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『可愛い猫の飼い方』の隣に『実は食べられる! 身近にある意外なモノ』という本が置かれているのはどうかと思います。
垣根は無数に並んだペットの飼育法の本の棚を見てうんざりしていた。
動物なんて飼ったことがない垣根にとって、本の良しあしなんてものはわからない。
なので、とりあえず一番高い本を手に取る事にした。
子猫がおもちゃにじゃれついている写真が表紙の本で、世の猫好きが見れば悶え死ぬような可愛らしさなのだが垣根が見たのは値段のみで、表紙には一切目を向けていない。
そもそも、垣根自身が自分の事を学園都市の暗部でいいように使われている犬と思って居るのだから、ペットという存在に対していい印象を持つことは無理かもしれない。
だが、垣根は猫を飼う事を了承した。
本来ならば、有無を言わず断ったはずなのに。
最悪、能力で猫もろとも叩き潰してしまえばよかったはずなのに。
どうしてこんなことをしているのだろうか、と垣根は本を手にしたまま疑問に思う。
(……ファミレスに行って、服見に行って、食べ歩きして、バッティングセンター言って……んで、猫を拾ってか。ハッ、なんだこれ、まるで表の平和ボケした奴みてーだな)
垣根は自嘲気味に笑う。
表の世界の住人を裏の世界に巻き込むことは極力しない、という信念を掲げているということはつまり、裏の世界が表の住人に干渉することも快く思っていないという事だ。
垣根帝督という人間は、もうどうしようもないくらい裏の世界に染まってしまった。
悪徳と非人道で歪みきった学園都市の『闇』に一度でも浸かってしまえば、もう二度と日を浴びることはできない。
一度腐ってしまったものは、もうどうやっても鮮度を取り戻すことはできないのだ。
(ま、アイツに付き合うのは今日限りだ。今日みてぇなくだらない上に疲れる日なんてもうねぇだろうな……いや、アイツの事だからな、猫に会うって名目で俺の家まで押しかけかねねぇ。だったらアイツにマンションの一室でも買い与えて、そこで猫飼わせた方がいいのか……)
猫が飼いたくないがためにマンションの一室を買うかどうか真剣に悩む垣根。
色々考えてみたものの、最終的にやめておくことにした。
妹にマンションを買い与えた男が自分だなんて知られたら、御坂美琴が余計に絡んできそうな気がしたからだ。
(さっさと本だけ買っちまうか。しかし本当に俺が飼うのかよ……)
垣根は初めて、本の表紙に視線を落とす。
可愛らしい猫を見て、垣根の取ったリアクションはただただ面倒臭そうにため息をつく、というものだった。
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少女は薄暗い路地裏を駆け抜ける。
制服姿の少女の手に握られているのは学園都市で開発された『オモチャの兵隊』【トイソルジャー】と呼ばれるアサルトライフルで、
積層プラスチックで構成される最新鋭の兵器だ。
赤外線にて標的を捕捉し、電子制御によってリアルタイムで弾道を調整するその銃は小学二年生ですら今この場で銃の名手になれるほどの性能を持っている。
だが、それを持ってなお、少女は追う立場ではなかった。
追われる立場であった。
少女の後方に蠢く白い影。
それは人の形をしていた、が、その動きは人の動きではなかった。
まるでゴムボールがバウンドしているかのように、白い影は建物の外壁を蹴って三次元的にジグザグに動きながら少女との距離を徐々に詰めている。
「そンなに尻ばっか見せてンじゃねェよ! 誘ってンのかァ? 実験動物風情がよォ!」
心底愉快そうな、男の狂気じみた声が路地裏に響く。
少女は足を止めずに体だけを後方に向け、『オモチャの兵隊』のトリガーを白い影に向けて躊躇なく引いた。
卵すら割らない、というキャッチコピーがあるほど反動を軽減できる『オモチャの兵隊』から放たれた弾丸は寸分違わず狙った位置、人体の急所へと叩き込まれる。
が、次の瞬間に異変が起こる。
少女の目は弾丸の軌道を見抜ける程の性能は有していない。
だから、何が起こったのか理解するのは難しいだろう。
と、いうよりも、その現象はたとえ目の当たりにしても信じることはできなかったかもしれない。
銃口から放たれた弾丸の全てが、そっくりそのまま射線を逆流するように戻ってきて銃口に再び収まった、なんて現象は。
少女の手にあった『オモチャの兵隊』が爆散する。
その破片が少女の顔や腕に傷を作るが、少女はそれを無視して再び白い影との距離をとろうとした。
が、遅かった。
白い影は壁を蹴って少女の頭上へと跳び、次の瞬間には少女の肩を思いきり踏みにじりながら着地した。
「……ぃ……ぎぃ……!」
「まったく、哀れだよなァオマエラ」
白い影、白い少年は昨晩の献立でも話すかのような気楽さで口を開いた。
「必要情報は全部『学習装置』【テスタメント】でインプットされてるって話だが、痛覚とか苦痛だとか、そォいう感覚は最初から排除してくれりゃァよかったのになァ。そォすりゃテメェラがこんなに苦しむことはなかったのによォ」
メキメキメキ、と少女の体内から骨が軋む音が響く。
少女の悲鳴と肉体の断末魔の二重奏を聞きながら、白い少年はしゃがみこみ少女に顔を近づける。
「ま、俺からすりゃァ何の問題もねェンだがなァ。そりゃオマエ、泣きも喚きもしねェ人形を叩き潰すよりかは、良い声で啼く家畜を殺した方が楽しめるってモンだ」
「……ッ!」
少女は白い少年に向けて電撃を放つ。
レベル2程度の、微弱な電流で少年をどうにか出来るなどとは思っていない。
ただ、この状況から逃げ出せる程度の時間さえ稼げれば、という思いで放った電撃。
が、それは少年に命中したと思った次の瞬間、何故か少女の体に電撃が迸った。
「ぁ!? ひ、ぎぃ……ッ!」
「残念、そンな電撃じゃァ俺をシビれさせる事ァ出来ねェよ。せめてこれくらいエキサイティングな事してくれなきゃなァ!」
白い少年の蹴りが少女の腹にめり込む。
平均よりもかなり細い、華奢ともいえる少年の肉体から放たれた蹴りは、少女の体を五メートル以上の高さまで舞い上げた。
「……ッ!」
湧き上がる嘔吐感。
少女は胃の中のものを空中でぶちまけながら、五メートル以上の高さからアスファルトの地面へと墜落する。
「きったねェなァ。死に際くれェエレガントに逝こォぜェ?」
「ゲホッゲホッ! ……アナタの……能力は……」
少女は朦朧とする意識の中、白い少年の能力を分析する。
放ったはずの弾丸を逆流させ、放ったはずの電撃を丸ごと返された。
これが意味するのは、つまり。
「攻撃の、反射……?」
「残念、間違っちゃいねェが、それは俺の能力の本質じゃねェんだよなァ」
白い少年が、少女の傷口に指を突き刺した。
少女が短い悲鳴を上げるが、それは少年にとって愉悦でしかない。
征服した、という黒い優越感。
白い少年は嗜虐的な笑顔を浮かべながら、まるで自分だけが答えにたどり着けたナゾナゾの解説をするかのように、嬉々として答えを述べる。
「正解は『ベクトル変換』でしたァ! 運動量に熱量、この世に存在するありとあらゆる『向き』は俺に触れた瞬間に変更可能ってわけ。デフォ設定が反射だからなァ、ま、五十点って所かァ」
反則。
少女の抱いた感想は、ただそれだけだった。
超電磁砲が直撃しても、原子崩しの集中砲火を浴びても、それは白い少年の髪をなびかせることすら出来ない。
核戦争が起こったとしても、白い少年だけは無傷で生き延びる事が出来る。
学園都市の能力者開発というのは、強い能力者を生み出すのが目的ではない。
どうして能力者が生まれるのか、そのメカニズムの解明こそが学園都市の目的である。
なのに、この白い少年は世界を相手にしてもなお生き残る、それほどの戦力を有している。
科学の発展が核爆弾という世界を壊滅させられる兵器を生み出してしまったように、超能力開発は世界を敵に回しても勝利できる化け物を生み出してしまったのか。
「さァて、ここで問題です」
白い少年は嗤う。
彼こそが、学園都市最強の存在。
七人のレベル5の頂点。
学園都市第一位、『一方通行』【アクセラレータ】だ。
「俺は今、テメェの血液の流れに触れています。コレをすべて逆流させれば、一体どォなってしまうでしょォか?」
「ぁ……!」
少女の脳裏に一人の少年の姿が浮かぶ。
だが、少女は少年の名をつぶやく事は無く、そのまま激痛と共に意識は闇の中へと消えていった。
本屋を出た垣根はミサカがいないことにすぐ気が付いた。
「……? どこ行きやがったアイツ」
まさか帰りやがったのか? とも思ったが、店に入る前にミサカが立っていた位置にポツンと猫だけが寂しそうに残されている。
あの猫好き無表情が猫一匹残して帰るとは思えない。
「ったく、面倒みれねぇ奴が動物を飼うとかほざくんじゃねぇよクソッタレ」
意外にも常識的な事を言いながら、垣根は猫を抱きかかえた。
猫は漸く安心したようで、リラックスした様子で、にゃーと一度泣いた。
案外この男、口では面倒だ何だと言っていたが、飼うと決めた以上は本気で飼うらしい。
これがツンデレと言うやつなのだろうか。
「……?」
ミサカの姿を探した垣根は、ふと違和感に気づく。
そこにあるのに、誰の目にも映らないような、そんな路地裏から漂ってくる気配。
垣根が今までに何度感じたかわからない、嫌な臭いが。
「…………何だ?」
垣根は猫を抱きかかえたまま、静かにその路地裏へと足を踏み入れる。
そしてすぐにそれを発見した。
地面に転がっているのは、ローファーのようだ。
いかにも学校指定です、といった感じのデザインのそれに垣根はどうも見覚えがあった。
垣根はさらに足を進める。
誰かが慌てた拍子にぶつかって倒れたと思しきゴミ箱が転がっていたり、何やらプラスチック片のようなものが散らばったりしている。
その先にあるのは、曲がり角。
「…………」
そこに何があるのかは、垣根にはわからない。
垣根は透視能力者でもなければ、未来予知能力者でもないからだ。
だから、見るまではそこに何があるのかはわからない。
頭に浮かんでくるこの予感も、ただの妄想かもしれない。
だから、垣根帝督は足を止めなかった。
確認せねばならない。
より一層太陽光が遮られ暗い路地裏の曲がり角。
垣根は、静かにその曲がり角を曲がった。
そして、見た。
ミサカと思われる少女の、あまりにも無残な死体を。
「………………」
垣根は無言だった。
驚きで声が出ない、というわけではない。
実際、垣根は冷静に状況を見極めようとしていた。
ミサカは仰向けに倒れていた。
だが、本来仰向けに倒れているならば、顔が必ず見えるはずなのだが、顔らしき部分が見当たらない。
顔があった部分は、まるで花が開花したかのように爆散しているのだから。
辺りを染め上げている液体の正体は、血であろうか。
人体を雑巾のように絞ったのかと思うほどにその量は尋常ではなく、地面どころか壁にまでぶちまけられていた。
身に着けている衣服には一切の傷がなく、だがしかし地肌が見えている腕や足の部分は、
有刺鉄線をぐるぐる巻きにして無理やり引っ張ったのかと思う程、ズタズタで見る影もない姿へと変貌している。
もはやそれが誰なのか識別することが不可能なレベルで破壊されている死体だったが、垣根はそれがミサカである事を確信していた。
理由は、何処かにはじけ飛んだのか、指の数すら足りていない死体の左手。
薬指だったはずの肉片の根元に、不気味なくらい無傷のリングがわずかに差し込む日光を浴びて輝いていたからだ。
「……随分とまぁ、殺した奴はオリジナリティ溢れる殺し方を知ってるもんだな」
垣根の『未元物質』でもこんな状態の死体を作り上げることは不可能だろう。
まるで、全身にワイヤーでも通し、それを一気に引き抜いたかのような、そんな不可解すぎる死体を垣根は冷たい目で見つめている。
もしもこれを目撃したのが何の変哲もない少年であったならば、あまりの惨状に嘔吐し、涙を流しながらそれでも警備員に通報する、なんて行動をとるだろう。
だが、垣根はその死体を見ても全く動揺を見せなかった。
が、変化がなかったかと聞かれれば、そうではない。
垣根の顔面からは、完全に感情が消えている。
言うならば、とても楽しい夢から覚めた直後のような、現実に引き戻されたときに感じる喪失感。
そんな空っぽの感情が、垣根帝督を包み込んでいた。
その時、路地裏から何か物音が聞こえた。
「!」
垣根は一瞬で臨戦態勢になる。
野良猫かもしれないし、裏路地によく潜んでいるスキルアウトかもしれない、ならば垣根の警戒は無駄だろう。
だが、この惨状を作り上げた犯人という可能性もある。
ミサカはレベル2、垣根はレベル5第二位、その差は歴然で、垣根がミサカと同じような死体へ変貌することはまずないだろう。
だが、垣根は一切の油断をしていなかった。
麦野沈利と戦った時以上に本気で、垣根は路地裏から現れるそれを静かに待ち続けた。
そして、垣根は見た。
路地裏から現れた『ソレ』は、どうみても――
「……ミサカ?」
「はい、ミサカはミサカです。とミサカはアナタの疑問に返答します」
感情のない表情に特徴的な喋り方、頭に着けた軍用ゴーグル。
姉である美琴が現れたほうが、まだ垣根は動揺しなかっただろう。
だが、今目の前に現れたこの少女は、どう見ても垣根が今日の大半を共に過ごしたミサカだった。
「どうなってやがる……?」
「混乱するのも無理はありません、とミサカはフォローを入れます。ですが安心してください、アナタが思い浮かべる『ミサカ』は間違いなくそこに死亡しているミサカですから、とミサカは説明します」
「……あ?」
垣根は再び死体へと目を向ける。
もはやそれがミサカであることは、垣根が作ったリングでしか判別することは出来ない。
「ミサカ達はそのミサカの死体を回収しに来ました。とミサカは説明します」
「……ミサカ、達……だと?」
カツリ、と『ミサカ』の背後から足音が聞こえた。
足音の正体は大きな寝袋を担いでいて、その顔は――
「…………おいおい、どうすんだよ。意味わからな過ぎて笑いしかでねぇぞ」
その顔は、どうみてもミサカだった。
しかも、それだけではない。
足音は一つ、二つ、三つ四つ五つ六つとどんどん増えていく。
そのたびに、新たな人影が路地裏から現れる。
その現れた人物の顔は全て同じ顔で、そのすべてがミサカだった。
意味が分からず、垣根は無表情のまま笑った。
『ミサカ』達は『ミサカ』の死体を手際よく処理していく。
死体を寝袋に詰め、あちこちに散らばった部位を押し込み、血液を乾燥させ剥がし、薬を用いてルミノール反応などが出ない様隠蔽している。
同じ顔の少女を同じ顔の少女たちが機械的に片づけていく。
超能力が蔓延する学園都市においてなお、その光景はあまりにも非現実的すぎた。
「アナタが今日共に行動していた個体は10031号です、とミサカは説明します」
最初に現れた『ミサカ』が事務的な口調で垣根に説明する。
「ミサカ達は脳内のネットワークを介してそれぞれの個体の記憶を共有しています、とミサカは追加説明します。10031号はとても楽しかったようですよ、とミサカは代わりにお礼を言います」
そのお礼に、いったいどれほどの意味があるのか。
「……礼なんかいらねぇ。だが一つだけ答えろ。――――テメェ等、いったい『何』なんだ?」
「クローンですよ、とミサカは述べます」
即答だった。
「学園都市に七人しかいないレベル5の第三位であるお姉様【オリジナル】の量産軍用クローンとして生み出された妹達【シスターズ】ですよ、とミサカは答えます」
クローン。
それは学園都市では有名な都市伝説ではあるが、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎてだれも本気にしていないネタのはずだった。
だが、目の前に居る『ミサカ』達は顔も、身長も、何もかもが写し鏡のように同じだった。
紛れもなく、現実だった。
「関係ないアナタを実験に巻き込んでしまい申し訳ありません、とミサカは謝罪します」
寝袋を担いだまま、ペコリと『ミサカ』は頭を下げた。
他の『ミサカ』達は次々に路地裏の奥へと消えていく。
「これはお返ししておきます。とミサカは手渡します」
そう言って『ミサカ』が垣根に手渡してきたのは、『未元物質』で作られたリングだった。
「…………」
「では失礼します、とミサカは別れの挨拶を告げます」
それだけ言って、『ミサカ』は去って行った。
「………………………」
一人残された垣根は、完璧に処理を施され、死体なんて初めからなかったかのような状態にされた路地裏にしばらく佇んでいた。
やがて、垣根は携帯電話を取り出し、ある人物へと電話を掛ける。
電話は、3コール程で繋がった。
『どうしたの? 仕事でも入った?』
「心理定規、テメェに調べてもらいたい事がある」
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垣根が『スクール』のアジトに戻ると、すでに心理定規はいくつかの書類を手にベッドに腰を掛けて待っていた。
「お帰りなさい。案外早かったわね」
「そりゃこっちのセリフだ。ちゃんと調べたのか?」
「当たり前よ」
すねたように唇を尖らせながら、心理定規は垣根の元へ歩み寄る。
「こちとら暗部としての権力やコネを全部使って全力で調べ上げたんだから。少しくらい労ってくれてもいいんじゃない?」
「今度俺のおすすめの店に連れてってやる。それでいいだろ?」
「じゃあその日一日私とデートしてね。それならいいわ」
「わかったからとっととしやがれ」
「はいはい……って、ちょっと待ってよ何その猫、何であなたが猫を抱いてるの? ちょ、ちょっと触らせてよ撫でさせてよ愛でさせなさいよ」
「うるせぇからさっさと説明しろ!」
心理定規も、垣根のその反応はやや不満だったようだが、書類を机の上に並べて近くにあった椅子に座った。
「第三位、超電磁砲についての情報……それも表沙汰にはなっていない、裏の情報を調べろだなんて、最初はアナタが性質の悪いストーカーにでもなったのかと思ったわよ」
「あんなガキのプライベートなんざ誰が興味を持つか。そんなくだらねぇ情報しか調べられなかっただなんて言わねぇだろうな?」
「当然よ。中々に衝撃的な情報を手に入れたわ」
心理定規は一枚の書類を垣根に手渡した。
何やらゴチャゴチャと専門用語が使われていたり、謎のグラフが描かれていたりと目に優しくない書類だったが、一番上に書かれた文字に垣根は目を疑った。
『量産異能者「妹達」の運用における超能力者「一方通行」の絶対能力への進化法』
書類を持つ垣根の手に、無意識に力がこもった。
『一方通行』という人物と、『絶対能力』という単語。
この二つを見た瞬間、垣根の心に沸々と黒い感情が湧きあがっていた。
絶対能力【レベル6】
学園都市のレベルは最大でも5、だからこそ一方通行と垣根帝督はレベル5という段位に収まっている。
誰も踏み込めない前人未到の神の領域、それがレベル6だ。
垣根はさらに、その下に書かれた文章に目を通す。
『学園都市には七人のレベル5が存在する』
『しかし、「樹形図の設計者」を用いて予測演算した結果、まだ見ぬレベル6へ到達できる物は一名のみという事が判明』
『他のレベル5は成長の方向性が異なる者か、逆に投薬量を増やすことで身体バランスが崩れてしまう者しかいなかった』
『唯一、レベル6にたどり着けるものは一方通行と呼ぶ』
唯一。
その言葉に垣根の中のどす黒い感情はさらに猛り狂った。
第一位という存在に人一倍の執着と敵意を持つ垣根にとって、ここに書かれた文章はあまりにも許しがたい物だった。
『一方通行は事実上、学園都市最強のレベル5だ。「樹形図の設計者」によるとその素体を用いれば、通常のカリキュラムを250年を組みこむ事でレベル6にたどり着くと算出された』
『しかし、我々は「二五〇法」を保留とし、他の方法を探してみた』
『その結果、通常のカリキュラムとは異なる方法を「樹形図の設計者」は導き出した』
『実践における能力の仕様が、成長を促すという点である』
『特定の戦場を用意し、シナリオ通りに戦闘を進めることで「実践における成長」の方向性をこちらで操る、というものだ』
垣根の頭の中で、パズルのピースが合致するような感覚があった。
大量の『ミサカ』達、死体、それらが一つの悍ましい結果へとつながっていく。
『予測装置「樹形図の設計者」を用いて演算した結果、百二十八種類の戦場を用意し、超電磁砲を百二十八回殺害することで一方通行はレベル6へと進化することが判明した』
超電磁砲というのは第三位の異名、すなわち御坂美琴の事だ。
『だが、当然ながら同じレベル5である超電磁砲は百二八人も用意できない。そこで我々は同時期に勧められていたレベル5の量産計画「妹達」に着目した』
『当然ながら、本家の超電磁砲と量産型の妹達では性能が異なる。量産型の実力は、多めに見積もってもレベル3程度のものだろう』
『これを用いて「樹形図の設計者」に再演算させた結果、二万通りの戦場を用意し、二万人の妹達を用意することで上記と同じ結果が得られることが判明した』
『二万種の戦場と戦闘シナリオについては別紙に記述する』
別の紙に目をやると、そこにはズラリと並べられた『死に方』リストが存在した。
いつ、どこで、どうやって、どういう風に死んでいくのか、それが細かく設定されている。
「こっちの紙にはクローンの作り方が書かれてるわよ」
心理定規の手にあった書類を奪い取る様に垣根は掴み、目を通す。
『妹達の製造法は元会った計画のものをそのまま転用する』
『超電磁砲の毛髪から摘出した体細胞を用いた受精卵を用意、コレにZid-02,Riz-13,Hel-03等の投薬を用いて成長速度を加速させる』
『結果、大よそ十四日で超電磁砲と同様、十四歳の肉体を手にすることが出来る』
『元々劣化している体細胞を用いたクローン体である事、投薬において成長速度を変動させていることから、元の超電磁砲より寿命が減じている可能性が高いが、実験中に性能が極端に変動するほどではない物と予測できる』
『むしろ問題なのは、肉体面ではなく人格面である』
『言語、運動、倫理などの基本的な脳内情報は〇~六歳時に形成される』
『だが、異常成長を遂げる妹達に与えられた時間はわずか一四四時間弱。通常の教育法で学ばせることは難しい』
『よって、われわれは洗脳装置【テスタメント】を用いてこれら基本情報をインストールすることにした』
羅列されている文字にすら悪意を感じるような、そんな吐き気を催す内容。
垣根の脳にフラッシュバックするのは、幼いころから自身が見続けていた学園都市の裏側の光景――そして、自分を一日中連れまわしたクローンの姿。
自分を振り回し続けたあの身勝手さも、無理やり脳に叩き込まれた基本情報だったのだろうか。
ハンバーグを食べている時のあの感動も、ムキになってバットを振っていたあの姿も、猫を可愛がるときにみせていたあの表情も。
全てが、ただインストールされたプログラム通りの行動だったのか。
「…………ハハッ、成程な。くだらねぇ、まったくくだらねぇな」
垣根は笑う。
ここまで乾いた笑いが存在するのだろうかと思う程に、力なく。
「俺としたことが、ただのクローン風情にあれだけ振り回されてたのかよ。情けねぇなぁ」
「……帝督」
「この猫だって、あのクローンに押し付けられたんだぜ? ざまぁねぇなぁ、お前もあのクローンと一緒に殺されりゃああの世であのクローンと一緒に過ごせたかもしれねぇのに」
「帝督、聞いて」
心理定規が書類を置いて、まっすぐ垣根の瞳を見つめる。
「今夜……後一時間ちょっとで、次の実験がスタートするわ」
ピクリと、わずかに垣根が反応する。
「場所は第十七学区の操車場、開始時刻は八時三十分。ここからあなたの能力ならばすぐに着くわ」
「……あぁ? 何言ってやがる?」
明らかにイラついたように、垣根は心理定規を睨みつけた。
