※この作品は未完結です。
最初から:【 #01 】
一つ前:【 #05 】
12月1日。
今日から一週間、学園都市では『一端覧祭』が開催される。
100万単位の学生たちが一週間もの間盛大に文化祭を繰り広げるという、大覇星祭と並ぶ学園都市最大のイベントの一つだ。
進学者を募るオープンキャンパスも兼ねていて、名門校の経営陣は他校との誘致合戦にしのぎを削っている。
もちろん学生たちにそんな事情はどうでもよく、遊ぶもよし、楽しませるもよし、とにかく大はしゃぎの一週間だ。
浮かれるのは学生たちだけではない。
例えばアミューズメント系を研究する企業などはここぞとばかりに試作品を投入してくるし、
映像技術系の企業は学生たちの出し物に無償で技術提供をし、代わりに実地データを収集しようともする。
ただでさえおかしな食べ物が多い学園都市も、この時ばかりはいつも以上のカオスっぷりを発揮したりもするのだ。
要するに、人が大量に動けばそれはデータを集め研究を推し進めるチャンス。
非常に学園都市らしい発想である。
「……ま、あなたには関係ない話だよねぇ」
「……誰に言ってンだ?」
なんでもない、と呟き番外個体はノートパソコンに視線を戻す。
数日前、一方通行が拾ったデータチップの解析をやらされているのだ。
一端覧祭初日の午前中、こんな時間に入院患者の見舞いに来る人間などいない。
その隙を突いて、一方通行はこの病院を訪れていた。
「というかさー、第一位の演算能力を活かして暗号解除とかできないわけ?」
「並のハッカー以上の事は出来ねェ。そういうのは電撃使いの十八番だろォが」
「んー、ミサカにゃどうもあなたが面倒臭がってるようにしか見えないんだけどねぇ」
そう呟く間にも、番外個体の指はキーボード上でなめらかに動いて行く。
それを見つつ、一方通行は朝飯代わりのフライドチキンをかじる。
「んあー、良い匂い。ミサカもお腹ぺこぺこなんだけど。一本よこせ」
「解析が終わったらくれてやる。その前に俺が食い終わってなければの話だがな。
というかきちンと朝飯食ったンだろォ? まだ昼にもなってねェぞ」
「ひどいクライアントだこと。ミサカ使いが荒いね、まったく。
最終信号に向ける愛情の万分の一でもこのミサカに向けて欲しいもんだよ。
ここの病院食は美味しいんだけど、ミサカにはちょっと少ないかな」
軽口を叩きながら、番外個体は一方通行を軽く睨みつけた。
当の一方通行はどこ吹く風である。
「……そういや、あのガキがいねェな」
「あなたが来るなんて聞いてなかったからねー。芳川と一端覧祭を見に行ったよ」
「オマエは行かないのか?」
「わざわざ人ごみの中に突っ込むなんて勘弁。どうせ明後日お姉様と回る約束してるし」
「オリジナルと?」
「そ、このミサカと、最終信号と、お姉様。洋服見たり、新作ゲーム見たりの予定」
「……そォか」
一方通行はコーヒーを一口すする。
「いいンじゃねェの? せいぜい楽しンでこいよ」
「うわ何その似合わないセリフ、気持ち悪いな。ちょっとお手洗い行って来ていい?」
「うるせェ」
その時、ノートパソコンの画面を見ていた番外個体が顔を思い切りしかめる。
「あっちゃー、お手上げだよコレ」
「どうした?」
「見てよコレ」
番外個体はクルリとノートパソコンを回し、画面を一方通行へと向ける。
そこに映っていたのは、生体認証を求めるアラート。
「これがどうかしたのか?」
「これはさすがにムリ。ミサカの能力じゃこれは誤魔化せない」
「能力をフル活用してもどうにもなンねェのか」
「ならないと思うよ。英数字の羅列ならともかく、虹彩や指紋の生体認証は要求されるデータ量が多すぎる。
しかも組み合わせの上限が定められた英数字と違って、正解の影も形も見えないと来た。
対能力者防御システムすら欺けるお姉様ならともかく、このミサカでどうにかなるものじゃないよ」
「ダメ元で試してみたらどうだ」
「やめときなよ。認証に失敗したら『オメガシークレット』発動っぽいし。発動しちゃったら解読まで200年はかかるよ。
『250年法』を使ってでも解読したいなら話は別だけど、そのころには『第五百次製造計画』くらいまで進んでたりしてね。
そのころにはアップグレードを重ね続けた最新のミサカはどんなふうにになってるか、ちょっと興味はあるけど。
アニメみたいにサイボーグ化されて、目からビームが出たり、肘から先がロケットパンチにでもなってたりして?」
「……笑えねェ冗談だ」
今の技術力でも容易に達成できそうで困る。
『オメガシークレット』を持ちだしてまで守りたいものが、このデータチップには収められている。
急いてこれを無為にするようなことだけは避けねばならない。
「……この認証に使われてるデータが誰のものか、割り出せないか?」
「探し出して"協力"でも仰ぐの? 簡単に分かっちゃったら認証の意味がないと思うんだけどねぇ」
そう言いつつも、番外個体はキーを叩く。
ほどなくして、訝しげに眉をひそめる。
「あっさり見つかっちゃった、というか簡単すぎて逆に"あからさま"って感じで怪しさ満点なんだけどさ。
親御さん、どう判断する?」
データチップの中に、暗号化されたデータと一緒に収められていた画像。
ツンツンの金髪にサングラスという出で立ちの人物のデフォルメ画像だ。
「…………土御門の野郎か、これは? なンであいつのアイコンが入ってやがンだ」
「お知り合い?」
番外個体の声は無視して、一方通行は思案する。
安直に考えれば、これは土御門がばらまいたものなのだろうか。
ロシアへ行く直前、『グループ』の連中と連絡を取るための手段は全て潰した。
彼が何かの情報を持っていて、一方通行と接触を取りたいがためにわざわざ回りくどいことをした?
あるいは何者かが罠を張っていて、そのために元同僚の土御門の画像を利用したのだろうか?
「……何にせよ、『グループ』に接触してみる必要がありそうだな」
同時刻。
御坂美琴と白井黒子は、『学舎の園』の前で友人たちと待ち合わせをしていた。
大覇星祭でも公開されなかった『学舎の園』も、オープンキャンパスを兼ねる一端覧祭ではさすがに公開せざるを得ない。
ただし、男子禁制は相変わらず。
このゲートを越えて男性が足を踏み入れることを許されるのは、入学式と卒業式、授業参観があるときの父兄のみという徹底ぶりだ。
そんなわけで、普段の三倍増しの人口(ただし全て女性)の雑踏の中を、二人は今か今かと待ちわびていた。
「……二人とも、遅いわね」
「やはりこの人ですから、思うように動けていないのかも知れませんわね」
見渡す限り人、人、人、その99%が女子の制服だ。
この周辺では規制が行われていて車道に人がはみ出るような事態にはなっていないが、
大通りなどでは歩行者天国を実施して出店を並べているような区域もある。
当然、それに併せて学区内を巡回するバスの運行も影響を受けている。
「電話してみようかしら?」
「その必要はないですよ!」
美琴の呟きに、側面から応答があった。
息を切らせた初春飾利と佐天涙子の姿だ。
「お、お待たせしました~~!」
「やはりバスも遅延してますの?」
「そ、そりゃあもう、バスも遅れに遅れて。これでも10分前に着くようにバスに乗ったんですよ?」
「お疲れ様。さっそくだけど、混む前に移動しましょうか」
「じゃあ、私たち行ってみたいところがあるんです!」
「どこ?」
美琴の促しに、初春と佐天は声を合わせて答える。
「「常盤台中学!!」」
女性限定とはいえ、学舎の園が在校生の招待状なしに一般開放されるのは一端覧祭の期間中だけである。
そのため、普段は閑静な街並みも、今は女生徒達で溢れかえっている。
「……以前とは比べ物にならないくらいの人の山ですねー……」
「風紀委員の計測では、例年一日当たり学舎の園に所属する学生の5倍以上の来訪者がいるそうですの」
「皆初春みたいにお嬢様にあこがれる人ばかりなのかな―?」
「ひっ、人をおのぼりさんみたいに言わないでくださいっ!」
「あはは、この中にしかないお店もあるからね。この機に見てみたいって人もいるんじゃない?」
「街の綺麗さに驚き、そしてものの値段を見てさらに驚くってわけですね?」
「……そんなに中と外で物の値段って違う?」
「ゼロの数が一個二個違うってのは学生には大きいですよ?」
「……なんですと」
お見舞いのケーキの値段を明かした時の上条の表情にも納得がいく。
やはり、自分たちは金銭感覚がどこかおかしいのかもしれない。
普段ならば人ごみなどない広い道を、肩を押し合いへしあいしながら進む。
「……だけど、うちの学校なんてなんの面白みもないと思うけどなぁ。
うちのクラスなんて、それぞれが書いた論文を掲示してあるだけよ?
黒子のところはなんだっけ?」
「わたくしのクラスはステッチ細工の展示ですの」
「あー、なんか部屋でもちくちくやってたわね」
「……佐天さん、この人たち本当の意味で"文化"祭してますよ!?」
「私たちのところとは大違いなんですねぇ」
学校の特色は出し物にも表れるらしい。
お嬢様学校の二人に対し、ごくごく平凡な学校の初春と佐天は苦笑いだ。
「二人のところは何をやるの?」
「ごくフツーな事ですよぉ。うちのクラスはお化け屋敷です。ねぇ、初春?」
「そうです。学生がやるようなちゃちなものですから、お二人のところと比べちゃうと」
「そんなことないわよ。楽しそうじゃない。ねぇ黒子、明日見に行こうよ」
「ええ、楽しみにしておりますの」
「あはは……しょぼくてもがっかりしないでくださいね」
こういうことなら、学舎の園を初日に見て回るのはやめておいたほうが良かったかもしれない。
初春と佐天はちょっとだけ後悔した。
「ほら、ここが常盤台中学よん」
「「うわぁ……」」
感嘆の声を漏らす初春と佐天の前にそびえるのは、二人の通う柵川中学校よりも遥かに広大な敷地と校舎を誇る、常盤台中学校。
石畳の道路と大理石の建物はさながら西洋の豪邸と言ったありさまで、『五本指』の名に恥じぬ威厳をたたえていた。
「ここがお嬢様たちの総本山……!」
「外部寮も素敵だったけど、校舎はもっと凄いですね……!」
「ほらほら、来校者用の入り口はこっちよー」
初春と佐天には輝いて見える見上げるような大きさの校門を、美琴と白井はごく普通に入っていく。
二人はその後を慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっとくらい浸らせてくれてもいいじゃないですか」
「校門や外観だけで浸ってどうするの。これからその中に入るのよ」
「まだちょっと心の準備が……すー、はー、すー、はー」
「深呼吸までしなくとも……」
「ああ、常盤台中学の空気に含まれるお嬢様成分が私の体の中へと取りこまれていく……!」
「初春、ミョーちきりんなことを言ってないで、行きますわよー」
石畳を渡り、一同は来校者用の玄関へとたどり着く。
大きく開かれた厳めしい扉の横には、「一般開放」の文字が。
ごくりと息を飲む二人に、美琴はにこりと笑いかける。
「初春さん、佐天さん、常盤台中学へようこそ!」
外観から見て分かるように、内装も瀟洒な純西洋風になっている。
教育施設らしからぬ装飾過多な面はあるが、それが『学舎の園』の空気と言うものなのだろう。
天井の彫刻に見とれ、壁に掛けられた絵画にうっとりし、もの珍しそうにあたりを見回す二人に、美琴が問いかける。
「まずは、どこから見て回ろうか」
「「全部!!」」
「……だよね。そういうと思ったわ」
「では、順番にまいりましょう」
美琴を先頭に、順番に教室を巡って行く。
普段自分たちが通う校舎に、他校の制服を着た女生徒がいると言うのは何とも不思議な気分だ。
その多くが、美琴を見ては何やら隣の人と何かをこそこそ話す。
「見て、御坂美琴よ」
「あの『超電磁砲』……」
「御坂さんを生で見られるなんて……」
「常盤台に来て良かったわ」
「あ、あはは……」
何やら自分も常盤台中学の名物扱いされているようで、表情を崩すこともできず、美琴はただ作り笑いを浮かべている。
「やっぱり御坂さんって有名なんですね……」
「それはもう、『常盤台のエース』ですから」
白井は誇らしげに胸を張る。
「佐天さん! これ見てくださいよ! これも、ぜーんぶお砂糖ですよ! あ、今回は食べちゃだめですからね!」
「分かってるって、初春はしつこいなー」
展示品の砂糖細工を見てはしゃぐ初春に、佐天が苦笑する。
おとぎ話の一ページを切り取ったようなヴィネット。その全てが砂糖で出来ている。
「これは『赤ずきん』かなぁ」
「こっちは『白雪姫』ですよ!」
「黒子、これはなんだと思う?」
「……『塔の上のラプンツェル』でしょうか」
高い塔の最上階から美しく長い金髪を垂らす少女がラプンツェルだろう。
塔の下では男性が少女を見上げている。
「良くできてるわよねコレ。でもお砂糖だから長くは持たないんじゃないかなぁ」
「ですから、日替わりで展示するヴィネットを変えますのよ、御坂さま」
話しかけてきたのは、展示品を飾っているこのクラスの生徒。
「いくら熱の出ないライトを使い、部屋の温度や湿度を低くしていると言っても限度はありますし。
一人数点を作成して、それで一週間ローテーションで飾る事にしていますの」
「やっぱり悪くなっちゃうのよね。アリとかも来そうだし」
「そのあたりはデリケートに防虫していますので、あまり問題にはならないのですけれどね。
あ、別の日には飴細工の即売会も予定していますので、御坂さまやご友人がたもよろしければ、ぜひ」
差し出されたチラシを受け取り、友人たちと眺める。
飴細工の簡単な製作工程と共に、「リクエストにお応えして目の前で色々な飴細工をお作りします」の文字が。
「御坂さん! 私! ぜひ! 参加してみたいです!」
「面白そうだけど……うーん、私どの日程も他に予定あるのよね……」
飴細工の即売会が予定されている日付は一端覧祭の三日目、五日目、七日目。
どれも既に予定が埋まっている。
目の前でゲコ太の飴細工を作ってもらうと言うのは、悔しいが諦めるほかない。
「ではわたくしがご案内しますの」
「ごめんね、二人とも」
「いえいえ、お気になさらず」
「そうですよ。デートのほう、頑張ってくださいね!」
「えっ、いやあの、なんで知っ……! じゃなくて、そんなのじゃないわよ!?」
虚を突かれ、思わずボロを出しかける。
慌てて取り繕おうとするが、後の祭り。
「カマをかけただけなんですけど……」
「み、御坂さんがデート……ふえぇぇぇえぇぇ~~ッ!?」
「だーかーらー、違うって! 違う人と約束があるんだって! はっ!?」
暗い怨念を背後に感じ振り返ってみれば、そこには死んだような目で何かを呟く黒子の姿が。
「……あの類人猿め、いつの間に…………いつか殺す殺すコロスコロスコロス……………………」
「違うって言ってんでしょうが聞けこのド馬鹿ッ!!」
「……『外』から従姉妹の方々がいらっしゃるのでしたらそうとおっしゃってくださればいいのに」
「あんたが聞こうとしなかったからでしょ!」
制裁を受けひりひりと痛む頭を押さえ、白井は独りごちる。
結局、打ち止めや番外個体と遊びに行くことは「従姉妹と遊ぶ」と誤魔化した。
隠すつもりはないとはいえ、デリケートな問題だ。
明かすには綿密に計画を練る必要がある。
ちなみにデートに関してはなんとかうやむやにすることに成功した。
「お姉様の従姉妹ということは、お姉様に似ていらっしゃる……?
