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――――青の国・王都・王宮
青の国は水の都として有名な国である。
国土には三本の大河が流れ、大小合わせて百を超える湖が点在している。
海に面し、多数の島を持つ国でもあるので内陸の国からは海水浴やバカンスを目的とした観光客も多い。
そんな青の国の王都は国で一番大きい湖のほぼ中心に位置する島の上にある。
もっとも、元々島だった部分は王都の半分以下であり大半は人工島となっているのだが。
王都のある島から南に位置する島には青の神樹が根を下ろし人々を温かく見守っている。
青の神樹の加護により清く澄みわたった湖の水は名水として名高い。
青の王「人間と魔族の和平を目指す……とな?」
勇者「はい。何百年にも及ぶ闘いの歴史に終止符を打つのが私の夢なのです」
王宮の中庭、美しい噴水で『水の芸術』と評判高いその庭園で勇者は青の国の王に謁見していた。
本来ならば謁見は王の間で行われるものだが、通常の謁見の後に勇者が青の王に頼み二人だけで会う機会を設けてもらったのだ。
青の王「しかし魔族は我々人間にとって最大の敵……そう簡単に和平が実現できるとは思えん……」
青の王「それは魔族にとっても同じことだ。聖十字連合の各国が和平の申し入れをしたところで魔王が果たしてそれを受け入れるか……」
勇者「それについては私に策があります。まだ内容についてはお話しできませんが……必ずや魔王も和平を承諾するでしょう」
青の王「…………」
突然の勇者からの提言により困惑と当惑に曇った青の王の顔を勇者はただ真っ直ぐに、決意に満ちた眼で見つめた。
しかし内心、こう思っていた。
勇者(またか…………)
100代目勇者一行が白の国を旅立ってから三ヵ月が経っていた。
訪れた国は赤の国、黄の国、橙の国、藍の国……そして青の国の計五つだ。
各国での王との謁見の場で勇者は魔族との和平を王達に進言した。
白の国の王を含めれば六人の国の代表者へ停戦を目指す意思を伝えたことになる。
旅立った当初、勇者は魔族側との停戦に異を唱えるのは赤の国の王だけだろうと思っていた。
赤の国は強力な軍隊を持ち、魔族との戦争により軍事方面で多大な利益を上げている国だからである。
血気盛んな赤の王の下、聖十字連合の中で最も軍事面に力を入れている。
とは言え他の国々の王達が皆停戦に賛成すればいかに赤の王と言えども和平を承諾せざるを得ない。
勇者はそう考えていた。
しかし…………王達の反応は思わしくなかった。
赤の国の王が和平に反対なのは予想通りではあったが、他の国の王達は皆『保留』という答えだった。
昔から勇者のことを良く知る白の国の王も『個人的には応援している』、平和主義で温厚な藍の国の王でさえ『今はまだ答えを出せない』というものであった。
そして各国の王は必ず最後に勇者を見てこう言う。
青の王「勇者よ……見たところお主はまだ聖剣と契約を交わしてはおらぬな?」
青の王の視線の先には勇者の腰に差された剣があった。
その剣も名剣であることに変わりはないのだが、真の勇者のみが持つことを許された聖剣でないことは一目瞭然である。
勇者「はい。聖剣の今の持ち主は私の父、99代目の勇者です故……」
勇者は何度も聞いた質問に対し心の中で舌打ちをしながら今までと同じ様に答えた。
青の王「そうか…………お主が聖剣との契約を交わし真の勇者となった時、また改めて話を聞かせてくれないだろうか?」
青の王「如何せん急に魔族との和平と言われて私も驚いてしまってな。私達人間の未来に繋がる大事な話だからこそ、その場で二つ返事をすることはできぬ」
青の王「一国の主として私もこの件についてはゆっくりと考えたいのだ」
勇者「ハッ…………」
青の王「前向きに検討する故、お主は引き続き各国を巡る旅を続けるが良い」
――――――――王宮・テラス
勇者「…………クソッ!!」
ガンッ!!
武闘家「その様子からしてまたあんまり良い返事は貰えなかったみたいですね」
青の王との謁見を終えた勇者は王宮のテラスで仲間達と落ち合った。
勇者が苛立ちに任せて蹴り倒した木製の椅子が無惨に転がっている。
僧侶「青の王様はなんて……?」
倒れている椅子を優しく元に戻しながら僧侶が勇者に聞いた。
勇者「また他のとこの王様達と同じだよ」
勇者「『まだ返事はできない』『聖剣と契約したらまた来い』ってよ……!!」チッ
勇者は感情表現が豊かな方ではあるが、こうも他人の前で苛立ちをあらわにするのは珍しい。
幼き日に魔王と誓った人間と魔族との和平。
その計画が最後の最後に来て滞っているのだから苛立ちもするし不満もつのるのだろう。
魔法使い「でもさ~、そんなに聖剣ってのは重要なもんなのかな~?」
テラスの手すりにもたれかかりながら魔法使いが言った。
勇者「さぁな……だけど魔剣と契約を交わした魔王を倒せるのは聖剣と契約を交わした勇者だけだって言われてる」
勇者「こと戦闘力に関しちゃかなり重要なモンらしいけど……」
武闘家「おそらく……一種のシンボル的なものではないでしょうか?」
魔法使い「シンボル?」
武闘家「えぇ、任命の儀を済ませ、聖剣を手にした者……それこそが『勇者』であると王様達は認識しているんでしょうね」
武闘家「ですから100代目勇者に任命されているとは言え聖剣と契約を交わしていない勇者は現時点では勇者として半人前、ということじゃないでしょうか?」
勇者「まだまだヒヨッこってことかよ」
武闘家の話を聞いた勇者は苦々しい顔でそう呟いた。
そして父親のことを思い浮かべた。
勇者「……にしてもあの親父がすんなり俺に聖剣を渡してくれるとは思えないしな」
僧侶「そう言えばどうして大勇者様は勇者君に聖剣を預けないの?」
勇者「『魔王と闘う意志のない腑抜けには聖剣は渡さない』ってよ」ケッ
武闘家「大勇者様は反魔族派ですからね……勇者は大勇者様といつも喧嘩してるんでしょ?」
勇者「あの分からず屋の頑固者が悪いんだよ。あのクソ親父、魔族を根絶やしにしないと気が済まないんじゃねぇか?」イライラ
旅立ちの日の我が家での言い争いを思い出し勇者の中に父への苛立ちの炎が再び燃え上がった。
何が魔族は人間の敵だ。
そうやって他の種族を受け入れられない心が人間にとって最大の敵だろうが。
母さんのことだって…………。
勇者「あ~~……あのクソ親父のこと思い出したらイライラしてきた」
武闘家「まぁまぁ、落ち着いて下さいよ」
魔法使い「そうだよ~、眉間に皺の寄った勇者なんて似合わないよ?」
勇者「わかってるよ……にしてもこれからどうすっかな……」ハァ
僧侶「今まで通り他の国の王様達に魔族との和平を提案していくしかないんじゃない?」
武闘家「そうですね、勇者として半人前ってことは半分は間違いなく勇者ってことですよ」
武闘家「また保留の意見が返ってくるかも知れませんが、それでも勇者の提言のおかげで王様達に和平の道を考えて貰えるようになったと前向きにとらえましょうよ」
魔法使い「うんうん、きっと無駄じゃないよ。そんで真の勇者とやらになったらまたお願いに行けば良いんだよ」
魔法使い「そしたら案外王様達も『よし、今すぐ和平だ!』って言うかもよ?☆」
勇者「そんなに上手く行けばいいけどな~……」ハハッ
勇者「ん~~~~…………」ガシガシ
勇者「よしっ!!」
頭を掻きむしると勇者は声を上げた。
勇者「そうだな、やれることをやってかないとな!!」
僧侶「うん、それでこそ勇者君だよ」ニコッ
勇者「魔王も魔王で頑張ってんだ。俺もちょっとやそっとの障害ぐらい乗り越えてみせなきゃ笑われちまうよ」
魔法使い「『ちょっと上手くいかないことがあったからってふて腐れちゃうの?勇者はだらしないな~』とか言いそうだよね」ニャハハ
武闘家「まったくですね」フフッ
勇者「ったく、勘弁してくれよ」ハァ
肩をすくませため息混じりに勇者は苦笑した。
その時王宮が急に騒がしくなった。
がやがやがやがや!!
タッタッタッタ!!
勇者「…………なんだ?」
僧侶「さぁ……?」
石畳の廊下を駆ける兵士達の足音。
時に飛び交ういくつもの怒鳴り声。
明らかに異常な空気が王宮に満ちている。
魔法使い「よくわかんないけど何かあったみたいだね……」
武闘家「……すみません!!」
武闘家は廊下を駆けてきた若い兵士に声をかけた。
若い兵士「これは武闘家さん、なんでしょうか?」
武闘家「急に騒がしくなったのでどうかしたのかな、と……」
若い兵士「どうもこうもありませんよ!!魔族の連中宣戦布告も無しに攻めて来たんです!!」
勇者「なっ……!?」
僧侶「えっ……!?」
武闘家「魔族が奇襲攻撃を……!?」
人間と魔族の戦争は戦技協定と呼ばれる掟にのっとって行われている。
これは開戦当初に人間側と魔族側との間で取り決められた戦争についての誓いである。
緑の国での戦の禁止や、相手側の種族を捕虜として拘束することの禁止などがこれに含まれている。
そうした掟の中に『開戦前には宣戦布告を要する』というものがある。
事前に侵攻側が防衛側に対し日時と場所を指定し、互いの準備が整ったところで戦が行われるのだ。
お互いの国がフェアに正々堂々と闘って戦に白黒をつけるために生まれた掟である。
無論、何百年と続く人間と魔族の戦に置いて宣戦布告を為さずに奇襲攻撃を仕掛けた王や魔王も何人かいる。
だが彼らは一人の例外も無く卑怯者の汚名を着せられている。
勝利に目が眩み正々堂々と戦いをすることが出来ない卑しい王である、と罵られることになるのだ。
その奇襲攻撃を魔王が指示したのだ。
人間と魔族との和平を目指し、争いを好まぬあの魔王が、だ。
勇者達は未だに先程の兵士の言葉が信じられずにいた。
勇者「おい……それホントなのかよ!?」
若い兵士「ホントもホントですよ、お陰で今すぐ援軍を送らなくちゃならないってんで兵士と上位魔法使いが召集かけられてるんです!!」
魔法使い「上位魔法使い……転移魔法で兵士さん達を戦場まで飛ばすんだね」
若い兵士「えぇ……っと、自分も兵士長に呼ばれてるので失礼します!!」ダッ
兵士は勢い良く廊下を蹴って練兵場へと向かって行った。
武闘家「勇者……」
勇者「わかってる!!」
武闘家が何か言おうとしたがそれを遮るように勇者が怒鳴った。
勇者「魔王が……アイツがこんなマネするわけない!!」
僧侶「うん……私もそう思う」
武闘家「僕も……そうですが……」
魔法使い「…………」
四人は魔王が奇襲攻撃の指示を出したとは到底思えなかった。
他の誰かが魔王に無断で指示を出したのか、何かの手違いか……。
しかし心の奥底には魔王を疑う思いがあったのも事実である。
魔王がそんなことするはずない。
そう思えば思うほど懐疑の念が顔を覗かせるのだ。
武闘家「…………とにかく、詳しい状況がわからないことには何も言えません。大臣さんのところへ向かいましょう」
勇者「……あぁ!!」
勇者達は王の間へと全速力で向かった。
たどり着いた王の間は混乱の様相を極めていた。
青の王は幾人もの臣下からの話を同時に聞きつつ頭を抱え、大臣は彼らに大声で指示を出し、指示を受けた臣下達は右往左往しながらその場を後にする。
つい先ほど勇者達が招き入れられた静かな王の間はそこにはなかった。
勇者「大臣さん!!」
青の大臣「おぉ、勇者殿!!」
武闘家「魔族が奇襲攻撃をかけてきたというのは本当なのですか?」
青の大臣「うむ……風鳴の大河の戦場に魔族が攻めて来おってな、我が軍の兵士達は不意打ちに大打撃を受けている。このままでは……」
風鳴の大河とは青の国の西を流れる黒の国と国境を為す河川である。
もっとも長年続く魔族との戦争において国境は幾度となく変動してはいるのだが、青の国と黒の国との国境と言えばまず誰もが思い浮かべるのはその河川だ。
そしてそれ故青の国と黒の国の主戦場となっている地域の一つである。
青の国も常時それなりの兵を置いてはいるのだが……突然の奇襲には対応出来なかった様だ。
青の大臣「我々としても奇襲の報を受けてからできる限り兵を集めておる。既に劣勢となった戦場に援軍を投入したとしてどこまで巻き返せるか分からぬがそれでもやらねばなるまい」ムゥ…
勇者「その必要はないです」
難しい顔をした青の大臣に勇者は言った。
僧侶「勇者君……?」
勇者「風鳴の大河の戦場へは俺たちが向かいます」
武闘家・僧侶・魔法使い「!」
青の大臣「ゆ、勇者殿達が!?」
勇者「はい。風鳴きの戦場には俺の転移魔法で跳べますし、俺達なら戦力としては申し分ないでしょ?」
青の大臣「たしかに勇者殿達が行ってくれるのならばこの上ない戦力になるが……」
勇者「お前らも大丈夫だよな?」
勇者は仲間達の顔を確認する。
僧侶「勇者君がそう言うなら……私は行くよ」
武闘家「えぇ、僕も僧侶さんに同じです」
魔法使い「あたしも大丈夫だよ~、最近動いてなかったから丁度良いかな、なんて」ニャハ
勇者「よし……じゃあ決まり、だな」
勇者「援軍には俺達が行きます。魔族側の規模が分からないからなんとも言えませんけど……奇襲には大規模な軍勢はかけられないだろうから多分戦闘に関しては俺達だけで大丈夫だと思います」
三人の返事を聞き、勇者は改めて青の大臣へそう言った。
青の大臣「勇者殿達の武勲は聞いておるが……本当に大丈夫か?」
魔法使い「大丈夫大丈夫♪」
武闘家「そうですね、むしろ魔法使いさんがやりすぎないかが心配ですよ」
勇者「ま、そういうことです。転移魔法で援軍を送るんだったら医療班の人達をお願いします」
青の大臣「う、うむ……わかった」
不安げに青の大臣は勇者の申し出を受け入れた。
勇者「じゃ、行くぞみんな」パチィンッ!!
