<東の道場>
武術家「ハァ!? 富豪の娘の武術指南役ぅ!?」
師範「ああ、悪いが明日から頼む」
武術家「親父、なんで俺なんだよ!? 親父や弟でもいいじゃねえかよ!」
師範「相手は年頃の娘さんだからな。若いヤツの方がいいだろうし……
弟は門下生の指導をせねばならんからな」
武術家「だったら俺を道場に残して、弟を行かせろよ!」
弟「兄ちゃんの練習は厳しすぎて、みんな逃げちゃうからね」
武術家「格闘技ってのは、そういうもんだろうが!
お前の稽古は生ぬるすぎるんだよ! あんなんじゃ強くなれねえよ!」
弟「殴る蹴るをやるような人間は西の道場に行っちゃって、
ウチに来てるのは、健康のために格闘技を習ってる人たちだもん。
しょうがないよ」
武術家「くぅ……これが町一番といわれた道場のなれの果てか……」
武術家「いいよ、分かったよ! 行ってきてやるよ!」
元スレ
令嬢「ご指導、よろしくお願いしますわ」武術家「よろしく」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1361784687/
翌日──
武術家「じゃあ、行ってくる」
師範「粗相のないようにな」
武術家「ふん」ザッ
師範「…………」
弟「ねぇ父ちゃん、本当に兄ちゃんで大丈夫なの?」
師範「だがお前を行かせてアイツに道場の指導を任せたら、
多分アイツ、今ウチの道場にいる門下生全員辞めさせるぞ」
弟「だけど、相手は名家のお嬢様なんでしょ? もしものことがあったら──」
師範「いくらアイツでも女性相手にムチャは……するかもな」
師範「やっぱりマズかったかもしれん……」
~
武術家(親父どもめ、俺を外に追い出して道場の指導役から外そうったって
そうはいかねえ)
武術家(どうせ、富豪の娘なんてのは“護身術を習いた~い”とか
“格闘技ってかっこいいし~”みたいなナメた女に決まってる)
武術家(即泣かせて、さっさとクビになっちまおう)
<豪邸>
武術家「どうも」
富豪「おお、よく来てくれた」
富豪「物騒なご時世、娘にも格闘術を習わせたくなってね。
西の道場でもよかったんだが、東の道場の方が一般人向けの指導に
力を入れていると聞いたものだから」
武術家(力を入れてるんじゃねえ、軟弱なヤツばっか集まって、
それしかできねえんだよ)
富豪「期間は決めてないが……ま、よろしく頼むよ」
武術家(ふざけんな、こっちは強くなるために真剣に格闘技やってんだ。
成金のクソ娘の道楽に付き合う気なんざさらさらねえ)
武術家(今日一日で来ないで済むように仕向けてやる……!)
富豪「では、娘は運動部屋にいるから、鍛えてやってくれ」
武術家「……分かりました」
令嬢「ご指導、よろしくお願いしますわ」
武術家「よろしく」
武術家(よろしくねえよ、格闘技やるのにドレスのままって俺をナメてんのか)イラッ
武術家(俺の一番嫌いなタイプだ……年は俺と似たようなもんだろうが、
容赦はしねえ……!)
令嬢「私、バレエはやっていたのですけど、こういうのは初めてなの」
令嬢「まず最初は、なにをやればよろしいのかしら?」
武術家「んじゃ、格闘技の基本から教えてやるよ」
令嬢「基本? パンチかしら? それともキック?」
武術家「いや、もっと基本的なことさ」
バチンッ!
武術家は、令嬢の頬に平手打ちをぶつけた。
武術家「痛みだよ」ニヤッ
令嬢「…………っ!」
令嬢「うっ……ぐっ……!」
武術家「格闘技ってのは痛くて苦しいもんなんだ。男も女も関係ねえ」
武術家「バレエみたいなお遊びとは次元がちがう」
武術家「なのに、豪勢なドレスのままで稽古とか、バカにしてんのか?」
武術家(いきなり引っぱたかれた挙げ句、こんだけボロクソにいわれりゃ、
泣くかキレるかしかねえだろ)
武術家(で、父親に泣きついて俺は晴れてクビ、だ)
令嬢「ひどいですわ!」
武術家(ほらきた!)
令嬢「たしかにバレエはこういう痛みはありませんけど、
レッスンは厳しいし……決してお遊びなんかではありませんわ!」
武術家「え……そっち?」
令嬢「こんな恰好のまま、お稽古に出たことは謝ります!
だからあなたも、バレエをバカにしたことを謝って下さる!?」
武術家「ご……」
武術家「ごめんなさい」
令嬢「ごめんなさい」
令嬢「たしか道着は買っておいたはずですので……着替えてきますわ」ササッ
武術家「あ……」
武術家(くそっ、なに謝ってんだよ、俺は!
バレエなんてお遊びだ! ってもう一発くらい引っぱたくべきだったんだ!)
ガチャ……
令嬢「お待たせしました」
武術家「お、なかなか似合っ──」
武術家「!」ハッ
武術家「いいか! 次に俺が来た時点でまたドレスだったりしたら、
今度ははり倒すからな!」
令嬢「承知しましたわ」
武術家(次ってなんだよ……俺は今日でクビになるつもりで来たんだろうが!)
「……じゃあアンタのいうパンチ……突きから始めるか」
令嬢「はいっ!」
武術家(やりづれえ……)
令嬢「えいっ!」シュッ
武術家「そうじゃねえ! 何度いわせんだ、ボケ!」
令嬢「やっ!」シュッ
武術家「腕だけで打ってるぞ! そんなんじゃ、子犬だって倒せねえ!」
令嬢「はいっ!」
武術家(くっそぉ~……この女、なかなか音を上げねえな。
正直いって、道場で教える時より厳しくやってるつもりなのに……)
令嬢「たぁっ!」バシュッ
令嬢の美しい突きが、空を切る。
武術家「おお、やるじゃん」
令嬢「本当!?」
武術家「……あ」
武術家「ダメだ、ダメだ! 一回うまくできたぐらいでいい気になるなよ!」
令嬢「もちろんですわ!」
武術家「じゃあ次は今やった突きを、俺に向けて打ってこい」
令嬢「よろしいの?」
武術家「アンタの突きなんか、いくら喰らったって屁でもねえよ」
令嬢「では参りますわ!」ダッ
武術家は適度に突きを受けたり、かわしたりしつつ、指導を行う。
令嬢「ていっ!」シュッ
武術家「フォームが適当になってきてるぞ!」
令嬢「やっ!」シュッ
武術家「ちゃんと足を動かせ、足を!」
武術家(突きってのは素人の想像以上に疲れるんだ……。
さぁ、さっさとバテろ! 格闘技なんかもう懲り懲りだと──)
令嬢「はぁっ!」シュバッ
パキィッ!
令嬢のこの日最高の突きが、武術家の顔面にキレイに入った。
武術家「くそっ……!」シュッ
バスッ!
本能的に出してしまった武術家の突きが、令嬢の腹に入ってしまった。
武術家「あ……」
令嬢「うっ……うえぇっ!」ビチャビチャ…
武術家(しまった、つい……! 軽くだけど、腹に入れちまった……!)
武術家「だ、大丈夫か──」
武術家(いや……! いいじゃねえか! ここで追い討ちかけてやれば、
さすがにこの女もイヤになるだろ!)
武術家「あ、あんな軽いパンチでゲロなんか吐いてんじゃねえよ、きったねえな!」
武術家「金持ちはいつも変なもんばっか食ってるから、胃が弱いんだな!
あ~……やだやだ!」
武術家「格闘技をナメてるから、こういうことになるんだ!」
武術家「ア……アハハ、アハハハハ……!」
令嬢「…………」グスッ…
武術家「うっ……!」ギクッ
令嬢「謝りなさい!」
武術家(よ、よし……怒った! ってか、怒るに決まってるけど)
「このぐらいのアクシデントで怒るんじゃねえよ! 短気なヤツだな!」
令嬢「ちがいます!」
令嬢「私は変なものばかり食べてるわけではありませんわ!」
武術家「は……?」
令嬢「我が家に雇われているシェフが味と栄養を考え、
愛情をこめて作ってくれた料理を食べているのです!」
令嬢「それを変なものだなんて……謝りなさい!」
武術家「ご、ごめ──」
武術家「い、いや……もう謝らねえぞ!」
令嬢「だったら……今日はお夕飯を一緒に私の家で食べましょう。
そうすれば、変なものだなんて思わなくなるはずですわ!」
武術家「いいだろう、受けて立ってやる!」
武術家(どうしてこうなった……!?)
