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杏子「さて、はたらくか…」
杏子「ケーキを売るのも楽じゃない」
杏子「ケーキ作り……だと!?」オッサン「おう」
杏子「わたしの夢は……」
ペロッ
杏子「畜生、こんなんじゃダメだっ!」
やっぱり、私じゃムリなのか。
どうしてもオッサンの味には近づけない。
叔母「杏子ちゃん、もう寝たら? 帰ってきてから寝てないでしょう?」
パジャマ姿で、ゆまの手を引いた叔母さんがやってきた。
杏子「すいません、起こしちゃって……」
ゆま「キョーコ。休もうよ」
杏子「……まだいい」
ゆまが私を心配そうに見ていたけれど、私はその視線を振り払って、焼いたケーキを見つめた。
どうしてもダメだ。
オッサンのあの食感を出すことができない。
元スレ
杏子「だれがお前みたいな馬鹿を……」さやか「素直じゃないね」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1350464738/
私はオッサンと渡米して、オッサンはとある事情で帰って来れなくなった
オッサンの代わりにこの店でケーキを焼くことになった。
杏子「やっぱ、マスターの言うとおり、私がオッサンの味を出すのは無理なのか」
ちくしょう。
そんなことはわかってたはずだ。
一朝一夕で追いつけるなら、苦労するもんか。
でも、やっぱこの店の客はオッサンのケーキを買いにくるんだから
棚に並ぶのは、オッサンのケーキじゃなくちゃダメなんだ。
『杏子、お前死ぬのか』
やっぱ同情してくれたんだろうな。
そんな理由で、店の看板背負わされてもな……。
でも、あの人がただの同情で看板を譲ったりするのか?
叔母「杏子ちゃん、もしかして責任感じてるの?」
そう……オッサンは私のせいで撃たれた。
あの人だけなら、あんな弾を食らうこともなかったかもしれない。
私がついていながら情けない。
拳銃なんてみたことないから、ついついびびってしまった。
叔母「だとしたら、それは杏子ちゃんの責任じゃないわよ」
……わかってる。
杏子「大丈夫です……」
あの人は殺しても死なない。必ず戻ってくる。
だから私はあの人が空いた穴を埋めなくてはいけないのだ。
私はただ夢を叶えたいんだ。
あの人達と同じ場所にたちたい。
私のケーキを食べて笑顔になってくれる人を――。
杏子「大丈夫ですから――私にやらせて下さい」
叔母「そう……じゃあ、止めないわね」
ゆま「ねえ、キョーコ。ゆま、となりでみててもいい?」
杏子「もう真夜中の3時だぞ?」
叔母「ゆまちゃん、杏子ちゃんが心配でずっと起きてたのよ。どうせ眠れないなら、と思って」
ゆま……。
叔母「私は何か温かい飲み物淹れてくるから」
杏子「ありがとうございます」
なんでみんな、こんな私なんかにいれこんでくれるだろうな?
私にそんな価値があるのか?
杏子「……」
情けないこといってないで頑張らねえと。
叔母さんがコーヒーを沸かしに行ってくれてる間、久々にゆまと久しぶりになった。
ゆまは暗がりのなかで腰をかけて、笑っていた。
私は卵と小麦をかき混ぜながら、その食感を慎重に確かめて過程を進めていく。
ゆま「キョーコは、アメリカにいってきたんだよね?」
杏子「そうだ。ゆまも行きたかったか?」
ゆま「う~ん、わかんない。えいごとかしゃべれないし」
だろうな。こいつはそんな外に出て遊びたいってタイプじゃない。
アタシだってもともと興味があって行ったわけじゃない。
半ば無理やりおっさんに連れ去られただけだ。
ゆま「でもね、ちょっときょうみあるよ」
杏子「ふ~ん。なんでだ?」
ゆま「アメリカいって、キョーコがなんかかわったから」
杏子「変わった? アタシが?」
ゆま「うん! なんだかげんきになった。めらめらってかんじするの」
そっか。ゆまにはそう見えるんだな。
杏子「ゆまには、まだ話してなかったな」
ゆま「?」
杏子「ゆまはアタシが何かやりたいことあるのかって聞いただろ」
杏子「アタシな。お菓子を作る人になりたいんだ。ケーキ職人に」
ゆま「そうなの……?」
杏子「ああ、ごめんな。やりたいことが見つかったんだよ。」
杏子「だからって、お前をほっぽってどっか行ったりしないから安心してくれ」
ゆま「うん!」
私は勝手だ。
自分はゆまに夢を語られたらどうしようと思っていた。
「花屋になりたい」「先生になりたい」そんな夢が、あったかもしれない。
きっと困った顔をして、笑うことしかできなかったと思う。
そんな私が、菓子作りをしたいってんだから笑ってしまう。
ゆま。
あんたはもう気づいているのか?
私たちが長く生きられないことを。
希望を抱くことのはかなさを。
――私は見つけてしまった。
願ってしまった。
あの人たちのようになりたい。
ケーキを作ってたくさんの人を幸せにしたいと。
たとえ一週間後に燃え尽きることがあろうと、諦めないで目指してみようと。
ゆま「ちょっと待ってて……」
杏子「おい、どこに行くんだ?」
ゆまは突然かけ出して、二階へと登っていった。
すぐに、何かを抱えて戻ってくる。
ゆま「これ、あげる」
それを手にとって広げてみる。
杏子「これ、調理服じゃないか? 帽子まで……」
ゆま「へたくそでごめんね」
照れくさそうに笑うゆま。
杏子「あんた……どうしてこんなもの?」
ゆま「おばさんに教えてもらったんだよ」
そうじゃない、そんなことじゃない。
杏子「なんで、ピンポイントでこんなものが出てくるんだよ」
ゆま「……キョーコにはこれがひつようだとおもったから」
必要って……お前。
ゆま「あのね……すごくたのしそうだったの」
ゆま「ケーキやいてるときのキョーコのかおとか、おねえちゃんたちにケーキをたべてもらってるときとか」
ゆま「キョーコがしあわせそうだったから」
思わずウルッときた。
ゆまの前だから、堪えるけどそれはいつまで持つだろうか。
ゆまは、本当にわたしのことをよく見ているんだなぁと。
ゆま「もらってくれる?」
杏子「当たり前だろ? ありがとう、ゆま」
涙を堪えながら、ゆまの頭を撫でてやった。
ゆま「よかった、むだにならなくて」
杏子「……」
私はオッサンが以前あることを言っていたのを思い出した。
ゆまが裁縫していることを、私に口止めしてくれと頼まれたことを。
杏子「なあ、お前、衣装を作る人になりたいんじゃないのか」
ゆま「えっ?」
もしかして、こいつはずっと前から「やりたいこと」が決まっていたんじゃないのか?