……黒子も、黒子もぜひ混ぜてくださいまし!」
「アンタその日は風紀委員で遊べないって言ってたでしょうが。職務放棄で固法先輩に言いつけるわよ」
「そ、そんな殺生な……」
「それよりも、次はどこに行こうかしら?」
美琴と白井のいつものやり取りに呆れかえっていた初春と佐天を振りかえる。
「私、プールでやってる『氷の城』っていうの見に行きたいです!」
「じゃあ、それで決まりね」
屋外のプールには既に見物客がたくさんいた。
50mプールのあった場所にそびえたつのは、見上げるような大きさの氷の城だ。
「……どれだけの量の水を使ったんですの」
明らかにプールに入っていただろう水の容積をオーバーしている。
よくもまぁ許可が出たものだ。
「そもそもどうやって作ったんでしょう、これ」
「水流操作系の子と、熱量操作系の子のコラボレーションですのよ」
話しかけてきた少女の顔を見て、白井は「うげ」と眉をひそめる。
本来なら白井と同じ反応をとるはずだった美琴は、何故か親しげに声を返した。
「こんにちは、食蜂さん」
「ごきげんよう、御坂さん」
長く艶やかなシャンパンゴールドの髪を揺らす少女、『心理掌握』。
いつも漂わせている高飛車な雰囲気はなく、何故か嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「これがあなたの"派閥"の出し物なの?」
「ええ。ただこれを見てはしゃいだ男の子が中で足を滑らせて転んでしまって……。
そんな事情があって、中には誰も入れないようにしていますの。
……そちらの方々は、御坂さんのご友人?」
「そうよ。白井黒子……は知ってるわよね。こちらは初春飾利さんと、佐天涙子さん」
「初めまして」
「よろしくお願いします」
「これはどうも。食蜂操祈(みさき)と申します」
彼女にしては珍しく、にこにこと笑いかける。
自分の派閥の出し物に美琴が来てくれたことがよほど嬉しいのかもしれない。
「『心理掌握(メンタルアウト)』と言った方が、通りが良いかもしれませんの」
「御坂さんと同じ、もう一人の常盤台のレベル5の……?」
「ええ。僭越ながらレベル5序列第五位、『心理掌握』を拝命しております。
それと、常盤台中学の最大派閥の長も務めさせていただいておりますの」
「『派閥』……ですか」
「仰々しい名前はついていても、実体としては同好会やサークル活動の延長と言ったところでしょうか。
例えば同じ系統の能力者、同じ趣味、同じ専攻。そういった方々が集まって、一つの集合体を形成していますの。
そして共に語らい、学び、高め合う。そのような集まりのことを『派閥』と言います」
お嬢様学校には、一般人には良く分からない風習があるらしい。
食蜂の説明を半分も理解しないまま、興味は氷の城へと移る。
「水流操作系の能力と、熱量操作系の能力を組み合わせたらこのお城を作れるんですか?」
初春が興味しんしんと言った様子で食蜂に問う。
「ええ。まず水流操作系の子が水を操って基本的な形を作り、そして熱量操作系の子が水から熱量を奪って氷にする……といった感じですわ。
ほら、プールサイドに立っているあの子が熱量操作系の能力者ですの」
食蜂が軽く手を振れば、館のそばに立っていた女生徒がぺこりと会釈をする。
「ただ、さすがにこれを一人ずつでやろうと言うのは無茶ですわ。
どちらの能力もレベル3~4相当の子が何人もいて、初めて為し得たことです」
「……『女王』サマは、何もなさっておられないようですの」
「わたくしの仕事はこの館の図面を引いたり、館を作る担当の子たちの意識を繋げてクリアに意思疎通ができるようにすることですの。
……まあ、メインの役どころではないことは確かですわね」
内装もとても凝りましたのに……。と食蜂は呟いた。
「中も見てみたかったなぁ」
「きっととても素敵だったんでしょうねぇ」
「後日、内装の写真を展示することにしましたので、よろしければぜひ」
氷の城に興味しんしんの佐天や、城を冷やして維持している能力者に話を聞きに行った初春をよそに、美琴と白井は食蜂と話を続ける。
「そう言えば御坂さん。あなたのクラスは生徒一人一人が論文を書いていましたわね。
あなたの論文を読んで、わたくし色々と感銘を受けましたの」
上条を即座に治療するための手段が尽きた後、美琴はそれまでに調べたことを一つの論文にし、本来出すはずだったものと急きょ差し替えた。
テーマは脳の損傷による症状とその治療法についての考証。万策尽きた後もあがくのはやめたくなくて、必死に作り上げたもの。
当然医者や研究者などその道の人間からすれば失笑ものかもしれないが、それでも美琴の努力の結晶だ。
「いやぁ、アレは簡単に言っちゃうと『将来に期待』って結論のものなんだけど……」
「それでも専攻外の事柄に対して、学生としてはかなり高水準である、と研究者の方々がおっしゃっているのを耳にしましたの。
もしかしたら、卒業後を見据えてそういう方面からオファーが来るかもしれませんね?」
「……お姉様が脳科学者、ですの?」
美琴や白井にとって、一番身近な脳の研究者と言えば木山春生が思い浮かぶ。
目の周りにクマを作り、いつでもくしゃっとした白衣を纏う姿は、活発な雰囲気の美琴とは似ても似つかない。
「お姉様が木山春生のようなお姿に……おいたわしいや
「こらこら失礼なことを考えないの。この間会ったけどずいぶん雰囲気変わってたわよ?
それに、将来の職業なんか考えたことないし」
「あら、それはくだんの殿方の元に永久就職する予定だからでしょう?」
くすくすと食蜂が笑う。
ぴしっと凍りつく美琴の首元を、目を血走らせた白井がぐわんぐわんと揺らす。
「お姉様今の『心理掌握』の言葉はどういうことですのやはりあの方とはそういう仲ですの畜生あの類人猿今すぐ駆除してやるぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
「落ち着けド馬鹿!」
暴走する白井の襟を掴み、軽く電流を流す。
食蜂はそんな二人を愉快そうに見つめていた。
氷の城を堪能し、食蜂と別れた四人は再び校舎の中へと戻っていた。
「ねえ、お腹すかない?」
「そう言えばもうすぐお昼ですね」
「私、常盤台の学食に行ってみたいです!」
「学食ねぇ」
「学生食堂と言うより、カフェテリアですの」
「お嬢様学校のお昼ご飯って、どんな感じなんでしょう!」
「じゃあ、混む前にお昼ご飯にしましょうか」
常盤台中学のカフェテリアは、広大な敷地に少ない学生数という特色を利用し、かなり優雅な作りになっている。
一般的に学生食堂と言われて思いつくように多人数がけの長テーブルが所狭しと詰め込まれているのではなく、
6人がけの丸テーブルが間隔を開けて50ばかり並べられていた。
もちろんその調度品の一つ一つが恐ろしいほどの価値を持っていることは言うまでもない。
超一流のお嬢様学校とくれば、超一流の食事を食べているに違いない。
そう考えた人は多いのだろう。
常盤台中学を訪れたついでに、学食でおいしいものを食べていこう。
そう考えた人でカフェテリアは一杯だった。
ただし、席についているのは常盤台や学舎の園内部の制服を着た学生ばかりで、一般の見物者の多くはメニューを見てうなだれ、きびすを返してしまう。
というのも、
「……パスタ一皿、3000円……だと……?」
味も超一流なら、お値段も超一流なのである。
もちろん、これは学生食堂であることを考慮して、限界まで下げられた値段だ。
学舎の園の中の物価を考えればむしろ破格ですらある。
佐天は財布の中をのぞく。
その中には樋口一葉が一人、野口英世が三人。あとは小銭ばかりだ。
メニューを見つつぶるぶると肩を震わせる佐天と初春。
純然たる庶民の子である二人には、昼飯一食程度にぽんと出せる額ではない。
「ゼロが一つ多くないですか……?」
「そう? これでも学校の外のお店に比べたら安い方よ」
「校外で食べれば一食5000円くらいは軽く飛びますの」
「佐天さん……私たちはとんでもない所に足を踏み入れてしまったようです……」
「所詮私たちは一般庶民A、Bにすぎないと言うことなんだね……」
「ほ、ほら、大皿の料理を頼んで皆で分ければ大丈夫よ!」
「テーブルの皆で分けられようなメニューもありますのよ」
よよよと泣き崩れる初春と佐天に、美琴と白井は慌ててなだめるように言うが、その時。
「……おや、懐かしい顔ぶれじゃないか?」
声の先には、両手に盆を抱えた木山春生が立っていた。
「木山せんせい、どうしてここに? というか、その両手いっぱいの料理は……?」
「……友人たちと一緒に来たんだが、緊急の用とやらで帰ってしまってね。もう料理を注文した後で途方に暮れていたんだ。
まだ手もつけていないし、まだ何も頼んでいなければ、良かったらこれを食べてくれないか」
木山はそう言うと盆をテーブルの中央に置く。
大皿に乗ったピザやパスタなどは未だ湯気が上っている。
「いいんですか?」
「構わないさ。どうせ食べきれなさそうで困っていたんだ。
君たちが食べてくれるなら私も助かるよ」
「では、遠慮なく。いっただきまーす!」
四人は一斉に料理に手を伸ばした。
あっという間に料理が無くなっていく様子を、木山は楽しそうに眺める。
「おいしーい!」
「御坂さんも、白井さんも、毎日こんなおいしいお昼を食べてるなんてずるいですよ!」
「そんなことを言われても困りますの……」
「カフェテリア形式も毎日何を食べようか迷うんだけどね。給食だとその辺考えなくて良い気もするんだけど」
「給食は栄養士が栄養バランスと食材の偏りを考えて作っているからな。
小さい子も食べるものだし、毎日同じものが出ると飽きてしまうこともある。だからバリエーションが豊富なんだ」
「さすが教師、詳しいんですね」
「……昔取った杵柄、というやつかな」
木山は少しだけ、寂しそうに笑う。
「ところで、木山せんせいは前よりずいぶんと雰囲気が変わりましたよね」
今日の木山は白衣姿ではなく、教師が着るようなグレーのスーツを着ている。
短くした髪といい、以前の疲れた研究者然とした格好の時とは全く異なって見える。
「あのあと色々考えてね。枝先を始めとして、意識不明だった子供たちも助けられることができた。
そろそろ、私も新たな人生を歩み出そうかと考えているところなんだ」
「ひょっとして、結婚でもするんですか!?」
「「「結婚!?」」」
佐天の言葉に、残る三人も驚きの声をあげる。
が、木山は疲れたようなため息をついただけだった。
「……残念ながら、私にはそういう浮いた話はないな。
日がな研究室にこもる女に言い寄るもの好きな男性がいるとも思えないし。
私が考えているのは、転職するか、このまま研究員を続けるかと言うことなんだ」
「この間言ってた、『教員免許を取ろうとしてる』って話?」
「わぁ、きっと春上さんも枝先さんも喜びます!」
「教育課程を取り直すつもりだから、何年先になるかはわからないがな……。
それに今は並行して、新たな教材作りの研究もしていてね」
「どんな教材なんですの?」
興味深そうに尋ねた白井に、木山は少しだけ口角を上げて答えた。
「『幻想御手』の仕組みを応用した、能力開発のための教材だよ」
とたんにテーブルの雰囲気が暗くなる。
『幻想御手』。
その言葉に凍りついた少女が一人。
かつてそれを使用した、佐天涙子。
脳波の同調を使用者に強制し、昏睡状態に至らしめた『幻想御手』。
自分の能力を強くしたいという欲望に付け込んだこのアイテムは数万人規模の被害者を出した。
今更、そんなものを研究するなんて。
いっせいに眉をひそめた四人に、木山は「しまった」と言いたげな顔をする。
「今の言い方は語弊があったな……。『幻想御手』の仕組みと言っても、実体は全く異なるものだ。
大丈夫、他人の脳波を強制しようというものじゃないよ」
「……一体、どんな仕組みなんですか」
「うーむ、研究段階で守秘義務もある事だしあまり突っ込んだことは話したくないのだが、納得してくれそうにないしな……。ここだけの話と言うことで頼む。
……君たちはあの事件の収束後、『幻想御手』使用者の一部に能力強度の上昇が見られたという事象を知っているかな?」
「ワクチンを使って、『幻想御手』を解除した後もですか?」
「そう。最初はいまだ『幻想御手』が解除できていないのかと思ったらしいのだが、脳波を計測しても正常。数日経っても倒れない。
しばらく医者や能力開発担当者も首を捻っていたらしいんだが、しばらくして学生たちの言葉からヒントが得られてな。
『一度高レベルの能力を経験したからか、高度な演算式が以前よりスムーズに組み立てられるようになった』と。
今作っている教材は、そこに着目したものなんだ」
「でも、他者との脳波リンクは行わないのよね?」
「ああ、演算能力に関してはスパコンで補う。機材でどうしても場所を食ってしまうが、安全性を考えれば仕方あるまい。
それよりも問題は『自分だけの現実』の補完による能力強度の強化なんだが、こっちが大変でな。
『学習装置』で他者の『自分だけの現実』を植え付けることはできるが、そうすると問題が出てくる。
植え付けられた『自分だけの現実』と本来持っていた『自分だけの現実』が入り混じって、大変なことが起きてしまうんだ」
「……それでは、その問題がクリアできない限り、教材の開発は行えないのでは?」
白井が訊ねる。
当然の質問だ。
超能力者の能力は、『自分だけの現実』と、それを表現するための演算式を紡ぐ『演算能力』によって強度が決まる。
『自分だけの現実』がどれだけ強固であろうとも、『演算能力』がどれだけ卓越していても、一方だけでは強い能力は発揮できない。
木山の言った問題が解決されなければ、教材としては使い物にならないのではないか。
「それが、技術の進歩によってその問題が解決できるかもしれないというところまできたんだ。
君たちは『駆動鎧』を知っているかな?
その最新モデルの技術が問題の解決の為に転用できそうなんだ」
「駆動鎧が?」
四人の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
脳を開発する能力開発と、体の動きを補助する駆動鎧。この二つの技術が結びつくとは考えにくい。
「『マインドサポート』という、まだ一般には未公開の新しい技術があるんだ。
装着者の脳とリンクして、知識や技術を一時的に外部から引き出せるようにする、といったものかな。
脳に直接情報を書き込むわけじゃないから危険性はほとんどないし、リンクを切断してしまえばそれまでだ。
元は操作の複雑な駆動鎧を適切に動かすための技術だが、代わりに高位能力者の演算パターンを入れることで、なんとかなるのではないかと思ってな」
マインドサポートを使って自分だけの現実を高位能力者の演算パターンで補正し、スパコンで演算能力を補う。
そうすることで、低位能力者でも擬似的に強い能力を使うことができる、かもしれない。
「あくまでこれは高レベルの能力者の制御法を擬似的に体験することで、自身の能力の制御法のヒントを得てもらおうと言うものだ。
能力の向上は使っている間だけだし、盗み出したところで持ち運びできるほどの大きさでもない。
よこしまな目的の為に作った『幻想御手』だが、その仕組みを子供たちの為に役立てて貰えたらと思ってね」
「木山せんせい! 私でも、それを使ったら能力伸びますか!?」
鼻息荒く詰め寄ったのは佐天だ。
四人の中で、唯一のレベル0。そして『幻想御手』に手を出した少女。
自身の能力へのコンプレックスはいかばかりか。
「残念ながら、まだデータ不足でね。
普遍性を求めるのならば様々な系統の『高位能力者の演算パターン』のデータが必要なのだが、順調に集まっているとは言えないんだ。
実を言うと、『学舎の園』を訪れているのはそのためなんだよ」
「常盤台中学は高位能力者がたくさんいるところだから、ここで協力者を募ろうってことですか?」
「そういうことだ。きちんと学校側からも許可を得ているよ。あくまで参加してくれるかどうかは自由意志だけれどね。
……何と言ったかな。君たちのお友達の、『空力使い』の子も快く協力してくれるそうだ」
「婚后さんですか?」
「そうそう、そんな名前だった。
……良ければ君たちも協力してくれないか。
演算補助の為のサンプルデータは多いほど良いんだ。
使用者の特性に合わせて、最適なものを選べるからね」
「……どうします、お姉様?」
「うーん……」
美琴は深く考え込む。
きっと、『妹達』のことを知る前でなければ、彼女はすぐに快諾していただろう。
だが、あの一件で『善意で提供したものが思わぬ悪意の温床になりえる』ということを、美琴は知ってしまった。
提供したDNAマップからは『妹達』が作られた。
演算パターンからは何が生まれるのだろう?