武闘家「はい!」
僧侶「うん!」
魔法使い「りょーかいっ!!」
カアアァァッ!!
転移魔法陣が勇者達の足元に浮かび上がった。
王の間の人々が転移魔法の青白い光に目を細めた時には勇者達はもうその場にはいなかった。
――――青の国・風鳴の大河
ウオオオォォォ!!
わー!!わー!!
キン!!ガキーン!!
風鳴の大河の戦場では青の国の兵士と黒の国の兵士とか熾烈な闘いを繰り広げていた。
しかし黒の国側の奇襲は現在の戦況に大きく影響を与え、青の国側は必死の防衛線を張っている状況だった。
今や風鳴の大河にある青の国の砦は最後の一つが辛うじて残るのみである。
槍を持った黒の兵士「うおおぉーー!!」ビュッ
髭面の黒の兵士「はああぁーー!!」ブンッ
聖騎士「甘い!!」ビュバッ
槍を持った黒の兵士「がっ……!?」ドサッ
髭面の黒の兵士「ぐぁ!!」ドサッ
二人の黒の兵士達の同時攻撃の隙間を縫う様に紙一重でかわし、聖騎士は両手で持った大剣を振り抜き二人の兵を一閃によって討ちとった。
聖騎士「くっ……善戦しているとは言え明らかな劣勢だ……」
聖騎士は額を伝う汗を拭いながら現状を分析すると悲嘆の声を漏らした。
聖騎士として戦場を長く駆ける彼女の切れ長の眼には今の戦況が残酷なまでに写っていた。
賢者「はうぅ……多勢に無勢ですもんね……」ウルウル
まだ十四になったばかりの賢者は今にも泣き出しそうな顔でか細い声で言った。
実力はあっても実戦経験の無い彼女にとって初めての戦が奇襲攻撃の防衛というのは酷な話だろう。
弓術士「あ~あ、迫り来るこの魔族の兵士達がみんなビキニのおねーちゃん達ならいいのになぁ……っと!!」ビュン
小柄な黒の兵士「うあっ!!」ドサッ
弓術士「っしゃ!ナイスショット♪」グッ
軽口を叩きながら弓術師の放った矢は砦へ脚を踏み入れようとした小柄な魔族の右大腿部を的確に射抜いた。
星氷の勇者「大丈夫、僕達がここの守りに徹していればこの砦が落とされることはまずないよ」
星氷の勇者「だから援軍が来るまで絶対にここを死守するんだ!!」
青の王よりこの地の守りを任されていた星氷の勇者が叫んだ。
彼が『星氷の勇者』と呼ばれているのには勿論理由がある。
それは彼が100代目勇者候補の一人であったからだ。
朱の刻印を持つ勇者候補達は候補者の証としてそれぞれが二つ名――――異名をを自国の王から与えられる。
背格好や性格、家柄、戦闘スタイルなど二つ名の由縁は様々だ。
彼が『星氷』の名を冠するのは、美しいまでに洗練された彼の氷撃魔法を讃えて与えられたものである。
聖騎士「そうは言うが守ってばかりいては勝つことはできないのだぞ?」
聖騎士「私達がここの守りをしなければならないのだから攻撃に割ける戦力などたかが知れている」
聖騎士「私達に援軍が来る様に魔族側にも援軍は来る。長期戦になればいずれ私達も闘えなくなり……ここも落とされる」
聖騎士は悲痛な面持ちで星氷の勇者の言葉に意見を述べた。
冷静に今の戦況を考えれば考えるほどこの戦の行く末が嫌と言うほど分かってしまう。
彼女自身それがつらかった。
星氷の勇者「でも僕達が諦めるわけにはいかない!!」
星氷の勇者「僕はこれでも勇者の端くれだ、最後まで希望を捨てずに闘い抜くだけだよ!!」
聖騎士「……まぁお前ならそう言うと思っていたがな」フッ
弓術士「そっすね、なんともアニキらしいッスよ」ニヤ
賢者「はひっ!!私も頑張ります!!」ギュッ
星氷の勇者「ありがとうみんな…………よし、なんとしても僕達でここを死守するんだ!!」チャキッ
カアァァァッ!!
星氷の勇者が剣を構えたその時、空中に青く輝く魔法陣が現れた。
星氷の勇者「!?」
賢者「これは……転移魔法陣?」
パッ!!
スタ!!スタタタッ!!
転移魔法の光の中から四人の男女が星氷の勇者達の目の前に降り立った。
「…………思ったより状況は悪いみたいだな……」
少しクセのある黒髪の少年は鋭い眼差しで戦場を見渡して言った。
風になびいたマントから彼の腰に差された小振りの剣が見える。
「うん……怪我人もたくさん出てそうだね……」
金髪碧眼の絵に描いたような可愛らしい少女が緊張した声で返した。
肩まで伸びた彼女の絹の様は髪が風に吹かれて揺れた。
「いいね、ピンチの方ががぜん燃えるってもんだよ!!」
大きな黒帽子を被った少女が何故か意気揚々と言う。
腕を伸ばしてストレッチする様は明らかにこの状況を楽しんでいる様に見えた。
「分かってると思いますが……遊びに来たわけじゃないんですからね?」
金髪の少年が黒帽子の少女に釘を刺した。
小さく漏らした彼のため息ははしゃぐ子供を前にした親のものと同じだ。
聖騎士「な…………!!」
弓術士「アンタ達は…………!!!!」
星氷の勇者「勇者さんっ!!!!」
星氷の勇者達三人は突如として現れた100代目勇者一行に驚きの声を上げた。
その声に勇者達も振り返る。
勇者「おー!!青坊じゃん!!久しぶりだなー!!」
青坊というのは勇者が星氷の勇者を呼ぶ時のあだ名だ。
勇者は自分より一つ年下の青の国出身の彼をそう呼んでいるのだ。
勇者「なんでここにいるんだ?」
星氷の勇者「僕達はもともとここの守りを青の王様から任されてますから」
弓術士「僧侶ちゃ~ん!!会いたかったよ~~」ガバッ
僧侶「止めて下さい、セクハラで訴えますよ」サッ
弓術士「ぐぇ!!」ドシーン
武闘家「弓術士さんは相変わらずみたいですね」フフッ
聖騎士「あぁ、残念ながらな」ハァ
星氷の勇者「皆さんはどうしてここに……?」
勇者「たまたま青の国の王宮に居たら奇襲攻撃の知らせがあってな、俺達が援軍として加勢に来たってワケだ」
魔法使い「あたし達が来たからにはどーんと泥船に乗ったつもりでいてよ!!」
勇者「お前の場合は本当に泥船になっちまいそうだよ」ハァ
賢者「あ、あの……」
賢者がおそるおそる声を発した。
賢者「は、はじめまして……」
勇者「ん?見ない顔だな……」
星氷の勇者「そうですね、勇者さん達は会うの初めてですもんね」
星氷の勇者「彼女は最近僕達のパーティに加わった賢者ちゃんです。青の国の魔法学校を飛び級で卒業した飛びきり優秀な子なんですよ」
勇者「賢者!?そりゃすげーな!!そういやお前のとこのパーティ回復は聖騎士がして攻撃魔法はお前がしてたもんな」
星氷の勇者「はい、彼女が仲間になってくれたお陰で戦略に幅ができました」
勇者「俺は勇者だ、よろしくな」ニッ
賢者「は、はい!!……ゆ、勇者様ってもしかして……」
聖騎士「あぁ、この前正式に任命された100代目の勇者だ」
賢者「!!」
勇者「まぁ100代目勇者なんて名ばかりだけどな」ハハッ
武闘家「ただの遅刻魔ですからね」ニコッ
勇者「うっさいなー」ムスッ
僧侶「勇者君、青君に会えて嬉しいのは分かるけど……」
勇者「あぁ、そうだな」
勇者「青坊、この砦の守りはお前らに任せるぞ。俺達は攻撃に回って魔族の奴らを撤退させる」
星氷の勇者「はい!!」
聖騎士「頼むぞ勇者!!」
弓術士「ねぇねぇ僧侶ちゃん、この戦いが終わったら俺とデートでも……」
僧侶「しません」キッパリ
弓術士「そっすよね~」
勇者「魔法使いと武闘家は戦場で黒の国の兵士達と闘ってくれ。僧侶は怪我人の手当て」
僧侶「了解!!」
魔法使い「勇者は?」
勇者「俺は本陣に攻め入って指揮官とケリつけてくる」
武闘家「分かりました」
勇者「魔法使い、帽子は」
魔法使い「大丈夫、ちゃんと被ってるよ」
勇者「武闘家」
武闘家「はいはい、ちゃんと手加減しますからご心配なく」
勇者「……じゃあ行くぞ!!!!」パチィン!!
勇者の転移魔法によって勇者一行は戦場へと散開した。
賢者「ゆ、勇者様達大丈夫なんでしょうか?」
勇者達の姿が見えなくなると賢者が不安そうに言った。
聖騎士「心配はいらない、奴らは強い」
賢者「でもたった4人じゃ……」
弓術士「なぁに、勇者の旦那達がいりゃ一万人力ッスよ」
星氷の勇者「……賢者ちゃん、歴代最強の勇者って誰だと思う?」
賢者「え?それはやっぱり大勇者様こと99代目の勇者様じゃないですか?」
賢者「最上級魔法の八重魔法陣ができるなんて後にも先にも大勇者様以外ありえないって言われてますよ」
星氷の勇者「そうだね、攻撃力っていう面で見たらたしかに大勇者様は歴代最強だと思う」
星氷の勇者「でも僕は勇者さんも負けないくらい強いと思う」
星氷の勇者「……去年だったかな、100代目勇者候補達の中で誰が一番強いのか、実戦形式の試合をしたことがあるんだ」
聖騎士「たしかお前は3位だったな」
星氷の勇者「うん。……試合前は大勇者様と99代目勇者の座を争った黄の国の裂空の勇者や、大火力の炎撃魔法の使い手の赤の国の煉撃の勇者が優勝だろうって言われてたんだけどね、優勝したのは勇者さんだった」
弓術士「他の候補者7人を相手にストレート勝ち。ぶっちぎりの優勝だったッスねぇ」
賢者「ふえぇ……」
聖騎士「『13秒完全試合』だな」
賢者「?」
星氷の勇者「勇者さんが闘った時間だよ」
賢者「どういう……」
星氷の勇者「7試合を計13秒で片づけちゃったんだ。つまり1試合あたり2秒かからずに勝ちを決めちゃったってこと」
賢者「えぇ!?そんな!!だって皆さんすごく強い方々ばっかりだったんじゃないんですか!?」
聖騎士「だがこれは事実だ。私達もその場にいて試合を見ていた」
弓術士「いやー、観客も審判も唖然としてたもんなぁ」ハハッ
星氷の勇者「その時僕達は改めて勇者さんの二つ名を思い知らされたよ」
星氷の勇者「『瞬天の勇者』、の二つ名をね」フフッ
――――――――
ウオォォォ!!