こうして初日の稽古が終わった。
ガツガツ…… ムシャムシャ……
令嬢「お味はいかがかしら……って聞くまでもないようですわね」
シェフ「いやぁ~作りがいのある方ですな~」
富豪「こりゃすごい……」
夫人「あらあら……」
武術家(お袋が病気で死んじまってから、ウチでの食事は
親父と俺と弟が一日おきに交代して作ってたが──)ムシャムシャ…
武術家(材料をぶつ切りにして煮ただけの親父の料理ともちがう!)バクバク…
武術家(病人食みてえな薄味の弟の料理ともちがう!)ガツガツ…
武術家(自分の好きな食い物を混ぜまくってるにもかかわらず、
クソマズイ俺の料理ともちがう!)ジュルジュル…
武術家(美味すぎる!!!)
富豪「今日はありがとう」
富豪「また明日以降も、よろしく頼むよ」
武術家「いえ……こちらこそ、ごちそうさまでした」ゲフッ
令嬢「ね、変なものじゃなかったでしょう?」
武術家「まあな……」
武術家「そういや、変なものっていったこと、まだ謝ってなかったな。ごめ──」
令嬢「ふふっ、かまいませんわ。ちゃんと分かって下さったのなら。
また明日から、よろしくお願いしますね」ニコッ
武術家「…………!」ドキッ
武術家「それじゃ、さよなら」ザッ
武術家(くそっ……今日はこの女に完全にペースを崩されっぱなしだ!
明日こそは、明日こそは……!)ギリッ…
<東の道場>
武術家「ただいま」
師範&弟「どうだった!?」
武術家「なんだよ、いきなり」
師範「送り出してからずっと心配しておったのだ。
お前のことだから、富豪殿の娘さんを殴ったり泣かしたりするんじゃ、と」
武術家「するわけねえだろ、んなこと(したけど)」
弟「俺、兄ちゃんを見直しちゃったよ」
武術家「他人の心配より、道場は俺抜きで大丈夫だったのかよ」
師範「うむ、今日も西の道場の二代目が、看板を賭けて試合をしないかと
持ちかけてきたが……」
武術家「ちっ……あいつら、今度は俺たちを町から追い出そうってハラか」
師範「だが、今は昔とはちがう。法が整備され、正式な手続きを踏まねば
道場破りや看板をかけての試合はできんからな」
師範「相手にしなければ、問題はない」
翌日──
<豪邸>
令嬢「柔軟体操も終わりましたし……」
令嬢「本日もよろしくお願いしますわ!」ビシッ
武術家「よ、よろしく」
武術家「じゃあ今日は……蹴りだ!」
武術家(いつも色んな作業に使っている手とちがって、
足はせいぜい歩く走るぐらいにしか使わない……)
武術家(ゆえに蹴りは突きよりも難しい!)
武術家(変な蹴り方をしようもんなら、ダメ出ししまくってやる!)
武術家「じゃあ今から俺がやるから……俺がやるとおりに蹴るんだぞ」ザッ
武術家「上段!」
ビュオンッ!
武術家「さ、やってみせろ」
令嬢「はい!」
令嬢「構えは……こうですわね?」ザッ
武術家「ああ」
(どんなへっぴり腰のキックになるか……楽しみだ)
令嬢「えいっ!」
ヒュワァッ!
武術家「!」
令嬢「どうだったかしら?
バレエをやっていたので、足はちゃんと上がっていたはずですけど」
武術家「う、美しい……」
令嬢「え!?」
武術家「──あ、いや! お前じゃなくて……蹴りが美しかったって意味な!」
令嬢「で、で、ですわよね~……オホホホ……」
武術家「ハハハ……」
令嬢「ホホホ……」
武術家(なんてこった……!)
武術家(威力はともかく、フォームと蹴りの描く弧の美しさは、
まちがいなく俺以上だった!)
武術家「よし、このミットに蹴りを打ち込んでこいっ!」ザッ
令嬢「はいっ!」
令嬢「えいっ! えいっ! えいっ!」
バシッ! ベシッ! ビシッ!
武術家(重さはまだまだ足りないが、しなやかで鋭い……。
それにバレエやってただけあって、バランス感覚は抜群だな)
武術家(突きで牽制して、必殺の蹴りでノックアウト……うん。
この女、鍛え上げればもしかしていい格闘家になるんじゃ──)
武術家(──ってアホか!
俺はコイツに格闘技を辞めさせるために来てるんだぞ!)
令嬢「ハァ……ハァ……私のキックはどうでした?」
武術家「……悪くはなかった!」
こうして、二日目の稽古も終了した。
豪邸での稽古開始から一週間後──
<東の道場>
武術家(ちくしょう……どんなに厳しく接しても、はね返されちまう……)
師範「さっき連絡があり、ワシが王国兵の今期の武術指南役に選ばれ、
城に向かうことになった」
弟「やったぁ! こりゃ西の道場の連中も悔しがるだろうね。
あいつらの道場主も武術指南役を狙ってただろうからさ」
武術家(明日はどんな鍛錬にするか……う~ん……)
師範「いつもいっとるだろ、西の道場は関係ない」
師範「やることをやっていれば、人は認めてくれるものだ」
師範「とにかく、一週間後からワシは三ヶ月ほど留守にするから、道場は頼んだぞ。
まちがっても西の道場を相手にしたりするんじゃないぞ」
弟「は~い」
武術家(なにか格闘技をイヤにさせる、いい方法は……)
師範「おいバカ息子、ちゃんと聞いてたのか!?」
武術家「うるっせえな、今それどころじゃないんだよ!」
師範「なんだと!? 親に向かってなんという口のきき方だ!」
弟「まあまあ、父ちゃんも兄ちゃんも落ち着いて」
師範「むぅ……」
武術家「ぬぅ……」
弟「父ちゃんはこんなとこで揉めてる場合じゃないし、
兄ちゃんはどうせやらしいことでも考えてたんだろ」
武術家「バカいえ! 俺はちゃんと──」
武術家「…………」
武術家(やらしいこと……)
武術家(これだ……!)ニィッ
武術家(よし……明日、まちがいなくあの女は格闘技がイヤになる!)
一方、その頃──
<西の道場>
道場主「くそっ……東の道場が今期の武術指南役に選ばれるとは……!」
道場主「宣伝やパフォーマンスが不十分だったか……?」
鉢巻「悔しいッスね……先生」
色黒「今回は仕方ありません。運がなかっただけのこと。
次のチャンスに向けて、引き続き道場のイメージアップを図りましょう!」
道場主「うむ……そうだな」
美形「ねえ、父さん」
道場主「なんだ?」
美形「なにごともポジティブに考えないとね。
師範の長男である武術家も、最近留守がちだと聞いているし……
これはある意味ではチャンスというべきかもしれないよ」
道場主「チャンス……?」
翌日──
<豪邸>
令嬢「本日もご指導、よろしくお願いしますわ」ビシッ
武術家「ああ、よろしく」
令嬢「さてと、今日はなんのお稽古かしら?」
武術家「まずはかる~く組み手といこうか。
互いに寸止めか、軽く当てるぐらいで突きを打ち合う」
令嬢「分かりましたわ。じゃあ私から……」ザッ
令嬢「てやっ!」ヒュッ
武術家「おっと」ヒョイッ
武術家「今度はこっちからだ」ヒュッ
武術家の突きが、令嬢の胸に軽くヒットした。
むにゅっ……
令嬢「え?」
武術家「お……おっと悪い悪い、事故だ、事故」
しかし、その後も──
もにゅっ……
令嬢「う……!」
武術家「悪い悪い、またさわっちまった」
むにゅっ……
令嬢「あっ……」
武術家「いやぁ~事故が続くな」
むんずっ……
令嬢「…………」
武術家「おっと、すまねえ。今度はつい掴んじまった、ハハハ」
令嬢「では、続けましょうか」
武術家「……ああ」
武術家「──おかしいだろォッ!」
令嬢「え?」
武術家「お前……こんだけ不自然に胸ばっか触られて、揉まれて、
なんでなんもいわねぇんだよォッ!」
令嬢「だって……それを含めてのお稽古なのでしょう?」
武術家「へ?」
令嬢「武術家さん、あなたは最初のお稽古の日におっしゃいましたわ。
格闘技というのは痛くて苦しいものだ、と」
令嬢「あの言葉で、私は反省いたしました」
令嬢「生半可な覚悟で、格闘技を習おうとしていた自分自身を……」
令嬢「ですから、私はあなたの訓練がどんなに辛くても、
文句はいわないと決めたのです」
令嬢「それに……もし本当に暴漢に襲われて、負けてしまったら、
胸をどうこうされるぐらいでは済まないでしょう?」
武術家「…………」
武術家(俺は……見誤っていた。いや……見ようともしていなかった……!)