そう考えてしまうと、二の足が出なくなる。
「……その教材作り以外には、絶対使わないわよね?」
「使わない。決して他の事に流用したりはしないよ。
……もっとも、あまり信用もないだろうしな。こればかりは信じてくれとしか言えないが」
木山は『妹達』のことを知っているし、美琴の懸念が何であるかも分かっている。
だから喉から手が出るほど欲しい『レベル5の演算パターン』であっても、強くは迫らない。
やや考え込んで、美琴は首を縦に振る。
「……分かった。私なんかでよかったら協力するわ」
「お姉様が協力するのでしたら、わたくしも」
「本当か! 良かった。
では今すぐにでも……と言いたいところだが、せっかくのお祭りを潰されたくはないだろう。
いつでも良いから、私の研究室を訪れてくれると助かる」
「ええ。じゃあ近いうちに」
「せんせー! 私は演算パターンのほうじゃ協力できないけど、実験台のほうに志願してもいいですか?」
「木山せんせい、私も私も、ぜひ体験してみたいです!」
「ふむ、では教材の安全性が確認できたら、君たちにテストしてもらおう。
……ただ、これはあくまで能力開発のための補助教材だ。
これをアテにして、自身の能力の研鑽をおろそかにしてはいけないぞ」
「……あはは、痛いところを突かれちゃったな……」
佐天は苦笑いし、頬をかく。
「……それにしても、同じ『幻想御手』を使ったのに、能力が伸びた人と伸びない人がいるのはどうしてなんでしょうね?」
「それに関しては、いくつかの条件があると推測されている」
木山は人差し指を立てる。
「一つは、演算能力は十分にあるのに、『自分だけの現実』が希薄なために持て余していた子。
他者の演算パターンを真似たことで、『どうやって能力を使うのか』ということを覚えたというところだろうか」
ついで、中指を立て、
「もう一つは、『自分だけの現実』は強固なのに、演算能力が足りなくて十分に能力を発揮できなかったという子。
こちらも似た感じかな。他者の演算式を取り入れたことで、自分の演算能力で効率よく力を発揮できるような演算式を構築できたのだろう。
そのどっちかに当てはまった子の能力が、どうやら多少向上しているらしい、と」
「つまり、私はそのどちらにも当てはまらないってことですかぁ~~……」
ぐてーっと佐天はテーブルの上に突っ伏す。
自分ももしかしたら!? という希望的観測が打ち砕かれたのがショックだったようだ。
「出力が上がる、と言っても、レベルが変動するほどのものではないよ。
あくまで行き詰っていた能力開発が少し先へ進んだと行ったくらいのものだ。
……君は、まだ『幻想御手』を使った時の感覚を覚えているかな?」
「……はい」
忘れはしない。
きっと忘れられない。
半ばあきらめていた能力が、この手によって発動した時の興奮と快感は忘れられるものではない。
今思い出すだけでも、心が躍る。
『幻想御手』が解除されて、能力が使えなくなって、それからは能力を使おうとすること自体なかった。
どうせレベル0の無能力者だから、と諦めていた。
でも、もしかして、自分はもの凄くもったいないことをしていたのかもしれない。
「その感覚を思い出し心に焼きつけて、もう一度頑張ってごらん。
『努力をすること自体が大事』なんて綺麗事は言わない。
でも、成功した人間はみな努力をしているのだよ。
ほら、君たちの隣にも、『努力を実らせ成功した人間』がいるだろう?」
その言葉に、白井、佐天、初春はいっせいに美琴を見る。
「へっ、私?」
「レベル1からレベル5へと駆け上がった少女……『努力の天才』と言うのなら、まさにお姉様のことですの」
「そんな大それたものじゃないわよ。ただ目の前に壁があったら、乗り越えなきゃ気がすまなかっただけで……」
「それを『努力の天才』って言うんですよ。努力するにも才能が必要だなんて、よく言いますもんね」
「だが、『努力する才能』は『意志の力』で代替できる。人間、諦めなければどうにでもなるものだよ。
超能力は意志の力、君たちの心の強さそのものを反映している。
強い力を持ちたいと願うのならば、まずはそれを御すための強い心を持たねばな」
「強い心、ですか……」
誘惑に負けず、挫折に負けず、失敗に負けず、目の前にそびえる壁を乗り越えるためにありとあらゆる手段を取れ。
その過程で築かれるのが決して折れたりしない強固な唯一無二の『自分だけの現実』。
挫折なき強者などいない。
全ての強者が最初から強かったわけでもない。
その強さには必ず、強さを裏打ちするだけの理由がある。
「……統計学的に見ると思春期、君らの年頃くらいの子が一番能力の変動が大きいんだ。
環境の変化、心身のアンバランスな成長、友人関係、そして恋愛……。
『自分だけの現実』に影響を与えるものはいくらでもある。良くも悪くもな」
能力に限ったことではない。
多感なこの時期に何をし、何を学び、何を得たのか。
それがその後の人生を左右することなど、誰だって分かっている。
ひたすらに自らを鍛えるのか。
モラトリアムとして遊び呆けるのか。
どちらにも得るものはあり、その代償として失うものもある。
"大人"の言うことが全て正しいとは言わない。"子供"の言うことがすべて間違っているとも言わない。
本当に自分に必要なものは自分で選び、つかみとらなければならない。
無茶をしても周りが許してくれるのは今くらいだ。どうせなら、一途にひたすら突っ走ってみるのも一興。
結果派手に転んだとして、その膝の傷は教訓になる。今度は転ばぬように、気をつけて走り出せばいい。
木山のそんな含蓄を含む言葉に、四人はそれぞれ押し黙る。
「……おっと、もうこんな時間か。柄にもなく、長々としゃべってしまったな。
私はそろそろ失礼するよ。今日は楽しかった」
木山はそう言って席を立つ。
彼女が立ち去った後も、四人はそれぞれ考え事をしていた。
「──いやー、今日は楽しかったですね」
木山が去ったのちも、四人は常盤台中学の見物を続けた。
本物のお嬢様が淹れる紅茶に初春が大興奮したり、美琴のクラスに掲示された論文に柵川中組が知恵熱を出したりといろいろなことがあった。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、もう完全下校時刻だ。
一端覧祭の期間中も、最終日を除き完全下校時刻は変わらない。
四人はとある曲がり角で二組に分かれる。
常盤台の外部寮へと帰る美琴や白井と、柵川中の寮に帰る初春と佐天だ。
「あはは……明日は本当にうちの学校を見に来るんですか?」
「そうよー。楽しみにしてるからね」
「あまり期待しないでくださいよ、うちは本当にフツーですから」
苦笑いする初春と佐天。
世界に名だたる常盤台中学と違い、柵川中学は本当に何の変哲もないただの中学校だ。
期待されるようなものがあるとは思えない。
「えー、やっぱ楽しみじゃない。友達が通ってるところがどんなところか興味あるもの」
「じゃ、じゃあまた明日」
「ええ、明日ね」
手を振って、美琴と白井は二人から離れて行く。
初春と佐天は苦笑いのまま、それを見送るのだった。
「……あーあ、大変なことになっちゃったな」
何度も言うように、柵川中は進学校でもないただの中学校だ。
文化祭のレベルもたかが知れている。
そんなところにお嬢様二人をお招きするなど、前代未聞の事態だろう。
「私たちも二人の学校にお邪魔したんですから、おあいこと考えましょうよ」
「そうなんだけど、それでも気後れしちゃうなぁ」
「私たちの通う学校なんですから、堂々としましょう」
胸を張って見せる初春に、佐天は苦笑する。
コンプレックス全開の自分がなんだか恥ずかしい。
コンプレックス。
無能力者と、超能力者や大能力者。
自分と、彼女らの違い。
「……超能力は意志の力、かぁ。確かに、私は意志薄弱かもなぁ」
「……佐天さん?」
唐突に脈絡のないことを呟いた佐天に、初春は不思議そうな顔を向ける。
「木山せんせいの言ってたこと。
能力が発現しないのを才能のせいにして、『幻想御手』に頼って。私って、本当は努力なんかしてなかったんじゃないかなって」
「そ、そんなこと」
「そんなことあるよ」
自分の事だ。それくらいは分かる。
上手く行かないのを何かのせいにして、他力にすがって。自分を高めるためのことなんて何もしてこなかった。
その間にも努力して成功への道をひた走る人を妬んで、羨ましがって、彼らは才能のない私とは違うんだと自分に言い聞かせてきた。
だけど。
超能力は意志の力。努力する才能は、意志の力で代替できる。
諦めることが人を腐らせる。諦めなければどうとでもなる。
ならば。
思い立ったが吉日と言う通り、人はそれを意識した瞬間に生まれ変わる事が出来る。
どんな才能を秘めようが、どんな素質を持っていようが、第一歩を踏み出さなければ開花しようもない。
佐天は自分の頬をぱぁんとはたき、突如走り出す。
「よしっ! 帰ったら早速あの時の事を思いだしながら特訓だ!」
「えっちょっと佐天さーん! 待ってくださいよー!」
「ふははははー! いっちょ"八人目"を目指してやるか―!」
佐天の頭の中の思考の流れを読めず、戸惑いながらも走り始める初春を背に、佐天は夕日の中を駆ける。
努力して成功を掴んだ人間がそばにいるのに、最初からあきらめてしまうのはただの逃げだ。
もう一度、能力開発に真面目に取り組んでみよう。
「初春、ちゃんとついてこないと置いていっちゃうぞー!」
佐天の表情は明るい。
一度決意さえすれば、その瞬間にぐんと成長できるのはこの年頃の特権だ。
だからこそ、彼女は走り始める。
「こ、転んでも知りませんからねー!?」
「ほーら、待っててあげるから早く帰ろー! もう日が暮れちゃうぞー」
「い、いきなり佐天さんが走り出したんじゃないですかー!」
「そんなこと言いつつも、ちゃんとついてきてくれる初春が私は大好きだぞー!」
「何言ってるんですか、佐天さん一人だと危なっかしいから、私がついててあげないとダメなんです!」
例え躓き、挫折したとしても、手を差し伸べ立ちあがらせてくれる大事な友人がいてくれれば大丈夫。
「ふふん、初春も言うようになったね。じゃあ仕方がない。初春の顔を立てて、お守りされてやるとしますか」
「もう、佐天さんったら!」
佐天とようやく追いついた初春が並び、沈みかけた夕陽が二人の影を長く伸ばす。
「うっし、帰ろっか!」
「ええ」
どちらからともなく手を取って、二人は寮へと帰って行った。
12月3日。
親船最中は自らのオフィスで、来客の為に紅茶を淹れていた。
応接セットに腰かけているのは金髪の少年。
『グループ』の司令塔、土御門元春だ。
「『第三次製造計画』については、未だ進展なしということですか」
同じ部屋には秘書もおらず、親船手ずから客へ紅茶を配膳しながら、彼女特有のやわらかい口調でたずねる。
「そういうことだにゃー。少なくとも、今の情報網では探るにも限度がある。
統括理事の誰かが関わっていることまでは分かっても、その誰が糸を引いているのかは分からないのだろう?」
「ええ。きっと統括理事としてではなく、裏の顔であくどいことを企んでいるのでしょうね」
「『同権限者視察制度』を使って、ガサ入れをするというのはどうかにゃー」
「少なくとも誰が関わっているかを突きとめてからでなければ厳しいでしょうね。
闇雲に行ってハズレを引いてしまえば、その間に真犯人さんに隠蔽工作をすまされてしまうでしょう」
どうしたものか、と考え込む親船。
『第三次製造計画』潰しの任務は、親船から『グループ』へ依頼されたということになっている。
これは親船がアレイスターから命令を下されたのではなく、彼女の情報網に引っかかった情報をもとに独自に依頼を出したのであるが、
真に恐ろしいのは、意図的に情報をリークまたは封鎖し、彼女にそう行動させるように仕組んだアレイスターの手腕だろう。
仕組まれたとはいざ知らず、自分が命令を出したと思っている親船を前に、土御門はアレイスターの恐ろしさを改めて再認識する。
「となると、統括理事会からのルートでの解明は難しいか……」
『滞空回線(アンダーライン)』が使えれば話はとんとん拍子に進むのだろうが、あいにくそれを使えるのはアレイスターだけ。
隠し持っている『ピンセット』では『滞空回線』の解析はできても操作まではできない。
統括理事クラスが関わっているのであれば、情報の秘匿レベルは暗部組織を上回る。
やや手詰まり感に近いものを感じる。
「そういえば、一方通行は見つかりましたか?」
「目撃情報はあるし、餌にも食い付いてる。と言っても、一端覧祭の真っ最中でこの人出だ。
接触して騒ぎにでもなればマズいし、一端覧祭が終わるまではヤツには接触はできない」
「第三次世界大戦中、彼がロシアにいたという話は聞きましたか?」
「初耳だな。借金のカタに戦地に投入でもされたのか?」
「これを見てください」
親船が手渡したのは、数枚のレポート。
そのタイトルは、『一方通行殺害計画』。
「何らかの事情があり最終信号と共にロシアへと渡った一方通行に対し、統括理事会の一部が結託し、彼を抹殺しようとしたようなのです。
そのレポートが、苦労して手に入れた彼らの計画書です」
「能力制限されているとはいえ、仮にも第一位だぞ。独自に電極への介入に対する対策もしていたし、アレを殺す手段など限られているだろう。
あいつの知人を人質にでもしたのか?」
「そのレポートの二枚目を」
土御門が紙をめくると、そこには少女の写真が張り付けてあった。
