということは、繰り返すがまだ夢の中にいるのか、それとも敵に拉致されたか。
 はっとして背中に手をやる。ミョルニルがない。
 豪奢な調度品で埋め尽くされている部屋を見回しても、そぐわない、あの武骨な鎚はどこにもない。

354 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:37:33.82 z4Z7oF2k0 284/1099

少女「うそっ!」

 跳ね起きる。
 頭が急激に覚醒していくのがわかった。あの鎚は代々の家宝だ。そして何より彼女の長年のパートナーでもある。刻まれたルーンは全てを容易く打ち砕き、千の兵士にも劣らぬ力を授けてくれる。
 いや、だがしかし、待てよ。深呼吸をして一度冷静を取り戻した。

少女「そもそも、ミョルニルは部屋に置いてきた。ってことは、王城まで戻らないと、ミョルニルは手に入らない……?」

少女「ミョルニルはアタシにしか使えない。そういう術式になってるはず。……狙いはミョルニル? でも、だとしたらアタシは殺されてる……」

 敵――もうこの際敵と呼んでしまっても差し支えないだろう。敵の目論見が、現時点では彼女にはわからなかった。
 王城でのあの兵士は陽動だったのだろうか。少女を捉えるために、三人を分離させ、隙をつくるための策略だったのだろうか。もしそうならば三人は術中に見事に嵌ってしまったこととなる。

 と、そのとき、扉が開いた。

 開いた扉から人物が入ってくる。上に青磁の水差しとティーカップを置いた丸い盆を右手に、小分けされ和紙で包装された菓子を入れた皿を左手に、鼻歌など歌いながら。
 その人物は一歩部屋に踏み入れ、少女が起きたことを確認して一歩後ずさる。どうやら驚いたようだ。

??「起きていたのか。申し訳ない。ノックくらいすべきだったかな」

??「おっと、すまない、デリカシーがなくて。女の子だものな、寝起きを見られるのは嫌か。あとでまた来るよ」

少女「いや、ちょっと」

 しかし、驚いたのは少女もまた同じだった。

355 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:38:00.39 z4Z7oF2k0 285/1099

少女「訊きたいことはいろいろあるんです、けど」

??「あぁそれはそうだろうな。なんでも答えよう」

少女「……」

 慎重に言葉を選ぶ。尋ねたいことは山ほどあったが、それ以前に気になって仕方のないことがあった。

少女「どっから声出してるんですか?」

 その問いに、漆黒の騎士はくつくつと笑った。

デュラハン「御嬢さんはどうやら中々肝が据わっているようだ」

少女「え、いや、あの、すいません」

デュラハン「いや、いいんだ。ちょっと面白くてね」

少女「はぁ……」

 少女は自分が生返事になっていることに気が付いていない。
 それよりも事態の理解をしようと必死なのだった。豪奢な調度品に彩られた部屋。そこに現れた、茶話会の道具を持って現れた化け物。極めつけは、その化け物が友好的だということだ。
 本来の少女ならば忽ち切って捨てていただろう。が、今は混乱しているということもあり、ミョルニルがないということもある。呆然とした精神は肉体に命令を出さない。

 デュラハンは部屋に備え付けのテーブルの上に盆と皿を乗せた。そして椅子を引いて、その重厚な身体を乗せる。
 ぎっ、と椅子が軋んだ。

356 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:39:32.63 z4Z7oF2k0 286/1099

デュラハン「お腹は空いてないかな? 中々に美味しいお菓子だ。お茶もある。最高級のウバがね」

 毒という単語が一瞬少女の脳裏をよぎる。しかし、少女は自分の腹が食べ物を欲していることに気が付いた。ついさっき食べたような気がするが――どれほど時間が経っているのだろう。
 窓へと目をやるが、カーテンが閉まっていて外の様子を伺うことはできない。つまり、もう夜なのだ。

 夜! 少女は愕然とする。
 朝食を食べてその後すぐに記憶を失ったから、十時間程度は経過していることになる。

少女(ってことは、あいつらはどうしてるのかな……)

 いけ好かない男のことを思う。彼らもここへと連れてこられているのか、それとも別のところにいるのか。

デュラハン「あー、お考えのところ悪いけど、いいかな?」

 話しかけられて、少女は驚き体を震わす。
 それを恐怖と受け取ったのだろう、デュラハンはわかりやすくしゅんとし、悲しそうな声を出した。

デュラハン「ごめん。驚かすつもりはなかったのだが」

少女「いや、全然、そんなんじゃないです!」

 デュラハンから少女は殺意や悪意というものを感じなかった。それは魔族ならば必ず発しているものなのだと思っていた。
 目の前の騎士が、だから安全であると断定することはできない。それでも警戒心を解くには値する。ネガティヴな要素を考えれば、そもそもミョルニルを持たない彼女が、デュラハンに勝てる道理もないという意味もある。

 少女は柔らかいベッドを離れ、騎士の対面へと座る。砂糖の焼けた芳しい香りが鼻腔をくすぐる。

少女「あの、訊きたいことがあるんですけど」

357 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:40:07.29 z4Z7oF2k0 287/1099

デュラハン「そうだろうな。こちらからも言いたいことがいくつかある」

デュラハン「まずはそっちの質問を聞くよ。たくさんあるんだろうし」

 友好的な態度に少女は気勢を殺がれながらも、最低限の警戒は残しつつ、尋ねた。

少女「ここは?」

デュラハン「俺が管理している塔だね。名前はないが、周囲の人間は『必死の塔』とか呼んでいるっけ」

 周囲の人間。少女は心の中で反芻する。やはり目の前の騎士は魔族なのだ。

少女「なんでアタシは、その、必死の塔? に連れてこられたんですか」

デュラハン「それに答えるまでに、自己紹介をしなければいけない」

デュラハン「俺の名はデュラハン。御嬢さんがたが倒そうとしている魔王の配下、四天王のひとりだ」

 大きな音を立てて椅子が蹴倒された。少女は一足飛びで後ろへと下がり、窓をぶち破ろうと体当たりをする。
 しかし。

少女(堅い! これ、魔法の力で強化してある!)

 大きな音を立てるだけで、窓ガラスが破れる気配は一向になかった。
 少女の膂力で破れないとなると、十分すぎるほど十分な魔法がかけてあるのだ。しかも大から小まで重層的に。
 デュラハンは、今度こそ悲痛な声を上げた。

358 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:40:34.07 z4Z7oF2k0 288/1099

デュラハン「……だから嫌だったんだ、名乗るのは。だが、まぁ、仕方がない。わかっていたことだ」

 その態度にも少女は今度こそ警戒を解かなかった。ミョルニルはないにしろ、ぎろりと睨みつける。

デュラハン「誤解を言葉だけで解けるとは思わないが、聞いてもらいたい。俺は別に、御嬢さんに危害を加えたくて連れてきたわけではない」

少女「じゃあ、なに。ミョルニルが目的?」

 デュラハンは大きくため息をついた。

デュラハン「それは一面では真実だ。だけど、俺の目的はミョルニルそれだけではない。御嬢さんとミョルニルのセットが目的なんだ」

少女「アタシと、ミョルニル……」

デュラハン「言葉だけで誤解が解けると思わないと、言ったばかりだな。やっぱり行動が伴わなければいけないか」

 彼が空中に手を伸ばすと、何もない虚空へと手が吸い込まれていく。音もなく腕が空間に埋まっていくのは、何も知らない分には随分と衝撃的な光景であった。
 デュラハンの抜いた腕に握られていたのは、紛うことないミョルニルそのものだ。

デュラハン「王城から持ってきた。返そう」

 と、布団へと放り投げる。柔らかい音とともに神の加護を受けた鎚はその柔らかさに吸い込まれる。

少女「……」

 何か罠があるのではないか。考えながら、それでも一歩ずつ、恐る恐る少女はベッドへ近づく。
 鎚に触れると独特の暖かさがあった。自らの血の暖かさ。少女はそれが贋物ではなく本物のミョルニルであることを理解する。

359 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:41:27.85 z4Z7oF2k0 289/1099


 理解したからこそ、なおさら彼女にはデュラハンのことが理解できなかった。命が目的ではなく、ミョルニルすらも目的ではない? ならば何を目的としてここまでもてなすのか。
 食客として招かれる謂れが少女には全く心当たりがなかった。なぜなら彼女はただの田舎の防人でしかないのである。

デュラハン「疑問は尤もだ。だから俺は、御嬢さんの疑問を解くためにここにいる。そしてそれは俺にとっても利益がある」

少女「……」

デュラハン「俺と手合わせを願いたい」

少女「……え?」

 拍子抜けした。同時に、それが首なし騎士の本心なのか、判断にあぐねた。
 デュラハンは続ける。

デュラハン「我が名はデュラハン。死を告げる妖精にして、武の道を歩む者也」

デュラハン「兵士たちとの戦い、鬼神との戦い、白沢との戦い、俺は全て見ていた。その上で、手合わせを申し込む」

デュラハン「御嬢さんの強さに、俺は興味がある」

 あるはずのない視線が真剣みを帯びていて、少女は思わずデュラハンをまっすぐに見やる。
 手合わせ、つまりは戦いということだ。「勝負」であるのか「試合」であるのかは、彼の言葉からはわかりかねる。

360 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:42:02.94 z4Z7oF2k0 290/1099

 思わずミョルニルを握る手に力が入る少女だった。この世に生を受けて十数年、戦いに明け暮れ、何十何百の魔物を殺し、僅かに同胞をも殺した。それが己の生きる道であり、誇りでもあった。
 では、これはそれが認められた結果だというのか? 考えて、しかし違うと首を振った。デュラハンが求めているのは自らの強さという結果であり、過程には決して目をくれない。畢竟、彼は強ければそれでいいのだ。

少女(は、今更赦しなんてくれるわけもないか)

 自虐的に笑う少女。

デュラハン「もちろん今すぐに、というわけではない。御嬢さんの気が向いた時でいい」

デュラハン「ただ、卑怯なこととはわかっているが、御嬢さんが受けてくれない限り、この部屋から出ることはできない」

デュラハン「衣食住の心配をさせるつもりはない。が、早く受けたほうがお互いのためだとは思う」

少女「……」

デュラハン「無理やり連れてきて、礼を失しているということはわかっているつもりだ」

少女「他のみんなは」
 
デュラハン「アルプの夢からは醒めたようだ。あいつは楽しそうに負けたと言っていたが、半分本気で、半分は負け惜しみなんだろうな……」

少女「アルプ?」

 尋ね返しつつも安堵感が去来する。あの二人はどうやら助かったらしい。現状、王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているのだろう。

361 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:42:48.14 z4Z7oF2k0 291/1099

デュラハン「兵士を操り、御嬢さんを夢の世界に引きずり込んだ張本人。あいつは勇者と狩人に興味があった。俺は御嬢さんに興味があった。だから、協力してもらった」

少女「無事なんだ。そっか。よかった」

 胸を撫で下ろす少女をデュラハンは見つめ、椅子から立ち上がる。

デュラハン「どのみち、今日はもう遅い。俺は去ろう。部屋は自由に使ってくれていい。呼び鈴を使えば、従者が大抵のことは叶えてくれる」

 それだけを一方的に言って、デュラハンは霧のように透けて消えた。
 紅茶と甘味の芳香だけを揺るがせながら。

 少女はその光景を見て、糸が切れたようにベッドに倒れこむ。
 高級な品質のそれを楽しむ余裕などない。それよりも涙が溢れてきて仕方がなかった。
 重力に何とかしてほしいのに、止まらない涙は決壊し、眦から頬を伝ってベッドを濡らしていく。

 考えてはいけないことを考えてしまう。それは今までの人生を叩き折る行為だ。してはならぬ唯一の自虐だ。

 強くなかったらよかったなんて、思ってはいけないのだ。

少女「っ、く、う、うぅ、ぅっく、ひっく」

 歯を噛みしめても喉から嗚咽は零れていく。
 引き攣る喉。眉根は寄り、手は行き所をなくしてミョルニルを握りしめる。

 勇者はどうやって乗り越えたのだろう。もしくは、耐えてきたのだろう。
 唐突に、何の前触れもなく夜に襲い来る、ナイーブ。激情は、獣は、今度こそ自らに牙を剥く。

少女「うぅ、っく、ひっく、くそ、バカ、止まれ、止まれよぅっ……」

362 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/08/28 11:44:51.39 z4Z7oF2k0 292/1099

 少女はあの男が大嫌いだった。大嫌いだったし、大嫌いだ。
 だって、いちいちうじうじしているのだもの。少女は常々そう思っていた。思っていたし、思っている。覚悟を決めて狩人を抱いたからと言って、その評価は何ら変わるものではない。

 けれど結局は同族嫌悪なのだ。その事実を自覚的に無視し、勇者をけなすことによって、少女は自らを遠回しにけなして精神のバランスを取っていた。
 うじうじしているのは自分だろうに。

 誰かを救うってことは、助けるってことは、強くたって難しいよ。彼女は彼に先日そう言った。それは本心で、彼女自身を縛り付ける鎖でもある。
 もっと力があれば人を殺すことなく助けることができただろう。もっと無力であれば、そもそも人を殺せなかっただろう。なぜ中途半端に、人を殺すことでしか人を助けられない程度に強く在ってしまったのか。

 わかっている。人を殺してでも人を助けることができるのは、稀有だ。人を助けられない存在ばかりの世の中においては。
 十を殺しても百を救えれば表彰される。救えたのが十一であったとしても。
 それは確かに誇りであった。誇りという名の杖であった。

 その杖を芯から腐らせたのは自分なのだ。

 しかし、一体どれだけの人間が、そう単純に割り切れるだろうか。

 少女は何とか赤く腫らした目を袖で乱暴に擦る。そうして無理やりにでも涙を止めなければ心に悪い。自らの頬すらも張りたくなるほどに心がひしゃげている。
 なんとかしなくてはならないとはわかっているのである。だが、方法がわからない。手探りで探すしかないとは思いつつも、余りも茫洋としたものが周囲に漂っていて、どれから手を伸ばせばいいのやら。

 腹の虫が鳴った。普段なら恥ずかしくも思うのだが、そんな余裕はない。
 何もしなくても、食べる気がしなくても、腹は減るものだ。徐に紅茶をカップに注ぎ、皿から菓子を掴みあげる。

 どちらも一気に口へ放り込み、嚥下したところで椅子にすっと腰を下ろした。

少女「あま……」

――――――――

365 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:38:47.16 /Y9BHaZa0 293/1099

――――――――

 時は遡り、中天の時刻。
 鬼神が潜んでいた洞穴、その最奥の地底湖において、老婆含む儀仗兵の一団はキャンプを張っていた。一通り調査は終わったが、いくつかの試料の反応検出待ちなのである。
 あれだけ濃度の高かった瘴気はすでに跡形もない。深呼吸をして眩暈が起きるということも、最早ない。

 鬼神が死んだからだと言う儀仗兵もいたが、老婆はそれは違うと考えていた。
 あの瘴気の正体は、老婆が思うに、恐らく陣地構築の産物なのだ。

 指定領域を快適な環境にする陣地構築は、洞穴でキャンプを張るにあたって老婆たちも使用している。洞穴、特に地底湖には、より一層強力なそれが張り巡らされてあった。中途で襲ってきた大ミミズらも影響を受けたに違いない。
 問題は誰が強力な陣地を構築したかと言うことだ。老婆は陣地構築が専門ではないため、詳細についてはそれこそ検出待ちである。ただ、同じ魔法を行使する者として、素直に感嘆を覚えるほどだ。

 外道に堕ちた魔法使い、リッチ、アルラウネ、魔族でも魔法を使える者は多い。今後も油断はできないだろう。
 それこそ、九尾やウェパルの仕業かもしれないのだ。

儀仗兵長「すいません、今よろしいですか?」

 儀仗兵長がテントの中に顔を突っ込んできた。彼女の顔には疲労の顔が濃い。恐らく自分もそんな顔をしているのだろうと老婆は思った。
 頷き、テントの外へと出る。

老婆「どうした?」

儀仗兵長「反応検出については一晩かかりそうです。痕跡削除がこれでもかってくらいにされてます。はっきり言っておかしいですよ、あれ」

 苛立ちよりも驚きの色を強め、儀仗兵長は続ける。

儀仗兵長「慎重なのか、臆病なのかはわかりませんけど……こうなることが初めからわかってたみたいで気味が悪いです」

366 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:39:34.99 /Y9BHaZa0 294/1099

 老婆は何も言わなかった。最初からそうであろうと彼女は思っていたためである。
 恐らく、鬼神は捨て駒だったのだ。経済的にも地政的にもそれほど重要でない町を、鬼神のような上位種が、ある程度の統率で襲うなどということは信じられない。そこを簒奪しないのならばなおさらだ。
 鬼神に指示を出した黒幕がいる。そしてその黒幕は、存在こそ前面に押し出すけれど、尻尾を掴ませるつもりはないのだ。

老婆「……やはり、九尾か」

 ぼそりと呟く。九尾は鬼神に指令を与えた。陣地構築も行った。たった数日間のために。
 九尾の行為の意味と意義を、恐らく老婆は理解できないだろう。しかし、いつかは辿り着くに違いない。そのように九尾はこれまで振る舞ってきたのだ。

 老婆は頭を回す。儀仗兵長は置いてけぼりになっているようだが、知ったことではなかった。

 九尾が黒幕である可能性は限りなく高い。問題は、なぜ九尾が鬼神をけしかけたのかということだ。
 老婆はその答えに辿り着いていた。辿り着いた上で、自分で出した答えだというのに、その答えが全く信じられなかった。歯牙にもかけないほどに嘘であると思っていた。
 それでも打ち捨てないのは、それ以外に真実味を帯びた仮定が出てこないからである。どんなに荒唐無稽な結論が導き出されたとしても、それが論理的な過程で以て、唯一導き出されたものならば、それが真実である。
 しかし、と老婆はやはり素直に首を振れない。

 全ては自分たちを誘き寄せるためだったのだと、誰が信じられるだろう?

367 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:41:37.94 /Y9BHaZa0 295/1099

 ウェパルが目当てだったのかもしれない。そうであれば話は単純だ。ウェパルに執心していた九尾が、ウェパルを自らの元に戻すために策を講じた。比較的規模の大きな事件を引き起こせば調査隊がやってくるだろうと踏んで。
 だが、老婆はもう一つの可能性を案じていた。それはつまり、九尾はウェパル以外の誰かが目当てだった場合である。

 無論、あの時、洞窟へと進軍したのは三つの部隊である。から、九尾の目当てが他の部隊にいた可能性も、一応否定できなくはない。だが他の部隊では九尾の声すら聞いてはいないという。
 もし九尾が、自らのパーティの誰かを目当てにしていた場合、それが一番厄介だった。恐らくイベントは洞穴だけでは終わらないだろう。

――老婆は知らない。この時点ですでに王城は襲撃に遭い、愛すべき孫は連れ去られていることを。
 彼女の仮定は、考え得る中で最悪な、そして迅速な形で現実化していたのだ。

 老婆はさらに思考を深めていく。

 そもそも彼女には理解できないことがあった。彼女らが兵士の一団と戦闘を行った一件である。
 遥か過去のかなたに霞んでいたそれは、やにわに確かな輪郭を伴って目の前へ浮上してくる。果たしてあの兵士たちは何をしていたのか。なぜ町を燃やしたのか。

 老婆が王城へ勤めるよう三人に求めたのはこの件を調べるためでもあった。嘗ての経歴を生かしてシンクタンクとして活動している現在、並行してさりげない聞き込みを行っていたが、あまり有益な情報は得られていないというのが実情だ。
 恐らく、軍の上層部で情報が遮断され、隠匿されているのだ。そして物事を秘匿するのは、それが重要であるからか、でなければ後ろめたいからに決まっている。
 そこに九尾の思惑はあるのだろうか――老婆は考え得る可能性を網羅しようとし始め、そこで儀仗兵長の声がかかる。

儀仗兵長「あの?」

 老婆ははっとして儀仗兵長を見た。どうやら思考に埋没してしまったらしい。

368 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:43:59.42 /Y9BHaZa0 296/1099

儀仗兵長「大丈夫ですか? 体調が悪いなら休んでらしたほうが……」

老婆「いや、平気だ。すまん」

儀仗兵長「なら、いいんですが」

老婆「時に儀仗兵長よ。お前は今の情勢をどう思う?」

 その質問の示すところをすぐには理解できなかったのか、僅かに下を向き、そして顔をあげる儀仗兵長。

儀仗兵長「戦争は不可避だと思います。釈迦に説法だとは存じてますが、隣国との不仲の原因は、情勢不安の面が大きい」

儀仗兵長「敵を外に作ってしまいたいのです。飢饉、資源の枯渇、宗教問題……もちろん全て王家のせいではないでしょう。が、民衆はそんなことはどうだっていいのです」

老婆「かといって、こちらも国力は低下する一方。天候に恵まれないと言ってしまえばそれまでだが……」

儀仗兵長「はい。大変なのはどこも同じです。しかし、隣の芝生は青く見えるもの。民衆のガス抜きも必要です」

儀仗兵長「今は魔族という大きな危機があるため、同盟と称してそちらに戦力を割いてますが、この関係が長く続くとは思いませんね」

老婆「キナ臭いにおいもするしな」

 儀仗兵長は苦虫を噛み潰したような顔をした。

儀仗兵長「誠実であり続けることは難しいですから。糾弾されない程度に一歩先んじらなくては」

369 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:44:32.91 /Y9BHaZa0 297/1099

大きくため息をつく老婆であった。目の前の嘗ての弟子は、今も昔も嘘をつくのが苦手だ。そういう意味では決して上層部には向かない立場の人間である。
 人を動かす人間は、人が動きやすい環境をつくってやらねばならない。換言すれば人が動きやすいような言い訳が必要なのだ。ばれないように、息をするように、耳触りのいい嘘を作れなければ。

老婆「ここから東に半日歩いたところに盆地があるじゃろ。ま、あそこじゃろうな、基地をつくるなら」

儀仗兵長「……」

老婆「前線基地の構築か。ご苦労なことじゃ」

儀仗兵長「わたしは――」

老婆「言うな。お前の気持ちはわかっているつもりじゃからの」

 ぴしゃりと老婆は言った。それ以上喋れば軍規に触れる。作戦の漏洩は、状況問わずに大罪だ。
 儀仗兵長の専門は陣地構築。空気の清浄、浄水、結界、探知、それら全てを内蔵した魔法陣の描写によって、石造りの家屋を一瞬で前線基地へと変貌させることができる。

 儀仗兵長はしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔をあげる。

儀仗兵長「また戦争がはじまります。老婆さん、旅になんて出ずに、このまま王城で戦い続ける覚悟はありませんか?」

 驚きもせず、ただ「やはりか」と老婆は思った。いくらコネクションがあるとはいえ、身元の明らかでない者をそう易々雇い入れるわけがないのだ。
 情報が欲しかった老婆らと、戦力が欲しかった王国。ある種の互恵関係がそこには成立していた。とはいえ、王国側の欲していた戦力は、所詮一介の兵士レベルではない。戦術的ではなく戦略的に役立つ人材を彼らは求めていた。

 だからこその老婆である。彼らは老婆の一騎当千ぶりを知っていた。
 それは彼女にとっては触れてほしくない傷跡であったが……。

370 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:46:06.40 /Y9BHaZa0 298/1099

儀仗兵長「長引けば長引くだけ民草は苦しみます。こちらも、向こうも。早く終わらせるためにはそれだけ強大な力がなければいけません」

 気が付けば、老婆の周囲をぐるりと儀仗兵たちが取り囲んでいた。杖を彼女に向けている。返答如何ではいつでも魔法を打ち込めるぞ――そんな陣形である。
 その気になれば相討ち覚悟で呪文を唱えることは可能だった。だが、その行為にどれだけの意味があるだろうか。虎穴に入らずんば虎児を得ず。リスクを負わずにリターンを求めるのは、何よりのリスク。

老婆「さしずめ、孫たちは人質と言ったところか」

 しわがれた声で老婆が言う。

儀仗兵長「……最初からそのつもりだったわけではありません」

老婆「ま、そうじゃろうな。上に性根の拗けたやつがいるのじゃろ、大方」

老婆「魔族は滅ぼすのか」

儀仗兵長「はい」

老婆「隣国もか」

儀仗兵長「……」

 儀仗兵長は言葉に詰まる。彼女が王国の生まれでないことを老婆は聞いたことがあった。隣国なのか、それとももっと向こうの公国、宗教国、交易国、その他諸々のどこかなのか。ともかく、王国が覇道を往かぬ確証はない。

371 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:46:40.55 /Y9BHaZa0 299/1099

 たっぷりと間を取って、儀仗兵長はうなずく。強く。

「はい」

儀仗兵長「やる前にやらなければいけません。魔族との戦争を盾に、今のうちに隣国との国境付近に、準備をしておかなければ」

 魔族との戦争など所詮は隠れ蓑にすぎないのだと行間で主張していた。
 無論、魔族との戦争は不可避だろう。もともと彼らは魔族を潰すつもりであった。が、それは行きがけの駄賃にすぎない。本懐は別のところにある。

