【記憶】
初めて人の死体を見たのは、夏の暑い盛り、私が未だ小学2年の頃だった。
私は姉妹の片割れだった。
見分けがつかないほどそっくりだった私たちはそれぞれ"唯"、"憂"と名づけられた。
妹の"憂"が死んだあの日の事件を、私は決して忘れることはない。
あの日を境に、私の全てが変わってしまった。
そう、私がそこで見たのは――
紛れもない、自分自身の"死"だった。
関連
澪「GOTH」【前編】
元スレ
澪「GOTH」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1328856104/
この作品は『GOTH』(乙一)のネタバレを含みます。観覧の際はご注意ください。
きっと原作を読んでからの方が楽しめます。
・・・
「みおー、見てくれよ」
「ん?なっ……」
答えるよりも先に言葉に詰まってしまった。
私は今、幼いころから何度も来ている律の部屋にいる。
そもそも何で私がここにいるかって言うと、明日律のクラスで小テストがあり、それを私が教えるはめになったからだ。
まぁクラスが違ってもやってる範囲は一緒なので別に問題はないんだけどさ。
その幼馴染はというと、どうやら勉強への集中力が切れたらしい。
もともと集中力なんて言葉、こいつにはないに等しいんだけど。
見ると律はカチューシャを外し、前髪を無造作に垂らしていた。
「カチューシャ外してみたんだけど、どうかな?」
そう言って若干頬を赤らめる律。
イメチェンってやつなのか、普段とは雰囲気が違う。
正直言って、めちゃくちゃかわいい。
「うん、いいんじゃない?」
思ってることと口に出る言葉が違う私。
どうしても素直になれない、ほんとはチューしてやりたいぐらいなのに。
「そ、そうかな///」
なんだなんだ、急に照れるなよ、びっくりするじゃないか。
もし私が男なら、この場で今すぐ襲ってるところだぞ。
私がそんなことを思ってる一方で、幼馴染は鏡を見ながら前髪をいじっていた。
そんな彼女をぼーっと見ていると、ある少女が頭を過ぎった。
律の髪色にそっくりな彼女。
私は以前、リストカット事件というのに関わったことがある。
その時に用意した計画に、彼女の髪の毛は重要な役割を果たしてくれた。
まぁ結局は失敗に終わったんだけどね。
それにしても、あんまり考えたことなかったけど、結構似てるよな、律と唯って。
目の前で鏡の中の自分の髪型と格闘してる律、ちゃんとセットしたら唯っぽくなるんじゃないだろうか。
「律ってさ、その髪型だと唯に似てるよな」
率直に、私はそんな感想をぶつけてみた。
すると律は私のほうを一瞥し、少し考えた後再び鏡に向き合い真剣な表情になった。
何も言ってくれず、ちょっぴり寂しい気分になったのは秘密だ。
部屋の中に居ても外を吹く風の音が聞こえる。
少し前から風が冷たくなりだして、季節は冬に入ったところだ。
この季節になると朝起きるのが辛かったり、病気にかかりやすくなったりする。
でも私は冬は嫌いじゃない。
空気が澄んでいるし、夜になると星が見えたりしてとても綺麗だ。
こうやって炬燵に入って暖まったりするのも、とても心地いい。
このまま寝てしまいたい衝動に駆られつつ、私たちは再び勉強にとりかかった。
律はというとカチューシャをつけていて、普段どおりに戻っていた。
切りそろえた髪、クセのないストーレートヘアー、そしてカチューシャ、よく似合ってる。
でも前髪を下ろした律もなかなかよかったな。
「ふむ……」
「ん?どうした、澪」
「いや、なんでもない」
ふと頭に浮かんだフレーズ、なんか一曲かけそうな気がしてきた。
私はいったん手を止めて、歌詞の続きを考えてみた。
冬を題材にした曲もいいかもしれない。
綺麗なメロディに綺麗な歌詞、素敵じゃないか。
ふと窓の外を見てみると、外では雪が降り出していた。
何気ない日常の、ありきたりな冬の日。
……冬の日、か。
―――
――
―
小テスト当日、私はいつも通り律と登校していた。
昨晩律との勉強会を終えた後、私は自分の部屋で歌詞の続きを考えていた。
そして朝方までその作業に没頭してしまい、現在寝不足である。
おー、律が二重にブレて見える……
「みおー、大丈夫か?クマできてるぞ」
「あぁ、気にしないで。ただの寝不足だから」
学校へ着き、私たちはそれぞれ自分のクラスへ向かった。
扉を開け、自分の席に座り、1限目の授業の用意をする。
すると和がやってきた。
「おはよう、澪」
「おはよ、和」
「あなたすごいクマできてるわよ。大丈夫なの?」
「平気平気。寝不足なだけだから」
そう……と言って和は席へ戻った。
心配してきてくれたのだろうか。
てゆーか、そんなに酷いのかな?
私は少し不安になってきた。
私は基本的に授業は真面目に受講している。
誰かさんのように授業中寝ることなんて滅多にない。
いや、全くないと言っていいだろう。
一応これでも優等生ってことになってるしね。
でも、今日はさすがに眠気の限界だった。
気付くと私は、誰かに肩をゆすられていた。
目を開けると目の前に和が立っていた。
「澪、起きなさい」
「ん……あぁ、和」
「あぁ……じゃないわよ。もうお昼の時間よ」
「そっか…………………は!?」
どうやら私は午前中ずっと眠り続けていたらしい。
先生に注意されても起きなかったそうだ。
あーぁ、やっちゃった……。
和に顔を洗ってくるように言われ、尿意もあったのでトイレへ向かった。
和はお昼ご飯を買いに購買部へ向かっていった。
用を済ませ顔を洗い鏡を見てみる。
そこには朝よりは幾分健康であろう顔つきの私が映っていた。
授業中の居眠りのおかげかな。
「よし!」パンッ
私は自分の頬を叩き、気合いを入れ、トイレを出た。
「みおー」
「ん、あぁ律、と唯。おはよ」
「もうお昼だよ、澪ちゃん」
クラスに戻ろうと歩いていると、律と唯に会った。
軽く挨拶を交わし、2人はトイレへ向かっていった。
律のクラスを少し覗いてみると、ほとんどの生徒が昼食を取っていた。
まぁ昼時なんだから当たり前なんだけど。
そして私はあるひとつの席に注目した。
そこはかつて共に軽音部で過ごした少女の席だった。
彼女は心の中に闇を抱え、思い悩んでいた。
私にできることが何かあったんじゃないだろうか、今はそう思う。
私はクラスを後にした。
あれからについて少し話そう。
唯を救出した翌日、ムギが転校届けを出していたことを知った。
『私たちに黙っていなくなるなんて!』
律はそう言って怒った表情を見せたが、内心ではとても心配していたに違いない。
ああ見えても一応部長だからな、それでなくても人のことを思える優しい奴だ。
案の定ムギの家へ行ってみようと言い出した。
しかし結局会うことは叶わなかった。
ムギはどうしているのだろう。
彼女の暗い側面は、再び彼女を冷酷な殺人鬼に仕立て上げるのだろうか。
そんなことを思ったこともあった。
ある日、私の家の郵便受けに一通の封筒が届いていた。
差出人も何も書いていなかったが、中身を読んでみてすぐムギからの手紙だとわかった。
手紙には、軽音部の皆には申し訳ないことをした等の謝罪の文だった。
それから現状などが書き綴られていた。
私は彼女の現在地を知らないので返信を出すことはできない。
ムギもそのことを承知してるはずだし、ただ一方的に手紙を送ってきただけだろう。
手紙はまだ誰にも見せず、机の引き出しの奥にしまってある。
他の皆に見せてあげようという気は、何故か起こらなかった。
放課後、私はいつものように部活をするため音楽室に向かった。
部活っていっても練習をすることはほとんどなくなった。
最近じゃ集まってもただぐーたらしたり、話をするだけだ。
「おす」
「あ、澪先輩。こんにちはです」
そうだった、ただ一人を除いて……だ。
梓は膝にギターを置き、椅子に座っていた。
ムギの転校によってぽっかりと穴が開いたような軽音部。
律と唯は、目に見えて判るぐらいやる気を失っていた。
唯に至っては楽器を持って来てすらいないぐらいだ。
その中でも私たちを気遣い、なんとかしようとがんばる後輩。
とても健気で、とても申し訳ない気分だ。
「早いな。もう練習してたのか」
「はい。先輩達に迷惑にならないようがんばるです」
梓はそう言って再びギターにとりかかった。
迷惑がかからないように、か……どこかで聞いたようなせりふだな。
遅れて律と唯がやってきた。
2人はそのまま奥のテーブルに向かい、腰を下ろした。
いつもならここでムギが飲み物を運んでくれるのだが、そのムギはもういない。
2人もそれはわかってるようで、椅子に座ったままぼーっとしている。
梓はそんな二人をじっと見据えている。
練習しようとは言いにくいんだろうな。
普段なら真っ先に練習を促す後輩も、近頃は自重しているようだ。
後輩に変な気を遣わせるなんて、先輩失格だな。
「練習、しよう」
3人が一斉に私のほうを見る。
梓が嬉しそうにギターを持ち立ち上がる。
残りの2人はまだ私の方を見て動かない。
「律、唯、いい加減練習しよう。こんなんじゃダメだよ」
唯は少し微笑んで立ち上がった。