どうしてこんなにも苛立つのか、垣根は自分にもわからない。
「どうして俺が、このクソ下らねぇ実験とやらに干渉しなきゃならねぇんだ? クローンを助ける理由何ざこれっぽっちも存在しねぇよ」
「あら、私はそこに行けば第一位が言うのだから殺せばいいじゃない、というつもりで言ったのよ。クローンを助けろ、だなんて一言も言ってないわ」
「……」
「暗部で仕事をしているアナタなら、何かを助けるだなんて考えすらしなかったでしょうね。……実は今日、街中で一瞬だけど帝督とクローンが一緒に居るのを見たの」
「……」
「貴方は面倒臭そうに顔を顰めてたけれど、でも私にはわかった。嫌じゃなかったんでしょう? もう表の世界には戻れないとわかっていても、表の世界の住人のように過ごすのは悪くないと思ったんでしょう?」
「心理定規、黙れ」
「私は心理定規、心の距離を測る能力者。でも今のあなたの心は能力がなくても測れるわ。アナタは闇から抜け出したいんでしょう? 暗く、寂しく、悲しい裏の世界から――
垣根はいきなり立ち上がり、心理定規の首を掴んだ。
「……ッ……かっ……!」
「黙れっつったんだよ、俺は」
ギリギリと、垣根の手に力がこもる。
心理定規の細い首が小さく悲鳴を上げるように軋む。
「くだらねぇ事ばかり言いやがって、しかも殆ど大外れってんだから性質が悪ぃ。いいか? 俺は暗部から抜け出そうとなんて思ったことはねぇよ」
「……」
「闇に浸かっちまったら、もう抜け出すだなんて思う事すら出来ねぇんだよ。学園都市のクソッタレっぷりを一度見ちまえば、もう平和に過ごすなんて絵空事は語れねぇ。俺は自分の意思で暗部に所属した、そしてこのクソッタレな環境で俺は俺の目的を成し遂げる、その意思は誰が何をしようと変わる事は無い」
垣根帝督の言葉には強い意志が宿っていた。
暗部に生きてきた垣根にとって、表の世界とはもう二度と手の届かない範囲。
裏の世界の人間が、表の世界に行くだなんて事は垣根には認められない。
「俺は暗部から抜け出すことはない、俺は一生このクソッタレな世界で生きていくと決めた。俺みてぇなクズはクズの世界でしか生きられねぇからな」
だが、
「…………でもよ」
垣根は心理定規の首を離す。
心理定規は咳き込みながら、涙ぐんだ目で垣根の顔を見た。
「…………学園都市の裏側に生きるクズの都合で、表の世界に生きるべき奴が死ぬってのは、気にくわねぇ」
その顔は、怒っているようで、微笑んでいるようで、悲しんでいるようで――何かの感情に満ちた、とても人間らしい表情だった。
垣根は身を翻し、心理定規に背を向け歩き出す。
その先にあるのは、先ほど垣根が入ってきたアジトの出入り口だ。
「……行くの?」
「どのみち第一位はぶち殺すつもりだったんだ、それが今になっただけだ」
「なら、私に何か手伝えることはあるかしら?」
「戦力としてならお前は邪魔なだけだが……そうだな、他の暗部組織が動こうとしてたら、それを食い止めろ」
「案外難しい注文をするわね。……でもまぁ、わかったわ。私に任せて」
「おぅ。…………悪いな、心理定規」
「ちょっとやめてよ、いきなりそんな素直になっちゃって、死亡フラグがビンビンよ」
「ハッ、くだらねぇ。この俺に死亡フラグなんてそんな常識が通用するかよ」
垣根は背を向けたまま手を振り、アジトを後にした。
一人残った心理定規はノートパソコンを起動しながら、垣根の出て行ったドアを見つめていた。
「……本当、ツンデレね。帝督は」
クスリと笑い、心理定規は真剣な表情でパソコンの画面と向き合った。
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「…………で」
垣根はアジトから少し離れた場所に居た。
時間のせいもあるが、元々人がほとんど通りかからない場所に居る理由は一つ。
「何でテメェが、ここに居る?」
「説明しなきゃいけないでしょうか?」
車輪が地面を擦る音。
街灯に照らされ、闇の中から現れたパジャマ姿の女性は木原病理だった。
「俺の予想が外れてくれりゃうれしいからな、答え合わせだ」
「答え合わせは重要ですね。ええと、私はあなたを諦めさせに来ました」
「……予想通りかよ、クソッタレ」
ニコニコと、病理はいつも通りの笑みを浮かべている。
だが、いつもとは明らかに違う点が一つだけあった。
今日の病理は、『木原』である事を隠そうとしていないようだ。
「一応聞いてやる、何で俺を止めに来た?」
「アナタが第一位に挑む事に何のメリットもありません。アナタが死ぬと私も『未元物質』の研究が出来なくなってしまいますし」
「俺が死ぬのは確定か? 舐めてやがるな」
「確定ですよ、なぜなら相手は第一位で、アナタは第二位だからです」
当たり前のように病理は言った。
1よりも10の方が多いという事実はどうやっても変えられないように、第一位という存在を第二位が打倒することは不可能だと。
「第一位の能力を発現させたのは、私よりも上位の『木原』です。第一位の能力が第一位になるべく狙って作られた能力とは言っても、第一位の能力を扱うのには常軌を逸した演算能力が必要になります。
それを可能とする開発を行った『木原』は紛れもなく天才でしょう。
だから帝督、諦めてください。あなたが第一位に挑めば学園都市、そして『木原』のトップランカーたちをも敵に回すことになります。そんなことになってしまえば、帝督には何のメリットもありませんよ」
「…………悪いな、木原病理」
垣根は意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺はテメェと違って、『アイツには敵わないだろうから諦めよう』だなんて軟弱な考えは持てないタイプなんだよ。敵わねぇって言われたら見返してやりたくなるタイプだ」
「…………」
木原病理から表情が消えた。
カタカタと手元のキーボードを叩くと、病理の座っている車椅子のシルエットが変化し始めた。
車輪部分が割れ、蜘蛛のような金属の多脚が中から出現する。
さらに側面から現れたのは、もはや大砲と見紛うほどの口径を持つ大口径散弾銃と軽機関銃、さらにはまるで蟷螂のような鎌までもが現れた。
「垣根帝督、さっさと『諦めて』ください。第一位に挑めばあなたは必ず敗北し、死亡する。そんな事、私は認めません。死なれては困ります、アナタと言う究極の実験材料を、失うわけにはいきません」
「……最後のがなきゃ、中々にいいセリフだったんだがなぁ」
垣根はため息を吐く。
――――そして、次の瞬間には銃声と金属音と爆発音が、垣根の居た場所を飲み込んだ。
「……ここで優しく抱きしめて、涙でも流しながら「行かないで」とか言われたら中々良い演出だし考え直してやったんだがな」
爆風が一瞬で吹き飛ばされる。
中から現れたのは、白い六枚の翼を背にした垣根の姿だった。
「木原印の兵器か。その辺の能力者よりかは楽しめそうだな」
「楽しむのなんて諦めちゃってくださーい、と、言うわけですべてを諦めろよ垣根帝督」
変形した車椅子から奏でられる、笑い声のような金属音。
悪魔のような思想を持つ科学者と、天使のような翼をもつ能力者。
二つの人外が、激突する。
『次回予告』
『ところがどっこい死なないのでーす』
――――『諦め』を司る『木原』ファミリーの一人 木原病理(きはらびょうり)
『クソ……! 舐めんじゃねぇぞ木原ぁ!』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
―――
―――――
―――――――――
耳障りな音が連続して響く。
木原病理の乗る車椅子は金属の八本脚の爪を食いこませながら、垂直の壁を恐るべき速さで移動していた。
一方、垣根は背に生えた翼でビルとビルの間の空間を自由に飛び回る。
その光景は、まるで獲物の蝶を狙う蜘蛛のようだ。
「俺の好きな映画の二作目にテメェみてぇな動きをする敵が出てきたな。同じ金属製の脚だがあっちは蜘蛛じゃなくて蛸だったが」
「私も見ましたよ、あの映画。足が使い物にならない私にはあの人体改造は魅力的でしたね」
金属の足でビルの壁面を跳躍するという荒行を軽々と成し遂げる木原印の車椅子。
昆虫や動物の動きをするロボットというのは珍しくない。
火災現場等の人が立ち入れない場所での救助活動を行う際、人型よりも動きや機能性に優れた動物型の方が何かと優秀なのだ。
そして木原病理の扱う科学製品も同じように、昆虫の動きをモデルにしており、この車椅子は蜘蛛の動きを参考にして作られたものだ。
だが、木原病理が真に目指す科学製品は昆虫を科学的に再現した、なんてありふれたものではない。
現実には存在しない、未確認生命体を科学的に再現するというのが、病理が思い浮かべている木原印の車椅子の完成形である。
(まぁ、それを再現するためには私の頭の中にある理論を実現させる材料が必要なんですけどね)
その材料こそが、垣根の『未元物質』。
この世に存在しない物を再現するには、この世に存在しない物質を扱うしかない。
もし、この理論さえ実現すれば。
(今度こそ、あの人を諦めさせることが出来るかもしれませんしねぇ)
クスクスと笑みを浮かべる。
木原病理の原点、諦めさせるという性質を他者に向け続けていた病理が初めて自分自身の事で諦めた、そのきっかけとなった人物。
(ですから、完全に死んでもらっては困るんですよ――ねぇ!)
大口径散弾銃から弾丸の嵐が吹き荒れた。
反動と発射音だけで人を絶命させかねない威力の弾丸は、流れ弾に当たった車を一瞬でただの金属の塊へと変貌させる程で、もしも人体に直撃すれば原形を保つことは不可能だろう。
しかし、垣根は己の翼で体を包むように全体をガードする。
ドガドガドガッ! と凄まじい衝撃が翼に響いたが、垣根自身にダメージを与えるには至らない。
「あらあらー、やーっぱり無理ですかぁ。やっぱり頑丈ですね、帝督の『未元物質』は」
「これから第一位を殺しに行くってのに、こんな所でダメージを負ってられっかよクソボケ」
垣根は巨大な翼を操作し、反撃へと転じる。
二枚の翼で空中に留まり、二枚の翼で烈風を起こして退路を塞ぎ、残る二枚の翼はそれ自体を巨大な剣のように病理に向かって伸ばした。
病理が留まっているのはビルの壁面、高さ約三十メートルほどの地点だ。左右は烈風により退路を塞がれている、逃げ場はない。
「……あらあらー、ピンチなのでーす……ですが」
金属の脚がビルの壁面を思いきり蹴った。
しかし、病理が移動した方向は左右でも、別のビルでも、さらに上部でもなく――下。
約三十メートル程下にあるアスファルトの地面に向かって頭から飛び込むように、自ら跳躍したのだ。
「随分スピーディな飛び降り自殺だなおい!」
「ところがどっこい死なないのでーす」
車椅子の手を乗せる部分辺りから、何かが高速で発射された。
それは弾丸以上の速度で空中を駆け抜け、道路を挟んだ反対側のビルの壁面へと突き刺さる。
突き刺さったのは、釣り針のような返しがついている金属片であり、そこから病理の座る車椅子まで細いワイヤーのようなものが伸びていた。
学園都市の最先端技術で作られたこのワイヤーは0,00001ミリの太さで最大一トンもの重量を持ち上げることが可能で、病理が発射したワイヤーは約五センチ程度の太さがあった。
自由落下を続ける病理は手元のキーボードを操作し、掃除機のコードのように一気にワイヤーを収縮させる。
病理の体が車椅子ごと凄まじい速度で引っ張られ、あっという間に病理は向かいのビルの壁面へと着地、ではなく着壁した。
「……マジで蜘蛛だな」
「病理ちゃんは細かい所に気を使うタイプです。そして、色々と仕込みをするタイプでもあるんですよ」
病理が再び手元のキーボードを素早く指で叩く。
瞬間、垣根の体が見えない『何か』に引っ張られるように、急速に病理の元へと吸い寄せられ始めた。
「なっ……!? 何しやがった!」
「この病理ちゃんがただがむしゃらに今まで帝督を追いかけ続けていたと思いました?」
病理はビルの壁面を移動し、垣根を追いかけるふりをしながら――実は垣根を細いワイヤーで絡め取る様に誘導していたのだ。
車椅子の背もたれから延びている細いワイヤーは、垣根の体に巻きついてもその重量や感触すら感じさせないほどの細さで、病理はそのワイヤーを一気に巻き戻した。
結果、垣根の体はそのワイヤーごと病理の元へ手繰り寄せられている。
「さて、こちらへいらっしゃーい」
もはやマシンガンでも連射しているのかと錯覚するほどの連続音を響かせながら、金属の脚は凄まじい動きでビルの壁面を駆け上がる。
「クソ……舐めんじゃねぇぞ木原ぁ!」
垣根は翼をより一層大きく広げた。
瞬間、垣根の体にかかっていた力が消え、垣根は再び空高く上昇した。
「ワイヤーを切られてしまいましたか……うーん、『未元物質』は応用力が高いのが魅力なんですが、相手にするとこれ以上ないくらい腹立たしいですねぇ」
「褒め言葉として受け取っておいてやるよ。……やっぱりテメェは侮れねぇ。だからこっちももう少し本気で行かせてもらうぜ」
「本気とかやめてほしいのですけども。ぶっちゃけマジでさーむいーのでーす」
病理が小馬鹿にしたような言葉を吐いた瞬間、凄まじい轟音と共に病理の周りが急に暗くなった。
「……まーじですか?」
理由は、地上を照らしていた月光が遮られたからだ。
では、一体何に遮られたのか。
その正体は――――垣根の翼によって切断され、病理に向かって落ちてくる四フロア分のビルの断片だった。
「銃器で粉砕……は、出来ないでしょうねー」
病理は落ちてくるそれを迎撃することは諦め、別の案を実行することにした。
車椅子から再びワイヤーを発射する、放った地点は別のビルの壁面――ではなく、落ちてくるビルだ。
金属片がビルに突き刺さるのとほぼ同時にワイヤーを巻き戻し、病理は落ちてくるビルに着壁した。
当然ビルは今も落下を続けているので、病理の身体もそれに従い地面へ向けて落下している、が、病理は多脚を駆動させ、今なお落ち続けているビルの壁を駆け上がりはじめた。
「自画自賛になりますが、世界一アクロバティックな車椅子操作ですよね」
「確かにな、大会がありゃぶっちぎりで一位かチート扱いで出場出来ねぇかのどっちかだろうな」
落下し続けるビルに垣根が降り立つ。
本来なら重量の違いの関係でビルに立つことなど出来ないだろうが、垣根の広げる翼が何らかの力を発揮しているためか、普通に地面に立っているような気軽さで垣根は病理と向かい合った。
「落ちゆくビルが戦場だなんて、中々格好よくありません?」
「そんなシチュエーションで戦うゲームがあったような気がするんだけどな」
金属の鎌と未元物質の翼がぶつかり合い、金属音に近い不可思議な音を辺りに轟かせる。
一撃では終わらず、二本の鎌は嵐のような猛攻で垣根の体を引き裂こうとするが垣根の翼がそれらを全て迎撃し、それどころか隙を狙って病理に反撃をしようと攻撃を加えている。
病理は攻撃を二本の鎌で、防御をビルにしがみつくために浸かっている脚以外の脚で行い、常人の目には見えぬほどの攻防を繰り広げていた。
「はは! やっぱすげぇな、最高だぜ木原病理!」
「そういうセリフはデートの時に言ってほしかったですね!」
鎌と翼がぶつかり合い、お互いがはじかれるのと同時に両者がビルから飛び上がった。
ソレに少し遅れてビルは地面へと到達し、轟音を響かせながら地面や車や建物を瓦礫で飲み込む。
まだこの時間出歩いている人間はそれなりに居るため、悲鳴やら叫び声やらが下の方から響いてくるが、天に向かって飛翔する垣根とビルの壁面を駆け上る病理の耳には届かない。
(厄介なのはあの脚だな。こう障害物や高い建造物があると移動性能は向こうの方が高ぇ。この辺り一帯を更地にしちまえば俺が有利だが、そうなると別の奴らに目をつけられる)
これから第一位との戦いを控えているのだ、こんな所で注目を浴びたり余計な手間を増やしたりすることは極力避けたい。
だが、垣根が実験を止めに行く事も何処からか掴んだ病理の事だ、これから垣根が向かう場所も把握しているだろう。
いったん逃げ出し実験場に向かったとしても、あの蜘蛛のような車椅子に乗って病理は何処までも追いかけてくるはずだ。
(さて、と。ここまでは上々です。ですがここからが問題ですね……)
病理はビルの壁面を高速で駆け上りながら思考する。
病理の車椅子、Made_in_KIHARAのそれは車椅子としての高性能はもちろん、木原病理独自の技術による改造や本来車椅子に備え付けられるはずのない機能を取り付けられた普通の兵器以上に凶悪な代物だ。
しかし、高性能という事はそれだけそのすべてを扱うには技術が必要となる。
病理は手元のキーボードで操作入力することにより兵装を動かしている。
もちろん金属脚による壁面移動等はAIに任せている部分もあるが、より精密な、臨機応変な使い方をするためにはどうしても最終的には人間の判断が必要なのだ。
(未元物質と渡り合うためにはフルに機能を使う必要があります。が、この車椅子も実はまだ未完成な部分もありますからね。未元物質があれば完成形に一気に近づけるのですが、その未元物質を相手にしているというのは何とも残念な話です)
第二位と渡り合うという事は並大抵のことではない。
第三位以下ですら、たった一人で軍隊と戦えるほどの戦力を有している。
ならば、第三位以下とは比べ物にならないほどずば抜けた存在である第二位と第一位は、いったいどれだけの力を有しているのか、それは想像すらできない規模の力。
それと渡り合える時点で、もはや『木原』が手にしている科学は人外の域と言える。
(このままでは先にマシンの限界が来てしまいそうです。狙うならば短期決着ですかね)
木原病理は四十五階建てのビルの屋上へと昇り、さらに高い地点で病理を見下ろす垣根へと視線を向けた。
二人の距離は、約十メートル程度。
機銃で狙い撃つことはできるが、未元物質の翼が展開されている今、撃ったところで無駄弾にしかならない。
だが、このままこう着状態が続くことは、病理の勝利へとつながる。
垣根が実験に間に合わなければ、それだけで病理は目的を達成できるのだから。
(ですが、帝督がこのままにらみ合いなんてするわけもないですし、どう動くか……)
「なぁ、木原」
垣根が病理へと話しかけてきた。
「はい、なんですか?」
「テメェは能力者でもないのに、この俺をここまで楽しませた。すげぇよ、誇っていい、テメェ等の科学技術はマジで化け物クラスだ」
「それはそれは、科学者冥利に尽きる言葉です。……ですが、ただ素直に帝督が私を褒め称えるとは思えないのですがー」
「時間も押してきたからな。これは俺が贈る最大の賛辞だと思ってくれて構わねぇよ。……だが、もうここで終わらせてもらう」
垣根が言い放つ。
まるで、ゲームに飽きたので終わらせよう、と言っているような雰囲気で。
「……そう簡単に、この病理ちゃんはやられませんよ?」
「いいや、もう終わりだよ。……まさかとは思うが、俺の『未元物質』の性能があの程度だなんて思ってねぇよなぁ?」
「!」
思い返せば、垣根があの翼でやった事は烈風を起こす、直接叩きつける、空を舞うの三つだけだ。
よく考えれば、その程度なわけがない。
この世の法則すら捻じ曲げる『未元物質』が、その程度の事しか出来ないわけがないのだ。
「……4ですが、機動性はこちらが有利です。このまま時間稼ぎを――
病理が一旦垣根と距離をとるために跳躍をしようとした、その瞬間――八本の金属脚の内の一本が、突然真ん中あたりから吹き飛んだ。
「ッ!?」
バランスを崩し、病理の乗った車椅子が大きく傾く。
だが、すぐにAIがバランスを保つために最適の重心を演算し、一本脚を欠いたまま蜘蛛型車椅子は何事も無かったかのように立ち上がった。
「……一体何を?」
「見えなかったか? そりゃそうだよな。地平線の先まで降り注いでる月光を目視するなんて出来ねぇよな」
「月光……?」
「『回折』って知ってるか? 光波や電子の波は狭い隙間を通ると波の動きを変えて拡散する」
その現象自体は、高校の教科書にも載っているような内容だ。
しかし、腑に落ちない。
どのような現象であれ、それが『科学』の分野であれば病理は一発で看過できる。
だが、いくら『回折』を使って光同士を干渉させ拡散した所で、それがこのような現象を起こせるはずがないのだ。
しかし病理は知っている。
この世の法則には乗っ取られない摩訶不思議な法則、それに限りなく近い科学の力を。
「……『未元物質』の力ですか……!」
「大正解。俺の『未元物質』に触れた月光はその性質を変化させた。機械なら探知できるかもしれねぇが人間の目には映らない不可視のレーザーにな。これが太陽光なら人体を焼き尽くす殺人光線に出来るんだが」
『未元物質』による性質変化は、ある程度は垣根の思い通りにできるが、何でも好き放題にできるというわけではない。
既存の法則を捻じ曲げ新たな法則で動かすというその性質は、触れた物によってその効果を変える。
だから、月光は不可視のレザーに、太陽光は殺人光線に変えられるものの、太陽光を不可視のレーザーに、月光を殺人光線に変えることは不可能なのだ。
不可視のレーザーが垣根の翼から次々と放たれる。
見えない物を回避できるはずもなく、金属の蜘蛛は次々に脚や鎌をもぎ取られていった。
「それだけじゃねぇ。この辺り一帯の空間は既に俺の『未元物質』に支配された。もうテメェは思った通りに動く事すら出来ねぇ」
更なる異変が起こる。
AIによって管理された金属脚が突然バラバラに、不可解な行動をし始めた。
プログラムに設定されていない動きのせいで各部位に無理な負担がかかり、耳障りな金属音の悲鳴を一斉に奏で始める。
「…………」
病理が手元のキーボードを叩く。
すると、金属脚が一斉に動きを停止した。
AIによる自動操縦から、手動操作へと切り替えたのだ。
「まだ、諦めませんよ」
木原病理は笑う。
「誰かを諦めさせるというこのスタイルは、私が唯一諦めたくない事ですから」
ビルを蹴り、金属の蜘蛛は三本しか残っていない脚で大きく跳躍する。
まるで空中を舞う獲物に飛び掛かる肉食獣のように。
木原病理は垣根帝督へ向かって、最大出力で飛び掛かった。
「…………テメェ」
一度だけ、垣根は翼を動かした。
ただ、それだけだった。
それだけで、木原病理の車椅子は粉々になった。
勝敗は、決した。
四十五階建てビルの屋上よりもさらに高い位置から、木原病理の体は落下していた。
重力に引きずられ、どんどんと加速しながら病理の体は少しずつ地面へと近づいていく。
このままいけば、十数秒後には病理の体はもはや形すら留めていないだろう。
(負けましたか。ま、いいでしょう。私自身、自分の命を諦めていたわけですしねぇ)
諦めた。
自分の命を、宿敵の打倒を、目的の達成を、病理は少しでも敵わないとわかったその瞬間に諦めてきた。
誰かを諦めさせ、そして代わりに自分がその場所へのし上がる。
そうやって、木原病理は生きてきた。
だが、どうやっても『諦めない』存在はいる物だ。
たとえば、決して諦めずに悪徳を繰り返し続ける、第一位の能力を発現させた『木原』
彼との競争が、木原病理の人生初めての『自分自身の諦め』だった。
そして、今日も又一つ、諦めた。
自分の命を。
何かを諦めさせるというスタイルだけは、諦めずに。
(私以外の『木原』に殺されて実験材料にされるよりかは、欲しかったものに殺される方がまだいいですよね)
木原病理は目を瞑る。
自分自身の命を諦めたそれは、まるで迎えにやってきた『死』を抱擁し歓迎するかのようで。
そして、病理の体に小さな衝撃が走った。
「…………?」
おかしい。
あの高さから落下したのならば、衝撃はこんな程度ではないはずだ。
そもそも、衝撃を感じる暇もなく絶命するはずだ。
それなのに、手は動くし風も感じているし、はるか下の方から人間の声や車のクラクションが聞こえている。
まさか、空中にクッションがあったとでもいうのか?