武術家「すまんっ!!!」ガバッ
令嬢「え!?」
武術家「俺は……俺は、俺は……俺はァッ!」
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
床を殴りつける武術家。
令嬢(ここの床は運動用に特別頑丈に造られている……)
「そんなことをしたら……拳がダメになってしまいますわ!」
バキィッ! ベキィッ! メキィッ!
令嬢「──と思いきや、床の方がどんどん壊れて……すごっ!
……あ、どっちにしても、やめて下さいませ!」
武術家「俺は格闘家じゃない……」
武術家「ただのバカだ……」
武術家「今まで散々やってきた借りを……せめて返せる分だけでも返したい……。
俺を好きなだけ殴ってくれッ!」
令嬢「殴るだなんて、そんな……」
令嬢「できませんわ!」
武術家「だったら蹴るでもいい、引っかくでもいい!
最低でも、俺が悲鳴を上げるぐらいまでやってくれっ! 頼むっ!」
令嬢「では……先ほどまで胸を触られていたので……私もそうします」スッ
武術家(え? まさか俺の胸を? オイオイそれじゃ罰どころかご褒美──)
令嬢は武術家の胸にさわり──乳首をつねった。
ギュウゥゥ……!
武術家「あがぁぁぁぁぁっ!!!」
令嬢「うふふ、これで貸し借りナシですわね」パッ
武術家「いだだ……っ! あ、ああ……叫んじまったからな……」
武術家(“つねり”は一説にはもっとも痛い攻撃とされている……!
この女、やはりデキる……!)ハァハァ…
令嬢(殿方の胸なんて……初めて触りましたわ)
令嬢(たくましい……胸板でしたわ)ドキドキ…
武術家「……さて、気を取り直して稽古を再開するか」
武術家「天性の体の柔軟さに加え、バレエをやっていたこともあって、
アンタは蹴り技の方が得意そうだ」
武術家「だから俺は、アンタを蹴り技主体で鍛えたいと思う」
武術家「自分だけの武器ってのを作れば、自信につながるからな!」
令嬢「はいっ!」
武術家(なんだろう、この気持ち……なんだか、とても晴れやかだ)
~
その夜──
<東の道場>
武術家「お~う親父ィ、弟、メシができたぞ~」グチャッ…
弟「うわぁ……相変わらずメチャクチャな料理だ」
武術家「文句があるなら食うなよ」
師範「……お前、なんとなくだが表情が柔らかくなったな」
武術家「え、そうか?」
それからおよそ一週間、武術家と令嬢の稽古は続いた。
武術家「この間みたいに、このミットに蹴り込んでこいっ!」
令嬢「はいっ!」
バシッ! バシッ! バシッ!
武術家「足だけで蹴るんじゃなく、全身のバネを使って蹴るんだ!」
令嬢「はいっ!」
バシィッ! バシィッ! バシィッ!
武術家(やはり……鞭のようにしなやかで、いい蹴りだ……!)
武術家「──いいぞ! その調子だ!」
令嬢「ありがとうございます!」
武術家「──ちょっと見ててくれ」
令嬢「はい」
武術家「…………」スゥ…
サンドバッグの前で、深く息を吸い込む武術家。
そして──
武術家「はッ!」
ドズゥンッ!!!
サンドバッグがねじれるようにして、吹っ飛んだ。
令嬢「す、すごい……!」
武術家「これは俺が編み出した技なんだ」
武術家「深く吸い込んだ息を爆発的に吐き出すと同時に、突きを繰り出す……。
名づけて、深呼吸拳!」
令嬢「そのままですわね」
武術家「といっても、こんな技、実戦や試合じゃまず使えないけどな。
深呼吸するヒマなんてまずないし、あってもタイミングがむずい」
武術家「弟や親父、対外試合なんかでも試したことがあるが、まぁ当たらんわな」
武術家「こんな技はどうでもいいが、
戦いにおいて呼吸が重要だってことだけは覚えておいてくれ」
令嬢「呼吸……」スーハースーハー
令嬢(すごい突きでしたわ……)
令嬢(前に私がお腹に受けたパンチなんて、
武術家さんにとっては本当に軽いものだったということね……)
<東の道場>
師範「……さてと、今日からワシは三ヶ月間城で武術指南役を務める。
二人とも、留守は任せたぞ」
武術家「おう」
弟「うん」
師範「弟、くれぐれも西の道場は相手にしないようにな」
弟「分かってるって!」
師範「武術家、引き続き令嬢さんの指導を任せたぞ」
武術家「ああ」
師範「ところで、令嬢さんはどうだ?」
武術家「はぁ!? どうだって、なんだよ! あ、あんな女、どうもしねえよ!」
師範「ん? なにをいってるんだ。ちゃんと上達してるのか?」
武術家「え、あ……まあまあかな」
師範(コイツが“まあまあ”ということは、かなり上達したようだな)
「なによりだ。ではなにかあったら、連絡をよこすようにしてくれ」
<豪邸>
令嬢「すごいですわね! 王国軍の武術指南役だなんて……
さすがは武術家さんのお父様!」
武術家「昔は泣く子も黙るような格闘家だったらしいが、今じゃただの腑抜けだ。
西の道場とやり合う気概もねえ」
令嬢「西の道場?」
武術家「ウチの道場より少し後にできたっていう道場だ」
武術家「道場主が昔、親父のライバルだったからか、なにかと張り合ってきやがる。
特に道場主の息子……アレは特にタチが悪い。
もっとも商売上手なとこがあって、今じゃ俺たちの道場よりでかいけどな」
令嬢「お強いんですか?」
武術家「人数が多いだけで、大したことねえよ。
一応油断できない奴はいるが、せいぜい二人か三人ってところだな」
(ウチの道場は試合ができるかも怪しいヤツばっかだけどさ)
令嬢「格闘技の世界も、色々あるんですのね」
武術家「……おっと、おしゃべりしすぎた。さ、始めよう」
令嬢「はい!」
稽古が終わり──
<東の道場>
武術家「おう、戻ったぞ」
弟「…………」
武術家「どうした?」
弟「ごめん……兄ちゃん!」
武術家「なんだよ、いきなり?」
弟「俺……西の道場から看板を賭けた試合を申し込まれて……受けちゃったんだ!」
武術家「──ハァ!? お前、なにやってんだ!?