それをわたしに話すと、困らせてしまうと分かっていたから……。
杏子「オッサンらにわざわざ口止めしてたんだろ、衣装を作ってるって」
杏子「あれ、わたしが反対すると思ってたからじゃないのか?」
ゆま「えっと……そ、そうじゃなくてね……」
その目を見て分かってしまった。
ああ……
私はこいつの夢を摘もうとしていたのだと。
杏子「ごめんな……」
ゆまを抱きしめた。
すると、私の髪を撫でるように触れてきた。
ゆま「キョーコはわるくないよ」
ゆま「ゆまはね……キョーコをおいてくのも、おいていかれるのもこわいの」
ゆま「なにかになるなら、やりたいことがみつかったなら、それはキョーコと同じときがよかったの」
ゆま「キョーコはそんなのあまいっておこるかもしれないけど」
ゆま「ゆまひとりのゆめがかなっても、それはたぶんうれしくないの」
ゆま「キョーコといっしょがいいの」
そうだったんだ。
ゆまは、ずっと待っててくれたんだ。
――私が夢を持つのを。ずっと。
情けなくて笑ってしまう。
私よりも何倍もこの子の方が強いのだから。
ゆまは知っていたんだ。
魔法少女が夢を持つ意味も、未来を信じる意味も。
私はそんなものに価値があるなんて信じられなかった。
それなのに、この小さなガキは、それさえも受け止めて、私を待っててくれた。
杏子「ちょっと、着替えてくるな」
ゆま「うん!」
さて、開店まであと4時間か。
なんだか、今ならすごいケーキが作れそうな気がする。
よし!いっちょ頑張るか。
~8時~
杏子「まあ、ダメだよな」
ゆま「ええ~!おいしいよ、キョーコ。おみせあけようよ」
杏子「いや。店に並べるわけにはいかんだろ、こんなもの」
ゆま「でも、これかわいいよ!」
チョコチップや、ビスケットなんかを加工して犬や猫の細工を作ったり
まあ……ゆまが喜びそうなものを作ってみようとしたら、こうなってしまったのだ。
そこら中にファンシーなケーキが転がっている。
後は、最後にむこうで立ち寄ったケーキ屋が頭に残ってたせいだろう。
……恥ずかしい。これ、アタシが作ったのかよ。
叔母「私もいいと思うわよ。こんな可愛らしいケーキ、あの人も作れないわ」
そりゃそうだろう。オッサンが、こんなケーキ作ってたら不気味過ぎるわ。
杏子「店の棚に、こんなふざけたもの並べられないです……」
もし見つかったら、げんこつだけじゃ済まないだろう。
叔母「なるほど、杏子ちゃんは店の棚に並ぶのが嫌なのね」
叔母さんは、うふふと笑って小気味よく笑っていた。
なんだか嫌な予感がする。
予想通りリヤカーに私のケーキが積まれていた。
杏子「いや、そういう問題じゃ。だいたいこれも、オッサンのケーキとして販売してるわけで、不味かったら店の評判が」
叔母「あらあら、これだけ作っておいて、捨てるなんて勿体無いじゃない」
叔母「それに、売ってきてもらわないと、お店としても困るのよ」
……たしかに。材料費だってタダじゃない。
私たちだってこのままじゃ食いっぱぐれることになる。
そうならないために、私は私の仕事をしなくてはいけない。
杏子「わかりました。気はすすみませんが行って来ます」
叔母「よかったわ」
杏子「しかも、一人かよ……」
仕方ない。日中からゆまを表立って働かせるわけにはいかないのだ。
格好はいつもと変わらないが、この荷物の中には私の黒歴史創作物が眠っている。
それを売り歩かないといけないと思うとどうしても気が重たかった。
――てか、この時間に動きまわって売れるのか?
まだ朝の9時だぞ。
まあ、店の棚にこれを並べるよりはマシか。
とりあえず、いつも通っている団地のスーパーの辺りは避けよう。
店の味が急に変わったと思われ、今までの客を失ってしまうかもしれない。
オッサンのケーキと比較されるのも怖い。
近所のおばさん「あら、杏子ちゃん。今日はずいぶんと早い時間からいくのね」
杏子「そうなんすよ。どこ回っていいかわかんなくて」
ガキ「ねーちゃ、ケーキ、ケーキ」
おばさんの肩から手が伸びる。
おばさん「こらこら。ふふ、ごめんなさいね」
杏子「ところでこれから婦人会の集まりに公民館まで行くの」
杏子「そうですか」
おばさん「杏子ちゃんさえよければ、一緒に来ない?多分、みんなケーキ買ってくれるわよ」
杏子「ほんとに? でもいいんですか? ……このケーキあたしが作ったから、美味くない……」
おばさん「そんなことないでしょ、あの美樹さんに教わったんだもの」
オッサンのケーキ屋が開いていないことが近所ではちょっとした噂になっていた。
当然だ。あの七つの心臓を持つと謳われる「オッサン」が倒れたというのだから。
にしても私がケーキを焼いていることに驚いてないみたいだけど。
公民館に連れて来られ、私はメイド姿でケーキを何個か中へ運んだ。
……うわ……こんなところで商売していいのかよ?
見つかったら絶対怒られるだろ、これ。
一室に入ると、円卓が数席、それを数十人のおばちゃんたちが囲み
後ろのほうで小さながきんちょどもが戯れていた。
メイド服姿の私を見て、なになに?と私を見つめる人もいれば、
あれが噂の杏子ちゃんよ、と得意げに説明してくれるおばちゃんもいる。
恥ずかしい……。
例のおばさんが、この子がケーキ焼いてきてくれたのと紹介してくれると、口々にいろんな声が聞こえてきた。
「あらあら、今日のお茶会は豪盛ね」
「あの子たしか美樹さんところのバイトさんよね」
「あそこのお店って今休業中じゃなかったっけ?」
「どんなケーキがいただけるのかしらね」
私はどうしていいかわからないでいると、
おばさんにケーキを切り分けてもらっていいかしら? と言われて、
道具袋から小皿とナイフを取り出した。
これをあけなきゃいけないのか……。
白い箱を持ってゴクリの唾をのんだ。
視線が注がれているのがわかる。
嫌だなぁ。
できればこっそり川にでも捨てて処分したかったのに、こんな大勢の衆目にさられることになろうとは。
蓋をあけると、チョコチップで形作られたクマのチョコケーキが姿を現した。
「クマさんら~」
部屋の隅にいたガキの何人かがこちらに向かってやって来た。
ケーキに向かって手を伸ばしている。
おかげでおばちゃんたちの視線はそっちに向いたようだ。
わたしはほっとして、ケーキの上にあったクマを数匹、ガキたちに差し出した。
杏子「くうかい?」
それをきゃっきゃと喜びながら受け取り、眺める子供たち。
さらに、後ろにいた仲間に見せびらかしにいく。
ガキ「くまさんれ~す」
おい、こらやめろ!
食うならさっさと食え!
