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える「古典部の日常」【第一章】
える「古典部の日常」【第二章】
夏休みも終わり、またしてもだらだらとした日常を俺は浪費していた。
夏休み前と違うのは朝……家を出ると、千反田が待っている事だ。
それともう一つ、昼は古典部で一緒に弁当を開ける事か。
える「折木さんも、お料理をしてみてはどうでしょうか?」
千反田は突然そう言うと、前に座る俺に視線を向ける。
奉太郎「人にはな、向き不向きがあるんだよ」
える「何事にも取り組んで見るのは、良い事ですよ」
まあ確かに、毎度毎度……姉貴に作って貰うのはあれだが。
元スレ
える「古典部の日常」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1349003727/
える「古典部の日常」その2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1352561755/
奉太郎「ううむ」
奉太郎「……姉貴が外国へ行っている時は、弁当無しだな」
える「ふふ、その時は私が作ります」
奉太郎「本当か?」
える「ええ、勿論です!」
奉太郎「ならそうだな、余計に自分で作る必要は無くなった」
える「……」
俺がそう言うと、千反田は頬を膨らませてこっちを見る。
える「やはりやめました、作りません」
奉太郎「……千反田の料理は美味いんだがなぁ」
える「……そう言われると、作ってあげたくなります」
える「でも、それをすると折木さんは自分で作りませんよね……」
そんな事を言いながら、一人考え込んでいる。
奉太郎「……ああ、こういうのはどうだ」
える「何でしょう?」
奉太郎「俺は一人じゃとても作れないから、千反田が教えてくれ」
奉太郎「そうすれば、少しは上達するだろう」
える「……それは良い案ですね!」
千反田はそう言うと、身を乗り出して俺の手を掴む。
……駄目だな、やはりこれはどうにも慣れない。
この千反田の近さに慣れる日は、俺にやって来るのだろうか。
奉太郎「ま、まあ……機会があったらだがな」
える「……意外と早く、来るかもしれませんよ」
なんだか意味がありそうな台詞だが……
ここで俺が、その台詞が気になると言ったら何だか負けた気がするので口には出さなかった。
奉太郎「ん、そろそろ昼休みも終わりだな」
時計を見ながら、俺は千反田にそう伝える。
える「あ、ほんとですね」
える「ではまた放課後に、ここで」
奉太郎「ああ、また後でな」
俺はもう少しだけ残っているのか、千反田に軽く手を挙げると古典部を後にした。
そして、放課後。
俺は昼休みに言っていた千反田の言葉の意味を、理解する事となる。
~古典部~
摩耶花「それで、私もちーちゃんみたいに上手くなれたらなぁ……って思うのよ」
奉太郎「つまり、何が言いたいんだ」
摩耶花「だから、皆でお弁当を自分で作ってきて、食べ比べてみない?」
奉太郎「……何故そうなる?」
里志「僕には分かるよ、自分を知りたければ他人を知れって事だね」
何だろう、ある様な気がするがそんな言葉は無かった気がする。
奉太郎「作ったか」
里志「さあ、先に言っている人が居てもおかしくはないけど、ありそうな言葉だと思うよ」
さいで。
える「ふふ、そうですね。 摩耶花さんの案は良いと思いますよ」
摩耶花「そうそう、そう思うでしょ?」
摩耶花「ちーちゃんには前から相談してたんだけど、言う機会が無くってさぁ」
なるほど、そういう事だったか。
……千反田め。
える「どうでしょう、やってみませんか?」
里志「僕も面白いと思う」
里志「福部流のお弁当を、見せてあげるよ!」
里志は勿論、即答で賛成する。
える「折木さんはどうでしょう?」
……こいつも随分と意地が悪いな。
俺が何て言うかなんて、分かっているくせに。
奉太郎「ああ、まあ……やってみるか」
摩耶花「よし! じゃあ一週間後でいいかな?」
里志「今日は水曜日だから、次の水曜日って事だね」
摩耶花「私は明日でも良いんだけど、折木がねぇ……」
そう言いながら、伊原は俺に嫌な笑いを向ける。
里志「ホータロー、一週間で何とか頑張ってね」
奉太郎「……それなりにはな」
摩耶花「折角一週間も猶予をあげるんだから、もうちょっとやる気出してよね」
奉太郎「それはどうも、優しい事で」
俺も勿論、やると言ったからには中途半端にはやりたくなかった。
明らかに手を抜く事も出来たが、そんな気分にはなれない。
える「では、一週間後に!」
随分と張り切っているな、千反田は。
まあ千反田なら、誰も文句を付けない弁当を持ってくるだろう。