「いや、そんなわけはないですよねぇ」
病理はゆっくりと目を開ける。
眼下に広がるのは夜の学園都市。
流石に先ほどいた場所よりかは低い位置だが、それでもかなりの高度に自分の体はあるようだ。
そこで病理は気づく。
自分の体が、横になっていることに。
そして、何かに自分の体が支えられていることに。
「よぉ、やっと目を開けやがったか」
声がした。
聞き覚えのある、とある少年の声。
それが、自分のすぐ近くから聞こえてきた。
「…………え?」
木原病理は、垣根に抱きかかえられていた。
垣根は背に翼を生やし、病理の体をお姫様抱っこ状態で抱えたまま空中を移動している。
一体なぜ、こんな状態になっているのだろうか?
「あ、あの」
「何だよ」
「…………どうして私は、帝督に抱えられているんですか?」
「だったら離してやろうか? ここから落ちたらヒキガエル状態だぞ」
「いえ、別に離せとは言いませんけども……」
先ほどまで殺し合う、病理は垣根を殺すつもりはなかったけれど、争っていたはずなのに。
まるで、物語の1ページにありそうな、天使に抱えられて何処かへ行ってしまうお姫様のような。
そんな幻想的な光景を、科学の街で科学に開発された化け物と科学に愛された悪魔が描いている。
実の所、病理はその気になれば垣根に手を離されてもどうにか対処できた。
義足と言うのはあまりにも機械的な、通常の歩行や走行、階段の上り下りはおろか大型肉食獣すら蹴り殺せるほどの威力の蹴りを放つ事が出来る駆動式ギプスが、病理の脚には装備されているのだ。
コレがあれば、ギプス自体は砕け散るかもしれないが、肉体へのダメージは生命維持には何の問題もない程度に抑える事が出来る。
だが、病理はそれを使用することはしなかった。
垣根の腕の中で、静かに夜の学園都市を見下ろしていた。
「こんな風に学園都市を見るのは初めてですが、中々綺麗ですねぇ」
「そうだな、何でも外面だけは良いもんだ。テメェみてぇにな」
「失礼な、病理ちゃんは内面までもがとてもとても美しい(笑)ですよ?」
「自分で笑っちまってんじゃねぇかクソボケ」
病理は笑い、垣根も笑う。
先ほどまで戦っていた者同士とは思えない、素直な笑みで。
垣根は適当なビルの屋上に病理を降ろした。
「はー、余計な時間食っちまった」
「……やっぱり、諦めさせたいんですけどね」
「あ? まだやるつもりかよテメェ」
「いえいえ、病理ちゃんに戦う力はもう残っていませんよ」
嘘だ。
木原印の車椅子自体は粉々に砕け散り、どこかに墜落しただろうが、まだ病理は足に仕込んだ駆動式ギプスや兵装が残している。
だが、それを使うつもりはなかった。
「初期の沙汰とは思えませんねぇ」
「当たり前だ。まともな脳みそで学園都市の第二位だなんてやってられっかよ」
「…………相手は、自分よりも上位の化け物なんですよ?」
「知ってる」
垣根は言い淀む事無く即答した。
勝てるはずがないのに。
自分よりも『上位』の存在に挑む事なんて、『諦めた』方がいいのに。
垣根帝督という人間は、諦めない。
「そこまで、あのクローンが気に入ったんですか?」
「馬鹿言うんじゃねぇよ。あんな実験生物にこの俺が惚れ込むとでも思ってたのか?」
「……」
「俺が実験を止めるのは、ただ単に俺の我儘だ。
第一位の野郎は今すぐにでも殺したいし、裏の人間のバカな考えで表の奴が裏に関わらされるのも気に食わねぇ、だから全部潰す。
二度とこんなくだらねぇ事考えられねぇように、粉々に磨り潰してやるんだよ」
自分勝手。
垣根は自分の都合で実験を止めるという。
そこに、今日一日の半分以上を共に過ごしたミサカへの感情は一切無いと、垣根は言った。
それが本当かどうかは、病理にはわからない。
垣根自身にすら、わかっていないかもしれない。
「明日にでも学園都市のレベルの順位は入れ替わるぜ。そしたら俺は直接交渉権も得られるしな、いい事づくめで笑っちまうぜ」
「勝てれば、の話ですけどねぇ」
「あぁ?」
「二位より一位の方が優れているのは当然の事じゃないですか」
「当然か。はっ、ふざけてやがるな。仕方ねぇ、教えてやるよ」
垣根は白い翼を広げ、大空へ羽ばたきながらこう言った。
「この俺に、常識は通用しねぇ」
ニヤリと笑い、垣根の姿はすぐに夜の闇に消えて見えなくなった。
『次回予告』
『……たすけて、よ……』
――――学園都市第三位の電撃姫 御坂美琴(みさかみこと)
『あーあー、情けねぇ顔しやがって。みっともねぇなぁ、第三位』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
―――
―――――
―――――――――
夜の鉄橋。
普段なら物音ひとつしないであろうその場所にポツンと佇む人影が一つあった。
人影の正体は制服姿の少女で、身体の回りにパチパチと青白い火花が散っている。
少女の名は御坂美琴。
自分の知らぬ間に、二万人のクローンを作られた学園都市第三位のレベル5。
「…………」
美琴は小さく息を吐き、自分の手を存在を確かめるかのように見つめた。
ぐっ、ぱっと手を閉じたり開いたりする。
赤ん坊にも出来る、当たり前の動作。
だが、この世にはそれすら出来ない人もいる。
筋ジストロフィー。
少しずつ全身の筋肉が動かないようになっていき、最終的には心臓や肺の自由すら奪われてしまう不治の病だ。
美琴は筋ジストロフィーではない。
知り合いに筋ジストロフィーの患者がいるわけでもない。
だが、その病気はとても辛いんだろうなと思う事は出来た。
そんな人たちの為に、自分にできることは何かないかと思う事も出来た。
そして、そんな人たちを救えるかもしれないと、幼い自分に言ってきた研究者が居た。
脳から筋肉へと下される電気信号の命令を、通常の神経ルートとは別のルートで送る事が出来れば、徐々に体が動かなくなる絶望から人を解放する事が出来ると。
美琴はその言葉を信じて疑わなかった。
自分の力がたくさんの人を救えると、喜んだ。
美琴のDNAマップはそうして学園都市の書庫へと登録された。
だが、美琴が幼き日に描いたモノは大きく捻じ曲がってしまっていた。
ボタン一つで無尽蔵に大量生産される自分自身のクローンは、すでに一万人以上殺害されてしまった。
残っている一万人近いクローンも、このままではすぐに虐殺されてしまう。
困っている人を救いたいという美琴の願いが、二万人の命を奪ってしまう事になってしまう。
それは、決して許されない大罪だろう。
けれども、許されることはなくとも出来る事はある。
実験を止める。
それさえできれば、一万人近い命は救う事が出来る。
「……」
しかし、相手は第一位。
二つしか順位は違わないのに、その実力の差は天と地以上に離れている。
あらゆる策、技術、道具を駆使した所で決して埋まらない溝が存在している。
実験を止めるために、美琴は出来る限りの事をしてきた。
昼夜を問わず、休息も殆ど取らず、実験に関係する研究所を破壊してまわったりもした。
だが、実験は止まらなかった。
実験を止めるには、もはや第一位をどうにかするしか方法はない。
第一位に挑めば、美琴は間違いなく死ぬだろう。
無謀な事に命をかけることが格好いいとは思わないし、それを望んでいるわけでもない。
実際、体は震えているし心は冷たくなっているし、頭はうまく働かない。
出来る事なら、逃げ出してしまいたい。
助けてと叫びたい。
それは、きっと妹達も同じだったんだろうなと思う。
口には出さなくても、インプットされていなくても、殺されるために生まれてきて、理不尽に殺されて終わるだなんて事を望んでいるはずがない。
そんなことが、あっていいはずがない。
だから、妹達が逃げ出せないのに、助けてと叫びたいのに、加害者である自分がどうして弱音を吐けるのかと、美琴は思った。
この弱さだけは、誰にも見せてはいけないと美琴は思った。
「…………何で、こんなことになっちゃったのかな…………」
美琴が唯一本音を口にできるのは、誰もいない闇の中だけ。
「……たすけて、よ……」
十四歳の少女のあまりにも悲痛な叫びが、夜の闇に溶けて消える。
誰にも届かない、たった一人の孤独な悲鳴。
の、はずだった。
「あーあー、情けねぇ顔しやがって、みっともねぇなぁ、第三位」
闇の中から響く声。
カツカツと近づいてくる足音。
美琴は顔を上げる。
「……何、で……」
闇を背に、美琴の前に一人の少年がやってきた。
誰にも聞かせたくなった悲鳴を聞いて。
誰にも見せたくなかった表情を微笑みながら見つめて。
闇の中で泣く少女の元へ。
闇の奥底から、垣根帝督はやってきた。
垣根はそこに居るのが本当に美琴なのか、一瞬だがわからなくなった。
空を飛び、実験場となる操車場に向かう途中に鉄橋の上に一人佇む美琴を見つけ急遽降りてきたのだが、そのあまりにも痛々く、今にも泣きだしそうな表情は普段の美琴からは想像もつかない物だった。
まるで、そのまま闇の中に飲まれて消えてしまいそうなほどに。
「……何で、アンタがこんな所に居るのよ」
「そりゃこっちのセリフだ。ガキはもう家に帰って寝る時間だぜ?」
「ふん、このレベル5の超電磁砲にそんなの関係ないわよ。寄ってくる不良やスキルアウト程度、何の問題もないわ」
何時もの生意気な口調。
だが、美琴は垣根の目を見ていなかった。
まるで独り言のように、美琴は話していた。
「ふーん、じゃあテメェはむしろ絡まれてる奴を助ける側なんだな」
「そうよ、当然でしょ?」
「すげぇな。助けるために自分から殺されに行くなんて、テメェ程『妹』思いの姉は見た事ねぇよ」
「…………!」
垣根がニヤリと笑みを浮かべた。
その言葉を聞いた瞬間、美琴は自分の中の『何か』が木端微塵に砕け散るのを感じた。
感情と動作が一致しない。
どうして知っているのかだとか、聞く事はいくらでもある。
だが、美琴はほとんど麻痺したように、目を見開いたまま動く事が出来なくなっていた。
「レベル5のDNAマップを使って生み出した軍用クローンか。相変わらず学園都市の上層部が考えるのは何処までも腐ってやがるな」
「……」
「最近立て続けに起こった研究所へのテロ行為、あれもテメェだろ。大方研究機器や情報を根こそぎぶち壊せば実験が止まるとでも思ったんだろうが、残念だったな。学園都市のクソみてェな闇はゴキブリ以上にしつこいんだよ」
「……アンタ、一体、なんなの……?」
「その質問に答えてやるかどうかは、テメェ次第だ。第三位の超電磁砲、御坂美琴」
垣根がゆっくりと美琴に向かって歩き始めた。
美琴は一瞬後ろに下がりかけたが、引くわけにはいかなかった。
ここで引いたら、自分はあらゆる事に敗北したことになるだろう。
そうなるわけにはいかない。
第一位と戦ったら確実に負けて死ぬとしても、戦わずに死ぬのと戦って死ぬのには大きな隔たりがあるのだから。
「止まりなさい」
「さぁて、どうしようかね」
垣根はヘラヘラと笑いながら、足を止める素振りは一瞬も見せなかった。
美琴の眉間に力が籠る。
どうして。
どうして『知っているだけ』のこいつが、こんなにもヘラヘラと笑っているのか。
その顔を見ているだけで、美琴は全身の血が沸騰しそうになるくらいの苛立ちを覚えた。
「どうした? 何をそんなに怒ってんだ?」
「……黙りなさい……っ!」
「テメェは何に対して復讐したいんだ? クローンをぶち殺してる第一位か? それともクローンを生み出した科学者か? それとも……クローンの大元になってる自分自身か?」
「黙れぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
美琴の絶叫が辺りに響き渡った。
垣根は漸く、足を止める。
二人の距離は、約十メートルほどだ。
「黙りなさい……!」
バチバチと美琴の周りに紫電が迸る。
まるで稲妻の鎧をまとっているかのような、攻撃的な電流を帯びたまま美琴は垣根を睨みつけた。
「……テメェは、第一位に戦って勝とうだなんて、最初から考えてねーんだろ」
ビクッ! と、美琴の体が大きく揺れた。
垣根の言葉に核心を突かれた美琴の心が勝手に反応を示したのだ。
「超電磁砲を一二八回殺害することで第一位はレベル6へと進化する。が、それは無理な話だ。そのために代役としてクローン共は生み出された。
垣根はツラツラと言葉を紡ぐ。
まるで、美琴のぐちゃぐちゃになってしまった心を整理するように、一つずつ。
「クローンを二万体殺害することでレベル6へと進化するってのが『樹形図の設計者』が弾き出した解答だ。だからテメェは、自分の力でその計算式そのものを間違ったものにしようとした」
「……」
「例え自分を一二八回殺害したとしても、レベル6には至れない。超電磁砲にはそれだけの価値がない。……『樹形図の設計者』は間違っていた、そういう結果をテメェは出すつもりだったんだろう?」
「正解よ」
美琴は即答した。
『樹形図の設計者』は二週間ほど前に、原因不明の攻撃により撃墜されている。
つまり、今いる研究者は『樹形図の設計者』が動いていたころに吐き出された計算結果のストックを消費しているだけに過ぎない。
もしも、美琴が第一位と戦い、『樹形図の設計者』の計算よりもはるかに早く、無様に殺害されれば。
その計算結果は、間違っていたという事になる。
そうなれば、実験は止めるしかない。
間違った事を続ける意味など、ないのだから。
「第一位に勝てる存在なんて、この世にはいないわ。一度だけ私はアイツと戦ったことがある……もう戦いだなんて話じゃなかったわ。ただの一方的な虐殺、面白くもなんともないワンサイドゲームよ」
勝てない。
たった一人で軍隊と戦えるほどの力を持つレベル5の美琴が、どれだけ死力を尽くしたところで一方通行には虐殺されるだけ。
美琴では一方通行は殺せない。
だから、美琴は一方通行に殺されることにした。
それしかない。
もう、それでしか妹達を守る事は出来ない。
「笑えるでしょ? 私、後輩になんて言われてるか知ってる? いまどきお姉様よお姉様、しかも天下無敵の電撃姫なんて異名までつけられてる。本当……バカみたいよね」
美琴は漸く顔を上げる。
だが、その目は何処も見ていない。
自分の事すら、見てあげていない。
「実験を止める事も出来ずに、自分の妹が死んでいくのを見てることしか出来ないのよ。…………それにね、あの子達、自分の事を実験動物だって何の躊躇も疑問もなしに言うの」
消え入りそうな声で、美琴は呟く。
「実験されるために生み出されて、実験の為に非人道的な事を繰り返され続けて、使えなくなったらまとめて廃棄される。……それが実験動物だって事を理解してて、あの子たちは自分の事を実験動物って呼ぶのよ」
「……」
「アンタの言うとおり、学園都市の『闇』の部分ってのは滅茶苦茶だわ。学園都市の全域は常に衛星で監視されてるのに、実験が表に出た事はない。つまりこの実験は学園都市に黙認されている。……二万人が殺されるのを、黙ってみてるの」
長らく学園都市の闇で過ごしてきた垣根は、今まで何度も『実験動物』の悲惨な末路を目撃してきた。
無理な投薬実験で死んでしまったり、脳開発を受けて廃人になったりと、目を覆いたくなる程に残酷な光景を、嫌と言う程見てきた。
そして、今。
学園都市の『闇』は、こんな少女にまで飲み込もうとしている。
「…………」
垣根帝督は静かに憤る。
表の人間すら無差別に巻き込もうとする信念なき学園都市の闇に。
ただの少女をこんなにも追い込んだ醜い研究者達に。
そして。
学園都市統括理事長と直接交渉できる権利を持っていながら、その価値を知らない第一位に。
「……そうだな、テメェが実験を止めるには、テメェ自身が殺されるしかねぇな」
「でしょう? だから、邪魔をしないでくれる? これでも結構精神ギリギリのところで踏みとどまってるのよ、変に時間をあけるとせっかくした決心が――
「だが、テメェが死ぬ以外でも、実験を止める手立てがあるんだなこれが」
垣根の言葉に、美琴は心臓が止まるかと思った。
この期に及んで。
今場面で。
この状況で。
そんな戯言をほざくのか、と、思ったが――――垣根の表情は、疑いようがないくらい真面目ものだった。
「……何、言ってんのよ。アンタはレベル4なんでしょ? 私にも勝てないような奴が、そんな……」
「ああ、あれ嘘なんだわ。本当の事言うと面倒くせぇからな、レベル4の大気操作系ってのは真っ赤なウソだ」
「で、でも! それでもただでさえ化け物のレベル5の中でも、一位と二位はずば抜けてる! 第三位の私でも傷一つ負わせられないような化け物なのよ? そんな奴にどうして――」
「ああ、テメェの言うとおり学園都市のレベル5、その中でも第二位と第三位の間には絶対的な差がある。レベル0とレベル5以上にデカい差がな。第二位以外はそもそも第一位と同じ土俵に上がる事すら出来ない」
「それがわかってるなら、何で――――
美琴が何かに気づく。
ありえないと思っていた可能性。
まさか、そんな。
こんな土壇場に、こんな状況で、そんなことがあり得るのだろうか。
「第三位じゃどうひっくり返ったって勝てない、それは事実だ。……だが、第二位なら? 第一位の『代役』を務められる唯一の存在だなんて、本人からしたら不服以外の何物でもねぇ評価を受けている化け物なら、どうなると思う?」
「……アンタ……まさか……!」
「そうだ、超電磁砲。いいや、格下」
満を持して、垣根は名乗る。
「この俺が、学園都市第二位の垣根帝督が、テメェの代わりに第一位をぶち殺してやるよ」
「……第二位……『未元物質』……!」
「お、能力名は知ってたか。まぁテメェの能力がありゃハッキングなんざ赤子の手をひねるようなもんだろうが」
「でも、どうしてアンタがわざわざ……確かに第三位と第二位には埋めようのない差が存在してる。でもそれは第一位と第二位にも言えることだって……なのに、どうしてアンタが妹達を」
「あーあー、そういうんじゃねぇからやめろ」
垣根は鬱陶しそうに手を振る。
「そんな『虐殺されてるクローンの為に立ち上がった』だとか、『自分の身を犠牲にする私を助けに来てくれた』だとか、そういうキャラを俺に期待するんじゃねぇよ。俺が第一位を殺すのは俺の都合だ」
「……都合?」
「ただでさえムカつくクソ野郎だってのに、こんなクソみてぇな実験をクソ真面目に頑張りやがって、鬱陶しくて仕方がねぇんだよ。
そんなクズ野郎が俺の上に位置してるのも気に食わねぇ。
邪魔だから殺す、ただそれだけだ。シンプルだろ?」
ムカつくから殺す。
垣根が実験場へと向かう理由はただそれだけだ。
垣根帝督は誰かの為に戦うような、そんなヒーローではない。
自分の都合で敵を蹴散らし、殺し、自らを血で汚しながら何よりも深い闇の底に蠢く悪党でしかない。
そんな自分が、垣根は嫌いだった。
だから、学園都市も第一位も嫌いだった。
自分の姿を見せつけられているようで。