ケーキを切り分けながら、ついつい恥ずかしい創作物が気になってしまうのだった。
おばさんたちにドキドキしながらケーキの乗った皿とフォークを配っていく。
「このケーキあなたが作ったの?」
杏子「え…あ、…はい。すいません」
「あら可愛い」
杏子「変なケーキですいません」
「ここのケーキ本当美味しいんだから」
杏子「すいません、今日のはアタシが作ったんでそんなに美味くないと思います」
私はただ頭を下げることしかできなかった。
誰に対して謝っているか、わからないが、謝る相手がいるとするのなら、オッサンだった。
本当はもっと美味いケーキが出せるのに。オッサンのケーキはこんなものじゃない。
だけど申し訳ない気持ちの裏に期待もあった。
この人達は、私のお客さんの第1号なんだ。
叩かれてもいい。
少しでも美味しいと喜んでくれる人がいれば、上出来だ。
私はみんなの表情を注意深く眺めた。
おばさんたちはそれを口の中に運び、口を緩ませる。
皆、美味しいと笑ってくれていた。
――まだまだ…か。
私はこうべを垂らし、やはり落胆してしまった。
本当に美味しいものを食べた時の反応とは違う。
眼の色を変えて、顔を見合わせたりするものだ。
仕方ない。
レシピも自分で作ったもんだ。
明らかに嫌な顔をされなかっただけでもいいじゃないか。
それを素直によろこべばいいじゃないか。
「ねえ、このケーキどこで買えるのかしら?」
杏子「え?」
おばちゃんの一人が立ち上がり、私に聞いてきた。
おばさん「まだちっちゃくて親戚の子が明日来るのよ。だから、このケーキを食べさせてあげたくて」
杏子「本当ですか?」
おばさん「ええ。こんな可愛らしいケーキ初めてみたわ。本当にあなたが作ったの?」
杏子「はい!ありがとうございます」
私は滅多に下げない頭を下げていた。
目を覆いたくなるような小細工を好きだと言われ気持ちは複雑だったけれども
ケーキを買いたいと言われればそんなの気にならない。
ありがとう、おばちゃん。
近所のおばさん「それで杏子ちゃん、どうすればいい?」
杏子「え?」
近所のおばさん「お代はいくらなのかしら?」
しまった……全く考えてなかった。
いくらなんでも私のケーキがオッサンと同じ値段だったらマズイよな。
でも、材料費とか店の儲けも取らなきゃいけないし。
杏子「えっと……これぐらいもらってもいいですか?」
近所のおばさん「え?いくらなんでもそれはサービスしすぎじゃないかしら」
杏子「でも、これ以上もらうと……」
近所のおばさん「値段が決まってないならもらっておきなさい。どうせ会費で落とすのだから、みんな気にしないわよ」
おいおい、いいのかそんなんで?
公民館から出ると、子供だちが手を振ってくれた。
また来てねといわれてしまったぞ。
流石に毎回こんなところで商売するのは気がひけるんだが。
何にしても――売れた。
私のケーキが売れたんだ。
杏子「意外とあっけないもんだな……」
あれよあれよという間に売れてしまったが、良かったんだろうか。
決して不味くはないと思うけれど、オッサンのケーキとは程遠い。
何処に出しても恥ずかしくないケーキを目指さなくては。
喜んでいる暇があるなら、修行しなきゃな。
夕刻になってその日のケーキをなんとか売り上げることができた。
しかし寒い…。
もうすぐ12月だし、仕方ないか。
そう言えば最近『あいつ』に会ってないな……。
例の坊やとはよろしくやっているんだろうか。
同級生に取られそうになっているって言っていたけど、あの件は片付いたのか?
アタシがクビを突っ込むことじゃないが、なんていうか……。
――気になる。
でも恋愛ごとなんて私のガラじゃないし、実は相談に乗ってやれることなんて何もないんだよな。
ああ……でも…
さやかはまた、うじゃうじゃ悩んでいるだけかも知れない。
あるいは友人に先を越されて、お通夜状態になっているかも知れない。
最近姿を見かけないが、もしかて家で寝込んでるんじゃないだろうな。
いつもひょっこり顔をだすだけに……気になる。
杏子「まったく、しょうがねえな、さや――」
しょうがないから、あいつの家に遊びにいってやるか、と私が僅かににやけながら前を向いた。
そこでわたしは固まってしまった。
杏子「さや……か?」
二人で楽しそうに歩く、さやかとひ弱そうな少年の姿があったのだ。
あいつが、上条なんたら――。
さやかが好きな奴。
そっか……。上手くいってたんだな。
杏子「ったく、それならそうと一言報告ぐらいしろっての」
よかったな。よかったな、さやか。
おかしい。
理屈でも本心でもそう思っているはずなのに。
――全く祝福する気になれない。
それどころか、前を向くこと……息をすることさえ苦しい。
わからない。
私は私がわからない。
一体どうしてしまったというのだろう。
苦しくて、胸が痛くて……。
何かに置いていかれてしまったような、寂しい気持ち込み上げてくるのだ。
――ザッ
空間が歪むと、身の竦むような不吉なものが見えた。
けたたましいほどの嘲笑を上げる小さな怪物たち。
刺々しいほど耳に響く弦の音。
目にもとまらぬ速さで、あちこちを駆け巡る車輪。
そして禍々しい邪気を放つ、半魚の怪物。
あれは――なんだ?
「やめて、こんなことさやかちゃんだってしたくなかったはずだよ」
その声を追うと、見たことのない女の子が、怪物に向かって呼びかけているのだ。
悲痛な叫びを上げる彼女は、なんと言っただろう?
さやか?
――まさかあの怪物が私の知っている美樹さやかだというのか?
高速の車輪のひとつが、彼女をめがけて飛んでいく。
杏子「危な――」
そこへ、赤い槍を持った魔法少女が車輪を受け流すべく立ちはだかった。
――あれは、あたし?
どうなってやがる。
そう思いながら様子を見ると自分の身体が透けているのがわかった。
杏子「もしかして、あいつらにはわたしの姿が見えてないのか」
私の格好をした魔法少女は、ただ攻撃を一方的に受けるだけで、一向に反撃しようとしない。
その理由は想像するに容易かった。
あのばけものが、さやかだとしたら――。
そんな莫迦なことが。
この夢はなんだ?
私は一体何をみてるってんだ?
徐々に空間が収縮していき、現実のさやかと上条なんたらのつなぐ手を中心に消えてしまった。
鈴の音のようなさやかの笑い声が耳に入り、現実に戻ってきたのだと実感した。
――終わったのか?
今のはなんなんだろう。
いや、あの禍々しさはまだ現実に残されたままだ。
あのふたりの中心に……。
さやかは気づいてないのか?
あの二人の中心に今もなお……。
みた限り、さやかも、あの少年もそれぞれ別個に見れば何も感じない。
でも、二人が一緒だから。二人が揃うから何か嫌なものを感じるのだ。
胸がちくちくする感じではない。
もっと不吉な――。
私はそれをどうしても伝えたくて、堪らず声をあげてしまった。
杏子「おい!」
さやか「杏子? 杏子じゃん、久しぶり!」
さやかが笑顔になって、こっちにやってくる。
一方的に注意しようと思ったのに、思わず面をくらってしまった。
汚れも、不吉さも何もない。いつものさやかがそこにはいた。
杏子「さ、さやか……」
さやか「アメリカ行ってたんでしょ? どうだった? お土産は?」
手を握って喜びを伝えてくるさやか。
恭介「やあ、きみが佐倉さんかい?」
上条なんたらが、こちらにやってきてさやかと同じくニコッと笑顔を浮かべる。
居心地の悪さがして、左足が思わず後ろへと動いてしまうのだった。
さやか「杏子?」
杏子「お、おう……元気そうでよかったよ。そっちのやつは例の……」
さやか「うん。杏子にもちゃんと紹介するつもりだったんだけどね。なにせ叔父さんと海外へ行っちゃったって言うから」
杏子「そうかい……」
いや、そんなことが言いたいんじゃない。
私はお前に忠告しなくてはいけない。
そいつと、お前は一緒にいてはいけない。
二人が並ぶと、禍々しいものが見える。
あの白昼夢は、以前にも増して、現実味を増し、見えなかったものまでが見えるようになった。
徐々に悍ましさが顕実になって……。
それは、夢が現実に変わるのではないかという、妄想をいだかせるに足るものだった。
もし、さやかがあんな姿になってしまったら――。
そんな馬鹿な妄想にとりつかれている私は阿呆だと思ったが、さやかが、さやかが……。
杏子「さやか……あのな……」
上条とやらが、さらに近づいてきて、二人の傍にまた何か薄暗いものが見えた。
あれは、いずれ二人を。さやかを飲み込むんじゃないのか?