俺も、しっかりやらないとな。
俺の想定外は、この日既に一つあった。
それは勿論、千反田の言葉の意味である。
あくまでもそれは、家に帰るまでの話。
学校が終わり、千反田を家まで送って行き、玄関の前に着いたときに本日二つ目の想定外の事が起きたのだ。
~千反田家前~
奉太郎「それじゃ、また明日」
俺は千反田にそう言うと、体の向きを変え、家路に着こうとする。
える「え、何を言っているんですか。 折木さん」
そう言いながら、俺の腕をしっかりと掴まれる。
奉太郎「何って、帰ろうとしている」
える「駄目ですよ、お料理の練習です」
……ええっと、既に夕焼けが綺麗な程に日が傾いているのだが。
奉太郎「……今からか?」
える「そうですよ、一週間しか無いので……今日から練習しましょう」
いやいや、別に一日遅れた所で大して変わらない……と思う。
そんな思いが顔に出ていたのか、千反田が再び口を開いた。
える「時間は限られているんですよ」
える「なので、今日からでは無いと駄目です」
える「この後に用事等は、無いですよね」
一言発する度に、顔を近づけ千反田は言って来る。
俺はそんな千反田を手で制しながら答えた。
奉太郎「わ、分かった」
奉太郎「今日からだな、分かった」
える「ふふ、ではさっそく練習しましょう!」
千反田はさっきまでの真剣な表情とは打って変わり、今度は笑顔になっている。
そんな表情を見れただけで、俺は今日、料理の練習をする事になったのを良かったと思った。
~千反田家~
色々と教えられながら、料理を作っていく。
千反田はそのままでは邪魔なのか、髪を後ろで縛っていた。
奉太郎「前から何回か思っていたんだが」
える「はい? どうしましたか」
……ああ、俺は今何を言おうとしているんだ。
つい、だったのだが……その後の言葉に詰まってしまう。
奉太郎「い、いや」
奉太郎「何でも無い、料理の続きをしよう」
~千反田家~
色々と教えられながら、料理を作っていく。
千反田はそのままでは邪魔なのか、髪を後ろで縛っていた。
奉太郎「前から何回か思っていたんだが」
える「はい? どうしましたか」
……ああ、俺は今何を言おうとしているんだ。
つい、だったのだが……その後の言葉に詰まってしまう。
奉太郎「い、いや」
奉太郎「何でも無い、料理の続きをしよう」
える「……」
一度外した視線を千反田に戻した所で、俺は気付いた。
やってしまった、と。
える「何でしょう、折木さんは何を仰ろうとしたんでしょうか?」
える「教えてくれますよね、折木さん」
奉太郎「そ、そんな大した事じゃない」
える「では、どうぞ」
奉太郎「……実は、かなり大した事がある」
える「そうなんですか?」
える「それでは、聞かない方がいいですね」
そう言い、千反田は調理をする為、体の向きを変える。
それを見ていた俺は、結局の所……喋る事になる。
奉太郎「その、あれだ」
奉太郎「……似合うと、思っただけだ」
俺の言葉を聞き、千反田は振り返った。
える「え? 似合うとは……どういう意味ですか?」
奉太郎「だから、それ」
言いながら俺は千反田の頭を指差す。
える「えっと……」
千反田は自分の頭を指されている事に気付いたのか、自分の頭を触っていた。
そしてそれを何度か繰り返し、ようやく気付く。
える「あ、そう言う事でしたか」
奉太郎「……まあ、それだけだ」
える「ありがとうございます、折木さん」
そう言い、千反田は俺の手を取った。
奉太郎「……お礼を言う程の事でも無いだろ」
奉太郎「ただ、俺が思った事を言っただけだ」
奉太郎「料理の続き、やるぞ」
俺は千反田にそう言うと、一人食材達と向き合った。
こうでもして話題を切らなければ、どうにも落ち着かない。
える「ふふ、そうですね」
える「続きを教えますね」
それからしばらく、二人で料理を仕上げていく。
正確に言えば、千反田監修の下……だが。
辺りがすっかり暗くなった頃、多分19時とか20時とか、そのくらいだろう。
料理はようやく仕上がった。
~縁側~
奉太郎「ここで食べるのか?」
える「ええ、折木さんに見せたい物があるんです」
見せたい物……また浴衣か?
奉太郎「秋祭りにでも行くのか」
える「……良いですね、今度調べておきます」
はて、祭りでは無いのか。
奉太郎「ううむ」
俺は一つ唸り声をあげ、少し考えてみた。
える「そんな考えなくても、すぐに分かりますよ」
奉太郎「……そうか」
なんだ、ちょっと真剣に考えようとしていたのだが。
える「とりあえずはご飯を食べましょう」
そう言えば、成り行きで千反田の家でご飯を食べて行く事になったが……
まさかとは思うが、来週の水曜日までこれが続くのだろうか?