 老婆は両手を挙げた。降参のポーズである。

老婆「仕方がない。手伝うしかないなら、手伝うしかないか」

儀仗兵長「恩に着ます」

 脅しておいて白々しい。が、儀仗兵長を責める気にはならない。組織に属するとはそういうことだし、何より老婆自身、いくつもの悪事を働いてきた。それを思えば脅迫など大したことではない。
 それよりも、大義名分があることが何よりの問題なのだと彼女は思っている。大義は罪悪感を使命感へと転化する。その二つの本質が異なっていようとも、半透明の膜で包んでしまうのだ。
 そして使命感は人を狂わせる。行きつく先は目的のためなら手段を選ばない、非人道的な効率化だ。

儀仗兵「兵長! た、大変です!」

372 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:47:56.59 /Y9BHaZa0 300/1099

 儀仗兵の一人が通信機を片手にやってくる。顔面蒼白の顔は、まるで死人のそれだった。
 ぴりりとしたものが走る。何かあったのだ、と一瞬で全員が理解した。

 本来であればそれは小声で話すべき事態だったのだろう。が、儀仗兵にはそれほどの余裕はなかった。
 責任は彼にこそあれど、責めることはできない。

 儀仗兵は儀仗兵長に捲し立てる。

儀仗兵「魔族と隣国が手を組み、王城を強襲したとの報告が!」

 その場にいた全員が凍りついた。

老婆「どういうことじゃっ、儀仗兵長! 同盟を組んでいるんではなかったか!」

儀仗兵長「そうですよ、そのはずなんです!」

 やや遅れて儀仗兵たちがざわつきだす。いや、ざわつくというよりも、それは聊か悲鳴にも似ていた。このタイミングでの王城の強襲は誰にとっても予想外でしかない。

儀仗兵長「敵の情報攪乱じゃないの!?」

儀仗兵「専用の魔法経路を使って飛んできた通信魔法です、これが情報攪乱だったら、
俺はもうどうしようもないですよ!」

 涙目で言う儀仗兵であった。
 受けて、儀仗兵長も老婆も黙り込む。そして黙り込んだ二人を見て、儀仗兵たちもまた黙り込んだ。二人が思考を巡らせていることを察したからだ。

373 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:49:29.03 /Y9BHaZa0 301/1099

 通信魔法に指向性を持たせる場合、魔法経路を敷くことによって可能にする。魔法経路は儀仗兵長謹製のもので、幾重にも障壁がかけられている。この魔法経路に情報攪乱がなされたなら、それだけで敵は戦争に勝てるだろう。
 ならば王城の強襲は事実であり、その報告は正しい。そこまで考え、老婆は眉を寄せる。
 ほぼ同時に儀仗兵長も同様の事実に思い当たったようで、老婆と顔を見合わせる。

老婆「お前、敵の本拠地に、転送魔法で軍隊を送り込むということは可能か?」

儀仗兵長「理屈だけなら、可能です。私はできませんが」

老婆「そうじゃ。わしにもできん。しかし、なんでこのタイミングで……?」

 二人が言っているのはこういうことである。
 まず、情報が真実であるならば、王城が強襲されるだけの戦力が投入されたことになる。城下町は巨大な都市だ。兵士も多く、迎撃用の装置や堀もきちんと整備されている。そんじょそこらの村とは勝手が違う。
 ここで一つの疑問が生まれる。それだけの戦力をどうやって移動させたのか、ということである。

 十人程度ならば見つかることなく王都までたどり着けるかもしれない。国境に関所はあれど、長い壁があるわけでもなし、比較的難しい話ではない。
 だが、それが数百ならばどうだろう。密かな移動ができない状態で王都まで移動すれば、当然目立つ。そんなものを見逃すほど王国の監視体制はざるではない。

 老婆は舌打ちをした。理屈が実践に勝るときもあるが、今はTPOが違う。

374 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/03 18:49:57.00 /Y9BHaZa0 302/1099

老婆「誰からの報告じゃ」

儀仗兵「それが、そのっ!」

 儀仗兵は慌てて告げる。
 彼は決して老婆の迫力に負けたのではなかった。それよりももっと大きな何か、端的に言うならば、未曽有の不理解と戦っていたのだ。

儀仗兵「王からの直通です!」

儀仗兵長「っ!」

老婆「うさんくさいなどと、言っておれんな」

 老婆は杖を振った。と、地底湖全体を覆い尽くすように、巨大な魔法陣がうっすらと光を放ち始める。

老婆「全員着地の衝撃に備えろ! きちんとした座標指定をする暇など、最早なくなった!」

老婆「転移魔法――王城に戻るぞ!」

――――――――――――

378 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:04:40.10 mCa2nlGM0 303/1099

――――――――――――

 ざく、と砂利を踏みしめる音で、そこが王城の中庭、枯山水だと気が付いた。着地に失敗した兵士たちは腰を大きく打ち付け、顔を歪めて摩っている。
 老婆は全く彼らに気をやる余裕がなかった。周囲を見回して今一度場所を確認し、大股で王城へと続く扉をくぐる。慌てて儀仗兵長が追うけれど、それも無視だ。
 ずんずんと歩く老婆。彼女の目の前の扉はまるで彼女にひれ伏すかのように、近づくだけで音を立てて開く。

 ひときわ大きな音を立てて大広間につながる扉が開いた。精緻な細工の施された巨大な柱が二本あり、高い天井を支えている。赤い天鵞絨の絨毯の両脇には槍を持った衛兵が立っており、闖入者を阻む。

老婆「退けぃ!」

 一喝で二人が吹き飛んだ。周囲で見ていた衛兵が急いで駆け付けようとするが、体はピクリとも動かない。見えない糸で雁字搦めにされているような。

 背後で見ていた儀仗兵長にはわかる。詠唱破棄した魔法の連続使用。日常生活で用いる必要のないそれを惜しげもなく用いるだなんて、溜息が出るほど埒外だった。
 が、それは換言すれば、老婆が埒外なのではなく現状が埒外なのである。儀仗兵長もそれをわかっているからこそ、老婆を止めようとはしない。

379 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:05:31.69 mCa2nlGM0 304/1099

 老婆は段差の上、玉座に座っている白髪白髭の老人に対し、叫んだ。

老婆「国王、隣国が魔族と手を組んだというのは、どういうことですか!」

国王「そのままの意味だ」

 老人――国王は豊かな眉を動かさず、重厚な声で言う。

国王「本日の午前に、兵士たちが操られる一件があった。幸いにも死者はゼロ。報告を聞けば、どうやら四天王のアルプによるものらしい」

老婆「それは、本当なのですか」

国王「疑わしいのなら、ほら、聞けばよい。そこにいる」

 顎をしゃくって示した先には、勇者と狩人が立っていた。
 手錠をかけられた姿で。

勇者「……」
狩人「……」

 もちろん老婆は気が気ではなかった。二人に手錠がかけられている理由を全く理解できなかったからだ。

380 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:06:16.12 mCa2nlGM0 305/1099


老婆「これはどういう……」

国王「そこの二人は幻術にかからなかったらしい。そこの二人だけが幻術にかからなかったのだ。アルプと何らかのつながりがあると想定し、万一を考えている。

老婆「つまり、二人がアルプを手引きした、と?」

国王「儂は王だ。この国を統べ、民の安全を守らねばならない義務がある」

 念には念を、ということなのだろう。王の理屈も理念も老婆には痛いほどよくわかったが、心中は決して穏やかではなかった。
 努めて落ち着こうとして、息を細く吐く。

老婆「して、隣国と組んでいるという証拠は」

国王「それについては、残念ながらない」

老婆「王!」

 思わず声を荒げた。
 証拠がないにもかかわらず、隣国が魔族と手を組んでいるなどと仮定するのは、侮辱以上のなにものでもない。いや、ともするとそれ以上の可能性もありうる。
 老婆の知る国王は無鉄砲な男ではなかった。無節操な男でもなかった。思慮深く、智慧に富み、国と民のことを何よりも重視する男だった。

しかし今はどうだろう。彼の考えていることが、老婆にはわからない。

381 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:06:53.79 mCa2nlGM0 306/1099


国王「確かに我々は魔族と争いを起こそうとしている。小競り合いは激化し、砦の攻防も、ないわけではない」

国王「が、四天王がいきなり王城に攻撃を仕掛け、あまつさえ途中で引くなどありうると思うか? スタンドプレーを許すほどには、魔族はばらばらではないだろう」

国王「隣国が何らかの目的をもって、アルプを使ったのだ。おそらく。でなければ、それこそその二人が先導したか……」

 余裕を持った表情のまま、国王が勇者と狩人を見る。

 二人の表情は、息苦しさと苛立ちこそあれど、確かに強さがあった。権威や衛兵の数にもひるまない意志の強さが。
 いや……老婆は違和感を覚える。二人の表情が老婆に示すこと。気が付かなければならない大切なこと。

 孫が――少女がいない。

 その事実に意識を奪われそうになるが、なんとかベクトルを王との会話に振り戻す。おざなりで会話をしていい相手ではないのだ。
 何より彼は老婆を脅迫しているのだから。

382 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:07:21.97 mCa2nlGM0 307/1099

 老婆は王の先ほどの言葉で理解した。隣国と魔族が結託しているなど、王自身が微塵も信じていないのだと。不信の上で、国の行く末をアジテイトしているのだと。
 否。それはアジテイト、煽動ではない。王のまっさらな瞳がそれを物語っている。彼は確かに往年のままだ。往年のまま、思慮深く、智慧に富み、国と民のことを何よりも重視している。

 しかし、と老婆は唇を噛んだ。水清ければ魚棲まず。まっさらな瞳が見据える世界は、あまりにも苛烈だ。

 王は一足飛びに目的を果たそうとしている。
 魔族と隣国が手を組んでいるのだとでっち上げ、それを旗印に攻め入るつもりなのだ。開戦の口火を切るつもりなのだ。

 それが果たして許されるのだろうか。国と民のためでは、確かにある。が、方法としてそれは善き方法か。
 王は言うだろう。善悪は些末だ、と。

 そして老婆はそれを否定できない。

 なぜなら、彼女もまた、善だの悪だの語れるほど崇高な立場にはいないから。
 人を殺して生を掴んだ人間に語れることなど、何一つないから。

383 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:09:21.64 mCa2nlGM0 308/1099

「……」

 王は無言を通じて老婆にこう語りかけている。「仲間を殺して儂に刃向うか、儂を見過ごして仲間を救うか」

 異を唱えれば、王は魔族との内通者として二人を処刑できる。二人がアルプの魅了から逃れられたというのは事実なのだろう。だから二人も黙って捕まっているに違いない。

 老婆は結局、無言を貫いた。

 王を見逃すことになっても、老婆は二人を救いたかった。連れてきたのは自分であるという責任感と、戦争までの猶予で何かできることに賭けたのだ。

「儂は軍備を指揮せねばならない。そのために、老婆、お前を手元に置いておきたい。手伝ってくれるな」

老婆「……御意」

「そこの二人の手錠を解け。解放だ」

 王が言うと、すぐに二人の手を縛っていた金具が外された。押し出されるように老婆の前にやってきた二人は、悲痛な面持ちで言う。

狩人「少女が……」

勇者「すまん、俺たちのせいだ」

384 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:10:01.95 mCa2nlGM0 309/1099

老婆「王、この二人の話を別室で伺ってもよろしいでしょうか」

国王「許す。必要になったら呼ぶ。それまでは自由にしていてよい。洞穴の調査もご苦労であった」

老婆「ありがたきお言葉でございます。報告は儀仗兵長、その他儀仗兵に任せてあります」

 背後で儀仗兵長が肩を竦める。管理職は大変です、と唇の端を軽く吊り上げ、溜息をついた。
 申し訳ない、と老婆は済まない気持ちでいっぱいだった。儀仗兵長とて老婆と王のやり取りの深い意味をわからないわけではない。しかし彼女はとうに骨を王城にうずめる覚悟をしていた。

 王が立ち上がり衣の裾を翻したのを見て、老婆も転移魔法を唱える。一瞬で空間が歪み、体が空中へと放り出される。

 とある部屋へと転移していた。分厚い本が山積し、広い。兵士の詰所の倍以上ある広さは、権力のある人間の部屋だと一目でわかる。

狩人「ここは?」

老婆「わしの部屋じゃ」

勇者「随分と広いな。さすがって感じだ」

老婆「それで」

 一秒の時間も惜しいと老婆は勇者に詰め寄る。すぐに勇者も真剣な顔つきになって、

勇者「あぁそうだな」

385 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:12:48.68 mCa2nlGM0 310/1099

勇者「実はアルプが……」

 と事の顛末を話しだす。

 兵士たちが操られていたこと。
 夢の世界に引きずり込まれたこと。
 狩人が夢の世界から助けてくれたこと。

 アルプと相対したこと。
 アルプが不思議なセリフを吐いていたこと。

 そして。

勇者「少女は、どうやら連れて行かれたらしい」

老婆「……なぜじゃ」

勇者「わからん。ミョルニルが狙われた可能性はあるけど、本人を連れて行く必要はないだろう」

 顎に手をやって幾許か老婆は考え込んでいたものの、現状はあまりに手がかりが少なく、それではどうしようもなかった。
 が、解決しなければいけない事案であることも確かだ。もし懸念が正しければ、この国はそう遠くないうちに戦火に包まれることとなる。そうなってからでは十分な対策は施せない。

386 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:15:21.05 mCa2nlGM0 311/1099

勇者「ばあさん、戦争が始まるまで、猶予はどれだけある?」

老婆「あまりない、というのが率直な感想だ。もともと対魔族用に準備はしていた。補給所の敷設、道路の拡張などをこれから行うとしても……ひと月もかかるまい」

老婆「恐らく、王はかねてから機会を伺っていた。秘密裡に隣国用の準備を進めていたとしてもおかしくはない」

老婆「本当に最速で、国民の周知と非難を含めても、一週間、か」

 勇者と狩人は息を呑んだ。まさかという思いと、あの人物ならやりかねないという思いがないまぜになっている

老婆「映像魔法を使えば遠隔地まで情報など簡単に行き渡る。王の発表は偉大じゃ。事実かどうかにかかわらず」

 それはつまり言ったもの勝ちということである。隣国が魔族と手を組んでいるのかなど民衆にはわからないのだから。
 すべての因果関係がわかるのは、戦争が終わったとき。そしてその時にはもう、歴史の正誤なぞは曖昧に違いない。

 なんという――なんという人間の恐ろしさか!

 勇者は頭を振った。ここまで来ては、善悪で物事を測れる範疇を凌駕している。統治行為論という単語が、彼の頭で明滅を繰り返す。

 と、老婆の腰に据え付けられていた通信機から、砂嵐交じりの声が鳴り出す。

??「あー、あー、テステス、聞こえますか聞こえますか、どーぞ」

老婆「聞こえておる。そちらは誰じゃ。名前と所属と階級を答えてくれ。どーぞ」

??「アルプ。魔族の四天王です。どーぞ」

狩人「何しに来た、クズ」

387 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:20:26.73 mCa2nlGM0 312/1099

 驚愕する老婆と勇者を尻目に、狩人は冷ややかな声で返した。
 ノイズ交じりの、しかしよく聞けば確かにアルプの声が、通信機から響く。

アルプ「うっわ! つれねーなー、つれーなー。同じ学校に通った中じゃにゃーの」

狩人「御託はいい。そっちからコンタクトをとるってことは、要件があるんでしょ。少女のこと?」

アルプ「あー、そっちじゃないんだけどね。でも気になる? 気になるか。教えてあげてもいいよ」

 あまりにもあっさりとしたアルプの物言いに、三人は同時に眉を顰めた。少女を攫ったのはアルプではなかったのか。それとも、誰かに頼まれてアルプが手助けしたのか。
 どのみちあの夢魔は気まぐれで、その事実を特に二人は承知していた。快楽主義者ゆえの無鉄砲さに乗っからない理由は、少なくとも現時点ではない。何しろ彼らは少女が必死の塔にいることすら知らないのだから。

 三人の戸惑いなど意に介さず、アルプは続ける。

アルプ「女の子は必死の塔にいるよ。川沿いを下った先、共和国連邦との国境付近だね」

 勇者は視線で二人に尋ねる。聞いたことがあるか? と。
 頷いたのは老婆だった。噂だけだが、と前置きして、

老婆「魑魅魍魎の類が巣食っている、との話は聞いた。名うての者どもが束になって攻略しようとしたが、ついに誰も帰ってこなかった」

老婆「ゆえに名前が『必死の塔』」

勇者「ってことは、つまり、そこにお前らの仲間がいるわけだな」

アルプ「きみたちの仲間もね」

 一瞬の間。
 狩人は気を取り直し、鋭く詰問する。

狩人「で? 何が目的なの」

388 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:23:37.26 mCa2nlGM0 313/1099

アルプ「あぁそうそう、そっちの王様さ、あることないこと言ってるじゃん。私たちが他国と結託してどうとか、こうとか」

 老婆は小さく「情報は筒抜けか」と呟いた。
 王城は特に限界な防衛魔法がかけられている。それを突破して千里眼を行えるのは、よほどの術者だけである。

 とはいえ、彼女はそれを半ばわかっていた。信じたくないことではあったが、洞穴の陣地構築や、アルプの侵入のことを考えれば、それもやむなしといったところだろう。魔法経路をジャックしてのこの会話だって、つまるところそういうことなのだ。
 より一層守護を強化せねばならないが、それがどれだけ役に立つか、老婆には疑問だった。

アルプ「人間同士が争うのは構わないけど、魔族を巻き込まないでほしいんだよね。そういうのは、なんてーの?」

アルプ「癪に障る」

勇者「っ!」

 ぞわりとした感覚が肌を撫でた。勇者らは思わず体を退き、壁に背中を押しつける。
 本能が発する警告は黄色。「警戒」色のそれは、アルプと対峙していなくてよかったと素直に思える程度に、心臓を高鳴らせている。

 おどけた様子で、序列こそ四天王最下位ではあるが、アルプはそれでも四天王である。

 ひんやりとした煉瓦が冷や汗を吸って黒ずむ。

389 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:25:20.39 mCa2nlGM0 314/1099

アルプ「そこで一つお願いがあんだけどさー」

老婆「お願いとは、随分下手に出たものじゃな」

アルプ「九尾が言ってたおばあちゃんだね、よろしく。なんだっけ? あ、そうそう、お願いお願い」

アルプ「あんまりやりすぎないで欲しいの」

老婆「やりすぎない、とは」

アルプ「そのままの意味。どっちかが滅んだりするようなことがあれば、隙を見てこっちも……なんつーの? 侵略だーってなっちゃうから」

アルプ「そっちにも都合と事情はあるっしょ? その辺は見て見ぬふりするからさぁ……せめて水源地とか、領土争い程度にしてもらいたいなって」

老婆「どういうことじゃ?」

アルプ「どういうことって?」

老婆「お前ら魔族が人間に干渉する理由がわからん」

アルプ「そっち同様に、こっちにも都合と事情があるっつーことだね。っていうか、だめだー、私はこういうの向いてないんだわー」

アルプ「だからさぁ、ね、喋るの変わってよ、九尾」

 通信機の向こうで何やらごそごそと音が聞こえてくる。ノイズではない、衣擦れにも似た音だ。
 それきりアルプの声が途絶え、通信機は沈黙を続けている。ラインがオンになっているため、通信そのものが切れたわけではない。

390 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:25:56.47 mCa2nlGM0 315/1099


 ややあって、もう一度大きな雑音が入り、唐突に通信がクリアになった。

九尾「もしもし、聞こえているか。九尾だ」

 幼ないながらも老成した口調が通信機から漏れる。三人は先のアルプのそれとは異なる重圧を確かに感じつつ、通信機をまっすぐに見据えた。

老婆「儂が応対する」

 二人が頷く。古来より狐は人を騙す。九尾の口八丁手八丁を警戒しているだろう。

老婆「九尾か。この間、言葉を交わしたな」

九尾「そうだな。洞穴の調査ご苦労」

 それすらもばれているのか、と老婆は舌打ちをした。どこまで見えているのか全く理解できていないようだ。

九尾「早速本題に入ろう。とはいえ、大まかにはアルプの言ったことと同じだ。あまり戦争が激化するような事態はこちらとしても好ましくない」

老婆「何か理由があるということじゃな」

九尾「そう受け取ってもらって構わない」

老婆「儂らの力だけでは戦争のコントロールなどできない。もし激化した場合にはどうする」

九尾「魔族が襲うだろうな」

老婆「優勢なほうを? 劣勢なほうを?」

391 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:26:23.32 mCa2nlGM0 316/1099

九尾「なぁ」

 老婆が警戒しているのはわかったが、このような会話では埒が明かない。九尾はため息交じりに言葉を紡ぐ。
九尾「九尾は別に腹の探り合いがしたいわけではない。こちらがしたいのは取引だ」

老婆「……わかった。一応国王には進言してみる。が、信じてもらえるかどうか」

九尾「その時はその時だ。いくらでも脅迫できる」

九尾「もう一度アルプをけしかけてもよいし、九尾が出て行ってもいいな」

老婆「お前から王に話をつけることはできないのか。そちらのほうが簡単だろう」

九尾「九尾が? 勘弁してくれ。それに、向こうが嫌がるだろう。魔族と関係があると疑われるだけでもマイナスイメージだ」

 そもそも、老婆が九尾をはじめとする四天王と会話をできていること自体が問題なのではあるが。

九尾「こちらには目的がある。そのために、九尾も活動している」

九尾「派手なことをされても困るんだ。色よい返事を期待しているぞ」

老婆「おい、待て――」

 一方的に告げて、今度こそ本当に通信が切断される。聞こえてくるのは砂嵐の音だけで、矯めつ眇めつしても再度連絡が入ることはない。
 老婆は無言で背後の二人を振り向いた。二人はそれを受けて、ようやく緊張が解けたのか、大きく息を吐き出す。

392 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:28:17.21 mCa2nlGM0 317/1099

勇者「なんていうか……大変なことになってきたな」

老婆「今更だがな。しかし、問題はあちらの目的がわからないことじゃ」

狩人「考えたってしょうがないよ」

 軽く組んだ自分の手に視線を下し、狩人はぽつりと、けれどしっかりと地面に着地した言葉を吐く。

狩人「考えたってしょうがないよ」

 繰り返し、ふっと笑った。
 勇者にはわかった。狩人の言葉は、決して思考の放棄ではないということに。言うなれば決意の表明なのだ。例え何が起ころうとも、全力で当たるしかないのだという。

 勇者と老婆もまた笑った。その通りでしかないと思ったからだ。

 どんな遠望深慮も十重二十重の謀略も構わず打ち砕く。
 権謀術数を弾き返すためには鋼だけでも柔皮だけでも不足だが、そんな強さをこのパーティなら得られると、彼らは信じていた。
 そしてその強さを得るためには、一人足りない。

 物事が全て加速していく中で、変わらないものなど存在しない。それでも彼らは確かにもう一人の存在を欲している。
 必死の塔に囚われた少女。

393 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/19 14:34:46.56 mCa2nlGM0 318/1099

 差し迫る戦争の脅威と彼女を助け出すことは決して両立しえない。が、少女なしでどうして自分たちが戦っていけるだろうかと、勇者は思った。
 なんとかせねばならぬ、とも。

 九尾の思惑を彼らは当然知らない。正体不明に立ち向かうのは相当の勇気がいることである。が、彼らならば必ずや全てを乗り越えてたどり着けることだろう。

 老婆は膝に手をついて「どっこらせ」と立ち上がる。

勇者「年寄りくさいぞ」

老婆「実際に年寄りじゃ、気にするでない」

老婆「それとも、お前が精気をくれるか?」

 深いしわの刻まれた手が勇者の腕を取ろうとするも、寸前で狩人が抱きしめる形で腕を横取りする。

狩人「だめ」

 恥ずかしいやらうれしいやらで勇者の顔がみるみる赤くなっていく。
 狩人本人はどうやらいたって真面目なようだ。無論老婆は単なる冗談のつもりだったのであるが、真面目というより融通が効かないというべきか。
 いや、単に愛のなせる業かもしれない。

 老婆は喉の奥から笑い声を漏らす。

老婆「仲良きことは素晴らしきことかな、じゃ」

 そう言って、扉を開けた。

勇者「……王のところか」

老婆「心配せんでもよい。付き合いは長い。何とかしてみせるさぁ」

 困ったような顔をしていたが、勇者はあえて何も言わず、そのまま見送った。

―――――――――――――――――

395 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:17:12.88 JMA/K7S50 319/1099

―――――――――――――――――

 質素な部屋、そして簡素な部屋。
 板張りで、床には絨毯こそ敷いてあるが、決して上等なものではない。黄土色に白で抜く形で稲穂の図柄が織り込まれている。
 九尾は何よりその図柄が気に入っていた。