相手にすんなって、親父にあれだけいわれてただろうがよ!」
すると、道場に残っていた門下生の一人がやってきた。
門下生「若先生! 弟先生は悪くねえんです! 悪いのはオラたち門下生なんです!」
弟「あ……バカ!」
武術家「……どういうことだ」
門下生「今日の午後、西の道場の美形たちが看板を賭けての試合を
申し込みにやってきたんです」
門下生「もちろん、師範もいませんし、弟先生は断固として断ってたんですが──
いつの間にか道場が向こうの門下生に囲まれてて……」
門下生「それこそ断ったら、門下生全員で道場に殴り込むといわんばかりで……」
門下生「そんでオラたち……ビビっちまって……稽古もせず、震えるような有様で……」
門下生「オラたちを見かねた弟先生はやむなく、試合を承諾したんです……!」
武術家「……そういうことか」
弟「兄ちゃん……ごめんよ……!」
武術家「…………」
武術家「いや……受けちまったもんはもうしょうがない。今さら取り消せねえ。
とにかく、試合をどうするか考えよう」
弟「兄ちゃん……!」
門下生「若先生、本当にすみません……!」
武術家(してやられたな……)
武術家(西の道場のヤツら、俺と親父がいない時を狙ってたんだな……)
門下生を帰宅させ、二人きりになる兄弟。
弟「兄ちゃん」
弟「俺、正直兄ちゃんにボコボコにされると思ってた」
武術家「んなことするかよ、大人げねえ」
武術家(……たしかに、以前の俺ならそうしたかもな。
門下生は全員殴って、弟に至っては足腰立たなくなるぐらいにはしてた。
んで、そのまま西の道場に殴り込みをかけただろう)
武術家(だけど、今はちがう)
武術家(昔は見えなかった、道場や門下生を必死に守ろうとした弟や、
そんな弟をかばおうとする門下生の“心”が見えちまった……)
武術家(これも……令嬢のおかげなのか?)
武術家(──なにをバカな!)チッ
武術家「……城にいる親父を呼び戻すわけにはいかねえ。
親父のメンツが丸つぶれになっちまうからな」
武術家「だからなんとしても……俺たち二人で何とかするんだ!」
弟「うん!」
<西の道場>
道場主「──な、なんだと!? 試合を承諾させた!?」
美形「ボクにかかればちょろいもんさ」
美形「アイツら、ボクたちが囲んだだけであっさり試合を承諾してくれたよ。
ま、あの弟にあの状況をどうこうする知恵はないと分かってたけどね」
美形「囲んだだけで脅し文句一ついってないし、ヤツらももう試合をするしかないさ」
美形「あとはボクと、色黒、鉢巻で試合に勝利するだけ……」ニィッ
道場主「し、しかし……お前そんな強引なやり方で……」
美形「なんだよ」ギロッ
美形「父さんだって東の道場を潰したかったんだろう!?
だからボクは今までずっと──」
道場主「わ、分かった! その話はやめてくれ! お前はよくやってくれている!」
美形「やっと……やっと、東の道場をこの町から消すことができるんだ!
ま、試合当日はここで朗報を待っていてくれよ」
道場主「う、うむ……」
翌日──
<豪邸>
武術家「う~ん……」
令嬢「どうかなさったの?」
武術家「いや……二週間後に道場の看板を賭けた試合を行うことになってな……」
【ルール】
試合日は両道場の合意の後、14日後。
道場は各三名ずつ選出し、団体戦を行い、どちらかが二勝した時点で決着とする。
審判は王国から審判資格を得た第三者が行う。
試合時間は10分、決着がつかなかった場合は審判による判定で勝負を決する。
武術家「──とまぁ、こんな具合だ」
令嬢「なるほど」
武術家「ウチは当然俺と弟が出る。だが、問題は……三人目だ。
ウチの道場の門下生は、健康のために道場に来てる人間ばかりだからな」
令嬢「…………」
令嬢「あのう……三人目、私ではダメかしら?」
武術家「なっ!?」
武術家「ダ、ダメに決まってんだろ! アンタは稽古を始めてまもないし──
なにより女じゃねえか!」
令嬢「あら、稽古の初日に私を叩いて、格闘技に男も女もないといったのは
どなただったかしら?」
武術家「い、いや……あれは……」
令嬢「それに……私も武術家さんのお力になりたいの……」
武術家「!」ドキッ
武術家(だが、冷静に考えてみると──
たしかに運動の延長上で格闘技やってる門下生たちより、
令嬢の方が期間は短いとはいえ、よっぽど実戦向けの稽古をしてる)
武術家(だけどなぁ……)
令嬢「……ダメ?」
武術家「い、いやダメってわけじゃ……ちょっと考えさせてくれ!」
その夜──
<東の道場>
弟「ごめん兄ちゃん、まだ三人目が決まってなくて……。
こうなったら棄権を前提に、だれかに出てもらうしか──」
武術家「……その話なんだけどさ」
武術家「令嬢に出てもらうってのはどうだ?」
弟「令嬢さんに!?」
武術家「短期間ではあるが、俺がマンツーマンで鍛えてるし、実際強くなってる。
んで、本人も希望してるんだが……」
弟「俺に兄ちゃんになにかをいう資格はないよ。ただ──」
武術家「ただ?」
弟「令嬢さんのお父さんが許すかどうか……」
武術家「!」
武術家(そのこと忘れてたぁ~!)
翌日──
<豪邸>
富豪「ほうほう、東の道場で女子同士の試合を行うのか」
富豪「娘をその試合に? それで、しばらくここでなく道場で稽古したいと?
もちろん、かまわんとも」
富豪「トレーニングの成果を出したいと思うのは当然だろうし、
道場の方がやはり稽古もはかどるだろうからな」
令嬢「ありがとう、お父様!」
武術家「ありがとうございます」
富豪「私は事業の関係で、おそらく観戦にはいけぬだろうが、頑張るんだぞ!」
令嬢「はいっ!」
武術家「…………」
武術家(これで一応、許しは得たってことでいいんだろうか)
武術家(だけどウソついてよかったのかな……)
武術家(とはいえ、道場の看板を賭けた真剣勝負に娘さんを出場させて下さい!
なんていったら絶対許してもらえないからな……)
武術家(バレないことを祈るしかねえか)
<東の道場>
令嬢「ここが武術家さんの道場ね、素敵な場所ですわ」
武術家「ボロ道場だよ」
弟「あ……こ、こんにちは! 兄ちゃ……兄がお世話になってます!」
令嬢「はじめまして、あなたが武術家さんの弟さんね」
弟「は、はい! このたびは……本当に、こんなことに巻き込んでしまって……。
──すみませんっ!」
令嬢「いえ、そんな……私から望んだことですもの。一緒に頑張りましょ」
弟「はいっ!」
武術家「なに顔赤くしてんだ、バカ弟」
武術家「せっかく三人揃ったんだ。試合の対策について話し合おう」
弟「うん!」
令嬢「はい!」
武術家「試合順はこれしかない」
武術家「ずばり──俺と弟で先に二勝する。
俺としても、やっぱ令嬢を試合に出したくないのが本音だからな」
先鋒 弟
中堅 武術家
大将 令嬢
弟「でも、これだと──」
武術家「ああ、分かってる。暗黙のルールを破ることになる」
令嬢「暗黙のルール?」
武術家「道場同士の試合は、実力順にするのが通例なんだ。
ようするに、こっちの一番弱い奴をあっちの一番強い奴にぶつけて
勝ち星を稼ぐとか、そういう真似はやっちゃいけないとされてる」
武術家「だから、なんらかの事情があって実力順にしない場合は、
事前に相手道場に通達しなきゃならない」
令嬢「なるほど、格闘家同士の“しきたり”というやつですわね」
弟「西の道場への通達は、あとで俺がやっとくよ」
令嬢「ちなみに西の道場には、どんな方々がおりますの?」
武術家「道場主の下に、息子である美形、あとは色黒と鉢巻が強い。
んで、実力ナンバーワンは色黒、次いで美形、三番手が鉢巻っていわれてるな」
武術家「つまり向こうの順番はこうなる」
先鋒 鉢巻
中堅 美形
大将 色黒
武術家「──ただし、もしかすると俺に色黒を当ててくる可能性がある。
ま、なんにせよ俺たちが二勝してみせるから安心しな」
令嬢「もしも……」
武術家「ん?」
令嬢「もし万が一のことがあっても……私、絶対に勝ちますわ!
だからあまり気負わず、戦って下さいね!」
武術家「分かってる、その時は全てアンタに託すよ」
武術家(そんなことがあっちゃならねえんだけどな。東の道場の誇りにかけて!)