キィン!!キキィン!!
魔法使い「そーいや勇者が100代目の勇者に任命されてから戦場で戦うのって初めてじゃない?」グッグッ
風鳴きの戦場の中心地、兵士達の雄叫びが大地を揺らすその場所で魔法使いは腕を伸ばしながら言った。
武闘家「そうですね、諸国を巡る旅に出てからは戦場へ駆り出されたことはまだありませんでしたから」
魔法使い「もっと戦場に出るようになるのかと思ったら全然戦わなかったもんねぇ……戦うのっていつぶりぐらいだっけ?」
武闘家「任命前に戦ったきりでしたから多分4ヶ月くらいかと」
魔法使い「はぁ~……久しぶりだから大丈夫かなぁ……」
武闘家「何の心配ですか?」
魔法使い「手加減☆」
武闘家「だと思いました」フフッ
ザザザッ!!
多数の黒の国の兵士達が二人の前に立ちはだかった。
眼鏡の黒の兵士「前方に敵軍の兵士と思われる者達を発見、素手の男1女1!!」
唇の厚い黒の兵士「戦場に女だと!?」
長髪の黒の兵士「戦場に出たら男も女も関係ないだろうが!!」
黒の中隊長「その通りだ」
黒の中隊長「たかが小娘一人と優男一人戦場に転がるただのゴミと変わらん!!」
黒の兵士達「ハッ!!」ザザザザザッ!!
両手では数え切れない魔族達が魔法使い達に襲いかかろうと身構える。
武闘家「僕達ゴミですって」ハハッ
魔法使い「失礼しちゃうなー~……っと。よしっ、準備運動おしまいっ」
魔法使い「危ないから下がっててね、武闘家」ババッ
武闘家「言われなくても」スッ
魔法使いは不敵に微笑み両手を左右に広げた。
魔法使い「行っくよーー☆」ニッ
彼女の両の手のひらに魔力が集中していき、空中に赤の魔法陣が形成される。
眼鏡の黒の兵士「赤の魔法陣……攻撃魔法の使い手と言うことは……あの女魔法使いか!!」
長髪の黒の兵士「たかが魔法使いの女一人恐るるに足らん!!」
新米黒の兵士「……せ、先輩、でも……」
長髪の黒の兵士「どうした!?」
新米黒の兵士「魔法陣があんなにたくさん……」
長髪の黒の兵士「!?」
キィン!!
キキキキキキキキキィィン!!
黒の兵士達が魔法使いの方を見ると彼女の周囲の空中には多数の魔法陣が展開されていた。
左右の手を中心に二十個ずつ、計四十の魔法陣が砂煙舞う戦場に浮かび上がった。
唇の厚い黒の兵士「なっ……!?」
眼鏡の黒の兵士「れ、連撃魔法陣展開!?」
長髪の黒の兵士「しかもなんて数だ……!!」
魔法陣展開には二つの応用がある。
そのうち一つが連撃魔法陣展開だ。
一つの魔法陣を同時に複数個展開するこの技術は展開する魔法陣の数・レベルに応じて、必要とされる集中力と魔力も増してゆく。
並みの魔法使いが上級魔法陣の複数展開をするとするならば十が限界とされている。
だが魔法使いが術式を組んだ魔法陣は上級炎撃魔法陣だ。
それが四十もの同時展開……黒の兵士達が狼狽えるのも無理は無かった。
長髪の黒の兵士「な……あの女化け物か!!??」
魔法使い「くらえっ!!」バッ
左右に広げていた手を前に向け、魔法使いは叫んだ。
魔法使い『四十連炎撃魔法陣・灼』!!!!
ドドドドドドドドドドドドッ!!!!
ヒュンヒュン!!ヒュヒュヒュン!!
ドガガガガガガガガガーーーン!!
黒の兵士達「ぐああああああーーー!!!!」
四十の魔法陣から放たれた灼熱の火球が魔族達を襲う。
火の玉が戦場を飛び交い、あちこちで火柱が立ち上る様はさながら大軍隊による一斉砲撃の様であった。
眼鏡の黒の兵士「ぐぅ……!!」
唇の厚い黒の兵士「うぅ……!!」
新米黒の兵士「熱い……!!」
魔法使い「どうだったかな、あたしの情熱の炎の熱さは?」ニャハ
長髪の黒の兵士「ぐ……うぅ……き、貴様何者だ……!?」
炎撃魔法を受け倒れる黒の兵士の問いに魔法使いは答えた。
魔法使い「あたしは100代目勇者の仲間の一人、『燃え萌え魔法少女』魔法使いちゃんだよ☆」キラーン
決めポーズも忘れない。
長髪の黒の兵士「ふざけおっ……て……」ガクッ
彼はそう言うと心底悔しそうな顔で意識を失った。
黒の兵士達「うおおおぉぉぉ!!」ドドドド!!
魔法使い「ん、まだまだいるね~。でもさっきので手加減の仕方も思い出したしもうちょっと強い魔法使っても大丈夫かな?」ニッ
魔法使いが両手を体の前へと向けた。
広げた手のひらを今度は重ね合わせる。
キィン!!
先程の上級炎撃魔法陣の数倍はあろうという巨大な魔法陣が彼女の目の前に展開される。
手のひらへと魔力を集中させ、その力を解き放つ。
魔法使い『炎撃魔法陣・獄』!!!!
ゴオオオォォォォォォ!!!!!!
水平方向へと放たれた最上級炎撃魔法の巨大な火柱が戦場の魔族達に襲いかかった。
――――――――
ドガアァァァーーン!!!!
武闘家「いやぁ、魔法使いさんはしゃいでますねぇ」
戦場に立ち上るいくつもの火柱、響く爆音を見ながら武闘家が言った。
武闘家「前回の戦場では『燃える炎は元気の証☆キュア魔法使い』って言ってたのに今回は『燃え萌え魔法少女』ですか」アハハ
武闘家「さて、中央より西側は魔法使いさんに任せて僕は東側で戦うとしましょうか」
鼻ピアスの黒の兵士「よそ見してんじゃねぇぞあんちゃん!!」ブンッ
スキンヘッドの黒の兵士「ここはテメェみてぇなヒョロいガキの来るところじゃねぇんだ!!」ブンッ
武闘家の背後から二人の魔族が襲いかかった。
パシッ
グルン
黒の兵士達「!?」ブワッ
……が、武闘家が優しく彼らの攻撃をいなすと魔族達は空中を舞った。
ドゴオォーン!!
鼻ピアスの黒の兵士「がふっ!!」
スキンヘッドの黒の兵士「ぐうっ!!」
そのまま地面に叩きつけられた兵士達。
二人の倒れた地面は不自然なほど陥没していた。
ベテランの黒の兵士「な……一体どうなってるんだ!?」
ベテランの黒の兵士「あいつらはただ投げられたようにしか見えなかったがあの地面の凹みはそれだけじゃ説明がつかないぞ……!?」
双子の黒の兵士兄「えぇい、ただの武闘家相手に臆することはねぇ、行くぞ!!」ダッ
双子の黒の兵士弟「あぁ!!」ダッ
ベテランの黒の兵士「ま、待てお前ら!!」
双子の黒の兵士達「うらあぁぁぁー!!」ブンッ!!
手にした斧を武闘家へと振り下ろす二人。
ガガッ!!
双子の黒の兵士達「!?」ググッ
ベテランの黒の兵士「……そんな馬鹿な」
その場の魔族達は誰もが目の前に広がる光景に目を疑った。
筋骨隆々の大男二人が振り下ろした巨大な戦斧。
それを細身の少年が受け止めていたからだ。
しかも一つの斧につき片手、斧の刃を人指し指と中指で挟むようにして受け止めている。
双子の黒の兵士兄「ぐぐぐ……!!」ググッ
双子の黒の兵士弟「動かない……!!」ググッ
武闘家「駄目ですよ、むやみやたらと真っ直ぐに突っ込んできちゃ」
ブンブンッ
グルンッ!!
ドガアァーン!!
双子の黒の兵士達「ぐはぁっ……!!」
彼らもまた先ほどの兵士達と同じ様に宙を舞い、地面へと叩きつけられた。
ベテランの黒の兵士「な……なんなんだアイツは…………ん?」
ボオ……
黒の兵士は武闘家の身体の異変に気づいた。
彼の身体は淡く黄色に光っている。
ベテランの黒の兵士「黄色の光…………まさか!!」ハッ
武闘家「はい、そのまさかです」ニコッ
ベテランの黒の兵士「お前肉体強化魔法を仲間にかけてもらって戦っていたのか!!」
魔法陣によって対象者の肉体を一定時間強化するのが肉体強化魔法である。
肉体強化魔法の効果が持続している内は対象者の身体が補助魔法の証である黄色の光に包まれるのが特徴だ。
武闘家「ん~、半分正解、半分不正解です」
ベテランの黒の兵士「だ、だが元より強靭な肉体を持つ黄の刻印の者は肉体強化魔法に拒絶反応が出て効果がないハズ……それに魔法による肉体強化だけじゃ投げられたアイツらがすごい勢いで地面に叩きつけられた説明が……」
武闘家「それは……これですよ」スッ
武闘家は静かにその場にしゃがみこむと地面に手を当てた。
ドッゴオオオォォォッ!!
ただ手を当てただけ。
それだけで彼の周囲の大地が激しく音をたてて割れた。
ベテランの黒の兵士「……!!……ば、馬鹿な……!!」
キイィィン……!!
黒の兵士の視線の先。
武闘家の手のひらには赤く光る魔法陣が浮かび上がっていた。
ベテランの黒の兵士「じゅ……重撃魔法陣……!!」ゴクッ
武闘家「正解です。あなたのお仲間さん達を投げた時に重撃魔法で通常の何十倍もの重力をかけて地面に叩きつけたんですよ」フフッ
ベテランの黒の兵士「あ、有り得ない!!!!戦士や武闘家は全く魔法は使えないハズじゃ……」ワナワナ
武闘家「普通はそうですよね。でも僕はちょっと特殊な人間でして」スルッ
ベテランの黒の兵士「……!?」
袖を捲り、剥き出しにされた武闘家の右腕。
そこには青の刻印と黄色の刻印が混ざり合った見たこともない刻印が刻まれていた。
武闘家「賢者っているじゃないですか。あれは青の刻印と緑の刻印の両方の刻印を持つ人達なんですよ」
武闘家「それと似たようなもので僕は青の刻印と黄の刻印が合わさった特殊な刻印を持っています。…………あ、これすごく珍しいんですよ、勇者の刻印より数が少ないんです」アハ
武闘家「だから本当は僕は『武闘家』ではないんです。…………古い書物には肉弾戦と魔法を組み合わせるこの戦闘スタイルで闘う人についてこう書かれています」
武闘家「『魔拳闘士』、と」ニコ
ベテランの黒の兵士「マ、マケントウシ…………?」ゴクッ
武闘家「さて、種明かしも済んだことですし僕も僕の役目を果たさせてもらいますよ」ニコッ
ベテランの黒の兵士「く、くそおおおぉぉぉ!!」ダダッ
武闘家『肉体強化魔法陣・豪』!!
キィン!!
武闘家『肉体強化魔法陣・堅』!!
キィン!!
武闘家『肉体強化魔法陣・疾』!!
キィン!!
武闘家の足元ち立て続けに展開された魔法陣が発動し、武闘家の身体は黄色の光に包まれた。
ベテランの黒の兵士「うああああぁぁぁ!!」ブンッ
武闘家「破ッ!!」
バキィィィン!!
ベテランの黒の兵士「な、なぁっ!?」
肉体強化の加護を受けた武闘家の掌底は黒の兵士の剣を易々と折った。
シャッ!!
狼狽する黒の兵士の懐へと目にも止まらぬ速さで潜りこんだ武闘家は右手に魔法陣を展開し、彼の腹部へと鋭い突きを放った。
武闘家『重撃魔法陣・砕』!!
ドゴッッッ!!
ベテランの黒の兵士「が……はぁっ!!」
ギューーーン!!