 部屋には陣地構築の魔法がかけてあるため窓はなくとも空気は清潔だし、壁自体がうっすらと光を放って採光にも困らない。
 長期間部屋にこもりっぱなしになることもままある身として、これ以上便利な部屋はないといってよい。

 ベッドの上ではアルプが暇そうに転がっている。そう見えるだけで実際暇ではないはずなのだが、半日も居座られるとアルプの役割と役職を忘れそうにもなる。

九尾「お前は反省が足らんのか?」

 椅子を回して視線を向ければ、アルプはベッドに突っ伏した。顔を隠すように。

アルプ「ごめんってー。あいつが逆手に取ってくるなんて思わなかったんだよー」

 あいつとはかの国の王のことである。聡明で、小賢しい男。九尾は一人の人間として彼を評価してはいたが、目の上のこぶでもあった。
 とはいえ行動原理は単純で、ゆえに読みやすくもある。

396 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:17:46.19 JMA/K7S50 320/1099

アルプ「でもでも、勇者くんたちに接触できたし、なんとかなるんじゃないの?」

九尾「そうだといいがな。二の矢、三の矢は番えておいて損はない」

アルプ「ウェパルとデュラハン?」

九尾「あいつらは九尾に協力してはくれまいよ。いや、魔族はそういう生き方しかできない、か」

 哲学的なことをぽつりと吐いて、続ける。

九尾「アルプ、お前、一度に何人くらい魅了できる?」

アルプ「んー、試したことないけど……100人とか?」

九尾「上出来だな」

 尻尾がぱたぱたと揺れる。自らの意思に反して動く九本の尾――今は七本しかないが――は、どうにも直情的である。それは九尾のキャラではないとは思っているのだけれど。

九尾「不穏な動きがあれば引っ掻き回してやれ。千里眼と読心術でサポートする」

アルプ「あいあいさー!」

アルプ「でも、本当に二人に協力を要請しなくていいの? 戦力は多いほうがよくない?」

九尾「あいつらは所詮魔族だ。衝動からは逃れられん。九尾やアルプも含めてな」

397 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:18:39.99 JMA/K7S50 321/1099

九尾「それに、どうせ言ったって聞きやしないのさ。夢中になれるもののあるうちはね」

九尾「予定に少々狂いは生じたが、まだ十分リカバリーの範囲内。ゆっくり衝動の射程圏内に引きずり込んでやるのさ」

アルプ「へー、すっげーなー。私にゃ全然わからん」

 わからないといいつつも、至極楽しそうにアルプはベッドで転がる。彼女は「楽しそう」という感覚だけで楽しむことのできる人間――否、夢魔である。
 それが夢魔としてもともと持ち合わせている気質なのか、それともアルプ自身の性質なのかは、流石に九尾といえども知らない。夢魔族は殆ど滅亡しかかっているためだ。

 九尾はアルプにも計画の詳細を教えていない。
 その理由はいくらかあるが、まず彼女自身が計画に興味を持たないという点。
 そして目的の達成は複数の錯綜した臨機応変な手段によって成されるため、一口での説明ができないという点が大きかった。

398 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:19:29.04 JMA/K7S50 322/1099

 目的だけならアルプも知っているし、それこそウェパルもデュラハンも、九尾が何をしようとしているのかという情報は耳に入っているはずだ。
 が、ウェパルは衝動と恋慕の情の間でにっちもさっちもいかなくなっている。デュラハンは少女を攫って決闘を申し込んだ。それどころではないらしい。

 どこまで無関係でいられるだろうか。まるで並べたドミノの最初の一枚を倒す心持ちだった。どんなに離れた場所にあるドミノであっても、連鎖からは逃げられない。

 すでに連鎖は始まっている。九尾にできることは、いまだ倒れていない部分の不具合を見つけたとき、ちょっとずらしてやる程度だ。それ以上のことは神でもなければ。
 そう、九尾は神ではない。万能とも思える魔法を行使できても、なお。そしてそれをしっかりと自覚している。

 分を弁えること。そして、背丈よりもわずかに高いところへ手を伸ばすこと。それが秘訣。

アルプ「しっかし、頑張るねぇ」

九尾「頑張るって……九尾がか?」

アルプ「ほかにいないじゃーん」

九尾「そんなつもりはないのだがな。これは九尾がやらねばならない責務だ」

アルプ「ふーん。ま、頑張ってね」

399 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:20:05.62 JMA/K7S50 323/1099

 アルプがようやくベッドから起き上がり、扉を押し開ける。

アルプ「ちょっと見張ってくるよ。隣の国も何やらかすかわからないし」

九尾「任せたぞ」

アルプ「任されたよ。じゃ、お互いしっかりやろーね」



九尾「魔王の復活のために」
アルプ「魔王の復活のために」



400 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/20 11:20:56.50 JMA/K7S50 324/1099

 静かに扉が閉まった。アルプの足音すらも聞こえない静寂の中、部屋の隅を見つめる。
 そこには体を拘束された人間がいた。睡眠魔法の効果でぐっすりと眠っている。

 どこにでも見られる一般的な服装だ。布の半ズボン、シャツに綿の上着を軽くひっかけた状態。恐らくどこかの村民か町民。
 年齢は二十前後だろうか。線の細い女性である。

 九尾はこの程度の人間を最も好んでいた。

 椅子から降り、つかつかと近づいて、

 合掌――胸の前で手を合わせ、

九尾「いただきます」

――――――――――――――

407 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:48:22.78 KyMiL0240 325/1099

――――――――――――――

 ゆっくりと扉が押し開かれる。入ってきたのは老婆で、その顔色は優れない。
 言葉を聞かずとも、芳しい結果でなかったのは明らかだった。

勇者「だめだったか」

老婆「一応考慮に入れておくとは言っていたが、本当に『一応』だろうな」

狩人「あの人なら、攻められても倒せばいいとか思ってそう」

勇者「それはありうるな」

老婆「あいつは勝ち目のない戦いをするような男ではない。それに賭けるしかないじゃろう」

 そうして老婆は椅子へと腰を下ろし、

老婆「で、孫娘の話なんじゃが」

 やおらに三人が真剣な顔つきとなる。
 それまでが真剣でないとは決して言えないが、それでも表情のほどは異なっている。

 少女が必死の塔にいるとアルプは言った。その点についてアルプが能動的に嘘をつく必要はないため、真実であろうと三人は判断している。
 問題は、なぜ必死の塔にいるのか、である。理由がわからければ優先順位もつけられない。

408 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:49:08.66 KyMiL0240 326/1099

 生命が危険に晒されているならば一刻も早く助け出しに行かねばならない。が、価値ありとして囚われているだけならば、決して拙速を尊ぶ必要はないだろう。
 すでに少女が姿を消してから半日以上が経過している。行動は起こさないまでも、行動の方針を固める必要があった。

勇者「どう思う?」

狩人「アルプが事件を起こしたのは、そもそも少女を攫うのが目的だったのかな?」

勇者「そんな感じはしなかったな」

狩人「うん。多分、利害が一致したんだと思う」

老婆「攫うということは、あやつに対して用があったんじゃろうな」

狩人「その用について何も思い当たることはないの?」

 老婆は顎に手を当てて暫し熟考していたが、やがて首を横に振った。

老婆「有り得るのはミョルニルじゃが……あれはあやつにしか使えない。そういう術式が組まれている」

勇者「それを何とかするために、って可能性はないのか」

老婆「ないわけではない、が……そんじょそこらの武器ではないといえ、あの強さは腕力に起因する部分が多いからのぅ」

老婆「魅力がある武器かと尋ねられると、どうだろうな」

409 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:51:04.31 KyMiL0240 327/1099

狩人「でも、ミョルニルが目的にしろそうでないにしろ、攫われたってことは何らかの用があった。それは確か」

 勇者と老婆は頷いた。その意見に否やはなかった。
 少女は決して恨みを買うタイプの人間ではない。もしどこかあずかり知らぬところで恨みを買っていたとしても、その場で殺してしまえばよかっただけだ。

 わざわざ手間をかけてあの膂力の持ち主を攫ったのは、それに値する目的が犯人にはあったに違いない。三人の考えは同じだった。

勇者「っていうことは、すぐに殺されたりは、しない、か……?」

老婆「死ぬよりも辛い目にあっている可能性はあるが」

狩人「拷問とか、そっち系」

勇者「……やめろよ、そういうの」

 露骨に嫌そうな顔をしたのは勇者である。が、老婆も狩人も、あくまで可能性として淡々と進める。

老婆「何度も死んだくせに、こういう話に耐性はないんじゃな」

勇者「死ぬことと痛みを伴うのは別だ」

勇者「俺だって情報を得るためにそれくらいしたことはある。けど……冷静になって言葉として聞くのは、なんというか、威力が違う」

老婆「いいか、よく聞け」

 勇者にずいと顔を近づけ、目を見開き、老婆は言う。

410 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:51:45.18 KyMiL0240 328/1099

老婆「目的のためなら手段を択ばないということは往々にして有り得る。そして情報は一人の苦痛を犠牲にしても手に入れる価値がある」

勇者「……わかってるよ」

老婆「いや、お前はわかっておらん」

老婆「より大きなもののためにより小さなものを犠牲にする。その生き方から目をそらすでない」

狩人「おばあさん、勇者はそれでも、みんなを守りたいんだよ」

老婆「わかっている、わかっているが!」

 老婆は思わず手を振り上げ、そしてその手の振り下ろし場所をついに見つけることができなかった。
 挙げた右拳をぶらりと降ろし、息を吐く。

老婆「一人も犠牲にせず、全員を助けられれば、それがいいに決まっている。しかし、それだけを目指すのは、視野狭窄じゃ」

狩人「……何があるかわからないし、なるべく早く助けに行くってことでいいんだよね」

老婆「……まぁな」

勇者「けど、タイミングが悪い」

 そう。国王が戦争を始めようとしている現在、そうおいそれと自由行動などとれたものではない。
 老婆ならばまだしも、勇者も狩人も、所詮一兵卒に過ぎない。そして囚われの少女もまた。彼女を助けに行くことが理由になる現状ではなかった。

411 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:52:30.01 KyMiL0240 329/1099

 だが少女を助けに行かないという選択肢が彼らにあるはずもない。理屈ではなしに、思考ではなしに、胸の奥から衝動がこみあげてくるのだ。

――衝動。それは生物ならば全てが持つもの。
 そして全ての生物は、それを御し、それに御され、何とか生きている。

 ある種「その生物」らしさを形作る部分であるといってもよいだろう。

 鬼神ならば破壊衝動。ウェパルならば入手衝動。デュラハンならば戦闘衝動。
 人間の場合なら、恐らくそれは、誰かの無事を願う衝動なのだろう。そしてそのために己が身すら犠牲にするという、強烈な仲間意識。

 どうしようもないほどに彼らは人間なのだ。あまりに人間らしく人間なのだ。

 衝動がもたらす理想主義に苛まれることもあろう。たとえばそれは勇者や少女のように。けれど、打ちひしがれても泥に突っ込んでも前を向くその姿は、何よりも美しいものだ。
 少なくとも、そう思えて仕方がない。

勇者「……しょうがねぇか」

 軽い口調で、重々しく、勇者が立ち上がる。

勇者「俺が行く」

412 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:53:03.25 KyMiL0240 330/1099

狩人「そっか」

老婆「まったく……」

 女二人は反応するが、必要以上に声を荒げることはなかった。この中で真っ先に声を上げるとしたら、それは勇者であるだろうと二人は思っていた。そしてその予想は当たった結果になる。

勇者「何があるかわからないなら、俺が行くのが安全だろ。死んでも生き返るし」

 それは一面の事実であるが、勇者の偽りない本心ではない。
 勇者はただ、もう自分の大事な仲間が危険な目に合うのは嫌なのだ。

 全てを救うことはできない。であるならば、自分の目の届く範囲、手の届く範囲をちまちまと救っていくしかない。
 逆説的にその誓いは目と手の届かない人々を見殺しにすることと同義である。いまだにその事実は彼を苛むが、彼は決めたのだ、強く在るのだと。

 少なくとも今は、なのだと。

老婆「出発は」

勇者「今晩か、明日の夜明け前にでも出ようと思う。人の少ない時間帯を見計らってな」

狩人「私も行く」

勇者「いや、やめとけ」

狩人「どうして?」

 真っ直ぐ勇者の顔を覗き込む狩人。そこに詰問の様子は見られない。
 ただ単純に彼女は勇者の力になりたかっただけなのだろう。

413 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:53:40.80 KyMiL0240 331/1099

勇者「あのガキが捕まってるのは必死の塔とか言ってた。お前の弓は確かに凄いけど、建物の中じゃ限界があるだろ」

狩人「まぁ……いや、でも」

勇者「大丈夫。俺は必ず戻ってくる」

 頭の上にぽんと手を乗せる。狩人は恥ずかしそうにはにかみつつも、その手を除けることは決してしなかった。

狩人「うへへ……」

勇者「キャラが変わってるぞ」

狩人「そんなことない」

老婆「あー、すまんが、二人とも」

 直視するのも恥ずかしい様子で老婆が声をかける。

老婆「勇者よ、必死の塔の場所はわかるのか?」

勇者「いや、わかんねぇな。共和国連邦のそばだろ、そっちにゃ行ったことないんだ」

勇者「転移魔法で送ってもらえたりするのか?」

老婆「すまんが、儂もそちらには行ったことがない。移動するだけなら、最寄までは転移魔法で連れて行くこともできるんじゃがな」

414 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:54:40.24 KyMiL0240 332/1099

 共和国連邦は、大森林を抜けた先、かつて焼打ちにされた町をさらに超えたところに国境がある。
 基本的に「隣国」と言った場合、小都市の集合であるこちらよりも、より長い国境を接している隣の王国を指す。統治機構も、共和国連邦は各領主による分割統治が行われているが、この国と隣国は王政である。

老婆「大体の場所は予想がつくが……ここからだと二日。最寄からでも一日はかかるぞ」

勇者「待てよ。ここから二日かかるところにあいつはいるのか? まだ一日も経ってねぇぞ」

老婆「つまりはそういうことなのじゃろ」

 そういうこと――高速移動か、瞬間転移か、またはそれらに準じた能力の持ち主が、少女を攫ったということ。イコールで、必死の塔にいるのは実力者に違いないということ。
 塔の名称の由来から察してはいたが、やはりというところだろう。

勇者「とにかく、出発は今日の二時にする。中庭に出るから、悪いけどばあさん、転移魔法で連れて行ってくれ」

老婆「承知した」

狩人「私も見送りに行く」

勇者「あぁ。悪いな」

狩人「別に。勇者はいつも心配ばっかりかけるから」

415 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:55:34.31 KyMiL0240 333/1099

勇者「悪いとは思ってるんだけどなぁ」

老婆「各自解散としよう。勇者は準備をしてくれ。狩人もそれに付き添って」

老婆「儂は、少し情報を集めてくるよ」

勇者「ありがとう」

 老婆は莞爾と笑って、

老婆「なぁに、いいってことよ。不肖の孫娘を代わりに救ってもらえるんじゃ」

老婆「深夜二時まで、それじゃあの」

―――――――――――――

416 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:56:34.32 KyMiL0240 334/1099

―――――――――――――

 狩人の部屋で二人は見つめあっていた。いや、見つめあっていたという表現はロマンティックに過ぎる。かつ、恣意的に過ぎる。
 正鵠を得る表現をするならば、こうだ。

 二人は顔を突き合わせていた。

勇者「さて……どうしたもんかな」

狩人「私は勇者に従う。勇者が行くところに行くよ」

 ぎゅっと勇者の手を握り締める狩人。

 本来ならば良い雰囲気であってもおかしくはないのだろう。が、二人のそれは決して恋人のものではなく、冒険者のそれであった。
 いや、二人は過去から現在に至るまで冒険者である。冒険者以外の何物でもなかった。少なくとも彼らは自分たちが王城に務めている兵士などとは思っていなかった。

 彼らの目的は魔王を倒すこと。
 そして世界を平和にすること。
 それだけなのだから。

 当面の目的は無論少女を必死の塔より救い出すことである。しかし、それですべてが終わるわけでは、当然ない。四天王はまだ健在。国の情勢も不安。戦争はすでに着火され、沈下などできそうにもない。
 少女を救ったのち、どうするのか。
 二人はそれを話し合っていた。

417 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:57:23.55 KyMiL0240 335/1099

 否。話し合う必要など二人にはなかった。狩人が勇者の顔を確認する動作だけですべてのコミュニケーションは終わっていたからである。

狩人「難儀な性格してる」

勇者「ついてこなくっても、」

狩人「やだ」

 勇者は苦笑した。彼が狩人をこうしたのか、狩人がこうであるからこうなっているのか、判断が付きかねた。
 彼女の幸せを願うならば彼女こそ置いていくべきなのかもしれなかったが、勇者は結局そうしなかった。エゴイズムだと罵られても彼は彼女と一緒にいたかったのだ。

勇者「お前も随分難儀だよ」

狩人「かな。かもしれない」

勇者「ま、ばあさんには迷惑かけられねぇしな」

 狩人は無言で首を振る。縦に。

 彼らの決断は、旅人の外套を脱ぎ捨てて、兵士の鎧を着ることだった。

418 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 14:58:27.35 KyMiL0240 336/1099

 勇者はわからなかった。どうしても、彼には理解できなかった。
 なぜ人が人を殺すのか。

 さんざん仲間を見殺しにしてきた自分が言うのは間違っていると知っている。それでも、こんなことは間違っていると思った。国同士が総力を挙げて水や、資源や、領土を奪い合おうとしているなど。
 二人を助けるために一人を殺すことを勇者は否定しない。国だって恐らくそういうものなのだろう。

 けれども、わからないものをわからないままにしておくのは、どうにも居心地が悪かった。
 癪だったのだ。――何に? と尋ねられれば、恐らく二人は逡巡し、こう答えるだろう。

 自分より遥かに巨大な何かに対して。

 それは国か、政府か、あるいは運命という名前のものかもしれない。

 とにかく、勇者は何がそうさせているのかをこの目で確かめたかったのだ。
 いままで幾度も戦いに身を投じてなお、彼にはわからない。どんな原理が争いに導いているのか。生物を殺し合いに突き動かしているのか。

 戦いではなく戦場でならばそれの正体にも判断が付くのではないか。

419 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:00:08.89 KyMiL0240 337/1099

 魔王を倒すためにひたすら冒険してきた。殺し、殺され、殺してきた。が、世界は一向に平和になる気配がない。そもそもが見当違いであるかのように。
 魔王を倒せばイコールで平和になるなんて状況ではない。ならばどうすれば世界は平和になるのか。
 勇者はその方法を探そうというのだった。

 なんと――途方もない、ばからしい、夢物語。
 だがしかし、それでこそ勇者である。身の程を知らない傾奇者。世界を変える権利を持つのは、やはり彼のような人物であるべきなのだ。

勇者「今晩あのガキを助けに行く。何日かかるかわからないけど、そうしたら、戦争にいこう」

勇者「一体何が人を殺すのか、見極めないと」

 人を殺すのではなく、あくまで彼は戦争を止めに――出来うる限り被害者を少なくするために戦場へ身を投じる覚悟であった。

 一介の兵士に何ができよう。勇者自身そう思っていたが、それでもやらなければならない。
 居ても立っても居られない。

420 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:00:59.46 KyMiL0240 338/1099

勇者「魔王退治から随分と離れちまったけどな……」

狩人「魔王退治は目的じゃなくて手段」

勇者「あぁ、そうだな。世界を平和にしないと」

 彼の脳裏に去来するかつての仲間たち。
 自分より若い者も、自分より老いた者も、皆等しく死んでいった。
 勇者は、自分が生き残ったのは不死の奇跡のためだということをよく理解している。運命という言葉で華麗に装飾しようが、偶然という言葉で地べたに放り投げようが、本質は変わらない。

狩人「……」

 そんな勇者を見て、狩人は複雑な表情を浮かべている。彼女は彼の仲間と面識がない。彼の思う大事な仲間を、彼女は知らない。
 なんだか置いてきぼりを食らっている感覚なのだった。

勇者「どうした?」

狩人「なんでもない」

勇者「ほんとに?」

狩人「ほんと、ほんと」

 勇者は黙った。これ以上言っても無駄だと悟ったからだ。
 黙った勇者を見て、狩人もまた黙る。

421 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:01:54.60 KyMiL0240 339/1099

勇者「……」
狩人「……」

 自然と二人の視線があった。ゆっくりと二人の唇が近づき、

 そして、

 唐突に部屋がノックされる。

二人「!」

 思わず跳ね上がる二人だった。
 消灯時間は過ぎている。勇者が狩人の部屋にいることが知られては、どちらも懲罰だ。勇者は慌ててベッドの陰に隠れる。

??「おーい、入るぞー」

 入ってきたのは隊長であった。洞穴を探検していたのがつい一昨日のことだというのに、どうにも久しぶりの感を二人は感じた。

狩人「隊長? どうしたの」

隊長「どうしたっていうか……勇者いるべ? 出てきていいぞ、わかってるから」

勇者「?」
狩人「?」

422 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:02:51.82 KyMiL0240 340/1099

 二人は不可思議な空気を感じ取った。部屋を抜け出した懲罰でもなければ、そもそも狩人を呼んでいるわけでもないのだ。なぜ彼は勇者がここにいることを知っているのか。

隊長「部屋に行ってもいないなら、ここにいるしかねぇだろ」

勇者「それで、どうかしたのか」

隊長「どうかっていうか……二人とも、ちょっと来てくれ」

 隊長が手招きする。二人は首をかしげながらもついていくしかない。
 部屋を出ようとしたところで隊長が振り返り、

隊長「二人とも、武器を持ってきてくれ」

 なおさら怪しい。勇者は唾をごくりと飲み込んだ。

 案内された先は儀式用の魔方陣が描かれている部屋で、すでにその中には老婆がおり、ほかに数名の兵士がいた。老婆と隊長、狩人と勇者を含めて十人。

 勇者は老婆がひどくばつの悪い顔をしていることに気が付いた。不本意極まりないという表情である。

 兵士の一人、暗い顔をした男が一歩歩み出る。

暗い顔の兵士「あなたたちが、噂の……」

暗い顔の兵士「初めまして。今回の作戦で参謀を務めることになりました。以後お見知りおきを」

423 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:03:36.29 KyMiL0240 341/1099

勇者「作戦?」

 勇者は思わず尋ねた。そんな話は聞いていない。しかも今は深夜ではないか。
 そこまで考え、急遽飛来した想像に、勇者は自らの思考を打ち消す。

勇者「まさか、夜襲か」

 暗い顔の兵士――参謀は表情を変えずに頷いた。

参謀「えぇ、まぁそういうことになりますかねぇ……」

参謀「いやね、あんまり僕としても望んでないんですが、統括参謀殿から言われちゃどうしようもないんですよ、すいません。あぁ……死にたい」

勇者「どういうことだ」

隊長「これから俺たちは転移魔法で前線基地に移動する。そこからさらに移動し、宣戦布告、本隊の準備完了とタイミングを合わせ、敵の前線基地を可及的速やかに制圧する、だそうだ」

参謀「僕の仕事を取らないで下さいよ……もう」

 鬱々とした様子で参謀は続ける。

参謀「死にたくなりますよ、本当に。急ピッチで軍備を整えている最中らしいんですが、その前に敵の補給の経路を断っておきたいそうで」

参謀「前線基地って言っても、まぁいわゆる食料庫ですね。兵站が詰まってます」

424 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:04:26.68 KyMiL0240 342/1099

勇者「……話を聞く限り、開戦の口火を切る大事な役目みたいだが」

参謀「はい。重要、かつ極秘の任務です。宣戦布告をしていない状況なので」

 遍くところにルールは存在する。戦争もまた然りで、すべからくルールが存在する。
 人殺しに規則を守る誠実さが求められるなど自家撞着も甚だしいが、それを順守しなければ戦争に勝利しても得られるものは何もない。正当な手続きを踏んだ勝利でなければ他国が許さないためである。

 正当な手続きによって得た物のみが国家ないし個人の所有物となる。それは資本主義の大原則であるが、正当な手続きであるかどうかは客観的にしか判断できない。
 ゆえに、誰もが違反を知らなければ、それは正当であり続けるのだ。

 例え宣戦布告をせずに敵国を襲っても、である。

 だからこその夜襲。だからこその少人数。

勇者「それに、なんで俺とか狩人とかが選ばれるんだ? もっといいやつがいるんじゃないか?」

 なんだかんだ言っても二人はまだ新米兵士である。こんな重要な任務に赴任される謂れが彼には想像できなかった。

425 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:04:55.73 KyMiL0240 343/1099

参謀「隊長殿と、あとは僕もですが、独断ですね」

参謀「先日の鬼神討伐の一件、伺いました。僕らはたぶん、きみたちが思っている以上にきみたちを戦力として考えています」

参謀「奮励してください」

 たった十人で敵の補給所を襲うこの作戦は、迅速かつ的確に行えるかが肝となる。余計な人数をかけられない分だけ一人一人の力量が求められるのだろう。

 無論十人では継戦能力などないし、ゲリラ活動に身を窶せるわけもない。本隊とうまくタイミングを合わせる必要がある。
 理想は作戦終了とほぼ同時に宣戦布告を開始、攻撃を始めること。