悪くは無い、別に嫌でも無いのだが……少し迷惑では。
しかしそんな事を今考えても、答えなんて出ないか。
今はまあ、飯を食べよう。
える「ご馳走様です」
行儀良く両手を合わせ、千反田はそう言った。
奉太郎「ご馳走様です」
俺もそれに習い、手を合わせる。
える「ふふ」
千反田が突然、こっちを見ながら笑っていた。
奉太郎「何か悪い物でも食べたか」
える「酷いです、材料は全部私の家の物なんですよ」
奉太郎「なら、何で急に笑い出した」
える「……それはですね、思い出していたんです」
奉太郎「何を?」
える「前に、福部さんに言われた事です」
奉太郎「……里志に?」
奉太郎「くだらない事でも言われたか」
奉太郎「そうでなければ、何かしらの俺の思い出話か」
える「どちらも違いますが、後者のはちょっと気になりますね」
奉太郎「……今度、機会があればな」
奉太郎「それより、何て言われたんだ?」
俺がそう聞くと、千反田は口に手を当て、小さく笑うと答えた。
える「似ていると、言われたんです」
奉太郎「……似ている?」
える「ええ、私と折木さんが」
奉太郎「あいつもついに、おかしくなったか」
える「性格等の話では、無いと思いますよ」
奉太郎「……だったら、何が似ているんだ」
える「福部さんの言葉を借りますと」
える「なんだか、千反田さんを見ているとホータローを見ている気分になるよ」
える「その腕を組んだりする癖、そっくりだ」
える「と、仰っていました」
なるほど、そう言う事か。
しかし、どうにも里志の言葉だからと言えど……千反田に名前を呼ばれ、ちょっと恥ずかしい。
奉太郎「まあ、結構長い間一緒に居たからな」
奉太郎「そう言う事も、あるのかもな」
俺は恥ずかしさを消す為に素っ気無く言い、お茶を飲み込む。
える「あ!」
突然、千反田が何かを指しながら俺の肩を叩いてくる。
える「見てください、折木さんに見せたかった物です」
ああ、そう言えばそんな話だったっけか。
それを聞き、俺は千反田の指す空へと視線を向ける。
奉太郎「これは、すごいな」
空に走っていたのは、無数の流れ星だった。
える「天気が良いと、見れるとテレビで言っていたので……良かったです」
俺はしばし、その流れ星に目を奪われていた。
える「そう言えば、流れ星は願いを叶えてくれるんですよね」
奉太郎「そんな話もあるな」
奉太郎「千反田は……何か、願いでもあるのか」
える「ありますよ、私にも」
奉太郎「なら、願っておけばいいさ」
える「もう願いました、五回ほど」
五回も願ったのか、欲張りな奴だ。
える「折木さんは何か願い事、しないんですか?」
奉太郎「俺は、こういうのは信じていない性質なんで」
える「ふふ、そうですよね」
奉太郎「何がおかしいんだ」
える「いえ、折木さんが星にお願い事をしている姿が、想像できなかったので……ふふ」
奉太郎「……さいで」
流れ星は、ほんの5分ほどで消えて行った。
もう、流れ星が降る事も無い空を未だに見ながら、千反田は口を開く。
える「そう言えば、先程の事ですが」
える「私、この髪型をそんなにしていましたっけ?」
奉太郎「……ああ」
奉太郎「多分、だが」
奉太郎「……千反田の事は、良く見ていたのかもしれない」
える「そ、それは……あの、その」
える「う、嬉しい言葉です」
あたふたしている千反田を見て、俺は素直に可愛いと感じていた。
その感覚がなんだか自然で、思わず笑いが漏れる。
勿論、千反田に見られないように隠れてだが。
える「でも、逆にもなるんですよ」
奉太郎「逆? どういう事だ」
える「先程、福部さんが私に言った言葉を教えましたよね」
奉太郎「ああ、千反田を見ていると俺を見ている気分になる……だったか」
える「そうです、それでですね」
える「それは多分、私が折木さんの癖を、自然と真似しているんだと思います」
奉太郎「俺の癖を?」
える「腕を組んだりするのが、似ているらしいですよ」
奉太郎「と言われても、意識してやっていないから分からないな」
える「私も、福部さんに言われるまで全然気付きませんでした」
える「でもやはり、自然にそうなると言う事は、折木さんの事を自然に見ていたのかもしれません」
俺はその言葉にまた、気恥ずかしい気分になり、頭を掻きながら答える。
奉太郎「すまんな、変な癖を移してしまった様で」