令嬢「ハァ、ハァ……さすがは武術家さんの弟さん。
武術家さんの苛烈な拳法とはまた一味ちがい、お強いですわ」
弟「いやぁ……俺なんか……」
武術家「弟なんざ、まだまだ俺の足元にも及ばねえよ」
~
武術家「たしかにアンタの蹴りは武器になる!」
武術家「──が、多用はするなよ! 読まれたら効果は半減しちまうからな!」
令嬢「はいっ!」
~
令嬢「シェフに習ったので、お料理には多少自信がありますの。どうぞ!」コトッ…
武術家「おお~……!」
弟「美味しそう……!」
この日から、令嬢は道場に通うことになった。
武術家『今日は寝技の特訓だ』
令嬢『えっ? あなたの流派に寝技など──』
ドザッ……!
令嬢を力ずくで押さえ込む武術家。
令嬢『なにをなさるの!?』
武術家『これでもう逃げられねえ、叫んでも無駄だ』
ビリビリッ!
令嬢『ああっ! 道着を!?』
武術家『さてと……まずはあの時乳首をつねられた痛みを返しておくぜ。
あれは痛かったからなぁ……』
令嬢の乳首に吸いつく武術家。
令嬢『あ、あ、あ……!』ビクビクッ
武術家『豪邸で会った時から目をつけてたんだ。“生娘キラー”とは俺のことよ!』
………
……
…
令嬢「私ったら、なんてはしたない夢を……」ハァハァ…
令嬢『今日は私が寝技をお教えしますわ』
武術家『なにいってんだ、お前?』
ドザッ……!
令嬢は巧みな技で、武術家を押さえ込む。
武術家『なにしやがる!?』
令嬢『弟さんはすでに始末しました。もう叫んでも無駄ですわ』
ボキボキィッ!
武術家『ぐああああっ! う、腕が……っ!』
令嬢『今までよくもキツイ稽古で私をいじめてくれましたわね。
いきなりビンタをしたり、腹を殴ったり……』
武術家の足をへし折る令嬢。
武術家『あ、あ、あ……!』ビクビクッ
令嬢『だらしないですわね。そう、西の道場の刺客、“骨折りお嬢”は私のことよ!』
………
……
…
武術家「俺はなんつう恐ろしい夢を……」ハァハァ…
翌日──
<東の道場>
武術家「なぁ……」
令嬢「はい?」
武術家「アンタ、もしかして寝技とか得意か?」
令嬢「えぇ~っ!? ま、ま、まさか! 未体験ですわ、未体験!」
(まさか……正夢!?)
武術家「そうか! ならいいんだ……」ホッ…
(ウソじゃなさそうだな……。よかった……正夢じゃなくて)
武術家「んじゃ、今日も突きの稽古からだ」
令嬢「え……あの……寝技……は……?」
武術家「ウチの流派に寝技はねえぞ」
令嬢「そう……ですわよね……」
武術家(なんでガッカリしてんだ? 打撃だけじゃ不安になったのか?)
試合までの二週間、二人は順調に稽古を重ねた。
そして試合前日──
<東の道場>
武術家「今日の稽古は終わりだ。令嬢、家の近くまで送っていくよ」
令嬢「はい!」
弟「明日は俺と兄ちゃんが必ず二勝するから、安心しといて下さい!」
令嬢「あら、私も出番が欲しいですわ」
武術家「……ふっ」
~
<西の道場>
鉢巻「この作戦なら、ウチの勝利はまちがいないッスね!」
色黒「本当に……これでいいんですね?」
美形「当たり前だ、勝つことが第一なんだからね」
美形「もっとも──ボクは独自に他にも手を打ってあるがね。
もしかすると、戦わずして勝利できるかもしれないよ」
美形「明日、東の道場はこの町から姿を消す。やっと宿願が叶うんだよ、父さん……!」
道場主「あ、ああ……」
ところが──
<豪邸>
富豪「……聞いたぞ」ギロッ
令嬢「え?」
富豪「お前たちがいっていた明日の試合、
なんでも西の道場との真剣勝負だそうじゃないか!」
令嬢「! ──な、なぜそれを」
富豪「てっきり女子同士のお気楽な試合かと思いきや……
あの武術家君もとんでもないことをしてくれたもんだ!」
令嬢「お願い、お父様! 私が行かないと──」
富豪「ならん! いいか、明日は召使に命じてお前を一歩も外に出さんぞ!
──よいな!」
令嬢(試合は三人が揃ってなければならないのに……)
令嬢(私が行かなければ、武術家さん兄弟は試合をすることもできない……)
令嬢(どうすれば……!)
翌日──
<東の道場>
試合は、申し込まれた側で行われるのが通例である。
美形「お久しぶり。元気そうでなによりだ、武術家君」ザッ
色黒「今日はよろしく」ザッ
鉢巻「相変わらずちっちゃい道場ッスねぇ」ザッ
武術家「……ふん。どっちが小さいんだよ。
俺と親父がいない間に、弟や門下生を脅すような真似しやがって」
美形「まあまあ、そう怒らないでくれよ」
美形「もうまもなく審判もやってくるだろうし、準備を始めよう」
美形「──だけど、おや? そちらはまだ二人しかいないようだが……?
この間渡された試合順の紙には、令嬢という女性がいたはずだけど」
武術家「…………」
弟「ちょ、ちょっと遅れてるだけだ!」
美形「ふん、そうかい。 ……来れればいいけどねぇ」
(昨日、令嬢の親には今日の試合のことをチクっておいたし、
万一許されて外に出られたとしても……ふふふっ)ニヤッ
<豪邸>
令嬢(どうしましょう……!)
令嬢「全部の出入り口を、召使に封鎖されて……あら?」
召使「ぐう……ぐう……」
召使たちが全員眠り始めた
令嬢「こ、これはどういうこと……!?」
シェフ「お嬢様」
令嬢「シェフ!」
シェフ「今日の朝食──旦那様ご夫婦とお嬢様のもの以外には
強力な眠り草を入れておきました。
旦那様と奥様は先ほど出かけられましたし、もう大丈夫です」
シェフ「行ってらっしゃいませ」スッ…
令嬢「……ありがとう!」
タタタッ……
シェフ(家の近くでたむろしていた格闘家らしき集団も、
私からの“差し入れ”で眠らせておいたので、どうかご安心を)
<東の道場>
審判「このまま正午までに届け出のある三人目が来なかった場合、
東の道場は不戦敗となる」
弟「どうしたんだろう、令嬢さん……」
武術家「おい美形、てめぇまさかなにかやったんじゃねえだろうな!」
美形「オイオイまさか。まあ、良家のお嬢さんをこんな戦いに
駆り出すことにならなくてよかったじゃないか」
美形「君たちは戦わずして敗れることになるがね」
武術家「くっ……! 審判、俺たちは二人だけでいい! 試合をさせてくれ!」
審判「ならん。決まりは決まりだからな」
武術家「ぐっ……!」
すると──
ガラッ!
令嬢「皆さま、お待たせしました!」
武術家「令嬢!」
弟「令嬢さん!」
美形「…………」チッ
審判「ではまず、東の道場から試合順を発表してもらおう」
武術家「ウチはもう通達してあるように、先鋒が弟、中堅は俺、大将に令嬢、だ」
審判「では、西の道場」
美形「ウチは……先鋒は色黒、中堅は鉢巻、大将はボクだ」
武術家「!?」
武術家「ちょ、ちょっと待て、てめえ!
てめえんとこの実力ナンバーワンは色黒だろうが! なんで先鋒なんだ!」
武術家「道場同士の試合は実力順にするのがならわし……。
だったら、色黒は大将にするか、あるいは俺にぶつけるのがスジだろうがよ!」
美形「いやいや、つい先日鉢巻が色黒に勝っちゃったからさぁ~」
武術家「下手なウソこきやがって……!」ギリッ
美形「それに、実力順にするのはあくまでも通例……破ってもペナルティはない。
ですよね? 審判さん」
審判「うむ」
武術家「な、なんだと……!」
(俺は鉢巻にまず勝てるだろうが、弟じゃ色黒相手は厳しい!
これじゃ試合が令嬢まで回っちまう!)