なんか唯が笑ったとこって久しぶりに見たような気がする。
律はゆっくり立ち上がりドラムの方へ向かった。
「てゆーか唯、ギターは?」
「えっ、あ……」
やはり今日も唯はギターを持ってきてはいないようだった。
私もベースを持ってこない日もあったので、唯を責めることはできない。
毎日欠かさず練習を続けてきた梓なら言えただろう。
その梓が口を開く。
「じゃあとりあえず今日はボーカルに専念してみてはどうですか?」
「……そうだな」
「わかった」
律のスティックから放たれるリズムから曲が始まる。
私はベースを弾きながら、かつての軽音部とは全く別物になってしまった曲に耳を傾ける。
マイクだけを持ち歌う唯、やはりギターボーカルとは勝手が違うのか、声が上ずっているように思える。
律は律でリズムキープができていた、おそらく力がうまく抜けているせいだろう。
ただ、以前のような迫力はない。
そして何よりも、ベースの私との呼吸が合っていない気がした。
今までにないそんな感覚を、私は妙に思った。
目を移すと、ドラムの傍に置かれたキーボードが、帰らぬ主人を待ち続けていた。
そんな壊れた演奏の中で、梓だけは淡々と弾き続けていた。
―――
――
―
・・・
見なければよかった。
知らなければよかった。
消したい記憶と消えない記憶。
今でもはっきりと思い出せる。
脳裏に焼き付いて離れない記憶。
私に今できること。
それは――
・・・
冬休みが明けてからも、私たちの部活動は続いた。
曲も増え、演奏力も上達し、なんとか聞けるようにはなってきた。
相変わらず律のドラムは走り気味だったが、だんだんと安定はしてきた。
ギターの2人はすさまじい成長を遂げていた。
私は自分で言うのもなんだけど、上手くはなった……気がする。
ただ、時々律と呼吸が合わないときがあった。
私は気のせいだと思い込むようにしていたが、妙な感覚が消えることはなかった。
唯はボーカルのみのときに味を占めたようで、時々ギターを持たないときもあった。
歌に専念できる分、歌唱力が上がるからだ。
「今日はいい感じだったなー」
「はいっ!弾いてて気持ちよかったです!」
「あずにゃん、ここのフレーズなんだけど……」
「ここですか?ここは6弦をミュートしながら……」
明るくなってきた軽音部、みんなに笑顔が戻ってきた。
それはこれからやってくる春を予感させているような、そんな気がした。
私はキーボードの方に向かい、そっと指を置いた。
そして冬休みの終わる少し前の日のことを思い出した。
―――
――
―
その日、私は授業で出された課題を片づけていた。
外はもう真っ暗で、しんしんと雪が降っていた。
コツン、と窓に何か当たった音がした。
気のせいだろうと思っていたら、また同じ音がした。
不思議に思って窓に寄ってみると、道路の上に人影があった。
「ムギ……?」
ニットを被りウェーブのかかった金髪を垂らす少女が手を振っていた。
それは紛れもない、学校生活や軽音部での活動をを共にした友人だった。
私が窓を開けると、ムギは手招きし、そして歩いて行った。
私はコートを羽織って、カバンにファイルを詰め、彼女の後を追った。
時刻は深夜1時をまわっていた。
ムギを見つけたのは学校近くの公園のベンチだった。
彼女の歩いたであろう方向と、僅かに残る足跡を辿ったのだ。
彼女はベンチに座り、雪の降る空を眺めていた。
私はとりあえず隣に座り、同じように空を見上げた。
星はほとんど見えなかった。
「元気だったか?」
そう尋ねるとムギは笑顔を見せた。
それから私たちはたくさんの話をした。
学校のこと、軽音部のこと、ムギのこと、そしてあの日のこと、それからのこと。
話題は次から次へと飛び出した。
ひと段落つき、私はカバンからファイルを取り出し、楽譜を出した。
「これ、新曲なんだ。ちょっと見てくれないか?感想が聞きたい」
ムギは楽譜に目を落とした、目は真剣そのものだった。
私は若干緊張しながら、彼女からの言葉を待った。
外はほんのりと明るくなってきた。
「とても素敵ね」
私は安堵し、ファイルからもう一つの楽譜を取り出した。
それをムギに手渡した。
「これって……」
「そうだ、キーボードパートの楽譜だ。練習しといてくれ」
そう言うとムギはしばらく呆然としていたが、やがてゆっくり頷いた。
私は微笑み返し、ファイルをしまった。
ムギは楽譜を大事そうにカバンに入れ、立ち上がった。
「もう、行かなきゃ」
私も立ち上がった、と同時にムギに抱き寄せられた。
体温の暖かさと、甘い匂いが私たちを包み込んだ。
寒空の下、私たちは別れを告げ、それぞれの道へ向かった。
―――
――
―
ムギと会ったことは誰にも言っていない。
でも、それでいいと思う、言う必要もない。
私が言ったところで会えるわけでもない。
それにあの日の事件のことが頭にちらつくだろう。
真相を話すわけにもいかないしね。
「……そうだろ?」
私は静かに一つの白鍵を押した。
電源のついていないキーボードからは何の音も鳴らなかった。
それでも私にはその音が聞こえたような気がした。
「みおー、何してんだ?」
「ううん、なんでもない」
私はベースを手に取り練習を続けた。
練習が終わりみんなが帰った後も、私は一人部室に残っていた。
帰り際、唯に話があるからこのまま残ってくれと言われたのだ。
律と梓も待とうかと聞いてきたが、唯がベースパートのことで話があると告げると頷いて帰っていった。
一方本人はというと、少し待っててと言い残しどこかへ行ってしまった。
大人しく待っていると、やがて扉の開く音が聞こえた。
「澪ちゃん、これはどういうこと?」
部室に戻ってきた唯は開口一番にそう言った。
手には絵を持っていて、それを私に突き出してきた。
絵には2人の少女が描かれている。
「あんまり上手とは言えない絵だな……」
「とぼけないで!」
唯はどうやら怒っているようだった。
「私の妹が昔描いた絵だよ!澪ちゃんが郵送してきたんでしょ!?勝手に私のこと嗅ぎまわるのはやめて!」
何言ってんのこいつ……てゆーか、妹?
「……」
「……澪ちゃんが送ったんじゃないの?」
「いや、全然知らないんだけど……」
「そっか、ならいいんだ。ごめんね澪ちゃん。最近不眠症でどうかしてるんだね、私……」
そう言って唯は頭に手を当てた。
相当参っているようだった。
唯は私にもう一度詫びを入れ、帰ろうとした。
待ってくれと言って、私は唯を引き留めた。
「よかったら、その妹の話、聞かせてくれないか?」
「……」
唯はしばらく沈黙したのち、口を開いた。
「いいよ。もうずっと昔のことだけど……」
・・・
私の妹の名前は憂、私たちは姉妹でいつも一緒に遊んでた。
年も近かったし、お絵かきしたり、ボール投げをしたりして遊んでたんだ。
私たちは姉妹にしては、とってもよく似ていた。
外見は一緒でも中身は違っててね、憂はとてもしっかりした子だった。
私はそんな憂にいつも甘えててね、どっちがお姉ちゃんなんだかってよく言われたよ。
その頃はね、屋根の上でいろんなことして遊ぶのが好きだったんだ。
お絵かきとかひなたぼっこ、ミニ演奏会をしたりね。
もちろんお母さんやお父さんには内緒だったよ、怒られるからね。
「でも、そんなある日のこと……」
憂が一人で屋根の方に向かっていくのが見えたの。
私に声をかけてこなかったから、一人で何かやりたいんだと思って特に気にしなかった。
しばらくしておやつの時間になったから憂と食べようと思って呼びに行ったんだ。
その時に聞こえたんだ、何かが落ちた音が。
「事故だった。きっと憂は足を滑らせたんだろうね。屋根の上に片方の靴だけ残ってた。
この絵はその時のものだよ。靴と一緒にこの絵が残ってたんだ。最初は澪ちゃんが送りつけたものだと思ったけど……」
「なんで私が?」
「私の知る限り、私の過去に興味を持ちそうなっ人て……澪ちゃんぐらいだよ」
「そっか」
澪ちゃんは心成し嬉しそうに見えた。
私は一枚の四つ折りにされた写真を取り出した。
以前に私の家のポストに入ってたものだ。
送り主はわからないが、きっと悪趣味な人には違いなかった。
まぁでも、多分澪ちゃんなら喜ぶんじゃないかな。
「……お詫びにこれをあげるよ」
「――っ!……これって、第二病院跡であった惨殺事件の………」
「えっ……」
写真と一緒には地図が同封されていた。
地図にはある場所に×印が付けられていて、それは第二病院跡を指していた。
その時はそれ以上は詮索しなかった。
しかし、この間ニュースで殺人事件が報道され、その場所が第二病院跡だと知り、私はすぐに写真が何を意味するかを理解した。
ニュースでは被害者の生前の姿だけが報道されていて、当たり前だけど死後の写真は報道されなかった。
「そうだけど、よくわかったね。一目見ただけで……」
「あぁ、当てずっぽうだよ。被写体の髪型と横顔が被害者に似てたから」
「ふーん、そういうこと……」
何か腑に落ちない、澪ちゃんは一体何を隠しているんだろう。
・・・
唯が訝しげに私を見ている。
何だ、何か言いたいことでもあるのか?