目の細い黒の兵士「ぎゃっ!!」
眉の太い黒の兵士「うわっ!!」
八重歯の黒の兵士「ぐえっ!!」
武闘家の拳と重撃魔法の合わせ技を受け吹き飛ばされ彼は幾人の黒の兵士達を巻き添えにした。
武闘家「あ…………しまった、やりすぎた……」
武闘家「う~ん、僕も魔法使いさんのこと言えませんね~」ポリポリ
――――――――
そばかすの青の兵士「うぐ……」ドサッ
眼鏡の青の兵士「お、おい!!しっかりしろ!!」
坊主の青の兵士「うぅ……腕が……うぅ……!!」
色黒の青の兵士「意識が遠退く……血を……流しすぎた……」
鷲鼻の青の兵士「ぐあぁ……痛い……!!」
青の国最後の砦。
医務室には多くの兵士達が担ぎ込まれており、既に定員を超えていた。
医療班は必死に兵士達の手当てをしてはいるが次から次へと運び込まれる負傷者達に手が回らず何十人もの兵士が医務室の外の地べたに横たわっている。
そばかすの青の兵士「……俺はもう駄目だ……手足の感覚がもうないんだ……」
眼鏡の青の兵士「諦めるな!!踏ん張れ!!」
そばかす青の兵士「……なぁ、俺が死んだら故郷の妹に『いつも喧嘩ばっかりしてたけど兄ちゃんはお前のことを愛していた』って伝えてくれないか……」
眼鏡の青の兵士「馬鹿野郎!!気をしっかり持て!!お前妹なんていないだろ!!故郷にいるのは牛よりデカいおふくろさんだけだろうが!!」ユサユサ
坊主の青の兵士「……ぐうぅ……せめて包帯だけでも……」
色黒の青の兵士「…………」ヒュウヒュウ
鷲鼻の青の兵士「うあぁ…………俺の足が……足がぁ……!!」
タタタタッ
兵士達の呻き声が聞こえる中、地を駆ける軽い足音が聞こえてきた。
僧侶「皆さん大丈夫ですか!?」
眼鏡の青の兵士「あ、貴女は……?」
僧侶「私は100代目勇者の仲間として援軍に来ました、僧侶です!!」
眼鏡の青の兵士「僧侶さん……ってことは回復魔法が使えるんだな!?」
僧侶「えぇ、勿論です。皆さんの傷を癒すために私はここに来たんですから!!」グッ
眼鏡の青の兵士「た、頼む俺の怪我は後でいい!!コイツをすぐに治してやってくれ!!」
そばかすの青の兵士「…………」ハァ…ハァ…
坊主の青の兵士「そ、僧侶さん……俺の傷も……!!」
色黒の青の兵士「…………」ヒュウ…ヒュウ…
鷲鼻の青の兵士「俺の足が先だ!!変な方向に曲がってて……!!」
「俺も……!!」
「僕も……!!」
僧侶が現れたと知り兵士達は我先にと僧侶に治療を請うた。
僧侶「……大丈夫です。皆さんまとめて私が治します!!」
僧侶はそう言って目を閉じた。
深く意識を集中する……。
キイイィィィィン!!
やがて僧侶を中心に地面に巨大な緑の魔法陣が浮かび上がった。
眼鏡の青の兵士「これは最上級回復魔法陣……!!」
坊主の青の兵士「し、しかも多重魔法陣だ……!!」
多重魔法陣とは同様の魔法陣を重ねがけすることにより魔法の効果を増幅させる技術だ。
先述の魔法陣展開の応用のもう一つの形だ。
連撃魔法陣を魔法のかけ算とするなら多重魔法陣は魔法の累乗だ。
その威力は凄まじく、それ故、難易度も必要とされる魔力も桁違いである。
カアアァァァ……!!!!
僧侶『二重回復魔法陣・愛』!!!!
パアアアァァァ……!!!!
広範囲・多人数の仲間の傷を癒す最上級回復魔法。
多重魔法陣展開によって効果を増した温かな治癒の光が兵士達を優しく包み込む……。
そばかすの青の兵士「う……傷が……」シュゥ…
眼鏡の青の兵士「気持ち良い……」シュゥ…
坊主の青の兵士「なんて温かな光だ……」シュゥ…
色黒の青の兵士「すぅ……すぅ……」シュゥ…
鷲鼻の青の兵士「た、助かった……」シュゥ…
僧侶「……ふぅ、なんとか間に合って良かったです」ウフフッ
眼鏡の青の兵士「僧侶さん、本当にありがとうございました……貴女が来てくれなかったら俺達は……」
僧侶「そんな、お礼なんていいんですよ」
僧侶「皆さんを助けることができて本当に良かったです」ニコッ
青の兵士達(――――――――!!!!)ズキューーーーン!!
僧侶の笑顔に兵士達に稲妻に似た衝撃が走った。
(あぁ……なんて美しいんだ……)
(こんな素敵な笑顔の女性見たことがない……)
(まるで天女……!!)
(女神のようなお人だ……)
(戦場に舞い降りた天使……)
(僧侶さん……)
(僧侶さん……)
僧侶「……?」
僧侶(心なしか皆さんから熱い視線を感じるような……まぁ気のせいかな)
余談ではあるがこの後、風鳴きの戦場の青の兵士達を中心にして『僧侶さんファンクラブ』という団体が結成される。
僧侶は『戦場の天使』とファン達から呼ばれ、大変な人気を博すことになるのだが、この時の僧侶はそのことを知るよしもない。
――――――――
勇者「ふーむ……結構片付けたつもりだけどまだいるもんだな」
勇者は手にした剣で肩を叩くと対峙している魔族達を見据えた。
大剣の黒の兵士「ぐ……」ジリッ
大盾の黒の兵士「くっ……」ジリジリッ
黒の兵士達は勇者を前にすっかり萎縮してしまっている。
それもその筈、勇者が魔族達の本陣に攻め入ってから数分も経たない内に半数以上の兵士達が勇者の手によって討ち倒されたのだ。
勇者の後ろには意識を失った百人余りの兵士達が倒れている。
大剣の黒の兵士(クソッ……!!わけがわからねぇ!!一人であの数の兵士達を一体どうやって倒したってんだ……!?)
彼は焦りと恐怖で混乱した頭で必死に状況を分析しようと試みた。
大盾の黒の兵士(倒された兵士達に目立った外傷はない……あっても刀傷ぐらいだ。……ってこと魔法は使わずに打撃かあの短い剣で倒したってことになる)
たしかに勇者の持つ剣は一般的な剣に比べてやや小振りであった。
その理由は勇者の独特の戦闘スタイルによるものである。
大振りのナイフよりは長いその短めの剣を勇者は利き手である右手に持ち、左手には何も持っていない。
大剣の黒の兵士(あの短い剣じゃ重い一撃は出せないだろうし、何より攻撃範囲が狭い。それなのにわざわざあの剣を使うことにどんなメリットが……)
勇者「なんだ、来ないのか?なら俺から行くぜ」チャッ
大剣の黒の兵士(く、来る!!)サッ
ゴッ!!
大剣の黒の兵士「が……!?」ドサッ
身構えた瞬間、側頭部に強烈な衝撃を受け彼はそのまま意識を失った。
大盾の黒の兵士「!?」バッ
黒の兵士は目を疑った。
先程まで距離を置いて相対していた勇者がいつの間にかすぐ隣の同胞の右側頭部に蹴りを入れていたからだ。
脳を揺らされた同胞はその場に崩れ落ちた。
大盾の黒の兵士(なんだ!?一体何が起こっている!?)
大盾の黒の兵士(さっきまであそこにいたこの男がすぐ隣に……!!)
彼は今まで感じたことのない異質な速さに恐怖を覚えた。
それは自分の知る速さの概念を超えた、別次元の速さである……彼はなんとなくそれを実感した。
大盾の黒の兵士「うわあああぁぁぁ!!!!」ダダダッ
喚きながら手にした槍で勇者へと襲いかかる黒の兵士。
勇者は特に焦るでもなく彼に左手をかざした。
大盾の黒の兵士(!?)
次の瞬間彼の目には天地のひっくり返った光景が映った。
勇者に攻撃を仕掛けた筈が目の前に勇者はおらず、空のあるべきところに地面があり、地面のあるべきところに空がある。
ドシャア!!
大盾の黒の兵士「あ゛……!!」
自分が逆さになっているのだと気づいた時には既に彼は地面に頭から落下し意識を断たれていた。
若い黒の兵士(まるで手品だ……)ゴクッ
勇者に倒された二人の兵士からやや離れたところで一部始終を眺めていた黒の兵士は一連の出来事をそう感じた。
まず勇者は二人の目の前から消え、一人目の兵士の頭上へと現れた。
速すぎて彼には勇者の移動の軌跡は見えなかったが、事実勇者がそこに現れた以上、超スピードで移動したことになる。
一人目の兵士の頭部に思い切り蹴りを入れ、着地すると今度は襲ってきた兵士に手をかざした。
二人目の兵士は消えたかと思うと勇者から少し離れたに空中に逆さまになって現れ、そのまま地面に頭を打って気絶した。
若い黒の兵士「む……無理だ……何が何だかさっぱりわからないけど俺達なんかが敵う相手じゃねぇ……」ガクガク
黒騎士「これが音に聞く瞬天の勇者か……だがその実力は噂以上の様だな」
若い黒の兵士「く、黒騎士様!!」
全身を黒の甲冑に身を包んだその男こそこの戦場の指揮官、黒騎士である。
魔将軍の右腕でもある彼の実力は黒の国の軍隊の中でも三本の指に入るという達人である。
勇者「『瞬天の勇者』か。なんかそう呼ばれるのも懐かしいな」ハハッ
若い黒の兵士「黒騎士様……しゅ、瞬天の勇者とは一体……」
黒騎士「『瞬天の勇者』……100代目勇者の二つ名のことよ。そのすさまじいまでの高速戦闘により瞬天の異名が与えられたと聞く」
若い黒の兵士「ひゃ、100代目勇者……!!この男が……!!」ゴクッ
勇者「……なぁ、アンタが指揮官なんだろ?」チャッ
勇者は剣の先を黒騎士へと向けて言った。
黒騎士「だったらどうした?」
勇者「聞きたいことがある。…………今回の奇襲攻撃、一体誰の指示だ?」
黒騎士「何を寝惚けたことを言っている、軍事の最高責任者は魔王様であらせられる。魔王様以外の指示など有り得ないであろう」
勇者(…………!!!!)
勇者は黒騎士の言葉に動揺を隠せなかった。
魔王が、本当に魔王がこの奇襲攻撃を指示したと言うのか。
だとしたら何故?
こんなことをしては人間側の魔族に対する憎しみや不信感が増し人間と魔族の和平が不可能になる。
勇者(今まで俺達がやってきたことがこの戦で全て無駄になるんだぞ!?)
勇者(魔王、お前はどうして……)
黒騎士「今まで戦に対し消極的だった魔王様だが人間側に対して全面戦争を仕掛けるおつもりになった様だ。此度の戦はその序曲にすぎないということ」
勇者「………………」
勇者はしばらく黙り込んでいた。
黒騎士はそんな彼をただ静かに、だが注意して見詰めていた。
勇者「…………わかった。とりあえず俺はこの戦を終わらせることに全力を賭けるとする」
黒騎士「ホゥ……どうするつもりだ?」
勇者「……アンタに一騎討ちを申し込む」
黒騎士「!!」
勇者「俺が勝ったら全軍を退かせろ」
黒騎士「フフ……何かと思えば一騎討ちとは……私がその申し入れを受けなかったらどうするつもりだ?」
勇者「いや、受けるさ。見たとこアンタは武人だからな。人間だろうが魔族だろうが根っからの武人ってのは一目見ればわかるもんさ」
黒騎士「クククッ……生意気な小僧だ。だが気に入ったぞ!!その勝負受けて立とうではないか!!」
若い黒の兵士「く、黒騎士様お気をつけ下さい!!奴は妙な技を使います!!」
黒騎士「なに、大体の種は分かっている」サッ
そう言って黒騎士は勇者へと手をかざした。
黒騎士『三十連氷撃魔法陣・冷』!!
カアッ!!
勇者「!!」
勇者の周りに幾つもの魔法陣が展開された。
勇者をとり囲む様に氷の刃が空中に形成され、それらが全方位から勇者を襲う。
ドドドドドドドドッ!!