髪をばらばらと振りみだし、目の下にはドス黒い隈がある。
「『超電磁砲』……? いや、これは『妹達』か?」
「『番外個体(ミサカワースト)』と言うそうですよ。
なんでも『一方通行を確実に壊す』ための個体だとか」
つまりは非正規ナンバー。
『絶対能力者進化計画』に投入された20001号とは全く異なる個体。
年のころはオリジナルよりも上の約16歳相当、能力強度は二億ボルトでレベル4相当。
人間のクローンを作るのにかかる手間を考えれば、一人だけ作りだすというのはひどく非効率的だ。
もしかして、もしかすると。
「……彼女はどうなった? 一方通行が生きているということは、彼女は任務に失敗したのだろう」
「一方通行と共に学園都市に帰還したことまでは彼女に埋め込まれたチップで確認していますが、その後は消息不明です。
どうにかしてチップを摘出したのではないかと、情報班は推測しているようですが」
「まだ生きて、学園都市にいる……か。どうにかして、彼女と接触したいな。
あわよくば、芋づる式に一方通行も釣れるかもしれない」
「彼女の捜索の為に、人員を裂きましょうか?」
「いや、いい。一方通行が彼女をどう扱っているかは知らないが、"この顔"の少女に酷い扱いはしないはずだ。
まずはあいつのお姫様の周りを探ってみよう。
それよりも、追加されるだろう『妹達』の受け入れ先の調整を頼む。
生産能力がどれだけかは知らないが、『番外個体』の派遣から一月が経ってる。
計算上はもう2回『妹達』が生まれてることになるな」
「あまり多くなければいいのですけれどね。
大人数を動かせばそれだけ情報漏えいのリスクは増えますし」
「……じゃあ、何かあればまた顔を見せる。そっちも何かあれば頼む」
「ええ。……ああ、それと、最後に、元教師としてもう一つ」
きょとんとする土御門に、親船は柔らかく微笑む。
「せっかくのお祭りなんですから、一端覧祭も楽しんでらっしゃい」
「……ああ」
「──すごーいすごーい! 見て見てお姉様、あれまだ発売してないゲームだよーってミサカはミサカはお姉様の手を引っ張ってみる!」
「分かったから、順番よ、順番」
美琴、打ち止め、番外個体の三人は試作ゲームの展覧会が行われているアミューズメント系の大学を訪れていた。
いくつもの大学や企業が合同で展覧会を行っており、広いイベントホールには所狭しとスクリーンが並んでいる。
新作ゲームソフトだけではなく試作中のハードやアーケード筐体も並んでおり、それぞれに人がひしめき合っている、といった様子だ。
「打ち止めはどんなゲームはやりたいの?」
「えーとね、まずはロボットの格闘ゲームの新しいの! ヨミカワの家で、ヨシカワと特訓したんだから、ってミサカはミサカは胸を張ってみる!」
「ロボット、ねぇ。私はやったことないなぁ」
あまり女の子っぽくない趣味ではあるが、それは人の好き好きと言うものだろう。
いつの間にかパンフレットを手に入れていた番外個体が会場の一角を指差す。
「んーと、それはあっちのブースみたいだよ」
「じゃあ、行ってみましょうか」
「──くぬっ! このっ! なんで当たらないのよ!」
「ワーストの動き、速すぎるよー! ってミサカはミサカはなにくそ精神で対抗してみる!」
「くっくくくくくく、あはははははは、例えどれだけ火力が高くても、当たらなければどうということはない!! なーんてね!」
このゲームはそれぞれ性能の違うロボットを操り、宇宙空間にてバトルロイヤル形式で戦うものだ。
未経験の美琴は極めてスタンダードな機体を、打ち止めは火力重視の機体を選んだのに対し、番外個体は装甲が薄い代わりに最高速と機動性の高い可変機体を選んだ。
人型モードと戦闘機モードを巧みに操り二人の攻撃をひょいひょいと避けつつ、時折放つレーザーでじわじわと二人の装甲を削っていく。
「あ、最終信号そこ危ないよ」
「えっ? あああああああああああああっ!?」
機動力で撹乱しつつ番外個体が大量にばらまいていたのは小型の機雷。
番外個体の機体を追いかけてそこに突っ込んでしまった打ち止めの機体はそれに触れ、誘爆した機雷によって装甲ががんがん削られていく。
やがで耐えきれなくなり装甲値が無くなった機体は機能停止し、爆発四散してしまった。
「お、お姉様ぁ~、ぜひともミサカの仇を取って!」
「任せて置きなさい!」
「ふふふ、『高速個体(ミサカハイマニューバ)』と化したこのミサカに勝てるのかな!?」
ようやくゲームに慣れてきた美琴の機体が放つのは長射程でホーミング性の高いミサイル。
いくら機動力が高いとはいえ避け切る事はできず、爆風が番外個体の機体をかすめていく。
とはいえ、ここまでの戦闘で互いの装甲値の残量は段違いだ。正面から撃ち合えばどちらが勝つかははっきりしている。
そのことを確信した番外個体は機体を戦闘機モードに切り替え、勢いよく美琴の機体へと突っ込んで行く。
この状態での機体速度は人型の比ではなく、いくらホーミングミサイルと言えども追い付けなければ意味がない。
「くっ、あ、当たりなさいよ!」
美琴が慌てて武装を切り替え頭部のバルカンで番外個体の機体を狙い撃つが、温存されていた装甲値の前では多少当たったところで痛くもない。
もの凄い速度で迫りくる戦闘機。
「行っけええええ!!」
美琴の機体が振り抜いたビームサーベルをひらりと紙一重で避け、人型へと変形。
その勢いのまま、こちらも両手にビームサーベルを展開し……。
「……あーあ」
直後、胴体を切り裂かれた美琴の機体が爆発し、番外個体のプレイヤー番号である「2P WIN!」の文字がファンファーレと共に画面に表示される。
成績表示と共に番外機体の機体が決めポーズを取ったところで、テストプレイは終わりだ。
「あのまま撃ち合っても良かったけど、やっぱりとどめは近接攻撃が一番だよねぇ」
どや、と勝ち誇る番外個体を尻目に、美琴はため息をつきながらコントローラーを置いた。
「ゲームの体験、ありがとうございましたー!」
今までプレイしていたロボットゲームの販促アイテムを受け取り、ブースを出る。
テストプレイで使えたロボットの絵が描かれた使い捨てカイロだ。
女子中学生としてはなんとも使いにくい。
「打ち止め、これいる?」
「いいの? わーい、ありがとう!」
美琴からカイロを受け取り、打ち止めはいそいそと可愛らしいポシェットにしまい込む。
「ミサカはお小遣いを貯めて、今のゲームを買うことにしたのだ! ってミサカはミサカは宣言してみる!」
「なかなか面白かったよね。最終信号、買ったら教えてよ。ゲーム機ごと借りて行くから」
「なっ!? ソフトはこのミサカので、ゲーム機本体はヨミカワのだよ!? ってミサカはミサカは驚異の強奪計画に戦慄してみたり……」
「こーら、やりたいなら自分でもう一つ買うか、半分ずつお金出しあって二人でやりなさい。
というか、それくらいなら……」
買ってあげる、と言いかけ、途中でやめてしまう。
自分の金銭感覚のおかしさはここ最近痛感してばかりだ。
打ち止めが自分から「小遣いを貯めて買う」と言ったのだから、ここで買い与えてしまうのは悪影響だろう。
欲しいものは与えて貰うのではなく、自分で手に入れるようにしなければいけない。
そう考え、なんでもないと誤魔化した。
「お姉様も中々上手だったけど、ゲームとか好きなの?」
「私だって中学生だもん、ゲームくらいするわよ。
でも寮はゲーム類持ち込み不可だし、メインはゲーセンにあるようなアーケードかなぁ」
「アーケード系はあっちだね」
華やかな筐体の画面の中央で、3Dモデルの女の子が音楽に合わせて軽やかに踊っている。
それと共に画面の上部から落ちてくる矢印と同じものを、足元のパネルで踏む。
どこにでもあるような、典型的なダンスゲームだ。
ただし、普通と違うのは採点基準がリズム感や足さばきだけでなく、全体的なダンスでも評価されるということにある。
随所に仕掛けられた赤外線センサーや重量感知センサーによって体の重心の動きやブレなどを分析し、採点される。
つまりは例えリズム感がパーフェクトでも、体の動かし方が不格好であれば評価は低く出てしまうのだ。
そのパネルの上を華麗に舞うのは美琴。
一曲踊り終え、パネルの中央で動きを止めると採点が開始される。
どこが良かったか、どこで減点されたかと言うリストの下に得点が表示され、「テスト期間中歴代第二位!」の文字と共に名前の入力を求められる。
どうやらランキング入りを果たしたようで、後ろに並んでいた他の客たちから感嘆の声がかけられた。
恥ずかしかったので適当に「Mikoto」と入れ、そそくさと先にプレイを済ませていた妹二人の元へ向かう。
「こんなものかしら」
「お姉様、カッコよかったよ! ってミサカはミサカは羨望のまなざしを向けてみる」
「このミサカだってノーミスだったと思うんだけどなぁ……解せぬ」
「ワーストは足さばきは良かったんだけど、それに気を取られて上半身の動きがおろそかだったのよ。
そのせいじゃない?」
「なるほど。いやぁ、重たいもの抱えてるときびきび動くのも大変なんだよね」
「……あっそ」
「……あっそ」
何が重いかは言わずもがな。
美琴と打ち止めは深いため息をついた。
「うわああ~~っ!」
「か、かわいい……っ!」
美琴と打ち止めが目を輝かせて張り付いているのはクレーンゲームの筐体だ。
筐体そのものは新作ではないものの、中に入っている景品はこの展示会の為に先行投入されているものだ。
白いウサギと、緑のカエルのぬいぐるみ。
確か女児向けアニメのキャラクターだったか。
二人の背後で番外個体がため息をつく。
「ふぅん、最終信号や他のミサカのお子ちゃま趣味はお姉様ゆずりだったんだ」
「いいじゃない! 可愛いんだし!!」
「やれやれだぜ。中学生にもなって対象年齢一ケタのアニメキャラクターに夢中とはね。
その点このミサカはあらゆる意味で他のミサカとは一線を画すアダルティーな……」
「この間病室で食い入るようにこのアニメ見てたよねってミサカはミサカは暴露してみたり」
「…………」
「なっ、何その目! 違うよ、最終信号が興味を持ってるアニメはどれだけガキ臭いのかなって嘲笑おうと……ッ!」
ぽん、と美琴の右手が番外個体の肩に置かれ、びくりと背筋を震わせる。
「ねぇワースト、良い言葉を教えてあげる」
「な、なにかな……?」
「可愛いは正義、なのよ。何か異論はある?」
妙に目が据わった美琴の迫力に、番外個体はぶるぶると首を横に振る他なかった。
「…………あ゙ぁー、やってられないですの」
第七学区を縦断する大通り。
交通を遮断して実施されている歩行者天国の中で、白井はぶつぶつと呟く。
彼女の右腕にはいつもの風紀委員の腕章の他に、「一端覧祭 特別警戒中!」と書かれた別の目立つ腕章がくっついている。
人が多いと言うことはつまりスリや万引き、置き引きなどが起こりやすいと言うことでもある。
雑踏の中を巡回し自らの存在をアピールすることで、事件を未然に防ぐのも風紀委員の仕事の一つだ。
「御坂さんのことですか?」
隣を歩く初春もまた、同じ腕章をつけている。
「従姉妹さんたちと遊びに行ってるんでしたっけ?」
初春の反対側を歩く佐天は腕章をつけていない。
「暇だから」という理由で、巡回中の二人について回ってるのだ。
「風紀委員の仕事さえなければわたくしもお姉様やその従姉妹の方々と存分に戯れられますのに……。
ああっ、普段は誇りにすら思うこの腕章が憎い……ッ!」
「仕事がなくても、御坂さんは白井さんを従姉妹さんたちに近づけさせてくれないと思いますよー?」
「……何を根拠にそんなことを」
「だって白井さん、大覇星祭の時御坂さんのお母さんに対して大暴走してたじゃないですか。
大怪我? なにそれ食えるの? ってくらいの勢いで」
「……アレを見ちゃうと、白井さんに仕事がある日に従姉妹さんたちを案内しようとする御坂さんの気持ちもわかっちゃうなぁ」
「んなっ! あれらは全て、この白井黒子の胸から溢れんばかりの愛を表現するためのものですのに!」
「それが重いんじゃないですか?」
素知らぬ顔で初春が呟けば、佐天がうんうんと首を縦に振る。
「んー、愛と言えば」
佐天が人差し指を顎に当てて呟く。
「御坂さんは、噂のカレシさんをデートに誘えたのかなぁ?」
「御坂さんに、か、か、彼氏ですかぁ~!?」
初春が赤面する横で、鬼神のような顔をする白井。
「…………万が一にもお姉様に手を出すようなことがあれば、この白井黒子、刺し違えてでもあの方の息の根を止めますの」
「あれ? 白井さんは御坂さんのカレシさんをご存じなんですか?」
「別にお姉様の恋人じゃありませんの。お姉様の一方的な片恋ですわ」
あえてここは強調しておく。
「どんな人なんですか?」
「どんな人と言われましても……」
白井は整った眉を歪め、しばし考え込む。
良く考えれば、白井と上条はあまり何度も顔を合わせたわけではない。
そのうちの多くは美琴と共にいる上条に制裁を加えた時ばかりだ。
「まず高校生で」
「高校生!? 御坂さんは年上趣味なんですね!」
「あまり頭のよろしいようには見えなくて」
「……えー、王子様タイプじゃないんですかぁ……」
「粗暴で不幸体質で気品の欠片もなくあまり知的には見えずがさつで紳士としてのマナーもわきまえてらっしゃらないような粗野っぷりで」
これでもかとばかりに罵詈雑言を並びたてていく白井に、初春や佐天の頭の中ではとんでもない想像図が出来上がっていく。
……御坂さーん、あなた騙されてませんかー?