「ねぇ、澪ちゃん」
私は目をいったん写真から離した。
唯はカバンを持ったまま、窓の方に近寄っていった。
そして、外に視線を向けながら言った。
「その写真―――
―――まさか澪ちゃんが殺したんじゃないよね?」
唯は一切こっちを見ずそう言い放った。
こちらからは唯の髪に隠れた横顔しか見えない。
外はもう暗く、いくつかの運動部が後片付けを行っていた。
しばらくの間、静寂が部室を支配した。
「何で?」
「だってこの写真の被害者の髪型、テレビとか新聞と随分違ってるよ。なのに、どうしてわかったの……?」
唯はゆっくりこちらを振り向いて言った。
その眼は明らかに何かを訴えかけていたが、狡い私は気づかないふりをした。
「ごめんね、気を悪くしたなら謝るよ……ただ、澪ちゃんが時々心が空っぽのまま笑っているように見える時があるんだ」
唯にそんなこと言われるとは思わなかった。
どっちかって言うと、それは私のセリフだ。
ただ、一般的に見れば、だけどね。
「言っておくけど、私は違うの。澪ちゃんとは"逆"だよ」
「知ってるよ」
「それならいいんだ、じゃあね」バタン
扉が閉まり、唯が帰った後も、私はすぐには帰らなかった。
写真を見ては反芻し、想像の世界に耽っていた。
ふと窓の外に目をやった。
唯が校庭を歩いていた、早いな、もうあんなところに。
隣に誰かがいた。
目を凝らして見てみる、おそらく和だろう、髪型がそれっぽい。
生徒会は今終わったのかな。
「平沢唯……あれでなかなか冴えているじゃないか」
私はカバンから一本のナイフを取り出した。
ムギのコレクションからいただいた(奪った?)うちの一つだ。
「使われないナイフはゆっくり色を失っていき―――」
―――枯渇する音が、私には聞こえる。
―――
――
―
学校もほぼ終わりに近づき、気温も若干ではあるが上がってきた。
今日は部活がない、梓が家の用事があるとのことだった。
のどがかわいたので、自販機に飲み物を買いに行くことにした。
教室を出て、食堂近くの自販機の前まで行き、ペットボトルのコーラを買った。
炭酸がのどを駆け巡る、痛いけどクセになるこの感じがたまらない。
背後に誰かが近寄る足音が聞こえた。
振り返ると、そこに唯が立っていた。
「何で嘘、ついたの?」
「嘘?」
「私の家入ったんでしょ。それで妹の部屋を見つけて興味を持った」
あぁ、あの時か……いや、元はと言えばお前の所為だろ。
「和ちゃんに聞いたよ。それから、隣のおばあちゃん家に行っていろいろ詮索したみたいだね。聞いてる?澪ちゃん」
何で和が知ってるんだ。
一方で唯は私に一言も話させないような勢いで言ってくる。
いや実際あまりの勢いに一言も話せなかったけど。
唯の言い方がやけに刺々しく、軽く軽蔑がこもっていた。
澪ちゃん悲しくなってきた。
「澪ちゃんはもっと節操のある人間だと思ってたけど、失望したよ」
「……」
「とにかく!もう二度とこんなことしないで!」
ふむ……
これは相当きてるな。
「どうしてそんなに自分の過去にこだわるんだよ。何か知られたくない罪でもあるのか?」
「……っ」
「なぁ……唯?」
「も、もう、しばらく澪ちゃんとは話さない!」
あらら、ちょっといじめすぎたかな。
まぁいっか……さ、帰ろう。
・・・
―――どうして助けてくれなかったの?
―――あなたはそうやって嘘をつき続けるのね。
―――うそつき。
―――あなたが死ねばよかったのに……
・・・
はっと目が覚めた。
どうやら夢のようだ、夢……まただ……
彼女が私に訴えかけてくる。
それは私を恨むかのように、呪うかのように。
「気が付いた?」
その声で私は我に返った。
そして、縄か何かで縛られている自分を見つけた。
また?こーゆーのってデジャヴって言うんだっけ。
「……誰?」
「さぁ」
そこには私のよく知る人物が立っていた。
「世の中には殺す人間と殺される人間がいる。さながら今の唯は後者……」
「……」
「そして前者は、この私」ニッ
私は彼女とたくさんの時間を過ごしてきた。
だから彼女が危険な存在であることはわかっていた。
だんだんと視線が鋭くなり、時折無機質な眼を向けてきたこともあった。
その視線は私に"死"を容易に連想させた。
性格も最初のころとは全然違う、きっと私がそうさせてしまったんだろう……
「……いつか、こんな日が来るんじゃないかと思ってた」
私は首元にナイフを突きつけられながら、話を続ける。
「私は……ここで………死ぬ、の?」
ふとナイフを押し当てる力が緩まった。
「殺されるってわかってるのに私を拒まなかったのは、"妹"のことがあったから?……それとも」
「……」
「私に殺されてみたかった……?」
何も言い返せない私を見て、彼女はとても楽しそうに笑った。
「少し、話をしたい」
彼女は私の返事を待たず、一方的に語りかけてきた。
「私はずっと唯に興味を持っていた。正直に言うと、唯に恋をしてたのかもしれない。そう……唯の肉体を切り刻んでみたい、って」
今までに見たことのないぞっとさせるような笑み。
身体が強張って言うことを聞かない。
そんな私には気づかないようで、彼女は話を続ける。
「それは日に日に強くなり、耐え切れなくなった。そしてついにこの場所で、私は人を殺してしまった」
「そ、それじゃ、あの写真って……」
「そう、あの写真は私が造った。そうすることだけが唯一、私を満たしてくれた」
「……」
「唯の過去を知りたいと思ったのも、同じような理由だった……」
―――
――
―
・・・
「ここか……」
放課後、私はとある家を訪ねていた。
表札には『一文字』とかかれている。
以前唯の家に来た時に隣接していた家だ。
私はインターフォンを押し、返事を待つ。
もうすでにアポはとってある。
ドアが開き、中から家の主であるおばあさんが出てきた。
「こんにちは」
「はい、いらっしゃい。あなたが唯ちゃんのお友達かい?」
「えぇ」
「どうぞ。中、お入んなさい」
私は会釈して言われた通り、お邪魔させてもらった。
私は和室に通された。
縁側があり、庭がある、昔ながらって造りだ。
「何にもおもてなしができなくてすまないねぇ」
そう言って温かいお茶と和菓子を用意してくれた。
私は礼を言い、お茶を一口飲んだ。
「ここから唯の家は見えるんですか」
「お隣さんだからねぇ」
縁側と和室を区切るガラス戸に近づくと、確かに唯の家が見えた。
「あの屋根から落ちて妹さんが亡くなったと聞いています」
「あぁ、憂ちゃんのことかい?あの子のことはよく覚えてるよ……」
おばあさんはゆっくり話を始めた。
妹の憂ちゃんは唯ちゃんに比べて大人しい子でね。
よく唯ちゃんの後ろに引っ付いているのを見たことがあるよ。
唯ちゃんもそれが嬉しいようで、二人はいつも傍を離れなかった。
見分けるのが大変でねぇ、何せ外見は瓜二つだったから。
あの時も落ちたのは唯ちゃんの方かと思ったぐらいだよ。
「そんなに似ていたのに、どうやって見分けていたんですか?」
あぁ、髪型と靴だよ。
あの子たちには別々の髪型をさせていたみたいだねぇ。
唯ちゃんが一つくくりに、憂ちゃんは下ろしたまま、ね。
そして唯ちゃんは白い靴、憂ちゃんは黒い靴を履いていたんだ。
「そうだ、確かあの子たちが描いた絵が残ってるはずだよ」
おばあさんは箪笥の抽斗をいくつか開けた後、何枚かの絵を出してきた。
「ほら、これだ。見てごらん」
私は絵を受け取って、描かれている絵を見た。
おばあさんは尚も続けた。
「さっき言った通りだろう?」
顔や服は全く同じように描かれていた。
小学生の描く絵なんて、どれもこーゆー拙くて同じような感じなんだろうけど。
おばあさんの言ったように、髪型はベースは一緒だが、唯だけくくった髪がプラスされているように描かれていた。
ん?