さやか「杏子? どうしたの?」
何も知らずに無邪気にこちらを見ているさやか。
私を見つめる目は、優しく心配する乙女のものだ。
――言えるワケがない。
私の勝手な妄想で、こいつの幸せをぶちこわす権利があるのか?
さやかは、未来を投げ出してこの坊ちゃんに全てを賭けたんだぞ?
それをこの手で摘み取ることができるか。
さやかの笑顔を、私が……。
杏子「悪いな、姿が見えたからつい声をかけちまった」
杏子「またいつでも会えるんだからさ、そのときにみやげ話でもしてやるよ」
さやか「あ……杏子っ!?」
踵を返し、わたしはその場を立ち去った。
杏子「くそ……くそっ!!」
私は何やってんだ。
自分の妄想に踊らされ、正体不明の胸の痛みに震え、友達の恋路を邪魔しようとしたりして……。
祝福の言葉ひとつ伝えられなかった。
おめでとう、おめでどう。さやか。
お前はちゃんと伝えることができたんだな。
本当によかった。
あいつが幸せになって、私も嬉しい。
嬉しい――。
嬉しい……?
私は、人の幸せが、どうして素直に喜べないんだろう?
そんなに心の狭い人間だったっけ?
自分がわからなくて……。
二人の笑顔を見ていると胸が詰まるだけで……。
杏子「ただいま」
叔母「あら、随分と遅かったのね?」
杏子「ええ、まあ。そのかわり全部売って来ましたよ」
叔母「あら、本当! 実はさっき近所の奥さんから聞いたんだけど、公民館まで行ったんだって?」
今は何気ない会話がありがたかった。
何もしていないと、またあいつらのことが浮かんでしまう。
叔母「少し休んだら? 大分疲れてるみたいだけど…… 」
杏子「でもアタシ、ケーキ作りの練習しなきゃ――」
そのとき、足元がおぼつかなくなって、ふらふらとしていると急に意識が遠くなった。
――さやか。
~???~
白。
あたり一面何もない、真っ白な雪野原がどこまでも広がっていた。
そんな中に私一人だけがぽつんといて。
ここはどこだ?
なんだかとても寂しい場所な気がする。
動くものが何一つなくて、無音の世界。その中で頭の中に直接呼びかける声が聴こえた。
「杏子ちゃん」
杏子「誰だっ!?」
このところ不思議な世界の姿を見ることが多くなっていた。
さやかに関わるたびに……。
その時の波動に似たものをこの世界からも感じた。
杏子「あんた、あんたなのか? アンタが私に変な幻を見せたのか?」
「そう、杏子ちゃんは幻術が使える魔法少女だから……わたしの意志でも繋がることができたの」
不思議な声。
正体が不明なのに、どこか温かくて、懐かしい響きがした。
杏子「てめぇは誰だ!? なんでアタシにあんなものを見せた?」
「それは、杏子ちゃんも気づいてるんじゃないの?」
「このままだとさやかちゃんは……」
杏子「さやか! さやかがどうなるってんだ!?」
「ねぇ杏子ちゃん。杏子ちゃんは、自分が『希望と絶望のバランスは差し引きゼロ』だって言ったの覚えてる?」
何の話だ?
第一そんなこと私には言った覚え――。
いや。
私は確かに伝えた気がする。その言葉を、誰かに。
一体いつどこでそんなことを……。
「このままだとさやかちゃんは釣り合いの取れない幸せを手に入れてしまう」
「奇跡の力で、上条くんの手を治して、その力で上条君と幸せになろうとしてる」
杏子「それがなんだってんだ! 全部自分の力で全ていれたもんだろ!幸せも、奇跡も、全部自分の力で」
「そう。全てはさやかちゃんが決めたこと。でも、それだけでは終わらないの」
「奇跡の対価は、どこかでしわ寄せが来ることがあるんだ。杏子ちゃんがそうだったように……」
脳裏に、三人の死体の姿がよぎった。
父さん、母さん、モモ……。みんな死んでしまった。
幸せだと感じた偽りの時間。それと引換に、私は全てを失った。
杏子「あいつは、代償として高すぎるものを既に支払ってんだろ?自分の命を。それじゃ釣り合いが取れないってのかよ?」
「……」
それじゃ、あいつは何のために、魔法少女になったって言うんだ!
杏子「ふざけんな……ふざけんじゃねえ!!」
「そうだね……。でもね、これを見て欲しいんだ」
白い空間の中から突然球体のようなでかいものが現れ、映像が映し出された。
血塗れの少年の姿が、そこにはあった。
なんだこれは……
すぐ隣には、さやかの姿が。泣き崩れて「恭介」と呼びかけるさやかの姿が見える。
さやか「ごめんね、恭介。あたしが手なんて治さなければ。ずっと病院にいれば車に轢かれることなんてなかったのに」
さやかは坊やの手を握り締めて、呼びかけ続ける。
――これが、二人の未来だというのか?
未来も、希望も、一人の男の為に捧げたさやかが迎える結末が、こんなものだと?
涙を浮かべるさやかの影には、一人の少女が見えた。
あれは私?
何を言っていいのか?どんな言葉をかければいいのかいいのかわからずに、あたふたとするだけで……
無力な、私の姿が見える。
何も言えない私に向かって口を開くさやか。
さやか「アンタ言ってたよね。人の為に奇跡を望んでもろくなことにならない。馬鹿がやることだって」
杏子「……」
さやか「奇跡ってさ……魔法ってさ……夢を叶える為にあるんじゃないの?」
さやか「どんな願いでも、希望を持ってれば必ず叶うって……私たちはそれを信じて魔法少女になったのに」
さやか「許されないのかな。わたしたちが幸せになること。許されないのかな?」
杏子「おい、お前!」
さやかのソウルジェムが黒く濁っていくのが見えた。
その不吉な色をしたソウルジェムは、どこかへ消えて失くなってしまった。
同時にさやかもいなくなってしまい、私だけが残され――声にならない叫びを上げる。
そこで球体の映像は途切れてしまった。
杏子「こんなものが……未来だっていうのか?」
「まだ決まってないよ。さやかちゃんはまだ救うことができる。杏子ちゃんなら助けられるの」
杏子「救う? 冗談じゃない! あの坊やと引き離すのがアタシの役目だってのか!」
「やっぱり嫌かな?」
杏子「たりめぇだっ! そんなのさやかが報われないじゃないか!?」
あいつが何の為に魔法少女になったと。
「そうとは限らないよ。杏子ちゃん……」
杏子「……どういうことだ?」
「ふふふ。もっとさやかちゃんのこと信じてあげなよ」
「杏子ちゃんは、さやかちゃんの優しいところが好きになったんじゃないのかな?」
言っている意味がわからない。
「それじゃあ、もうわたしは行くね……」
杏子「おい、待てよ!」
「どうかお願い。私の大事なお友達を守ってあげてね」
杏子「待て、お前はいったい……」
~パン屋~
西日が沈む頃に、私は目を覚ました。
なんだったんだ……今のは。
叔母さんの声が聞こえ、すぐに夕食になったが、ご飯ニ杯しか食べられなかった。
叔母「もういいの? やっぱり体調が優れないのかしら?」
杏子「そんなことないです。ちょっと出かけて来ます。朝になったらまた来るんで」
ゆま「ゆまも行く!」
杏子「お前は片付け手伝ったら、先に家に戻ってろ」
ゆま「……うん」
――さやか。アタシはお前を。
夜の町に出かけ、私はあてもなく彷徨った。
くそ!いったいどうしろってんだよ……。
さやかにあの坊ちゃんと別れろなんて言い聞かせて、ホイホイ聞き入れてくれるとは思えない。
第一それじゃ、アタシが悪者じゃないか。
これでも人に好きで恨みを買うのは好きじゃないんだぞ。
てめぇの友達なら、てめぇでなんとかしてやれってんだ。
しかし、誰なんだあいつは。
どうやって「別れろ」って切り出そう。
このままじゃ、あいつ自身が參っちまうんだよな。
でも他人の恋愛事に興味なんてないアタシが、
人の恋路に口出しするなんておこがましいんだ。
ならいっそのことあの上条って奴を八つ裂きにしてやるか。
なんかすかっとしそうだな。
――でもそんなことしたら、さやかに二度と顔が合わせられないよな。
さやか……。
何でアタシはこんな想いをしなきゃいけないんだ。
他人の為に思い悩んだりするなんて、わたしはそんな阿呆だったか?