 僅かばかりのフライングスタートだが、それが与える影響は存外重大である。

勇者「……拒否権はないんだろ」

参謀「拒否したいんですか?」

 少女のことを言うかどうか、躊躇われた。
 鬼神討伐について触れられているということは、当然少女の存在も知っているだろう。が、ここに少女はおらず、また少女の不在についての言及もされていない。
 老婆がある程度事情を説明しているのだろうか。勇者はそこまで考え、結局言うのを辞めた。軍隊の中にあって少女の存在など歯牙にかける必要もないのだと思ったからだ。

426 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:06:03.81 KyMiL0240 344/1099

 勇者は結局首をふるふると横に振った。参謀は細い目をわずかに歪めたが、あえて何も言わずに魔方陣の中心へと移動する。

参謀「さ、皆さん、乗ってください。転移魔法を起動します。……厄介な作戦に引きずり込んで、申し訳ないです」

老婆「準備はできたぞ」

参謀「そうですか。では、行きましょう」

 魔方陣が起動する。空気が振動する音とともに光が部屋中に満ち、次の瞬間十人の姿が消えうせる。

――――――――――――――――

427 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:06:32.33 KyMiL0240 345/1099

――――――――――――――――

 夜でも部屋の中は陣地構築のおかげで明るい。九尾も生物の宿命として食事や睡眠はとらねばならないが、ある程度は魔力で補える。今は寝る間も惜しかった。

アルプ「ただいまー」

九尾「おかえり」

アルプ「やっぱりガチで戦争始めるみたい。勇者くんたちは先遣隊で、ちょっかいかける役目だってさ」

九尾「あぁ、それは見ていた」

九尾「宣戦布告の前にアドバンテージを稼いでおきたいということなのだろう。浅ましいというかなんというか」

アルプ「今勇者くんたちは国境沿いの河川をずーっと下ってるね。あと二日か三日くらいで目的地に辿り着くかな」

九尾「本隊の準備はどれくらい進んでた?」

アルプ「練度の高い部隊はもう作戦の確認に移ってる。歩兵の一個大隊と儀仗兵の一個中隊。ただ、医療班がまだ揃ってない」

アルプ「国中から急いでかき集めてるみたいだけど、そこ待ちじゃない? あんまり急いでもほかの国に悟られちゃうし」

428 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:08:21.26 KyMiL0240 346/1099

 かの国の戦法は極めてオーソドックスで、前衛に歩兵、後衛に儀仗兵を置き、圧倒的な物量で殲滅するというものだ。
 歩兵の種類も騎馬をあまり用いず、軽歩兵を多用する。質より量、そして小回りの利く遊撃隊が別働で戦果をあげている。

 対する隣国は重歩兵による密集戦法と、後方にいる儀仗兵からの魔法が強力とされている。また隣接している宗教国から派遣されている僧兵も侮れない。

九尾「気に食わないな。あの王、九尾の忠告を丸無視する気か」

アルプ「どうする? 数十人くらい殺してこようか?」

九尾「いや、最早戦争を止めるつもりはない。が……あんまり少女を拘束しておくのも厄介だな」

アルプ「あー、デュラハン? 厄介ってどういうこと」

九尾「戦争に出るべきか、助けるべきか、悩んでばかりいられるのも扱いづらい。方向性をはっきりさせてやらねばならん」

九尾「アルプ、やれるか?」

アルプ「うーん、できなかないと思うけどねー。どっちがいい?」

九尾「どうせ戦争と言っても些細なものだ。別段九尾は望んでいない」

アルプ「あいよ。じゃ、先にあの女の子助けに行かせるねー」

429 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:08:57.45 KyMiL0240 347/1099

九尾「待て」

 踵を返して部屋を出ようとしたアルプの姿に、なんだか九尾は嫌な予感がして声をかける。

九尾「どうするつもりじゃ」

アルプ「え? 兵站基地の敵兵全員わたしがぶっ殺してくるよ。それでいいでしょ」

九尾「……」

 返答に困った。確かにそれは一番手っ取り早い方法であるが……。
 とはいえ、九尾が動くことはできない。九尾にはまだやることがたんまり残っていて、だからこそこの部屋に籠っているのだから。

 自然と漏れる溜息を放置して、手をひらひらと振る。

九尾「あー、まぁそれでいい」

アルプ「うわ、適当な感じ!」

九尾「一応デュラハンにも声をかけておいてくれ。手練れがたくさんいるぞ、と」

アルプ「りょーかい」

 今度こそアルプは扉から出て行こうとして、先ほどとは逆に、反転して九尾へ声をかけてくる。

アルプ「そういえばさ」

九尾「?」

430 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/09/28 15:09:30.56 KyMiL0240 348/1099

アルプ「その血、どうにかしたほうがいいよ」

 言われて自分の服を見る。流しの着物は本来薄い青であったが、前の部分が真っ赤に染まっていた。
 部屋の隅に視線をずらす。そこには先ほどとった「食事」の残骸がまだ転がっている。陣地構築のおかげで死体が腐敗することはないにしろ、生肉を食わないアルプからしてみれば気になるのだろう。

九尾「と、言われてもな。誰かに会うわけでもなし。構わんよ」

アルプ「魔王様が生きてたらなんていうかな」

九尾「死んだやつのことなど、どうでもいい」

 強がりであった。アルプは少し表情を歪めるも、それ以上は何も言わない。

アルプ「んじゃ、まぁ行ってきますにゃー」

九尾「おう。任せたぞ」

 蝶番の軋む音すら立てず、アルプは部屋を後にする。

 静寂が部屋を満たす。壁が光るこの部屋は、蝋燭のにおいも、ランプの炎が縮れる音も、何もない。ただ血流の微かな音だけが五感を刺激する。

 もう一度九尾は部屋の隅の残骸に目をやった。人間であったもの。そのなれの果て。

 目的をしっかりと確認し直し、また机に向かう。

――――――――――――――――

433 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:44:15.89 l/mMv4+i0 349/1099

――――――――――――――――

 老婆は、王城の者からは賢者と呼ばれている。彼女はその呼称を否定こそしないが、いい気もしていなかった。自身にわからないことも力の及ばないことも山ほどあると知っていたから。
 しかし、今までのどんな奇問難問でさえ、これほどまでに彼女の眼を見開かせたりはしなかった。そう、故郷を魔族とならず者が結託して襲ってきた時でさえも。

 なぜ――兵站基地が壊滅しているのか。
 なぜ――アルプと、物々しい鎧を着けた漆黒の首無し騎士が、その前に立っているのか。

 転移魔法で移動し、そこから急いで一日と半分。強行軍でやってきたためか十人に疲労の色は濃い。
 しかし、向かえばすでに、簡易であるが基地は構築されているのだという。辿り着けば作戦の前に休息は得られる。それだけを杖に全員歩いていた。

 老婆は疲労の中で不安を覚えていた。それは、予想と言い換えてもよい不安であった。どうか的中して欲しくないというレベルの。

 大陸の東、海岸沿いに巨大な山脈がそのまま海に落ち込んでいる。そこから流れた河川を辿っていくと、王国を横に横切り、宗教国に行きつく。件の必死の塔や焼打ちされた町もこの河川のそばにある。

434 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:48:33.03 S3Fp1WnN0 350/1099

 兵站基地が隣国の中心部、王都付近ではなく外縁に存在しているのは、大きく二つの理由がある。

 一つは、兵站基地は輸送のコストを軽減するものであるから、なるべく大都市が存在しない、補給の難しい地点を見据えて設置するため。
 もう一つは、宗教国から輸入したものを一時保管しておくため。

 戦争を見越していようが見越していなかろうが、魔族討伐のための駐屯を考えたとき、どうしても兵站基地は必要になる。それは老婆の国でも同様だ。
 兵站基地の場所は周知だ。だから、あらかじめそこを攻めるための陣地を構築するのは、なんら難しいことではない。
 そう、露見することを考えなければ。

 老婆は下唇を強く噛み締めた。背筋を悪寒が走る。そんなことあるはずがないと、否定しきれない。

 陣地構築、基地の設営は、何とかして秘密裡に行われなければいけない。戦争の準備を進めているということが周辺国に、また自国民にばれてしまえば、一気に問題となって国王たちに噴出するだろう。
 国民は戦争を望んではいない。望むのは平穏な生活だけだ。
 だからこそ、彼らは平穏な生活の護持のためには、鍬や槌を剣に持ち替えることを厭わない。

435 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:49:18.31 S3Fp1WnN0 351/1099


 嘗て老婆たちが遭遇した、焼けた町。そして問答無用で襲ってきた兵士の一団。
 彼らは恐らく、基地の設営に携わっていたのだ。
 そして守秘のために町を焼いた。

 指示を出したのは、恐らく王だ。

老婆「……」

 この事実を――否、こんな反逆的な妄想を、勇者に垂れ流していいものだろうかと、老婆は逡巡する。が、すぐに首を振った。知らないほうがよいこともあるだろうと判断したのだ。

 だから、老婆は基地でも決して休まらなかった。それ以上に休まらないのは焼かれた町の民の魂だろうとも思った。

436 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:49:46.29 S3Fp1WnN0 352/1099

 そして、現在である。
 攻める対象である兵站基地は壊滅状態で、空恐ろしくなる静けさを背中に負って、怪物が二人立っている。
 なぜこんなことになっているのか、理解できるものは誰一人としていない。

隊長「お前ら、なんだ?」

 隊長が問答無用で彎刀を抜いた。自ら襲い掛かる気概ではなく、警戒の表れなのだろう。彼ほどの実力者が彼我の力量差を判断できていないとも思えない。
 それに反応したのはデュラハンである。一歩前に出て、気色の良い声を出した。

デュラハン「おっ、あなた見るからに強そうだ。どうです? 俺と一戦」

隊長「は?」

デュラハン「いや、強いんでしょ? いいじゃない、俺と戦いましょうよ」

アルプ「デュラハン」

 アルプに窘められ、デュラハンは肩を竦めて見せた。はいはいわかりましたよ、とでもいう風に。

437 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:50:47.58 S3Fp1WnN0 353/1099

参謀「……王様の言っていたことは正しかったということですか」

参謀「やはり、隣国は魔族と手を組んでいるようですねぇ」

 参謀らにとっては二人が兵站基地を守っているようにすら見えたのだろう。アルプは苦笑しながら手を顔の前で振って、

アルプ「あー、それは誤解だよ。私たちはただここを潰しただけ」

参謀「潰した……?」

アルプ「そう。もう誰もいないよ――生きている人間はね」

狩人「なんでまた私たちの前に? 答えなければ、撃つ」

 きりりと弓を引き絞りながら狩人は言った。

参謀「狩人さん」

狩人「あなたは黙ってて。私は、こいつと因縁がある」

アルプ「こんなことで時間を使ってる場合じゃないんだってさ」

狩人「『だってさ』……また、九尾の指示?」

アルプ「ま、そういうことだね」

438 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:51:24.79 S3Fp1WnN0 354/1099

狩人「こんなことをして何の利益があるの」

アルプ「それは言えないねぇ。言う理由もないし」

 二人の間にピリピリとしたものが走る。
 焦れた狩人がついに番えた矢を放とうとしたとき、絶妙なタイミングで参謀が割って入った。

参謀「ストップ、ストップ。そちらの首無し騎士……デュラハンと呼ばれてましたね。ということは、四天王の?」

デュラハン「その通りだね。俺としては肩書きなんて興味ないんだけど」

参謀「ということは、あなたがアルプ?」

アルプ「そうだよ」

参謀「あなたたちの行動の理由はわかりませんが、とりあえず兵站基地の中に入れてもらえませんか。こちらも『はいそうですか』で終わらせられる案件じゃあないので」

隊長「お前、マジで言ってるのか」

参謀「大マジです。この二人が隣国の味方である可能性は十分にあり得ます」

隊長「じゃなくて。こいつらに話を通じると思ってるのか」

老婆「Aのことを忘れたわけではないじゃろう」

 老婆が小声でぼそりという。魔族と言えども意思があり、行動原理がある。何より彼らはしっかりとした思考回路を持っている。闇雲に兵站基地を襲ったりはしない。

439 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:51:56.97 S3Fp1WnN0 355/1099

 隊長は僅かに逡巡して、

隊長「味方だったとしたら、すぐに襲ってきてるんじゃないのか?」

参謀「それを含めても、です。面倒くさいんですけどね、本当は。ドンパチやってるほうが楽なんですが……死にたい」

参謀「ま、四天王が先に潰してましただなんて王国に報告もできませんし。時間はまだあります。確認を惜しむ必要はないでしょう」

アルプ「へー、慎重派なんだね」

参謀「そうじゃないと死ぬだけですから」

 アルプはにやにやと下卑た笑いを口元に浮かべている。
 勇者も狩人も嫌な予感しかしていなかった。そもそも四天王が二人、こんなところに出張ってくる時点で常軌を逸しているのだ。

 無論、常軌を逸しているとはいえ、九尾にもきちんとした考えがあった。まるで絡繰り人形のように歯車が噛みあう、長い長い先を見据えた考えが。

440 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:52:24.08 S3Fp1WnN0 356/1099

 九尾の暗躍を知らない勇者たちではない。兵士たちとて警戒を解いているわけではないが、勇者たちはもっと大きなスパンで警戒をしていた。
 明日か、来週か、一か月後か、それはわからないにせよ、何かがあるのだと。

 アルプは依然として不気味な笑みを湛えていたが、それでも行動は起こさなかった。ちらりと隣のデュラハンに視線を向けてから一瞬で消え失せる。

アルプ「ま、好きにしたらいいよ。私の案件はこれでおしまいだからね」

アルプ「好きにできれば、の話だけど」

 虚空から聞こえてきた声を受けて動いたのはデュラハンであった。亜空間に腕を突っ込み、日本刀を引き抜く。
 西洋式の甲冑に東洋式の刀剣はちぐはぐであったが、デュラハン自身は全く気にしていない。彼にしてみれば使いやすいものを使うだけなのだろう。

デュラハン「ここで会ったも何かの縁! 俺と心行くまで戦おう!」

 気骨満面の声音が響きわたる。

441 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:52:50.68 S3Fp1WnN0 357/1099

 すっと一歩前に出たのは隊長であった。細く睨み付ける形で、デュラハンの一挙手一投足に注目している。
 そんな姿を見たデュラハンは小さく「ほう」と声を上げる。

デュラハン「確かに手練れだ。九尾の口車に乗った甲斐があるってもんだね」

隊長「お前、戦闘狂か?」

デュラハン「そんなつもりは決してないんだけどね。ただ……そういう存在ってだけで!」

 語る間も惜しいとデュラハンが駆けた。
 気合の踏込。それは一歩で世界を限りなく縮める速度を誇る。

デュラハン「大丈夫! 命を取るぐらいしかしないさっ!」

 頸を狙った一閃をなんとか隊長は回避した。殺しに来ているというのは語弊がある。あの攻撃なら、頸でなくともどこを切られたって致命傷だ。

 返す刀が煌めく。

勇者「死ね」

 雷撃を帯びた剣が頭上から落ちてくる。柄をしっかり握った勇者の眼は見開かれており、怒りに打ち震えている。
 まさかの位置からの攻撃に、さしものデュラハンも反応が遅れる。回避行動は間に合いきらない。肩当が大きく抉られ、弾き飛んだ。

442 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:53:36.36 S3Fp1WnN0 358/1099

 反撃に備えて勇者は素早く飛び退く。デュラハンも追撃を回避するために距離を取っており、勇者、隊長、デュラハンで三つ巴の形になっていた。立ち位置も三角形。

 少し離れた場所では老婆が魔方陣を展開している。簡易の転移魔法陣だ。

老婆「無茶しおって……何を怒っているんだか」

参謀「逃げることはできないんですか」

老婆「転移魔法が妨害されてる。距離が制限されすぎてて、無理だな」

 参謀は大きくため息をついた。しかし、その姿勢とは裏腹に、瞳の奥は高揚に彩られているように思えた。

参謀「隊長と勇者さん、僕とおばあさんで行きます。残りの者は兵站基地の確認を」

兵士「で、ですがっ!」

 四天王に人間四人で挑もうというのだ。そのあまりの無茶に、流石に彼の部下も驚きの声を上げざるを得ない。
 けれど参謀はあくまで落ち着いた、というよりも陰気な声を出す。

参謀「死にたくないでしょ……巻き添えなんて、ごめんでしょ」

443 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:54:15.60 S3Fp1WnN0 359/1099

 その言葉に兵士は息を呑みこんだ。僅かにおいて、頷く。
 兵士たちが走り出す姿を、デュラハンは泰然自若で過ごした。もとより彼には兵站基地などどうでもよい。その有り様は当然だ。

参謀「……なんであなたもいるんですか?」

狩人「私も、戦う」

 参謀は眉をわずかに動かし、頷く。

参謀「死んでも責任取りませんから」

狩人「うん」

デュラハン「もういいかな? 俺はそろそろ、待ちきれないんだけどな!」

 再度デュラハンの踏込。狙うは狩人、老婆、参謀の遠距離組。
 黒い疾風となったその姿はわずかな時間も与えてくれない。蹴り上げた土が舞い上がるよりも素早くデュラハンは参謀に切迫する。

デュラハン「っ!」

 声にこそ出さないが、驚きが伝わってくる。
 刀を握る右手の手首、肘、肩の各可動部に、鏃が突き刺さっていた。

 血液は飛び散らない。そもそも彼に暖かな血液が流れているかも定かではない。が、少なくともダメージは受けているようだ。無理やり振るった刀の速度は明らかに落ちている。

444 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:54:45.04 S3Fp1WnN0 360/1099

 きりり、と弓を引き絞る音。

狩人「隙間だらけの甲冑なんて」

 胸板と腹当ての隙間を縫うように矢が突き刺さる。

 さすがのデュラハンも体が揺らいだ。そしてその揺らめきを見落とすほどの素人は、この場にはいなかった。

 帯電した剣が足を、業物の彎刀が胴体を、それぞれ獣の獰猛さで襲いかかる。

デュラハン「いいね、いいね、いいよきみたちっ!」

 体勢を崩しながらデュラハンが叫ぶ。その間にも、当然危機は迫っているというのに。

デュラハン「――認めたっ!」

 デュラハンの足元に、突如として無骨な魔法陣が浮かび上がる。
 ペンタグラムを基にしたその魔方陣は最初淡く光っていたが、すぐにその輝きを強め、そして一際明るく輝いた。
 そして、

445 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:55:16.14 S3Fp1WnN0 361/1099


 刃。

 刃、であった。

 刃が地面から――魔方陣から、突き出しているのだ。

 いや、より正確な表現をするならば、こうである。

 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が

――突き出しているのだ。

 しめて六十本の刀剣はまるで初めからそこに鎮座ましましていたかのごとく、襲撃者の体を傷つける。
 足と言わず手と言わず胴といわず、それら全てを突き刺し、切り裂いた。

446 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:56:04.87 S3Fp1WnN0 362/1099

隊長「ぐっ……くぅ、うっ!」

 間一髪のところで致命傷を避けられた隊長であるが、それでもなお被害は甚大だ。大小細やかな傷からは血液がとめどなく流れ出している。

 狩人「ゆ、勇者っ!」

 叫び声で、その場にいた全員が彼のほうを向く。
 突き出た剣が腹にきっちりと食い込んでいたのだ。

 突き刺さったそれ自体が栓となって、出血自体はそれほどひどくない。が、一度体を動かせば、腹からの出血はすぐさま死に直結するだろう。

 デュラハンはそんな二人の姿を見て、ない顔を顰める。

デュラハン「もしかして、きみが勇者?」

勇者「それ、が……なんだ」

 息も絶え絶えとした様子で勇者はデュラハンをにらみつける。喋るたびに口の端から逆流した血液が滲んで垂れていく。

デュラハン「あ、きみの仲間の女の子を攫って閉じ込めてるの、俺だから」

デュラハン「でも、九尾もなんできみみたいな雑魚に――」

老婆「余所見をしていていいのか?」

447 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:56:52.95 S3Fp1WnN0 363/1099

 大きな爆発がデュラハンのそばで起こった。指向性を持つ爆発は、焦げの臭いを振りまきながらデュラハンのみを大きく吹き飛ばす。
 が、デュラハンは重量を感じさせない体運びで苦も無く地面に着地した。

 そこを狙うは傷だらけの隊長。体を動かすたびに血が垂れていくが、そんなことはお構いなしに刀を握り締めている。

 デュラハンは刀でそれを受け止めた。刃毀れすら恐れない重たい一撃に、魔族の彼ですら思わず手が痺れそうになるが、基本スペックの違いはどうにもならない。次第に隊長は押し返されていく。

 が、それはつまり反対ががら空きであるということだ。

 拳を固く握りしめた参謀が、まるで地面を滑るようにデュラハンへととびかかる。

 しかしデュラハンもその程度が予測できていないわけではない。彼の鎧に魔方陣が浮かんだかと思えば、次の瞬間にはそこから刀剣が生えてくる。
 参謀を串刺しにしようと刀剣が逼迫したが、参謀はそれらを全て自らの拳で叩き折っていく。

448 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:57:20.36 S3Fp1WnN0 364/1099

デュラハン「はぁっ!?」

 まさか、という声をデュラハンは挙げた。

 参謀の拳がデュラハンを確かにとらえる。かなりの硬度を有する鎧を、参謀はまるで気にせず殴りつける。
 デュラハンは住んでのところでその拳を左手で受け止めたが、大きく上へと弾かれた。
 今度こそ大きく開いた懐に、彼は拳を握りしめて潜り込む。

 デュラハンの鎧に刻まれた魔方陣が輝く。

 刃が大きく参謀の体を貫いたが、握り締められた拳が開かれることは、ない。

 参謀が口を大きく開いて息を吸い込んだ。涎に塗れた犬歯がのぞく。

 参謀は腰を落とし、デュラハンを真っ直ぐ突いた。

 鉄で鉄を打ったかのような轟音。
 デュラハンが大きく、地面と垂直に飛んでいく。

 接地とともに大きな砂埃が舞った。濛々とあがるそれを、全員が大きく注目している。

 倒したわけではないと誰もが感じていた。特に参謀を除く者らは、嘗て戦った白沢、そして何よりウェパルを思い出し、気を引き締める。四天王はこんなものではないと。
 果たして砂煙の中よりデュラハンが現れる。鎧は大きくへこんでいるが、足取りは依然として軽い。

449 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 16:58:00.74 S3Fp1WnN0 365/1099

デュラハン「あんた参謀じゃないの、俺びっくりしたよ」

参謀「魔法使いが近接に弱いなんてのは幻想です」

デュラハン「うん。いい勉強になったよ」

デュラハン「じゃあ勉強代を支払おうかな。楽しませてもらったしね」

 空気を震わせる音が響いた。
 特に魔法使いには聞き覚えのある音。魔方陣が起動する際の、独特の音だ。

 しかし。

老婆「どこだ……?」

 魔方陣が起動したということは、必ず陣本体が存在するはずなのである。しかし、目の前のデュラハンに変化はない。地にも、空にも、描かれていない。

 身構える彼らをよそに、デュラハンはまたも虚空に手を突っ込んだ。右手に握っているそれとは違う刀が一本、左手に新たに握られる。

 そしてそれを投擲した。

 高速で飛来する鉄塊は、刃の有無を問わず凶器である。狩人はそれを何とか回避し、矢を番える間すら惜しいとナイフを数本引き抜いた。

450 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:00:10.44 S3Fp1WnN0 366/1099


狩人「不気味」

 そう、確かに無気味であった。デュラハンの攻撃意図がわからない。
 それでも戦うしかない。
 恐らく彼は逃がしてはくれない。

 突っ込む狩人に合わせ、囲むように残りの面子もかかっていく。魔方陣から突き出される刃のことも考え、素早く、けれど慎重に。

 応対するデュラハンの反応は素早かった。というよりも、投擲からすでに一連の流れとして動いていたといったほうが正しい。
 地を蹴り、片手で握った刀を隊長に向ける。この中で一番の手練れだと踏んだのだろう。顔のないのに心なしか嬉しそうだと感じるのが実に不思議である。

 横の一線を隊長は身を屈めて避ける。と同時に、強い踏込から必殺の居合抜き。

 甲高い金属音。甲冑ではなく、地面から生えている刃が攻撃を防いでいた。

 隊長が舌打ちをする。その間にも刀は軌道を変えて脳天めがけて振り下ろされるが、今度は隊長が守る番であった。
 素早く引き抜かれたのは小太刀。弾くのではなく受け流す形で、デュラハンの攻撃は無力化される。

451 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:00:40.00 S3Fp1WnN0 367/1099


 背後から襲う参謀と狩人。限りない前傾姿勢で突っ込んでくる参謀の背後では、死角を除すためにナイフを握った狩人が控えている。
 ダッキング気味に加速する参謀。腹の大穴はいつの間にか修復されていた。