若い黒の兵士「おぉ!!全方位攻撃!!あれならいくら速く動けようが関係ありませんな!!」グッ
黒騎士「…………」
若い黒の兵士「……黒騎士様?」
勇者「ったく、いきなりだな~」
若い黒の兵士「!?」バッ
背後から聞こえた勇者の声に兵士は振り返った。
彼らの後ろ……そこには傷一つ負っていない勇者が立っていた。
若い黒の兵士「ば……馬鹿な!!あの攻撃は避けようがない……!!それなのにかすり傷一つなくあの場を移動するだなんて……!!」
黒騎士「やはり…………転移魔法か」
若い黒の兵士「て、転移魔法……?あの移動に使う転移魔法でしょうか?」
黒騎士「あぁ。奴の尋常じゃない速度での移動、対象の座標操作……転移魔法を使っているとするなら全ての辻褄が合う」
若い黒の兵士「な……しかしそんなこと有り得ません!!戦闘に転移魔法を応用するだなんて聞いたことがありませんし、何より不可能です!!」
転移魔法が上級魔法と言われているのは術式を組むことの難しさにある。
通常魔法陣を展開するには使用者自身の魔力を源として発動する魔力の構築式を組む必要がある。
このことを一般に『術式を組む』と言う。
炎撃魔法を例に上げるならば、どの様な形、どの様な規模、どの様な特性の炎を出すのか、それを構築式に組み込み魔法陣を展開することで使用者の意図する魔法を放つことができる、という仕組みだ。
そして転移魔法はこの術式が攻撃魔法に比べ複雑なのだ。
移動する前の場所の情報式、移動先の場所の情報式、移動させる物・人の情報式。
これらの術式を組むことが非常に難易度が高いので上位魔法とされているのだ。
さらに転移魔法は術式を組むのに時間がかかる。
情報式を正確に術式に組み込まなければならないので、その作業に時間を労することになるのだ。
若い黒の兵士「あんな一瞬で転移魔法の術式を組んで、しかも周囲に魔法陣の展開を認識させる間も無く発動させるだなんて……それはもはや神業なんて話ではありません!!」
黒騎士「だが実際に奴はそれをやってのけている。でなければ先程の氷撃魔法をかいくぐり私達の背後に現れたことに説明がつかない」
若い黒の兵士「…………」
黒騎士「奴のあの短い剣も転移魔法を用いた戦闘により特化した証だろう」
黒騎士「剣撃において間合いが重要なのは万人の知るところ……通常ならば短い剣は相手の間合いの懐に入らなければならないため問題があるように思われる」
黒騎士「だが奴は転移魔法によって瞬時に自分が斬り込める領域へ移動することができる。ならば小回りが利き素早く振ることのできる短めの剣の方が適している」
黒騎士「左手は転移魔法を展開するために敢えて何も持っていないのだろう……素手の方が即座に魔法陣を展開できるからな」
黒騎士「……以上が私の推察だが……どうだ?瞬天の勇者よ」
黒騎士の問いに勇者は拍手で答えた。
勇者「ご名答。まさか武器の特性まで言い当てるとは……流石、指揮官ってところだな」パチパチパチパチ
勇者「でもネタが分かったところでアンタには勝ち目がないんだぜ?」
黒騎士「フッ……舐めるなよ、小僧が」
スラァ……
黒騎士はドスの効いた声でそう言い腰に差していた大剣を抜いた。
黒騎士「種が割れていれば対策などいくらでも立てられる。経験の差というものを見せてやろう」チャッ
黒騎士「来い!!」ゴオッ!!
勇者「なら行くぜ!!」
ヒュンッ!!
黒騎士の視界から勇者が消えた。
転移魔法による瞬間移動だ。
しかし黒騎士は冷静だった。
黒騎士("視界から消えた"と言うことは裏を返せば"視界の外にいる"ということ……つまり奴は私の背後か頭上から攻めてくる……!!)
ザッ!!
黒騎士は前へと一歩踏み込んだ。
勇者「!!」スカッ
黒騎士の背後へと空間転移した勇者の攻撃は空を切った。
黒騎士「思った通り、貴様の移動先から動けば私に攻撃は当たらない!!」バッ
黒騎士が振り向きざまに叫んだ。
黒騎士「消え去れ、100代目勇者!!」サッ
カアアアァァァ!!
黒騎士『二重炎撃魔法陣・獄』!!!!
ゴオオオオォォォォッッ!!!!
勇者へと放たれた獄炎の火柱。
赤熱の焔が勇者の身を焼き尽くす。
カアァ!!
黒騎士「!?」
ゴオオオオォォォォッッ!!!!
黒騎士「ぐああああぁぁぁ!!!!」
しかし叫び声を上げたのは黒騎士だった。
確実に勇者に命中するはずだった炎撃魔法は彼には当たらず、代わりに黒騎士が炎撃魔法の業火に焼かれている。
若い黒の兵士「!?……ど、どうなってるんだ……!?」
若い黒の兵士「黒騎士様が勇者に向かって炎撃魔法を放ったはずなのに……いきなり黒騎士様の脇から炎撃魔法の炎が……!?」
黒騎士「ぐっ……貴様私の炎撃魔法を転移させたな……!?」ヨロ
勇者「その通りっ!!」
ヒュンッ
バキィッ!!
黒騎士「がっ!!」
ヒュンッ
ドゴッ!!
黒騎士「ぐっ!!」
ヒュンッ
ドガッ!!
黒騎士「ぐはっ!!」
腹部に攻撃を受けた次の瞬間には背中に攻撃を、背中に攻撃を受けた次の瞬間には脇腹に攻撃を。
黒騎士は為す術もなく勇者の攻撃を受けるしかなかった。
勇者の攻撃を防御しようと身構えると勇者は防御がされていない側へと空間転移し攻撃をしてくる。
これでは防御のしようがない。
転移魔法による神速の移動術は勇者の一方的な攻撃を可能にしたのだった。
勇者「せいっ!!」
バキィッ!!
黒騎士「が……はぁっ!!」ガフッ
勇者の蹴りが的確に黒騎士の顎へと命中し、黒騎士は仰向けに倒れた。
若い黒の兵士「あ……あ……」ガクガク
若い黒の兵士(そ……そんな……あの黒騎士様が手も足も出ないだなんて……)ワナワナ
若い黒の兵士(黒騎士様が弱いんじゃない……勇者が圧倒的に強すぎるんだ……!!)ブルブル
勇者「さて、勝負はもうついたな」チャキッ
勇者は黒騎士の喉元に剣先をあてがい言った。
黒騎士「ぐ……無念……まさかこれほどまでとは…………」グッ
勇者「ちゃんと約束は守ってもらうぜ」
黒騎士「……分かっている……おい、お前!!」
若い黒の兵士「は、はいっ!!」ビクッ
黒騎士「全軍に撤退命令を出せ」
若い黒の兵士「わ、わかりました!!」ダダッ
勇者「ふぅ……話のわかる指揮官で助かったよ」キンッ
黒騎士「…………どうした、トドメは刺さないのか……?」
勇者「俺は戦争を止めに来ただけだ。魔族を殺しにきたわけじゃない」
勇者「俺が倒した魔族の兵士達も気絶してるだけでみんな生きてるよ」
勇者「俺の仲間も上手くやって死人は出してないと思う」
黒騎士「…………瞬天の勇者は戦場で死人を出さない、と聞いていたがまさか本当だったとはな……」
勇者「お仲間連れて早く引き上げるんだな。そんじゃ」パチィン
勇者は後ろでに手を振ると転移魔法によってその場から音も無く去っていった。
――――――――
ドゴオォッ!!
大柄な黒の兵士「う……が……!!」ドサッ
武闘家「これでこっちはあらかた片付きましたかね」フゥ
手首を揺らしながら武闘家は辺りを見渡した。
武闘家の手によって無力化された何十人もの魔族の兵達が戦場に倒れていた。
突然空中に青の魔法陣が浮かび上がった。
キィン
武闘家「おや」
パッ
スタ
勇者「よっ」
転移魔法により勇者がその地へと降り立った。
武闘家「どうでしたか?」
勇者「あぁ、敵の指揮官倒して軍を引かせるように言ってきたよ」
武闘家「お疲れ様です。僕の方も戦意のある兵士達はほとんど倒し終えたところです」
武闘家「魔法使いさんも少し前に攻め入ってくる魔族の軍を壊滅させたので今は砦の方へ回ってるみたいです」
勇者「そうか」
勇者「久しぶりに運動した気分はどうだ?」
武闘家「やはり体を動かすのは気持ち良いですね、はしゃいでしまいましたよ」フフッ
武闘家「…………と言いたいところですが、ここは戦場。命の奪い合いをする戦争を楽しむことなんてできませんよ」
勇者「……たしかにな」
武闘家「今回の判断、お見事でしたよ」
勇者「…………何がだ?」
武闘家「あのまま青の国の兵士達が援軍に送り出されていたら、おそらく風鳴の戦場での戦いは凄惨極める血みどろの争いとなっていたでしょう」
武闘家「突然の奇襲攻撃に魔族達に敵意をむき出しにした青の兵士達は多くの黒の兵士達の命を奪い、黒の兵士達もまた多くの青の兵士達の命を奪うことになったに違いありません」
武闘家「勇者が援軍を僕達だけに、と言ったのは双方の被害を最小限に止めるためだったんでしょ?」
勇者「まぁ……な」
武闘家「多くの命が失われることになれば両国に計り知れない憎しみの種を生むことになる。そうなっては和平の実現が困難なものになってしまいますから……」
武闘家「でも勇者……」
勇者「分かってる。被害を最小限に抑えたと言っても今回の魔族側の奇襲攻撃は青の国と黒の国との間に……いや、人間と魔族の間に大きな軋轢を生むだろうな……」
武闘家「はい。…………今回の奇襲攻撃について何か聞き出せましたか?」
勇者「敵の指揮官は魔王の指示だ、って言ってた」
武闘家「…………そうですか」
勇者「指揮官はそう言ったけど…………俺は何かの間違いだって思いたい…………」
武闘家「それは僕も同じです。多分、僧侶さんも魔法使いさんも同じ想いでしょう」
勇者「………明日アイツに会う予定だったからな、その時にアイツの口から真実を聞けばいいさ」
武闘家「えぇ……」
勇者「………………」
それきり勇者は何も言わなかった。
なんで?
そんなはずはない。
どうして?
何か理由があるんだ。
何故?
何故?
――――何故?
沸き上がる疑問と疑念。
どこまで行っても灯りのない暗闇が勇者の心を埋め尽くした。
少年は風に吹かれて血と煙りの臭いに満たされた戦場にただ静かに立っていた。
――――黒の国・王都・魔王の城
魔王「何故だ!!!!」
バァンッ!!
怒気を孕んだ重々しい声を上げると魔王は目の前にあったテーブルを思い切り叩いた。
衝撃によって倒れたティーカップから溢れた紅茶がテーブルの上に広げられていた書類に染みを作った。
魔将軍「先程も言ったであろう、お前の生温い指揮の下、近年は大きな戦もなくなり魔族も人間もすっかり緊張感を無くしている」
魔将軍「争い合うのが魔族と人間の宿命。此度の奇襲攻撃はそれを忘れないためのものだ」
魔将軍「そもそも戦に卑怯もクソもあったものではないだろう」フンッ
魔王「ふざけたことをぬかすな!!私に無断で兵を動かし宣戦布告もなしに戦をするなど……いくら叔父上でも許さんぞ!?」ワナワナ
魔王は込み上げる怒りを抑えることができずに拳を握り締めて言った。
なんということだ。
魔族側の奇襲攻撃を受けては人間側の魔族に対する印象はガタ落ちではないか。
いや、それだけに止まらず黒の国の民衆達の私に対する評価も大きく低下するだろう。
奇襲攻撃を指示するような卑怯者の王が臣民の信頼を得られる筈が無い。
私と勇者の夢である人間と魔族の和平がこんな形で揺るがされることになろうとは……!!