弟「大丈夫だよ、兄ちゃん! 俺が……勝てばいいんだから!」
武術家「……ああ」
令嬢「弟さん、頑張って下さいませ!」
審判「先鋒の二人、前へ!」
弟「…………」ザッ
色黒「…………」ザッ
弟「お願いします!」
色黒「……こうして今は敵対しているが、私は東の道場を尊敬している。
君の父や兄は、優秀な格闘家だ。私も一目置くほどにね」
弟「!」
色黒「だが、君は眼中にない」
色黒「偉大な二人の影に隠れ、町民や農民相手にぬるい稽古をしているだけ……。
我々の脅しに屈したことといい、君はこの道場の足手まといに過ぎない。
悪いが、すぐに終わらせてもらう」
弟「ぐっ……!」
令嬢「弟さんのお相手……強いんですか?」
武術家「まちがいなく西の道場一の使い手だ。
すまねえ、アンタの前に二勝するだなんていっておいて……」
令嬢「あら、あなたは弟さんを信じていないんですか?」
武術家「え?」
令嬢「私は……弟さんは勝つと思います」
審判「始めっ!」
色黒「しゃッ!」バッ
ベチィッ!
いきなりのハイキック、弟もどうにかガードする。
弟「くっ……」ビリビリ…
色黒「だっ! だだだっ! ──せいいッ!」
ガッ! バッ! バシィッ! ドゴォッ!
怒涛の連撃。弟は防ぐだけで全く手が出せない。
武術家(なにやってやがる……。
格上の相手に守勢に回ったら、オシマイだろうが……!)
武術家(──いや!)
色黒「くっ……」ハァハァ…
令嬢(相手の方、もう疲れている……!?)
色黒「せりゃあッ!」ブオンッ
弟「…………」スッ…
色黒「だりゃッ!」ビュアッ
弟「…………」ススッ…
武術家「弟のヤロウ……アイツ、色黒の間合いを見切って──
打撃の勢いや威力を全て殺してやがる!」
武術家(そうか……アイツ、日頃ぬるい稽古ばかりしてるかと思ったが、
町民や農民たちのゆるい打撃をも一流の打撃だと思って、
真剣に稽古していたんだ!)
令嬢「す、すごい……!」
色黒「ぬああッ!」ダンッ
ブオンッ!
色黒(またか……! 絶妙なタイミングで間合いをずらされる……!)ハァハァ…
弟(門下生たちの発展途上の攻撃に比べれば、
格闘技の理に乗っ取った、アンタの打撃はずっと見切りやすい!)
バキィッ!
疲れと焦りで足が止まった色黒に、弟の拳がヒットする。
色黒「ぐおっ……! ──があっ!」ブオンッ
スカッ
色黒「くそっ……」ハァハァ…
(認めねばなるまい……私はコイツを侮っていた!)
武術家(色黒が弟をナメてたというのもあるだろう。
弟がこの試合をいいテンションで臨めてるというのもある)
武術家(だがそれらを差し引いても強い!)
武術家(アイツ……きっちり強くなってやがった!)ニィッ
ガガガッ! バシッ! ガッ! ドゴッ!
弟(アンタらが俺が眼中にないってんなら、俺だってアンタらなんか眼中にない!)
弟(俺は父ちゃんや兄ちゃんを超えるために、ずっとずっと修業してきたんだ!)
バキィッ!
弟の突きが、色黒の顔面にクリーンヒットした。
色黒「ぐあ……っ!」ドサッ
武術家「いいぞ、ダウンを奪った!」
令嬢「その調子ですわ!」
鉢巻「色黒さん、一度落ちつくッスよ!」
美形「…………」
すぐさま立ち上がる色黒。
色黒(私が負ければ、西の道場の勝利は難しくなる……。
先生や美形さんのためにも、負けるわけにはいかん!)
色黒「はあああっ!」ダッ
弟「!」
バシィッ! ガガガッ! ドッ! ドガッ!
色黒の猛攻が、少しずつ弟をとらえ始める。
弟(──やっぱりさすがだ! この数分で、俺の動きを学習してる!)
だが、弟も巧みなフットワークで決定打を許さない。
審判「──それまでっ!」
試合時間の10分が経過した。
色黒(ぐっ……! 私としたことが、なんという無様な試合を!)
弟(──よし!)グッ
美形「…………」ニヤッ
審判「判定!」
シ~ン……
審判「先鋒戦! 勝者、西の道場!」バッ
武術家「ハァ!?」
弟「なっ……!」
令嬢「え?」
色黒(な、なんだと……!?)
美形「ふふふ、よくやったよ。よく倒されないでくれた」
色黒「美形さん、あなたまさか──」
武術家「ふざけんなっ!!!」
武術家「今の試合……たしかに終盤盛り返しはあったが、ほぼ弟が優勢だったろ!
弟の勝ちだろうがっ!」
審判「……異議は認めない。すぐ中堅戦の用意をしたまえ」
武術家「て、てめえ──」
美形「オイオイ武術家君、審判の判定は絶対だよ?」
武術家「……なんだと!」
美形「たしかに君の弟君は、優勢ではあったかもしれない。
だが、戦術に積極性がいささか欠けていたというのも事実だ」
美形「審判がその辺りを考慮したのなら、この結果も十分ありえる」ニヤッ
武術家「あのヤロウ……!」ズイッ
審判「これ以上食い下がるのなら、無条件で君たちの負けにするぞ」
武術家「ぐっ……」
弟「ごめんよ、兄ちゃん、令嬢さん……!」
令嬢「いえ、いい試合でしたわ。手本にさせていただきます」
武術家「…………」
武術家(弟たちを脅して試合を組んで、試合順も通例を無視して、
挙げ句審判ともグルってか)
武術家(いいさ、そっちがその気ならやってやるよ……)
武術家(いくら審判になにかしてても、圧勝すればさすがにどうしようもねえはずだ)
武術家(たとえ今日、東の道場がなくなるとしても、
ヤツらには俺の強さと恐ろしさを徹底的に叩き込んでやる)
武術家(この俺に鉢巻如きを当ててきたことを後悔させてやる……!)ビキッ…
鉢巻「あ、あの」ガタガタ…
美形「なんだい?」
鉢巻「武術家、すげえツラなんスけど……あれマジで人を殺しかねないツラッスよ。
元々中堅は捨て試合ッスし……俺、棄権してもいいッスか?」ガタガタ…
美形「ダメに決まってるだろ。ただでさえ試合順を実力順にしてないんだ。
ウチの道場が武術家から逃げたなんて風評が立っちゃかなわない」
美形「大丈夫さ、死にゃあしないよ(……多分)」
審判「中堅の二人、前へ!」
鉢巻「…………」ガタガタ…
武術家(鉢巻ィ……悪いが五体満足で試合場から出さねえぞ)ギロッ
武術家(最低でも全治数ヶ月には──)
令嬢「武術家さん、お待ちになって」
武術家「?」
令嬢「弟さんに労いの言葉を」
令嬢「それにまだ……私がいますわ」
武術家「!」ハッ
武術家(そうだ)
武術家(俺はなにを考えていたんだ)
武術家(弟の健闘を称えもせず、もう道場が負けた時のことばかり──
こんなもん、弟や後に控えてる令嬢への侮辱でしかない!)
武術家「…………」
武術家「弟」
弟「!」
武術家「ナイスファイトだったぞ。よくやった」グッ
弟「兄ちゃん……」
武術家「んじゃ、行ってくる。次の令嬢に繋ぐためにな」
向かい合う武術家と鉢巻。
武術家「…………」ザッ
鉢巻(こ、こうなったら殺される前に……勝負に出るしかない!)ザッ
審判「始めっ!」
鉢巻「うわぁぁぁっ!」ブオンッ
武術家「っと」サッ
鉢巻の捨て身のストレートをあっさりかわすと──
武術家「──はあっ!」
ドンッ!
脇腹に強烈な中段蹴り。
鉢巻「うげぇっ……!」
さらにダメ押しの左拳での突きが──
ピタッ
寸止めされた。
鉢巻「あ、あぐぅ……ま、参ったッス……!」ゲホゲホッ
審判「そ、それまでっ!」バッ
武術家(鉢巻の最初のストレート……キレたままだったらモロに受けてた。
……令嬢に助けられちまったな)
美形(予想に反してキレイに勝ちやがった……。面白くないな。
まあいい、次でボクが勝てば全て終わるんだ!)