「だからあの時も、髪型と残された靴を見て憂ちゃんだとわかったんだよ……」
あばあさんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
辛いことを思い出させてしまったみたいだ。
「最初に見つけたのは唯ちゃんでね、その時のことはよく覚えてる」
「泣きじゃくっていたんですか?」
「いいや、妹の死体を目の前にして泣きもせず直立不動でじっとしてね……余程ショックだったんだろう。
そしてその日以来唯ちゃんはあまり感情を表に出さなくなった。元々はよく笑う明るい子だったのにねぇ」
まぁゆっくりしていきなさい、そう言っておばあさんは席を立った。
私はドアを開け庭に出てみた。
少しまだ冬を感じさせるような風が吹く中、平沢邸の屋根を見上げてみる。
その上で、小さな少女が二人遊んでいるのが見えたような気がした。
さてと、あまり長居もしてられないな、行かなければならないところもあるし。
多分、彼女が待ってるはずだ。
私はおばあさんにお礼を言い、家を出た。
・・・
「あの絵を見て疑問に残ったことがあってね」
「疑問……?」
「憂が死んだとき、靴はどうなってた?」
「片方が上に、もう片方は履いたまま……」
「そう、でもあの絵の2人は"靴なんか履いていなかった"」
じわじわとゆっくり首を絞められているような感覚。
彼女はとても楽しそうにしている。
「ただ書き忘れただけじゃ……」
「―――突き落としたんじゃないの?」
「違う……そんなこと……」
「靴を用意して事故に見せかけたんでしょ?その方がいかにも足を滑らせたように見えるからね。大体、あそこに靴があること自体不自然なんだけどね」
自然と涙が溢れてくる。
違う……私は…………
「……私は憂を殺してない」
「ううん、違う。あなたが殺した」
彼女がナイフを握りしめた。
首元に冷たい感触を感じる。
「……いつかこうなるんじゃないかって思ってた」
「……?」
「私たち、ずっと一緒にいたよね。ずっと、ずっと。だからわかったんだ。突然私へ向ける目が変わってたこと。
妹の……憂のことを知ってからずっと機会を窺ってたんだね。そして、あの絵を私に送り付けた」
そうすることで私の中の罪悪感を揺さぶろうと思ったんだろうね。
それで自分と同じ境遇を感じたかった。
でも違う、私はあなたとは違うの。
だって、私は……
「……絵を送りつけた?」
呆気にとられた顔で彼女は聞き返してきた。
まるで何の事だかわからないような、そんな表情だ。
「唯、私は唯に絵を送りつけてなんかないんだけど」
どうやら本当に知らないようだ。
演技の可能性もあるが、演技にしては臭過ぎる。
じゃあ一体誰が……?
「―――私だよ」
薄暗い光の中、左手にコートを持った少女が立っていた。
それは私のよく知る人物だった。
「お邪魔だったかな?平沢"憂"」
「……澪…ちゃん?」
・・・
よかった、まだ生きてるみたいだ。
もう既に殺されてるかと思ったけど、安心したよ。
「……憂?」
「そう、そいつは唯じゃない」
「あなた何を言ってるの?大体どこから……」
「唯に送られてきた惨殺写真、あれ作ったの和だろ?」
「――っ!」
以前一文字宅にお邪魔した時に、私とは別に唯のことを尋ねに来た子がいると聞いた。
それが和、君だったんだ。
幼馴染の和が何故今頃唯のことを嗅ぎまわってるのか、不思議に思ってね。
だから監視してたんだよ。
当の本人は全く気付いてない様子だったけど。
「誰にも見られてないとでも思ってたのか?」
「澪……っ」ギリッ
「彼女に危険が及ぶ前に姿を現そうと思ってたんだけど」チラッ
「遅いよ、澪ちゃん……」
「ごめんごめん。でもまぁ、間に合っただろ?」
本当はもう少し前にはここに到着してたんだけど、和が絵の話をしていたから少し聞いていたんだ。
というのは実際、私自身も靴のことにはひっかかっていたからだ。
普通屋根に上るときにわざわざ玄関まで靴を取りに行くなんてことはしない。
親にバレないようにするなら一層そうだろう。
小さい子供が外から上るのだって物理的に無理だ。
となると、靴がそこにある理由が不明瞭なままだ。
「私も初めはカモフラージュだと思ってた。でもそれにしては不自然すぎる。
だから私は何か別の理由があったんじゃないかと考えた。そこに靴がなければならない理由をね。
そして思ったのが、"憂が落ちた"のではなくて"落ちたのが憂でなければならなかった"んじゃないかってことだ」
大人だったらこれが偽装工作だと思うかもしれない、しかし対象が子どもなら誰もそうだとは思わない。
あるいはそこを利用したのかもしれないけど。
「ま、結局どれが正解かは彼女に聞けばわかるんだけどね。だから、それを聞くまで彼女は殺させないよ」
私はテレビで見るようなヒーローじゃない。
だから彼女を逃がして自分も逃げる。
それが最高の形……なんだけどなぁ。
まぁ無理だろうな。
「残念ね、澪。どうやらそれは聞けそうにない―――わよっ!」バッ
「っ!」
そう言って和はポケットからハンカチを出し、憂に押し当てた。
クロロホルム……か?
しばらくしてから、憂は首をガクンと下に垂らした。
和はハンカチを憂の口から離し、ポケットに入れた。
「化学準備室から拝借してきたのよ。これで邪魔は入らないわ」
「へぇ、それは準備がいいことだ」
和は別のポケットからナイフを取り出し、口元を歪めた。
そしてゆっくりとナイフを構え、私に焦点を合わせてきた。
「あなたのおかげでなかなか彼女に近づけなかったのよ」
和は後ろで眠っている少女を見て言った。
私は私で用意していたナイフを取り出し、臨戦態勢に入った。
和の目の色が変わった……次の瞬間には私の目の前まで彼女は近づいていた。
彼女はナイフを何の躊躇いもなくふるってきた。
私はとっさに後ろに避けた。
ヒュンと刃が風を切る音を近くで聞いた。
かろうじて避けたが頬を少し切ったようだ、切れた頬から痛みを感じる。
間合いを取ろうと後ろに下がるが、攻撃は私を待ってはくれない。
何度かナイフで応戦し、ガキン、カキンと刃と刃の交錯する音が聞こえた。
キーンと鋭い金属音がして、ついに私のナイフが弾かれた。
弾かれたナイフが私の後方でカランと音を立てて落ちた。
和が大きくナイフを振りかぶった。
「チェックメイトよ、澪!」
「……っ」
とっさに憂の方に視線を向けると、憂は相変わらず眠りこけていた。
よかった……彼女は何も見なくて済む。
そして、ナイフが肉を抉るドスッという鈍い音が、静寂の中、虚しく響いた。
・・・
―――私が気づいたのはあれから4時間も経ってからだった。
―――私の縄は既に解かれていて、2人の姿はそこにはなかった。
―――そして床には、夥しい血が流れていた……
・・・
「ねぇ、あの後一体何があったの?」
放課後、帰り支度をしていると栗色の髪をした少女が話しかけてきた。
その面持は心なしか心配しているようにも見えた。
「別に……」
「ウソ、ほっぺケガしてるよ?」
「野良猫に引っ掻かれたんだ」
「……」
嘘だけど。
「ねぇ、あの後和ちゃんはどうなったの?」
「ん……ちょっと小競り合いになったけど、結局和が逃げ出して、多分私に知られたからもう学校には来ないよ」
「……そうなんだ」
それも嘘だけど。
私は床に流れていた夥しい血の理由も、和のことも、本当のことは何一つ言わなかった。
あの時、和がナイフで私を刺す直前に、私は左手のコートの下に隠し持っていたもう一本のナイフを彼女に突き立てた。
彼女の死骸は建物の裏手に埋めた。
そこは雑草と不法投棄のゴミしかない場所で、この先数年は新しい建造物が建つこともないだろう。
「憂、君は本当に姉を殺したのか?」
あの時のいざこざで有耶無耶になった推理、そして真実。
まぁ、このまま放っておいてもよかったんだけど。
だって、ねぇ?