自分本位に生きていればこんなことはなかったのに。
人懐っこく、私を抱きしめてくれる温もりが消えてしまう。
見ず知らずのわたしに手を差し伸べてくれた馬鹿正直な優しさが。
男勝りな気の強さの中に隠れた、女の子らしい可愛らしさが。
全てを放り出しても、勇気出せず告白のできないいじらしさが。
杏子「うう……ぁああああ」
義理で泣いてやれるほど、わたしは人情に熱かったのか?
これは単にオッサンのお人好しが伝染してしまったせいなのか。
辛い。どうしてこれほどまでに胸が痛むんだ。
――私は、失いたくない。
もう二度とあの笑顔を見ることができなくなってしまうなんて嫌だ。
「杏子? 杏子じゃない?」
杏子「さやか……?」
さやか「どうしたの、こんなところで?」
お前こそ、一人でこんなところで何をしてんだよ。あの坊ちゃんはどうした?
さやか「泣いてるの?」
さやかが私の腕を取ると、反射的に背を向けてしまった。
杏子「……」
こんな格好悪いところを見られたくなかった。
全部、お前のせいで――。お前のせいで。
怒りを剥き出しにしたいのに、
私には震えるだけで言葉が見つからない。
どんな卑怯な手を使ってでも、私はこいつを止めなくてはいけない。
唇を噛み締めながら、その手にはめているものを奪い取った。
それは、さやかの魂。ソウルジェムだ。
さやか「杏子?アンタいったい?」
杏子「うるさい!いいからアタシの言うことを聞け!!」
さやか「…………」
さやか「何があったの?」
杏子「答えない。いいか、これが無ければお前は魔法を使うことができない。返して欲しければ、アタシの言うとおりにしろ」
さやか「杏子……どうしちゃったの?」
もっとさやかは驚くかと思いきや、それどころか私の身を案じるような素振りをしている。
こんな状況になってもこいつは……。
さやかのソウルジェムを奪った。
これでさやかに命じればいい。上条と別れてこいと。
その一言で全てが解決するかはわからないが、私の言うことを聞かせる。
いざとなれば、上条を人質にとってでも。
杏子「お前には上条とわか――」
「そこまでよ!」
黄色いリボンが私の手元に伸び、青い宝石をしっかりと掴み取っていく。
その方向を見つめる。
決して穏やかとは言えない表情をしたマミがいたのだ。
なんでお前がこんなところに?
わたしは一旦さやかを開放し、マミから間合いをとった。
マミは私から奪い取ったソウルジェムをさやかに向かって投げる。
マミ「あなたがこの街の新しい魔法少女ね。私は巴マミ。よろしくね」
さやか「ど、どうも……美樹さやかです」
さやかは呆気に取られ、どうしていいかわからないという顔をしていた。
マミ「これは一体どういうことかしら、佐倉さん?」
マミ「あなた他の魔法少女に手を出したりするなんて、何が目当てなの?」
状況は最悪だった。
一歩間違えれば、マミに攻撃されかねない。
ヘタすればさやかにまでやられる。
でも、ここで出直すわけにはいかない。
上条となんとしても別れさせなければいけないから。そうしなければさやかは……。
まずはマミをどうにかしなくては。
マミ「なんとか言ったらどうなの?」
さやか「杏子……」
さやかの顔を見つめると、心配そうに私を見ていた。
……一ついい方法を思いついたぞ。
これをやるのか?
やるしかないのか?
杏子「おいおい、随分と野暮ったいことをしてくれるじゃないか?」
マミ「野暮?」
杏子「何が目的かって? そんなん見りゃ分かるだろ」
ふんぞり返って、さやかを指さしながら言い張ってやった。
杏子「こいつの身体だ」
マミ「からだ?」
さやか「!?」
杏子「ソウルジェムを奪ったのはそういう嗜好があるからだ。興奮するだろ、無理矢理犯すのって。アンタには理解できないかもしれないけどな」
マミ「えっと……つまり……二人はそういうことを――」
マミは一歩、二歩と後退り、顔を真赤にしながらながら私たちを見つめている。
予想通り効果はばつぐんのようだ。
こいつはエロいことにはまるで耐性がない。
よくみると、さやかまで赤面してやがる。
私はというと……真冬だというのに嫌な汗が出てきた。
ああ……死にたい。なんか言ってて死にたくなってきたぞ。
マミ「そ、そういうことは家でやりなさいよ」
杏子「外でやるから意味があんだよ! なんならお前がこいつの代わりに付き合ってくれるのか?」
半ばやけくそになって、再びさやかに近寄って顎を撫でるように触れた。
マミは泣きそうな目をしながら「ごめんなさい」と言いながら去っていった。
さやか「あ、あの……」
今夜はとても大事なものを失くした気がする。
さやか「杏子、アンタ……」
すぐそこにうろたえるさやかの顔があって、思わず顔を覆いたくなった。
顔に熱が一気に集まってきて、かぁっとゆでダコのように真っ赤に沸騰してしまったようだ。
マミをけむに蒔くためためとは言え、とんでもないことを言ってしまった。
杏子「この阿呆がっ!」
頭に血が上り、ポカポカとさやかを殴りつけた。
さやか「ええ~?」
息を整えて一旦落ち着くと、さやかは本題について訪ねてきた。
さやか「えっと……、どうしてアンタはわたしに脅迫したのかな?」
さやか「何がしたかったの?まさか本当に襲う気じゃなかったんでしょ?」
杏子「当たり前だろ! 誰がんなことするかっ!」
さやか「だよね~。 でもさ、あんなことしなくてもアンタの頼みなら多分断んないよ、わたし。 なんでも言ってよ」
お前は少しは怒れよ。まがいなりにも脅迫しようとしてたんだから。
さやか「あ、もしかしてアメリカ行ったから、お金がないとか? 少しだけなら貸してあげるよ」
杏子「……阿呆」
やっぱり言わなきゃいけないのか?
引き裂かなければいけないのか?
さやかの背中に手を回した。
初めてわたしの方から、さやかに身体を預けたのだ。
心が折れてしまいそうだった。
さやか「きょう……こ?」
杏子「――っ」
こいつの未来は……もう真っ黒なのか?