側近「軍隊の私的利用及び許可無き出撃命令……これらは大罪に値します。いくら魔将軍様でも厳重な処罰を受けて貰いますので覚悟なさって下さい」
魔将軍「階級の剥奪だろうが無期限幽閉だろうが処刑だろうが好きにするのだな、私は必要なことだからやったまでだ」
魔王「まだ言うか……!!」ギリッ
魔将軍「……フンッ、では処罰とやらが決まったら連絡を戴こうか。私はこれで失礼する」バッ
そう言って魔将軍は椅子から立ち上がると部屋を出ようとドアの方へと向かおうとした。
魔王「待て!!魔将軍!!」
魔将軍「……"叔父上"ではなく"魔将軍"……か」ボソッ
魔将軍「なんだ、まだ何か用があるのか?」
魔王「今度同じ真似をしてみろ、その時は私は容赦なくお前の首をはねる……!!」キッ
瞳の奥に怒りの炎を燃やし、魔王は叔父を睨みつけた。
魔将軍「…………フン、肝に銘じておこう」
それだけ言うと魔将軍は部屋を後にした。
魔王「叔父上……何故私に無断で軍を動かすようなことを…………!!」ギリッ
側近「魔将軍殿は予てから人間達を憎んでおられましたから……魔王様の指揮に強い不満を持っての行動でしょう」
魔王「だからと言って……!!」
冷静に推察を述べた側近に魔王は吠えた。
彼女自身この沸き上がる怒りを静めることなどできなかったのだ。
側近「……落ち着いて下さい、魔王様。こういう時にこそ冷静な判断をすべきです」
魔王「くっ…………そうだな、いきなり怒鳴ってすまなかった」
側近「私は気にしてなどおりませんよ」
魔王「………………」フゥ…
魔王は堅く目を閉じると長く細いため息を漏らした。眉間に刻まれた深い皺が彼女の苦悩を表している。
魔王「……過ぎたことを考えるのはよそう。これからのことを考えねばならんな」
側近「えぇ。……今回の奇襲攻撃については魔将軍殿の独断専行によるものだと聖十字連合と民衆には伝えましょう。魔王様の統率力を疑われることになるでしょうがその方がいくらかはマシと言うものです」
魔王「うむ……叔父上には汚名を着てもらった上で重い罰を与えねばならん。階級剥奪の上で無期懲役と言ったところか……」
側近「…………」
側近はやはり魔王は優しい、いや、優しすぎると思った。
魔将軍のとった行動は極刑に値するほどの重罪である。
にもかかわらず命をとろうとはしないとは…………それは魔王の単なる優しさか、肉親に対する情の表れか……。
魔王「……どうかしたか?」
側近「いえ、なんでもございません」
魔王「青の国には詫び状を入れねばなるまい、加えてある程度を賠償金も払う必要も出てくるだろうな」
側近「そうですね……実際できることと言えばそれぐらいのことでしょうから」
魔王「今回の一件……叔父上だけに止まらず反人間派の過激な人間殲滅の思想はもはや歯止めの効かないところまできていると見える」
側近「……いかがなさるおつもりですか?」
魔王「……予定を繰り上げて停戦会議を開こうと思う」
側近「!!」
ついに……ついにこの時が来たのか。
側近はなんとか唾を飲み込み渇いた口を潤すと言った。
側近「ですが勇者さんは先日青の国に着いたばかりだと聞いております。まだ各国の王に対して十分な根回しができているとは……」
魔王「反人間派がまた何かしでかす前に我々魔族の総意として和平の表明をする必要がある。時は一刻の猶予も許されんほどに切迫しておるのだ」
魔王「魔族の総意として和平の意を唱えれば反人間派の動きに制限を与え処罰もしやすくなる」
側近「…………」
魔王の言ったことは正しかった。
このままでは反人間派という爆弾達の導火線にいつ火が点くかわからない。
まして一度爆発してしまえば連鎖的に爆発を繰り返し魔王と勇者の和平への夢を完全に断たれることにもなりかねない。
側近「……わかりました。それが魔王様のご意思とあらば」
魔王「うむ……急な決定ですまないな」
そう言って魔王は椅子から立ち上がった。
魔王「私は今から母上に和平の意志を伝えてくる。……きっと母上には私の口から直接伝えなければならない……」
先代魔王の妻である黒の王妃――――自らの母に和平の意を告げるということは魔王も本気ということだからだ。
魔王の決意と覚悟を悟った彼女は静かに閉められたドアを見つめ、ただ廊下から響く足音を聞いていた。
部屋を出た魔王は早足で母の元へと向かった。
胸中は絶対に母を説得してみせる、という決意と母が人間との停戦など許すだろうか、という不安が半々といったところだ。
夫を大勇者に殺された王妃にあえて魔王は人間との和平を目指していることを話していなかった。
『全ての人間が悪ではない』と言っていたが本心では最愛の夫を人間に殺された母は人間に対し憎しみを抱いており、娘が和平を目指すことなど許すはずもないと考えていたからだ。
魔王の城の西の棟の最上階。
そこに王妃の私室がある。
晴れの日にはその部屋の窓から周囲を一望できるのだが今日の空は黒い雲に覆われ、お世辞にも良い眺めとは言えそうもない。
コンコンッ
魔王が扉をノックすると部屋の中から透き通った声が返ってきた。
「はい、入りなさい」
魔王はゆっくりと扉を開け、王妃の部屋へと入る。
部屋の中では窓際の椅子には一人の女性が腰掛け、本を読んでいるところだった。
艶のある黒髪も、大きな瞳も、彼女は魔王によく似ていた。
優しそうなその顔は気品に溢れ、若かりし頃は絶世の美女であったろうと誰もが思うだろう。
いや、実際齢四十になる今でも十分に美しい。
黒の王妃「あら、魔王。どうしたのこんな時間に……お仕事の方はもういいのかしら?」
魔王の来訪に王妃は少し驚いたようだった。
日中魔王は国事をしているため私室で隠居生活を送る王妃と会うことはあまりない。
魔族の王として本格的に魔王が政治に携わるようになってからは朝夕の食事の時に顔を合わせる程度であり、昼下がりのこんな時間に会うことなど最近は皆無であった。
魔王「今日は母上にお話があって参りました」
黒の王妃「なにかしら、急に畏まって……まぁそっちのソファに座りなさいな、すぐに紅茶を入れますから……」
王妃は読んでいた本を閉じ、ポットを取ろうと立ち上がった。
魔王「いえ、お茶はいりません……それにこのままで結構です」
魔王の真剣な顔つきに事態の深刻さを察した王妃は紅茶を入れるのやめ、魔王を真っ直ぐに見詰めた。
黒の王妃「……何か大事な話のようね……」
魔王「はい。…………単刀直入に申し上げます」ザッ
魔王はその場に跪くと深々と頭を下げ魔王として、低い声で言った。
魔王「私は……私は人間達との和平を目指しています」
魔王「……父上を殺した人間達を母上が憎んでいるだろうことは重々承知しています。ですが魔族と人の争うことのない平和な世界の実現のためにどうか……どうかお力を貸してはいただけないでしょうか?」
魔王は意志を込めた声で言った。
魔王になってからというもの多くの演説をこなしてきた魔王だがたった数行の今のセリフを言うほど緊張しや演説はおそらくはない。
言い終えた時には手のひらが汗ばみ、膝が少し震えていた。
目を閉じて母の言葉を待った。
下手をすれば勘当されてもおかしくはない。
怒りと失意に満ちた返事に備え魔王は心の中で身構えていた。
黒の王妃「そう…………」
だが魔王の耳に届いた母の声は儚げで悲しみに満ちていた。
魔王「……?」
魔王が顔を上げると王妃はその大きな瞳から一粒の涙を流して言った。
黒の王妃「あなたも……あの人と同じなのね…………」
その笑みは今まで魔王が見たこともない様な悲しい笑顔だった。
魔王「あの人……父上と私が同じ!?」
魔王「ど、どういうことなのですか!?」
魔王は混乱していた。
父、先代魔王と自分が同じ……それは父も人間との和平を目指していたということなのだろうか?
だが父は魔王がまだ幼い頃、大勇者との死闘の末に命を失ったと聞いている。
一体…………。
黒の王妃「……良いでしょう。今こそ全てを話す時のようですね……少しここで待っていなさい」
王妃はそう言って奥の部屋へと入って行った。
外は雨が降りだしたようで、雨粒が窓を打つ音だけが部屋に響いていた。
遠くの空には稲光が見えた。
黒の王妃「待たせてごめんなさいね」
奥の部屋から出てきた王妃の腕には一振りの剣が抱かれていた。
剣から放たれる並々ならぬ力に魔王はその剣の正体を瞬時に理解した。
魔王「……魔剣…………」
黒の王妃「えぇ、あの人……あなたのお父さんが死んだ後、ずっと私が預かっていたの」
黒の王妃「本来なら魔剣はその代の魔王が二十歳になった時に契約をするもの」
黒の王妃「……まだあなたは二十歳になってはいないけれど、黒の国王妃の名においてこの魔剣をあなたに授けます」
魔王「な、何故今なのですか?それに先ほど全てを話すと……」
黒の王妃「…………全てを話すために必要なことだからです」
黒の王妃「さぁ、魔剣を手に取り抜き放ちなさい。魔剣との契約が為されれば自ずと真実を知ることになります」スッ
魔王「…………」
王妃の言葉が何を意味するのか魔王はわからなかった。
だが真実とやらをを知るため、自分にできることは母の言う通りにすることだけだ。
チャキッ
魔王は魔剣の柄に手をかけた。
スラァ…………
ゆっくり、ゆっくりと剣を鞘から抜いていく。
キィン!!
魔王「……ッ!?」
魔王が魔剣を抜き終えると同時に彼女の足元には黒い魔法陣が現れた。
魔王「な、なんだこれは!?」
カアアァァァ!!!!
赤々とした怪しげな光が彼女を包む。
『魔剣と契約を交わす者よ……』キイィン
魔王「……くっ!?」
脳に直接響く重々しい声。
『今こそ汝に全ての真実を……!!』キイィン
ドドドドドドドドドドドド!!!!
魔王「がっ…………ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
魔王の脳には一瞬の内に膨大な情報が刻まれた。
それは先程の重々しい声による語りかけであり、
歴代の魔王達の思い出であり、
父らしき人物が若き大勇者にトドメを刺される瞬間の映像であった。
魔王「うっ……ぐ……あぁ……」ガクッ
突然の出来事に魔王は頭を抑えて膝をついて倒れ込んだ。
ガシャンッ!!