自分がどれほど汚い存在が見せつけられているようで。
見たくないから、殺す。
何処までも我儘に、自分勝手に、自分のためだけに、垣根帝督は第一位に戦いを挑むのだ。
「もう下らねぇ茶番にも飽きた。第一位と第二位の間の絶対的な差だとか、人間とクローンの違いだとか、闇で動いてる馬鹿どもが勝手に作ったクソウゼェ垣根なんてくだらなすぎて吐き気がすんだよ。だから、俺は決めた。そんなくだらねぇモノにイラつかされるくらいなら――
「そんな垣根は、飛び越えてやる」
「…………ふん、面白くないギャグね」
「…………やっぱりか……安心しろ、自覚はあった」
美琴の目に涙が浮かぶ。
あれほど堪えていた筈の涙が、とめどなく。
だけど。
こんなにも、自分の予想していたよりも。
涙とは、暖かい物だっただろうか。
垣根帝督は悪党である。
悪党の矜持と自身の野望を第一位に考える垣根は決して救いのヒーローなんて存在にはなれない。
だがしかし。
そこに大義も理由もなく、そもそも誰かを救うなんて感情すらなかったとしても。
御坂美琴という一人の少女は、確かに救われた。
「さて、と……テメェは帰って何があっても言い訳が出来るようにアリバイを作っとけ。夜遊びはもう終わった。ここから先は化け物が遊ぶ時間、テメェの出る幕じゃねぇ」
「……本当に、勝てるの?」
「勝つんじゃねぇ、殺すんだよ」
垣根は美琴に背を向け、巨大な白い翼を出現させる。
「最後に一つ、もう学園都市の闇に関わろうとするな。万が一テメェが俺の敵に回るようなことがあれば、俺は一切の容赦なくテメェを殺す」
「……」
「俺は表の人間には極力手を出さねぇし、俺の邪魔をしなければ暗部の奴だってある程度は見逃してる。が、俺の邪魔をする奴、俺の気分を損ねるやつ、無暗に表の人間を巻き込もうとする三流の悪党には容赦しねぇ」
「……ま、一応忠告は聞いておいてあげるわ」
「忘れるなよ。忘れりゃ死ぬだけだがな」
そして垣根帝督は飛び立った。
目指すは操車場。
学園都市最強の悪魔が狂気の実験を行う戦場。
―――
―――――
―――――――――
妹達の製造製造番号10032番がやってきたのは列車の操車場だった。
学校の校庭くらいの広さのそこには線路のような砂利が一面に敷き詰められており、何本ものレールがズラリと並べられている。
線路の先には巨大なシャッターのついた車庫が並んでおり、操車場を囲むように大きなコンテナが乱雑に転がされ、何段にも積み重なっていた。
そのせいで、操車場の周りは立体迷路のように入り組んでおり、操車場の中に誰かが入るのを拒んでいるようだ。
操車場に人気はない。
人工的な明かりが集まる中心部から離れた操車場では、上を見上げると星々が瞬いているのが見える。
そんな空の下、白濁した悪魔が積み上げられたコンテナに腰を掛けていた。
学園都市最強の怪物、一方通行【アクセラレータ】
ぼんやりと空を見上げている第一位に、アサルトライフルを手にした10032号は声をかける。
「現在時刻は二十時二十八分です。実験開始まで残り二分です、とミサカは報告します」
「…………」
一方通行は気だるそうに一度だけ10032号に視線を向けて、すぐに再び空を見上げた。
その行動を疑問に思った10032号は尋ねる。
「どうかしたのですか? とミサカはアナタに尋ねます」
「星の光ってよォ、気が遠くなるくれェ離れた場所にある星の光が何光年もかかってよォやく俺等の目に映るンだとよ」
まるで哲学でも語っているかのような、一方通行の不気味な言葉に10032号は首をかしげた。
「人間の目には屑星にしか見えねェよォな星でも、実は太陽よりデカくて熱も発してる奴があるンだってなァ。俺の目に映ってるだけでもそンな奴一体何個あるンだろォな。全部同じ塵に見えるってのに、その実は星一つ焼き尽くせるよォな凶悪なモンもあるンだ、ロマンチックだよなァ」
「……何が言いたいのですか? とミサカは疑問を口にします」
「ああ、よォするによォ……テメェ等もせっかく二万人いるンだから、一匹くれェは俺っつー化け物を楽しませてくれる凶悪な奴が紛れ込んでねェもンかなって思ったンだよ」
一方通行が何かを吐き捨てた。
辛うじて原形をとどめたそれは、肉片であった。
豚肉でも牛肉でも鶏肉でもない、それは、人体の指だ。
「まァ……同じツラ、同じ性能、量産品のガラクタ。そンなテメェ等乱造品に楽しいイレギュラーなンざ期待したってしょォがねェか」
ゆっくりと一方通行は立ち上がる。
動きの緩慢さは、そのまま強者の余裕を示していた。
たとえ世界が相手であろうとも、傷一つ負うことなく勝利できる科学サイド最強最悪の化け物。
一挙一動でありとあらゆる障害を、外敵を、生命を破壊できる絶対無敵の超能力者。
単価十八万円、生産個体20000体のクローンと学園都市の頂点
あまりにも非情な差を持つ両者は、今日もまた実験を始める。
『次回予告』
『だが足りねェ、こンなンじゃ絶頂なンざ出来ねェ。だからよォ、せめて悲鳴とツラと感触でイカせてくれや』
――――学園都市最強の超能力者 一方通行(アクセラレータ)
『よぉ、良い夜だな。元気か?』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
昔、平凡な少年が居た。
苗字は二文字、名前は三文字の極めて平凡な名前の少年。
ただ唯一平凡でない所があるとすれば、それは生まれついての容姿。
本来、何の狂いもなく全く同じ容姿で生まれてくるなどという事はありえない。
人によって容姿が違う事など当たり前なのに。
少年の容姿は人から忌み嫌われた。
同年代の黒い髪の少年少女の中に一人だけ浮き出ている白い髪。
血のように紅い瞳。
あまりにも白い肌。
たったそれだけ。
色が違うだけで、少年の周りに誰かが近寄る事はなかった。
だから、少年は求めた。
居場所を。
異端が平凡として生きられる場所を。
異能を開発し、異能が日常となっている学園都市を。
そして少年は得た。
異能を。
他の追随を許さぬ、あまりにも絶対的な異能を。
いつもと同じように、触れようとする物全てを少年は反射した。
向けられた好意すら反射した。
だが、向けられた悪意だけは、少年の心を緩やかに破壊していった。
そして少年は堕ちていった。
深い闇の奥底へ。
人としてではなく、実験動物として自分を受け入れてくれる唯一の居場所。
学園都市の裏側に通じる研究施設へと。
少年は成長した。
身長も、体重も、能力も、思考も。
ただ、唯一。
倫理だけを、欠いたまま。
「はァー……」
恐ろしい程静寂に包まれた操車場に一方通行の退屈そうな声が響いた。
首を鳴らし、ため息を吐き、呆れたように足元の10032号へと目を向ける。
「笑えねェ。一万回以上殺されてンだからよ、もォ少しがんばってくれよなァ」
「ぎ、ぁ……!」
一方通行の細い脚が10032号の頭を踏みにじる。
小枝のような一方通行の脚など簡単に振り払えそうにも見えるが、彼の脚から伝わってくる力はまるで万力で締め付けられているのかと錯覚するほどだ。
「まァ、今までの個体よりかはちっとばかり楽しませてくれたンだけどよォ。オゾンってのは目の付け所としちゃァ中々だったぜ」
電気による酸素の分解。
分解された酸素の原子は今度は三つで結合し、人体に有毒なオゾンとなる。
一方通行の能力があればオゾンは全て『反射』出来るが、一方通行の周りに存在していたがオゾンに変わってしまった酸素を再び発生させることはできない。
能力は限界知らずの怪物だが、その肉体は平均よりも華奢な人間だ。酸素がなければ行動できず、やがては死に至る。
だがそれは、一方通行がその場から動けない状況ならば効果のある作戦だった。
脚力のベクトルを操作し、一瞬でオゾンに支配された空間から抜け出した一方通行は10032号の背後へ移動し、10032号の後頭部を掴んで地面へと押し付けたのだ。
「だが足りねェ、こンなンじゃ絶頂なンざ出来ねェ。だからよォ、せめて悲鳴とツラと感触でイカせてくれや」
一方通行の靴のつま先が10032号の顎を打ち上げるように叩きつけられ、10032号は首から鈍い音を響かせながら数メートル上空まで吹き飛ばされた。
それだけでも、人体に対してあまりにも強力な衝撃。
ぐるぐると廻る視界に意識が飛びそうになりながらも、10032号は地上でこちらを見上げている一方通行を見る。
彼は、右手にいくつかの小石を持ってニヤニヤと笑みを浮かべていた。
次の瞬間、一方通行の手の中にあった石が10032号に向かって投げつけられた。
石が空気を引き裂く音が聞こえた。
石を投げた風圧だけで、10032号の髪がブワッと逆立った。
果たして本当に投石と言っていいのかわからなくなる程の速度で、石は寸分の狂いもなく、一方通行の狙い通り、10032号の四肢の関節部分に命中した。
「い、ぁ、が、がぁぁぁああっ!」
右肘、左肘、右膝、左膝。
計四か所から平等に何かが砕け散る音が響く。
絶叫しながら10032号は地面へと墜落し、着地の衝撃と激痛で再び悲鳴を上げた。
「あァ、やっちまった。これじゃ無様に逃げ回るオマエを愉快にぶち殺すってシチュエーションが出来ねェじゃねェか。駄目だなァ俺、興奮するとついついやりすぎちまう」
大げさに残念がっているような仕草をしながら一方通行は地面にのた打ち回る10032号へと近づいてくる。
一方通行は遊んでいる。
戦闘しているだとか、攻撃しているだとか、そういった実感すらないのかもしれない。
一方通行にとってこれはただの実験で、ただの戯れだ。
だから、10032号はこれ以上なく残酷に殺されるだろう。
小さな子供が蟻の手足を引き千切るように、蜻蛉の羽を毟る様に。
残酷なほどに無邪気に、10032号は殺されるのだ。
だが、10032号には後悔も恨みもない。
10032号だけではなく、今まで殺された10000体以上の個体も、これから殺される10000人近い個体も、同様に。
なぜなら彼女たちの命は、こうやって散るのが最初から決められているのだから。
そのために生み出されたのだから。
殺されなければ価値がないのだから。
だから、仕方がない。
仕方がないから、殺されるのだ。
たったそれだけ。
それだけの事。
「まァ、いいか。まだ10000近ェ実験動物がいる事だしなァ」
それだけの事、のはずなのに。
「今回はサックリと終わらせちまって、帰って寝るとするわ」
どうして
「つーわけで、本日の実験はこれにて終了だ」
どうして、10032号の頭には、
「安らかに眠りやがれ、永遠になァ」
あの少年の姿が、浮かぶのだろうか。
「……?」
まずはじめに、10032号は疑問に思った。
あのまま行けば、10032号の頭は一方通行の踏みつけによって粉々に砕け散っているはずなのに。
いつまでたっても、一方通行の足が10032号に届かない。
「……おい実験動物。この場合、『実験』ってのはどォなっちまうンだ?」
一方通行の声がする。
本来ならすでに殺しているはずの相手に向かって、疑問を投げかけてきた。
いったい何がどうなっているのか。
それを確かめるために、10032号はゆっくりと目を開けた。
「……え……?」
声が出た。
喋るだけで激痛が走るほど体はボロボロなのに、自然と勝手に声が出た。
目の前の光景が、あまりにも非現実的すぎて。
幻覚でも見ているのかと思うくらい、信じられなくて。
体の奥底から湧き上がる、この感情が理解できなくて。
そして――
「よぉ、良い夜だな。元気か?」
満月を背に、白い翼を広げたその少年の姿があまりにも幻想的過ぎて。
「……テメェは」
「よぉ第一位。人形遊びではしゃぐとはずいぶんメルヘンな趣味をお持ちじゃねぇか」
「自分の翼を見てから言えよメルヘン野郎」
「安心しろ、俺は自覚がある」
言葉の一つ一つが突き刺さりそうなほどに殺意を帯びている。
だが、一方通行は垣根が二位である事を認識していない。
格下の事をわざわざ調べるだなんて、反吐が出るからだ。
「どこの誰だか、知らねェが、この学園都市に七人しかいねェ超能力者、その中でも唯一無比のずば抜けたこの俺に随分でけェ態度とるじゃねェの」
「唯一無比? ずば抜けてる? ハッ、面白ぇジョークだ。服のセンスはレベル0みてぇだが、ギャグのセンスは第一位だな」
「あァ?」
一方通行の声と表情が、より一層怒気と殺意を孕んだものになる。
対する垣根も殺意こそはむき出しにしているものの、その表情には余裕が窺えた。
君臨する第一位と、引きずり降ろそうとする第二位。
両者の対面は、あまりにも純粋な殺意のぶつかり合いだった。
「……どうして、と」
10032号はボロボロの体で言葉を垣根に向かって投げかける。
一体何なのだろう。
作り物の体に強制入力された知能を詰めただけの、ボタン一つで量産できる実験動物の一体でしかない自分の中に湧き上がる、この感情は。
「どうして、ここに居るんですかとミサカは問いかけます。実験に何のかかわりもないアナタがどうして、とミサカは疑問を持ちます」
「……あ?」
「ミサカは機材と薬品があればいくらでも自動的に量産される存在です。とミサカは説明します。たかが単価十八万円の一個体のために、実験を中断させるだなんて――
「うるせぇよ、喋んな」
垣根は10032号の言葉を切る様に、わざと冷たい声で言い放った。
「何だ、何を期待してやがる? この俺が人形なんぞに同情して実験を止めに来たとでも思ったのか? 自惚れんなよ人形」
「……」
「……ま、実験を止めに来たのには間違いねぇがな。不愉快な第一位をぶち殺して、この不愉快な実験を関係者諸共塵にしてやるよ」
「……無理ですよ、とミサカは断言します。相手はあの第一位なんですよ、とミサカはアナタを説得します」
相手は軍隊すら屠る最悪の悪魔。
たとえ垣根が第一位に次ぐ頂点だとしても、相手は紛れもない頂点そのものなのだ。
第一位と第二位の間に存在する絶対的な壁。
両者を分かつ、超えることのできない垣根。
「くだらねぇ」
だが、垣根帝督は臆しない。
二位が一位を超えられないだなんて、そんなつまらない常識は通用しない。
「俺の癇に障った奴は例外なく皆殺しだ。相手がチンピラだろうが第一位だろうが変わらねぇよ。わかるか第一位、テメェ何ざ俺からしたらそこらの汚ぇチンピラと同格なんだよクソッタレ」
ギャハハハハハハハハハ! と狂ったような笑い声が聞こえた。
一方通行は腹を押さえて大爆笑していた。
「どうした? ただでさえトチ狂ってる脳みそがさらに狂ったか?」
「イイなァ、テメェ。いいわ。俺から見れば格下には違いねェが、中々愉快だ。テメェなら俺を満足させてくれそォだなァ」
「安心しろ第一位、そこの人形の一億倍テメェを満足させてやる。満足しすぎてイッちまうかもしれねぇがな」
「いいねいいねェ、最ッ高だねェ! これは俺もお行儀よく相手しなきゃなァ! 初めましてェ、学園都市第一位の一方通行だよろしく頼むぜ三下ァ!」
「第二位、垣根帝督だ。よろしくなクソッタレ!」
暴風が吹き荒れる。
続いて暴力が乱舞する。
繰り広げられるのは暴虐の極致。
第一位と第二位。
科学の頂点の戦いが、始まった。
昔の人間は自然災害などの人間に可能な範疇を超えた現象を、神の仕業と考えた。
そうして作られた神話や伝説は今なお語り継がれている。
ならば。
もしも、この二人の戦いを誰かが見たならば。
一体、どんな神話が生まれるのだろうか。
垣根が一度翼を振るった。
たったそれだけの動作で、高く積み上げられたコンテナの山が強烈な烈風に煽られ、一つ一つが弾丸のような速度で一方通行へと向かっていく。
だが、一方通行にそれを回避するようなそぶりは見られない。
それどころか、両手を真横に広げて垣根の方へまっすぐ走ってきている。
このままだと、一方通行の華奢な体はコンテナの集中砲火を浴びて粉々になるというのに。
そして、当たり前のようにコンテナが一方通行の頭にぶつかり――――
垣根が吹き飛ばした時と全く同じ速度で、正反対に吹き飛んだ。
「チッ」
まるで軌道を遡ってるかのようにこちらへと向かってくるコンテナを垣根は翼を使って粉砕した。
一方通行に命中したコンテナの全てが、そっくりそのまま『反射』されたのだ。
「ベクトル操作、か。クソウゼェ能力だ」
「テメェのその翼よかァマシだけどなァ、クカカカ」
脚力のベクトルを操作した一方通行と翼で空気を叩き飛翔する垣根。
二人の少年は上空数十メートル地点で、亜音速でぶつかり合う。
「ぎゃは、ぎゃははっ!」
狂ったような一方通行の笑い声。
この辺り一帯の大気の流れを掌握した一方通行は、その手に圧縮した空気の塊を作り出す。
風速百二十メートル以上の小さな嵐のような空気の塊を、一方通行は垣根に顔面へ押し付ける為に腕を伸ばした。
「甘ぇよクソボケ」
垣根の翼が突然その形を崩し、無数の羽となって辺りに散らばった。
亜音速で動く事を可能にした翼を失った垣根は、当然のように地表に向かって落ちていく。
本来なら、己の盾であり剣であり足でもある翼を自ら分解するなど、ありえないことだ。
しかし、垣根は笑っていた。
落ちながら、一方通行を嘲笑っていた。
「あァ……?」
不意に辺りから何かが高速で振動するような音が聞こえ始めた。
見ると、周囲に舞っている無数の純白の羽が、何やら赤みを帯び始めている。
色はどんどんと濃くなってゆき、小刻みに震えている。
「一片残らず消飛びやがれ!」
直後、辺りに舞うすべての羽が一気に光を帯び、そして爆発した。
一つ一つがダイナマイトにも匹敵する威力の爆発を起こす無数の羽が同時爆裂した衝撃はすさまじく、鼓膜が破れそうになる轟音と共に体に叩きつけられた衝撃派によって垣根の体が一気に加速し地面へと落ちていく。
だが、垣根は落下寸前に『未元物質』で緩衝材を創り出し、落下のダメージをゼロにした。
一順で体勢を立て直した垣根は再び背中に巨大な翼を展開させ、垣根は上空を見上る。
「死んだか?」
「つまらねェ冗談言うンじゃねェよ!」
轟ッ! と。
爆炎を引き裂くように一方通行は姿を現す。
その身に傷はなかった。
どうやら、爆発直前に爆炎の及ぶ範囲外へ脱出したらしい。
「まぁ、あれでくたばったら興ざめだけどよ!」
垣根は空中を駆け抜ける一方通行に向かって翼を伸ばす。
鋭い刃のように、撲殺用の鈍器として。
純白の翼が白濁した悪魔へと迫る。
「クソキメェ翼だなァオイ! こンなもン――
一方通行が垣根の翼に手を伸ばす。
ありとあらゆる『ベクトル』を掌握し支配するその能力をもってすれば、相手の攻撃であろうとも無傷で操作する事が出来る。
それは、垣根の翼であっても例外ではない、はずだった。
だが、一方通行は翼に触れる直前、違和感に気づく。
「…………あァ?」
ゾクリ、と。
一方通行が初めて感じる感覚。
無意識に背筋が震え、何か嫌な感覚が蛇のように脳内で蜷局を巻いている。
これは、何だ?