デュラハン「遅いっ!」

 振り向きざまに今度は右手に握っていた刀すら投擲した。驚愕しながらも参謀はそれを打ち落とすが、デュラハンから視線を移動させたその瞬間、反転したデュラハンが向かってくる。

 狩人の投擲。寸分違わず関節を狙う正確さは、しかし地面から生える刃の壁で妨げられた。そのまま迂回しながら投擲用の鏃を取り出す。

 参謀とデュラハンが一瞬で肉薄した。

 震脚とともに重たい拳が構えられる。
 参謀は己の体を限界まで使役するつもりで魔力を充填、解放、体を駆け巡らせた。

 同時に刀が数本地面から生える。今度は刃ではなく、柄を上にした状態で。
 デュラハンは素早く新たに現れた柄を全て掴んだ。そのうち一本を右手、残りを左手で握り、突貫する。

 拳と刃がかち合って歪な音を奏でる。

452 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:01:18.19 S3Fp1WnN0 368/1099

 デュラハンが大きく下がると、それに追いすがる形で参謀は前進していく。拳と刃は数度ぶつかり合って、ついに刃が根元から折れた。

デュラハン「どんな体してるんだ、あんた!」

 叫ぶ彼の声は愉悦に満ちている。まるで今が世の春とでも言うように。

 参謀はあくまでも無言で、ここが好機と加速した。摩擦がないかのような動きでデュラハンの懐に潜り込み、溜めを作る。

 デュラハンの体から生えた数十もの刃が、そうはさせじと襲いかかる。
 絶妙なタイミングで参謀は後ろに跳んだ。
 途端にデュラハンの視界が白く染まる。あまりの光量に立ちくらみさえ覚えるほどの。

 参謀の背後から巨大な火球が向かっていた。

デュラハン「あ、まぁああああああいっ!」

 左手の刀を全て投擲する。
 火球にそれらは当然飲み込まれていくが、あまりの質量と速度が巻き起こす旋風に、火球が大きく揺らめいて拡散。そこにデュラハンが突っ込む。

 ほとんど無傷で抜けたデュラハンの目の前には老婆がいる。

453 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:06:05.90 S3Fp1WnN0 369/1099

 爆裂音。爆裂音。爆裂音。
 老婆の魔力が爆発という形でデュラハンを襲う。生身の人間ならひとたまりもないそれであるが、しかしデュラハンの勢いを殺すには足りない。たった数秒で切迫が完了し、

 地面から生える刀をデュラハンが手に取る。

 流れる動作で投擲。

 そして、大上段からの一撃。

 音のない衝撃が空間を揺らす。
 咄嗟に老婆が張った十枚重ねの障壁を、デュラハンは八枚まで刀で叩き割った。そこで刀の動きこそ止まったが、デュラハン自身の動きは止まらない。

 地面から生えた刃が老婆の体とローブを引き裂いていく。さらに持っていた刀を捨て、新たに生えた刀を握り、そのまま襲いかかる。
 間に隊長が割って入る。

 横への一閃。バックステップで回避してもデュラハンは止まらない。退避よりもはやい速度で迫る漆黒と刃を、隊長はがっちりと受け止める。
 人外と力比べなどするつもりはなかった。が、それはデュラハンも同様だった。刀を捨てて左手の刀を振るう。

 小太刀で防ぐが勢いを殺しきれない。力に負けて思わず後ろへ押し出される。

454 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:06:31.69 S3Fp1WnN0 370/1099

 デュラハンの投擲。回避し、体勢のさらに崩れたところへ、新たな刀を両手に握ってデュラハンが来る。

 唐突にデュラハンが反転、両手の刀をまたも投擲。背後から近づいてきた参謀がそれを打ち落とす。

 地面から近づかせまいと刃が無尽に生える。さながら金属の薄野原の上を参謀は走り、デュラハンへと蹴りを繰り出した。
 その足すらも叩ききろうと地面より刀を抜いてデュラハンが迫る。
 足と刃が邂逅する寸前で、唐突に参謀の体が後ろへと急激な移動をする。まるで見えない手か、おかしな重力に引きずられるように。

 デュラハンの刃が大きく空振る。

 と、彼は自らの頭上がいきなり翳ったことに気が付いた。
 肩の上に、デュラハンの無い首を跨ぐ形で、狩人が弓をその鎧の内部に向けている。

 弦の風を切る音。

狩人「っ!」

 放たれた矢は殆ど動かず、デュラハンによって掴まれていた。そればかりではなく狩人の足も同様に。

 力一杯に狩人は放り投げられる。地面で数度跳ね、木に激突してようやく止まった。

455 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:07:09.19 S3Fp1WnN0 371/1099

デュラハン「数的有利はあるとはいえ、俺と対等なんてね。驚きだよ」

デュラハン「見せてあげよう――この俺の刃を!」

 言い終わると同時に、地面から鋭い光が発せられる。
 光の粒子が下から上へと吹き上げられ、掻き消えていく。

老婆「く――うぅうううっ!」

 全てに合点がいった老婆は大至急、かつ大規模の障壁を展開しようと試みる。が、それよりも圧倒的にデュラハンのほうが早かった。

 魔方陣は展開されていた。ただ巨大すぎただけで。

 ヘキサグラムの中心、六角形の空白地点で、彼らは戦っていたのだ。

 俯瞰すればおおよそ1キロメートルの直径を持つ魔方陣が、デュラハンを中心にして描かれているのが見える。光を抱くその魔方陣は、規模こそ巨大であるけれど、魔法陣としては何ら珍しいものではない。
 デュラハンが見せ続けていた召喚魔法の正体。召喚対象を刀のみにすることによって、数、速度を飛躍的に増幅させる工夫がなされている。

 無差別的に刃を生やせばどうなるか――単純な答えだ。魔方陣に含まれる部分が全て刃の林となるだけである。
 が、そこで原形をとどめていられる生物が、いったいどれだけいるだろうか?

デュラハン「生き残って見せてくれよぉおおおおおっ!?」

 魔力の奔流が陣に流し込まれる。

 ずぐん、と地面が揺れた。

456 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/05 17:07:39.31 S3Fp1WnN0 372/1099

 老婆と狩人は地面に落下した。老婆が、なんとか距離の近かった狩人とともに、可能な限り遠くへと転移したのだ。
 とはいっても魔方陣の半径から逃げ切ることはできなかった。比較的密度の薄い部分を択んだはずではあったが、それでも体中は傷だらけで、何より老婆の左足の先がなくなってしまっている。

 激痛に顔を歪めるが、命があっただけでも僥倖である。狩人は急いで止血帯をし、上部をきつく縛って応急処置を施す。

 デュラハンの姿は刃の林で見えなくなっている。隊長と参謀の姿も。

狩人「二人は……大丈夫かな」

老婆「なんとか生きてるじゃろ。参謀に酷使されてれば、そのはずじゃ」

老婆「あいつらは死んでも死なぬ。勇者と同様にな」

狩人「勇者も……生き返ると思うけど、どうかな」

老婆「あー、そのことなんじゃが」

 老婆は脂汗をぬぐい、言う。

老婆「あいつなら必死の塔に飛ばした」

――――――――――――――――

459 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:27:44.86 nvk55JaF0 373/1099

――――――――――――――――

参謀「……無茶苦茶しますね」

 突き立つ剣先に立つ参謀。その脇には隊長が抱えられている。

デュラハン「それは俺の台詞だよ。期待以上の強さで、俺は嬉しい」

 林の中心でデュラハンは剣を生み出し、柄に手を添える。

デュラハン「迸りが止まらないよ。強い存在と戦うために俺はこの世に生を受けた。複数とはいえ、こんな良い戦いができたのはいつぶりだろう」

隊長「四天王ってのは全員ストイックなのか」

デュラハン「魔族はどうしても本能に縛られてる。抗えない性質が、確かにあるんだ」

デュラハン「でも、人間だってそれは同じだろう? 個体が多いからバラけているように見えるだけさ」

 デュラハンは戦わずにはいられない。アルプは刹那の享楽に身を投じずにはいられない。ウェパルも、鬼神も、程度の低い魔物でさえも、本能からは逃れられない。
 理性の有無は問題ではないのだ。たとえ血の涙を流しながらでも為さねばならぬ心的脈動。睡眠、食事、性交、そしてもう一つの衝動は、確かにある。それは人間も例外ではない。

460 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:28:15.30 nvk55JaF0 374/1099

 人間は限りなく利己的だ。いや、生物が遺伝子の乗り物である以上、利己的でなければいけない。
 大のために小を犠牲にする残酷さが人間の本質であり、衝動である。

 参謀は一歩前に出た。ちらりと兵站所を見やって、無事であること、即ち彼の部下の生存を確認する。

参謀「十分戦ったんじゃないですか。はっきり言って、僕たちを見逃してもらいたい」

 彼らの任務は決してデュラハンを倒すことでも、ましてやデュラハンの衝動を満たしてやることでもない。その申し出は当然であった。

 デュラハンは無言で剣を投擲した。
 高速で迫る剣を、参謀は剣の林の上を走って避ける。同時に隊長は反対方向へと刀を抜きながら飛ぶ。
 彼の傷はあらかた塞がっていた。血の飛沫は飛び散らないにせよ、痛みは依然として尾を引いている。逐一歯を食いしばらなければならない程度には。

 飛び上がったデュラハンの一閃。隊長が刀で滑らせて防ぎ、その間に、背後へ参謀が音もなく滑りこんでいる。

461 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:29:17.24 nvk55JaF0 375/1099

 魔法陣が光った。デュラハンの体から生えた幾つもの刃が参謀の体を貫くが、参謀は止まらない。重要な器官だけを守りながら足を掬う。
 バランスを崩したデュラハンへ隊長が刃を叩きつける。大上段に振りかぶった、速度と重量のある攻撃。

 急遽生やした刃ではそれを完璧に受け止めるには至らない。三本まとめて叩き負って、漆黒の鎧の右腕部に半分ほどの切り込みを入れる。

 驚愕と舌打ちは両者ともにであった。隊長はまさか両断できなかったと、デュラハンはまさかここまで深く切り込まれたと。
 血液は出ない。デュラハンの鎧の中身がどうなっているのかはわからないが、さもありなんというところではある。

 ぞくり。
 隊長の全身を怖気が貫く。

 あるはずのないデュラハンの瞳が光って感じられた。

 思わず飛びのこうとするが、それよりも早く鎧より刃が生える。

隊長(間に合わねぇっ!?)

 内心の絶叫。
 と、途端に重力の方向が変わったような、襟首を引っ張られたような力が隊長にかかる。

462 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:29:52.68 nvk55JaF0 376/1099

 刃を間一髪で回避した体は不自然なまでのスムーズさで剣山の上に収まった。

隊長「ありがとよ」

参謀「僕一人じゃ勝てませんから」

 言って、二人は半身になった。

 参謀の魔法は人体操作。単純な強化から運動神経の支配まで、一通りはこなせる実力者である。だからこそ剣山の上にも立てれば痛みに怯まず殴りかかることもできる。
 先程彼は、隊長の身体を一瞬支配し、無理やりに退避の行動をとらせたのである。

デュラハン「俺は君らを見逃すつもりはない」

参謀「それでも逃げたら」

デュラハン「部下を殺すよ」

参謀「……」

デュラハン「それでも足りないなら、周囲の街を襲う。そうすれば強い兵士が派遣されてくるんだろう?」

隊長「この戦闘狂が!」

デュラハン「なんとでも言うがいいよ! 俺は、今この瞬間を生きる!」

 二刀を振ってデュラハンは地を蹴った。

463 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:30:48.75 nvk55JaF0 377/1099

 急激な加速。素人目には転移魔法にしか見えない速度で、隊長ににじり寄る。

 縦横無尽の剣戟が降り注ぐ。手数は多いが、見合わないほどの重さと速度を誇る攻撃を、隊長はなんとか捌くことしかできない。
 刃と刃がぶつかるたびに火花が散り、肌を傷めつけていく。

デュラハン「この世は腐ってる! 腐って腐って腐りきって、もうどこもかしこもぐずぐずじゃないか!」

デュラハン「甘ったるいあの腐敗臭が鼻を突くんだ! 政治とか、未来とか、考えることにどんな意味がある!?」

デュラハン「結局争いの中でしか存在は保てない! だからっ!」

 横から突っ込んでくる参謀に対して剣を投擲して牽制する。稼げたのは一秒程度だが、鈍化しつつある時間の中では、その一秒の価値は絶大だ。
 左右から袈裟切り。隊長を確実に殺しにくる一手。
 人間相手ならば空いた懐に刃を突き立てればいい。しかし、対峙しているのは魔族の貴族たる四天王。どうやって殺せば死ぬのかすら曖昧だ。

 隊長の判断は、それでも、攻めることだった。

デュラハン「刃物で語ろう! 存分に!」

464 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:31:20.58 nvk55JaF0 378/1099

 全てが色を失っていく。流れる景色。溶け出していく思考。
 見ているものと見ていないものの境界線は模糊としている。そこに頭脳の余地はない。骨と筋肉と、それらをつなぐ神経だけが、強酸で焙られた果てに残っていた。

 高揚! 高揚! 高揚!

 抜刀。
 無駄のない動きで放たれた刃は、デュラハンの胸を貫通する。

 ほぼ同時にデュラハンの刀が首を刎ねようと迫る。息を吸い込みつつ紙一重で回避するが、左の耳が吹き飛ばされた。

 デュラハンはたった今振った剣を捨てた。軽くなって素早く動く右手を、返す刃で逆方向へと持っていく。
 虚空より現れる刀。繰り出される速度は迅雷。

 大きく刀が宙を舞った。

 デュラハンの右腕を参謀が力一杯に蹴り上げ、その軌道をずらす。

 隊長は刀を捩じりながら力を籠める。
 鉄を引き裂きながら、隊長の握る刃が抜けた。隙間からは暗黒が見えるばかりで、肉も、血も、窺い知ることはできない。

465 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:32:09.67 nvk55JaF0 379/1099

 漆黒の騎士はひるまない。力任せに動かす左手はそれでも十分必殺の一撃。
 それは今度こそ弾かれなかった。身体操作すら間に合わない刹那で、参謀は己の左手を捨てる覚悟を決め、隊長との間に割って入る。

 痛覚に触れない鋭さの断裂。

 参謀の血飛沫が舞う中を隊長の咆哮が劈いた。

 右から左へ斬撃。突き。突き。大きな一閃。
 流れるような連撃は防御に用いた全ての武器を使い捨てにしていく。デュラハンは新たに二刀を生み出しながら攻勢に出た。

 片方で攻撃を捌きながらの唐竹割り。

 一歩下がって回避される。追撃のための踏み込みを狙って、背後から参謀が飛び込んでくる。
 踵を使った打ち下ろし。鎧が大きくぐらつくが、倒れる気配はない。しかしぐらつきさえあれば今の二人には十分だった。

 視線の交差。意思の疎通。
 殺せぬモノすら殺すべしという。

466 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:32:37.70 nvk55JaF0 380/1099

 不安定な剣山の上で、人間二人が大きく踏み込んだ。
 体は止まらない。止める気もない。
 彼らは感じていた。ひしひしと感じていた。デュラハンが確実に人間の敵であるという事実は、最早疑うことはなかった。

 魔族がどうとか、四天王がこうとか、そういうことではない。

 デュラハンの衝動。強者との戦いのためならば手段を問わないその性向こそが、人類の敵なのだと。

 彼ら二人は別段愛国者ではない。無論愛国心はあれど、それは一般人程度にであって、ゆえの兵士であるとか、逆に兵士ゆえのであるとかはなかった。
 最早作戦の遂行を鑑みる余裕もない。畢竟、部下である兵士たちや周辺住民よりもさらに遠いところまで来ていると言ってしまってもいいだろう。
 そんな目先の人命よりも遥か先の脅威が、眼前には立っているのだ。

 だからこそ止める。
 今、ここで、殺しきる。

 参謀の正拳突き。深く腰を下ろした体勢から放たれる、必殺の一撃。
 大きくデュラハンの体が吹き飛ばされた。地面とほとんど水平に飛んでいくその先には、隊長がいる。

 白刃が煌めく。昼の太陽を反射し、弧を描く刃。

 無言と無音が、極僅かな時間、空間を支配する。

467 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:33:24.69 nvk55JaF0 381/1099

 信じられないほどの驚愕がもたらすそれら。たっぷり一分ほどの一秒が経過して、隊長はようやく、自らの右腕が存在しないことに気づく。
 目の前の巨大な刃に視線を奪われていて。

 巨大な刃――そう、三十センチはあろうかという幅広の刃が地面から生えていた。
 デュラハンは吹き飛ばされながらもそれを踏み台にして攻撃を避け、上空高くから隊長の腕を切り落としたのであった。

 着地したデュラハンは「レ」の字に形を振るった。隊長は目を見開くばかりで対処できない。
 震脚とともに参謀の突進。しかし焦燥は攻撃を直線的にしすぎる。片手しかないのも大きなハンデであった。

 左手でデュラハンが拳を受け止める。腕を円運動させぐるりと回すと、たやすく参謀は体勢を崩す。
 刃と刃の隙間に落ち込んでいく参謀。鋭い刃先が体中を切り刻んでいく。

 同時に、デュラハンの刀が隊長を大きく切り裂いた。剣圧で肋骨の部分が大きく抉れ、血と肉の交じり合った赤黒いものが、べちゃべちゃと地面にまき散らされる。

隊長「――ッ!」

468 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:34:04.57 nvk55JaF0 382/1099

 足に力を籠めようとするが、できない。
 上半身と下半身の接合があいまいだった。足はしっかり地面を踏みしめているのに、上半身が揺らぐ。
 いや、揺らいでいるのは彼の意識か?

 口から血が伝って落ちる。何か言おうとするたびに、空気の混じった血が口角から吐き出され、言葉にならない。

 そんなはずはなかった。このままではいけなかった。
 それだのに。

隊長(こんなところで、死ぬのか?)

 しかし発奮にも限界がある。体が頭の言うことを聞かない。まだ戦えるのに。デュラハンをここ殺しておかなければ、のちの脅威になるのはわかりきっているのに。

デュラハン「きみたちは実にいい戦士だった。――無様な最期を遂げるのは本懐ではないと思う。一思いに終わらせてあげよう」

デュラハン「さらば。実に楽しいひと時だったよ」

 刀を構えたデュラハンが、無慈悲の一撃を放つ。

469 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:34:55.88 nvk55JaF0 383/1099


 頽れたのはデュラハンのほうだった。

 鎧の脇腹が大きく抉り取られ、ぽっかりと穴が開いている。
 そこからは、恐らく血液に類似した存在なのだろう、黒い靄が空気に流れて溶けていく。

 デュラハンの体がついにバランスを崩した。膝を折り、刀すら取り落とす。
 その一撃で決まったわけではない。が、デュラハンは身に起こったことが理解できなかった。いったい何が起こったというのか。

デュラハン(二人とも戦闘不能なはず――!?)

 視線を向けた先で、デュラハンは全ての合点がいった。
 同時に、いまだ嘗てない高揚のこみあげてくるのも感じられた。
 言うなればこれは隠しステージだ。エクストラステージだ。終わっても終わらない、醜く浅ましい、けれども神秘的な生命の生き様。

 もしくは生命に対する冒涜かもしれない。

デュラハン「と、言うことはっ!」

 背後からの剣戟をぎりぎりで弾き、横へいったん逃げた。虚空から刀を取り出して構える。

 視線の先には参謀と隊長が立っていた。

470 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:36:20.74 nvk55JaF0 384/1099


 二人の背後に、黒い屍と、彼らに巻きつく黒い糸が見える。
 切り落とされたはずの二人の片腕は、黒い糸で接合される形で復元されていた。抉られた隊長の腹部こそ戻っていないが、どうやら痛みは感じていないようである。

デュラハン「自動操作……人ならざる領域じゃないの、それ」

隊長「往生際の悪い男なんだよ、俺たちは」

参謀「王城に召し上げられてなければ、今頃は禁術の罪で死刑ですよ」

参謀「あぁ――死にたい」

 三人が飛び出すのはほぼ同時であった。

――――――――――――

471 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:37:13.79 nvk55JaF0 385/1099

――――――――――――

 森の中、刃の林が遠くに見える位置で、老婆の通信機が震えた。

 老婆は眉を顰める。早く二人に加勢しなければいけないというのに、魔法経路は王族直轄のものであったからだ。

老婆「なんじゃ! こっちは今取り込み中じゃ、要件なら早く済ませていただきたい!」

国王「作戦の途中経過を聞きたい。参謀にも隊長にも連絡がつかないのだが」

 老婆は通信機から顔を離し、舌打ちをした。

老婆「……補給基地は無事殲滅、占領に完了。現時点では外部に漏れていないと思われます。が……」

国王「が?」

老婆「……魔族の襲撃を受けました。四天王、デュラハンです」

 通信機の先から国王の驚きは伝わってこない。一秒ほどおいて老婆は続ける。

老婆「魔法妨害を受け、満足に転移魔法が使用できません。また、敵の巨大な魔法使用を確認、いったん退避しています」

老婆「隊長と参謀は現在継戦しております。私たちもここから合流し、デュラハンの討伐を」

国王「いい」

472 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:38:52.36 nvk55JaF0 386/1099

老婆「いい、とは」

 俄かには王の真意が辿れず、老婆は思わず聞き返す。

国王「いい、ということだ。魔族、しかも四天王の相手など、無理にする必要はない。ここで今そなたを失うつもりはない」

老婆「しかし、王。隊長と参謀は」

国王「あの二人ならば善戦してくれるだろう。死んでも戦い続けてくれる。そのためにあいつを雇っているのだ」

老婆「お言葉ですが! あの二人ではデュラハンに勝ち目がないかと存じます」

国王「問題は二人の兵士を失うことではない」

 「兵士」という言葉を強調して、王は続けた。

国王「戦争に勝つためにはお前の魔法力が必要だ。イレギュラーな事態が起こったならば仕方がない。帰還し、合流してくれ」

国王「こちらもそろそろ準備が整う。攻めるぞ」

老婆「……わたしの、魔法力、ね」

国王「いつぞやのようにな」

473 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:39:45.94 nvk55JaF0 387/1099

老婆「……」

国王「この国のためだ」

 視線を刃の森のほうに向ける。そこではデュラハンと二人がいまだ戦い続けているはずだった。

 二人の命よりも大局的なものが重要であるという意見に老婆も否やはなかった。
 なかったが……。

 喉元まで出かかった言葉を嚥下する。個人のほうを重視するなら、なぜ嘗てそうしなかったのか。
 何千という敵兵を国のために殺しておいて、今更国を蔑にすることは、比類なき大逆ではないのか。

老婆「……わかりました」

国王「ご苦労。なるべく早い帰還を待つ。それでは」

 音もなく通信が切れる。

 傍らでは石に腰かけた狩人が老婆を見ている。その瞳に映るのは心配の色だ。
 狩人はあくまで口数が少ないだけで、心がないわけではない。老婆はなんだか心がほっこりするような気がした。

474 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/15 11:41:43.27 nvk55JaF0 388/1099

狩人「行くの?」

 声音に詰問は感じられない。狩人は所詮部外者で、単なる旅人だ。兵士のしがらみなどとは無縁の世界に生きてきた。
 彼女にとって老婆の住む世界は理解できなかったが、だからといって無意味だと切り捨てるほど愚かでもなかった。

老婆「あぁ」

狩人「私は、行かない」

老婆「そうか」

 そうなのではないかと思っていた。そもそも国王は老婆についてしか言及していない。その他大勢に含まれる狩人のことなど、当然覚えてもいないのだろう。
 だからこそ彼女は二人に合流しようというのだ。助けに行こうと。
 例え敵が強大だとしても。

老婆「ここで、お別れじゃな」

狩人「お別れ」

 狩人が手を出す。老婆はきょとんとした顔をするが、笑ってその手を握った。

狩人「また、今度」

老婆「また、今度」

―――――――――

479 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:22:12.00 itCyvvs/0 389/1099

―――――――――

 剣が舞う。
 それは字面の上では剣舞と酷似しているが、決して剣舞そのものではない。というよりも、寧ろ優雅さとは対極に位置するものだ。

 猛獣のような咆哮。

 野生の猛りが空気を震わせる。

隊長「うぉおおおおおおっ!」

 自慢の彎刀はなまくらになっている。しかし、そんなこと委細構わず、彼はひたすらにそれを振り回す。
 縦横無尽の攻撃を、デュラハンは軽傷で何とか済ませる。鎧の端ががりがりと削り取られていくが、そんなことを気にしている隙に鉄はデュラハンの体を叩き切るだろう。

デュラハン(だからと言って――!)

 背後からの気配を察し、視線すら向けずに体を逸らす。刃を展開しながら、自身も傷つきながらの無理やりな回避。

480 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:23:08.89 itCyvvs/0 390/1099

 間一髪で背後から突進してくる参謀とかち合わずはすんだ。そのままバックステップで距離を離し、手を一振り。

 剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が!