床に落とされた魔剣とその鞘が無機質な音を立てた。
魔王「い、今のは…………」ハァハァ
黒の王妃「魔剣に記録された今までの魔王達の記憶とこの戦争の真実……魔剣と契約することでその全てを知ることができると私はあの人から聞きました……」
魔王「…………そんな……これが……これが真実……!?」ワナワナ
黒の王妃「…………」
魔王「嘘だと……嘘だと言って下さい母上!!こんな……こんなことって……!!」
黒の王妃「……残念ながら全てが残酷な真実です」
魔王「う……くぅ……これが……これが全てだと言うのか……!!……なら私は……私は何を…………!!」ガンッガンッ
魔王は喚きながら力任せに床を叩いた。
彼女の顔は醜く歪み、瞳から溢れる出る涙が彼女の悲しみ、無力さ、虚無感……全てを物語っていた。
黒の王妃「真実を知ってしまったあなたの気持ちは痛いほど分かります……ですがあなたにはまだ知らなければならないことがあります」
魔王「ぐ……うぅ……ぐ…………」
黒の王妃「……私の口からあの人の……99代目魔王の死、その真実を語りましょう……」
いつの間にか雨風は強まり外は嵐となっていた。
まだ日は沈んでいない筈だが空を覆った分厚い雲が魔王の城一帯を夜の様に暗くしていた。
豪雨が屋根を打ち、暴風が窓を揺らした。
薄暗い王妃の部屋を轟く稲妻が不規則に照らし出す。
魔王「…………それが父上のやろうとしたことと……その結果なのですか……」
王妃から父の過去の全てを聞かされた魔王は虚ろな声で言った。
黒の王妃「えぇ……そうです」
魔王「ふっ……ふ、ふはははははふはははははははははははは」
魔王は笑った。
大声を出して。
涙を流しながら。
ひたすら自嘲的に。
魔王「何が……何が魔族と人間の和平だ…………」グスッ
黒の王妃「魔王…………」
王妃が心配そうに声をかける。
黒の王妃「…………父と同じ未来を望み、父と同じく真実を知ったあなたはどのような道を選ぶのですか……?」
魔王「……私は……父上と同じ道を歩みます」
涙を拭って魔王が言った。
魔王「勇者と……この命を懸けて闘います」
黒の王妃「…………そう……ですか……」
決意に満ちた声でそう宣言した魔王とは対照的に王妃は切ない声で言った。
黒の王妃「やはりそれが魔王と勇者の宿命なのですね…………」
魔王「母上……真実を教えて下さりありがとうございました」
黒の王妃「…………礼など不要です。私はただ貴方を地獄へと突き落としただけなのですから……」
黒の王妃「どうして……あなたもあの人も魔王なのかしら……私は悩み苦しむ夫と娘に何もしてあげられない……」ギュッ
王妃は下唇を噛みスカートの裾を握りしめた。
伏せたその眼からは己の無力さに対する深い嘆きが見てとれた。
魔王「母上……そんなことありません」ギュッ
黒の王妃「魔王…………」
娘は母を優しく抱き締めた。
魔王「父上がその身を賭して勇者と闘ったのは母上や愛する民を守るため……勿論私も父上と同じ様に大切な人達を守るために闘うつもりです」
魔王「父上も私もそうして大切なもののために闘うことができるのは母上やみんなとの大切な思い出があるからです……だからどうかそう気に病まないで下さい」
黒の王妃「…………駄目ね、私。娘に慰められてるようじゃ……」フフッ
瞳を潤ませて王妃は笑った。
魔王「……では私はこれで」スッ
部屋の扉を閉めようとした時、後ろ手に魔王は母の声を聞いた。
黒の王妃「……魔王。例えあなたがこの先どんな選択をするとしても私はあなたの味方よ。それだけは忘れないでね……」
魔王「…………ありがとう、母さん」
小さく呟き魔王は扉を閉めた。
母の私室を後にし、しばらく歩くと魔将軍が壁にもたれて立っていた。
魔王「叔父上……」
魔将軍「……魔剣を腰に差しているところを見るとどうやら全てを知ったようだな」
魔王「その言葉……叔父上も真実を知っておったのだな……」
魔将軍「…………そうだ。兄上亡き後、兄上からの手紙を読んでな。そこに全てが記されておった」
魔将軍「……真実を知った今、お前はどうするのだ?今後とも腑抜けた指揮を続けるつもりか?」
魔王「……どうするもこうするもあるまい……私達に闘う以外の選択肢は残されていないのだからな」
魔将軍「そうか……ついに全面戦争か」フッ
魔王は窓から外を眺めた。
魔王の城のすぐ北側に生える黒の神樹は強風に吹かれて枝葉を激しく揺らしている。
魔王「……勇者……」
無意識の内に彼女の口から小さく洩れその言葉は、雷鳴によってかき消され魔王自身の耳にすら届くことはなかった。
【Memories04】
思い出というものは必ずしも綺麗で鮮やかで輝かしいものではない。
脳裏によぎるだけで吐き気をもよおし、苛立ちを覚え、後悔に頭を抱える思い出も存在する。
『思い出は全部記憶しているが、記憶は全部は思い出せない』
私の好きな小説のある登場人物の言葉だ。
だからあの日の出来事は私の中に単なる記憶ではなく思い出として刻まれている。
それも忌々しい形で。
人によってはそんな思い出はすぐにでも忘れてしまいたいと思うかもしれない。
だが私は忘れたいなどとは思わない。
その思い出が今の私を造っている、そう思えるからだ。
だからふとした時にあの日のことを思い出しては己という存在を確かめてみたりする。
――――十七年前・黒の国・魔王の城
私「何のご用ですかな、兄上」
その日の午後、私は会議が終わり部屋でまどろんでいたところを侍女がドアをノックする音に起こされた。
魔王様がお呼びです、とのことだったので顔を洗ってから王の間へと向かった。
王の間の玉座には兄上が深く腰掛けて私を待っていた。
銀色の髪が窓からの日差しに輝いて見え、それと対照的に漆黒の王衣がより一層黒く見えた。
兄上が99代目魔王に即位してから一年近く経っていた。
歴代最強にして最高の魔王と称される兄上は元々王としての器があったようだ。
兄上「いや、大した用ではないのだが……」
私の問いに兄上は少し申し訳なさそうに答えた。
私「大した用でもないのに出陣前の将軍を呼び出されては困りますな」
兄上「む……それはすまない」
私「冗談ですよ、相変わらず冗談が通じませんな」ハハッ
兄上「そうか」フッ
私が茶化すと兄上はいつも静かに笑ったものだった。
私「……で、どうしたのですか?」
兄上「あぁ……お前と話がしたくてな」
私「話……ですか?」
突然話をしたい、と言われて私の心臓は一拍大きな音を立てた。
兄上が改まって私に話すような重大な話があるのだと思ったからだ。
私「…………」ゴクッ
兄上「……何を緊張しているのだ、お前が想像しているような重苦しい話などしないさ」
兄上「ここのところ家族としてお前と話す時間がなかったからな、ただとりとめもない話ができればと思っただけだ」
私「なんだ……そうでしたか。てっきり私は何かただならぬ事態でもあったのかと……」フゥ
兄上「言っただろう?大した用ではない、と」フッ
兄上の言葉を聞いて私は安堵の息を洩らした。
それとは逆に兄上の瞳が一瞬僅かに暗くなったことを今でも覚えている。
私「しかしですな、兄上。急にとりとめもない話をしようと言っても困ってしまいます」
兄上「ハハッ、同感だ。何を話したら良いのかわからん」
私「う~む…………そう言えば姫君はもうすっかり大きくなられましたな」
そこで私は兄上の娘――――私にとっては姪にあたる姫君の話を持ち出した。
兄上「あぁ、もうじき2歳になるな」
兄上が魔王に即位する約一年前、兄上と王妃様の間に珠の様に可愛らしい娘が生まれた。
髪の色も瞳の色も誰が見ても母親似だとわかるその娘だったが、鼻筋や口元などは兄上に似ているように思われた。
兄上「最近はやんちゃが過ぎるようになってきてな、壁に落書きしたりして私達や世話役の侍女の手を焼かせているよ」
そう言った兄上の顔はどこか嬉しそうだった。
私「ですがまんざら嫌そうでもございませんな」
兄上「……まぁな、我が子の成長を見ることができるというのは実に良いものだ。……時にお前はどうなのだ?」
私「どう……と申されますと?」
兄上の問いに惚けてみたが無駄だった様だ。
兄上「何を惚けている、お前ももうそろそろ結婚しても良い年頃ではないか」
私「いつも申しておりましょう、生憎私は結婚して家庭を持つつもりはありませんよ。生涯独り身で黒の国の兵士として死するつもりですからな」
兄上「ふむ…………そうか、家庭を築くというのも良いものなのだが残念だな……」
私「…………まぁ、魔族と人間が戦争を止めるような平和な世界になればその時は私も考えましょう。よろしく頼みますよ、兄上」
兄上「…………」
私「兄上……?」
兄上は99代目魔王に即位する前から人間側との和平を目指していた。
魔王となる一年程前、兄上がまだ魔将軍の地位にあった時に私は初めてその話を聞かされて驚いたものだ。
魔将軍になりたての頃は魔族のために聖十字連合に勝つと言っていた兄上も前線で戦っていくうちに、戦場では魔族も人間も懸け代えのない多くの命が失われていくことを痛感し、和平の道を目指すことを決めたと言う。
そのことを知るのは私と王妃様だけであったが、いつかは国民にも和平の意志を述べ、聖十字連合にも停戦の会議を申し入れるつもりであった。
まだ姫君が王妃様の胎内にいるうちから『娘には争いのない平和な世界を生きて欲しい……それが親としての私の願いだ』とよく言っていた。
しかし魔王に即位してからと言うもの兄上はあまり和平についての話題を出さなくなった。
むしろ意図して避けているようにすら思えた。
兄上「……いや、なんでもない。…………そうだな、魔族と人が争うことのない世界……やってくると良いな」
やや間を置いてそう言った兄上の顔は儚げで瞳は鈍く色を失っていた。
私「兄上……一体どうしたというのですか?」
私「この際言わせていただきますが……兄上は魔王の座に就いてからというもの和平に対し消極的になったように思われます」
私「以前は戦争の無い平和な世界を実現させてみせる、と瞳に確固たる意志を込めて語ってくれたではございませんか。それがどうして…………」
兄上「…………」
兄上は私の言葉を聞きしばらくの間ただ黙っていた。
目を閉じ頬杖をつき、何かを考えているようで言葉を発することはなかった。
重い沈黙が広々とした王の間を埋め尽くしていった。
沈黙に耐えきれず私が何か言おうとしたところで兄上はやっと口を開いた。
兄上「…………魔将軍よ、平和とはなんだろうな?」
私「…………はい?」
兄上「私は平和な世界を目指してきた。戦争によって無慈悲に命が失われることのない……そんな世界を夢見てな」
兄上「過去にもそんな平和な世界を目指した魔王もいただろう…………だが今も尚魔族と人間は悲しき争いを続けている」
私「…………何が言いたいのですか?」
兄上「魔族と人間は争う宿命にある、ということだ。そして魔族と人間が争い合うことで均衡の保たれた今の世界も見方によっては平和な世界なのかも知れない…………とな」
そう言って兄上は窓の外の黒の神樹を眺めた。
昼下がりの太陽が照らす大樹はそれを見つめる兄上の顔と相まってどこか悲しげな気がした。
私「…………少なくとも私には今のこの世界が平和だとは思えません」
私「兄上も何度も見たでしょう!!戦場で命を落とす同胞、戦火で家や家族を失った国民を!!」
私「兄上の目指していた平和な世界とはこんな世界のことなのですか!?」
兄上「魔将軍…………」
私「将軍として戦地を駆け、仲間を、国民を助けるべく雄々しく戦っていた兄上はどこへ行ってしまわれたのですか!?」
私「魔王となり前線に立つ機会は減ったとは言え……戦う場所は違えど黒の国のために戦っているのは今も変わりない筈でしょう!?」
私「今の兄上からは昔のような覇気が感じられません……」ギリッ
兄上「………………そうだな、すまない」
兄上「私としたことが少し疲れていた様だ」フゥ…
兄上はため息をつくと目を固く閉じ、目頭を押さえた。
私「兄上……何かあったのなら私に相談して下さい。私ではお力になれないかもしれませんが……それでも私は兄上のために力を尽くします」
兄上「………………わかった」
兄上は私の目を真っ直ぐ見て静かに答えた。
兄上「今はまだ話せないが近い内にお前には必ず全てを話そう」
私「…………わかりました」
兄上「……時間をとらせてすまなかったな。準備が整い次第戦地へと向かってくれ」
兄上「此度の防衛戦には大規模な戦力を投入している……この意味は分かるな?」
私「……えぇ、今回の戦で赤の国に敗れれば我が国の領土に多大な被害が及びますから」
兄上「あぁ……和平を目指すとは言ってもすぐに戦いを止めるわけにはいかない……今回の戦でも活躍を期待しておるぞ、魔将軍よ」
私「…………ハッ」
深々と一礼し私は王の間を後にした。
その後、戦へと向かう兵士を鼓舞するために城の一角、広々とした更地に兵士達を集め兄上による演説が行われた。
舞台の上の兄上はいつもの様に凛々しく勇ましい99代目魔王そのものであった。
だが私にはそんな兄上の姿は何故か虚しいものに見えて仕方がなかった。
魔王となってから兄上は演説の最後には必ずこう言った。
兄上「戦場で最も大切なことは敵を殲滅することでも任務を果たすことでもない、生き抜くことだ!!」
兄上「再び諸君達にこうして会えることを祈っている」
士気の高まった兵士達の雄叫びによって演説は幕を閉じた。
演説の後、上位魔法使い達の転移魔法によって次々に兵士達が戦場へと向かっていった。
最後に残った私は兄上と王妃様、まだ幼かった姫君に会釈し赤月の荒野へと跳んだ。
去り際に兄上は「元気でな」と微笑みながら私の肩を軽く叩いて脇を通り過ぎて行った。
意味が分からず私は振り向いた。
兄上のその時の後ろ姿は一生忘れることはない。
私が見た生きた99代目魔王の最後の姿だった。
赤月の荒野とはその名の示す通り特定の時期になると月が赤く見えるという黒の国東の荒野だ。
赤の国の西側と国境をなす激戦区がその時の戦場であった。
私は本陣の砦で翌日の戦いに備えて休息をとる予定だったのだが寝つくことが出来ずに砦の司令官室の椅子に深くもたれかかっていた。
出陣の際の兄上の言葉がずっと気にかかってどうにも眠れなかったのだ。
それだけではない。
昼間のやり取りも気になっていた。
今日の兄上は何から何まで兄上らしくなかった。
魔将軍として白の国の勇者候補と激戦を繰り広げていたあの頃の兄上は一体どこへ行ってしまったのだろうか?
…………いや、その頃の兄上が"兄上らしい"とするなら兄上らしさが失われたのは今日ではない、ずっと前からだ。
そう、99代目の魔王となり魔剣と契約を交わしたあの時から…………。
そんなことを悶々と考えながら私は眠れぬ夜を過ごした。
ふと窓の外を上げると夜空には月は無く、瞬く星達だけが荒野の空に浮かんでいた。
深い深い意識の底。
突然けたたましい音が私の耳に届いた。
音に気づいて私はハッと意識を取り戻した。
どうやらいつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
窓の外の東の空は既に白んでいた。
「魔将軍様!!魔将軍様!!」ダンッダンッ!!