だが、
「でも、お姉様が心を奪われるほどには、立派な方ですの」
その言葉に、息をつまらせる。
白井は日々美琴の露払いであることを公言してはばからない。
彼女の周りに男の影があればすぐに潰しに行くのが彼女の使命(自称)だ。
そんな彼女に、ここまで言わせる男とは。
「お姉様がおっしゃるには、あの方は誰よりも心が強いのだと」
「心……」
「お姉様の能力を打ち消すほどの力を持ちながら決して驕らず、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べ、
時には自らの危険を顧みることなく、出会ったばかりの誰かのために全力で戦える方だそうですわ」
あの崩れかけたビルで、結標の攻撃に押しつぶされそうになった白井を助けに来てくれたように。
きっといつの日か、美琴も彼に救われたのだろう。
それはきっと、夏休みのさ中。美琴の様子がおかしかったころのことだろうか。
「……やっぱり王子様タイプですよね」
「さあ? 普段はいいとこどこぞの兵士Aみたいな方ですの」
「御坂さんの能力すら打ち消すってことは……もしかして、レベル5とか!?」
「…………あー、それが……」
すわ学園都市一のビッグカップル成立か!? と目を輝かす佐天に、白井は首をかしげながら、
「レベル5ではないそうですの。何やらとてもピーキーな能力で、出力は強大でも効果範囲がとてもせまいのだとか。
お姉様の電撃を消せるのですから、出力としてはレベル5に匹敵するのかもしれませんが」
「御坂さんの電撃を消せるってことはつまり……どういう能力なんでしょう?」
「わたくしも詳しいことは聞いたことがありませんの。お姉様の電撃を打ち消したり、わたくしの空間移動を阻害したり。
……ああ、そう言えば"残骸"事件の時、結標淡希の大質量転送の前兆である空間の歪みを『叩いて』消したりもしていましたわね。
恐らく『能力を打ち消す能力』、ということでよろしいのではないかと」
「やっぱり凄い人は凄い人に惹かれるんですねぇ……」
「あー! もしかして、都市伝説の『どんな能力も効かない能力を持つ男』って!」
「きっと、あの方の事なのでは?」
はー……っと感心したように息を吐く初春と佐天。
まさか都市伝説の正体をこんな所で知る事になるとは。
「なんて名前の能力なんですか? 『能力を打ち消す能力』なんて聞いたことないですよ」
「なんと言いましたかしら……」
九月頭のテロ事件の時か、それとも八月半ばに寮を訪れてきた時か。
どちらかでぽろっと能力名を呟いていたような……。
「……確か、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』という名前だったと思いますの」
幻想殺し。能力を殺す能力。
未知の能力に、初春と佐天は胸をときめかせたのだった。
「おー、お寿司が回ってるー♪ ってミサカはミサカははしゃいでみたり!」
「これが噂に聞く"カイテンズシ"か……」
第七学区にあるショッピングセンター、セブンスミスト。
テレビゲームやアーケードゲームをたっぷり堪能した美琴、打ち止め、番外個体の三人は、一軒丸々洋服店であるこの大型店舗に移動していた。
中高生の好きそうな洋食店が並ぶ飲食店街に、何故か存在する回転寿司。
ゲームに夢中になり昼食を取りそこねていたので、ここで奮発することにした。
店の中を周回するレールとその上を流れる寿司の乗った皿に打ち止めと番外個体は興味しんしんだ。
学園都市の例に漏れず奇妙なネタがいっぱいあったり、レール自体も席以外のところでは愉快な軌道を描いていたりする。
まるで観覧車のように一回転したり、二本のレールがらせんを描きつつ上昇していったりしているのは一体どういうことだろう。
「好きなだけ食べていいわよ。でもこのあとは服を見て回るから、それを考えてね」
「しまったなぁ、だったら夜ご飯にしてもらうべきだった。
ミサカ初めてお寿司食べるのに、お腹一杯食べられないとは」
「……ずっと病院だったのよね」
「そう。病院食漬けの前は点滴と錠剤と味のない栄養チューブ食ばっかりだったし。
あぁ、『食べる』って幸せなことなんだねぇ」
中高生向けのショッピングセンターにあるにしてはずいぶんと本格的なネタを使っているようで、
○○産本マグロだの最高級ウニだの高級ネタを次々と平らげて行く番外個体を見て、美琴はある妹の事を思い出す。
忘れもしない、初めて出会った検体番号すらも分からぬ妹。
子猫を助けて、色々と食べ歩き、そしてカエルのピンバッジをあげた。
ジャンクフードを美味しそうにほおばる彼女の横顔は、今も目に焼き付いている。
その別れ際、彼女は美琴に何を伝えようとしたのか。
どうしてもっときつく問い詰めなかったのか。彼女を引きとめなかったのか。
後悔しなかった日はない。
だからこそ、今生きている妹たちは何としても守り抜くし、彼女らがそれぞれの幸せを掴むための努力は惜しまない。
そう改めて決意した美琴は、まずは隣の打ち止めの頬にくっついているご飯粒を取ってやる。
「ほーら、ほっぺにくっついてるわよ。がっつかないでゆっくり食べなさい」
「うぅー、だってイクラもネギトロも食べ放題なんだもの、ってミサカはミサカは釈明してみる。
ヨシカワもイクラ大好きだから、いっつもちゃんと数を決めて食べてるの」
「?? 病院でお寿司が出るの?」
「お姉様、そのちびっ子は情操教育も兼ねて、普段は保護者の家に預けられてるんだよ」
めぼしいネタは一通り味わい、アガリを冷ましつつ口をつける番外個体が補足する。
いつの間にか彼女の目の前には高級なネタの皿が積み重なっていた。
「調整の時以外はそのヨシカワさんと一緒に住んでるってこと? 確か研究員の人よね?」
「正確には芳川も居候。家主は黄泉川って言うおっぱいの大きい警備員だよ」
『巨乳』『黄泉川』『警備員』。美琴の頭の中で、これらのワードに当てはまる人物は一人しかいない。
「って、あんた黄泉川先生のところに住んでるの?」
「お姉様はヨミカワを知ってるの?」
「後輩に風紀委員がいて、その仕事にくっついて行った時に何度かね。
そっかぁ、あの先生のところにいるのか。一度あいさつしに行かなきゃね。
黄泉川先生は優しくしてくれる?」
「うん! どんな料理でも炊飯器で作っちゃうんだよ! ってミサカはミサカは報告してみたり。
ヨミカワの煮込みハンバーグはとってもおいしいの!」
「そう、炊飯器で………………炊飯器? 煮込みハンバーグを?」
なんという錬金術、主婦は台所の魔術師ってレベルじゃない。
一体何をどうすれば炊飯器で煮込みハンバーグができるのか、美琴は心底不思議がった。
「──これでどう?」
「うん、いいんじゃない?」
今は一端覧祭の期間中であり、本来であれば客は学園祭のほうに取られ店舗は閑散とするはずなのだが、
そこは店側も考えており、一端覧祭セールと称し大幅な値引きを行っている。
結果、「一週間もあるし一日くらいは買い物に使おう」という考えの客でごった返しているのだ。
試着室の中にいるのは番外個体。
襟の大きい黒のYシャツにグレーで深いVネックのセーター、その裾に隠れそうなくらい短い黒のミニスカート。
黒のオーバーニーソックスにロングブーツと、何だか全体的に黒めのコーディネートだ。
「だけど、ちょっと黒っぽすぎないかしら」
「黒はワルの色だぜ。ミサカの名前にぴったりじゃない?」
「うーん、打ち止めはどう思う?」
「この前のアオザイよりはワーストっぽくていいと思うってミサカはミサカは正直なところを述べてみる」
「あれ、やたら可愛らしかったものね」
「あ、あれはミサカの趣味じゃないの! 芳川に押し付けられたから、仕方がなく着たの!」
自分でも自嘲気味に「似合わない」と言っていたのに、何故かむきになる番外個体。
「可愛らしいとは言ったけど、似合ってなかったなんて言ってないわよ。
……ひょっとして、意外とあれ気に入ってた?」
「うるさいなぁっ。お姉様、ミサカの服はこれで決定!」
ぴしゃり、と試着室のカーテンを閉め、中に閉じこもってしまう。
そんな末妹の様子を見て、美琴と打ち止めは顔を合わせてくすりと笑い合う。
他にも数着の服を選び、美琴がカードでそれを支払う。
店員に頼んでタグを外してもらい、最初に選んだ服を着る番外個体。
その上から黒のモッズコートを着て、もう防寒対策はバッチリだ。
「……意外とオシャレって楽しいもんだね。
19090号がファッション誌に傾倒しつつあるのも分かる気がする」
「あのミサカは夜中こっそり鏡の前で服を合わせたりしてるもんねー、ってミサカはミサカは夜中トイレに起きた時に見たことを暴露してみる」
「私は寝るときと帰省した時以外はずっと制服だから、ちょっと羨ましいな」
「お姉様も買えばいいのに。着られなくてもしまっておけばいいじゃん」
「あまり部屋もスペースあるわけじゃないしねぇ。高校生になって私服可になるまでの辛抱かなぁ」
どうせ着られないししまってもおけないのなら買う意味はないし、他校の友人たちとショッピングに来ても美琴は見ているだけの事が多い。
それでも年頃の少女だし、着飾りたいという気持ちももちろんある。
花の髪飾りはそのせめてもの気持ちの表れだ。
「打ち止めは何か欲しい服とかないの?」
「お姉様が選んでくれると嬉しいなー、ってミサカはミサカはおねだりしてみたり」
「最終信号に似合いそうな服は違う階じゃない?」
「じゃあ、次はそっちを見て回ろっか」
「……こんな感じでどうかな?」
「おぉ……」
緑の生地に花柄をあしらったワンピースに袖の緩やかな桃色の上着を着せてみる。
「ワンピに大きいシャツはミサカのトレードマークなのー!」という主張があったために
今日着ていた服とシルエットはあまり変わらないが、柄と色次第で服の印象は大きく変わるものだ。
「馬子にも衣装、ってやつかな」
「それ、自分含めて姉妹全員にブーメランが刺さるわよ。同じ顔なんだし」
「おっと失敬」
「お姉様、似合うー? ってミサカはミサカはくるくる回ってみたり」
「うん。すっごく可愛いわよ」
「お姉様、それは自画自賛になるんじゃないの?同じ顔なんだし」
「プラスのことは良いのよ。あんたたちが私の可愛い妹たちってことに間違いはないんだから」
新しい服を着てご満悦の打ち止めを、今にも頬ずりせんばかりのとろけた表情で美琴が言う。
「ミサカたちもお姉様のことが大好きだよーって、ミサカはミサカはネットワーク上のセリフを代弁してみる」
「海外組のミサカからずるいずるいって苦情が来るのは何とかしてほしいんだけど……」
嫉妬や羨みだって立派な負の感情だ。
ネットワーク上の負の感情を一手に引き受ける番外個体としてはキツいものがある。
「……いつか、海外にいる子たちとも遊びに行けたらいいなぁ」
ゲームの展示会で得た戦利品や服の詰まった紙袋を脇に置き、フードコートで一休み。
三人でベンチに並び、アイスクリームを舐める。
「お姉様のイチゴ味、一口ちょうだい」
「はいどうぞ」
差し出されたアイスをスプーンですくい、番外個体は口元へ運ぶ。
舌の上で溶ける甘味をひとしきり堪能した後、呟いた。
「うーん、寒い時に冷たいものを食べるとかバカじゃないのって思ってたけど、なかなかどうして」
「暖房効いてるからねー。さすがにお店の外でアイス食べようとは思わないけど」
「お姉様ー、あたりを探検してきていい? ってミサカはミサカは許可を求めてみる」
「迷子にならないように気をつけなさいよ」
分かったー、と言い残し、アイスを食べ終えた打ち止めは新しい靴をぱたぱたと言わせながらフードコートの外へと出て行く。
あまり来たことのないところへ来て、テンションが上がっているのかもしれない。
ベンチには美琴と番外個体が残された。
「……こうしてアイスを食べてると、さ」
「うん」
「……初めて出会った子のことを思い出すのよね」
あの暑い夏の日。
美琴の人生を急転させた出来事。
自身のクローン、『妹達』と初めて出会った。
美琴は伏し目がちに呟く。
「よく考えたら、私あの子の検体番号知らないんだ。自分の素性は機密事項だ禁則事項だって結局ほとんど話してくれなかったから」
「……9982号だよ。お姉様が初めて出会ったミサカは」
「そっか。私にとって9982番目の妹だったんだ」
美琴の様子に、番外個体も茶化すことなく答える。
各個体の記憶はネットワークを介して他の個体にも共有され、例えその個体が死亡しようとも記憶のバックアップは残る。
彼女が今脳内で参照しているのは、9982号の記憶。
茶化せるはずもない。
「あの子と一緒に、アイスを食べたのよ」
一緒に子猫を助けて、素性を聞き出そうとしてもはぐらかされ、口論してる所にアイス屋のおじさんが通りかかり、喧嘩するなとくれたアイス。
あれそう言えば私あの時一口も食べてないやと思ったがそれはスルー。
「紅茶を飲んで、ケーキを食べて、ハンバーガーを分け合って。
まるで本当に姉妹みたいだなぁ、なんて思っちゃったりして」
ずっと9982号のペースに戸惑わされ、調子を狂わされっぱなしで。
それでも不思議と不快ではなかった。
あの時、9982号は何を考えていたのだろう?
別れ際、彼女は美琴に何を言いかけたのだろう?
「あの時、もっとあの子のお願いを聞いてあげれば良かった。
あの子の追及を途中で切り上げなければ、あの子は助かったんじゃないかって……!」
ずっと、その後悔が美琴の心の奥底に突き刺さっていた。
「9982号はさ」
番外個体が呟く。
「死んでしまったミサカたちの中では、一番幸せだったんじゃないかな」
「……どうして?」
「どうしてって、お姉様に会えたからだよ」
目尻に涙を浮かべた美琴に、番外個体はそっとハンカチを差し出した。
「お姉様と会って、お姉様とおしゃべりして、お姉様と食べ歩いて、そしてお姉様からプレゼントまで貰った。
そんな幸せなミサカは、9982号だけだった」
各個体が大事だと思った記憶は、記憶のバックアップを兼ね共有情報としてネットワーク上に公開される。
美琴と共に過ごした時間の記憶の全てを、9982号は"最重要"なものとしてネットワーク上に保存していた。
「"もし"なんて存在しないけどさ、仮に9982号が生きていたら、『ありがとう』ってお姉様に言うと思うよ」
「……そっか」
番外個体から借りたハンカチで、美琴は何度も目をぬぐう。
9982号や死なせてしまった妹たちに報いるためには何ができるだろう。
父親がそうすると言ったように、美琴もまた姉として妹たちを守らなければならない。
そう改めて決心した美琴は、すっくと勢いよく立ちあがった。
「……湿っぽい話しちゃったわね。ごめんね、せっかく遊びに来たって言うのに。
もう夕方だし打ち止めを探して帰りましょ。病院まで送って行くわ」
「……うん」
溶けかけたアイスを口に押し込むと、番外個体もまた立ちあがる。
荷物を持ちあげたその腕で、美琴に後ろから抱きついた。
「ちょっ、ワースト?」
「……さっきさ、最終信号が『ミサカたちはみんなお姉様が大好き』って言ったでしょ?
あれは本当だよ。お姉様が嫌いなミサカなんていない。このミサカが保証してあげる」
「……………………でも、私の、私が……っ」
狼狽する美琴の耳元に、番外個体は言葉を囁き続ける。
「お姉様がDNAマップを提供してくれたから、ミサカたちは今ここにいるんだよ。
そのことでお姉様を恨んでるミサカはいない。そんなミサカがいたらこのミサカの態度も180度反転してる。
このミサカは"そういう"仕様なんだから」
『一方通行を殺す』ためだけに生まれた番外個体は、生まれた当初は世界のすべてに対し悪意を振りまいていた。
でも、殺すべき宿敵の手を取って、周囲の人間の善意に触れて、彼女は生まれ変わりつつある。
否、今こそ彼女は代替不能の一つの命として生まれつつあるのかもしれない。
そんな彼女だからこそ、姉とも母とも言える目の前の少女には感謝を。
「だから、お姉様は胸を張ってよね。ミサカたちの大事な『お姉様』なんだからさ」
「……うん」
ぐすり、と鼻を一つ鳴らし、番外個体を振り返る。
目尻は少し赤いけれども、美琴はにこりと笑って見せた。
そんな美琴の胸を、番外個体はむんずと掴んだ。
「しっかし、お姉様の胸って本当に小さいよね。ミサカも培養器から出される前はこんなだったのかな」
「あ、あんた! どどどこ触ってるのよ!?」
「どこって、お姉様のおっぱい?」
「公衆の面前でそんなこと堂々と言うなぁ!」
直前までのいい話だなー的雰囲気が台無しに。
番外個体の額にチョップを入れて引き剥がしつつ、頬を膨らませる。
「いいんだもん、まだまだこれからよ!」
「ところがどっこい、現実は非情である」
「うるさい!」
ぴしゃりと叱りつけ、美琴はフードコートの周囲を見回す」
「……それにしても、打ち止めはどこまで行っちゃったのかしら」
「呼んだー? ってミサカはミサカはお姉様に飛びついてみたり―!」
「のわぁっ!?」
いきなり背中に飛び付かれ、たたらを踏んでしまう。
「う、打ち止め!? さすがにいきなり飛び付くのは……」
「お姉様お姉様、100円玉持ってない? ってミサカはミサカは聞いてみる」
「100円玉? 何に使うの?」
打ち止めが差し出したのはカプセルトイの中の商品案内のチラシと、パンダの模様が描かれたピンバッジだ。
「このカエルのが欲しかったんだけど、ミサカは一枚しか100円玉を持ってなかったのってミサカはミサカはしょんぼりしてみる」
「両替しようにも、ちびっこのお小遣いじゃあねぇ。
……お姉様? どうかしたの?」
「……ん? なんでもない! それより、ガチャガチャだったわよね?
ようし、童心に帰って当たるまでやるわよー!」
それってオトナ買いじゃないのー? と尋ねる打ち止めを引き連れ、美琴はずんずんと進んで行く。
その背に一瞬妙な雰囲気を感じた番外個体は、まあ気のせいかと首を振って考えを頭から追い出した。
番外個体が美琴の小さな異変の理由を悟ったのは、カプセルトイの機械を2つ3つ空にして目当てのバッジを手に入れた時。
その夜。
「よォ」
「おや、夜に来るのは珍しいね」
病室のドアを開けて入ってきたのは一方通行だ。
「土御門の情報はつかめたか?」
「そもそもあなたの元同僚でしょ? あなたのほうが連絡手段多いんじゃないの」
「連絡するための携帯は砕いちまったし、プライベートに踏み込む間柄でもなかったからなァ」
「一応"書庫"にハッキングして、『表』の情報ならぶっこ抜いてあるけど」
「見せろ」
「おや、ねぎらいの言葉もなしかい」
番外個体はノートパソコンを立ちあげ、画面を一方通行に見せた。
「土御門元春、高校一年生で年は16歳。レベル0『肉体再生』の能力者……。いらねェ情報ばかりだな」
「それでも住所は分かるでしょ。文句は"書庫"に言ってくれる?
ちなみにこの人の事を調べる過程で、面白いことがわかったんだけどにゃー。聞きたい?」
「出し惜しみは三下のする事だってロシアで教えてやっただろ。もう一度教育されたいか?」
はぁ、と番外個体はため息を一つつく。
「この人、ヒーローさんと同じ学校で同じクラスだよ。ついでに言うなら寮の部屋は隣同士」
「あの無能力者と土御門が隣同士、ねェ」
普通に考えれば偶然だ。同じ学校ならば隣同士になるのは不思議じゃない。そんなのはくじびきによる確率の問題だ。
だが、『土御門元春』と『あの無能力者』は両者ともにただものではなく、そこに何かの意図を感じてしまうのは考え過ぎだろうか?