一方通行は考える。
だが、最初から『最強』だった一方通行は知らない。
この感情が人間にとって最も原始的な感情であることを。
そう。
未知の物、理解不能なものに対する『恐怖』という感情を。
「ちィッ!」
ここで一方通行は生まれて初めて『回避』という行動に出る。
しかし、遅い。
初めて感じた恐怖は、あまりにも遅すぎた。
メキメキメキッ! と。
一方通行の細い体の内部から細かい物が軋む音が連続して響いた。
「が、はァ……ッ!?」
一方通行の体が大きく吹き飛ばされる。
グシャリとコンテナの一つを潰しながら、一方通行は地面に墜落した。
「な……ンだ……!?」
「一方通行、テメェは全てを『反射』するっつーのが自慢みてぇだが、それは違う」
垣根が翼を大きく広げ、口から血の塊を吐き出している一方通行の元へと向かう。
一方通行も脚力や周りの大気のベクトルを操作し、その場から離れる。
が、垣根がそれを逃すわけがない。
「酸素、光、音……それらを反射すればテメェは何も見えねぇし聞こえねぇし、生きていきられねぇ。テメェは無意識の内に自分に不要な物を選んで反射してる」
垣根の翼が再び一方通行へと迫る。
一方通行は今度は翼のベクトルを掌握するのではなく、腕力のベクトルを操作して垣根の翼を叩き落とす様に凌ぐが、その表情に浮かぶのは苦悶だ。
「なら答えは単純、テメェが『無害』と『有害』を識別しているフィルターをくぐりぬけりゃいい。テメェが受け入れているベクトルを逆算し、その方向から攻撃を仕掛ける。ったそれだけでテメェの防御は掻い潜れる」
最も、それだけではない。
それだけでは、『反射』という壁を抜けたとしても一方通行が『未元物質』自体のベクトルを操れなかった理由にはならない。
一体何故、一方通行の能力が『未元物質』に干渉できなかったのか。
答えは単純だ。
一方通行が、『未元物質』という存在のベクトルを掌握できなかったのだ。
「そして、俺の『未元物質』はこの世の物質じゃない、何処かの異界から引きずりだしたような未知の物質だ。
こいつにこの世の常識は当てはまらねぇ。もしテメェがこの世に存在するありとあらゆるベクトルを掌握できたとしても、俺の『未元物質』はテメェの頭の中にある方程式は通用しねぇよ」
学園都市第一位の頭脳を持ってすら、解読出来ないアンノウン。
使用者である垣根にすら全貌が把握できていない『存在しない物質』
「わかったか、第一位。テメェは核爆弾ですら無傷でしのげる最強の能力者かもしれねぇが、俺の能力はそもそもこの世に比較できる物すら存在しねぇんだよ」
これが『未元物質』
この世の法則すら捻じ曲げる、異界の物質。
「ケッ……! だからどォした。ちょっとばかし反撃出来たからってハシャいでンじゃねェよ三下。狐の反撃なンざ狩人を楽しませるための余興でしかねェンだよ」
「成程な、大したムカつきっぷりだ第一位。そのまま吠えてろ、磨り潰して白い絵の具にしてやるよ」
両者が同時にコンテナを蹴飛ばし、平行に移動する。
移動している間も一方通行は辺りにある鉄骨やコンテナを能力で弾き飛ばして垣根へ攻撃を仕掛け、垣根はそれを翼で器用に撃ち落していく。
垣根の反撃は単純で、数メートル大の白い翼を一方通行に向かって叩きつけるというものだ。
だが、『反射』がうまく機能しない翼を一方通行は回避するしかない。
足場のコンテナが粉々に砕け散るほどの勢いで一方通行は真横へ跳び、跳んだまま道路標識を引き抜き垣根に向かって投げつけた。
超電磁砲以上の速度をたたき出す道路標識はほんの数秒で、空気摩擦によって消失する。
しかし、その衝撃波は消えていない。
音速の壁をぶち抜いたそれは、周囲のコンテナやレールやアスファルトを粉砕しまき散らしながら垣根へと迫る。
「どうした、そんな苦し紛れの攻撃しか出来ねぇのか! あぁ!?」
垣根は白い翼で自身の体を包み込み、衝撃波を防ぐ。
炸裂した衝撃が辺りに爆散し、垣根の周囲が爆撃でも受けたかのように更地へと変貌していた。
「……あぁ?」
再び羽を広げ、一方通行へ攻撃を仕掛けようとした垣根は、辺りをキョロキョロと見回す。
先ほどまでそこに居たはずの一方通行の姿が見当たらない。
「おいおい、まさか逃げたのか? ……フザけんなよ、第一位。逃げるなんざつまらねぇ真似してんじゃねぇぞ!」
激昂しながら垣根は翼を振り回し、辺りのコンテナをまとめて一掃する。
数トンはあるはずのコンテナが埃のように宙を舞う。
だが、辺りに一方通行の姿は見当たらない。
もっと遠くに逃げたのか。
「……いいぜ、文字通り虱潰しに探してやるよ。見つけた瞬間プチっといかせてもらうけどな」
垣根は苛立ちと楽しさを半々ずつ含んだ表情を見せながら、辺りを一掃し始める。
『次回予告』
『くきこかきけこかきくかこかきこくかけこきくけかかこきかくかけこかァァァァァァァァァァ!!!!!!』
――――学園都市最強の超能力者 一方通行(アクセラレータ)
『一方通行ァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
―――
―――――
―――――――――
「……」
一方通行はかなり離れた場所から様子を窺っていた。
まるで暴風のように吹き荒れる垣根の翼は少しずつこちらへと範囲を広げてきている。
「……まさか、この俺に攻撃をブチ込める奴が居たとはなァ」
この能力が発現してから、一方通行という人間は一切の傷を負わずに生きてきた。
あらゆる物を反射し、あらゆるものを触れるだけで捻じ曲げ、引き裂き、蹂躙できるその能力は他者の目には恐怖としか映らない。
だが、奴は、垣根帝督だけは違った。
もしかしたら勝てるかも、だなんて子供っぽい感情だけで無策で挑んでくるスキルアウトのような三下達とは違う。
一方通行に勝利できる要素を用意し、行使し、真正面から叩き潰しにやってきた。
そして一方通行は初めて傷ついた。
傷つけられた。
「…………血、かァ」
口元の血を袖で拭い、一方通行はの血をじっと見つめた。
それこそ、今まで飽きる程見てきた物。
少なくとも、一万人以上の血液を浴び続けた一方通行は自分の血を珍しそうに眺める。
ふと視線に入ったのは、拭う際に手の甲についてしまった、ポタポタと地面に滴る血液。
一方通行はそれを舐めた。
そのまま手を動かし、人差し指を奥歯で噛むように口の中へと押し込む。
力を入れると、わずかに人差し指に走る痛み、そして口内に広がる自らの血と肉の味。
この痛みが。
この味が。
生きていると、感じさせる。
「……………ぎゃは」
笑み。
自分の人差し指を血が噴き出る事も厭わず噛み続けながら、一方通行は嗤っていた。
荒唐無稽な嗜虐性。
歪みきった人格。
一方通行という人物は目を輝かせた。
これが命のやり取りだ。
一方的に虐殺するのではなく、気を抜いたほうが殺される戦いと呼べるモノ。
そうだ。
一方通行という少年が『最強』ではなく『無敵』に至るためには、あらゆる敵を排除しなければならない。
今の自分に迫れる男は、おそらくはあの男だけ。
最高の頭脳と最悪の能力をもってしても所見では御しきれなかったあの白い翼。
支配できないなら、どうすればいいか。
諦めるか?
いいや、違う。
一方通行という少年はポジティブだった。
前向きに殺害し、気負わずに虐殺し、楽しんで蹂躙することが出来る前向きな少年だった。
支配しよう。
征服しよう。
蹂躙しよう。
手の届かない高値の華は、汚してこそ映える。
「くきこかきけこかきくかこかきこくかけこきくけかかこきかくかけこかァァァァァァァァァァ!!!!!!」
顎が外れるのではと思う程の笑い声だった。
学園都市全域に届いているのではと思う程の高笑いだった。
「出てきたと思ったらいきなりどうした? イカレ野郎」
「いやァ、もォダメだ。何もかもがどォでもイイ。あァ、テメェには感謝してやる。そして認定してやるよ、テメェは俺の敵だ」
敵。
ありとあらゆるものを無傷で蹂躙できる最強の能力者が、初めて認めた存在。
己の障害となりうる相手。
己の存在を脅かす存在。
差し伸べられた手をも反射して傷つけてしまう一方通行に触れられる、唯一の外敵。
ああ、そうだ。と一方通行は思う。
自分が求めていたのは、無敵になりたい本当の理由は、コレじゃないかと。
「第二位、垣根帝督。テメェは殺す、俺ももォ止まらねェ、アクセル全開ブレーキ粉砕モードだ。この一方通行が格下相手に全力で戦ってやるンだ、光栄に思いやがれ」
「……」
垣根は感じていた。
一方通行の言葉は嘘ではない。
おそらく、ここからが本当の『戦闘』。
満を持して、『最強』が動き出す。
「……は、でけぇ口叩きやがって。戯言なんざ誰が聞いてやるか。どうせなら行動で示しやが――――
瞬間、垣根の視界がぶれた。
「……あ……?」
世界が廻る。
否、廻っているのは世界ではない。
垣根の体が、グルグルと廻りながら吹き飛ばされているのだ。
「何、が……」
「ぎゃは! ぎゃははっ!」
一方通行の笑みがすぐ目の前に現れる。
衝撃で空中に舞いあがった小さな小石を蹴って一方通行は吹き飛ぶ垣根へと追いついたのだ。
ありえない所業。
空気を蹴って宙を走るかのような、そんな狂気じみた芸当。
垣根を狙う一方通行の目は、紛れもない捕食者の眼だった。
「一人でトリップしてんじゃねぇぞ、一方通行ァァァァ!」
垣根が背の翼を操作し、目の前の一方通行を真っ二つにしようとする。
だが、一方通行がドアをノックするかのように、拳の裏側で降りかかる翼を叩く。
すると、垣根の翼は大きく弾き飛ばされた。
まるで、落ちてきた埃でも払うかのような、そんな動作で、易々と。
「馬鹿な……ッ!?」
たとえ筋力や大気のベクトルを全て掌握したとしても、このような芸当を実現できるとは到底思えなかった。
垣根の『未元物質』をも易々と弾き飛ばす程の圧倒的な力。
一体、一方通行は何のベクトルを操っている?
(考えろ……ッ! こいつが何のベクトルを使ってるかさえ分かりゃ、それに『未元物質』をブチ込んで法則を捻じ曲げられる!)
垣根は推理する。
筋力でも、大気でもない。
この世界すべてに満ちている圧倒的なベクトル。
『未元物質』を超える程の圧倒的なエネルギー量。
しかし、一方通行は何ら特殊なものに触れているわけではない。
つまり、今もこの場に存在しているはずのもの。
誰しもが無意識のうちに関わっているベクトル。
「……まさか……」
そして垣根は辿り着く。
隙を狙って放とうとしていた『未元物質』の翼を透過して変貌した月光の性質に、ほんのわずかに狂いが生じた事を。
このバグの原因、そして一方通行のあの力。
考えられる可能性が、たった一つだけ。
「テメェ……! まさかこの星の自転のベクトルを……ッ!?」
地球は常にひとりでに廻っている。
もしも、70億の人間が住まう惑星が回るほどのエネルギー量をその身に宿したとしたら。
もはや軍隊どころではない、一方通行は腕を振るだけでこの惑星を滅ぼす事が出来る程の力を手にしていることになる。
「驚いたかよ」
一方通行は紅い瞳で垣根を睨む。
その顔には、余裕が浮かんでいた。
「これが、テメェと俺の差だよ」
「…ッ! テメェに酔ってんじゃねぇぞ! 一方通行ァァァァァァァ!」
垣根が力任せに翼を振るう。
しかし、もはや一方通行は何の驚異も感じていなかった。
戦いを終わらせる方程式は、すでに一方通行の頭の中で組み立てられている。
「確かに、テメェの『未元物質』とやらはこの世の方程式には当てはまらねェかもしれねェ」
一方通行の手が、垣根の翼の一枚を鷲掴む。
そのまま、力任せに一方通行は垣根の翼を引き千切った。
「だったら、テメェの『未元物質』をXとして新たな方程式を創り出せばイイ。後は既存の方程式からの逆算でテメェの『未元物質』の公式は引き出せる」
「……ッ! ありえねぇだろ……! 俺の『未元物質』はそんな易々と掌握できるもんじゃねぇ!」
「ああ、かもなァ。だがよォ、所詮テメェは第二位。俺とテメェには絶対的な壁がある。残念だったなァ」
翼を引き千切られ、垣根は地面へと堕ちていく。
まるで、太陽に近づきすぎて翼の溶けたかのように。
だが、物語と違うのは、落ちていく男を追う悪魔がいるという事だ。
「名残惜しィが、これで終わりだ。格下」
「一方通行ァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
暴風と暴力が一気に垣根へと降り注ぐ。
防ぐ手段は、ない。
―――
―――――
―――――――――
「………」
10032号は遠くから聞こえる戦闘音を聞きながら、地面に転がっていた。
両手両足の関節部分を破壊され、一歩も動く事の出来ないため逃げ出すこともできないのだ。
最も、ここで逃げ出すという選択肢を出していいのか、10032号にはわからなかった。
「……ミサカは、ここで死ぬべき存在なのですが、とミサカは呟きます」
殺されるためにここにやってきた。
ならば、今生きている事こそが異常なのだ。
『実験』の成功こそが、妹達が生み出された唯一の理由。
その成功を脅かすような真似を、黙って見ているのは許されるのか。
「……垣根、帝督」
ポツリと、10032号はその名を呟く。
脳波をリンクしてお互いの記憶や感情を共有できる妹達は、全員が今日一日垣根と共に過ごした10031号の記憶を有している。
どうして10031号は、もうすぐ自分の実験の番だとわかっていて、あのような行動に出たのだろうか。
行動と考えが一致しないなど、それはもうバグとした言いようがないのではないだろうか。
「……それは全員に言えることのような気がしますが、とミサカは続けて呟きます」
行っている行動と、秘めている考え、真意。
妹達も、一方通行も、垣根帝督も、全員が何かを心のうちに隠しているような気がした。
最も、それを問い詰める役割は自分ではないことは10032号はわかりきっている。
「とにかく、ミサカはあの二人の戦闘が終わるまでは何もできませんし、とミサカは自分の状態を確認します」
今はただ、二人の戦いが終わるのを待つだけ。
おそらく、終わったころに生きて居られるのはどちらか片方だけだ。
お互いがお互いを何をしてでも殺そうとしていたのだから、敗者は間違いなく死亡する。
だが、しかし。
もしも垣根が一方通行に勝てば、生き残れるのは『二人』になるだろう。
それは、10032号にとってはたして喜ばしい事なのか、それとも――――
瞬間、10032号の真横に何かが落ちてきた。
考えを強制切断させるような凄まじい衝撃で、隕石のように降ってきたそれは――
「……垣根帝督?」
「ガ、ァ……ッ! クソ……ッ!」
垣根は見るからにボロボロだった。
左腕は本来曲がらない方向に捻じ曲がっており、綺麗に染められた髪は本人の血で乱雑に染め上げられている。
体中もあちこちに目をそらしたくなるような傷があり、今すぐにでも病院に搬送しなければ危ないと素人目から見ても一目瞭然だった。
「思ったより粘ってくれるじゃねェか。最高だぜテメェはよォ」
続いて、一方通行は何処からか飛んできて地面へと降り立った。
多少の傷はあるものの、垣根との状態の差はあまりにも大きい。
つまりは、そういう事なのだろう。
これが、第一位と第二位の差なのだ。
(未元物質で大気を変質させて……いや、駄目だ。アイツは俺の中で行われる未元物質の演算を逆算して把握しやがった。これじゃ何をやっても俺が未元物質を使い続ける限りはアイツの能力で防がれる……!)
垣根の『未元物質』はありとあらゆる物質、法則に作用する。
たとえば大気、たとえば光、たとえば炎。
その柔軟性と利便性こそが垣根の『未元物質』の真骨頂なのだ。
だが、便利すぎる故に、垣根の行うすべての攻撃は『未元物質』の演算が根底に存在している。
学園都市第二位の脳からはじき出される複雑な演算は、例えレベル5であっても易々と解読できるようなものではない。
垣根の『未元物質』は、垣根にしか発現できないのだから。
しかし、第一位、一方通行は違った。
数度の攻撃を受けただけで、一方通行は独自の方法で垣根の未元物質の演算を割出し、そのベクトルを掌握した。
能力の演算を把握されたという事は、もうすでに一方通行に『未元物質』で攻撃を加えることは不可能だ。
垣根は暗部で鍛えられた射撃技術や体術に加え、元から有している多種多様な才能で『未元物質』に頼らずともその辺の人間なら圧倒できる。
それでも、そんなものは第一位という才能には遠く及ばない。
『一方通行』という能力の本質ですらない、副産物である『反射』すら切り抜けることはできないのだ。
(どうする……どうする! クソ、考えろ! 必要な時に回らねぇ頭なんざ何の価値もねぇだろうが!)
垣根はありとあらゆる手段、可能性を模索する。
だが、駄目。
ありとあらゆる方法で攻撃を仕掛けたとしても、一方通行はそれを一撃で迎撃できるだろう。
「一方通行の力の前に、八方ふさがりってかァ? クカカ、洒落がきィてンじゃねェか」
「クソウゼェ……」
一方通行の言っていることは正しい。
垣根に、今の状況をひっくりかえせる切り札は存在していないのだから。
「……逃げてください、とミサカはアナタにお願いします」
「……あぁ?」
垣根はそこで初めて10032号の存在に気が付いた。
両手両足を砕かれ、もはや一人で動く事も出来ない10032号は、見覚えのある無感情な瞳で垣根をじっと見つめていた。
「あなたなら、勝てずとも逃げる事は不可能ではないでしょう、とミサカは推測します」
「……」
「ミサカはここで殺されるために生み出された個体ですからココで死にますが、貴方はそうではありません。とミサカはアナタとの違いを指摘します」
「……黙れよ、クローン」
「そして、これ以上実験に関わってはいけません。アナタを巻き込んですいませんでした、とミサカは10031号の代わりにあなたに謝罪を――
「黙れっつってんのが聞こえねぇのか! あぁ!?」
垣根は地面に倒れた姿勢のまま、同じく地面に倒れている10032号の胸ぐらを掴んだ。
今にも歯が砕け散りそうなほど歯を食いしばり、血の涙を流さんとばかりに目を見開いている。
それは、クールな印象の垣根には似合わない、感情をむき出しにした顔だった。
「黙れ黙れ黙れ! テメェ何ざにどうしてこの俺が心配されなきゃならねぇんだ! テメェはボタン一つで生まれるクローンだろうが! 俺はテメェとは違う! テメェなんざに心配されるような、そんな情けねぇ存在じゃねぇんだよ!」
コンプレックス。
垣根帝督という学園都市で二番目のエリートが抱えていた心の闇の一つ。
心理定規も、木原病理も、御坂美琴も、そして10032号も。
皆、垣根の心配をしていた。
だからこそ彼女らは各々の手段で垣根を止めようとしたのだ。
だが、それこそが垣根にとって最も屈辱的な事だった。
垣根帝督の中にあるプライド、自尊心、野望。
それは垣根帝督と言う人間を構成するもっとも大きなモノ。
だからこそ、垣根は光の世界で生きようとは思わない。
少しでもなれ合いを求めれば、光を求めれば、闇から抜け出そうと考えれば、その時点で垣根帝督と言う人間は垣根帝督ではいられなくなる。
「単価十八万の実験人形がでかい口叩きやがって。この俺を心配するなんざふざけてやがるな、よほど愉快な肢体になりてぇと見える」
自分勝手で、自信家で、野望家で、そして何にも負けてはならない。
プライドと信念、それこそが垣根帝督の自分だけの現実。
「……ったく、どいつもこいつも、決められてただの、諦めただの、当たり前だの、クソウゼェ。目障りだ、ふざけてやがる、下らねぇ台本で満足しやがって」
だから、垣根は諦めない。
たとえ何を失う事になろうとも、自分が決めた事は死んでも成し遂げる。
プライドを守るためならば、垣根は不可能だって可能にしてみせる。
垣根以外の世界中の人間が敵にまわろうとも、垣根はたった一人で、自分の目的を達成するために生きる。
傍から見れば狂気の沙汰、普通なら考えられない事だろう。
だが。
「クローン、一つだけ言ってやる。この学園都市の『闇』は俺の物だ。気に入らねぇモノは全部磨り潰して殺す、誰にも邪魔はさせねぇ。裏の全てを手に入れて、俺が裏側の世界に君臨してやるよ。…………だから」
「テメェは、俺の居ない世界で猫でも飼いながら平和に生きてりゃいいんだよクソボケ」
垣根帝督という人間に、常識は通用しない。
「はッ、カッコイー事言うじゃねェか。いいなァ、やっぱり死に際ってのはどォも普段より美しく見えるモンだな」
「くだらねぇ、そういうテメェこそ死相と死兆星が見えてるが大丈夫か? 事故に気をつけろよ、俺が殺せなくなるからな」
垣根は立ち上がる。
ボロボロになりながら、圧倒的な力の差を持つ相手に真正面から向き合って。
諦めないことが、さも当然であるかのように。
「……で? ただ立ち上がったってワケじゃねェんだろォ? 突っ立ってるだけならサンドバッグにだって出来ンだ。テメェはもっと俺を楽しませてくれンだろォよ」
「一々うるせぇ野郎だ。屁みてぇな戯言ばっか抜かしやがって」
とりあえずは、立ち上がった。
だが、ここから具体的な反撃手段が思いつかない。
(考えろ……俺に出来る事を考えろ、なんだっていい、とにかくあのクソ野郎をブチのめせりゃ何でもいい!)