そんなのおかしいだろ。
私は魔法少女だからとか、そんなのを理由に諦めないことにした。
もう迷わずに自分の『夢』を目指すことにした。
それをさやかにも諦めないで欲しかった。
めげずに追って、幸せを掴んで欲しいと。
今さやかはやっとそれを掴んだというのに。
――わたしのせいだ。
私なんかと出会わなければ、魔法少女になることもなかった。
あの上条とかという坊やと結ばれる未来が、あったかもしれない。
それを私が壊してしまったんだ。
摘み取ってしまったんだ。
杏子「さやか……」
さやか「うん。何? 聞いてあげるよ」
杏子「もしも、アタシが本当にここで、アンタを犯したらどうする?」
杏子「あの坊ちゃんに合わせる顔がないって、別れてくれるか?」
さやか「……?」
杏子「キスしていいか?」
さやかの顔を見上げると、「えっ」と驚いた顔が見えた。
多分私が、涙を浮かべていたからだと思う。
さやかの手を握って身体を引き寄せた。
虚をつかれ抵抗する術を持たない、さやかの唇を、私は奪った。
――ああ、最低だ。
目をぎゅっと閉じる。
さやかの怒りで歪んだ顔を見るのが怖かったから。
バシン!
予想通り、平手打ちが飛んできて、闇夜の路地に高い音が響き渡った。
痛い。
涙がでるほどに痛かった。
私は再びさやかのことを抱きしめた。
このまま押し倒して、好き放題暴れればいいのだろう。
服を脱がせ、泣きわめくこいつのことを、力のままに弄ってやれば。
――こいつの心を壊すことができるだろうか。
何もかも終わりだ。
私はこの手で一番大事なものを汚してしまった。
私のことを信じてくれ、久しぶりに『友達』と呼んでくれた子を壊してしまった。
身寄りもない私に親切にしてくれた、あの人達の家族を。
さやかを押し倒そうと、更に力を加えようとしたときだった。
さやか「恭介――」
涙を流しながら肩を震わせてさやかがいた。
右手の動きが止まってしまった……。
こんなときに迷うな……。早く済ませてしまえ。
このままじゃ、さやかは破滅してしまう。
消えちまうんだぞ?
誰かがそれを止めなければいけないんだ。
そしてそれが出来るのは私しかいないんだ。
けど、わたしは結局その手を放り出してしまった。
これ以上、さやかを貶めることがどうしても出来なかった。
おしまいだ。
ふらふらとしながら、その場を立ち去る。
――頭が変になりそうだ。
もうこれ以上、さやかを苦しめないでやってくれ。
誰が弄んでるか知らないが、こいつだけは見逃してやってほしい。
わたしはどうなってもいいから。
こいつの代わりに、夢も未来も、全て差し出してやるから。
だから……頼むよ。
おぼつかない足取りで、ゆらゆらと歩く。
――あいつはどうなるんだろう。
しばらくは上条の奴とよろしくやってくれるか。
今日のことを引きずったとしても、さやかの気持ちは変わらないだろう。
ごめんな。さやか。怖い思いをさせてしまって。
お前を助けることもできなければ、ただ徒に唇を奪ってしまった。
坊ちゃんともまだしてないのかもしれない。本当にごめん。
謝っても許されないことはわかってるけど。――ごめん。
私は自分の黒々とした魂のかたまりを見つめた。
杏子「ああ。良い感じで濁ってきたなぁ――」
アタシはもういなくなるから。
先にお前のこと待ってるから。
もし、魔法少女が導かれるという世界の果てとやらに来た時には、好きなだけ殴ってくれ。
オッサン……。おばさん。それからゆま……。
あんたたちに出会わなければ、私は人に笑顔を向けられる喜びを知らないで終わってただろう。
ただ好き勝手に生きて、自分のやりたいように時を過ごして。
たとえそうなったとしてもそれが間違いだったとは思わない。
だって、あたしは魔法少女だ。
魔法少女の佐倉杏子なんだ。
結局人と関わって、身の丈に合わないことをしたばかりに、散ってしまうのだ。
必要以上に、人に入れ込んでしまったから……。
でも……。
おかげで散り際に「今までありがとう」と言えることができた。
こんな私でも、優しくしてくれる人がいるんだなと。
安らかな気持ちで。
――さあ、わたしを導いてくれ。
どこからか、透き通るような懐かしい声が聴こえた。
――まだだよ。
その時だ。
急に身体が後ろへと引かれるような気がしたかと思うと、右手の塊の鈍かった光が、純真な輝きを取り戻していく。
「行かないで……杏子」
現実の重みに私の意識を支配されたかと思うと、背中にあの火が灯るような温もりを感じたのだ。
私の大好きな――そう、こうやって抱きしめられるのが、私は大好きだった。
さやか?
さやか「お願い――そばにいて、杏子」
気がつくと私はさやかに後ろから抱きしめられていた。
杏子「…………」
なんで。なんで、追っかけて来た?
私はお前の意志を無視して、犯そうとしたんだぞ?
杏子「わかんねえよ――さやか」
杏子「お前はただ上条が好きなんだろ? アタシは無理やりあんたを……」
さやか「好きだよ……大好きだよ――私は恭介のことが大好き」
さやか「でも、アタシ、ふられちゃったから……」
さやか「仁美に恭介を取られちゃったからっ!」
なんだと!?
私はさやかの肩に手を置いて揺さぶった。
杏子「どういうことだ、おいっ! 坊ちゃんとよろしくやってんじゃねぇのかよ」
さやか「もしかして今日の見て勘違いしたの? 違う。あれは恭介に仁美を泣かせないようにって忠告して」
じゃあ、あの夢みたいなのは……お告げみたいなのはなんだったんだ?
全て私の一人相撲だったってことか?
そんな馬鹿な。
杏子「と、とにかく阿呆か!なんでだてめぇはそうなんだよ! 敵に塩送ってどうすんだこの馬鹿野郎」
さやか「それ、そっくりそのまま返すよ……」
杏子「は?」
伏し目がちに、赤くなってこちらを見つめてくる。
さやか「アンタ、あたしのこと好き……なんでしょ?恭介とくっつくの止めようとしたんじゃ……」
さやかがそんな顔をしていたので、私も恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
杏子「バカ言え、だれがお前みたいな馬鹿を……」
さやか「ふふ。素直じゃないんだね。アタシと一緒だ」
さやかは肩を寄せてきた。
さやか「でもね、ちゃんと恭介には伝えたんだよ、好きだって」
さやか「そしたらね、やっぱり友達なんだって……わたしたち。そんな風には見れないよって言われちゃった」
杏子「……」
さやか「あんたのおかげだよ、告白までできたの」
杏子「いいのかよ――そんなんで。お前が賭けたものは、たとえ坊やと結ばれてたとしても代えられないぐらいのものなんだぞ」
さやか「そうだね……。わたしもやっぱり、悔しいなって思うよ」
さやか「恭介の隣にいるのがわたしじゃなくて、仁美だってことが」
さやか「もしかしたら、これからそれを妬んだり、恨んだりするのかもしれない。今日は魔法少女になったこと、少し後悔しちゃったから。ダメだね……ホント」
さやか「でもね……やっぱり嬉しいの。恭介に笑顔が戻ったことが。また、バイオリンが弾けるようになったことが」
さやか「あいつがみんなを笑顔にできるのが、わたしのおかげなんだって思うとね、ちょっとだけ自分を褒めてあげられる」
さやか「わたしが願ったおかげで、恭介も、これから恭介の演奏を聴くはずのたくさんの人も元気になったんだって」
私は、ずっと思っていた。さやかが報われないじゃないかと。
魔法少女になったのは、さやか自信が幸せになるためなのだと。
私はさやかがあの坊やとくっつくことだけでしか、さやかが幸せになれないと決めつけていた。
でも、こいつは……。さやかは……。
――もっとさやかちゃんのこと信じてあげなよ。
――杏子ちゃんは、さやかちゃんの優しいところが好きになったんじゃないのかな?