暗部の人間である土御門元春。
表の世界の人間でありながら、一方通行よりもなお世界の深部に踏み込んだ無能力者。
奇妙な符号が、ここにありはしないか。
今は考えても仕方がない。
物事の優先順位を再認識し、求める物を探す。
「電話番号かメールアドレスは」
「寮の電話番号はあるけど、携帯のはないね。こっちは高校のデータベースに忍び込まないとないかも。どうする?」
「家の番号が分かればいい。さすがにずっと留守ってことはないだろォしな」
「あっそ」
ノートパソコンを閉じ、番外個体は再びため息をつく。
「少しは礼でも言ったらどうなのさ。ミサカはあなたの部下でもなんでもないんだよ?」
「感謝はしてる。だが、まだコトが片付いたわけじゃねェ。道半ばで気ィ抜いてどうすンだ」
「はいはい。あーあ、お姉様はあんなに優しいのに、こっちの白もやしと来たら。
同じレベル5なのにどうしてここまで違うんだか」
半ば愚痴りながらベッドに転がる番外個体。
「……オリジナルとの外出は、楽しかったか?」
「まあね。見たことないものを見て、食べたことのないものを食べて、おしゃれして、買い食いして……。
なんていうか、世界が輝いて見えたよ。
少なくともあなたの前に現れた時の空虚な黒と白の風景とは全く違う、すごくきれいな色だった」
どこか遠い目で、番外個体はカーテンの隙間から夜空を見上げる。
生まれたばかりの彼女たちにとって、目に映るものすべてが新鮮だ。
だからこそあらゆるものに感化されるし、日々成長と変化を遂げて行く。
「……うん、あの感覚が『楽しい』なんだね。お姉様と話すのは『楽しい』し、最終信号をからかうのも『楽しい』。また味わいたい感情だな」
「ところで、チビガキはどォしてた?」
「気になるのかい、親御さん? ゲームにぬいぐるみにと大はしゃぎしてたよ。
そのあとはお姉様に甘えまくって服をいっぱい買ってもらってた。ま、それはミサカもだけどさ」
ほれ、と一方通行に投げつけたのは白いウサギの大きなぬいぐるみ。
白い毛に赤い目があなたみたいだ、と言われ顔をしかめる。
「今は他のミサカと一緒にお風呂に入ってる。
そろそろ帰ってくるんじゃないの?」
「ンで、それは?」
一方通行が顎でしゃくったのは、打ち止めのベッドの上に散らばる大量のピンバッジ。
優に100は下らない数だ。
「そうそう、それが傑作なんだよ。最終信号とお姉様がある柄のバッジ目当てにガチャガチャ始めたんだけどさ、これが全然当たらないの。
最終的に3ヶ所空にしてやっと出たんだよ」
「その戦利品がコイツらって訳か」
「欲しいのあったら持ってっちゃっていいんじゃない?」
「……いらねェ」
真新しいピンクのパジャマを纏った打ち止めが、病室に入ってくる。
その胸元ではこれまた新しいピンバッジが光る。
「──あ! 来てたんだ、ってミサカはミサカはあなたに駆けよってみる!」
ぴょんと打ち止めに抱きつかれ、華奢な一方通行は大きくよろける。
「来るんだったら連絡くれればいいのにー、ってミサカはミサカは頬を膨らませてみるんだけど」
「今日は番外個体に用事があったンだよ。すぐ帰るつもりだった」
「そうなんだ、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみる。
……だけどミサカもすぐ用事があるし、おあいこなのかな」
「どこか行くのか?」
「他のミサカたちとピンバッジを分け合う約束をしたの。
ワーストは欲しいのないのー? ってミサカはミサカはなんだかあきれ顔のワーストに問いかけてみる」
「ないない。いいから他のミサカと分けてきなよ」
はーい、またね! と言い残して、バッジを菓子の空き缶へとかき集めた打ち止めは怒涛のごとく部屋を飛び出して行く。
「……手の中のひよこのバッジはなンなンだ?」
一方通行の指摘に、番外個体はびくりと背筋を震わせた。
「……ねえ、第一位」
「なンだよ」
「最終信号のピンバッジ、気づいた?」
「チビガキとオリジナルが大人げなくガチャガチャ回して手に入れたっていうヤツじゃねェのか」
「その柄のことだよ」
「柄ァ?」
ピンクのパジャマとは全く違う色だったから印象に残っている。
確か緑色で、キャラクターは羽の生えたカエル。
……カエル? どこかで見たような?
「あのバッジはね、お姉様が初めて会ったミサカにあげたのと同じ柄なんだってさ」
その言葉に、一方通行の記憶が急速に蘇る。
御坂美琴と初めて遭遇した日。
彼女は目の前で『妹達』が殺害されたことに激昂し攻撃を仕掛けてきた。
その直前に死んだ『妹達』が、最期に抱き締めたもの。
左足を失ってもなお、這ってでも手の内に取り戻したかったもの。
打ち止めがつけていたものと、寸分たがわぬデザインのピンバッジ。
自分はそれを見て、何を思った?
そして、彼女に何をした?
引きちぎった左足。
バッジを抱きしめる彼女の上に落下させた列車。
そして狂ったように泣き叫び突撃してくる御坂美琴。
フラッシュバックのように蘇る情景に、くらりとめまいのような感覚がした。
「お姉様があのバッジを必死に手に入れようと思ったのも分かる気がする。
最終信号が『もういいよ』って言っても諦めなかったんだもの。
それだけ、お姉様にとってはいろいろな感情がぎっしり詰まったものなんじゃないかな」
そして、それを打ち止めに与えた。
御坂美琴にはそんなつもりはなかっただろう。
打ち止めだって、純粋にデザインに惹かれて欲しがったのかもしれない。
けれど一方通行には己の罪の証をありありと見せつけられたような気がしてならなかった。
「……それを俺に聞かせて、どォしようってンだ」
「別に。たださ、あなたとお姉様が出会った時に、どうなるのかなって思っただけだよ。
同じ第七学区に住んでるんだ。街角で、コンビニで、あるいはこの病院で。いつ遭遇したっておかしくないでしょ?」
いくら遭遇しないように気をつけていても、『不慮の事故』というものは必ず発生する。
発生確率を下げるためには生活圏を完全にかぶらないようにすればいいのかもしれないが、そうできないのは自分のエゴゆえか。
「お姉さまは絶対にあなたを許さない。そして、かつてのこのミサカのように『妹達』を傷つけようとはしない。
そんな最強最悪の"敵"があなたの前に現れた時、あなたはどうするのかな?」
言うまでもなく、御坂美琴は『妹達』と全く同じ顔をしている。
決して傷つけないと誓った範疇に、彼女だって含まれている。
『妹達』と同じ顔を持ち、彼女たちを守り抜く覚悟があり、そしてレベル5という強大な力を持っている。
ある意味では木原数多よりも、垣根帝督よりも、エイワスよりも、そしてかつての番外個体よりも恐ろしい敵。
「……どうすンだろォな」
正直、想像などしたくない。
彼女には「『妹達』を虐殺された」という大義名分があり、自分には「『妹達』を虐殺した」という消せぬ大罪がある。
御坂美琴が断罪と復讐の刃を振りかざした時、一方通行はどのような行動を取るべきなのか。
「…………どうすりゃいいンだろォな」
学園都市第一位の演算能力を持ってしても、最適解は出ない。
そんな一方通行の苦悩する横顔を見ながら、番外個体は頭の中のデータベースを探る。
「一方通行への復讐」という目的を行動原理に据えられて作られた彼女は、死亡した全ての個体の死因をプリインストールされている。
(……9982号の死因が、『圧死』じゃなくて、『失血死』なのは、どういうことなのかな?)
わずかな違和感、拭えぬ不信感。
だけども言ったところで仕方がないこと。
彼女が既に死亡しているのは明らかなのだから。
そう結論付けた番外個体は、そのことを自分の心の中へと秘めた。
12月5日。
常盤台中学において受験生向けのオープンキャンパスが開かれる日だ。
能力開発に力を入れると共に、『義務教育終了までに世界に通用する人材へと育て上げる』ことを標榜する常盤台中学は、その定員数に対し志望者数がとてつもなく多い。
常盤台中学ではとてもオープンキャンパスなど行えず、数万人規模を収容できる第三学区内の大きなコンサートホールで行われているのはそのため。
オープンキャンパスと言っても一端覧祭の期間中校舎は一般開放されており、今日はもっぱら受験のシステムや校風の説明などがメインだ。
美琴は舞台の袖からそーっと会場内を覗き、顔をさっと青褪めさせながら引っ込め、そのまま割り当てられた控室まで逃げてしまう。
「無理無理無理、絶対、ぜぇーったいに無理ーー!?」
がたがたと肩を震わせながら、壁に沿ってずりずりとへたり込んでしまう。
美琴がこの会場にいるのには訳がある。
オープンキャンパスで学校代表の模範生として、聴衆の前でバイオリンを披露することになっているのだ。
だが、こんな人数の前で演奏したことなどない。
盛夏祭で演奏した時は約200人の前だったが、今回はざっとその100倍はいるのだ。
ヘマをすればそれは自分だけでなく、学校の名誉すらも傷つけてしまう。
その道のプロならばともかく、こんな状況で足がすくまぬ人間などいるはずがない。
「ああもう、どうして引き受けちゃったんだろ……」
担任もこんな人数だと言うならちゃんと説明してくれてたら良かったのに。
それとも美琴とてかつてはオープンキャンパスに参加していた側だったのだから、説明せずともきちんと分かっているだろうと思われたのだろうか。
などとうじうじしている間にも、プログラムはどんどん進んで行く。
「御坂さん」
声をかけられた方を見れば、空けっぱなしの扉の所に立っていたのは食蜂。
美琴と目が合うと軽く手を振ってくる。
「緊張しているのではないかと思って、きてしまいました」
「もうガチガチよ。今にも倒れそう」
関係者以外は立ち入り禁止のはずだが、食蜂の能力を持ってすれば訳はない。
「緊張しなくてもいいように、精神調整してさしあげましょうか?」
一瞬、それはとてつもなく甘美な誘いに聞こえた。
緊張を感じなければ、普段の練習と同じようにパーフェクトな結果を出せるだろう。
だが、美琴は首を横に振る。
「ありがとう。でも、自分の力で頑張るわ。
『常盤台の生徒はこれくらいでは動じない』ってところを、来年の後輩たちに見せてあげないとね」
震える唇で、空元気をしてみせる。
「ふふ、勇ましいですわね」
一通り話をして、食蜂は去って行った。
若干緊張は和らいだものの、それでもまだ指の動きはぎこちない。
上条の治療法の模索や様々な課題の合間に、あんなに練習したのに。
ここに頼れる後輩がいたら、美琴を元気づけるためにあれこれ気を揉んでくれただろう。
友人たちがいたら、気を紛らわせるためにわざと場を和ませるようなことをしてくれたに違いない。
もし上条がいたら……。
(って、あいつが気を効かせてくれるなんてないない!)
あの少年はそう言うことには鈍感そうだ。
きっと本番前で美琴が緊張してるなんてことは想像だにしていないに違いない。
そう思っていたから、懐の携帯電話の突然の着信に飛びあがってしまった。
相手の名前も確認せずに通話ボタンを押す。
「も、もしもし!」
裏返った声が恨めしい。
『あー、御坂?』
心臓がドキリとした。
スピーカーから聞こえてきたのは、聞きたいと思っていた少年の声。
「な、何の用よ? ていうか携帯電話の修理終わってたの?」
『修理自体は一週間くらい前に終わったんだ。ただ使うのにいちいち病室出て屋上かロビーに行くのが面倒でなぁ……』
確かにいちいち携帯電話を使える場所まで行くのは億劫かもしれない。
『用っていうかなんていうか……御坂さ、今日バイオリンの発表だーって言ってたろ?
それってもう終わっちゃったのか?』
「え、ま、まだだけど……」
『そっか。いや実は、御坂が本番前で緊張してねーかと思って電話したんだけどさ。
ほら、人前で演奏したことはほとんどないって前に言ってたろ?』
「そういえば、そんな話もしたわね」
もしかして、上条は美琴を心配して電話をかけてきてくれたのだろうか?
少しだけ、期待に胸が逸る。
「……心配してくれたの?」
『まあなぁ。そりゃ一番の友達に失敗してほしい奴なんかいないだろ。
大人数を前にした晴れ舞台なんだろ? だったらなおさらだ』
一番の友達。これは上条にとって美琴がかなりの近しい存在であることを示しているのだろうか。
そりゃ彼が記憶を失ってから一番長くそばにいるしお見舞いにもよく行くしああでもどうせならいやそこまでは云々云々していると、さらにそこへ爆弾が投下される。
『俺は、好きだぞ?』
「へぇっ!?」
思わず上ずった変な声が出る。
聞かれた。絶対に聞かれた。
美琴の放った妙ちきりんボイスは電波を介して上条の携帯のスピーカーへと確かに伝播したことだろう。
だって、仕方がないじゃない!