令嬢「では、行って参ります」
弟「令嬢さん、戦ってもらうことになっちゃってゴメン……!」
令嬢「いえいえ、修業の成果を発揮できるのが楽しみですわ!」
武術家「令嬢」
令嬢「はい?」
武術家「あとは任せた」
令嬢「は、はいっ!」カァ…
美形「おうおう、見せつけてくれるねえ。
こっちはもうスタンバイオーケーだ。さっさと出てきてくれよ」
令嬢「分かりましたわ」ザッ
美形「君もつくづく不運な女だねえ」
美形「女の身でありながら、こんな真剣勝負の場に立つことの愚かさ……
たっぷり思い知らせてやるよ」
令嬢「武術家さんはおっしゃってました。格闘技に男も女もありません」
美形「……ふん!」
審判「始めっ!」
美形「ま、顔は避けてやるから安心しな──よっ!」ダッ
ベシィッ!
令嬢「あうっ!」
美形のローキック、令嬢の顔がゆがむ。
美形「そらそらそらっ!」ガガガッ
令嬢「くっ……」
弟(速い……ッ! さすが西の道場の跡取りで、ナンバーツーなだけはある!
令嬢さん、防ぐので精一杯だ!)
美形「女で、しかもほとんど初心者みたいな奴がこんな試合に出るとか──
なめてるのかい!?」
美形「ボクは君みたいな奴がホントムカつくんだよ!」
ドスッ! ドズッ!
令嬢のボディに拳が突き刺さる。
令嬢「ぐ……っ! くっ!」
弟(アイツ……いたぶってやがる!)
武術家「…………」
美形(武術家め、平気な顔しているが内心ハラワタ煮えくり返ってるだろう)
美形(だが、悪いのはお前なんだからな!)
美形「ほら、少しは反撃してみな!」
令嬢「たあっ!」ヒュッ
美形「ふん」パシッ
令嬢の突きが、あっさり弾かれる。
弟「令嬢さん、腕だけで打っちゃダメだ!」
弟(やっぱり……いきなりこんな試合無理だったんだ!
ただでさえ実力差がありすぎる相手なのに……
令嬢さん、動きも固いし、フォームもガタガタだ!)
武術家「…………」
バシッ! ベシッ! ドカッ!
令嬢「……ぐうっ」
美形「──ハハ、ボクが手加減してるからとはいえ、君も粘るねえ」
令嬢「ハァ……ハァ……ハァ……まだまだ、これからですわ」
美形(一応警戒していたが、コイツは弱い! だが、どうせ勝つなら……
武術家により屈辱を味わわせなくちゃ面白くないよなぁ)
美形「君は箱入り娘として、大切に育てられたんだろう? だったら」シュッ
むにゅっ……
令嬢の胸を掴む美形。
ザワッ……!
弟「なっ……!」
色黒「!」
鉢巻「マ、マジッスか!」
美形「ふふふ、こんなことされるの、初めてだろ?」モミッ…
令嬢「…………」
もにゅもにゅ……
美形(どうだ、武術家! お前がムリヤリ選手に選んだ女は
こんな惨めな目に遭っているぞ!)
弟「令嬢さん! あ、アイツ、ふざけやがって……!」
弟(でも……真っ先に飛びかかりそうな兄ちゃんがなにもいわない……なんでだ?)
武術家(不思議だ……なんで俺はこんなに冷静でいられるんだろう)
武術家(多分、令嬢に全て託すと決めたからだろうな……。
だから、今も怒らないでいられる……飛びださずにいられる)
武術家(いやむしろ……美形があんなマネに走ったのはむしろチャンス!
令嬢もそれを分かってるはずだ!)
もにゅむにゅ……
美形「どうだい? 屈辱だろう? 実力で敵わなかった上にこんなことされて」モミモミ…
令嬢「別に……これくらいどうってことありませんわ」
美形「!?」
令嬢「武術家さんは教えて下さいました。格闘技は痛くて苦しいものなのだと──
だからこういうことも覚悟していました」
令嬢「ただし一言だけ」
令嬢「私の胸を揉んでいいのは──武術家さんだけですわ」
美形「!?」
色黒「!」
鉢巻「へ!?」
審判「な……」
弟「え」
武術家「!」ブハッ
令嬢は呆気に取られた美形の胸に手を当て──乳首をつねった。
ギュウゥゥ……!
美形「いぎゃあぁぁぁぁっ!!!」
令嬢「油断大敵ですわね」ザッ
令嬢(でも今の感触……この人、もしかして!)
美形「よ、よくも……! よ、よ、よくもぉっ!」バッ
美形が令嬢の顔面めがけ、パンチを放とうとする。
だが──
ヒュワァッ ベシィッ!
令嬢の上段蹴りが、美形の頭部にクリーンヒットした。
美形「がっ……」グラッ…
(な、なんて美しい蹴り、だ……。今の今まで弱いフリ、してたのか!?)
美形(油断した──が、耐えられない威力じゃない!)
美形(突きはそこまでのレベルじゃないし、蹴りはもう喰わない……。
“詰み”だ!)
令嬢「…………」スゥゥ…
美形(な、なんだ?)
令嬢「はあっ!」
令嬢が息を吐き出すと同時に繰り出した突きが──
ズドンッ!!!
美形「ぐっ……はぁっ!」
蹴りで動きの鈍っていた美形に炸裂した。
ドザァッ……!
美形「が、がは……っ!(な、なぜ女の突きがこれほどの……!?)」ピクピク…
弟「今のは──」
(昔、兄ちゃんが編み出したスキだらけの技……!)
武術家「…………!」
武術家(乳首をつねって相手を怒らせ、怒った相手に蹴りをブチ込み、
ダメージを受けた相手に深呼吸拳──!)
武術家(令嬢……とんでもないコンビネーションを開眼しやがった!)
美形「が……ぐっ……」ググッ…
武術家「おい審判! 西の道場を勝たせたいんだろうが、ありゃもう無理だ!
これ以上やらせたら、それこそ大問題になるぜ!」
審判(私は息子の治療費と引き換えに、西の道場への肩入れを約束した。
だがそれはあくまでも、判定決着の時のみ──やむをえん……!)
審判「……それま──」
美形「ま、待てっ!」ゲホッ
美形「ボ、ボクは……ボクはまだやれるっ! やれるんだっ!」ヨロッ…
武術家「やめとけ。上段蹴りをモロに受けて、あの突きを喰らったんだ。
多分俺でも立てねえよ」
武術家「別に俺たちはてめえらの看板なんざ欲しくもねえ。
看板の話ならなかったことにしてやるから、大人しく寝とけ!」
美形「う……うるさいっ!」
美形「ボクはなんとしても……なんとしても!
君たちの道場を……潰さなきゃならないんだ……絶対!」ヨロッ…
色黒「美形さん、もう──」
鉢巻「立たない方がいいッスよ……!」
令嬢「ハァ……ハァ……」
武術家(令嬢だってもう限界なんだ。これ以上やらせるわけにゃいかねえ!)
美形「さあ……続きを……!」ハァハァ…
武術家「てめえ、しつこいぞ! 男だったら、いさぎよく負けを認めろ!」
美形「ふふ……男なら、か……」
武術家「?」
色黒(まさか!)
鉢巻(いうんスか、ここで!?)
美形「あいにくボクは……男じゃない、女だっ!!!」
武術家「……は?」
弟「へ?」
令嬢「…………」
武術家「なにをいうかと思えば、とうとう頭おかしくなったのか、てめえ!」
令嬢「武術家さん。彼……いえ彼女のおっしゃっていることは事実ですわ」
令嬢「露出の少ないゆったりとした道着でごまかしていますが、
先ほど触れた美形さんの胸は、紛れもなく女性のものでした」
武術家「な!?」
色黒(そう、これは──私や鉢巻のような古株しか知らない)
鉢巻(西の道場の秘密ッス……)
武術家「でもなんで男のフリなんか……趣味か?」
美形「な、わけあるか……! ボクは、ボクは──」
すると──
ガラッ!