ああ――そうだよ。
不幸も、幸せも全部自分で背負いこんで、向こう見ずな馬鹿が――私は大好きだよ。
やっとわかった。自分の本当の気持ちが。
どうしてさやかを見ていると、胸が痛むのか。
なんでこんなにもやもやした気持ちにならなきゃいけないのか。
坊やと二人で笑う姿を見て、なぜあんなに切ない気持ちになったのか。
杏子「やっぱりお前はあの坊やとよろしくやるべきだと思うよ」
さやか「えへへ?アンタもそう思う?」
結果的に振られてしまったとしても、私には信じられなかった。
こいつと坊やの未来が、全く先行きがないということが。
杏子「まあ、諦めるなよ。チャンスはいくらでもあるって」
さやか「ほぉ。とても人の唇を奪ってまで、止めようとしてた奴のセリフとは思えませんなぁ」
杏子「……」
これ、一生言われ続けるのかもな。
いいさ。それぐらい耐えてやるよ。ひどいことしちまったもんな。
さやか「無理しなくてもいいんだよ。杏子」
杏子「無理って……何をだよ……」
さやか「アンタの気持ち、わかったからさ」
杏子「知らんつぅの!」
少しイジケたような乱暴な返事になってしまった。
自分の気持ちに気づいたのはいいが、それを受け止める勇気が私にはない。
よりによって女に惚れ込んでいたのだから。
杏子「アタシは別に、お前のことなんて……」
さやか「はいはい……」
すると、さやかはなんだか嬉しそうに手を握ってきた。
杏子「なんだよ、この手は?」
さやか「言ったでしょ? 私、今振られて落ち込んでるんだって。少しでも人肌が恋しい気分なんだよ」
杏子「……しょうがねぇな」
また変な汗が出てきた。
たく、今夜は暑すぎだよ。
さやか「ねえ杏子?アメリカの話聞かせてよ」
杏子「いいけど、暑苦しいから引っ付くな」
さやか「もう真冬だよ?」
注意してもさやかは返事もせず、続けてと促してきた。ため息をついて、話を続ける。
杏子「お前、オッサンが昔どういうことしてたか知ってるか?」
さやか「傭兵でしょ。親戚一同じゃ有名だよ」
杏子「ならいいか。アタシはオッサンに行き先も告げられず変な用地に連れてかれたんだ。そこで変な機体に乗せられて密航した」
さやか「あんたパスポートもって無さそうだもんね。多分叔父さんぐらいだよ、あんたをアメリカに連れてけるのって」
杏子「そうだな……」
杏子「……そんな感じで、私はケーキ職人をめざすことにしたんだ」
さやか「ふふふ、そっか。よかった、よかった」
杏子「もっと感動しろよ。いい話だっただろ?」
特にオッサンに夢を告げるところなんてよかったと思うんだけどな。
さやか「いやいや、あんまりうまくことが運んだから、可笑しくって」
杏子「ことが運ぶ?どういうことだよ」
さやか「わたしが杏子に美味しいケーキを食べさせてあげてって頼んだんだよ」
杏子「頼んだ? まさかオッサンに働きかけたのは、さやかなのか?」
さやか「まあね。まさか、アメリカに行くことになるとは思わなかったけど」
杏子「……気に入らないな。お前の手のひらで踊らされてるみたいだぞ」
ていうかこいつは、アタシを職人にしたかったのか?
さやか「杏子が何もしないで諦めてるからだよ!」
にひっと笑ったさやかの小腹を、二、三回どついてやった。
なんだかんだで心配してくれていたんだろう。
小声で聞こえないように「ありがとう」と言った
~???~
眠りにつくと、またあの不思議な空間に吸い込まれてしまった。
「よかったね、杏子ちゃん」
相変わらず声の主は姿を見せない。
杏子「いろいろとお前には聞きたいことがあるんだが」
「うん。わかってるよ……」
杏子「あいつ上条と付き合ってねぇじゃねえか! おかげで大恥かいたぞ、どうしてくれるっ!?てか恥だけじゃすまないことやらかしたんだぞ!」
「ご、ごめんなさい。でもね、仕方なかったの。杏子ちゃんにさやかちゃんを慰めてもらわないといけなかったから……」
「あのままほっといたら、さやかちゃんは……」
杏子「ほっといてもアタシはさやかの話ぐらい聞いてやったぞ。それじゃダメなのかよ」
「お話を聞くだけじゃダメ。さやかちゃんはそれだけじゃ救えなかったから」
杏子「まるで試したことがあるような言い方だな……」
「……」
「あの子は、見た目よりずっと打たれ弱いから。だから、誰かを支えてなきゃいけないの」
「支えられるんじゃなくて、支えてなきゃダメなの!」
まあ世話焼きだしな。それで自我を保ってるところもあるのかもしれない。
杏子「つまるところお前は何がいいたいんだ?」
「誰かを支えてあげなきゃいけないと思えば、そう簡単には崩れないってこと」
杏子「誰かって誰だよ……」
「えへへ、誰だろうね」
アタシはさやかなんていなくったって、やっていけるっつうの。
別に、あいつがいなくったって……。
……。
杏子「もう一つ聞きたいんだが」
「どうぞ」
杏子「本当にさやかは坊やと一緒になる未来はなかったのか?」
杏子「奇跡の釣り合いがどうのって話。あれは、本当なのか?」
「……」
杏子「アタシはまんまとあんたに踊らされたわけだが、実のところよくわかっちゃいない」
杏子「ただ、あいつがこのままじゃダメなんだと思ったから、あんたの言うことを聞いたまでだ」
私にはとても信じられない。さやかの運命が決定づけられているなんて。
「半分ぐらいは本当だよ」
杏子「微妙な回答すんなよ」
「そうだね。ちゃんと答えるとね、奇跡のしわ寄せは確かにあるよ。でもね。それが、どこでどんな形で起こるかなんてわからない。起きる、起きないも人にもよるんだ。その人が持ってる運みたいなのが大きいかな」
「残念だけどさやかちゃんはそれほど運がよくなくて……」
まあ幸薄気ではあるよな。人の為に頑張って損するタイプだ。
「奇跡の対象である上条くんと一緒にいるのは、やっぱり危険だなって」
なるほど。つまり、あのモニターの映像は確定した未来ではないんだな。
杏子「なら、アタシがあそこまでやる必要はやっぱりなかったな」
少しでもさやかが報われる可能性があるのなら、無理に止めることなんてなかったんだ。
杏子「あんたが誰だか知らないが、少々遊びが過ぎるんじゃないか?おかげでこっちはとんだ目に合ったぞ」
「ごめんなさい。でも、さやかちゃんを助けてあげたかったのは本当だよ」
「杏子ちゃんがいてくれなかったら、さやかちゃんは魔法少女になったことを後悔しながら、命を終えてたと思う」
そういえば、あいつも少し後悔してしまったと言ってたっけ。
杏子「なんだか知らないけど、ご苦労なこったな。さやかも随分と過保護な友達を持ってるみたいだな」
「杏子ちゃんともお友達だったんだよ」
杏子「知らねえよ、お前みたいな食えない奴アタシの知り合いにはいないっつぅの」
「…………」
杏子「でもまあ、名前ぐらいは覚えておいてやるよ」
杏子「言ってみろ、あんたの名前を」
「ありがとう……杏子ちゃん」
「私の名前はね――」
~パン屋~
杏子「寒いな……」
もう12月中旬か。オッサン元気してるかな?