意中の少年の口から「好きだぞ」なんてワードが聞けるなんて、恋する乙女にとっては何たる僥倖。
妙な声のひとつも出ようと言うもの。
美琴の不審な様子を感じ取ったのか、上条が恐る恐ると言った様子で口を開く。
『……あー、御坂の弾くバイオリンが好きだぞって意味な?』
「…………そうよね、やっぱりそういう意味よね』
『?? 何か言ったか?』
「……なんでもない」
上条の性格はここ数カ月で嫌と言うほど分かっている。
それでも隠しきれない落胆の色は、声にも如実に表れてしまう。
『とにかくだな、御坂はせっかくバイオリンが上手なんだから、自信を持ってやっていいと思うぞ。
バイオリンの曲を聞いても題名が思い浮かばないような俺に言われても説得力がないかもしれないけどさ』
「……そんなことないわよ。身近な人に言われるのって、凄く励みになるもの」
言葉を返しながら、美琴は自分の口から出る言葉に自身で驚いていた。
以前だったら、「あんたに言われるまでもなく、美琴センセーはいつでも自信満々よ!」とでも返していたかもしれない。
少しは素直になれてきたのだろうか。
そりゃあ良かった、と電話口の向こうで上条が笑う。
それにつられて、美琴の口元もほころんだ。
「……ねぇ」
『なんだ?』
「演奏が終わったらさ、病室に遊びに行ってもいい?」
『御坂は午後は予定とか何にもねぇの?』
「今日は一日このオープンキャンパスのために空けたのよ。だから演奏が終わり次第フリーなの」
『じゃあ来るついでに一つ頼みを聞いてくれるか?』
「……美琴センセーになんでも言ってみなさい」
『あとでお金は出すので、屋台でテキトーに美味そうなものを買ってきてくれ。もう病院食には飽き飽きだ……』
「………………ぷっ」
美琴には入院した経験はほとんどなく病院食は食べたことがないが、酷く薄味で量が少ないイメージがする。
育ち盛りで退院間近な男子高校生には物足りないかもしれない。
「分かった。適当に買っていってあげる。たこ焼きとか、お好み焼きとかでいい?」
『何でもOKだぜ。じゃあ、楽しみに待ってるからな。演奏、頑張れよ!』
上条が楽しみに待っているのは自分とお土産とどちらだろうなどと思いつつ、美琴は通話が切れた携帯電話を畳む。
その胸には、先ほどまでの身を焦がすような緊張感はもうない。
あるのは、これが終わったら上条の病室に遊びに行くという約束のみ。
上条の言葉には不思議な力がある、と美琴は思う。
彼が味方ならなんだって怖いものはないと思わせてくれるような、力強い言葉。
その前では緊張感などなんのそのだ。
ほどなくして、担任が美琴の番だと告げにやってきた。
「大丈夫?」という問いに、美琴はしっかりとうなずく。
舞台の袖から、スポットライトの集中するステージの中央へと美琴は堂々と歩く。
その肩に先ほどまでの震えはなく、瞳には強い意志が蘇っている。
楽器と弓を手に聴衆へ一礼をすれば、数万対の瞳が美琴へと向けられるのを感じた。
思わず気圧されそうになるが、胸の中で蘇るのは上条の声。
『御坂の弾くバイオリンが好きだぞ』
これが終わったら、病室で同じ曲を上条の為に披露しよう。
そう心に決める。
深呼吸をし、意識を自分の内側へと向ける。
舞台と観客席が隔絶し、聴衆の姿が遠くなる。
遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。
これが常盤台中学代表の、レベル5第三位の、御坂美琴のオンステージ。
精神を最大限に研ぎ澄まし、美琴は楽器を構えた。
結果から言えば、演奏は大成功だった。
弓を持ちダイナミックに躍る右手、弦の上を滑らかに踊る左手。そこにミスの混じる余地などない。
よどみない見事な演奏は聴衆の耳と心を確かにとらえ、そのフィナーレは万雷の拍手で迎えられた。
演奏を終え、舞台の袖でへたり込む美琴を教師陣が拍手喝采で迎える。
寮監もめったに見せないような笑顔だ。
感極まった音楽教師に抱きしめられながら、美琴はその肩越しに食蜂が壁際にいることに気付いた。
能力を用い教師陣の誰にも気づかれずに紛れ込んでいた彼女に小さく手を振られたので、美琴は笑顔でそれに応えた。
こうして、美琴は『常盤台中学の在校生代表』という大役を見事果たしきって見せた。
このことが災いして来年もまた代表を任されることになるのだが、この時の彼女には知るすべはない。
かつん、かつんと松葉杖の音を響かせ、上条は病棟の廊下を行く。
一応杖がなくても歩けるようにはなったのだが、体力も落ちてるだろうし一応持っておけとの医者のご達しである。
正直に言えば邪魔なことこの上ない。
そんな彼が何故廊下を歩いているかと言えば、ロビーの自販機でジュースを買うためである。
美琴にお使いを頼んだ以上、礼代わりにジュースでも、と思ったのだ。
そういうわけで彼は杖をつき、エレベーターを使い一階のロビーへと降りて行く。
ちなみに彼の病室から見てエレベーターとは逆方向にある、すぐそばの角を曲がったところに自販機があったりするのだが、彼は不幸にもそのことを知らない。
「御坂って、何のジュースが好きなんだろうなぁ」
自販機の前で、上条は悩む。
彼女が見舞いに来てくれた時は、大体はケーキなどのお土産付きなので彼女が紅茶を入れてくれることが多い。
だから美琴がジュースを飲んでいるところはほとんど見たことがない。
加えて、この病院の自販機は「患者を退院させる気がねぇんじゃねーのか!?」と疑いたくなるほどゲテモノ類が多い。
黒マムシココアなんてどの層に需要があるのだろう。
悩んだ挙句、ヤシの実サイダーなど無難そうなものをいくつか選んだ。
飲み物を抱え、さあ病室に戻ろうかとした時に、
「あ、あの、こんにちは……とミサカは伏し目がちにあいさつをします」
「ん? あぁ、ええと……」
「ミ、ミサカの検体番号は19090号です……とミサカはあなたに識別を促します」
美琴の制服姿とは全く異なる私服姿の19090号に話しかけられた。
「……はぁ、ついてませんわ……」
白井黒子は、自らの右手首に巻かれていく白い包帯を見つめながらため息をついた。
美琴の学校代表としての演奏を生で見ることができないばかりか、怪我までしてしまうなんて。
一端覧祭は学園都市中の学生が一斉に動く都合上、都市のあちこちで大混雑が起きる。
雑踏の中で騒動が起これば大きな事件・事故につながりかねないため風紀委員が常に目を光らせてはいるが、それでも避けられないものはある。
混んだ階段で、一人の大柄な男性が躓いた。
彼は近くにいた女性を巻きこんでしまい、更にその下にいた白井までも巻き添えにしてしまった。
白井は二人とともにテレポートをして体勢を整えようとしたものの転送重量限界を越えてしまっており、やむなく二人だけをテレポート。
彼女だけはそのまま階段から転げ落ちてしまったのだ。
落下した際に手を地面に勢いよくついてしまい、こうして治療を受けているというわけである。
「あまり高いところではなかったのが幸いしたね? この程度なら、一週間くらいあれば完治かな。
だけれど、その間派手に動き回ってはいけないよ。風紀委員はしばらくお休みだね」
顔なじみになりつつあるカエル顔の医者に、白井は渋い顔をする。
「今は一端覧祭という一番警戒しなければならない時期ですのに……」
「それでも、医者としては許可できないね? 骨や筋に関する怪我は、下手をすると一生ものになりかねないからね」
「ですが……」
「風紀委員は何も君だけの力で動いているわけじゃないだろう? 時には、頼れる同僚に頼ることも大事だ。
それに無理して悪化させればそれだけ休まなければならない期間も長くなる。
ゆっくり休んで怪我を早く治すのも、治安に関わる者の仕事の一つだよ」
そう言われてしまえば返す言葉はない。
白井は礼を言い、コートを着て診察室を出る。
ロビーの受付で診察料を払い、包帯を撫でもう一度ため息。
ドクターストップがかかった以上、風紀委員の詰所へ行って休みを取るための書類を書かなければなるまい。
だが、その前に美琴に連絡を取り、演奏の首尾を聞こうか。
そう悩んでいる彼女の元へ、一組の男女の声が飛び込んでくる。
「──あなたはどちらがお好みですか?」
「……俺に聞いたところで多分何の参考にもなんねーぞ?」
ロビーのベンチに並んで座った、大人しめの少女とやる気のなさそうな少年の声。
ここからは植木の陰に隠れ後ろ姿しか見えないのでよく分からないが、少女が雑誌を少年に見せながら何かを質問し、少年がそれに答えているようだ。
「だいたいそういうのなら、俺より姉ちゃんたちのほうが詳しいんじゃないのか?」
「詳しくても同性ですので。異性の方の意見を聞いてみたいのです、とミサカは説明します」
……ミサカ? 御坂?
敬愛する先輩の名字のような単語が聞こえ、白井はその二人に興味を持った。
が、盗み聞きは趣味が悪い。
自販機は彼らの向こう側にある。
飲み物を買って、戻ってくれば少しだけ彼らの顔が見える。
それで興味を持つのはおしまいにしようと考えた。
金を入れ、ペットボトルサイズのヤシの実サイダーを購入する。
取りだそうとしてつい利き腕である右手でボトルを持ちあげた途端、痛めた手首に激痛が走る。
「痛ッ……!」
痛みにボトルを落としてしまい、それは床をごろごろと転がって行く。
追いかけねばと行き先に目をやれば、ヤシの実サイダーのボトルは少女が拾い上げていた。
「大丈夫ですか、とミサカは訊ねます」
礼を言おうとボトルを拾った少女の顔を見た途端、白井は硬直する。
それは紛れもなく、御坂美琴の顔。
表情故かやや幼く見え、常盤台中学の制服ではなくカジュアルな私服に身を包んでいることを除けば、背格好は彼女そのものだ。
常盤台中学のオープンキャンパスで、大役を担っている彼女がこんな所にいるはずがない。
では彼女本人ではなく、親類の可能性は。
御坂美琴に姉妹がいると言う話は聞いたことがないし、それは大覇星祭の時に彼女の母親からも聞いている。
一端覧祭中従姉妹が遊びに来ているという話は聞いたが、従姉妹クラスの遺伝子の共通性でここまで似通うとは思えない。
否、似ているのではない。
生き映し、鏡映しと言ってもいいレベルの同一性。
御坂。
ミサカ。
破砕された『樹形図の設計者』。
一度は終焉を迎えた『御坂美琴の悪夢』。
レディオノイズ。
レベル6シフト。
シスターズ。
美琴が大事にしている、実験のために作られた『弱い者』。
かつて漏れ聞いた結標の言葉が、ばらばらと白井の脳内を駆け巡って行く。。
目の前の御坂美琴そっくりの少女は何か関係があるのだろうか。
白井の衝撃と困惑をよそに、少女は可愛らしく小首をかしげる。
「?? いかがなさいましたか、とミサカは問いかけてみます」
「……あなた、御坂美琴という人物をご存知でしょうか?」
「お姉様をご存じなのです……ッ!?」
白井が目の前に来たことで、コートの隙間から白井の制服が覗く。
紛れもない、19090号だって着たことがある常盤台中学の制服だ。
そして、目の前のツインテールは美琴の知り合いのようだ。この状況は非常に芳しくない。
(み、ミサカ19090号はネットワーク上の全個体に緊急の対応策の検討を要請します……ッ!)
(抜け駆けしているからだという指摘はさておき、ひとまずその場から即時撤退すべきです、とミサカ18031号は提案します)
(お姉様のお知り合いのようですし、対応についてはお姉様と協議する必要があるでしょう、とミサカ10230号は主張します)
(了解、自身の危機脱出能力に従いこの場からの逃走を試みます、とミサカはきびすを返します)
白井の制止を振り切り、脱兎のごとくその場を走って逃げようとする19090号。
だが、
「お待ちなさい!」
振り切ったはずの少女に、手首を掴まれる。
白井の能力は空間移動だ。
たかが不意を突かれて走り出された程度で、彼女を振り切ることはできない。
「ッ!? 離してください、とミサカは……」
「御坂美琴と、あなたの関係。それを話していただけるまではお離しいたしませんわ。
やましいことがなければ隠す必要はありませんわよね?」
「それは……」
美琴は妹達の事を「隠すようなことじゃない」と言ってくれた。
だが、それでも自分たちの存在がイレギュラーなものであることに変わりはない。
美琴に相談しなければ、自分たちで素性を話すような判断はできない。
白井の鋭い眼光に、19090号は怯む。
美琴の知り合いらしきこの人物に、能力や戦闘技術を行使してもよいものか。
ここは病院であり、電撃は使えない。
見たところ負傷している相手に、体術は使えない。
葛藤する19090号をよそに白井は追求を強めようとするが、その左腕を後ろから掴み上げられる。
「……何だか知らないけど、やめてやってくれねーか。その子も嫌がってるだろ」
「……貴方はっ!?」
白井は手首を掴まれて五月蠅そうに振り返るが、その相手を見て、顔色を変える。
上条はもしかして昔の知り合いかと考えるが、今はそれどころではない。
「その子は俺の友達だからさ、何か正当な理由がないなら離してやってくれよ」
「……ですが」
理由ならばあるが、それは"正当"とは言えない。
風紀委員の身分をちらつかせればこの男は黙るかもしれないが、それは明らかに職務から大きく逸脱した濫用行為だ。
それよりも、この男から問い質せるならそっちのほうが早い。
「貴方がこの状況を説明してくださると言うのなら、今すぐお話しいたしますわ、上条当麻さん」
「悪いけど、その子を離してはもらうが説明はしない。見ず知らずの人にする話でもないしな」
白井は上条の口調に違和感を覚えた。
過去、白井は幾度となく上条に対し攻撃を仕掛けている。
さすがにそれすら忘れるような鳥頭ではなかったはずなのだが……。
「見ず知らずとは御挨拶ですわね。わたくしと御坂美琴お姉様の関係を忘れたわけではないでしょう?」
「ひょっとして、御坂の後輩か何かなのか。だとしても、これは俺から言うことじゃない。
聞くなら俺でもその子でもなく、御坂に聞くべきだろ」
御坂美琴の事は認識しているのに、白井のことは全く知らないかのような上条の態度に、再び違和感。
この奇妙な感じは何なのだろうか?
にらみ合いを続ける上条と白井、おろおろし続ける19090号。
そこへ、
「ちょ、ちょっとあんたたち、何やってんのよ!?」
両手いっぱいに屋台の料理を入れたビニール袋を下げ、バイオリンケースを背負った美琴が慌てたようにやってくる。
19090号と、白井と、上条の顔を見るなり状況を悟ったようで、美琴はため息をつく。
「あ、あの、お姉様、申し訳ありません、とミサカは……」
「良いわよ、謝ることじゃないもの。あんたもごめんね、面倒なことに巻き込んで。
……で、黒子」
「は、はい」
「とりあえず、私の"妹"から手を離して」
普段とは違うどこか硬質なものを含む美琴の声に、白井は即座に手を離す。
無意識に力を込めすぎていたようで、美琴そっくりの少女が手首をさすり、美琴の背後に隠れるように寄り添った。
こうして見比べてみると、服装と表情以外は本当に瓜二つだ。
「はー……どうしたもんかな。何から説明したらいいのかな。というか説明していいのかな」
美琴は何かを悩むかのように、いらいらと髪を掻き毟る。
前々から考慮はしていても、いざとなると躊躇してしまうのは父親に話したときから変わっていない。
「……お姉様、そちらのお姉様にそっくりな方はどちら様ですの?」
「言ったでしょ、私の"妹"だって」
「でも以前お姉さまは一人っ子だと……」
「そうね。そういうことになってる。うちの母親だって"この子たち"の事は知らないもの。
だけど、紛れもなく私の血を分けた大事な"妹たち"」
そこで美琴は一度目を閉じ、意を決したように見開く。
「ねぇ黒子。今から私がする話は、この街の様相が180度ひっくり返って見えるような酷い話。
聞けばきっと後悔するし、後には引けなくなる。
……それでも、私とこの子たちについて詳しく知りたい?」
美琴の冷たい視線に白井はたじろぐが、それでも力強く即座にうなずいて見せる。
美琴の抱える闇は深く大きく重い。彼女が必死に戦う姿を白井は"残骸"事件の時に見ている。
ならば、御坂美琴を慕う後輩として、その重荷の一部でも分かち合ってあげたい。
そんな白井の様子に、美琴は「馬鹿な後輩を持ったわ……」と呟く。
「じゃあ、話してあげる。あとで文句は聞かないからね」
「──番外個体、あなたは出かけたりはしないのですか、とミサカは出無精な末の妹を心配してみます」
「あら、13577号。珍しいじゃん」
自室のベッドの上でごろごろと転がりながら雑誌を読んでいた番外個体は、13577号に話しかけられ顔を上げる。
「あんまり雑踏とか好きじゃないんだよね、疲れるし。
あなたこそ一端覧祭とか見て回らなくていいの?」
「先ほどまで外出していましたが、SOSを受けて帰ってきたところです、とミサカは見たかったお店を見損ねたことを残念がってみます」
「あー、なんかあったね。19090号がお姉様の知り合いに見つかったんだっけ」
「ただいまお姉様が収拾を図っているところです、とミサカは事態を説明します」
「ふぅん、じゃあお姉様に任せておけばいいかな」
美琴は妹たちの絶対的な味方だ。そのことさえ変わらなければ、他の人物が妹たちのことをどう思おうが関係はない。
自分たちに降りかかる火の粉は自分たちで払うし、力が足りなければ美琴や、癪だが第一位の力を借りればいい。
「そうだ、聞きたいことがあるんだけどさ」
「?? 何でしょう、とミサカは応えます」
「……あー、今から聞くことはできればミサカネットワーク上には流さないでほしいんだけど、いい?」
「別にかまいませんが、とミサカは返答します」
「あと、答えにくかったら答えなくていいし、忘れてくれて構わないからね?」
「分かりました、とミサカは暗に早く言えよとイラつきながら返事をします」
促されてもなお、番外個体は口を開こうとしない。
以前の番外個体なら、たとえ妹たちに対してもここまで気を使うようなことはなかっただろう。
これも彼女の内に芽生えつつある人間らしさの発露なのだろうか。
やがて、とても言いにくそうに話し始める。
「……『絶対能力者進化計画』の間の事なんだけどさ。
実験の内容や残された記憶と、死因が一致しないミサカが何十人かいるってことを知ってる?」
「…………いいえ、ミサカたちのような通常の個体には知らされていません、とミサカは記憶を参照しつつ答えます。
ミサカたちに知らされていたのは実験の内容と結果だけです」
「ふぅん、そっか」
レギュラーナンバーの妹達は実験の当事者だ。
余計な情報を与えて不都合でも起こされないようにしていたのかもしれない。
だが、これでは欲しい情報は得られない。
しかし、番外個体の予想だにしない言葉が13577号の口から飛び出る。
「ただ、『実験終了時にかろうじて生存していた個体』はこのミサカの知る限り十数人はいます。
実験の内容と死因が一致しないと言うのはそのためではないでしょうか、とミサカは推測します」
「……何それ?」
『絶対能力者進化計画』は20000人の"妹達"を殺すことで一方通行を絶対能力者へと進化させる計画だ。
実験後も生存している個体がいては、その演算結果と現実に齟齬が生まれてしまう可能性が出てくるのではないだろうか?