 銀色に鈍く光る驟雨が二人に降り注ぐ。

 隊長が大きく剣を振るった。剣圧で十八本中の十五本を両断し、残りを参謀が砕く。

 二人が翳る。上空へ視線を向ければ、大きく飛び上がったデュラハンが大上段に構えた大剣を――

 振り下ろす。

 大地が揺れた。
 刃の林が軒並み吹き飛んで、数多の破片が平原へと散らばる。
 重力の力を借りているとはいえ、受け止めることを考えさせない破壊力を有していた。あまりの衝撃で二人は攻撃することすらできない。

 大量に舞い上がる土煙の中より腕が伸びた。
 漆黒のそれはそばにいた参謀の手首を掴み、そのまま関節を折りにかかる。

参謀「――っ!」

 皮膚の下から尋常ならざる音が響いた。まるで飴玉を噛み潰したようなざらりと耳に障る音だった。
 参謀の目が大きく見開かれる。

 が、しかし。

 次に驚愕を覚えたのは、あろうことかデュラハンのほうだった。

481 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:23:37.09 itCyvvs/0 391/1099

 参謀が、折れた腕をそのまま叩きつける。

 デュラハンの鎧が大きくひしゃげ、同時に参謀の左腕が衝撃に負けて千切れ飛んでいく。
 舞い散る鮮血。皮膚の破片と肉の欠片。
 そんなことをできるのが人間であるはずなどないほどに、目の前の存在は殺意を漲らせていた。

 試合に勝って勝負に負けたような納得のいかなさが、漆黒の騎士を支配する。
 否。彼が気づいていないだけで、すでに彼はおおよそ不利な戦いに身を投じていた。何故ならば彼が好むのは戦いであり、命の削りあいであるからだ。
 そしてそれらは決して戦略的ではない。

 すでになまくらを握った隊長が逼迫していた。
 突き出される剣先をデュラハンは手刀にて叩き折ったが、決して勢いは止まらない。腹部に食い込んだ鋼がそのまま吹き飛ばしにかかる。

 足を引いて踏みとどまった先にはすでに隊長はいない。

 ぎらりと地面すれすれで何かが光る。
 それが、デュラハンが今まで使い捨ててきた刃だと判明するのに、そう時間はかからない。しかしその一瞬で隊長はデュラハンの胴体へと鋭い斬撃を放っていた。

 間に合わない。

 デュラハンの判断は迅速で、冷静で。
 だからこそ誰にも共感されない。

 しかし、彼は言うだろう。共感に一体どんな意味があるんだい? と。
 俺たちはでたらめに走り続ける矢印なんだから、と。

482 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:25:46.07 itCyvvs/0 392/1099

 右腰から左肩にかけて大きく刃が躍る。
 隊長は自らの右手に確かな手ごたえを感じていた。何千何万と巻き藁を切り倒し、何百も魔物を切り伏せてきた感覚が、確かに殺したと告げている。

 ずしゃり。
 地面に漆黒の鎧、その上半分が落ちて散らばる。
 鎧の中には何もなかった。

隊長「どういう――!」

参謀「上です!」

 見上げる先に黒い何か。

 その「何か」は一見すると人の形をしていた。筋骨隆々の大男。身長は二メートルはあるだろうか。腕も、胸板も、太く厚い。
 ただし、その「何か」は決して人ではなかった。光をどこまでも吸収する漆黒。そして霧状に溶けている下半身。

デュラハン「こんな姿を見せるなんてね」

 手を振ると空気を震わせて光がまとわりついた。そうして、すぐに光は漆黒の鎧へと変化する。

 足首に手が巻き付いた。

デュラハン「――っ!?」

 垂直跳びで数メートルを飛びあがった――肉体操作で無理やり体を使役しているだけで、体をつなぐ黒い糸すらぶちぶちと音を立てている――参謀は、そのまま刃の林へと投げ飛ばす。
 金属の砕ける音と土煙。二人は瞬きすら待たずにその中へと突進していく。

483 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:26:52.04 itCyvvs/0 393/1099

 デュラハンを庇うように刃の壁が続々姿を現す。それすら気にせず参謀は体ごと突っ込んだ。体に刃が食い込むことなど気にもせず。
 切り裂かれ、落ち、欠けた個所は即座に黒い糸が補修する。すでに彼らに痛覚はない。鼓動すら魔法で補っている状況なのだ。人間と呼べるものではない。

 前を行く参謀の背中を蹴って隊長が飛び出した。手にはまたも拾った剣がある。

隊長「潰すっ!」

 五月雨切り。
 前後左右の見境なし、出せる限りの手数を出し切る子供の喧嘩染みた斬撃は、まるで無策のそれであった。
 デュラハンは衝撃に目を丸くしながらも、あくまで静かな思考で向かってくる二人を分析する。

 だからこそ、彼には焦燥が生まれていた。

 デュラハンの手刀が隊長の左外耳を切断し、肩を粉砕する。体は大きくぐらつくも剣の軌道だけは唯一安定している。
 剣がデュラハンの腹を裂いた。横から入った剣先は、けれど横に抜けることはなく、円の軌道を描いて臍のあたりから抜けていく。

484 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:28:03.82 itCyvvs/0 394/1099


 黒い靄が霧散する。

隊長「うぉああああああっ!」

 雄叫びとともに隊長は両手で剣を握った――両手で!
 折れて使い物にならないはずの肩は、確かにひしゃげた外見をしている。どうやってもそこから先など動きそうにない。
 それでも彼は、彼らは、動けるのだ。最早彼らの体は彼らのものではなく、魔法のものなのだから。

 霊視によってかろうじて見える、体内を駆け巡る黒い糸。それが筋繊維と神経系の代理をして健常に見せかけているのだ。

 返す刃の速度は神速。
 長年の鍛錬のみが可能にする、生物の反応速度を上回る必殺の一撃。

 デュラハンは長らく味わったことのない恐怖を感じた。それは焦燥をさらに煮詰めた先にあるものだ。
 なんだかわからないがやばいと、彼はそう思ったのだ。

 魔方陣が作動する。淡く光を生み出し、さらにそこから派生して、大量の刃先が隊長へと向かっていく。

隊長「知るかぁっ!」

 隊長はそのまま剣を振るった。

 デュラハンの足が両方消え去り、遠く離れた地面へと転がっていく。

485 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:43:56.32 pPv+eC4q0 395/1099


 肉を裂き、骨を砕く音。串刺しになりながらも、それを力技で引き抜いて、地面に倒れ伏すデュラハンへ隊長が飛びかかっていく。

 なんだかわからないがやばいと、彼はまた思った。

 よくわからないが、これはこのままではいけないと。
 死ぬことはないが、負けるのではないかと。
 背中を見せて無様に逃げるのは自分なのではないかと。

 眼前に迫る隊長と切っ先。

デュラハン「頭おかしいだろ君らっ、勝てないとわかってるのに――」

 剣を生成、黒い靄を足の形に再形成して、デュラハンは鋭く後ろへ跳んだ。

参謀「勝てます」

 背後で参謀が呟いた。
 すでに参謀はデュラハンの後ろに切迫している。

デュラハン「――っ!?」

参謀「僕らが例えここで死んだとしても――兵士が例え何千人死んでも、国民が一人でも残っていれば」

参謀「最後に残ったのが僕らの国民であるなら」

 参謀は感慨深げに、もしくは吐き捨てるように、繰り返した。

参謀「それは僕らの勝ちです」

486 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:45:53.20 pPv+eC4q0 396/1099

 デュラハンは今度こそ耐え切れなくなった。参謀の左ストレートを防御し、その勢いを使って距離を取る。

デュラハン「気が、狂ってる」

隊長「戦いを楽しむために何でもする、そんな存在には言われたくないな」

 二人が飛びかかってくる。あくまで真剣な表情で、魔法に操られながら。

デュラハン(駄目だ、こいつら話にならない!)

デュラハン(何度殺してもこいつらは突っ込んでくる! 肉と骨を犠牲にして、俺の一秒を稼ぎに来る!)

デュラハン(物理攻撃で俺が死ぬことはないけど、あまり魔力を浪費させられるのも、また不味い)

デュラハン(最悪自分と一緒に俺を磔にするくらいはやってのけるだろう。目の前の二人からは、そんな凄みを感じるっ!)

デュラハン(そして何より……今更気が付いたが、こいつは、そうなのか?)

デュラハン(だからあいつが向かって……)

デュラハン(もし本当にそうだとしたら、なおさら不味い!)

デュラハン(自動操作ごと切り捨てなければっ!)

 二人の攻撃を捌き、受け、時に喰らいながら、デュラハンは魔力を貯めていた。このいつ終わるかも知れない地獄から脱するために。

487 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:47:03.40 pPv+eC4q0 397/1099


 魔方陣が、そしてそれが刻まれている大地が大きく光を放ち始める。
 しかし二人の攻撃が休まる様子はなかった。最早彼らは防御を考える必要がないのだ。生き残ることを考える必要がないのだから。

 デュラハンは大量の剣を空中に出現させ、それを二人目がけて発射する。それで二人の足止めができるとは思っていない。が、攻撃を受けた際に起こる数秒のラグを期待してのことだ。

 二人は体を切り刻まれながらも決して止まらない。傷ついた部分はすぐさま現れた体内の黒い糸が修復していく。
 その間、僅かに全身の動きが鈍った。

 そしてその刹那を見逃すデュラハンではなかった。

デュラハン「来いっ! 天下七剣の壱、破邪の剣!」

 虚空からデュラハンが抜き出したのは、一本の細身の剣である。それまで彼が使っていた無骨な刀や剣とは違う、レイピアに近い、細剣だ。
 刀身にはルーンが刻まれ、淡く光を放っている。魔族によっては見ることすら嫌がるものもいるだろう、それほど強い破邪のルーン。

 精緻な細工の刻まれた柄をデュラハンは掴んで、それを構える。

 破邪のルーンは、どんな魔法すらも切り裂く。

 例え自動操作だろうとも、黒い糸が切れてしまえば。

488 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:48:13.39 pPv+eC4q0 398/1099

 デュラハンは渾身の力で剣を振るった。裂帛の気合いを叫ぶ余裕などなかった。ただ一刻も早くこの終わりない戦いから身を引きたいと願っていた。
 そんなことは初めてだった。

 いや、彼は信じていた。こんなものは戦いではないと。
 彼が相手にしているのは個人であって、決して国家ではないのだ。

 それでも、驚愕と恐怖の中に、確かに興奮があった。今まで会ったことのないタイプの敵に、どうやっても抑えきれない昂ぶりの萌芽が、漆黒の中にひっそりとあった。
 デュラハンは、存在しない自分の口角が上がるのを、確かに感じる。

 衝撃がデュラハンを襲った。

 手首に突如受けた衝撃によって、剣の軌道が大きく逸れる。
 地面を大きく切り付け、そこから眩いほどの光が立ち上った。天まで届かんばかりの光のヴェールに、デュラハンは自ら体をよろめかせる。

 手には矢が三本突き刺さっていた。

狩人「間に合った」

デュラハン「もう手遅れだ!」

 デュラハンは叫んで、彼方を向いた。
 狩人でも隊長でも参謀でもないほうを。

 狩人は彼が何を言っているのか全く理解できず、つい同じ方向を向いてしまう。

489 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:50:18.60 pPv+eC4q0 399/1099

 船が。

 空中に、浮いていた。

 何十という魔法で編まれた武装船団。
 その集団に囲まれた、黒い瘴気の塊。

「あははははははははははははははははははははははははは」
「けたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけた」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」

 吐き気のするほど凄絶な笑顔を浮かべて、ウェパルが立っていた。
 体から顔にかけて刻まれた文様が、赤紫色にどす黒く発行している。

ウェパル「デュラハン」

 一言一言が呪詛であった。
 一文字一文字が刃であった。

 狩人は、そして隊長と参謀の二人でさえも、自分がこの場にいてはならないことをすぐさま感じ取る。
 言葉のやり取りを聞くだけで蒸発するなんて、そんなことは願い下げなのだ。

 考えるよりも体が動いていた。狩人は大地を蹴って二人の元へと移動し、なんとかここから逃げ出そうと試みる。

 しかし。

490 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:51:37.73 pPv+eC4q0 400/1099

 激痛でもって初めて、狩人は自分の体に鏃が突き刺さったことを知った。
 緑色のオーラが弾け、鏃は空気中に霧散する。魔法で編まれたウェパルの武器だ。

 即座に洞窟で見たウェパルの力、腐敗を一瞬で進める力を思い出し、狩人は死を覚悟する。が、ウェパルは狩人に一瞥をくれただけで何も行動に起こそうとはしなかった。

ウェパル「あんまり隊長には近づかないでね」

 そう言うだけで。

 ウェパルはデュラハンに向き直る。

ウェパル「なんで隊長殺そうとしてんの? もう死んでるの? どっちでも、いいんだけどさ」

デュラハン「……」

ウェパル「なんか言ったらどう」

 デュラハンは大きくため息をついた。

デュラハン「そいつが君の言う『隊長』だとは知らなかった。さっき思い出したくらいだ」

ウェパル「そんなことはどうでもいいの。死んで、って言ってるの」

ウェパル「隊長はボクのものなの。ボクのものなんだから。海の底に沈んだものは全部ボクのものだ」

ウェパル「だからデュラハンは手を出さないで。死んで」

デュラハン「断ったら?」

ウェパル「死ね」

491 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:52:37.54 pPv+eC4q0 401/1099

 全砲門が弾けるような音を上げた。
 目に見えない、魔法で編まれた弾丸。質量が存在せず、それでいて物理法則を完全に無視するそれは、どんな身体能力でも逃げることはできない。

 土煙の中からデュラハンがぬっと顔を出した。鎧はぼろぼろだが、中の黒い靄には揺らめきひとつ見いだせない。

デュラハン「どうにもそいつらとの戦いは楽しくて仕方がないんだ」

 言って、デュラハンは虚空に手を突っ込む。

デュラハン「天下七剣、竜殺し‐ドラゴンキラー‐」

 大仰な名前とは裏腹に、小さなカタールであった。しかし刃に内包された弾けそうなエネルギーは、遠くから見ているだけでもすぐにわかる。

デュラハン「天下七剣、隼の剣」

 羽と猛禽をあしらった剣であった。破邪の剣と同様に細身だが、すらりと長い。
 二振りの剣を握り締め、デュラハンは懐かしむように言う。

デュラハン「いつぶりだっけ、きみと戦うのは」

ウェパル「きみが生まれた日に一回、これが二回目」

デュラハン「そうか。あのときは魔王様もいたんだよな」

ウェパル「何百年前だったか――」

492 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:54:23.56 pPv+eC4q0 402/1099

 と、唐突にウェパルが膝をついた。
 苦悶の表情を浮かべ、隊長をちらりと見やる。

ウェパル「ボクは……人間に……」

 なりたかった、のか。

 ウェパルはそれ以降口を噤んだ。いつの間にか文様の発光がおさまっている。

 いや、違う。
 顔を上げたウェパルの瞳は、すでに黒く濁り始めていた。

 狩人は今しかないと判断した。隊長はデュラハンを止めたそうにしていたが、膨れ上がるウェパルの圧力に、それ以上前に進むことはできない。

参謀「部下たちは……」

狩人「気になって、見てきた。出るに出られなくなってたから、事情を説明したら、本当に危なくなったら転移石を使うって」

狩人「そのせいで助けに来るのが遅くなった。ごめん」

参謀「いや、いいんです。ありがとうございます」

参謀「これ以上の作戦の続行は不可能と判断します。帰還しましょう」

493 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:55:11.26 pPv+eC4q0 403/1099

参謀「隊長さんも」

 ウェパルに対して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている隊長は、参謀に声をかけられてびくりと体を震わせた。が、たっぷり一秒使って、首を縦に振る。

デュラハン「俺を忘れちゃいないかい?」

 二刀を構えた状態でデュラハンが迫ってきていた。
 三人が迎撃態勢を作る。

ウェパル「させない!」

 砲弾がデュラハンを襲う。デュラハンは剣を破邪の剣に持ち替え、素早くそれを両断した。

ウェパル「隊長を、隊長をぉおおおおおっ! こ、ころっ、こ!」

 言葉を何とか押しとどめようとするウェパル。しかし言葉はどんどん胸から湧き上がってくる。コールタールの泉が、そこにある。
 文様が妖しく光り始める。

ウェパル「うっ、うっ、うぅうううぅううっ! こ――ころ、殺すのは!」

ウェパル「ボクだっ!」

参謀「ポータル、用意できました。早く!」

494 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/10/19 13:55:50.63 pPv+eC4q0 404/1099

 空間にぽっかりと開いた穴に参謀、狩人と飛び込んでいく。

狩人「早く!」

 服を掴んだ狩人の手を、隊長はにこやかに笑って、そして、

 振りほどいた。

 穴に吸い込まれていく狩人。戻ろうと思えば当然戻れるのだろうが、あまり長くつなげていられない。参謀の残存魔力的にも、外界の脅威的にも。

隊長「俺は、だめだな。あいつの辛い顔、見たくねぇんだよなぁ」

 そう言って、駆け出していく。

参謀「何してるんですか!」

狩人「隊長が!」

 参謀は一瞬息を呑んで、そしてわずかに視線を下に向けた後、反転する。

参謀「行きましょう」

狩人「でもっ」

参謀「僕の仕事は、最後に自国民が立ってるようにお膳立てすることです」

狩人「……」

 狩人は振り返って、穴の外に出ていく。

狩人「私には、そんな生きかた、できない」

 穴が急速に縮小していく。もう時間がないのだ。
 飛び込むタイムリミットが近づいても、狩人はもう振り向かない。隊長の姿も、穴の中からは見えない。

 参謀は大きくため息をついた。

参謀「あぁ――死にたい」

――――――――――――――

498 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:39:49.36 i6iad9cF0 405/1099

――――――――――――――――

 勇者は目を覚ますと同時に腰の剣を抜いた。

勇者「……?」

 おかしい。自分は死んだはずだ。デュラハンと戦っている最中、剣に腹を突き刺されて。
 しかし、だとするならば、なぜ自分が大森林の中にいるのだ?
 混乱はしていたが、それもまたコンティニューの力だろうとは想像できた。復活する際に必ずしも死んだところでは復活しないのは、これまでの経験からも明らかだ。

 とりあえずは現在の位置を把握する必要がある。狩人たちにも合流しなければいけない。

勇者「四天王、デュラハンか」

 武人という言葉がしっくりとくる佇まいだった。そして四天王という立場がしっくりとくる手強さでもあった。生半可では勝てそうにもない。

 少し歩くと川があった。遡上なり下降していけば、自分たちがいたところに戻れるだろうか。
 勇者は考え、ひとまずあたりを見回す。

勇者「なんだ、あれ」

 視点が定まる。
 大森林の奥、木と木の隙間にうっすらと、明らかに場違いな建物が見えた。
 象牙色した尖塔である。決して大きい建物だとは言えない。が、仮に宗教公国のそばであるとしても、こんな森の中にまで信仰施設を立てるだろうか。

499 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:40:21.12 i6iad9cF0 406/1099

 とにもかくにも現在の位置がわからなければ、どこに向かうべきかもわからない。勇者は誘われるように象牙の塔へと歩いていく。

??「くきぃえええええぇいいいぃっ!」

勇者「!?」

 突如として近くの茂みが大きく揺らぎ、中から黒い巨大な影が勇者へと飛びかかる。

 咄嗟に勇者は剣を突き出した。がきん、と剣先に衝撃を感じる。
 見れば一匹の猪であった。瘴気に侵され、歪んだ口の端から止め処なく涎を零している。黒くまだらになった皮膚も瘴気の影響なのだろう。

 猪は地面を擦り付けながら勇者を押し込んでくる。口から生えた牙は鋭く、突かれれば感染症の危険性は大いにあり得た。

 勇者は目を細める。今はこんな畜生に構っている暇など、ない。

 森の中を一瞬だけ閃光が照らす。鋭く音が二、三度弾けたかと思えば、猪は全身から煙を噴き上げて倒れる。
 勇者お得意の電撃魔法である。今更野生動物に毛の生えた――野生動物には無論体毛はあるのだが、言葉の妙だ――程度の存在に後れを取るような勇者ではなかった。

??「ひっひっひ、流石に一筋縄ではいかぬか」

500 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:41:50.83 i6iad9cF0 407/1099

 木々の隙間からしわがれた老人が現れる。濃い緑のローブの向こうの顔は窺えないが、瘴気を確かに感じる。人間か、それを辞めた存在か。

老人「これ以上先には行かせんぞ。ここから先は必死の塔。武人以外が入れる場所ではない」

勇者「必死の塔」

 勇者は反芻した。なるほど、象牙の塔は決して信仰施設ではないのだ。

老人「親切心じゃ。デュラハン様の機嫌を損ねる前に――」

 老人に構わず勇者は駆けだした。慌てた老人が火炎魔法を放ってくるが、勇者はそれを容易く回避し、剣で老人の腹を貫く。

 声にならない声を老人が挙げた。勇者はそれを聞いて、随分と汚い声で叫ぶものだなと感じた。
 彼には使命があるのだ。囚われの少女を助けるという、重大な使命が。
 必死の塔に辿り着いたことを勇者は運がいいとも偶然だとも思っていなかった。そして、だとするならば、恐らくは老婆の意思が働いたのだろう、と思った。

 老婆は勇者に少女を助け出してほしいのだ。
 勇者はそれに否やはなかった。もとより初めからそのつもりである。老婆の気持ちがわからぬほど、そして少女を見捨ててもいいと思うほど、彼は二人と短い時間を過ごしていない。

 老人の体を蹴って刃を引き抜く。絶命した老人の体は存外重く、どさりと地面に倒れた。

501 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:42:51.95 i6iad9cF0 408/1099

 倒れた「ソレ」に一瞥もくれず、勇者は真っ直ぐ必死の塔へと歩いていく。腰には愛用の剣が一振り、短剣が二振り。
 また道具袋を括り付け、中には魔法の聖水が入っている。

 行く手を阻むように鎧が現れた。一瞬デュラハンかとも思ったが、鎧の色が違う、大きさも違う、何より迫力が違う。眷属か、ただの無関係な衛兵か。

さまよう鎧「ココカラ、サキ、トオサナイ」

 剣を抜いた鎧が、地面と水平に伸ばす。勇者は何かの気配を感じて視線を横へやる。

勇者「仲間か」

 スライムが数匹周囲に漂っていた。青い、透き通った体。クラゲのようなフォルムで、黄色い触手が伸びている。

 一直線に勇者は駆けた。走りながら剣を振ると、鎧はそれを剣で受ける。
 鎧の力は十分にあった。重量がある。動く気配のないのを悟ると、反撃を想定して一歩後ろに下がる。

 鎧は追ってきた。見かけどおりの鈍重な足運び。
 周囲を見回し、スライムたちの攻め気がないのを確認して、勇者は剣から片手を離す。

 呪文の詠唱。左手に雷撃が溜まっていく。

502 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:43:21.04 i6iad9cF0 409/1099

 打ち下ろしを剣で守るが、両手と片手ではやはり満足に防ぎきれない。弾かれ、剣先が地面に食い込むが、カウンターで電撃を鎧に叩き込む。
 鎧は衝撃でわずかによろめき、木にぶつかる。

 光が鎧を包んだ。

 すぐさま立ち上がり、勇者へと剣を突き出してくる。
 予想しない速度での復活に、勇者は完全に反応が遅れた。体をねじってかわすが、腰骨の上を刃が通っていく。

 ぬるりとした液体が地面に落ちる。痛みはある。が、死なないと思えば恐怖はない。

 勇者は鎧よりもまず周囲のスライムたちへと視線をやった。恐らく、あの光は回復魔法のそれだ。そして鎧が魔法を使ったようには見えないので、スライムたちが術者なのだろう。
 多勢に無勢の戦いなど、勇者は今まで幾度となく繰り返した。回復魔法を使う敵との戦いもまた。

 殺気を向けられたことに気付いたのか、スライムたちが一斉に触手を伸ばしていく。自在にうねる触手は一見回避が不可能そうに見えるが、なんてことない。
 勇者が剣を振るって、向かう触手を切り落としていく。

 触手はどうやら再生するようだが、その速度は遅々としている。触手を切り落としながらスライムたちへと進んでいく。
 背後からの鎧の攻撃もケアしながら、勇者はまず一匹、スライムを切り伏せた。

 断末魔は聞こえない。両断すればどろりと溶けて、地面に落ちる。

503 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:43:52.39 i6iad9cF0 410/1099

 死んでしまえば回復魔法など意味がないのは承知の通りだ。そのまま鎧と数度打ち合い、蹴り飛ばして距離を稼ぐ。
 触手がその隙をついて右手首に巻きついた。ギリギリと締め上げるその力は、ともすれば骨すら砕きかねない力だ。