「よかったら教えてくれないか?」
私は彼女の言葉を待った。
やがて彼女は口を開いた。
「私はお姉ちゃんが好きだった」
唯はまるで絡まった紐を一つ一つ丁寧に解くように、ゆっくり語りだした。
お姉ちゃんは私の一番身近な憧れの的だった。
明るくて優しくてかわいくて、みんなに好かれてて。
少しぬけてるところがあって、たくさん失敗もしてたけれど。
でもあの笑顔を見ると、誰もが憎めなくなった。
私はそんなお姉ちゃんが好きで羨ましくて、でもね、同時に疎ましかったの。
お姉ちゃんはそんな性格だから、ちょっと悪戯してもあんまり怒られなかった。
でも私は違った。
『憂はしっかりしてるから』『憂は賢い子だから』、だから私がちょっと悪さするとすごく怒られた。
何でこんなに違うんだろうって、そう思った。
でもね、それで嫌いになれたらよかったんだけど、お姉ちゃんはね、私のことを庇ってくれたの。
私が怒られると一緒に怒られてくれて、一番に慰めてくれて、すごく優しくしてくれて……
お姉ちゃんのことが嫌なのに、嫌いになれなかった。
その頃ね、私たちはよくお互い入れ替わって遊んでたの、髪型や靴を変えて。
そうするうちにだんだん私は思うようになったの、お姉ちゃんになりたいって。
でもそんなこと無理だった。
「そして、事故があったあの日……」
私はお姉ちゃんといつものように屋根に上って遊んでた。
一緒に絵をかいて、それでお互いのを見せ合った。
お姉ちゃんは、憂は絵が上手だね、って褒めてくれた。
でも全然そんなことなかった、お姉ちゃんの方が絵は断然うまかった。
そして私はついにお姉ちゃんの絵を破いてしまった。
それで私に怒って嫌いになってくれたらよかったんだ。
でもそんなふうにはならなかった、怒るなんてことはしなかった。
お姉ちゃんは何も言わずに私の頭を撫でて、そっと抱きしめてくれたの。
どうしてこんなに優しいんだろう、どうしてそんなに綺麗でいられるんだろう……
その優しさが嫌だった、暖かさがうんざりだった。
いろんな葛藤が渦巻いてて、気づいたら私はお姉ちゃんを突き飛ばしてた。
屋根の淵まで距離もあったし、私も軽く押したつもりだった。
だから、まさか落ちるなんて思ってなかった。
「でも、お姉ちゃんはバランスを崩してそのまま……」
ドサッていう落ちる音がして、すぐに私は下を見た。
そこにはお姉ちゃんが横たわっていた。
私はしばらく呆然とそれを見ていた、言葉なんて出なかった。
そのあと大急ぎで下に向かった。
そこにはさっきと同じようにお姉ちゃんが横たわっていた。
声をかけても揺すっても、反応はなかった。
突然自分のしたことが怖くなった。
何度も何度も謝って、涙だっていっぱい流れてきた。
それでもお姉ちゃんは目を覚まさなかった。
お姉ちゃんがいなくなる、そう考えるといてもたってもいられなくなった。
そして決心したんだ、私がお姉ちゃんになればいいんだって。
そしたら死ぬのは私だけだって、大嫌いだった私だけが消えるんだって。
そして、お姉ちゃんは死ななくて済むって。
「それで……入れ替わったってわけか」
「うん……あの時の私は恐ろしく冷静だったと思う。髪型を変えて、靴まで用意して。
あの靴は髪型だけじゃ心許なかったから用意しただけだよ。結局そんな必要はなかったみたいだけどね」
きっと彼女は唯を心の底からは憎んではいなかったはずだ。
うらやむことも、嫉妬することもあっただろうけど、それでも……
憂にとっての唯は、かけがえのない存在だったはずだから。
「以来私は人前であんまり笑わなくなった。結局、あの日私は"平沢憂"と"平沢唯"の2人を一緒に殺しちゃったんだろうね……」
きっと彼女の手首に残る傷跡は、その代償だろう。
何度も良心の呵責に苛まれて、罪を実感してきたんだろう。
それでも死ぬことは叶わなかった。
一体どれだけ苦しんだんだろう……そう思うと、何故か心が苦しくなったような気がした。
「でもね、最初に私の本当の名前を呼ぶのはね、澪ちゃんじゃないかって思ってたんだ……」
最後の方は、声がかすれてよく聞き取れなかった。
必死に感情を押さえつけているのだろう。
それ以上彼女は何も話さなかった。
唯は妹を許さないだろうか。
いや、彼女ならきっと憂を許すだろう。
そして多分、今でも傍で大切な妹を見守っているはずだ。
彼女の話を聞いてたらそんな気がした。
しばらく一人にしてやった方がいいな。
私は席を立ち、カバンを持ってドアの方へ向かった。
……あぁ、そうだ。
「もし……」
私は憂の方を振り向いた。
窓の外から差し込む光が、彼女を優しく照らしていた。
「もしまた、君が死にたくなったらその時は……」
―――
――
―
・・・
バタンとドアの閉まる音がした。
教室には私以外誰もいなかった。
彼女が去り際に残した言葉が頭の中で響き続ける。
―――もしまた、君が死にたくなったらその時は……
―――私が殺してあげるよ。
彼女の言葉を反芻する。
きっと彼女なりの思いやりの言葉なのだろう。
涙が頬を伝って顎先から制服に落ちた。
春を匂わせる暖かい風が、零れ落ちる涙を、そっと拭い去っていった。
記憶 -終-
【土】
人が人を殺す方法で一番残虐な殺し方は何だろう。
一重には言えないかもしれない。
でもそれはきっと、一瞬では死ねないような苦しみを伴うやり方。
餓死、溺死、焼死、凍死……いろいろあるだろう。
でも私はそうは思わない。
もっと、もっと陰惨で絶望的な方法。
誰もが目を覆いたくなるような事……
つまり―――
全ての自由を奪い"生"に飢えさせて殺すことだ。
・・・
高校生最後の1年、気づけば私は3年生になっていた。
クラス替えでは私、律、そして唯の3人とも同じクラスとなった。
あぁ、今は憂か。
まぁいっか、知ってるのは今じゃ私だけだし。
季節は秋から冬に変わろうとしていた。
学園祭が終わり、受験に向けてのラストスパートに入る時期だ。
私たちの学園祭最後のステージはあっという間に終わった。
ライブではクラスのみんなをはじめ、たくさんの人が応援してくれた。
おかげでライブはとてもうまくいった。
こうして私たちの3年間、正確には2年半だけど、軽音部としての生活は終わった。
私たちはこれで引退し、後輩に引き継ぐことになる……はずだったんだけど。
相変わらず私たちは音楽室に足繁く通っている。
というのは受験勉強を部室でしようということになったからだ。
そのことに梓も承諾してくれて、今に至るって感じかな。
「やれやれ」
結局私たちの居場所はここなんだな。
ドアの隙間から冷たい風が流れ込んでくる、寒い。
(どんなに寒くても、僕は幸せ……)
以前書いた歌詞のフレーズをふと思い浮かべてみた。
幸せって字は、一つの線を抜くだけで辛いって字になる。
いつかテレビで見た言葉を思い出した。
幸せと辛さは表裏一体なのかもしれない。
隙間風が頬を撫でる。
そっと頬に触れてみる、手が冷たい。
以前ある少女に傷つけられた頬の傷は、今ではすっかり癒えていた。
「あれからもう1年ぐらいか」
私が暴いた一つの真相。
一体何人の人が平沢憂に気づいているのだろう。
一人は私、一人は彼女自身、一人はもういない。
考えるだけ無駄か。
やがて眠気がやってきて、私は机に突っ伏した。
―――
――
―
「もうすぐクリスマスじゃん?」
ある日の休憩中、律がそんなことを言い出した。
受験も大詰めって時に何を言い出すんだこいつは。
「だからクリスマスパーティやろうってことだよ」
いや私たち受験生ですから。
そりゃ、たまには息抜きだって必要だけどさ。
すると律はじゃーんと言いながら紙を見せてきた。
日時…クリスマス、場所…梓の家、持ち物…お菓子とプレゼント。
アバウトすぎるだろ、てゆーか何で梓の家なんだ。
「あの……」
後輩が申し訳なさそうにおずおずと手を挙げる。
「何だー?」
「私、クリスマスの日は友達の猫を預からないといけないので、その……」
「そっかー、んー……」
そう言って顎に手を当てて、何か考え出した。
考えあぐねている律に助け舟を出した。
「別に当日じゃなくてもよくないか?例えば、その前の週末とか」
律はその手があったか!と指をパチンと鳴らす素振りを見せる、音は鳴ってはいなかった。
梓も、その日なら大丈夫とのことだったので、日程はそれで決まった。
あとは場所だけど、梓の家は大丈夫なのか?
「うちは全然大丈夫です」
「よっしゃー!」
「おい」
どうやら律はただ単に梓の家に行ってみたかっただけのようだった。
そしてその日の残りの時間は、当日の準備のことに費やされた。
―――
――
―
パーティ当日、私たちはそれぞれ分担したものを持ち、梓の家へ向かった。
インターフォンを鳴らし、梓を待つ。
それにしてもでかい家だな……
ドアが開き、中から梓が顔を出した。
「いらっしゃいです。どうぞ」
私たちは中へ入り、リビングに通された。
リビングはシックな色合いで飾られていて、大きなコンポがり、大量のCDが棚に収納されていた。
律は部屋に入るやいなやすぐにソファに飛び乗り、唯はその綺麗に並べられた大量のCDを眺めていた。
本当は憂だけど、ややこしいので以下省略。
梓が唯の傍に寄って行き、話を始めた。
最近この2人仲いいよな……
反対側を見てみるとベランダがあり、ガラス戸越しに庭へ続いていた。
開けると寒いので閉めたまま庭を覘いてみると、1mぐらいの棒が2、3本立っていた。
「何だあれ?」
私の何気ない一言に梓が反応し、こちらへやって来た。
私はガラス越しにその棒を指差した。
「あぁ、あれは朝顔を育てるための棒ですよ」
そう言って近くの抽斗を開け、種を見せてくれた。
「あー、そういえば小学校の頃育ててたっけ」
「私もです。あの棒はその時のもので、今でも使ってるんですよ」
小学校の頃、うちの庭でも栽培していた朝顔を思い出した。
あの時は律とどっちがよく育つか競争してたっけ。
確か私の朝顔だけ枯れちゃって泣き喚いてた気がする。
そしたら律が慰めてくれたんだよな。
そうだ、その時律が種をくれたんだ。
あれは使わずに今でも大事にとってあるんだよ、律。
そんな懐かしい情景が浮かんできた。
「澪先輩?」
梓が怪訝そうに尋ねてきた。
なんでもないよと言い、もう一度その棒に目をやる。
梓はそんな私をじっと見据えていた。