垣根の最大の武器、『未元物質』
しかしそれは、垣根の脳内で行われる『未元物質』という能力を発動させるための絶対条件である演算を逆算されてしまったため、如何なる使い方をしても『未元物質』自体のベクトルを操られてしまう。
能力をフルで発動した時に勝手に形作られる翼も、逃亡には使えるが反撃には使えそうにない。
ならば、格闘技、射撃、だまし討ち、応援――――いや、駄目だ。
あらゆる手段を尽くしたとしても、垣根帝督という人間は一方通行を超える事が出来ない。
「くそ…………! 『未元物質』さえ叩きこめりゃ……!」
一方通行は最強の能力を持っているとはいえ、身体はただの人間に過ぎない。
最大出力の『未元物質』を直撃させることが出来さえすれば、その一撃で一方通行は確実に死に至る。
だが、垣根の『未元物質』の演算は既に解読されてしまった。
当てれば勝てるが、あてられない。
どうする。
どうする。
どうする。
どうする。
どうする。
どうす、る――――――
「………………………………………………!」
垣根帝督は一つの答えを導き出した。
だが、それは解法と呼べるようなものでは決してない、いわば暴論であった。
学園都市に住まう人間であれば、超能力の概念を欠片でも知っている人間であれば、決して浮かばないであろう発想。
だが、思いついてしまった。
ならば、実践しようじゃないか。
詭弁でもいい、戯言でもいい。
0パーセントと1パーセントでは、その差は比べ物にならないのだから。
「…………は、ははっ」
「あァ?」
「一方通行、俺はどうにかしちまったらしい。俺の中に浮かんだアイデアは多分テメェだろうと想像できねぇようなぶっ飛んだモンだ」
「そォかよ。ンで、それは俺を楽しませてくれるよォな代物なンだろォな?」
「ああ、間違いねぇな。あんまりにも楽しすぎて、俺でさえどうにかなっちまいそうだ。……さて、良い女相手ならともかく、テメェみてぇな貧弱モヤシ野郎を焦らす趣味もねぇし」
「――――始めるか」
『次回予告』
『「未元物質」以外の能力……? いや、そンなワケはねェ……! そんな事、ありえるわけがねェだろォが!』
――――学園都市最強の超能力者 一方通行(アクセラレータ)
『は、はハはハハは、なななななニ言ってテやがんだァ? そんgfykな無様なka顔oqmしやがって』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
瞬間。
垣根帝督を中心に、奇怪な音が辺りに響き渡った。
まるでガラスとガラスをこすり合わせているかのような、透明な金属音のような、しかし鼓膜を震わせるのではなく脳裏に直接突き刺さってくるような、刃のように鋭い轟音。
音の発生源は垣根帝督、の背にある六枚の翼。
白い翼が、穢れを知らぬような純白の翼が、もがき苦しむかのように大きく全体を震わせながら歪み始めた。
「なンだァ……?」
学園都市最高の頭脳をもってしても見通せない謎の現象。
一目見ればそれが何系の能力か、どの程度の強度を誇る能力かさえすぐにわかる一方通行にさえ理解不能な状況。
(『未元物質』で何かしよォとしてンのかァ……? だがすでに『未元物質』の公式は理解してンだ、無駄だってのはアイツも理解してるはずなンだが……)
その時、垣根が引き起こしている『何らかの現象』の余波を受け、垣根の足元の小石が一方通行の元へと吹き飛んできた。
もはや破壊するまでもなく、一方通行が無意識中に常時展開している反射膜でも対処できる程度のモノ。
だから一方通行は気にも留めなかった。
そりよりも、垣根が何をしているのかを把握することが重要だと考えたからだ。
そして、小石は一方通行の頬を『掠った』
「…………………はァ?」
一方通行が自分の頬を撫でる。
ピチャリと、水っぽい感触。
見れば、白い手に赤い液体が付着していた。
もう一度触れて確認する。
ズキリと頬に刺すような痛みが走る。
一方通行の頬に、小さな傷が出来ていた。
「な、ンだよ、何だよオイ、どォなってンだァ!?」
ありえない。
垣根帝督の『未元物質』は完全に把握したのだ。
如何なる使い方をしても、それは『未元物質』という超能力が根底に存在する現象にすぎない。
『未元物質』を把握していれば、垣根のあらゆる攻撃は掌握できるはずなのだ。
なのに、どうして。
「『未元物質』以外の能力……? いや、そンなワケはねェ……!」
二つ以上の能力、すなわち『多重能力』【デュアルスキル】は学園都市において不可能とされている。
『自分だけの現実』に宿る能力は一つだけであり、何らかの能力が発現すればそれ以外の能力は発現しない。
だから、垣根の『アレ』も『未元物質』のはずなのだ。
「チッ! だったらもォ一度演算を逆算すりゃァイイだけだろォが!」
一方通行は垣根の『何か』をあらゆるベクトルから逆算し、把握しようとする。
だが、そこで一方通行は更なる疑問に出くわした。
「……オイオイ、待てよ、ありえねェだろォがよ、ふざけてンじゃねェよ! 何なんだよコレはよォ!」
ありえないことが起こっていた。
一方通行が垣根の『未元物質』らしきものを逆算しているうちに、垣根の発動している『未元物質』らしきものの演算式がどんどんと変化している。
まるで数式を解いている最中、どんどん数字が書き加えられているような状況。
これでは、どれだけ演算を続けても無意味だ。
どれだけ必死に解き続けても、その答えが刻一刻と変化する数式など解きようがない。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
垣根は絶叫する。
白い翼が連動するかのように耳障りな音を立てながら捻じ曲がっていく。
「テメェ…………まさか…………」
そして、ようやく一方通行は垣根が何を行っているのか理解した。
「『未元物質』の演算式を作り変えてやがンのか……!?」
超能力の演算式を『作り直す』。
それがいったいどれほど狂気じみた所業なのか、一方通行には理解できた。
力を最大限に発動させた時、自動的に翼の形になる垣根の『未元物質』や一方通行が無意識の間に自動展開させている『反射』。
これらは能力を使い方を熟知し、もはや思考の必要がない、つまりは拍動や呼吸のように考えずとも行えるレベルにまで脳内で演算式の最適化が行われているがために行えることだ。
それを、一から作り直す。
今まで使ってきた『能力発動に最も最適化された演算式』を最初から組み直すというのだ。
それはつまり、全く新たな超能力を発現させるという事にも等しい。
無意識を意識的に操作するということは、人間が生まれた時から無意識に行える心臓の拍動を自分の意思で動かすようなものだ。
それが、どれほど愚かな事なのかは想像に難くない。
この世の物質ではない、どこからから引きずり出される『未元物質』
それが、どこからやってくるものなのか、垣根帝督は完全に把握するつもりだ。
「馬鹿かテメェは! 演算式を一からまるっきり組み替えるなンざ、テメェ以外の人間が『未元物質』を発現させるよォなモンだろォが!」
第一位、一方通行。
第二位、未元物質。
この二つは学園都市に存在するどの超能力ともかけ離れた、完全にオンリーワンの超能力だ。
比類する能力も、分類できるジャンルも存在しない、一方通行と垣根帝督にのみ宿る唯一無比の能力。
それを、他者に発現させる事など絶対に不可能。
既にレベル5の人間が、全く別の系統の能力を発現させ、さらにレベル5に至るという夢想にも似た話。
他の人間がレベル5に至る可能性よりもさらに低い、もはやありえないと定義しても問題ない話。
「は、はハはハハは、なななななニ言ってテやがんだァ? そんgfykな無様なka顔oqmしやがって」
垣根帝督は笑う。
もはや、その笑顔は微笑みなどではなく、悪魔にしか浮かべられないようなものだった。
「教えtrnてやmるよ一方通fdb行、このpqz俺にfsgu常識lqmzは通用vytrしねぇ」
ガクガクと垣根帝督の体が震える。
目から、耳から、鼻から、口から、ありとあらゆる部分から血を流しながら、垣根は何やらノイズを走らせながら言葉を吐き出していた。
どう見てもまともではない。
当たり前だ。
垣根帝督と言う人間が、まともであるはずがないのだから。
(もっとだ、もっと深く潜り込め。『未元物資』を完全に理解しろ、なに一つの疑問すら残すな、『未元物質』の端から端まで全部掌握しろ!)
垣根が『未元物質』の方程式を一から作り変える真意。
それは、今までの『垣根帝督』という人間ではたどり着けなかった域へと達するためだ。
今までの使い方では駄目。
もっと深く。
もっと正確に。
『未元物質』とは一体何なのか。
満足するな。
奢るな。
こんなものではない。
この、垣根帝督に秘められた力は、あんな程度で収まるものではないはずだ。
垣根は演算を続ける。
どこまでも、どこまでも。
複雑に、濃密に。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く、深く、深く、深く、深く、深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く――――
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
そして。
―――
―――――
―――――――――
同刻、ロンドン。
それは、薄暗い教会の中での会話だった。
「…………」
異常に長い金髪の女性が、窓の向こう側を静かに見つめていた。
「……? どうなされました?」
近くで何らかの作業をしていた赤髪の神父が、疑問に思って訪ねる。
「……いえ、何でもなしよ。憂ふ必要ななしけるわ」
「貴女のする事で心配がいらなかったことがないのですが」
「なっ!? 淑女に向かひてその口のきき方はいかがなるの!?」
「淑女はそんなバカみたいな喋り方はしません」
「ふ、ふんっ! もう知らずわ!」
プイッ、と子供らしい動きで顔をそむけた女性は、神父に見えないように口元に笑みを浮かべた。
(…………この方向、学園都市? まさかアレイスター、何かせしこと? ……まぁ、何なれ、面白きことになりてきたりね)
―――
―――――
―――――――――
同刻、英国某所
それは、簡素なアパートメントの一室での会話だった。
「…………チッ、面倒な事になりそうだな」
コタツに脚を突っ込んで体をぐでんと伸ばしていた少女が唇を尖らせながらつぶやいた。
「いきなりどうしたんですか」
キッチンの方から飲み物を持ってきた黒服の男が訪ねる。
「お前は感じないのか? やれやれ、相変わらず駄目な奴だ」
「どうしていきなり罵倒されなきゃならないのかがわかりませんが、まぁ真昼間からジャージを着てコタツでごろごろしているボスよりは人間としてマトモだと思っていますけど」
「いいじゃないかジャージ&コタツ、ジャパニーズはみんなこうやってくつろいでいるんだぞ」
「どこ情報ですかソレ。ボスくらいの年齢なら運動をもっとするべきですよ。ちゃんと規則正しい生活を心がけないと身体の発達に影響が――
「よーし肉ミンチ決定だ」
―――
―――――
―――――――――
同刻、バチカン。
それは、大聖堂の最深部に存在する部屋での会話だった。
「……ふむ」
分厚い本を読んでいた一人の青年が、突然本を閉じ東の方へ顔を向けた。
「あ? 如何したのよいきなり」
近くに座っていた派手なメイクの女性はピアスを磨きながら横目で青年を見るが、青年は女性の方に全く目を向けずに返事を返した。
「いいや、何でもない。気づかないなら話しても無意味だろうしな」
「あぁ?」
「なんだか引っかかる言い方ですねー」
長身痩躯の男が間延びした喋り方で口をはさむが、誰も返答しなかった。
そもそも、ココに居る全員が和やかに会話するような間柄ではないのだが。
「…………」
ただ一人、無言で青年と同じ方向を向いていた大男は顔を顰めている。
「どうやらお前は漠然と感じているようだが、正確には把握できんらしい。まぁいい、何か理解できたとしても、お前たちではどうにもならんよ」
「言い方うっぜぇ……」
「さて、と。これは興味を向けてもよさそうだ」
青年は愉快そうに笑い、そして静かに立ち上がった。
―――
―――――
―――――――――
同刻、某国。
それに気づいたのは、奇怪な眼帯と黒い帽子を身に着けた少女だった。
少女の前には、金髪の青年が立っている。
二人は無傷だった。
だが、二人の周りはまるで戦争でもあったかのように、文字通り『壊滅』していた。
二人は静止し、同じ方向に顔を向けている。
「…………これは、ずいぶんと凄まじい事だな」
「方向、距離からして学園都市……か? だが、何となく違和感がある。しかしこれほどの特殊な力、お前と俺を除けばアレイスターぐらいしか考えられないな」
「世の中はお前が思っている以上に広いんだよ。『素体』としての素質は十分そうだ。なるべく早いうちに回収しなければ」
「……させるとおもうか?」
「逆だ。邪魔なんて、させるとおもうのか?」
二人は激突する。
何一つ説明できない力同士がぶつかり合い、再び地形が大きく形を変えた。
―――
―――――
―――――――――
同刻、学園都市。
その男は、『窓のないビル』と呼ばれている閉ざされた建造物の内部に居た。
モニタやボタンの明かりが満天の星空のように瞬く暗い部屋。
そんな部屋の中心に置かれた、薄紅色の液体に満たされたビーカーの中に逆さまに浮かぶ一人の男。
その男は、聖人のようでありながら罪人のようにも見え、老人にも見えるが子供にも見える、奇怪な人物だった。
そんな彼は今、表情を浮かべていた。
それは驚愕。
それは喜び。
それは不満。
極めて人間らしい表情を、極めて珍しい事に男は見せていたのであった。
「………………」
男は思考する。
彼の中の『プラン』では、このような事が起こる可能性はゼロであった。
もしくは、最も歪な状態で『回収』されてから何らかの用途に使う予定だったのだ。
なのに。
今、この目の前で起こっている現象は、紛れもなくイレギュラー。
想定の範囲外という、あってはならない非常事態。
「始末すべきか、いや、それはさすがに早計だな。『プラン』の更なる短縮に使えるかもしれん」
彼の『想定の範囲内』で『プラン』をかき乱す二人の存在。
一人は、ありとあらゆる異能を打ち消す右腕を持った少年。
もう一人は、ありとあらゆるベクトルを操る少年。
この二人の真価は、まだまだ先にある。
ただの異能を打ち消す右腕ではなく、ただのベクトルを操る程度の能力ではない。
二つの力が目覚めるのは、まだ先の事。
彼の『プラン』では、そうなるはずだった。
だが、ソレは起こった。
起こるべくして起こったのか、それとも起こらない筈だったことが間違って起こったのか。
それは嘗て、ある存在に知識を与えられた男にすら、わからなかった。
脳が二つに割れたような気がした。
まるで脳を割って、その中から何かが這い上がってくるような感覚。
だがしかし、そこに嫌悪感や痛み、不快感はない。
脳が、体が、何かに満たされていく。
まるで暖かい液体が全身を駆け巡っているかのように。
垣根がイメージしたのは、羽化だった。
強固な『自分だけの現実』を破り、その下にあった何かが翼を広げている。
学園都市の技術で開花した超能力。
だがそれは、『科学』という概念、学園都市の常識に囚われていた、という事なのかもしれない。
そして、今。
垣根帝督はその常識を打ち破る。
誰も届かない世界へと、垣根帝督は翼を広げる。
「…………………ハ、ハハ」
一方通行は笑っていた。
しかし、愉快ではない。
愉快なわけがない。
人が笑うのは愉快な時の他に、もう一つある。
それは、まったく理解の及ばない現象に出くわしたとき、どうしようもなく追い詰められた時。
「オイオイ……マジかよオマエ、それがテメェの超能力ってかァ? 悪ふざけにも程があンだろォがクソッタレェ……!」
「…………こいつが、『未元物質』か」
垣根帝督の背には六枚の翼。
無機的な白い光を帯びていた翼はより一層輝きを増し、それでいてさらに無機物的な美しさを誇っていた。
まるで、それ自体が人間よりも高位な存在の兵器であるかのように。
しかし、異変はそれだけではない。
垣根の背には今までだって翼があった。
ならば、一方通行は何に驚愕しているのか。
それは、『腕』
垣根の両脇の地面から天に向かって歪に指を伸ばす、十数メートルにも及ぶ巨大な二本の黄金の腕。
空気を握りつぶそうとでもしているかのように五本の指を動かしながら、両腕はまるで垣根に頭を垂れるように指先を下へと向ける。
まるで、神話の一ページのような光景だった。
白い翼を背負った天使を、神がその腕に抱いているかのような、そんな光景。
「何処までもメルヘンチックなヤロォだ……クソウゼェ、そのキメェ翼も腕も丸ごと捻じ曲げてやるよォ!」
一方通行は大気、重力、惑星の自転etc……ありとあらゆるベクトルをその体に宿し、垣根帝督へと突撃する。
本来人間にはどうやっても扱う事が出来ないような強大な力を込めた拳が垣根の顔へと迫った――その瞬間。
垣根の左右にあった黄金の腕が拳を握る様に、その指を折りたたんだ。
たったそれだけ。
たったそれだけの動作で発生した衝撃波が、垣根以外のありとあらゆるものを薙ぎ払った。
「か……ッ!? ゴ、ガァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!」
それは一方通行すらも例外ではない。
完全に理解不能の『謎の衝撃』を受けた一方通行は肉体のありとあらゆる箇所に平等にダメージを受けながら数十メートル吹き飛ばされた。
(なンだ……!? 今のベクトル、この俺に解析できねェ方程式だと……? 『未元物質』に近ェが本質がまるっきり違ェ! 数式に意味不明な文字列を叩き込んだよォな、そもそも方程式として成り立たねェモンじゃねェか!)
理解不能。
意味不明。
掌握不能。
計算不可。
垣根の翼から感じる力も、両脇に蠢く黄金の腕も、学園都市最高の頭脳ですら一片も理解できない。
科学の頂点にすら理解できない。
ならば、あれは――――
「…………科学、じゃねェ…………?」
『次回予告』
『ォ、ォォォォおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!?』
――――学園都市最強の超能力者 一方通行(アクセラレータ)
『一方rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr殺ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
『はいはーい、失礼しまーす』
――――???
科学サイド最強の化け物が、その一端に触れた瞬間。
更なる異変が起こる。
「は、はハは、いイなァ、こレこそ俺二相応しィ能力だ」
「……あァ?」
「どォしタんだヨ一方通行、そんなまぬnnnnけ面しやがって」
垣根の体が大きく震え、その喉からは声ではないノイズが走る。
ガクガクと垣根が異常な動きを見せた。
まるで、全身を糸で操られている傀儡のように。
「どォなってンだよ……」
明らかな異常。
もしも垣根があの正体不明の『力』を完全に掌握しているのであれば、あんなことにはならないはずだ。
そもそも、あの力で本気で襲い掛かられていれば、一方通行は既にこんな事を考える事も出来なくなっている。
つまりあれは、暴走だ。
「一方rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr殺ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss」
黄金の腕が、まるで幼子が癇癪を起こしているような、そんな無茶苦茶な動きで辺りを握り潰し、ひっくり返し、粉砕している。
それに連動するかのように、六枚の白い翼も空中を縦横無尽に暴れまわり、翼同士がぶつかり合い耳障りな音を辺りに響かせていた。
まるで、暴風。
全てを引き裂きながら、垣根帝督はたった一人で台風の中心で苦しみもがいていた。
(だが、好都合だ。アイツがあの『力』を御しきる前に、俺がアイツの『不可思議な力』の方程式を導き出しゃァ良い! 学園都市第一位の頭脳、舐めンじゃねェ!」
一方通行は目の前のアンノウンを解析するべく、頭の中にあるすべての法則とこの世のありとあらゆるベクトルを照合し、少しずつ答えへと至ろうと脳を働かせる。
今まで一方通行を支えてきた『科学』が何一つ通用しないあの力を知るためには、一度頭の中にある常識は棄てなければならない。
全く異なる土台。
垣根帝督という人間の内に隠れた、科学ではない巨大な力の法則を一方通行は掌握せんとする。
(もしアレが科学じゃねェとしても、俺の能力は『ベクトル』さえ存在してりゃどンなモノだって操れるンだ。だから解法さえ見つけちまえばイイ。格下に出来た事が俺に出来ねェワケがねェンだ!)
観測。
照合。
不正解。
再演算。
計算失敗。
再演算。
計算失敗。
再演算。
計算失敗。
再演算。
再演算。
再演算。
再演算。
演算。
演算。
演算。
演算。
演算。
演gkqy算。
演ざlyqmgん
演zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
「ァ…………? あ、あァ? あァああああああああァァァああ?」
初めて『未知』に触れた一方通行。
瞬間、一方通行の脳に明確な変化が現れた。
それは、例えるなら覚醒。
それは、例えるなら崩壊。
それは、例えるなら進化。
それは、例えるなら堕天。
一方通行の瞳から液体が零れ落ちる。
透明感のある暖かい液体ではない。
不快感しかない鉄臭い液体だった。
滴り落ちる赤黒い液体を一方通行は腕で拭う。
そして、口元は怪しく歪められた。
泣き笑いの表情で、一方通行は吠えた。
「ォ、ォォォォおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!?」
噴射。
一方通行の背から黒い何かが噴出した。
それはどうやら翼らしい。
しかし垣根のそれとは違う。
黒。
漆黒。
神秘的な光を放つ無機質な白い翼とは対照的な、荒々しく物々しくおどろおどろしく、暴力だけが渦巻く邪悪。
一瞬で世界の果てまで伸びていきそうな程の勢いを誇る翼は、一瞬で辺りの地面を削り取る。
「ハァ……ッ! ハァ……ッ!」
一方通行という存在を構成する柱が砕け散る。
学園都市第一位という称号、科学という世界そのものが音を立てて崩れ落ちていく。
この時、一方通行がいったい何に触れたのか。
それは誰かの思惑だったかもしれないし、イレギュラーだったかも知れない。
「な……ンだ……これはよォ……」
一方通行は困惑する。
己の中から湧き出てくる未知。
触れた事のない世界。
しかし既に痛みはない。
ただただ、一方通行という人格を飲み込まんとする黒い感情だけが無限にあふれ出ていた。
「……まァ、イイ。コレが何なのかはわからねェが……アレをぶっ殺せるなら、何でもいいか」
一方通行はゆっくりと腕を動かす。
それだけで、未知の絶対的な力で暴走していた垣根の体が大きく吹き飛ばされそうになるが、黄金の腕と暴走中の白い翼がその体を支える。
「ギャハ、ギャハハッ! やれる! やれる! ぶち殺せる! ヒャハッ!」
一方通行の黒い翼がさらに出力を上げる。
この謎の力を一方通行は完全に掌握できているわけではない。
だが、力は一方通行の中に湧き上がる黒い感情に従って動いてくれた。
だから、計算する必要もなく考える必要もない。
黒は白を、塗りつぶす。
破壊。
粉砕。
全壊。
撃滅。
潰滅。
損壊。
粉砕。
打毀。
征服。
蹂躙。
それは暴力だった。
『質』と言うだけなら、おそらくは垣根の方が上回っているだろう。
しかし結果は、圧倒的だった。
真の力だとか、進化の果てだとか、そう言った小難しい事は何一つない。
一方通行の力が垣根帝督の力に勝っている理由、それはあまりにも簡単な回答。
一方通行が、学園都市の頂点であるだけの事。
白い翼は粉砕された。
黄金の腕は引きちぎられた。
垣根帝督は、叩きのめされていた。
「………………………クソッ……」
垣根帝督の意識は戻っていた。
だが、先ほどまでの『力』を行使するほどの余裕があるわけではなかった。
白い翼はまだ発動できるし、翼の出力そのものは先ほどのようにかなり向上してる。
しかし黄金の腕はどうやっても出てこない。
出そうとしても、脳の奥底が焼けつくような痛みを感じるだけで重要なものが出てこない。
しかし、一方通行は違った。
黒い翼を四肢のように、自由自在に扱っている。
暴れ吹く暴風の中で、ただ一人君臨していた。
勝てない。
垣根が今まで下位の能力者をバカにしてきたように、一方通行との間には大きな差があった。
(どうすんだよ……さっきの腕はどうやっても出ねぇし、一方通行のクソ野郎は意味わかんねぇ力使い始めやがったし」
不可思議な力を理不尽な力で薙ぎ払われた垣根は、目の前の絶望を目の当たりにしてなお折れなかった。
垣根帝督という人間を支える芯は、荒々しく図々しく、人から見ればはた迷惑なだけのものかもしれないが、それはとても強かった。
垣根帝督とは、プライド。
垣根帝督とは、信念。
垣根帝督とは、劣等感。
垣根帝督とは、第二位。
敗北を認めた垣根帝督など、垣根帝督ではない。
負の側面に生きるからこそ、垣根帝督と言う人間は垣根帝督でいられる。
「じゃあ、死ぬか」
一方通行が黒い翼を振り上げる。
それはまさに、罪人の首を絶つギロチン。
垣根帝督に出来る事は、断頭を待つことだけ。
(考えるのをやめるな! 死ぬ間際まで脳みそを働かせろ! こんな所でくたばってたまるか! こんなクソ野郎にこの俺が殺されてたまるかってんだよ!)