 もしもそれが勇者でなければ十分に効力を発揮しただろうに。

 ごぎん、という音とともに勇者の右手があらぬ方向へと折れ曲がった。勇者の神経を激痛が引っ掻き回すが、しかし彼にとっては痛みなど慣れっこだ。

 一刀のもとにスライムが両断される。

勇者「お前らにかかずらわってる暇はねぇんだよなぁ」

勇者「ぶすぶす焦げとけ」

 閃光が迸った。
 勇者から放たれた魔力の波動、それは雷撃の性質を持って、スライムたちを一斉に打ち落とす。
 スライムたちは雷撃を受けたところから溶けていき、消失する。

 けたたましい音を立てて向かってきた鎧が、大きく剣を振りかぶった。しかし、デュラハンと先ほどまで戦っていた勇者には、その動きがあまりにも鈍重に思えて仕方がない。

 リーチを読み切って、半歩後ろに下がるだけで攻撃を回避する。そうして剣に雷撃をまとわせ、無造作に鎧の腰を断絶させる。

 上半身と下半身が分離した鎧は、けれどどうやら生きているようではあった。もがいているが起き上がれないようで、無力化に成功したといってもいいだろう。

504 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:48:31.20 i6iad9cF0 411/1099

 勇者は刃毀れがないかを確認し、道具袋から薬草を取り出して食んだ。苦いこの草は全く得意ではなかったが、それでも覿面に聞くため文句は言えない。

勇者「……」

 前方で、何か大軍の蠢くのが見えた。

 魔物の軍勢だ。
 恐らくは、必死の塔を守護する、デュラハンの配下。

 ふつふつと込みあがってくるものを勇者は確かに感じていた。そしてそれは、その存在だけなら遥か昔から感じていたものだった。

勇者「上等だ」

 勇者は口を大きく開いて、唾を吐き捨てる。

勇者「俺の前をふさぐんじゃねぇ!」

―――――――――――――――

505 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:49:22.86 i6iad9cF0 412/1099

―――――――――――――――

 土煙が立ち込め、戦況の確認は死角では難しい。老婆と、そして参謀は、儀仗兵たちからの報告を逐一羊皮紙と地形図上にまとめ、リアルタイムで指揮を執っていた。

 大陸の中心から東北にずれた位置にある山岳地帯。王都から隣国の王都へとつながる最短経路であると同時に、交通の要衝でもある。
 本来ここは単なる関所であるのだが、隣国の采配によって、現在要塞化されていた。その手筈の見事さに、老婆も参謀も、隣国もまた戦争の臭いを嗅ぎつけ準備をしていたのだと悟る。
 ゆえに、これからの戦いが決して楽ではないことも。

 デュラハンとの戦いから二日を経て、王国軍と隣国軍はついに衝突した。各国から忠告などがあったようだが、両軍ともそれを聞き入れることはなかった。

 老婆は羊皮紙と地図に視線を落とす。

老婆「彼我の戦力差は800対1500。戦力の内訳は、歩兵が800、儀仗兵400、救護兵150、技術兵150か」

老婆「戦力差は二倍以上だが、防衛されている拠点の攻略には三倍程度の兵力が必要だという。このままだと膠着状態だな」

老婆「ぐずぐずしていると隣国の王都から本隊が到着する。また、迂回ルートで別の地点から攻め込まれるかもしれない」

506 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:50:03.20 i6iad9cF0 413/1099

老婆「現在、戦況はどうだ?」

儀仗兵長「まさしく膠着状態という形です。白兵戦では優勢を保てていますが、敵は要塞に障壁を張っているため、儀仗兵の魔法は遮断されます」

儀仗兵長「逆に一方的にあちらは魔法を打ち込んでくるため、あまりアドバンテージはありません」

老婆「負傷者については」

儀仗兵長「適宜後方に送って回復を待っています。死者の数はそれほど多くはありませんね。ただ、これから増えるとは思われます」

 老婆は息を吐いた。高台にある会議所からは、戦況が一望できない。凹凸に囲まれてわかりづらいのだ。

老婆「本当にこれは必要な戦いなのだろうか」

参謀「それ以上はダメです」

 参謀はいつもより薄暗い顔をして、ぎょろついた目を老婆に向ける。

参謀「考えちゃダメです。それは、僕らの仕事じゃないです」

老婆「……」

507 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:50:31.87 i6iad9cF0 414/1099

 参謀は先日ぼろぼろになりながらも帰ってきて、ぽつりと一言「隊長は死にました。死ぬつもりです」とどっちつかずのことを言ったのだった。
 それ以上老婆は尋ねるつもりもなかったし、そうしてはいけないのだと思っていた。彼の全身に自動蘇生を酷使した跡が残っていたことも含めて。

参謀「けど、障壁ですか。厄介ですね」

儀仗兵長「現在後方部隊が解除を試みているようですが、まだ時間はかかりそうです」

参謀「老婆さんなら壊せませんか」

老婆「実力行使で、か? やれなくはないが……被害が出る」

 参謀はゆっくりと立ち上がった。首を回し、肩と足首も次いで、ほぐしていく。

老婆「行くのか」

参謀「はい。ま、五十人位なら殺せるでしょう」

儀仗兵長「ちょっと、勝手な行動は!」

参謀「大丈夫ですよ、僕は前線で指揮してるほうが性に合ってます。それに、隊長さんの代わりも、務めないとですし」

儀仗兵長「あなたの白兵能力は買ってるけど、戦争は一人でやるものじゃないわ」

儀仗兵長「勝手な動きをしたら、軍法会議にかけられることだってあるのよ」

参謀「そんなのわかってますよ」

508 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:52:17.81 i6iad9cF0 415/1099

老婆「行かせてやれ」

儀仗兵長「でもっ!」

老婆「儂らがいなくとも、王城で見ているやつらがなんとかする。そういうものじゃ」

儀仗兵長「それは、そうですが……」

参謀「では、行ってきます」

 参謀は地面に薄く粉を撒いた。そこが淡く光ったかと思うと、参謀の姿が一瞬で消える。

 老婆と儀仗兵長は遠くの土煙を見た。鬨の声と地鳴りがここまで聞こえてくる。あそこで戦いが行われているのだ。換言すれば殺し合いが。
 こうしている間にも通信は入り続けている。老婆はそれを無心で羊皮紙に書き写し、そして地図に今後のプランをくみ上げていく。

 勝敗は細い綱を渡っているようなものだ。どちらに落ちてくるか、誰にもわからない。ちょっとのそよ風で変わることすらも有り得る。

 老婆は自分が唇を噛み締めていることに気が付いた。
 勇者の志は、彼女にはとてもよくわかった。

―――――――――――――――

509 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:52:46.11 i6iad9cF0 416/1099

―――――――――――――――

 剣戟。剣戟。剣戟!

 最早前後不覚も極まれる。自分が東西南北どちらを向いているのか、わからない。疲労困憊ですぐにでもたたらを踏んでしまう。
 額から流れてきた汗が目に入り、刺激に思わず目を顰める。間の悪いことに視界の端で緑色の鎧――敵国の歩兵の鎧が近づいているのを捉えてしまった。

 振り上げられるロングソード。俺は死を覚悟する。せめて一思いにやってくれよ、と。

兵士「ぐあああああっ!」

 血飛沫を上げて緑の鎧が倒れこむ。その背後からは同僚のビュウが現れた。剣を振り下ろした状態で止まっている。
 兜の隙間から流れる金髪が顔に張り付いていた。端正な顔も歪んでいる。優男のくせに役に立つ男なのだというのは年上に対して言い過ぎだろうか。

 ビュウ・コルビサ。軍人で、俺と同じマズラ王国の第三歩兵大隊第五班に所属している。階級のついていない下っ端であるというのも俺と同じ。

ビュウ「大丈夫か、ポルパ」

ポルパ「名前を略すな。俺はポルパラピム・サングーストだ」

ビュウ「命の恩人になんてー口の利き方だよ」

ポルパ「それとこれとは」

 俺は地を蹴って、ビュウの背後に忍び寄っていた敵兵の刃を弾く。
 ビュウがその場で反転、体を捩じって刃を放った。敵兵は左腕を落とされて地面に伏せる。

510 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:54:07.46 i6iad9cF0 417/1099

ポルパ「……これでおあいこ、だろ」

ビュウ「大体ポルパラピムって言い辛いんだよな」

ポルパ「そんなことを言われても困る」

??「おう、二人とも無事か!」

 騎馬に跨って現れたのは、直属の上司であるコバ・ジーマ。幾つもの戦の経験を持つ、初老の戦士だ。そして俺たちの戦闘教官でもある。

コバ「戦場を移すぞ。東の部隊が押されている」

ビュウ「いいんですか、基地を目指さなくて」

コバ「砦には防御魔法がかけられている。迂闊に手を出せん」

ビュウ「了解しましたよ」

ポルパ「ルドッカは?」

 俺は同僚の女兵士の名前を出した。彼女もまたコバを師とする下っ端兵士だ。
 俺と、ビュウと、ルドッカ。俺たちは年齢こそ違えど同期で、入隊からこれまで、いくつもの過酷な訓練を乗り越えてきた血盟の同志である。

コバ「ルドッカには殿を務めてもらっている。じきに追いつくだろう」

コバ「俺は先に行っている。お前らも早く合流してくれ。密集地帯だとどうしても魔法は使えないからな」

511 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:54:39.30 i6iad9cF0 418/1099

 騎馬に鞭を入れ、コバが砂煙をあげながら駆け出していく。
 現在、攻城戦は俺たちマズラ王国軍が優勢であるようだが、あちらの基地はどうにも堅守だ。兵は拙速を尊ぶ。それは何もせっかちというわけではなく、兵站や、戦略的意味もある。……のだという。受け売りだ。

 長くとどまればとどまるだけ兵站も必要になる。時間を稼がれている間に別働隊がこちらの都市を攻めてくる可能性だって有り得る。
 攻城戦は防御側が有利なため、攻める側はどうしても多くの人数を攻城に割かなければならない。それはつまり、ほかの防御が手薄になるということだ。

 また、密集状態での乱戦ともなれば、儀仗兵たちが後方で唱える魔術もどうしたって難しくなる。俺たちは敵の剣で命を落とすことはよしとしても、仲間の火球を背中に受けて死にたくはない。

 儀仗兵は集団で呪文を唱え、ある程度広範囲に兵器としての魔法を降らせる。混戦になってしまえば味方まで薙ぎ払ってしまう。それは当然向こうも同じだが……。

 そういっている間にも、流れ火球が俺たちに向かって飛んできた。それは十メートルほど離れた地点に落ち、大きな爆発音とともに土塊を巻き上げる。

ビュウ「……早めに行くか」

ポルパ「そうだな」

 俺たちは駆けだした。

 砂煙の中を突き進み、対峙した敵兵と剣を交えながら、俺はどうしても故郷のことを思っていた。正確には、故郷においてきた幼馴染のことを。

512 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:55:29.71 i6iad9cF0 419/1099

 口うるさい女だ。同い年のくせに、半年ばかり早く生まれたことを理由に、俺に対して姉さん面するのだ。子供のころこそ仲は良かったが、今ではもうそれほど話すこともない。

 決して美人ではなかった。くせのある髪の毛で、本人はそれを嫌がっていた。俺もその意見には同意だった。
 肌だって農作業のせいかいつも日焼けで赤く、おしゃれでもない。

 それでも、なぜか愛嬌はあった。ただいつも元気でにこにこしていたからだろうか?

 王様が映像魔法で国内に声明を発表した日、俺は道場で剣の修業をしていた。幸か不幸か、俺は辺鄙な田舎の農村にあって、大人を圧倒できるくらいには強かった。
 兵士に志願すれば金が手に入る。それも、数年分の収入に匹敵するくらいの大金だ。農家の二男坊の命の値段にしては破格だと言える。

 兵士になると言い出したのは俺からで、両親はそれを止めはしなかった。ただ小さくうなずいて、「そうか」と言っただけだった。
 国のために戦うといったが、それは嘘だ。ただ俺はあんな娯楽も何もない村を飛び出して、都会でうまくやりたかっただけなのだ。酒と女を味わって、自分の腕を試したかっただけなのだ。

 戦争なんて起こらない。起こったとしても死ぬはずはない。さすがにそこまで楽観的ではなかった。けど、俺は全然そんなことはどうでもよかった。
 そう、どうでもよかった。

ビュウ「ポルパ!」

 ビュウの声がかかるとともに、兵士が三人、こちらに向かってくる。長剣、長剣、メイス。ビュウが長剣へと向かうので俺はメイスへと向かった。

513 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:56:05.83 i6iad9cF0 420/1099

 メイスが振り下ろされる。鈍重だが、重い。剣で受けてもこんなオンボロすぐにぽっきり折れてしまうだろう。そう判断して回避した。
 風を切る音が俺の耳に届く。思わず息を細く吸い込んでしまう。

 カウンターで剣を突き出す。切っ先がメイスの皮鎧を突き破って肩口に食い込む。しかしメイスの動きはちぃとも鈍らず、なかなかの速度でメイスを振り上げてきた。

 視界が赤くなる。

 それが、近くに火炎弾が着弾したのだと理解した時には、すでに俺たちは吹き飛ばされた後だった。
 魔法の火炎の独特なにおい。プラスして、これは……そうだ、反吐の出るにおいだ。皮膚が燃えるにおいだ。

 幸いにも燃えているのは俺の皮膚ではない。そして不幸にも、メイスの皮膚でもなかった。誰かわからないが、太った人間の焼死体が転がっている。
 いや、ソレはまだ熱にもがき苦しんでいた。決して死体ではない。

 が、最早戦えない存在など一顧だにする価値はなかった。そして自分のそんな考えにすら反吐が出かける。人間のクズじゃないかこれは。
 いや、今更か。したたか打ち付けられて痛む左半身を無視して俺は立ち上がった。

 剣がない!

 どこへ行った? 今の爆発で手を離してしまったのか。なんていう失態だ、命綱を自ら話しちまうなんて!

 メイスを殺さなければいけないのに……ん?
 あった。

514 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:56:37.33 i6iad9cF0 421/1099

 俺は素早く火達磨が握っていたのであろう剣を拾う。メイスは今まさに立ち上がろうとしている最中。
 メイスが手を出して顔面を守ろうとする。それは殆ど反射だったのだろう。斬撃を手のひらで受けられるわけがないのだから。

 両手に力を籠め、俺は大きく振り上げた。
 肉と骨を断つ、固く、重い感触が確かに伝わる。剣は確かにメイスの手を切断し、顔面に食い込んだ。
 血と歯が舞った。メイスはびくんびくんと痙攣して地面に突っ伏する。

  剣がひん曲がってしまった。別の剣を探さないと。

 最初に思ったことがそれで、また血と炎の臭いで、吐き気がヤバイ。戦争が始まって二日。昨日の時点で胃の中は空っぽになって、もう何も残ってないというのに、これ以上何を絞り出すんだ俺の体よ。

 体と頭は別だった。もしくは、俺の精神だけが浮遊していた。
 えずく。

 朝からステーキを食わされたみたいな最悪の気分だ。

 戦場は地獄。だからこそ俺たちがいる。この世に地獄があることを一般に広く知らしめないためにも。
 幼馴染の幻影が見える。頑張れ、頑張れと応援してくるが、うるさい、黙れ。
 あいつの姿をこんなところに持ち込むな。

 あいつは平和な村で平和に生きて、適当な奴と結婚して、子供を産んで、死んでしまえばいいんだ。

515 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:57:15.23 i6iad9cF0 422/1099

 拳を振った。あいつの姿は掻き消える。
 ざまぁみろ。

ビュウ「ポル、パ」

 足元でビュウが俺を呼ぶ声がした。

 足元?

ビュウ「くそ、いってぇ、なぁ」

 ビュウの脇腹に、剣が突き刺さっている。

 俺の剣だ。

 いやいやまさかそんなと頭を振っても現実は変わらない。偶然? 必然? そんな理由に何の意味がある?

 ビュウが全く困ったもんだぜと言った。そんなんじゃないだろうと俺は思った。なんなんだお前はと、俺は思った。

ビュウ「そんなこと言われても」

 どうやら口に出していたらしい。ビュウは眉根を寄せて俺に微笑んだ。こんな時まで優男風だ、くそ!

 俺には何もできない。救護班まで送り届けるか? どうやって? 転移石の支給なんて下っ端の俺たちにはされてないのに!

516 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:57:41.16 i6iad9cF0 423/1099

 剣を抜くべきじゃないのはわかった。俺はとりあえず、本当にとりあえず、わからないながらもビュウの肩の下に体を入れて、足に力を込める。
 細身のくせに重たい。筋肉がしっかりついているのだ。なんだこれ。なんでこんなに重いんだよ。
 冗談じゃない。冗談じゃねぇぞ。

 力の入っていない人間は軽いなんて、俺は信じないぞ!

 思わず足を滑らせて俺はビュウごと地面に倒れた。体に力が入らない。疲れてるのだ。仲間一人支えてやれないなんて仲間失格だ。

 ちらりと見えた俺の手のひらは真っ赤だった。ビュウの体も、また。

 え?

 俺の体も?

 なんで俺の体に。
 剣、が。

 あ――?

 ぐらりと空転する視界。ビュウから地面へ。地面から空へ。空から、緑の鎧へ。
 いつの間に出てきたんだお前は。
 卑怯者め。

 剣を抜かなきゃ。

517 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:58:25.82 i6iad9cF0 424/1099

 いや、そんなことができるはずはないのだ。だって俺の剣はビュウの腹に突き刺さってるから。
 何より、俺の右手はたったいま、俺の支配下から逃れたから。

 手首から鮮血が噴き出る。もぎたてのトマトみたいな色。幼馴染のあいつが、好きだった色。
 それでもあいつはきっと血は好まない。俺には分かる。

 ……夜這いでもかけとくんだったなぁ。

 急速に視野が狭まっていく中、さらに緑の鎧が頽れたのを、俺は見た。
 血にまみれた拳の、噂にしか聞いたことのない、参謀殿のご尊顔を拝見した。

 ひたひたと足音が聞こえる。

 ひたひたと。

 俺は手を伸ばした。そこに誰かがいるような気がしたから。人間ではない何かが。

 でもきっと、そんなのは俺の気のせいだと思う。いや、絶対にそうだ。

参謀「あなたたちの犠牲は無駄にしません」

 そんな言葉が聞こえる。こいつは俺の名前を知ってるんだろうか? 知っているはずがない。だって、所詮俺たちは雑兵なんだ。

 いいか、最後に教えてやろう。俺の名前はポルパラピ

――――――――――――――――――

518 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:59:03.99 i6iad9cF0 425/1099

――――――――――――――――――

 着弾確認の合図が届く。自軍も巻き添えにしたようだが、なに、どうということはない。ここからでは人の死はわからないし、いずれそれは数字に変換されるだけだ。

 観測手がタイミングと方角の指示を出す。次撃、南南西に二度調整、三秒後に詠唱開始、一種三級魔法火炎礫を三連。オーダー。

 詠唱開始。

 発射。

 着弾確認。

 次撃指示。調整なし、五秒後に詠唱開始、魔法種同上、単発。オーダー。

 魔力の枯渇の合図があった。後方支援大隊一種魔法隊第十四班は一度下がり、代わりに十五班が詠唱を開始する。

セクラ「先輩、戦争ってこんなもんなんですか」

 一年坊のセクラだった。回復用の聖水を呑みながら、あっけらかんとした様子で俺に言う。

セクラ「ハーバンマーン先輩が驚かすから、どんなふうかなって思ってたんですけど」

519 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 02:59:39.71 i6iad9cF0 426/1099

 ハーバンマーン。俺と無意味に張り合ってくる、あの出来の悪い男のことを想像するだけで顔が歪む。やめてくれ。
 俺のそんな表情を読みとったのか、セクラは慌てて頭を振って、

セクラ「ジャライバ先輩の機嫌を損ねるつもりはなかったんですよ?」

 俺はわかっているという風に頷いた。名門ムチン家の流れを汲むこのジャライバ・ムチンがあんな男に気を取られるはずもないのだ。
 そこをあえて言葉には出さず、態度で示してやるというのがいわゆる嗜みというやつである。

儀仗兵長「調子はどう」

 休憩所の扉をくぐってやってきたのは儀仗兵長だ。初老のおばさんで、物腰柔らかな淑女。魔法の力も理論も確かにずば抜けて凄いが、一つだけ言わせてもらえば、他国の出自というのが惜しい。

ジャライバ「特段異常はないです。前線のやつらの頑張り次第じゃないですか」

ジャライバ「前線はどうなんですか」

儀仗兵長「押しつ押されつ、といった感じらしいわ。均衡しているというよりは、ある個所で前進、ある個所で後退、というような」

ジャライバ「基地に手さえかかれば攻城槌で一発なんですがね。あんな障壁さえなければ、俺一人で壊滅させられますよ」

520 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:00:14.88 i6iad9cF0 427/1099

儀仗兵長「……そうですか。頑張ってください。尽力、期待してます」

ジャライバ「言われなくてもそうしますよ。こんな埃っぽいところにはあんまり長く居たくないですし」

儀仗兵長「前線の一部で後退が始まっています。サポートをお願いします」

ジャライバ「兵長は?」

儀仗兵長「お手伝いをしたいのはやまやまなのですが、各部隊の報告の集積があります。これで失礼します」

 儀仗兵長が外へと出ていく。忙しいのは確かなのだろう。疲労の色が濃い。
 とはいえ、そんなの俺だって同じだ。朝から魔法を唱えっぱなし。単純な火炎魔法なのが不幸中の幸いだろうか。

セクラ「先輩、いきましょうよ」

 セクラが急かす。ほかにもぞろぞろと外へと向かっていく。全く、慌ただしいやつらだ。庶民はゆとりを生活に持たないから困る。
 しかし庶民に付き合うのも集団の中では悲しいかな必要なのだ。俺は椅子から腰を下ろし、外へと続く。

521 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:00:43.64 i6iad9cF0 428/1099

 外にはすでに十三班、十五班の面々が立っていた。どうやら三班合同での詠唱らしい。それまで巨大な魔法を唱えるとは考えにくい。質より量だろうか。

 十三班の隊長が指揮を執り、通信機を基にして方向、強さ、魔法種を指定していく。俺たちはそれに従って詠唱を開始、魔力を練る。

 三十数人の中心で魔力の塊がうねりを上げていた。渦巻く光。それに働きかけて炎の性質を付与していく。
 詠唱も終盤に差し掛かる。すでに何度も唱えている詠唱を、俺は無難に終わらせた。

 魔力の塊が一層の光を放ち、砕け散る。
 失敗ではない。粉々となった魔力の欠片が、拳ほどの散弾となって、細かく、しかし殺傷力も十分に、敵の陣営へと降りかかるのだ。

 丘の上からでは大して戦況を見ることはできない。しかし、今の俺には目をつむっていてもわかる。降り注ぐ炎に為す術もなく逃げ惑う敵兵の姿が!

 第二射の用意。俺は杖を握り、精神を集中させる。

 と、その時、生ぬるい風が吹いた。

 俺は思わず風上を向く。なんだかとても嫌な雰囲気が流れてきている。

 衛兵が死んでいた。

 え?

522 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:01:13.60 i6iad9cF0 429/1099

 思わず喉から変な声が出る。詠唱も止まる。止めてはいけないと、理解はしているのだが。
 魔力が不安定になって歪み始める。俺だけのせいじゃない。その証拠にほら、ほかのやつだってそちらを見て――

 セクラが倒れた。うつぶせに倒れたその背中に、大ぶりのナイフが一本、深々と突き刺さっている。
 いやいや、まさか、そんな。

「敵襲、敵襲ッ! 敵しゅ――!」

 叫んだやつもまた死んだ。人海を割ってナイフを振り上げる、黒い装束に身を包んだ数人が、俺の視界目いっぱいに入ってくる。

 太陽光がまぶしい。刃に反射したそれで、目が痛い。

 嫌だ、嫌だ! こんなの、嫌だ!

 衛兵め、衛兵め、俺を守ることすらなく死んでいきやがっ

―――――――――――――――――

523 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:01:42.54 i6iad9cF0 430/1099

―――――――――――――――――

ルドッカ「遅い……」

 嫌な予感を押し込めて私は槍に突き刺さった兵士の体を捨てる。だいぶ切れ味は鈍い。殆ど棍棒に近くなっている。それでも、大事な武器には変わらない。
 ルドッカ・ガイマン、二四歳。鍛冶屋の両親に作ってもらったワンオフを片手に、私は今日もまた、人を殺す。

 合流地点では自軍が大きく後退を余儀なくされていて、私はその殿を務めていた。追っ手の前に立ちふさがって、何とか時間を稼ぐ。

 刃を柄で弾き返し、そのまま遠心力を保って脳天へと打ち付ける。
 確かな手ごたえ。目の前の兵士は昏倒し、地面に倒れこんだ。じわりじわりと地面に鮮血が広がっていく。

 同じく殿を務める者たちの、鉄をぶつけ合う音がそこらで聞こえる。それに交じって、悲鳴や怒声や怨嗟、そして鬨の声も。

524 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:02:09.33 i6iad9cF0 431/1099


「痛ェ、いてぇよぉっ!」

「走れ! 右だ右だ右だ、そう、早く!」

「全員突っ込めぇっ!」

「欠員多数、どうしましょうか!?」
「てめぇの胸に手ェ当てれや!」

「誰か助け――ぐぇ」

「このまま攻め込むぞ!」
「そうはさせん!」

「早く救援を!」

 その救援が私なんだけど、声の主なんてわかりっこない。そもそも敵なのか味方なのか。
 友軍なら命を懸けて守り抜かなきゃならないし、敵軍なら命を懸けて追い返さなきゃならな。それが私の仕事なのだ。

525 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:02:39.48 i6iad9cF0 432/1099


 通信機からは依然何の連絡もない。泥仕合だ。せめて、せめて現状の把握さえできれば、この先の見えない戦いに希望も持てるんだけど。
 通信兵は恐らく死んだのだと思う。所詮私は遊撃隊で、便利な手ごまに過ぎない。頼れるものは仲間よりも自分の技術。

 もしかしたらここは切り捨てられたのかもしれなかった。ここを餌にして、大きく別働隊が今まさに切り込んでいるのかもしれなかった。シビアな考えこそが生存戦略なのかもしれなかった。
 かもしれない、と続けたところで不毛なのはわかっている。私だって、普段ならこんな堂々巡りを考えたりはしやしないのに。くそっ!