道場主「もうやめるんだっ!!! ……娘よ」
色黒&鉢巻「先生!」
道場主「全て私のせいだ……私が悪いのだ……すまなかった」
美形「と、父さん……」
ザワザワ……
道場主「私と東の道場の師範が、若い頃ライバル関係だったというのは知っておろう。
だが、実際にはライバル関係などではなかった。
私と彼の実力には大きく隔たりがあり、私は勝ったことがなかった」
道場主「だから私は鍛錬よりも道場の経営に力を入れ、
結果として東の道場よりも規模を大きくすることができた」
道場主「だが──」
道場主「道場を建て、せっかく生まれた一人娘にも、私は来る日も来る日も愚痴ばかり。
師範や東の道場への劣等感をいつも口ずさんでいた」
道場主「そしてある日、まだ物心ついてまもない娘が──」
『おとーしゃん、あたしおとこのこになる!』
『ひがしのどーじょー、やっつけるまで!』
道場主「たしかに道場の上に立つなら、女より男の方が都合がいい。
東の道場に勝てるような強い道場にするには、なおさらだ」
道場主「だから私は幼い娘の心づかいにつけ込み、娘を男として育てた……!
知っているのはそこの色黒や鉢巻といった、一部の高弟だけ……。
すまなかった、娘よ……」ガクッ
武術家(マジかよ……)
令嬢「そんなことが……」
さらに──
師範「うむ。ワシも道場主さんから全てを聞いた」ザッ
ザワッ……
武術家「お、親父まで!?」
弟「お城に行ってたんじゃ……」
師範「長年の因縁がある東西の道場が看板をかけて試合をするんだ。
ワシのいる城にまで、ウワサは伝わってきたわ!」
師範「話を聞くなり、ワシはすぐに城を飛び出した!」
師範「おおかたワシを呼び戻すとワシの名誉にかかわると思っておったんだろうが」
師範「自分がおらぬ間に自分の道場が瀬戸際になっている方が、
よっぽど名誉にかかわるわ! ……余計な気遣いをしおって!」
武術家&弟(た、たしかに……)
師範「それに、道場がなくなって一番困るのはワシらではない。
今まで道場に通っていた門下生たちだ!」
武術家&弟(おっしゃる通り……)
師範「まったく、こんなことも分からぬとは……バカ息子どもが!
あとで久々にワシが“地獄稽古”をつけてやるかな」
武術家「ひ、ひぃぃ……! ま、待ってくれよ!」
弟「あれだけは勘弁して……!」
令嬢(武術家さんがあそこまで怯えるなんて……)ゴクッ…
師範「──だが、褒めておきたい部分もある」
師範「弟よ、敗れはしたが──日頃の門下生との稽古が実ったいい試合だった。
みごとだったぞ」
弟「う、うん! ありがと、父ちゃん(見てたんだ……!)」
師範「武術家!」
武術家「なんだよ親父」
師範「城で今日の試合のことを聞いた時、真っ先に心配したのはお前のことだ。
怒りのままに西の道場に乗り込んだり、
試合で相手を必要以上に痛めつけるのではないか、とな」
師範「だが、終始落ち着いて試合に臨んでいた。成長したな」
武術家「……と、当然だろ」
師範「そして、令嬢さん」
令嬢「は、はい!」
師範「格闘技を覚えてまだまもないというのに……いい試合をしてくれた。
なにより、バカ息子二人を助けてくれて本当にありがとう……」
令嬢「いえ、そんな。私から武術家さんに、出たいとお願いしたのですから」
師範「──そして、看板がなくなって門下生が困るのは西の道場も同じこと」
師範「今日の試合に関する一連の事件については、全て水に流す。
これが先ほど、ワシと道場主さんで話し合った結論だ」
武術家「……分かったよ」
弟「オッケー」
令嬢「はい!」
色黒「かまいません」
鉢巻「了解ッス」
師範「審判さん、あなたのやったことも同じく水に流しましょう」
審判「面目ありません……!」
美形「でも……これじゃ、なんのためにボクはずっと男のフリして……」ウルッ…
令嬢「本当は女として生きたかったんですのね?」ギュッ…
美形「……な、なにするんだ!」
令嬢「大丈夫、今からでも十分間に合いますわ。そうだ、今度私の家に遊びにいらして。
女性のたしなみを、レッスンしますから」
美形「……うん」グスッ
ワイワイ……
弟「とりあえず一件落着、だね」
武術家(くそっ、美形のヤツ一発殴りたかったのに、タイミング逃した……)
すると──
ガラッ!
富豪「ハァ、ハァ、ハァ……」
令嬢「お父様!」
師範「おお、これは富豪殿。どうされたのですかな?」
富豪「どうもこうもない! あなたのところの武術家君が、
私の娘を女子同士の試合だとウソをついて、
よりによって道場同士の真剣勝負に出場させたのですぞ!」
師範「え!? いや、それは──」
(バカ息子め、ちゃんと許可を取っていたのだと思っていた……)
富豪「言い訳は結構! この件については、あとで徹底的に追及──」
美形「その必要はありませんよ」
富豪「ん!? だれだ君は!?」
美形「令嬢さんの相手はボク──あたしだったんです。
女子同士の試合だというのは、ウソじゃありませんよ」ピラッ…
富豪「(胸がある……ホントに女だ)な、なんだ……そうだったのか」
富豪「ならばいいんだ。師範さん、変なことを申してすみませんでした」
師範「い、いえいえ。ワシらの方こそ」ホッ…
そして──
色黒「先ほどは君のことを侮辱してすまなかった。眼中にない、などと」
弟「え、いや、そんな」
色黒「さっきの試合……正直いって君の勝ちだった。だが、次は負けん。
いつかまた試合をしよう」
弟「はい!」
美形「……いいか、武術家君!」
美形「もう東の道場を潰そうなんて気はないが、
まだボク……あたし、ボクには東の道場を倒したいという気持ちはある!」
美形「今度こそ君たちに勝ってみせる!」
武術家(ボクかあたしか、どっちかに統一しろや)
「いいぜ、対抗戦でもなんでもいつでも受けて立ってやるよ!」
令嬢「ふふふっ……」
美形「じゃ、みんな帰るぞ!」ザッ
色黒「はい!」
鉢巻「うッス!」
道場主「うむ……」
一ヶ月後──
<豪邸>
この日、東西の道場の和解を祝し、パーティーが開かれていた。
シェフ「どんどん食べて下さいね! 料理はたっぷりありますから!」
富豪「こんなに大勢の客を招くのは初めてだわい、ハッハッハ」
夫人「皆さん元気がよろしくて、いいわねえ~」
ワイワイ…… ガヤガヤ……
令嬢「私がドレスをコーディネイトしてみたの。いかがかしら?」
美形「ど、どうかな……?」フワッ…
弟「すごくキレイですよ! 道場の跡取りってのが信じられないくらい!」
(本当にキレイだ……なんだか惚れちゃいそうだよ)
武術家「うん、いいんじゃねえか?」
(ダメだ、今までの印象があるから女装にしか見えねえ……)
美形「あ、ありがとう!」
令嬢「ふふふっ」
ワイワイ…… ガヤガヤ……
<豪邸の外>
二人きりで外に出た武術家と令嬢。
武術家「……悪いな、楽しんでるとこ呼び出して」
令嬢「いえいえ」
武術家「みんなの前じゃどうしてもいいにくかったからさ……」
武術家「そ、その……今までいえなかったけど……」
令嬢「?」
武術家「ありがとう」
令嬢「! ──いえ、今回のパーティー、費用を出し合ったのは皆さまですし、
お礼をいわれることなど──」
武術家「いや、そうじゃない」
武術家「西の道場とうまい具合に和解できたのは……いや。
俺がこんなにも和やかでいられるのは……みんな、令嬢のおかげだ」
武術家「令嬢と出会わなきゃ、俺は今も身勝手な格闘美学を振りかざしてただろう」
令嬢「……こちらこそ」
令嬢「あなたのおかげで、こんなに強くなれたんですもの……」
武術家「お、俺は……」
令嬢「?」
武術家「俺、は……俺、は……」ゴクッ…
武術家「俺はアンタのことが、好き、だっ!」
令嬢「!」
令嬢「はい、私もですわ……」
武術家「…………」スッ…
令嬢「…………」ギュ…
日頃の稽古で幾度も肌を合わせ、胸を触り合ったこともある二人であったが──
手を繋ぐのは今日が初めてだった。
~おわり~
面白かった。