「梓ー、お前一人っ子なのか?」
ソファに寝転がった律が尋ねる、服がめくれておへそが見えた。
だらしないぞ、律。
「そうですよ」
「澪と一緒だな。唯は?」
一瞬、時間が止まる。
そっか、律も梓も知らないんだ。
唯は一瞬私の方に目を遣ったが、すぐに律の方に視線を戻した。
私は唯がどう返事をするのか、それが気になった。
「………妹が、いたよ」
「いた?」
唯は再びCDの棚へ目を向けた。
律たちは瞬時に唯の言葉の意味を悟った。
「わ、わりぃ。ごめんな、唯」
「ううん、気にしないで」
気まずい沈黙が流れ、この状況を作った律はどうにか別の話題へそらそうとしている。
あくまでも唯であり続ける気なんだな、二人の前では。
まぁ普通に考えて『私実は双子の妹なんだ。今は平沢唯だけど』なんてこと言ったら頭の神経を疑われる。
ということは私は今迄通り唯として接すればいいんだよな。
「そ、それより準備をしませんか?」
「お、おう!全員、配置につけ!」
「はいはい」
梓が強引に話を展開させ、事なきを得た。
当の本人は別段気にしてはいないようだったけど。
私も準備にとりかかった。
結論から言って、とても楽しい一日となった。
準備の段階で、料理からとりかかったのだが、まず唯の料理スキルに誰もが圧倒された。
主な料理は唯と律、ケーキやお菓子は私と梓が担当した。
私たち二人は比較的早く終わったので、飾りつけにとりかかった。
全ての準備が整い、ちょうどいい時間帯に始めることができた。
料理はとてもおいしかった。
調理の二人がよかったんだろう、律も意外に料理うまいし。
ケーキは梓と意匠を凝らしたものにした。
食べるのがもったいないぐらいの出来だった。
まぁでもそれも最初だけ、一度ナイフを入れたらそれまでだ。
プレゼント交換も行った。
私は唯の持って来た手袋があたった。
私の持って来たものは梓に渡ったようだった。
律のプレゼントはどうやら仕掛けが施してあったらしく、唯が被害を受けていた。
それから私たちはたくさんの話をした。
軽音部設立当時のこと、初めてのライブ、梓の加入。
少し恋の話もした。
といっても好きなタイプとか、理想のデートとかそんな話だ。
ただ、梓には気になる人がいるとのことだった。
それが誰なのかは教えてくれなかった、まぁ大体わかるけど。
時間はあっという間に過ぎて行った。
楽しいパーティも終わり、あたりはすっかり暗くなっていた。
時間も時間なので、私たちは帰ることにした。
「それじゃあな」
「また学校で」
「はいです。今日はありがとうございました。また来てくださいね」
「あれっ、唯は帰らないのかー?」
「私はもう少しここに残るよ。片づけもちょっと残ってるしね」
律はじゃあ私も残るとか言い出したが、強引に連れて帰ることにした。
ちょっとぐらい二人きりにさせてあげよう。
私は後ろの2人に手を振り別れを告げた。
一方律は気づかない様子でぶーぶー文句を垂れている。
それにしても、仲がいいとは思ってたけど、それほど親密だったとは。
あまりにも律がうるさいのでそれとなく伝えると、律はニヤリと笑った。
こいつ、また何か企んでるな……
ぶつぶつ何かを言っている律を尻目に、私は夜空を見上げた。
いくつかの星が見え、微かに雪が降っていた。
今年はホワイトクリスマスになるかな。
―――
――
―
・・・
翌日のことだった。
1限目が終わり、休み時間、私はクラスメイトと話をしていた。
「悲鳴?」
「そうだよ、澪ちゃん知らないの?」
いや、全然。
彼女によると、昨日桜公園の近くで女の子が暴漢にあったらしい。
夜中だったので何が起きたのかは定かではないらしいが。
「そういえば澪ちゃん、今日遅刻してたね」
「あぁ、実はさ……」
朝、私はいつもの通り律と待ち合わせしている場所に行った。
いつも通り私の方が先に着いたので、律が来るのを待った。
だが、なかなか現れない。
学校に間に合うギリギリの時間になってもまだ来ない。
もう少し待っても来ないので仕方なく置いてきたのだが、結局遅れてしまった。
「へぇ。二人は仲が良いよね」
ただの幼馴染だよ、そう言って笑った。
ほんと、長い付き合いだよ。
「今日唯ちゃんは?」
「さぁ……」
そう、今日は律だけでなく唯も学校に来ていなかった。
すると彼女は心配した様子を見せた。
「ね、ねぇ……まさかとは思うけど、二人のどっちかがその暴漢に襲われたとかじゃないよね?」
ふむ……そういえばあの辺りは唯がよく通ってた道だったっけ。
唯に限ってそれはないだろうけど。
律もあんな道通んないだろうし。
「大丈夫だよ、きっと。ただのサボりだって」
―――
――
―
・・・
「助けて……」
声が聞こえる。
生を蹂躙され、為す術のない声が。
「お願い、誰か……ここから…………」
絶対的な立場に立つ優越感にも似たこの感覚。
この声……この声こそが私を虜にして離さない。
全てを踏みにじられ、無力ながらも抗い続ける。
憐れな人間の声。
かわいそうに……。
「私の声が聞こえますか、唯先輩」
「……」
返事はない。
でもかまわない。
「あなたは埋葬されたんです」
「……」
「聞いてますか?」
「……埋葬?私はまだ生きて……」
「そりゃあ死体を埋めてもおもしろくありませんから」
そう言い放った私の顔は、おそらく醜く歪んでいるのだろう。
でも気にすることはない、ここには私と先輩しかいないのだから。
もっとも、その先輩は土に埋められた棺桶の中だけれども。
「顔の傍に筒のようなものがありますね?通気口のようなものです。それで呼吸をするんです」
再び沈黙。
自分の置かれた状況がわかったのだろうか。
「いい加減に……」
「おっと、筒を揺らさないでください。誰かに見られたら不審に思われるじゃないですか。
立場がわかってないようですね。いいですか?その通気口に水を注ぐことで、いつでも私は先輩を溺死させることができるんですよ?」
「溺死……?」
「恐怖、しましたか?」
返事はなかった。
それでも私は死におびえる彼女の顔を容易に想像できた。
その想像がまた私を興奮させる。
「今、土の中にいる先輩がとても愛おしいんです。嘘ではありません、本当にそう感じますです」
この言葉に嘘はなかった。
私は彼女を愛している。
「それでは私は食事をしてくるです。大人しく待っていてくださいね」
そう言い残し立ち去ろうとしたとき、再び筒を通して声が聞こえた。
「今、梓の背中に黒い破滅の鳥が見える」
「……どういう意味ですか」
「きっと誰かが梓の罪を公にする時が来る。それに、私は殺されない。その前に自ら命を絶つ」
命乞いってやつですか?
でもその手には乗りませんよ。
「今更足掻いたところで無駄です」
「知ってる?制服の内側にボールペンを持ってるんだ。これで頸動脈を突き破れば……」
「自害したところで同じです。先輩が孤独に死ぬことに変わりはありません」
何だろう、この感覚。
状況を見れば圧倒的に私の方が優位に立っているはず、なのに。
彼女の一言一句は、まるで水に落とした墨汁のように、黒い斑となって広がっていく。
「大丈夫、私に孤独な死は訪れない。きっと"あの子"がそうさせない」
この自信は何だろう、あの状況でどうしてそんなことが言えるのだろう。
私は頭を振って、不安を払拭する。
これは私を惑わせるための狂言だ、きっとそうだ。
少し外へ出て気分を変えよう、そう思い財布を取り出した時だった。
ない。
財布がない、どこかで落としたのだろうか……まさかあの時に!?
まずい、財布の中にはお金やカードはもちろん、学生証が入っている。
もしもそれが発見されたとしたら……
「くすっ……あはは…………あははははははははははははははははは」
笑っている、すべてお見通しだとでも言いたいかのように。
気が付くと私の体は駆け出していた。
その間、頭の中で彼女の笑い声がずっと私を苛んで離さなかった。
―――
――
―
「確かこのあたりだったはず……」
私は昨日も訪れた公園に足を運んでいた。
公園の外の金網の付近に近づく。
地面にはたくさんの落ち葉が広がっていた。
これならまだ誰にも見つかってないだろう。
私は昨日落としたであろう財布を探し始めた。
幸い、まだ昼ごろなので人通りも少なく、園内もほとんど人がいないようだった。
あるとすればこのあたり。
落ち葉をかき分けながら、慎重に見ていった。
すると、視界が急に暗くなった。
誰かが傍に立っているようだ。
金網越しとはいえ、人に見られたのはまずい。
「何探してるんだ?」
少しハスキーで、しかし透き通るような、聞き覚えのある声。
知っている声に私は顔を上げた。
この声は……
「澪、先輩……」
・・・
昼休みに私は学校を抜け出していた。
律は午前中は姿を現さなかった。
きっと風邪かなんかで寝ているのだろう。
サボりかもしれないが。
学校終わったら様子でも見に行ってみるか。
暇だった私は、昨日その暴漢があったという場所に行ってみた。
その現場は学校から近いし、午後の授業にも間に合わなくもない。
それに、もしかしたら……ということもある。
「あくまでも、可能性の問題だけど」
今は昼だからこのあたりは人通りも少ない。
制服姿でも何ら問題はないだろう。
しばらく歩き続け、靴底で地面の表面を確かめる。
中を見渡すと、滑り台やブランコ、砂場といった、ごく普通の遊具ばかりだった。
すると視線の端にチラッと人影が見えた。
その人物は何やらしゃがんで落ち葉をかき分けているようだった。
ゆっくり近づいてみる。
だんだんとそのシルエットがはっきりしてくる。
小柄で黒い髪をしたツインテールの女の子。
梓だった。
「が、学校はどうしたんですか?」
「その言葉をそっくりそのまま梓に返そう」
梓は何も言わなかった。
私は無視して話を続けた。
「私は梓と一緒だ。探し物をしてるんだよ」
「探し物……ですか」
「って言っても正確には人だけどな。昨日の夜、このへんで悲鳴があったそうだ」
「悲鳴……?」
「もしかしたらクラスメイトが巻き込まれたんじゃないかと思って、それでここに来た」
「……」
「てゆーか梓、今日はサボりか?」
「違いますよ、昨日騒ぎすぎたせいで風邪をひいちゃったみたいです……」
「だったら家で寝てろよ」
全く……律もそうなんだけど、病気になったら大人しくできないのか?