 火球が飛んでくる。十メートルほど先で炸裂したそれは土塊を巻き上げ、火が産毛を焼いて吹き飛んでいく。
 思わず細く息を吸った。下手したら死んでいた可能性もある。

 ぐ、と槍を握りなおす。力は入る。確かに私は、生きている。

ルドッカ「ケツに喰らいつきたきゃ、私を倒してからにしなっ!」

 煙を抜けてやってきた兵士を三人、真正面に見据え、大見得を切る。こちらもぼろぼろだがあちらもぼろぼろ。鋭い動きなんてできやしないだろうに。

ルドッカ「死ね!」

 それでも体は動くのだ。動いてしまうのだ。
 まるで黒い糸に操られるように。

526 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:03:13.87 i6iad9cF0 433/1099

 剣で肉を削がれながらも三人を倒す。倒れ伏した三人に、念には念を入れて槍の穂先を突き刺した。

参謀「お疲れ様です」

 音もなく、陰気な男が現れた。一瞬身構えるが、見たことがある。確か……そうだ、自軍の参謀だった、はずだ。
 参謀なのに前線に出る不思議な男として有名だった。茫洋としてわからないが、どうも実力のある魔法使いらしい。近接格闘タイプの。

ルドッカ「全然、状況がっ……はぁ、わからないん、ですけど」

 喋ると思わず噎せ返りそうだ。体が奮い立ってくれないのはもどかしすぎる。

 参謀は遠くを見据えるように目を細めた。

参謀「互いに戦線が伸びきっていて、このままでは敵の本隊が間に合ってしまいます。可及的に速やかに攻略する必要がある」

ルドッカ「そんなことはわかってるんですよ!」

 思わず大きな声が出た。

ルドッカ「……指揮系統が崩壊して、乱戦になってます。体勢を立て直さないと」

参謀「そう、ですね。三十分だけ持ちこたえてください。こちらも切り札を抜きます」

527 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:04:51.53 i6iad9cF0 434/1099

 この戦いは、否、この戦争は電撃戦でなければいけない。相手に対策の余地がないほどに素早く攻め込み、粉砕する必要がある。そんな目的なんて私は何度も聞いた。
 長引けば長引くほど不利になるんですよと、言葉が口元まで出かかった。三十分あればどれだけの数の命が失われるのかわからないのか。切り札とやらがあるなら、抜けるなら、今だろうに。

 わかっているのだ。参謀は恐らく、適当なことは言っていない。私は敵を一人でも多く殺して、味方を一人でも多く生かすのが役目。彼はこの戦争を勝利に導くのが役目。その差は大きくそして深い。

ルドッカ「三十分、ですね。本当に三十分あれば」

 突如背後から飛び出した黒装束の男――敵軍の特別遊撃隊の首根っこを捕まえ、へし折って、そのあたりに放り投げてから、参謀はこちらに顔を向けた。

参謀「……あれば?」

ルドッカ「……!」

 言葉も出ない。
 黒装束が手練れなのは明らかだった。そしてそれを容易く撃墜した参謀の鮮やかさは、私の技量を軽く上回る。人間業でないかのように。
 私は微動だにできてないというのに!

ルドッカ「……あれば、なんとかなるんですね」

参謀「それは、もちろん。保証します。だからあなたはこれ以上敵を進行させないでください。広がられると、厄介だ」

528 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:05:20.05 i6iad9cF0 435/1099

 私は槍をぐっと握り締めた。私には私にしかできないことがある。今は参謀を信じるしかない。
 頷いた。参謀に対してというよりは、自分の中での決意を確かめるため。

ルドッカ「わかりました。任されました」

 参謀は軽くうなずいて、奥歯を噛み締めた。苦痛に歪んだ理由に思い当たる節はないが、指摘するよりも先に、彼は風だけを残して姿を消した。転移魔法か、ポータルを使ったのだろう。
 少し遅れて、蹄鉄が地面を打ち鳴らす音が聞こえてきた。コバ。コバ・ジーマ。歴戦の強者で、私たちの指導教官でもある。
 彼は返り血に塗れていた。きっと私だってそうなんだとは、思うけど。

コバ「生きていたか」

 ぶっきらぼうにコバはそう言った。普段からこんな人柄だけど、戦場の彼は、いつもよりもっと無機質だ。心を努めて掻き消そうとしているのが見て取れる。

ルドッカ「参謀が来ました。暗い感じの男性で」

コバ「あいつか……何かされなかったか」

 眉間にしわが寄せられる。私はコバの背後にあるものを理解できない。

529 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:05:49.89 i6iad9cF0 436/1099


ルドッカ「三十分でいいから持ちこたえてくれ、と。切り札があるから、と」

コバ「いや、そういうことでは……まぁいい。それで、なに? 三十分だと」

ルドッカ「はい」

コバ「……」

ルドッカ「あの、教官?」

コバ「あいわかった」

 コバは手綱を引いた。途端に馬がのけぞり、大きく嘶く。
 戦場を劈く大きな嘶きだ。
 
 風が吹いた。ずぉおおおと音を立てて耳元を過ぎていくそれは、単なる風ではない。周囲の――敵も味方も問わない兵士たちの視線が練りこまれた風だ。
 コバが手に持ったハルバートを高々振り上げ、叫んだ。

コバ「やぁやぁ! 我こそは歩兵部隊第二中隊隊長、コバ・ジーマである! この殿を努めさせてもらう!」

コバ「友軍の背中を狙う者ども! 俺を乗り越えてからゆけぇええええっ!」

 栗毛の馬が地を蹴った。軽快な音とともに砂が舞う。
 振り回されるハルバート。当然剣の先はコバと、彼の足である馬に向けられる。それらを軽快なステップで回避し、もしくは無理やり馬ごと突っ込み、コバは友軍に追いすがる敵兵を蹂躙していく。
 私は自分の体が動いていないことにようやく気が付いて、びくっと振るわせる。

530 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:06:22.81 i6iad9cF0 437/1099

 コバの頭に矢が命中する。矢は大きな音を立てて弾かれこそしたけれど、その衝撃は消しきれるものではない。コバは思わず前後不覚になってぐらついた。
 そこを見逃さず敵兵たちは剣を向けてくる。私はとっさに彼らに指を向け、呪文を詠唱した。

 ぽすん!

 あまりにも幼稚な爆発だった。子供だましの、花火にも劣る白煙が、コバを中心として起きた。しかし、どんなちゃちな爆発だとしても、それは敵兵の動きを一秒止めるには十分だ。
 そして、一秒動きを止めていられたなら、詰めるにも十分すぎる。

 無我夢中で突き出した穂先が敵兵の喉を貫く。ぐぇ、という声、妙に固く、かつ柔らかい感触。体中を虫が這いずり回る――不快感が全身を支配するのだ。

 人なんて殺したくないのに!

 それでも、私は、

ルドッカ「死にたくない。殺させも、」

 しない!

531 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:06:52.39 i6iad9cF0 438/1099

 そのまま大きく槍を振って、近くの兵士をなぎ倒す。殺すことはできないまでも距離さえ取れれば問題はない。

ルドッカ「大丈夫ですか」

コバ「お前は逃げろ!」

ルドッカ「は?」

 何を言っているのかわからなかった。コバは優しい人だ。だからといって、職務放棄を促す人物ではない。それに、自惚れだとはわかっていても、言ってしまう。

ルドッカ「私がここを離れたら、誰が殿を守るんですか!」

コバ「俺がなんとかする。三十分間。お前はだから、できるだけ遠くへ逃げろ」

ルドッカ「ほかの皆は!?」

コバ「戦場でほかの皆とか考えてるんじゃあねぇ!」

ルドッカ「おかしいですそれは矛盾です! だって、教官――」

 ――自分一人で死ぬつもりじゃないですか!

532 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:07:22.37 i6iad9cF0 439/1099

コバ「うるせぇ! こちとらそんなこたぁ百も承知の上だ!」

コバ「この世にはな、大局的に物事を見られるやつがいる。その中には、見すぎちまうやつも、いる」

コバ「俺たちがそんな奴らのために何かしてやる必要はねぇ」

ルドッカ「意味がわかりません!」

コバ「それは俺がまだ軍人だからだ。喋りたくても喋っちゃならねぇことは喋らねぇもんだ。だけど、ルドッカ。何をやっても勝てればいいだなんてのは思い上がりだ。それは所詮人間の考えにすぎねぇ」

コバ「俺たちは確かに人間だ。神様じゃない。できることには限界がある」

コバ「だけど、だからこそ、俺たちは人間並みでないことを目指すべきなんだ。そうだろう」

コバ「目的を達成できないのは三流だ。目的を達成できて、まだ二流」

コバ「目的のために手段を選んで一流になる。それはつまり勇気があるってことだ。お前には勇気がある。俺には分かる。あっついハートが俺には見える」

コバ「だから、行け。手段を選んで勝て」

ルドッカ「いつか手段を選ぶために、今手段を選ぶなと!?」

コバ「そういうことじゃ――」

533 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:08:49.37 i6iad9cF0 440/1099

 コバが勢いよく振り向いた。怒りの冷めやらぬ中、それでも私も反射的に振り向いてしまう。長年の訓練の賜物というやつで。

ルドッカ「……なに、あれ」

 明らかに異様な存在がいた。丸太のように太い腕。樽のようなシルエット。白銀の甲冑に、長い剣。
 身の丈は約1・8メートル。兵士としては普通だけれど、気当たりのせいかもっと大きく見えた。

 コバの舌打ちが聞こえた。

コバ「来ちまったか」

ルドッカ「教官!」

 あれの正体を聞くより先に、コバが飛び出していく。最後に私に声をかけて。

 逃げろ、と。

 あれから逃げればいいのですか? それとも、もっと大きなものから逃げればいいのですか?
 どのみちあなたとみんなを置いて?

534 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:09:33.56 i6iad9cF0 441/1099

 そんなことできるはずがなかった。できるとも思えなかった。
 私はわかってしまった。私が加勢しても、あの白銀には勝てない。あれは恐らく人間でこそあるが、もっと次元の異なる存在だ。煌めく魔法のヴェールを身に纏った至高の戦士だ。

 子供だましな爆発呪文しか使えない私とは、天地ほども差がある。

 もう一度柄をしっかりと握って、地面を踏みしめていることを確かめた。踏んばらないと倒れてしまう。
 わけがわからない。この世には私のわからないことが多すぎる。コバが言っていたことの意味も、何よりこの戦争の意義も、私は何一つわからないのだ!
 それらは大事なことのはずなのに、大切なことのはずなのに。

 私は周囲を見回した。歴々たる死体が築かれている。四肢の欠損、鼻っ柱に叩き込まれた刀剣、血の海、身体の痙攣、様々な形のグロテスクがそこには山積していた。
 敵軍も友軍もいる。彼らはわかっていたのだろうか? この戦争の意義を。なぜ自分たちが人を殺し、人に殺されなければならないのかを。

ルドッカ「っ!」

 物思いに耽っている暇などありはしないのだった。友軍は今も逃げ続けているが、まだ背中は近い。それに追いすがる敵の姿も見える。
 コバへと視線を向けた。白銀との死闘が、僅かに、見える。劣勢だ。当然だとも思う。あの白銀は、風に聞こえる豪の者に違いない。隣国にそのような魔法剣士がいると、確か聞いたことがある。

 頭がぼーっとする。
 私は何をやっているんだ?

535 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:10:48.10 i6iad9cF0 442/1099


 敵兵の刃が味方の背中を切り裂いた。その敵兵もまた、味方の矢に顔を穿たれて死ぬ。

 何もわからないんなら考えるだけ無駄なのかもしれない。

 ふと浮かんだその考えを振り払う理由を私は持っていなかった。

 こんなはずじゃあなかったなどと泣き言を言うつもりはない。だけど、それにしたって、私たちは所詮一つの駒に過ぎないのだという考えを受け入れるほど、人間ができているわけでもない。
 あぁ――それだのに、どうしてこんなに思考停止がしたいのだろう。

 無我夢中で走りだした。逃げるつもりは毛ほどもなくて、ただひたすらに、槍を振るって敵陣中央へ特攻していく。
 同じく殿を務めている一団と合流した。数は三十前後といったところだろう。対して敵は百近くいる。なぜこんなにと思うが、白銀の部下に違いない。確かに練度も段違いだ。

 その中には少年兵がいた。新進気鋭の兵士なのだろう。幼いながらもその面構えは戦士のもので、二回りは年上の兵士と剣を交えあっている。

 彼の頭が炸裂した。

 至近距離からの石弓による狙撃――いや、狙撃と呼べるほど精度の高い射撃はこちらにはできない。流れ弾に被弾したに過ぎないのだ。
 それでも人は死ぬ。

536 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:11:15.92 i6iad9cF0 443/1099


 視界が歪む。滲む。気が付けば私は泣いていた。

 私たちは、敵も味方も、どこへ向かっているのだろうか。
 約束の地は見えてこない。ただ、先頭の旗手が振る御旗を目指して、がむしゃらに走っているだけだ。

 逃げることなどできるものか。
 叶うことなら一刻も早く、一秒でも早く、

ルドッカ「誰か私を……」

 楽にしてくれ。

ルドッカ「うぉああああああっ!」

 走った勢いで兵士たちの顔面を穿っていく。最早槍は捨てた。信念も、誇りも、この手には重すぎる。

 目玉と脳漿を横目で流しながら、兵士が取り落とした剣を拾った。敵兵が眼を剥いてこちらに迫ってくる。獣のような風貌。私も、もしくはそうなのだろうか。
 しかし、だとすれば随分と楽だ。こちらも向こうも。

 獣が相手ならばそれこそ何も考えなくてもいいのだから。

537 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:11:49.21 i6iad9cF0 444/1099


 振り下ろされる剣。振り上げる剣。私の剣は後者で、そして前者を叩き折って、そのまま敵兵の肋骨すらも叩き折る。
 体の中央で刃が止まった。敵兵はがひゅ、がひゅ、と不規則な呼吸を発し、最後の力を振り絞って一歩前に出たが、そこで倒れる。

 私は剣から手を離す。頼れるものは何もない。
 せめて味方が私を頼ってくれさえすれば。

 激痛が走った。それだのにどこかその痛みは体から分離されていて、あくまで客観的に、私は激痛の発生地である脇腹を見る。
 腹から刃が突き出ていた。

 刃が捩じられる。ぐじゅ、という不快な音とともに肉が捻られて、思わず私は歯を食いしばる。

 反転。

 聞くに堪えない音が耳へと届くが、それの発生源が私であろうとなかろうと、そんなことはどうだっていいのだ。
 僅かでも味方を避難させられれば、それで。

538 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:12:35.65 i6iad9cF0 445/1099


 振り返った先には老兵がいた。驚いた様子でこちらの顔を見ている。失礼な。
 私は別に幽霊じゃないというのに。

 拳を振り上げて老兵の顔面へと叩きつける。一発目は防がれたので、もう一度。今度こそ鼻っ柱へとクリーンヒット。
 倒れた老兵の腹に馬乗りになって、ひたすらに顔面を殴打し続ける。

 殴打。
 殴打。
 殴打!

 次第に手の感覚がなくなってくる。手甲に守られた拳が痛い。いや、拳というよりは手首だろうか。

 老兵が動かなくなっているのに私が気が付いたのは、地面に血まみれの歯が散らばり始めてからだった。まるで呆然として、縁側で一息つくように「ほう」と息を吐く。
 口の端から伝うものは、血だ。

 地面には血が海のようになっていて、恐らくそれは、老兵のものだけではないのだ。

 思わず地面に倒れた。視界の中では死屍累々。そしてさらにその中で、遠くから白銀が近づいている。
 あぁ、コバは死んだのだな、と悟った。

539 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:13:08.47 i6iad9cF0 446/1099


 右手は動かない。左手も動かない。
 足は……左だけが、僅かに動く。

 だけれどそれにどんな意味があるのだろう。ただ座して死を待つだけの最期を汚す必要はあるまい。

 意識に段々と靄がかかっていく。これで大丈夫だ、もう楽になれる。私は十分頑張った。仲間が逃げる時間も、ある程度は稼げただろう。だから、おやすみなさい。

ルドッカ「――」

 私は、何かを言った。のだと、思う。

 あぁ、眠い。

 私はもう一度呟く。内心で。

 おやすみなさい。

――――――――――――――――――

540 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:13:42.96 i6iad9cF0 447/1099

――――――――――――――――――

「寝るのにはまだ早いですよ」

――――――――――――――――――

541 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:14:09.20 i6iad9cF0 448/1099

――――――――――――――――――

 なぜだか俺は生きていた。ポルパの剣に腹をぶち抜かれて、それで……?

 それで?

 手を見る。体を見る。確かにぼろぼろで、生きているのが不思議なくらいで、それでも確かに、生きている。

 いや、生きているのか?

 仮にも自分の体だ。そこはかとない自覚はあった。体の奥からの鼓動が感じられない。かといって現状は戦場で、夢にも見えない。夢だとしたらこれは、あれだ。

ビュウ「悪夢だな」

 ずらりと目の前に兵士の大軍。
 その数、およそ二百。

542 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:14:57.34 i6iad9cF0 449/1099


 対するこちらは数十名。参謀を先頭にして、コバ、ルドッカ、そして……なんだ、ポルパもいるじゃないか。ほかには、どうしてだ? 儀仗兵のやつらも前線に出て来てやがる。

 参謀が指を前に示した。

 ぐん、と俺の体が前につられて動き出す。

 え?

 なんだ、これは。

 それは俺だけじゃない。周りの人間も顔だけがひきつった様子で、それでも体は真っ直ぐに、引きずられるように、前へと突き進んでいく。

ビュウ(なんだよこれぇっ!)

 声は出ない。先ほどまでは動いていたのに!?

ビュウ(なんだこれ、なんだ、なんだこれ!)

ビュウ(なんだなんだなんなんだよぅ!)

 思考は止まらない。体も止まらない。
 こうしている間にも体は勝手に敵兵をなぎ倒していく。おおよそ今までの俺とは違う、素早い動き。力強い剣の振り。そして何より、

ビュウ(痛みがねぇ!)

543 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:15:35.56 i6iad9cF0 450/1099


 怖い怖い怖い怖い怖い!
 全てが糸で操られてるみたいだ!

 俺が一人を切り伏せる間に、三人が俺の体を切りつける。だけど俺は倒れない。どういうことだ? お前ら、そんな不思議そうな顔をして、困惑した顔をして、俺を切るんじゃない!
 俺だってわかんないんだから!

 嫌だ嫌だ嫌だ、だって俺はこんなの知らない!
 こんなの望んでない!

 ちらっとでも、楽になれるんだと思ったのに!

 大軍は強い。強すぎる。煌めく粒子をその身に纏った兵団は、身体能力が向上しているのか、おおよそ人間離れした動きを見せてくる。
 だけど、悲しいかな、人間離れっぷりではこっちのほうが数段上をいっている。

 これほどまで悲しいこともそうそうない。

544 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:16:02.23 i6iad9cF0 451/1099


 だけれど、事実として俺たち三十人が、人間離れした二百人と渡り合えているのもまた事実なのだ。

 みんなが地獄のような顔をしている。
 ルドッカも、コバも、残らず。
 きっと俺だって。

 戦場の中心で白銀と参謀が戦っているのが見えた。どちらにも疲労の色が濃い。いや、白銀に関しては、純粋な驚きと恐怖か? そりゃそうだろうな。俺だってそうだ。

 どうだっていいことを考えている間にも体は敵兵を殺していく。眼に血液が入って視界が赤く染まっても、自動的にターゲッティング、アタック。
 そして俺の顔面に剣が叩き込まれて、一瞬だけ意識が

――はぁ、この通りだ。嫌になる。
 ちなみにこうしている間にも俺は死んで? いる。

参謀「もうそろ、時間ですか。時間切れでも、ありますけど」

 参謀の声が遠巻きながら聞こえた。時間。タイムリミット。いったい何がそこにあるというのか。

 空が唐突に光を放った。

545 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:16:36.83 i6iad9cF0 452/1099


 戦場のど真ん中に、突如としてばあさんが――国王様のそばでよく見かける、険しい顔をしたばあさんだ――現れた。
 緑色の光を放ち、力に満ち満ちていて、

 ?

 俺は首を捻った。つもりだ。
 なぜなら、ばあさんがあまりにも、虚ろな顔をしていたから。

 ばあさんが杖を天に突きだした。

 緑の波動が、迸る。

―――――――――――

546 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:17:04.68 i6iad9cF0 453/1099

―――――――――――

 老婆が放った波動は、その場にいた有象無象の人間を、

 ……単純に表すならば、「殺した」。

 老婆は確かに数百の人間を殺しはしたが、それは決して殺戮ではなかった。血みどろの、惨たらしい、殺人ではなかった。
 単に彼女は「死」を与えただけだ。

 敵と味方の区別なく、老婆が放った緑の波動は、あたり一帯を森へと変えた。
 全ての人間は、老婆を除いてその養分となった。

 緑の波動は敵拠点の障壁すらも吸い取って、打ち砕く。
 老婆の血に刻まれた、長き肉体改造の果ての、膨大な魔力。それによってはじめてなしえる特大魔法。例え九尾でも真似は到底できないだろう。

老婆「……」

 彼女はあくまで無言であたりを見回した。嘗ても彼女は同様の魔法を唱え、大森林の拡大に一役買ったことがある。思うことは、数十年たった今でも変わらない。

 こんなことによって得られる平和に意味があるのか?

547 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:17:32.48 i6iad9cF0 454/1099


 いや、わかっているのだ。彼女には力がない。彼女にあるのは人を殺して平和を勝ち得る能力だけで、人を殺さずして、もしくは最小限の犠牲で平和を勝ち得る能力はない。
 だからこそ彼女は勇者に期待をせずには――否。願わずにはいられなかった。
 全てを救うと嘯く彼が、自分の夢をかなえてくれると。

「また、派手に、やりました、ね」

 樹木が声を発していた。参謀の声である。
 全てを気に吸い尽くされても、まだ自動操作は健在らしい。全くしぶとい人間である。

老婆「派手にやることしか、できないのでな」

「ともかく、敵の進軍は、水際で、止められまし、た。あとは、第二軍を出して、攻めれば、ひとまずは」

老婆「勝ち、か」

「はい」

老婆「お前はどうするんだ」

「僕は、もう無理ですね。死んでる体を、動かすのも、限界です」

老婆「魔力を回復してやろうか?」

「勘弁、して、くださいよ」

「魔力が切れたら、隊長も、本当に死にます」

「けど、それでいいような気も」

老婆「そうか」

548 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:18:01.02 i6iad9cF0 455/1099

「勝って、ください」

老婆「わかった」

「最後に、立ってさえ、いれば。それで、勝ちなん、ですから」

老婆「何千何万死んでも」

「はい」

老婆「儂もずっとそう思っていたよ。そう思い込もうとしていた」

「勇者、さん、ですか」

老婆「……」

「図星、ですか」

老婆「あいつなら、できる気がするんじゃ」

老婆「根拠など何もないんじゃがな。限りない愚か者のあいつなら、きっと、いつか、必ず」

老婆「そう思うのは、このババアの勝手じゃろうか」

老婆「……」

老婆「参謀?」

 木は喋らない。当然である。死んだ人間が動かないように。
 それが自然の摂理というものだ。

549 : ◆yufVJNsZ3s - 2012/11/08 03:19:13.79 i6iad9cF0 456/1099


 だが、それを曲げようとする者がいるのもまた、自然の摂理と言える。

 老婆は通信機を取り出した。

老婆「全隊へ次ぐ。ただちに敵拠点を攻撃し、制圧してくれ。兵站を断っている今が勝負じゃ」

老婆「攻められるかぎり、攻めろ」

 通信機をそう言って切って、空を仰ぐ。

老婆「くそ」

―――――――――――



勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【パート3】 に続きます。


記事をツイートする 記事をはてブする