私を眠りから覚ましたのは当時の黒騎士が私を呼ぶ声と司令官室のドアを叩く音だった様だ。
昨日の侍女と言い私の眠りはノックの音に妨げられるものだな、と思いながらドアを開けた。
私「朝からどうしたというのだ?赤の国との戦は昼からだろう、何か問題でもあったのか?」
黒騎士「それが……!!ま、魔王様が…………!!」
私「!?」
私「兄上がどうかしたのか!?」
黒騎士「ま、魔王様が……99代目勇者に討たれ御隠れになられたと…………」
私「…………なんだと?」
私は黒騎士の言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
彼の声は耳から入って脳へと達していたのだが頭が理解できずにいたのだ。
恐らくその時の私は数瞬固まっていただろう。
我に返った私は額に汗を滲ませ息を切らせた黒騎士の胸ぐらを掴んで怒鳴るように問い詰めた。
私「どういうことだ!?兄上が……兄上が討たれただと……!?」ガシッ
黒騎士「ハッ……報告によりますと魔王城にて勇者と死闘を繰り広げた末、敗れたと……」
私「馬鹿な!!歴代最強の魔王と謳われたあの兄上が敗けるわけがない……!!お前も兄上の鬼神の如き強さはよく知っているだろう!?」
黒騎士「はい……しかし相手もまた歴代最強と言われる99代目勇者……その実力は魔王様とほぼ互角です……」
黒騎士「両者の凄まじい闘いにより魔王城は半壊、勇者も相当の深手を負ったと聞きます」
私「何故勇者が城に攻め入って来た時点で報告がなかった!?城の者達は何をやっていたのだ!?」ギュッ
黒騎士「っ……か、風鳴の大河、薄雲の岩山、そしてここ赤月の荒野……3ヶ所の戦に大規模な兵力を投入していたため魔王城には最小限の兵士しかおりませんでしたので……」
黒騎士「勇者一行の強襲によって連絡を取る間さえ無く兵士達は無力化され、ゆ、勇者の仲間の大賢者によって転移魔法で城から離れた丘陵に運ばれ睡眠魔法で眠らされていたとのこと……」
黒騎士「勇者の侵入も、く、黒鉄の街まで逃げてきた召し使いからもたらされたものでして……」
私「戦に兵力を裂き魔王城が手薄になったところを狙うとは人間共め……なんと卑怯な!!」グググ…!!
黒騎士「…………ま、魔将軍様……苦し……!!」バタバタ
怒りに我を忘れて手に力を込めていた私は黒騎士の首を絞める形になっていた。
私「くっ……私は、私は信じられぬ!!あの兄上が勇者などに討たれたなど……!!」ドンッ
そう言って突き飛ばすように黒騎士を解放した。
力任せに上半身を押された黒騎士はよろめきながら呼吸を整えた。
黒騎士「がはっ!!……はぁ……はぁ……し、しかし……」ゼェゼェ
私「このことを知る者は!?」
黒騎士「しょ、将軍職の以上の者と現場の兵士と臣下達限られるかと。何分事が事ですので……」
私「ではまだ他の兵士達には伏せておけ!!誤報だとしても兄上が敗れたと知れば士気に多大な影響が出る」
黒騎士「!? まさかこのまま各国との戦をするおつもりですか!?」
私「当たり前だ!!魔王城への強襲が人間側の策略によるものだとしたら我々の動揺を誘い戦を優位に運ぶことが狙いなのは明白だ!!」
黒騎士「ハ、ハッ!!」
私「ではお前は今回の事件の口止めをしろ。それと転移魔法で各戦場の将軍をここに集めろ、至急だ!!」
黒騎士「了解です!!ま、魔将軍様は……?」
私「私は魔王城へ向かい事実の確認を行う」
そう言って私は転移魔法の術式を組んだ。
黒騎士「お待ち下さい!!魔……!!」
カアアァァァ!!
黒騎士の言葉を最後まで聞かずに私は転移魔法を発動させた。
我が家とも言える魔王城への転移だ。
そう時間がかかるものではない。
しかしその時の私には転移空間での数十秒が途方もなく長く感じた。
不安定な精神状態に起因する魔力の乱れか、それともえも言われぬ焦りと不安によるものか、とにかく私の生涯において最も長く苦痛に感じた跳躍時間であった。
転移空間の中で私の脳内は稚児が玩具を散らかした部屋の様に無秩序に思考が行き交っていた。
あらゆることを考えてはいてもあらゆることが言葉にならない、そんな思考の奔流。
長い長い転移空間を抜け私はやっとのことで魔王城へとたどり着いた。
私「……なんだこれは……」
城を見て私は思わず呟いた。
そこには昨日私が発った城とはな似ても似つかぬ変わり果てた魔王城の光景が広がっていたからだ。
黒騎士の報告の通り、魔王城は『半壊』そのものだった。
城の東側半分は崩れ去り瓦礫の山となり、外壁が何ヵ所も剥がれところどころ壁に穴が空き階層が崩れている西側は辛うじて城としての体裁を保っているにすぎなかった。
戦神とすら語り継がれる99代目魔王。
その兄上が魔将軍だった頃から幾度となく激戦を繰り広げた相手が99代目の勇者だ。
実際私も何度か奴と剣を交えたことがあり、その強さが兄上と同等のものであるということは身をもって理解している。
私の目の前に広がる凄惨たる光景は両者が本気でぶつかり合ったことを何よりもはっきりと物語っていた。
私は城の……いや、城跡の東側へと駆けた。
宿命の死闘の地へと。
瓦礫だらけのその場所ではあったが中心地は人智を超えた闘いの影響によって更地と化していた。
その地にはぽつんと一人の女性が佇んでいた。
地面に座り込んだ彼女は、その黒く艶やかな髪により遠くからでも誰だかハッキリと分かった。
王妃様だ。
そして…………王妃様の前に横たわる人影が見えた。
鉛のようになった足を動かし、一歩一歩王妃様へと近づいていった。
鼓動の音がやけに大きく、ゆっくり聞こえた。
臓器全てを吐き出してしまいそうな吐き気に襲われた。
目の焦点がどこにもあわず、しかし目の前の光景は鮮明に脳内に流れ込んでいた。
私「…………あ、兄上……」
王妃様の膝に頭を乗せて横たわっていたのは変わり果てた兄上であった。
美しい銀の髪は土と埃に薄汚く汚れ、身体中切り傷と打撲の後が見えた。
愛用の真紅の鎧は見るも無惨なものとなっていた。
勇者の最後の一撃は兄上の心臓を貫いたのだろう。
鎧の左胸は、そこに刻まれた黒の国の紋章ごと砕かれ、胸から溢れ出た血が辺りに大きな血だまりを作り出していた。
王妃様「魔将軍さん…………」
二人の前で呆然と立ち尽くす私に王妃様が声をかけてきた。
大きなその両の瞳は泣きはらしたことで赤く染まり、頬には涙の後が浮かんでいた。
王妃様「もうお聞きになったでしょう?……この人は……99代目魔王は勇者との死闘の末、命を落としました……」
王妃様「私達黒の国の民を守るために死んだのです。……本望でしょう……」
王妃様はそう言って兄上髪を優しく撫でた。
私「…………」ドシャッ
その場に私は崩れ落ちた。
信じたくなかった現実、それが目の前に突きつけられ私は立っていることすら出来なかったのだ。
私「…………姫君は……?」
まとまらない思考の中で私はなんとか王妃様に姫君の安否を問うた。
王妃様「無事です。負傷した者もいますが私達を含め城にいたものは皆生きております」
私「そう……ですか……」
それきり私は脱け殻の様にそこにへたり込み、ただ兄上の顔を眺めていた。
昼には戦があるのだからその準備に取りかからねばならなかったのだがその時の私の精神状態では戦のことを考えるなど到底不可能であった。
ぼんやりと視界に映る兄上の亡骸。
私の頭の中では走馬灯の様に兄上との記憶が浮かんでは消えてを繰り返していた。
一体どれ程の時間が経ったのだろうか?
私にとっては丸一日にすら感じられた一時であったがおそらく実際には数分程であっただろう。
王妃様が口を開いた。
王妃様「魔将軍さん……これを……」スッ
私「…………」
力ない眼で見やると王妃様の手には一通の封筒が握られていた。
私「…………これは?」
王妃様「あの人から、自分にもしものことがあったら弟に渡して欲しい、と預かったものです」
私「兄上からの……!?」
王妃様「えぇ……おそらくその手紙には全ての真実が記されていることでしょう」
私「……真……実?」
王妃様「私がこの場に来てからここに兵士や臣下を近づかせなかったのは貴方にこれを渡すためでした」
私「…………」
私は黙って王妃様から手紙を受け取った。
黒の国の紋章による蝋での封は魔王の書簡であることを明示していた。
ゆっくりと震える手で封を開けた。
取り出した羊皮紙には漆黒のインクで見慣れた文字が几帳面に並んでいた。
紛うことなき兄上の字であった。
【親愛なる我が弟へ】
【お前がこの手紙を読んでいるということは私は勇者に敗れ死んでしまったということなのだろうな。いやはや、『歴代最強の魔王』などと持て囃されているが情けないものだ】
【勇者との決闘において私は全身全霊、私の持てる全てを懸けて闘うだろう。それで負けたのならば武人としては何も悔いることはない。むしろ全力で闘えることが喜ばしいとすら言えよう】
【だが死して心残りがあるとすれば残された民衆と……妻と娘、お前という家族のことだ。父上と母上を早くに亡くし兄弟二人で生きてきたお前には迷惑をかけっぱなしだったが……最後の我が儘ということで妻と娘のことをよろしく頼む】
【……さて、そろそろ本題に入るとしよう。この戦争の真実についてだ。長きに亘る魔族と人間の戦、これには裏がある。私自身その事実を知ったのは約1年前……魔剣と契約を交わした時からだ】
【今から私がここに記すことは残酷な真実だ。今まで実の弟であるお前にすらこのことを伏せてきた。話し出せなくてすまなかったな】
【何から話そうか……。……そうだな、あれはおおよそ4年前、私がまだ魔将軍として戦場を駆けていた頃だ…………】
そこには運命という巨大な悲劇の渦に飲み込まれた兄上の話とこの世界の真実が記されていた。
あまりの内容に私は我が眼を疑い、三度その手紙を読み直した程だ。
私「これが……これが真実だと言うのか!?」グシャッ
怒りに震え私は手にしていた手紙を握り潰した。
私「これでやっと分かった……魔王となってから兄上が聖十字連合との和平に消極的となった訳が……!!」
私「それもその筈だ!!これは……この戦争は人間のエゴがもたらしたものではないか!!!!」
憤慨し理性の飛びかけた私へと王妃様が声をかけた。
王妃様「えぇ……そう言えなくもないでしょうね……」
私「……王妃様も知っていらしたのですね!?」ギリッ
王妃様「はい……あの人から聞かされていました」
私「何故……何故兄上は私にも話して下さらなかったのですか!?」
王妃様「話してどうなると言うのですか?」
私「事情を話してくれさえいれば私でも兄上のお力になれたかも知れないのに!!」
王妃様「あなたに事実を伏せてきたのはあなたを自分と同じように悩ませたくなかったからでしょう……この人の気持ちをどうか分かってあげて下さい……」
私「ぐっ……!!」
王妃様「私達はただこの世界の中で争い合うことしかできないのです……」
私「くそっ…………くそおおおぉぉぉぉ!!!!!!」
私は吠えた。
それで何かが変わる訳ではないと分かってはいても、やり場のないその思いを処理することが出来なかった。
私「変えてみせる……変えてみせるぞ!!この世界を!!この私の手で……!!!!」キッ
その後黒の国は三つの戦場での戦に無事勝利することに成功した。
戦の後に発表された99代目魔王死去の知らせは全国民に悲しみの涙を流させ国を挙げての盛大な弔いが行われた。
私は次の魔王になるように周囲から薦められたがそれを断った。
兄上の死からほどなくして姫君に魔王の素質があることが判明した。
流石は兄上の子、彼女の持つ黒の刻印は当時の魔王候補達の誰よりも黒く鮮明なものであった。
斯くして姫君は五歳になる頃には正式に100代目魔王になることが決まった。
軍部も民衆も『99代目魔王の娘』というサラブレッドである新たな魔王を支持した。
もっとも、王妃様は最後まで反対されていたが。
まだ幼い魔王に国事は任せられないので彼女がある程度大きくなるまでは臣下達が魔王の国事を手伝うこととなった。
そして私はあの日以来十七年間、魔将軍として前線に立つと共に軍部を率いている。
兄上の為し得なかった"平和な世界"を目指して。
【Episode05】 に続く。