垣根帝督は目を閉じなかった。
あの翼が垣根帝督の命を刈り取るその瞬間まで、垣根帝督はありったけの敵意と殺意を視線に含めながら一方通行を睨みつける。
脳を働かせ、経験を思い出し、ありとあらゆる可能性を模索する。
黒翼が、迫る。
状況を打破する手段は――――
「はいはーい、失礼しまーす」
「………………………あぁ?」
「………………………あァ?」
唐突に聞こえた軽いテンションの声。
死が確定したこの場には似つかわない、あまりにも気楽な声。
黒い翼は止まらない。
なのに。
その声の主も、まったく止まらない。
「………………おいおい、何だよ、おい、どうなってんだよ、テメェ!」
垣根帝督は慌てて声を荒げる。
だが、声の主はそれに何一つ対応してくれない。
ただただ、柔和な笑みを浮かべるだけで。
居るはずがないのに。
来るはずがないのに。
「帝督、これが私の帝督を『諦め』させるための、とっておきの手段です」
木原病理は、確かにそこに居た。
「…………ふざけんな、ふざけんな、ふざけんじゃねえぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
垣根帝督は吠えた。
パジャマの裾を小さく揺らし。
悪戯っぽく人差し指を唇に当てて。
小首を傾げウインクをしながら。
木原病理の体は、黒い翼に引き裂かれた。
『次回予告』
『諦めて、逃げて生きてください』
――――『諦め』を司る『木原』ファミリーの一人 木原病理(きはらびょうり)
『勝手に邪魔して! 勝手に体引きちぎられやがって! その上俺に諦めろだと!? ふざけんな、ふざけんな、ふざけんじゃねぇぞクソッタレ!』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
べシャリという湿った音。
グチャリという鈍い音。
ギチギチと不快な音を立てる機械義足。
飛び散る赤、砕ける白、引き裂かれるピンクや黄色。
「ンだァ? 今回の実験、部外者参加しすぎだろォよ」
一方通行の声が酷く遠く感じた。
まるで、夢で見ているかのように。
もしこれが夢であったならば、垣根は自分の愚かさを鼻で笑っていただろう。
しかし、リアル。
これは紛れもなく、現実で。
そんな事を考えてしまう程度に、垣根の心はかき乱されていて。
こんなものは、見飽きる程見てきたはずなのに。
腰から下を失った木原病理の体が地面に落ちる瞬間が。
やけにスローモーションに見えて。
「なに、してやがんだよテメェは!」
垣根は木原病理の上半身に駆け寄る。
臓器と骨と肉と血を断面からドロドロと溢しながら、木原病理はいつも通りの顔をしていた。
「あらあら帝督、そんなに慌てちゃって」
まるで子供の可愛らしい悪戯を諭す様な口調の病理。
この状態で、そんなテンションで、話が出来るなど人間に可能な事ではない。
木原病理の体内に埋め込まれたナノデバイスや様々な薬品の効果により、木原病理は肉体の半分を引き裂かれた状態での生存を可能にしていた。
しかし、その効果は無限ではない。
消費されるエネルギー、肉体への負担、何の処置もしなければ、単にこれは死ぬまでの苦しみが長続きするだけの手段。
ならばなぜ、病理はこのような手段を選んだのか。
理由は単純だった。
「帝督、どうですか? 私の今の姿は」
「あぁ!?」
「無様でしょう、呆れるでしょう? これが第一位に挑む、自分よりも上位に挑むという事なんですよ」
「…………」
第一位と第二位の間に存在する絶対的な壁。
垣根はそれを嘲笑い、乗り越えてやると宣言した。
しかし、結果は誰もが予想した通りだった。
もしもあの時病理が間に割り込んでいなければ、体を二つに千切られていたのは垣根だったはず。
反発する心も、第一位への悪意も、強固な信念も、何一つ打ち砕かれることなく、垣根は絶命していた筈だった、
だが、垣根は今も生きて、そして訪れるはずだった結果を目の当たりにしている。
これが、木原病理の垣根に対する最後の攻撃。
第一位を殺すなんていう夢想に囚われた垣根を『諦め』させる、文字通り決死の手段。
「帝督、第一位とこのまま戦えば、貴方もこうなるでしょう」
木原病理は、笑顔だった。
「ですから」
木原病理は、満足していた。
「諦めて、逃げて生きてください」
木原病理は、最後まで自分の信念を貫こうとしていた。
「ふっざけんじゃねぇぞクソボケェェェェェぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」
垣根帝督は吠える。
感情は怒。
ただただ、まき散らしても発散しきれないほどの怒りが垣根帝督の中で渦巻く。
「勝手に邪魔して! 勝手に体引きちぎられやがって! その上俺に諦めろだと!? ふざけんな、ふざけんな、ふざけんじゃねぇぞクソッタレ!」
叫ぶというよりかは、喚く。
まるで駄々をこねる子供のようだった。
感情をむき出しにして。
絶望を感じて。
怒りで表情を染め上げて。
心の内で引き裂くように泣きながら。
垣根帝督は、背の翼を病理の体の断面へと突き立てた。
「あァ?」
一方通行は解せない、といった表情を見せる。
轟々と吹き荒れる嵐の様な黒い翼を従えながら、一方通行は目の前の不可解な光景について思考する。
『未元物質』の翼を突き刺された木原病理は、突き刺さった瞬間こそ一度体を震わせ血を噴出したが、それ以降は削り取られた断面からの出血は見られない。
しかし、『未元物質』の翼は今尚病理の肉体へ侵入を続けている。
異物が人体へと入り込んでいる。
傍から見れば虫の息の人間をいたぶり嬲っているようにしか見えない。
だが、一方通行はその光景に別の印象を抱いた。
それは、手術のイメージ。
刃で肉体を切り裂き、ドリルで骨を削るような、荒々しくも人を確かに救っているとわかる光景。
「てい、とく?」
翼を突き立てられた上半身のみの病理は疑問の声を口に出す。
本来なら、肉体の50パーセントを失った人間が、さらにその断面に異物を突き立てられた状態で言語として他人に通じる言葉が話せるわけがない。
異常な光景は、異常な現象を引き起こしている。
「何を、しているんですか? そんな凶悪なもので、乙女の体内を蹂躙するなんて、えっちですよ?」
「黙れ」
一度だけ、垣根は病理を黙らせるために言葉を吐いた。
その直後から、垣根帝督の口からブツブツブツブと呪詛の様な言葉が漏れ出す。
口にしているのは数字、専門用語、そして垣根の頭の中にだけ存在する独自の法則の方程式。
(…………観測、されている?)
病理は自らの体にかかる違和感から、垣根の行動を推測する。
どうやら『未元物質』の翼は、病理の体の状態を片っ端から掌握しているように思えた。
まるで寄生虫が宿主の体に住み着くために、その肉体を隅から隅まで自分の存在しやすい環境に作り変える為に。
「帝督、アナタまさか――――
垣根帝督の『未元物質』
この世の法則を乗っ取る摩訶不思議な物質。
その力の柔軟さは、他の能力の追随を許さない。
しかし。
「『未元物質』で人体細胞の構築を……?」
理論はあった。
時間をかければ実現できる自信が木原病理にはあった。
だが、即席で。
この土壇場の状況で。
精密操作と応用の極致の様な事を、成し遂げようというのか。
「や、やめてください帝督。いくら『未元物質』とはいえ、人体細胞を再現するなんて事は不可能です。そんな無謀な事は諦めてください」
「復元、構成、再構築、演算、複製、観測、補充、修正、調整…………」
垣根帝督の吐き出す言葉は病理の意思など一切介していない。
無視。
病理の考えなど、病理の意思など、病理の気持ちなど、垣根帝督には一切関係ない。
自分勝手。
傍若無人。
垣根帝督が尊重するのは自分の意思と信念のみ。
「てい、とく――」
「なァンか面白ェ事してるみてェだけどよォ」
ゆらりと。
白い悪魔は黒い力を従え、垣根帝督と木原病理の元へと歩み寄る。
「俺をのけ者にすンじゃねェよ。仲間外れだなンて寂しいじゃねェか」
一方通行は嗤う。
垣根と同じように不可解な力をその身に降ろしているにもかかわらず、一方通行はその意識を保ち続けている。
性能差。
残酷な数値の差は計算式でもなければ絶対に覆らない。
「帝督、逃げてください。殺されますから、早く」
「再構築、再構築、再構築、再構築、再構築、再構築――――」
聞いていない。
関係ないのだ。
危機など。
忠告など。
都合など。
心配など。
理由など。
恐怖など。
他人など。
関係ない。
何一つ、垣根帝督には関係ない。
考慮に値しない。
配慮する必要はない。
成し遂げることは絶対に成し遂げる。
気に入らない事は絶対にすりつぶす。
ただ、それだけの事。
「シカト貫いてンじゃねェよ! あァ!?」
黒い翼が襲い掛かる。
病理の肉体を削り取った荒々しい刃としてではなく、肉体の深部にまで衝撃を伝える重々しい鈍器として。
横殴りに襲い掛かってきた黒い重圧は、そちらに見向きもせず病理の身体だけを見つめていた垣根の体を真横に吹き飛ばした。
垣根の体が鈍い音を立てながら地面を転がり、コンテナにぶつかって静止する。
擦過傷、脳震盪、内臓損傷、骨折。
元々全身にダメージを負っていた垣根は決して軽傷ではなく重傷、重体とも呼べる状態にまで追い込まれる。
しかし、垣根は立ち上がった。
脚を無様にガクガクと震わせ、震える体を支える腕すら震えている状態で。
這いずる様に歩きながら、垣根は再び病理の元へと向かう。
その口からは言葉が漏れる。
痛みに呻く声でもなく、苦しみに悶える言葉でもなく、その口が紡ぐのは計算式。
木原病理の肉体を構成するための特殊な演算。
「………なァンか、今のテメェは面白くねェなァ」
つまらなさそうに一方通行は呟く。
黒い翼の出力があがった。
明らかな殺意が含まれていた。
「もォいいや。十分楽しンだしなァ。そこの女と一緒にグチャグチャにして混ぜてやっからよォ」
垣根は漸く病理の体にたどり着く。
普通に歩くより五倍ほど時間をかけたが、垣根は何も言わずに病理の体の元に倒れるように座り込み、再び翼を病理の身体へと当てる。
演算を開始する。
だが。
「…………なぁ、木原病理」
垣根が初めて、計算式以外の言葉を口にした。
しかし、視線は向けていない。
まるで、独り言をつぶやいているかのような調子だ。
「はい」
「テメェは、テメェが死ぬことで俺を諦めさせようとしたんだよな」
「ええ、その通りですよ」
「ならテメェは考えなかったのか? 俺がテメェが死んだ程度じゃ何のリアクションも起こさねぇどころか、喜ぶんじゃないか。とかよ」
「まぁ、ちょっとは考えましたよ? アナタの性格ですから、私が死にかけてるのを見たら笑って踏みにじるくらいの事はしそうですしねぇ」
クスクスと病理は笑った。
「ですが、いざとなればこの儚く可憐な病理ちゃんの心配をしてくれると信じていました」
「真っ二つにされても生きて喋って笑ってボケかましてるテメェのどこが儚いんだよ」
「あらあら、ここは乗っかってくれる場面でしょう? 常識的に考えて」
「悪いな、俺に常識は通用しねぇ」
「それ全然すごくないと思いますけど…………まぁ、冗談をなくして、『木原』である病理ちゃんが珍しく本音を語っちゃいますかね」
「珍しいな」
「私は前から言っている通り、帝督が欲しいです。その能力は私がこの世で最も手に入れたい能力ですから」
「全然嬉しくねぇな」
「だから私は、心配しましたよ。帝督が第一位に殺されてしまうんじゃないかと」
「余計な世話だ」
「まぁまぁ。……ですから、思ったんですよ。私は帝督をこんなに心配しているのに――――
「私が帝督に心配されてないっていうのは、ちょっと寂しいかな……って思いました」
「…………そうかよ」
垣根は会話を打ち切った。
ほんの少しだけ、笑みを見せて。
「感動的な所悪ィンだけどよォ」
飽きたように一方通行が言葉を吐く。
まるで、茶番を見せられて苛立っているように。
「そォ言うの、寒くて仕方ねェンだわ。つーわけで、死ね」
黒い翼が空高く掲げられる。
おそらく、あれを振り下ろされれば垣根帝督の肉体と木原病理の肉体は同時に粉々にされ混ざり合い、もう見分けがつかなくなってしまうだろう。
だが、垣根は病理の肉体の再構成をやめる気配を見せなかった。
関係ない。
垣根帝督は自分の意思に基づいて行動する。
彼の強固な芯を折る事など、誰にだって出来やしない。
慣れあうつもりはない。
平和な世界に生きるつもりもない。
ただ。
逃げ出すという屈辱の選択肢を選ぶくらいなら、垣根帝督はこのままでいいと思った。
「これで終わりだァ、三下共」
黒い翼が、襲い掛かる。
二人は、動かない。
一方通行は嗤っていた。
垣根帝督は笑っていた。
木原病理は微笑んでいた。
そして。
「ああ、確かに終わりだ」
声は、聞こえた。
『次回予告』
『…………テメェ、誰だァ?』
――――学園都市最強の超能力者 一方通行(アクセラレータ)
『俺様の『腕』の行使は無制限じゃあないんだ。今はまだ、な。だからあまり手間取らせないで欲しいのだが』
――――???
弾ける音。
砕ける音。
阻まれる音。
粉砕される音。
かき消される音。
そのいずれかの音が響いた。
防がれたのは、一方通行の背中から噴射する圧倒的な黒い翼。
防いだのは、先ほどまでこの場に存在していなかった謎の存在。
異様だった。
不可思議だった。
不可解だった。
不条理だった。
ありえない。
ありえない。
ありえない!
「…………テメェ、誰だァ?」
一方通行が威嚇するように尋ねる。
だが、その視線の先に立つ男は睨まれたものすべてを竦ませる一方通行の視線を真正面から受けても平常心であった。
細見で、どこか陰鬱とした雰囲気を感じさせる男であった。
全身を赤を基調とした服装に身を包んだ男で、赤い髪を夜風に棚引かせながらその場に立っている。
男は武器のようなものを有していない。
だが、一方通行の黒翼は確かにその男に阻まれていた。
その男の右肩から生える、巨大な赤い腕のようなものに。
「名乗った所でお前には理解出来んし、名乗る必要があるとは思えないな」
男は一方通行から向けられる殺意など何でもないかのように、返答した。
再び一方通行は黒翼を振るう。
しかし、再び黒翼は赤い腕に阻まれ、それどころかその腕が軽く一度振るわれただけで黒い翼が根元からはじけ飛んだ。
「なァ……ッ!?」
「俺様の『腕』の行使は無制限じゃあないんだ。今はまだ、な。だからあまり手間取らせないで欲しいのだが」
「クソッタレ、粉々にしてばら撒いてやるよォ!」
一方通行が飛び掛かる。
その身にありとあらゆるベクトルを乗せて。
一撃で学園都市を更地に変えられる程のベクトルを支配して、その力を男の頭へと叩きつける為に。
「いかんな、その程度で激昂しては。器の底が知れてしまう」
男は一歩も脚を動かさず、指一本すら動かさなかった。
なのに、一方通行は吹き飛ばされた。
その身に載せたベクトルを全て弾き飛ばされ。
学園都市最強の能力者だけが持ちえる『反射』の壁もすり抜けられ。
力も。
能力も。
頭脳も。
プライドも。
悪意も。
すべてを粉々に打ち砕かれて。
一方通行は一切の言い訳も出来ないほど完璧に、敗北した。
「さて、と。余計な奴らが来る前にさっさと済ませてしまうか」
男は垣根と病理の方を振り返った。
垣根は当然、男を警戒している。
その男は一方通行のように見るからに危険、という見た目ではないものの、胸に重い物を押し付けられているかのような、そんな圧迫感を感じさせる雰囲気を纏っていた。
明らかな、『闇』の人間。
それも学園都市最強の一方通行を圧倒できるという事は、少なくとも科学の人間ではない。
「テメェは……」
「俺様はフィアンマという。本名ではないが俺様に名乗る名前はこれしかないんでな、納得してもらうぞ」
フィアンマと名乗ったその男は垣根と病理の様子を眺める。
病理の失われた部分の肉体は、七割ほどが『未元物質』によって既に補われていた。
まるで陶器で出来ているかのような、人工的な白い滑らかさを持つ足が木原病理に生えている。
「……成程。純度も低く、出力も目も当てられないほどだが、一応は『天使の力』【テレズマ】というわけか。物質化に成功したという点には俺様も賞賛しなければならないな」
一人で勝手に納得した様子のフィアンマ。
垣根は色々とフィアンマに聞かねばならないことがあるため、疑問を口に出そうとした、その瞬間――
「――――あ」
バタンと。
その場にあっけなく、垣根は倒れた。
「帝督?」
「死んではおらんよ。しかしその怪我に加え、俺様ですら今の状態では使いこなせないであろうレベルの『天使の力』を行使するという荒行を成し遂げたのだ、意識を失っていなかった方が不自然だな」
見ると、呼吸は小さいがちゃんと自力で行っている。
だが、垣根の翼は未だ病理の体に触れたままだった。つまりは、病理の体を復元するための演算式は未だ続けられている。
「……無意識で能力を行使しているだなんて、非常識ですねぇ」
病理は笑った。
出来立ての足に垣根の頭を乗せ、その顔を優しく撫でながら。
「さて、すまんがここでのんびりとしている暇はない。お前たちも聞きたい事は色々とあるだろうし、このままここに居ると面倒な奴らに嗅ぎ付けられる可能性がある。この場から移動するが構わんな?」
「ええ、しかしあなた一人で私達を? 帝督はそれなりの体つきですし、あっちには動けないクローンも倒れています。さらに病理ちゃんもこのスタイルですからスレンダーな子と比べて少々重量感はありますよ?」
「安心しろ。俺様の起こす『奇跡』にはお前たちの常識など通用せんよ」
どこかデジャヴを感じる言葉を吐きながら、フィアンマは再び右肩に『腕』を召還した。
―――
―――――
―――――――――
「…………」
垣根帝督が目を覚ましたのは質素な作りのベッドの上だった。
体を起こそうと垣根は力を込めるが、全く力が入らない。寝返りを打つことすら困難だった。
仕方なく、垣根は首だけを動かして、ここがどこか確かめようとする。
見える光景には、見覚えがあった。
「……『スクール』のアジトか?」
「はい、そうですよ」
垣根が向いている方向の反対側から声が聞こえた。
そちらに顔を向けると、木原病理が椅子に座って垣根を見下ろしていた。
「木原……」
「その苗字の人はかなりの数いますから、出来れば名前で呼んでくれると嬉しいんですけども」
「うるせぇ。……何で俺はアジトにいる? あれからどれくらい時間が経った? 何があった?」
質問を立て続けにぶつける垣根。
どれから答えようか、うーんと小さく唸りながら迷う病理。
すると、全く別の方向から答えが飛んできた。
「俺様が運んでやったんだよ。お前ら全員な」
声がしたのは頭上だった。
垣根はそちらへ顔を向ける。
そこに居たのは、服から髪まですべてが赤い男だった。
「赤っ」
「…………まぁ、否定はせんが」
やや不満そうな表情を見せる赤い男。
…………………赤い男?