大人しく家で療養するのが当たり前のことだろ。
それとも梓も昨日の事件について何か調べていたのだろうか。
「なぁ梓、唯と律知らないか?」
「いえ、どうかしたんですか?」
「いや、二人ともさっきから姿が見えないんだ」
「え、学校に行ってるんですか?」
……ん?
「いや、来てないけど。何で学校休んでること知ってるんだ?」
梓は少し狼狽えている様子だった。
が、取り繕って答えた。
「いや、メールが来て……それで…………」
「あぁ、なるほど」
メールか。
「もしかして、先輩たちが事件に巻き込まれたんじゃないかと心配でここに?」
「いや」
「えっ?」
違う、違うんだよ梓。
「ここに来たのは観光のようなものだ」
「観光、ですか?」
警察署には赤い点の付いた市内地図のポスターが貼られている。
それは、その場所で死亡事故が起こったということを表している。
私は事件のあった場所を眺めるのが好きだ。
だからその場所に立って靴底でアスファルトの感触を確かめる。
つまり私は人の死んだ場所に立っているということになる。
それが私の趣味なんだ。
梓はきょとんとして私の話を聞いている。
もちろん理解してもらえるような内容じゃないことはわかってるよ。
重要なのはそこじゃなくてだな。
「それに、もしかしたらだけど」
「?」
「"何らかの理由で"戻ってきた犯人に……出会えるかもしれないだろ?」
あくまで"可能性の問題"だ。
・・・
気づいている、澪先輩は知ってるんだ。
私の罪を、犯行を、心の醜さを。
きっと先輩は私の手帳をここで拾ったんだ、それで私が犯人だと……
逃げたい、今すぐこの場所から。
「おい大丈夫か梓」
澪先輩が心配してくれているようだ。
それが本心なのか、嘘なのかはわからない。
私はボロを出しすぎた。
そして澪先輩に全てを悟られた。
だとすると、私はどうすれば……
「家まで送ろうか?風邪ひいてるんだろ?」
「……お願い、できますか」
それからの家までの道すがら、私と先輩が何を話していたかなんて全く覚えていない。
ただ、お互い当たり障りのない話を選んでいたような気がする。
彼女をどう[ピーーー]か、私の頭はそれだけで一杯になっていた。
どうして……何で貴女なんですか…………
「昨日ぶりだな」
「はい。どうぞ上がってください」
「いいよ、邪魔だろ?」
「いえ、傍にいてくれた方が安心します」
いま彼女を帰すのは絶対に駄目だ。
何とか引き止めないと。
「今お茶を入れるです」
「病人だろ?寝てろよ」
「いえ、だいぶ治ってきましたから」
適当に理由をつける。
自分でも思うのだが、不自然すぎる。
でも関係ない、彼女を殺せば全てがなかったことになる。
「それにしても……」
澪先輩が話しかけてくる。
目線は庭先を向いて、こっちには無頓着だ。
私としては好都合だ。
「あいつらどこ行っちゃったんだろうな。特に唯は……」
「……唯先輩がどうかしたんですか?」
「何て言うか……あいつには変質者を誘うフェロモンのようなものがあるみたいなんだよ」
あぁ、もうおしまいだ。
先輩の中では私が犯人なんだ。
絶望的状況に追い込まれる。
プルルルルと電子音が流れた。
先輩の携帯に着信があったようだ。
誰かと通話を始めた。
今先輩は庭の方を向いている。
私の姿は見えてはいないだろう。
私はキッチンで包丁を握りしめた。
どこから間違ってしまったのだろう。
どこで道を誤ってしまったのだろう。
いつから私は平気で人を殺せる人間になったのだろう。
私はごく普通の女の子だったはずだ。
普通に勉強して、普通に遊んで、普通に恋をして……
恋……そうだ。
唯先輩のことだって、確かに愛していた。
それだけだった、はずなのに。
「梓」
不意に向こうから声がかかる。
澪先輩が呼んでいるようだった。
いったん包丁を置いて先輩のもとへ行く。
「どうしたんですか?」
「今唯から連絡があった。無事だったみたいだ。今近くまで来てるって」
……唯先輩が?どうして?
唯先輩は私が確かに……アリエナイ。
オカシイ、ドウイウコトダ?
・・・
唯と合流し、梓にお大事にと言って私たちはその場を去った。
何やら梓は唯を呆然と見ていた。
唯は微笑んで手を振っていた。
梓は機械的にその手を振り返していた。
しばらく歩いて振り向くと、梓は庭の方へ駈け出して行った。
私はそれを見逃さなかった。
「どうしたの澪ちゃん」
「ん、いや、結局午後の授業サボっちゃったなって」
「ふーん」
一応お前のせいでもあるんだからな?
まぁどうでもいいけどさ。
とりあえず一旦学校に戻って鞄を取りに行こう。
そのあと律の家に寄って行こう。
唯は……まぁ適当だろうな。
・・・
私は先輩たちが帰った後庭先へ走っていった。
気が気でならなかった。
私が見たのは間違いなく唯先輩だった。
何度か声をかけてみたが、返事はしてくれなかった。
その夜も、筒の先から声をかけてみた。
それでも、その通気口から彼女の声が聞こえることはなかった。
「どういうこと……?何がどうなってるの……?」
私は一旦眠ることにした。
朝になれば、状況が変わっているだろうと思ったからだ。
しかし一向に眠気は来ず、棺桶のことが気になって仕方がなかった。
気づくと私はベッドを飛び出し、庭先へ向かっていた。
彼女が土の中から出られるはずがない。
でも昼間見たのは紛れもなく唯先輩だった。
もし、もし違うのならば……
だったら私はいったい何を埋めてしまったのだろう。
土を掘り返すと、棺桶が姿を現した。
「……」
口の中がやけに乾く、つばを飲み込むが嫌な味がする。
ふたを持つ手が震える。
深く息を吸い込み、手に力を込めふたをあける。
そこには……
「な、何で………」
首元をペンで突き刺し、顔中を血で染め、絶命した―――
―――律先輩が横たわっていた。
私は必至で吐き気をこらえた。
口元を押さえ、逆流する胃液を何とか飲み込む。
顔だけでなく、そこかしこに飛び散った血が現実を伝えてくる。
「そうだ、彼女は唯じゃない」
少しハスキーで、しかし透き通るような、聞き覚えのある声。
普段はかっこよくて、頼りになる先輩。
「あずにゃん……」
ほわんとした、少し高めの声。
私が大好きだった、誰よりも愛していた先輩の声。
「先輩…………どうして……ここ、に………」
私はその場で泣き崩れた。
・・・
泣き崩れる梓はひとまず置いておき、私は律のもとへ向かった。
ペンは確かに首元を貫いていた。
律をそっと抱きかかえる。
私は静かに目を閉じてやった。
「梓、お前が家のどこかに誰かを隠していると気づいたのは、昼間の別れ際の時だ。
そしてお前は生きている唯を見て青ざめ、庭に目をむけて走って行った……」
「……最初から私が犯人だと気づいていたんですか?」
「いや、最初はわからなかったよ」
唯に会った時の梓を見たのが疑った原因。
そして唯と律の家に行ったときに疑いはますます濃くなった。
律の見舞いに家に行ったときのこと。
結局唯も着いてきたんだが、皮肉にもそれが事件を解決へと導いた。
―――
――
―
「澪ちゃん、これからどうするの?」
梓の家を離れ、学校へ向かう途中に唯が聞いてきた。
私はこれから鞄を取りに行った後、律の家に向かうと言った。
一緒に帰らないのと聞いてきたので、律が学校に来てないことを伝えた。
唯は怪訝な顔をした。
それから私も着いていくと言い出した。
「珍しいな」
「ちょっと気になることがあるの」
「ふーん、まぁいいけど」
先生に適当に理由をつけて早退の許可をもらい、学校を出た。
唯はもとから登校してなかったらしい。
ほんとにサボってたのか?こいつ。
そして二人で田井中邸へ向かった。
結論から言うと、律は家にはいなかった。
部屋の中はもぬけの殻、私はとりあえずベッドに腰を下ろした。
「さて、律はどこに行ったんだろう」
昨日のことを思い出す。
昨夜は梓の家を出て律と帰って……
「途中で別れたんだ」
「……?」
昨夜唯と梓が急接近するのではないかとのことを律に告げた。
律はしばらく歩いてから、気になるからこっそり覗きに行こうと言い出した。
私は最初は止めたのだが、聞く耳を持たず、だんだん面倒になったので好きにしろと言った。
そして律は梓の家に向かっていったんだっけ。
そんな感じに端折りつつも唯に話した。
「ふーん、じゃあ私に会ったのはその後だね」
「唯に、会った……?」
「昨日ね、澪ちゃんたちが帰った後、私も片づけが終わってからすぐ帰ったんだ」
何だ、結局何もなかったのか。
「その帰り道の途中でりっちゃんに会った。もう帰るのかって聞かれたからそうだって答えた。りっちゃんはちょっと不満そうだったけど、一緒に帰ることにした。
私たちは話しながら帰った。ちょっと寄り道して桜公園についた。そこでベンチに座って話をした。りっちゃんは私とあずにゃんとのことが気になるみたいだった」
私の知らないうちにそんなことがあったのか。
てゆーか律は直接聞いたのか、野暮な奴だ。
唯はなおも続けた。
「りっちゃんは言った。だったら今から私が梓の家に行くって。私は止めたけど、大丈夫だって言い切った。それでとりあえずピン止めを渡した」
「ちょっと待った」
「どうしたの?」
「ピン止めが何だって?」
「渡したんだよ。つまり入れ替わったの。学校でもたまにやってたんだけど、気づかなかった?」
知らないよ、初耳だよ、何だよそれ。
「髪型を変えると結構似てるんだよ私たち」
知ってるよ、だって私が律にそう言ったんだから。
まさかあいつ、それを聞いて本当に試したのか?