「かつての一方通行は知っての通り、その能力を誇示するような派手な戦闘を好みました。
例えば同時に複数のターゲットを投入した戦闘実験では、生死の確認をすることなく次のターゲットを襲うようなこともありました。
その中でMIAとなったり、実験終了後に生存を確認された"妹達"は少なからず存在します、とミサカは説明します」
つまり、『絶対能力者進化計画』を推進していた研究者たちは、戦闘実験さえつつがなく終了してしまえば妹達の生死は関係ないと判断していたのだろうか。
あるいは、何らかの目的があってイレギュラーによる妹達の生存を許容していた?
「……その妹達は、どうなったの?」
「生存者が出た場合も死亡した場合と同様、ラボラトリーに収容するようにと命令されていました。
その後はミサカたちも知りません」
「その妹達の検体番号、教えてもらえる?」
13577号が暗唱していく検体番号を、番外個体は目を閉じ脳内で死因リストと照らし合わせて行く。
結果は、全員死亡。
例え実験修了段階では生きてはいても、その後生存できるような状態ではなかったということか。
そのことを確認した番外個体は、目を開け愛想笑いを浮かべた。
「……ありがと。胸糞悪いこと思い出させちゃって悪かったね」
「いいえ。妹の役に立てるならばこれくらいは安いものです、とミサカは胸を叩いてみます」
「へへっ、頼りになる"お姉ちゃん"たちがいてミサカは幸せだぜ」
「お、おお、おね……?」
番外個体が茶化すように言った一言に、何故か13577号の顔色が変わる。
「さあ番外個体もう一度今の言葉をお願いしますちゃんとミサカネットワーク上に最重要情報としてバックアップしますのでとミサカはさあさあさあさあ!」
「な、なんでそんなにがっつくのさ……! 鼻息荒くして迫ってくんなーっ!」
「────、というわけ」
「…………そんなことがありましたの……」
上条の病室へ場を移し、白井にこれまでにあったことを説明する美琴。
美琴の目の前にはショックを受けたような顔の白井が。
ベッドサイドでは上条と19090号が美琴の買ってくれたお好み焼きだのたこ焼きだのをのんきに頬張っている。
なんともシュールな光景だ、と美琴は思った。
白井は風紀委員であり、学園都市の治安を守る側に立つ人間だ。
そんな彼女に学園都市の闇を教え込むのはいささか問題があったかもしれない。
自らの根幹となる信念に傷をつけかねないからだ。
思いつめたような顔の後輩に、胸の奥が痛んだ。
「……お姉さまは」
「なあに」
「…………お姉様は、どうしてわたくしに相談してくださらなかったのですか?」
その表情は切実だ。
美琴にとって、自分は相談するに値しない、頼りない存在だったのだろうか?
そう自問自答するようなものだ。
美琴にとっての悪夢の一週間の間、彼女がふさぎこんでいたのを白井は知っている。
夜な夜な私服を持って寮を抜け出していたことを知っている。
上条の前でだけ、表情を緩めていたのも知っている。
なのに、美琴は自分には何も相談してはくれなかった。
「あんたが大事な後輩だからに決まってるでしょ。
相手は学園都市の暗部と、統括理事会と、史上最強最悪のジェノサイダー。
あんたがいくら頼りになる後輩でも、人を片手で捻り殺すような相手に立ち向かわせたくはない。
……それに、これは私の問題だったから」
「……それでも!」
必死になる白井に、美琴はくるりと背を向ける。
「それに、あの時は私も頭に血が上ってたっていうか、相当に追い詰められてたから。
自分のクローンと初めて出会って、その子が目の前で潰されて、一方通行に手も足も出なくて。
それが全部自分のせいだと思ってて、人に頼るような余裕はなかったと言うか。
……まああんたや佐天さん、初春さんたちに心配をかけたのは悪かったって思ってる。だけど」
美琴は再びくるりと半回転し、白井に向き直る。
その瞳に湛えているのは、白井が見たこともない冷たい光。
「私が今、最優先で守るのはこの子たち。この子たちの為なら、私は誰だって敵に回す」
白井たちが疎ましくなったわけではない。彼女たち友人が大事なのは今も変わらない。
だけれども、妹達は自分が守らなければ庇護するものはいなくなってしまう。
だから、最優先で守る。そのためだったら何だってする。
そんな美琴の覚悟に、白井は気圧される。
「……お姉様、そのお気持ちはとても嬉しいのですが、ご友人も大事にしなければとミサカはたこ焼きをもぐもぐ」
「そうだぞ御坂、持つべきものは頼れる友って言うしな。……あっ、たこ焼きがもうねぇ……」
「……分かってるけどさ。っつーか、あんたたちはこのシリアスムードの中で何をパクついとんじゃこらっ!?」
「いやあ、刻一刻と冷めて行ってるし、話に加われないから別にいいかなぁと」
「この方がいただいているのでミサカもご相伴にあずかることにしました」
「……あんたたちねぇ」
ため息をつく美琴。首をかしげる上条と19090号。
一気に雰囲気が緩む。
それは先ほどまでの陰惨な物語とは打って変わった、平穏な光景。
美琴が命を賭けてでも守りたいと思う風景。
「……殿方さんがお姉様や妹様たちの命の恩人であることは分かりましたが、それでどうしてここにいらっしゃいますの?」
そもそも彼はなんで入院しているのだろう。
入院していること自体はかつて美琴から聞いていたが、もう一月近くにならないか。
「うーん、怪我のほうはもうほとんど完治なんだけどなぁ。もうすぐ退院だし。
だけど、頭のほうがまだなぁ」
「頭? ああ、お馬鹿をこじらせてついに医者に診てもらわなければならなくなりましたのね」
「……そいつ、大怪我した時に脳に影響が出て、記憶喪失になっちゃったのよ」
茶化していた白井は、美琴の言葉に顔色を変える。
記憶喪失というのなら、先ほどのいざこざの際の上条の妙な反応も理解できる。
美琴や19090号のことは知ってはいても、白井の事を知らないかのような素振りは、白井の事を『覚えていない』からだったのか。
そして、思い出したことはもう一つ。
しばらく前に美琴が熱中していた調べ物。
あれは大脳生理学や記憶に関するものばかりではなかっただろうか。
それはきっと、上条の為。
どんなことをしてでも、彼の記憶を治してあげたいから。
その為の努力はいとわないから。
そのことを訊ねようとした矢先、美琴の手に口をふさがれる。
「……あんたが今言おうとしたこと、ここで言ったら髪の毛をアフロにしてやるから」
白井はこくこくと首を縦に振るほかなかった。
「……私の秘密は全部話した。それで、あの子たちのことを知ってあんたはどう思った?」
美琴に問いかけられる。
きっと、美琴にとっては一番聞きたくて、一番聞きたくないこと。
妹達の事を知ってしまった人間が妹達の味方になってくれるならよし。
でなければ、美琴としてはその人間とは距離を置かざるを得ない。
クローンという事実はあまりに異質だ。そうせざるを得ない理由が確かに存在する。
緊張の面持ちで答えを待つ美琴に、白井は神妙な表情で答える。
「お姉様のお話を聞いて、わたくしがどう思ったかなんて、決まりきっていますでしょう?」
直後、白井の姿が掻き消える。
「はあああああああああんんんんッ!! ほっぺたに青のりをくっつけた妹様がとってもキュートですのおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!
あぁんっ、萌え! これこそが真の『MOE』の境地ですのッ!? 天使は確かにこの地上に存在したあああああああああああああああああああああああッッッ!?」
「なっ!? ど、どこを触っているのですか、とミサカは猛抗議します!」
いつの間にか19090号の背後にテレポートし、服の上から胸に腰に肩にとあちこち触りまくり、あまつさえその柔らかな頬に顔を寄せようとする白井。
唖然とする上条の目の前で、白井は更に行動をエスカレートさせてゆく。
「さささ妹様、いつまでもその可憐な頬を汚していてはいけませんの。この白井黒子、全身全霊を込めて舐めとらせていただきますわ……!」
「ッ!? お、お姉様、迎撃許可をください、とミサカは貞操の危機を……ッ!!」
いつにない必死な様相で、迫りくる白井の顔を手でなんとか食い止める19090号。
それに負けじと変質者のごとき不気味な笑みを浮かべつつ19090号を押し倒そうとする白井。
上条も「なんとかしてやれよ」と言った顔で美琴を見る。お前が何とかしろ。
白井の答えなんて決まりきっている。
それが美琴の大事な人だと言うのなら、白井にとっても無条件で最優先に守るべきリストに入る。
そうでなくても風紀委員の腕章をつける以上、全ての無辜の人間は守ってみせると心に決めている。
それが美琴の妹であっても、恋敵とも言える上条であっても。
美琴はほっと息をつく。
この頼れる後輩ならば、妹達の絶対の味方になってくれると確信したから。
そして。
「……人の妹にちょっかい出してんじゃないわよこのクソバカ!!」
「ひでぶ!?」
本日の決まり手は垂直落下式ブレーンバスター。
普段の三割増しの威力であった。
学園都市某所。
複数の機材が所狭しと並んでいるこの部屋で、とある少女が端末を操作している。
彼女がいるのは実験場を見下ろすための観察席であり、その窓からは今行われている『教育』の様子が見える。
彼女が腕を動かすたびにかちゃかちゃと音を立てるのは、細く白い腕には似合わぬ無骨な手錠。
その首には趣味の悪い首輪。
何をモニターしているのか、時折小さなLEDが赤い光を放つ。
これこそが彼女が暗部へと落とされ、無理やり服従させられた証。
研究所を脱走すれば即座に爆破され、確実に彼女の命を奪うだろう死神の鎌。
……お似合いではないか。好奇心故に命をもてあそび続けた自分には。
布束砥信はそう自嘲する。
「布束さん」
柔らかな女性の声をかけられ、びくりと肩を震わす。
後ろに流した髪と紺色のスーツ。まるでどこかのOLかのような妙齢の女性。
彼女こそが今の布束の『主人』、テレスティーナ=ライフライン。
「こちらへ来るのは久しぶりだけれど、『教育』は順調かしら?」
「Well...スペックシートを見て貰ったほうが早いでしょう」
布束は傍らの端末を起動し、テレスティーナへ向ける。
ほどなくして、ある書類が表示される。
*** Clone ESP Trooper "THIRD SEASON" Specification ***
##### "The Highest" #####
Average Intensity of Ability:Level 4+
Special Equipment:"Mistleteinn"
#No.00000 <<FULL TUNING>> Educated.
##### "Third Season" #####
Average Intensity of Ability:Level 4
Special Equipment:"Tirfing", Powered suit "Sleipnir"
#No.30001 Educated.
#No.30002 Educated.
・ ・
・ ・
・ ・
#No.30099 Educated.
#No.30100 Educated.
#No.30101 Now Educating.
#No.30102 Now Educating.
・ ・
・ ・
・ ・
#No.30149 Now Educating.
#No.30150 Now Educating.
The next lots are manufactured now.
##### "Pre Third Season" <<Reproduce>> #####
Average Intensity of Ability:Level 3~4
Equipment:Equ.D.M "Tirfing", Powered suit "Sleipnir"
#No.20028 Reeducated. Lv.3
#No.20124 Reeducated. Lv.3
・ ・
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#No.29765 Reeducated. Lv.3
#No.29982 Reeducated. Lv.4
The number of people and equipment are added if necessary at the following.
次々に羅列されていく文字を見ながら、テレスティーナは笑みを浮かべる。
「まずまずのようね。30101号以降の『教育』にはどれくらいかかるのかしら?」
「About...最低限のことを終えるのに2週間、万全を期すならばあと一月は欲しいところ」
「2週間で全部終えられないかしら。『上』からもせっつかれているの」
「どのように?」
「どうやら統括理事会に察知されかけているようでね、手駒を使って攻め込まれでもしたら困ると言うわけ。
その前に運用実績を得て有用性を実証する必要が出てくるかもしれないの」
「I see...やれる限りの事はやってみます。
……それにしても、『期待の新装備』をいくつも投入するなんて、『上』の方はずいぶんとこの計画に力を入れているのね」
クローニングと『学習装置』による安価・短期間での兵力の調達と、量産可能な駆動鎧、そして常識を塗り替える携行兵器の組み合わせ。
これが実用化ラインに乗れば世界の戦争は大きく形を変えるだろう。
その為の試金石として、『第三次製造計画』の失敗は許されない。
「ダメ元で『新素材』の発生装置の使用許可を出したらすんなり通ったし、『上』肝入りであることは間違いないでしょう」
「一つ聞いても?」
「ええ。私に答えられる、あなたが聞いても問題のないことなら」
「アレはどうして、『工場長』だなんて呼ばれているの?」
『新素材』の発生装置の中枢となる、白い棺のような箱。
装置全体あるいはその棺を指して、『工場長』と呼ばれることがある。
『新素材』を使った兵器研究には明るくない布束には、そのあたりの事情はよく分からない。
「ちょっとしたジョークよ。
例えばどんな最新の工場でも、その方針を決める工場長がいなければ何もできはしない。
同様に、アレがなければ我々の最新機器をそろえたラボは全く意味を為さない。
どちらも必要不可欠ということをなぞらえて、『工場長』と呼ばれているのよ」
「『工場長』というよりかは、むしろ『鉱山』のほうが近いのでは。あれが金属か非金属かはさておき」
「それもそうなのだけど、なんで『工場長』になったかと言えば、恐らくきっと」
そこでテレスティーナは言葉を切り、布束を見てにやりと笑う。
「中に人が入っているからかしらね?」
その凄絶な笑みに、布束は背骨の中を絶対零度の悪寒が通り抜けるのを感じた。
『量産型超能力者計画』や『絶対能力者進化計画』に携わったものとはまた違う、決して人に人としての価値を見出すことのない狂科学者の目。
人として踏み越えてはならないラインを高笑いしながら平気で突き破って行ける者のみができる表情だ。
「まあ、『彼』がどんな経緯であんな狭っ苦しい棺の中に押し込められているかには興味はないけれど。
使えるなら使い潰すだけだし、そうでないなら生ゴミにでもしちゃいましょうか」
くすくすと笑うが、その目は全く笑うことがない。
暗に「お前もああなりたくなければキリキリ働け」というような冷たい視線に、布束は目をそらしてしまう。
「……『最上位個体』はもう少し調整の余地がありそうね。何か考えておくわ。
せっかくここまで引き上げたんですもの。どうせならレベル5級の出力を持ってほしいわよね」
そう言ってきびすを返すテレスティーナ。
あとには何かを考え込むような布束だけが残された。
施設の廊下を進むテレスティーナは、考え事をしつつ表情を歪める。
(あと少しで御膳立ては終わる。
『最上位個体』も『第三次製造計画』も何もかも、全ては目的を果たすためのただの道具に過ぎねぇ。
『上』や木原一族のジジイどもが何を考えてるかには興味がねぇ。私の目的の為に利用してやるだけだ)
その表情は、まさに"悪意の塊"。
(てめぇのくだらねぇクローンどもを使って、じぃっくりたぁっぷりと泣き叫ばせてやる。
涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、せいぜいイイ声で鳴いてくれよなぁ)
全ては自分の『能力体結晶を用い、絶対能力者をこの手で作りだす』という悲願を無残に打ち砕いた御坂美琴への復讐の為。
その為だけに、テレスティーナはこんな闇の中まで『堕りて』きた。
かつて彼女が開発した、『超電磁砲』の能力を解析して作った駆動鎧。
敗北後も『超電磁砲』を越えることだけを考えて改良を重ね、ついに開発に成功した最新鋭兵器。
約5mの巨躯に大量の弾薬庫を背負い、腹部側面からは飛行の為の半透明の羽が生えている。
通常の腕の他に2本の鎌状の腕を持ち、その先にはガトリングレールガンが取りつけられている。
純粋な工学技術で基となった才能を超えることを目的とし、特に『超電磁砲』を越えることを意識してつけられたその名は、
『FIVE_Over.Modelcase_”RAILGUN”(ファイブオーバー モデルケース・レールガン)』
(てめぇは散ッ々に絶望させた後に私の最高傑作で跡形もなく吹き飛ばしてやるよ、『超電磁砲』ッ!!)
その夢のような光景を夢想しながら、テレスティーナは闇の中をただ突き進む。
次:【 #07 】
当時は新約一巻でた頃かな?