「ッ! テメェ! あの時邪魔しやがった!」
「邪魔、とは随分な言葉だな。俺様が現れなければお前たちは今頃まとめてミンチになっていたというのに」
「それがどうした、どこで死のうが俺の勝手だ、テメェなんかにどうして俺の生死を決められなきゃならねぇんだ?」
「勝手、か。成程な、確かに勝手な言い分だ」
「…………あぁ?」
赤い男、右方のフィアンマは不敵に微笑む。
「ある程度の経緯はそこの女に聞いた。お前は行動したのだろう? その理由が正義感なのか自己満足なのかはお前自身にしかわからん。しかし行動した以上、お前はその結末に責任を持つべきだ」
「……」
「大口叩いて敵に挑み、結果は無様に敗北。それじゃあもはや滑稽を通り越して間抜けだよ」
正論だった。
垣根帝督は誓ったわけではないが、驕ったのだ。
それは、誓う以上に重い事だったかもしれない。
プライドというものを守れなかった事は、垣根帝督には死よりも屈辱的な事だ。
「しかし、間抜けならどうすればいいか、それがわからんわけでもないだろう? 無知ならば学べばいい。俺様がわざわざ学園都市までやって来た理由の半分はそれだ」
「あ?」
「教えてやるよ垣根帝督。お前があの戦いの最中に目覚めた『力』について」
「…………テメェは、一体何者なんだ?」
「気を失う前に名乗ったのだがな。まぁ良い、もう一度名乗ってやる。俺様は『右方』のフィアンマ。初めまして、科学の無知なる子羊よ」
「さて、と。まずはお前らの頭の中にある常識を壊すところから始めねばならんな」
フィアンマは自分で淹れた紅茶を啜りながら、簡素な作りのソファに腰を掛ける。
垣根は上半身を病理に起こしてもらい、壁に寄り掛かる形でフィアンマの方を向く。
病理もいつの間にかアジトに置いておいたお気に入りのクッキーを齧りながらフィアンマの話を聞くようだ。
「この世には、お前らが生まれた時からどっぷりと浸かっている科学と双璧をなすもう一つの法則が存在する。『魔術』と呼ばれる力だ」
「……魔術、なぁ」
「おや、あまり驚かんのだな。てっきり俺様は馬鹿げた話だと一蹴されると思っていたのだが」
意外そうな顔でフィアンマは垣根を見る。
「その胡散臭ぇ話をコイツに先に聞かされてたからな」
親指で病理を示す垣根。
病理はクスクスと笑った。
「すいませんねぇ。私も存在を直接観測したわけではないので半信半疑だったんですが、本当に存在しているなんて。ネタバレしちゃいました」
「構わん。納得させる手間が省けるからな」
特に気にした様子もないフィアンマ。
病理のクッキーを一枚貰い、説明を続ける。
「魔術を使うのに特別な開発などは必要ない。魔術とはそもそも才能のない人間が才能のある人間に追いつくために編み出された技法だからな」
「才能がない奴?」
「そうだ。もっとも、魔術とて才覚に左右されるのは当然だ。皮肉な話だと思わんか? 才能がない人間のための技術だというのに、そこでまた才能に左右されるというのは」
「くだらねぇ」
垣根は一蹴する。
まるでそれが当然であるとわかりきっているかのように。
「世の中、才能が全てだろ。金儲けの才能がありゃ金持ちになれるし、なきゃ貧乏人だ。努力するのにも才能が必要だ。努力の才能がねぇ奴は努力しても実らねぇか、そもそも努力ができねぇ」
「夢のない話だ。間違っているとは思わんがな」
フィアンマは同意する。
「話がそれたな、戻そう。その魔術という技術を使うのに必要なのは魔力と呼ばれる力だ。これはまぁ、人間の生命力、魂ともいえるかどうかはわからんが、そのような物が動力源となっている。いわゆるガソリンのようなものだな」
「つまりは、生きてりゃ誰にでも使える力って事か?」
「そうだ。一部の例外を除いてな」
「例外?」
病理が小首をかしげる。
「そうだ。言っただろう? 魔術とは才能無き人間のための技術だ。才能を無理やり開発した脳、つまりは学園都市で脳を開発された学生には魔術は使えん。いや、使えはするが目も当てられん程に悲惨な結果を招くだけだ」
「…………」
「才能のない普通の人間が体内で魔力を生成して使用するのが魔術、魔術を使う人間の事を魔術師と呼ぶ。ココまでは一般的な魔術と魔術師の話だ。基本原則は単純だろう?」
フィアンマはカップの中の紅茶を一気に飲み干す。
お替りは入れないらしい。
「次はもう少しステップアップした話をしようか。魔術師と言うのは基本使うのは魔力だが、中には魔力よりも高位の力を使って魔術を発動させる者もいる」
「高位の力?」
「そうだ。人間が生成することはできない、この世界ではない別の世界、天界を満たす『天使の力』と呼ばれるエネルギーだ」
「!」
この世界ではない、別の世界を満たすエネルギー。
それは、垣根にとってとても身近なモノによく似ていた。
「『天使の力』は文字通り、天界に住まう天使を構成するエネルギーだ。天使どころか、天界という世界そのものを創り上げているのだがな。これを扱う事により、魔力では発動できないような大きな儀式魔術や高等魔術を発動する事が出来る」
「天使に天界なぁ……詳しい話を聞けば聞くほど胡散臭ぇな」
「ならば聞くだけ聞いておけ。……『天使の力』は純度も高く強力な力だが、その分扱いが難しい。軽々と扱えるレベルの魔術師ならばまず間違いなく魔術サイドでは名が知れ渡っているだろう。隠匿されている者もいるだろうがな、この俺様のように」
「つまりテメェは「俺は強い」って言ってんだな?」
「まぁな。俺様には謙遜する理由が何一つ見当たらん」
フィアンマは傲慢だった。
そして、その傲慢さを突き通す程の『力』を持っていた。
「ここで、そろそろお前の話をしよう。お前は科学サイドの人間でありながら、その『天使の力』を行使したのだ」
天使の力。
科学ではない、もう一つの世界の力。
脳裏に浮かぶのは、あの黄金の腕。
「…………あの時の、腕か?」
「それの話はもう少ししてからだ。お前が当たり前のように背負っていたあの白い翼、もはや別物と呼べる程に純度が低いが、アレも『天使の力』ではある」
「帝督の『未元物質』は科学物質だと、学園都市では定義されていますが?」
「だから言っただろう、もはや別物だと。科学であると認識されるほどに歪められているのだからな」
「じゃあ、あの腕は違うってのか?」
「その通りだ。お前が召喚したのはおそらく黄金の腕だろう?」
「ああ」
「それは紛れもなく『天使の力』そのものだ。しかも物質化という域にまで達したのは、驚くべき偉業だよ」
褒められているのだが、あまり実感のない垣根。
道端で偶然拾った石が世界最古の石だと言われているような感覚だった。
「今も、そこの女の足を作っているのは物質化した『天使の力』だ。腕に比べて純度は著しく低いが、それなりにマシな方だよ」
垣根はハッとして、病理の足を見た。
パジャマ姿のため、足の先からくるぶし辺りまでしか見えないが、そこから覗いているのは人間の足――ではなく、陶器のように白く滑らかな脚だった。
ただ、駆動義足のように機械的な関節などはついておらず、人間の足をそのまま別の素材でトレースしたように、シルエットだけは完全な人間の脚部であった。
「しかし、『天使の力』と人体を結合させるとはな。しかもそれを行ったのが名高い魔術師などではなく、科学サイドの人間だというから悪い冗談だ。これはもはや偉業を通り越して事件だよ」
「その辺、あまり覚えてねーんだが……」
垣根は自分が何をしたのか、はっきりと覚えてるわけではない。
無我夢中、と言えば聞こえはいい。
無理やりに、無謀にも、と言ったほうが正しい。
「『天使の力』を物質化し、自らの用途に合わせて加工する……これはもはや魔術の常識にも当てはまらん。これだけでお前は魔術サイドの最上位クラスに至ったと言えるだろう。しかし、それが『故意』にであるならば、だがな」
「どういう事だ?」
「たとえばだが、今お前は黄金の腕を出せるか?」
垣根は頭の中で演算する。
『未元物質』の演算はあの瞬間、新たな段階に達した。
今までの演算では引き出せなかった『この世界に存在しない物質』はさらに純度を増してこの世に現界する。
しかし、あの時の『力』にまでは、どうやっても達しない。
「……今までの『未元物質』よりは力も強ぇな。だがあの時みてぇなのはどうやっても無理みたいだ」
「だろうな。あれを自由自在に引き出せたらもはや俺様の野望は二番煎じになってしまう。それを聞いただけでも安心したよ」
「あ?」
「何でもない。……さて、そろそろ話をまとめていこうか。風呂敷を広げるだけでは回収が面倒なんでな」
「何だか腕の悪い小説家みたいなセリフですねぇ」
「黙れ」
垣根が被せ気味に黙らせる。
「お前の『未元物質』とやらの科学サイド側の定義は知らんが、俺様の推測では『未元物質』は『天界の力をこの世に引き出して操る力』だ。魔術サイド風に言うと、本来大質量の『天使の力』を引き出すのに必要な、天界とこの世界をつなぐ儀式場を何時でもどこでも作り出せる能力、といった所か」
「……よくわからねぇな」
「だろうな。魔術の魔の字も知らんようなお前では欠片すらわからんよ」
フィアンマは1から10まで理解させるつもりはなかった。
ただ、その存在を示唆するだけで良い。
垣根帝督がフィアンマをよく知らないように、垣根帝督という人間をフィアンマはよく知らないが、予想はしていた。
この男に講釈なんてものは必要ない。
形の決まった知識なんてものは不要だ。
魔術を知らぬ人間が、『天使の力』を物質化するという域にまで達した。
その理由は、垣根帝督という人間の発想力にあった。
天才的、なんてレベルではない。もはや狂気的。猟奇的なのだ。
狂っている、外れている。
誰よりも、何よりも、どこまでも吹き飛んだ発想力を持つからこそ、垣根帝督は科学の世界の住人でありながらあの域にまで達したのだ。
(……しかし、昨夜のあの白い男の黒い翼のようなもの……アレも、酷く歪められているが…………)
フィアンマはもう一つの『可能性』を脳裏に思い浮かべる。
しかし、あちらに手を出す必要はない。
『操る』だけならば、価値はない。
『引出し』『創る』というスキルを持つ垣根帝督だからこそ、フィアンマはこうして現れたのだ。
「そういえば、不思議に思っていたんですが」
病理が髪の毛を指で弄りながら、フィアンマに尋ねる。
「帝督を褒めるためだけに、あの場に現れたわけじゃあないでしょう? アナタの真意を知りたいのですがー」
「そうだな、それこそが俺様の話のクライマックスだ」
フィアンマは立ち上がり、垣根のすぐ目の前に立つ。
位置的に、フィアンマは垣根を見下ろす位置に居る。
しかし、彼らは平等だった。
対等であった。
フィアンマが垣根を己と同等とみているわけではない。
事実、二人の間にある力の差は計り知れないほどだ。
だが、フィアンマは見下しているわけではない。
同等ではないが、認めている。
フィアンマが。
この世界を悪意しかないと確信し断言できるほど、自分以外のありとあらゆるものを見限っているフィアンマが。
己が手に入れる価値に足る者であると、認めていた。
「垣根帝督。俺様と手を組まんか?」
「……あぁ?」
フィアンマは、垣根に手を差し伸べた。
『次回予告』
『病理、俺がテメェの足になってやる。だからお前は俺の野望を叶えるための翼になれ』
――――学園都市第二位の超能力者 垣根帝督(かきねていとく)
『……はい、共に行きましょうか。闇の底へと』
――――『諦め』を司る『木原』ファミリーの一人 木原病理(きはらびょうり)
「俺様が成すべきことはもうすでにプランが出来上がっているのだが、お前の力があればもう少し円滑に、順調に事が進みそうだ。それに、成した後でも色々と面白い事が出来そうなんでな」
「……俺にメリットは?」
「お前の『未元物質』、俺様から見れば『変異した天使の力』だが、ソレについての知識を授けてやる。お前と同様、俺様の力はあまりにも特別すぎてな、俺様と同じ扱い方では不可能だろうがな」
「…………」
「お前の力は科学だけでは限界がある。魔術の知識を加えることにより、お前は更なる高みへと飛翔する事が出来るだろう。自慢になるが、俺様の力があればお前は魔術に関するありとあらゆる知識を得られる」
フィアンマの手を、垣根は暫し見つめる。
敗北した。
敗北したのだ。
垣根帝督は、一方通行に敗北したのだ。
勝てなかった。
策を巡らせて。
死力を尽くして。
全力で戦って。
無様に敗北した。
垣根の求める世界。
そこに至るに必要なのは、何物も寄せ付けぬ圧倒的な力。
孤高の孤独に至るため、ただ一人の世界に羽ばたくための力。
「…………少し、考えさせろ」
「…………ふむ、イイだろう。だが俺様も暇ではない。三日後、俺様がここに来た時に返事をしてもらおう」
「わかった。今は失せろ、寝させろ」
垣根はそう言って寝返りを打つ。
背を向けられたフィアンマは暫し垣根の背を見ていたが、やがて無言で部屋を出て行った。
「……以外でしたねぇ」
「何がだ」
二人残された病理と垣根。
先に口を開いたのは病理だった。
「てっきり、帝督の事ですから力が手に入ると聞けばすぐに飛びつくと思ったんですが」
「アホか。いくら俺でも即決なんか出来るかよ」
手を組む、という事自体にそもそも抵抗感がある。
『スクール』のメンバーにしても手を組んでいうというよりも、垣根が他のメンバーを『使っている』という認識だ。
自らスカウトした心理定規を除けば、いくらでも代替えのきく有象無象に過ぎない。
だが、あの男、フィアンマという男は違う。
明らかな『闇』の匂い。
自分と同じく、光の世界では生きていくことが不可能な人種。
フィアンマはその頂点に立つ存在だろう。
理解不能な力を振るい、第一位すら圧倒したもう一つの世界の住人。
(…………正直な話、アイツと手を組むメリットは計り知れねぇ)
垣根すら全貌を把握できていない『未元物質』。
もしもこれがフィアンマの言うとおり科学サイドの物質ではなく、魔術サイドの物質であるのならば、フィアンマと手を組み知識を得ることで垣根は『未元物質』の全てを理解できる。
フィアンマは科学としての『未元物質』を知らず、科学サイドは魔術としての『未元物質』を知らない。
垣根帝督だけが持ちえる唯一無比の『未元物質』は、垣根帝督にしか扱えない超能力となる。
(いずれ学園都市には反旗を翻す。その時に科学サイドの奴らに理解出来ねぇ力を使えるってのは大きいアドバンテージだ)
しかし、鵜呑みにしていい物か。
闇に属する人間は多かれ少なかれ、誰一人としてマトモな人間はいない。
闇に生きる人間は、いずれ闇に飲み込まれて果てるのが定めだ。
「帝督」
「あぁ?」
病理が『未元物質』で出来た足を撫でながら、垣根に話しかけてきた。
「この『足』なんですが、どうやら私の意思に応じて形を変えてくれるみたいなんですよね」
「そうなのか?」
「ええ、今はまだ慣れていませんので足の形にとどめていますが、うまくやれば翼や車輪なんて形も出来ると思います」
「車輪は気持ち悪いし、翼は俺が嫌だからやめろ」
「ですが、やはり帝督の『未元物質』は凄まじい能力みたいですねぇ。少しずつですが、木原病理という存在が『未元物質』に飲まれているようです」
ピクリと垣根が反応する。
病理は相変わらず笑顔だった。
「どういう事だ?」
「足を起点に、『未元物質』がどんどん私の体を侵食しているみたいです。あの時は緊急でしたから気を使う暇なんてなかったでしょうが、このままだと私のいずれ自壊するでしょうねぇ」
「…………」
他人事のように語る病理。
恐れているわけでも、悲観しているわけでも、絶望しているわけでもない。
「ですが、これで残された時間、私は『未元物質』の研究に勤しむ事が出来ます。これについてはとっても感謝していますよ」
むしろ、喜んでいるようで。
「ありがとうございます、帝督」
「…………」
垣根は暫し考え込む。
病理の顔をじっと見つめて。
じーっと見つめられ続けていた病理もしばらくキョトンとしていたが、やがて思い出したように両手を頬にあてた。
「そ、そんなに見つめられると、テレちゃうゾ///」
「ぶっ殺すぞ」
即答だった。
「…………で、本当に何なんですか?」
「決めた」
「?」
「俺は魔術の力も手に入れる」
「……!」
垣根の顔は至極真面目だった。
この顔の垣根を、病理は知っている。
一方通行に挑むと宣言した時と同じ。
一度決めた事は、決して曲げないと誓った顔。
「そうですか。それはまぁ、いいんじゃないですかね? 『未元物質』を更なる高みへ押し上げるためには魔術と言うのは実に興味深いですし」
病理は止めなかった。
「それに、帝督は言っても聞かないでしょうしねぇ。力づくで止めようにも、車椅子は破壊されてしまいましたし。私には――――
ガシ、と病理の細い手首が捕まれた。
「へ――――」
そして、突如病理の体が強い力に引っ張られ、その体はアジトの窓を突き破り大空へと投げ出される。
しかし、その体は落下しない。
背に白く輝く翼を広げた垣根が、奇しくも病理を助けた時と同じように抱きかかえているからだ。
「…………」
「て、帝督?」
「馬鹿か、テメェは」
「え?」
ガツン! と。
垣根の頭が病理の額に打ち付けられた。
「……あぅ…………」
「馬鹿か、テメェは」
「何で二回も言うんですか……というか、木原でも上位であるこの病理ちゃんがおバカなわけがないじゃないですか」
「いいや、テメェはバカでアホで間抜けだクソボケ」
心底面倒臭そうに、垣根は続ける。
「どうしてテメェは見送る側のセリフを吐こうとしてんだ?」
「………え?」
病理はキョトンと、呆けたような顔を見せた。
垣根の言葉の意味が分からない。
理解に時間がかかる。
「テメェも俺と一緒に来るんだよ」
当たり前の事のように、垣根は言った。
「…………」
「それに、魔術の力は手に入れるつっても、俺はフィアンマとは組まねぇ」
「え?」
「自力で手に入れねぇと意味ねぇだろ。それにあのフィアンマって野郎は気に入らねぇ。頭下げられても手なんざ組むか」
フィアンマとは組まない、が魔術の世界へは飛び込むと垣根は言った。
木原病理を連れて、全く知らない世界へ行くと。
「テメェを侵食する『未元物質』は俺が近くにいりゃ何があっても抑えられるし、ちょくちょく外部から干渉することで抑えられる。テメェは死ぬ気満々だったんだろうが、残念だな、死なさねぇよ」
「……それだけですか?」
「後、テメェが居ると色々と助かる。俺が今から飛び込むのは魔術とやらの世界だ。俺も科学についての知識はあるが、『未元物質』は特殊すぎる。科学全般に対してのスペシャリストであるテメェの頭は使えるんだよ」
「……それだけですか?」
「何を求めてやがるんだよテメェは」
垣根の腕の中で、病理は垣根を見つめている。
しかし、垣根はその視線に込められた感情を理解するまでには至らない。
人の気など考えた事もないのだから、理解なんて出来るはずもないのかもしれないが。
「…………ふふ、まぁ帝督ですし、仕方ないですかねぇ」
「あ? 何だよ、そのヤレヤレって感じの顔は、ふざけてやがるな」
「別にー。何でもないですよー。…………まぁ、せっかくですし」
もぞもぞと病理は垣根の腕の中で動く。
そして、ぴょんと、病理は腕の中から飛び出した。
「おい、何やって――――
「ふふっ」
病理の体は落ちていく。
垣根はすぐにそれに追いつき、再び病理の体を抱え込んだ。
「馬鹿な事してんじゃねェぞ」
「せっかくのシチュエーションです。夜空でお姫様抱っこされている私と、翼を広げる帝督。ロマンチックな言葉をお願いします」
「恐ろしい程に似合わねぇな」
「安心してください。自覚はあります」
垣根はため息を吐いた。
「病理、俺がテメェの足になってやる。だからお前は俺の野望を叶えるための翼になれ」
「……はい。共に行きましょうか。闇の底まで」
野望をかなえるため。
利害の一致、共生、利用。
言葉はなんだっていい。
木原病理と垣根帝督。
科学の悪魔と、科学の化け物は今この場で、確かに手を組んだ。
初めて『仲間』となった。
白い翼をはためかせ、垣根帝督は夜空を飛ぶ。
今ここに組まれた組織。
今はまだ、名もなくたった二人だけの組織。
しかし、この組織は後に科学サイドと魔術サイド、そして全世界を揺るがす存在となる。
―――
―――――
―――――――――
高層ビルの屋上。
吹き抜ける風は強く、ドレスの裾と金色の髪を大きく靡かせた。
「…………」
少女の目に映るのは、夜空で星のように輝く白い翼。
あの翼には見覚えがある。
ある意味で、自分にとても近しい翼だ。
「……帝督」
赤いドレスをギュッと握り、少女は何かを決心する。
「……置いてけぼりなんてつれない事、言わないわよね?」
―――
―――――
―――――――――
雑踏。
一人の少女はその中心で立ち止まっていた。
気づいているのは、その少女のみ。
他の人は脇目も振らず、少女の横を通り過ぎて行った。
上空から感じる不思議な電波。
見上げると、そこには白い翼。
それは、紛れもなくあの人の翼。
「…………敵に回るな、とは言われたけど」
クスリと、少女は笑う。
「味方になるな、とは言われてないわよね」
少女は歩き出す。
その目に強い意志を宿して。
―――
―――――
―――――――――
「……」
一人、静かにモニタを見つめる人間がいた。
学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリー。
モニタに映るのは、『スペアプラン』であった少年と、学園都市の優秀な研究者の一人。
第二位が第一位に勝てないという予想は、正しかった。
何があっても、どんなことがあっても、その結果は覆らないという確証は確かなものだった。
しかし、第二位は現時点であの領域にまで踏み込んでしまった。
それに引きずられる形で第一位も真の価値を片鱗を垣間見せたが、それを差し引いてもあの干渉は予想外だった。
右方のフィアンマ。
彼を片づけるのに、今はまだ早すぎる。
第一位の成長はともかく、幻想殺しはまだ成長しきっていない。
右方のフィアンマは、必ず幻想殺しにとって重要なキーとなる。
「………いいだろう、垣根帝督、木原病理、右方のフィアンマ」
液体の中で、アレイスターは薄く笑う。
物語の全てを知っているシナリオライターのように、行く先を見据えながら。
「『プラン』は大きく湾曲したが、結末は変わらない。『スペアプラン』としての価値、そしてそれに促される成長……『プラン』は大きく躍進を遂げる」
計画は、何一つ変わらない。
……
…………
…………………
「好奇心とはあらゆるものに平等に存在する欲求だ」
声がする。
何処から?
不明。
「欲求に従い動くからこそ生物は進化を遂げる。そのためならばあらゆる苦難とて立ち向かう価値がある」
話している。
誰が?
不明。
「幻想殺しも、『一方通行』も、結果が見えてしまっている。あれではつまらない、人のオモチャを眺めていることほどつまらない事はない」
説いている。
神の啓示のように。
誰に、と言うわけではなく。
自分だけが納得できる言葉を紡いでいる。
「さぁ、垣根帝督。君は私の興味を引くに値する可能性の種であると、証明してくれ。君の価値こそが私にこの世界への愛着を持たせているのだからね」
その者は翼を広げる。
神々しく、雄々しく、禍々しく、悍ましく、そして美しい。
青ざめたプラチナの翼を広げ。
幾千の輝きを背に。
形成された天使は、空虚な空に舞う。
これは序章である。
本編ではない。
これにて 完了 となります。
【 番外編 】
へ続く。
こんな垣根はていとくんじゃない!
次回熱烈期待しています。