「部活のときとかも……」
「部活のときも入れ替わってたのか!?」
「そうだよ、時々ギター弾かない時があったでしょ?その時はボーカルはりっちゃん、ドラムは私」
驚いて声が出ない。
何で唯はドラムが叩けるんだ。
あの部活の時の違和感ってそのことだったんだと今更気づいた。
「いやでも、さすがに気づくだろ」
「そうだね、だからその逆もした。私は私だけどボーカルだけ、りっちゃんはそのままドラム」
「……」
「例えば100の嘘の中に10の真実を混ぜるんだよ。そうなるとどっちがどっちだかわからなくなってくれる。つまりそういうことだよ。
もちろん帰るまでには元には戻ったんだけどね。二人きりになると、澪ちゃんなら絶対に気付くだろうって思ったから」
言いたいことはよくわかった。
だが肝心な話がまだ進んでいない。
本題に戻ろう。
「入れ替わりの話はもういいよ、それで?」
唯は話を続けた。
てゆーかこれも唯だよな?律じゃないよな?
「私は唯だよ。もっと言うと憂だよ」
ご丁寧にどうも。
いいから続けてくれ。
「私たちはとりあえず公園の公衆トイレで服を交換した。ピン止めとカチューシャも。髪型も変えた」
「……」
「どこからどうみても完璧に入れ替わった。りっちゃんはあずにゃんの家へ、私は自宅に向かった」
「……そこからは知らないってことか」
「そうなるね」
私の中で何かが繋がりかけていた。
事件が起こったのは桜公園、二人がいたのも桜公園。
「なぁ唯、入れ替わったお前たちはそんなに似ているのか?」
「部活で気づかなかったのが証拠じゃん」
確かに、言われてみればその通りだ。
「りっちゃん言ってたよ、夜だからあずにゃんも気づかないだろうって」
「だろうな、夜なんて一層……」
夜の光量じゃ絶対、気づかないだろうな。
それが"唯なのか律なのか"なんて、絶対。
そうか、そういうことか。
「どうしたの澪ちゃん」
「唯、もしかしたらお前は律に命を救われたのかもしれないな」
「どういうこと?」
「そうだな……続きは梓の家に向かいながら話そう」
―――
――
―
「つまり私が襲ったのは、唯先輩じゃなくて律先輩だった………?」
「多分、そういうことなんだろうな」
梓はきっとその日のうちに唯を埋めるつもりだったのだろう。
しかし唯は帰ってしまった。
しかたなく梓は強硬手段に出た。
後をつけるか何かしたのだろう。
それですぐに唯を襲って、気絶か何かさせようとした。
しかし唯は律と合流してしまった。
仕方なく成り行きを見守ることになり、二人が別れて一人になるまで待った。
大方そんなとこだろう。
「でも、私は話をしました。通気口を通してだったので声までは判断できませんでしたが、律先輩は自分のことを言わなかった……」
「律はきっと自分が唯じゃないとわかると、唯に危害が及ぶと考えたんだろう。それで最期まで唯を装った」
こうなった責任と、唯を危険にさらさないため……律の考えそうなことだ。
「それに、唯じゃなくて自分が死ぬことで、梓が罪の重さを実感してくれるとも思ったんだろうさ……」
物事は失敗すればその時初めて自分の過ちを見直すことができる。
それで残りのことは全部私任せか……全く。
「ごめんなさい……ごめんなさい………」
梓はひたすら謝り続けていた。
それが誰に対してかはわからないが、梓の精神はほとんど限界まで擦り切れたのだろう。
「あの竹筒は朝顔じゃなくて、呼吸をするため工夫したものだったんだな」
「はい……」
唯は黙って私たちの話を聞いていた。
私は律を抱えながら首元に刺さったペンを見た。
それは小さいころ私が律の誕生日にプレゼントしたものだった。
「まだこんなものもってたのかよ、お前」
涙は出なかった。
大丈夫だよ、律。
大丈夫だから。
私が最後まで傍にいてやるからな。
・・・
まるで暗い淵で何も見えない棺桶の中に閉じ込められたようだった。
それからどれほどの時が流れたのか一瞬わからなかった。
庭は元通りになっており、何事もなかったかのではないかという錯覚を覚えた。
「大丈夫?あずにゃん」
隣で唯先輩の声がする。
いつの間にか私は縁側まで移動させられていたようだった。
「あずにゃんはりっちゃんを生きたまま埋葬した。何でそんなことをしようと思ったの?」
「わかりません……ただ………」
埋めてみたくて、埋めたんです。
「本当は私を埋めるつもりだったんだよね?」
「はい……でもこうなった以上は………」
涙で声がうまく出なかった。
なぜ自分はこのような汚れた魂を持って生まれてきてしまったんだろう。
そして、彼女は自分を殺そうとしている人間に、どうしてそうまでして接することができるのだろうか。
「自首しようと思うんです……」
それで自分の罪が消えるとは思っていません。
だけど……
「自分でそう決心できてよかった……」
「そっか……あずにゃんがそうしたいのなら私は止めない。でもあと半年……ううん、ひと月でもいいから待ってくれないかな」
「……どういうことですか?」
「別にあずにゃんが気に病むことはないよ。"彼女"がそれを望んだんだから」
お願いだからひと月だけ待ってあげて、先輩はそう言った。
待ってあげて……?
思考回路がうまく機能しない。
「じゃあ、またね」
唯先輩はそう言って去っていた。
唯先輩"は"……?
そういえばさっきから澪先輩の姿が見えない。
それに唯先輩の言った"彼女"というのが気になる。
誰かの声が聞こえたような気がした。
それは囁きにも似た、柔らかで悲しい声だった。
ふと庭に目を向ける。
そこにはいつものように竹筒が立っている。
そう、竹筒が……
「誰がまたあの穴を埋めたの…………?」
足に力が入らない。
また声がする。
「……だよ」
私は震えながら筒の傍まで近寄った。
今度ははっきりと声が聞こえた。
私のよく知っている声が……
「大丈夫だよ、律……ずっと―――」
―――傍にいるから……
土 -終-
・・・
やかんから蒸気が出た、お湯が沸いたようだった。
私は火を止め、ティーポットに湯を注ぐ。
独特の匂いが鼻をかすめる。
しばらくしてからティーカップに紅茶を注ぐ。
赤っぽくかつ黒っぽい液体がコップを満たす。
私は何もいれずに口をつけた。
「うん、まぁまぁかな」
放課後、私は音楽室に来ていた。
クラスでは澪ちゃんとりっちゃんは失踪扱いになっていた。
人数の足りなくなった軽音部は、廃部になるのだろうか。
一人でいる音楽室はとても広く、静かに感じた。
あの日、りっちゃんの家を出た後、私は澪ちゃんと約束をした。
『もしこの推理が正しかったなら、私も一緒に埋めてくれ』
私は承諾した。
止めても無駄だと思ったからだ。
結果、澪ちゃんの推理は的中し、私は約束を果たした。
梓はこれからどうするのだろう。
警察に自首するのだろうか。
土を掘り返すのだろうか。
私にはわからない。
「来た、かな?」
音楽室のドアが開く。
入ってきたのはツインテールの女の子。
昨日は一晩中泣きはらしたのだろうか、目が赤い。
「先輩……私、どうすればいいのか………」
梓はきっと罪の重さに耐えきれなくなったのだろう。
罪悪感が自分を苛み、離さないのだろう。
まるでいつかの自分を見ているようだった。
「大丈夫だから」
彼女には私の罪を全て打ち明けよう、そう思った。
その後のことは、その時になってから考えればいい。
所詮私たちは人殺しだ、罪が消えることなんてこの先絶対にない。
「大丈夫、だよね……」
夕日が音楽室を照らし出した。
赤く染まった音楽室は、小さな後輩の赤い目を包み込んだ。
私は彼女を椅子に座らせ、紅茶を用意した。
いつだってこれから始まってたんだもんね。
それが、私たち軽音部だったんだもんね。
そうだ、全員分のお茶を用意しよう。
私は立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。
私の目から、暖かいものが零れ落ちた。
【おしまい】
>>1です
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
元ネタは乙一著「GOTH」です。
この作品知らなかった人は原作読んでみてください。
10000倍ぐらい楽しめると思います。
ではでは、またいつか。