あれから数週間が経ったわけだが、変な夢を見る事はなくなった。
給料で英語の参考書や、子ども向けのキャラクターのデザイン本なんかを買ったりして、職人の修行に励んでいた。
味はまだまだだが、かなり凝った装飾のケーキを作れるようになったと思う。
オッサンがみたら「仰々しいわ」と怒られるんだろう。
でも、これでいいんだ。
私の作るケーキは、あの人のケーキとは違う、私だけのケーキだ。
みんなをあっと言わせて楽しんでもらえる、とりあえず今のところお子様を夢中にそんなケーキ。
杏子「それじゃ、今日も行ってきますんで」
ゆま「待って、キョーコ!」
杏子「なんだゆま」
ゆま「さすがに、そのかっこうじゃさむいよ。ゆま、あたらしいおようふくってあげたよ!」
杏子「本当か!?」
実のところ、もう寒さには慣れていたのだけれど、やっとこのメイド服を卒業できるかと思うと泣けてくる。
ゆま「えへへ、そんなにうれしいの?よかった」
杏子「ありがとう。早速着替えてくる。で、服はどこにあるんだ?」
叔母「きっと杏子ちゃんに似合うわ」
叔母さんが何やら楽しそうに笑っている。
これはきっと、楽しいことが起こるに違いない。
――叔母さんにとって。
ゆま「どう、温かい?」
杏子「まあ……な」
一生懸命、製服してくれたゆまに対して不満を漏らすわけにもいかなかった。
要するに不満があるのだが、どうしてこうなった?
何故、注目を集めるような服しかないんだ?
真紅に彩られたふわふわのコートは季節にマッチしたクリスマスの衣装だった。
メイドよりはましか……とほほ。
サンタ服に身を包み、いつも通りリヤカーを引いて店を出た。
~商店街~
杏子「カップルばっかりじゃねぇか」
クリスマスツリーが立てられ、イルミネーションの中を、男女の若い二人組が歩いていく。
男女かぁ。
普通はそうだよな。
女同士が仲良くなんてどうかしてるんだ。
はぁっ。
白い息が薄暗い空へと伸びていく。
さやかは今頃なにしてんだろうな。
今日は学校も休みだろうし……。
家で勉強でもしてるんだろうか。
私がふてくされてると、そこへ二人組の客がやってきた。
「見て、ケーキ屋さんがあるよ。ちょっと見てもいいかな?」
一人の女の子がもう一人の手を引いてこちらへ向かってきた。
そのもう一人のというのを見て驚いたことに女だった。
二人とも、アタシと同じぐらいの年じゃないか?
この街並みを手を繋いであるくとは、よほど中のいい友だちなんだろうか?
しかも二人でお揃いの赤いリボンをしている。
杏子「いらしゃい。ゆっくり見てってくれよ」
ピンク色のマフラーを巻いたちっこい方は興味しんしんにケーキを見ているのに対し、
もう一人の方は、何故か私の方をじろじろと見ている気がした。
なんだ、こいつ。どっかで会ったか?
「うぇひひ、美味しそうだね。1つずつ買わない?」
「え……?ええ、そうね」
「こっちの小さいの2つください」
杏子「どうも690円だよ」
ちっこい方が財布から札束を取り出したので、釣りの準備をして、それを渡した。
「えへへ。それじゃ行こっか」
「そうね……少し疲れたからカフェで休みましょう」
どことなく懐かしい雰囲気がした。
なんだったんだろうな、あいつら……。
二人はまた手を繋いで、人ごみの中へ消えてしまった。
姉妹……には見えなかった。もしかしたら……。
杏子「カップルなのか?」
女同士の……。
私はなんだかおかしくてクスリと笑ってしまう。
次の客がやってきた。
杏子「いらっしゃいませ!!」
少しばかり弾んだ声に、何人かの通行人がこちらを振り向いてきた。
さて、今日はぼちぼち終わるか……。
片付けをすると、こっそりと後ろの影から何者かに抱きつかれた。
こんなことをするのはあいつしかいなかった。
杏子「だから、お前は変なところで抱きつくなって何度言えばわかるんだっ!」
さやか「でも、嫌じゃないでしょ」
杏子「嫌だ。仕事中にやられるのは迷惑だって言ってるだろ!」
さやか「まあまあ」
にやにやと笑うさやか。
私があんなことをしてから、気まずくなると思いきや、前よりいっそうスキンシップを仕掛けてくるようになった。
あのゆまが嫉妬するぐらいだから、その度を越した加減は分かってもらえるだろう。
ていうか、さやかはわたしの気持ちを知ってるわけだろ?
さやかが上条なんたらを今どんなふうに思ってるのかは知らないけど、
わたしをからかってるならたちが悪いっての。
さやか「意地でも、アタシのこと好きだって言わせてやるから!」
なんでそんな固執すんだよ。
杏子「なぁ、もしかしてお前……」
さやか「ん? 何かな?」
――待ってるのか?アタシが告白するの。
……ってそんな乙女チックな妄想アタシの担当じゃないだろうが!
邪念を振り払うべく首を振った。
さやか「どうしたの、杏子?」
杏子「うっさい、いくぞ!」
私は右手でリヤカーを持ち、左手を後ろに伸ばした。
それを見て、さやかはいやらしそうに、にやっと笑ったのだ。
さやか「おやおや、杏子さん、この手はなんですかな?」
杏子「っ!」
杏子「い、いいから、早く握れや!」
多分私は、ゆまが作ってくれたこの衣装と同じぐらい真っ赤になってたと思う。
さやか「手なんて恋人同士が繋ぐものだから、絶対つなぐもんかってこの前言ってなかったっけ?」
杏子「いいんだよ。 女同士で手繋いで歩いてる、そういう変な客がいたんだ」
さやか「こんな街中を? それっていわゆる百――」
肘鉄をさやかのわきにいれてやった。
さやか「痛……なにすんのよ」
杏子「客の名誉の為だ」
さやか「あんた今、手繋いで歩いてる『変な客』っつったじゃんよ」
杏子「うるさい、馬鹿!」
もう一度肘鉄を入れてやった。
さやか「まったく……素直じゃなんだから、杏子ちゃんは」
杏子「気色悪いから、杏子ちゃんとかいうな!」
さやか「じゃあ、もっと素直になりなよ」
杏子「最近まで幼馴染に告白できなくて泣いてた奴が何言ってんだよ」
さやか「う……」
――アタシは上条の代わりになれるのか?
それでもいいんだ。
あんたがそれでいいってんなら。
どれだけお前が幼馴染に入れ込んでたのかも知ってる。
私を選んでくれなんてとても言えない。
むしろ、今でもアンタとあいつが何で結ばれないのか不思議でならない。
だけどそうしたらわたしはきっともう、今まで通り、アンタとは会えなくなってしまうだろう。
でも……もう邪魔はしないから。
お前に、どんな未来が待っていようと。
私はそれを受け止める。
杏子「ほら……」
さやかの手を握りしめた。
それまでは、私はお前のことを繋ぎ止めておきたい。
どうか、わたしのそばで。
さやか「初めて、杏子から握ってくれたね」
――そう。
できることなら、いつまでもそんなふうに笑っていて欲しい。
いつまでも お前のそばにいて その笑顔を。
おしまい。