える「いいえ、構いませんよ」
える「だって私は、幸せですから」
そう言い、俺の肩に千反田は頭を預けて来た。
奉太郎「そうか、なら俺も同じ気持ちだな」
える「……それは、良かったです」
それから数分だろうか、俺と千反田はそうしていた。
奉太郎「……じゃ、そろそろ帰るかな」
いつまでも居たら迷惑だろうし、俺もあまり遅くなってしまっては姉貴に何て言われるか分かった物では無い。
奉太郎「おい、千反田?」
える「……んん」
……当の千反田は、気持ち良さそうに寝ていたのだが。
奉太郎「……参ったな」
とりあえず、このままにしておいて風邪でも引かれたら後味が悪すぎる、場所を移そう。
そうして千反田を部屋の中へと移し、畳んで置いてあったタオルを一枚、千反田に掛けて置いた。
奉太郎「さて、どうした物か」
このまま帰ってもいいのだが、この家には誰も戸締りをする者が居ない。
千反田の両親が帰ってくれば良いのだが……いや、状況的にはあまり良くないか。
しかしそんな心配も杞憂だろう。
今まで何度も家に来ているが、千反田以外の人物は見た事すら無いのだから。
恐らく千反田は、家事やら何やら一人でしているのだろうな。
それで今日、俺に料理を教え、疲れて寝たと言った所か。
なら、そうだな……
食器洗いくらい、やっても良いだろう。
いや、むしろそのくらいしなければ罰が当たるかもしれない。
……違うな、俺はそんな神罰的な事等、信じていない。
それなら、理由としては。
千反田が起きるまでの暇潰し、としておこう。
これなら確かに合理的である。
俺は自分自身にそう、言い訳をすると食器の山へと立ち向かっていく。
奉太郎「ふわぁ……」
何だか俺も眠くなってきたが、こんな所で寝る訳にはいかない。
奉太郎「あいつも、大変なんだな」
やはりさっき、俺が自分に言い聞かせたのは建前で、本心は多分。
千反田の手伝いをする為、と言った所か。
まあ、そんな理由なんてどうでもいい。
俺が今一番考えなければいけない事は……姉貴への言い訳と、何時に帰れるか、の二つである。
奉太郎「……眠い」
そして眠気と戦いながら、俺は食器とも戦う事となった。
第21話
おわり
える「段々と、良い感じになってきましたね」
奉太郎「そうか? 自分では全然分からんな」
える「正直、最初はどうしようかと思いました……」
奉太郎「悪かったな、そんなレベルで」
える「ふふ、冗談ですよ」
……こいつの冗談は、どうにも区別が付きにくい。
奉太郎「まあ、それもこれも全部、千反田さんのおかげです」
える「感謝の気持ちが、全く感じられないのですが……」
そうだろうか、こんなにも精一杯の言葉で現していると言うのに。
奉太郎「ま、本当に感謝はしているさ」
奉太郎「ありがとうな」
える「いいえ、このくらいならいつでも」
える「それに、私も楽しめましたので」
奉太郎「そうか」
俺と千反田が取り組んでいるのは、料理。
伊原の提案で、古典部全員で何かしら作る事になっていたのだ。
その事に対し、俺は別に……物凄くやる気があった訳では無い。
しかしまあ、やりたく無かった訳でも無かった。
える「あ、そういえばですけど」
千反田は何かを思い出したのか、人差し指を口に当てながら続ける。
える「作っていくお料理は、皆で揃える事になりました」
奉太郎「同じ物を作れって事か?」
える「ええ、比べるのにその方が良いと思いまして」
なるほど、確かに矛盾は無いな。
奉太郎「それで、作っていく物は何になったんだ?」
える「ええっとですね」
える「卵焼きです!」
卵焼き……卵焼き。
奉太郎「一ついいか、千反田」
える「あの、折木さんが言いたい事が少し分かる気がします」
奉太郎「ほう、何だと思う?」
える「……今までの練習が、あまり意味の無い物に、と言う事でしょうか」
奉太郎「さすが千反田、その通りだ」
つまり、俺がここ最近千反田の家で練習していたのは、如何にも千反田らしい料理……
噛み砕いて言えば、ちょっと上級者向けの物だろうか。
俺は詳しい訳でも無いので、声を大きくしては言えないが……
卵焼きは恐らく、かなり初心者向けなのでは無いだろうか。
える「で、でもですね!」
える「いつか役に立つ時が、来る筈です!」
奉太郎「やけに自信たっぷりだな」
える「ええ」
える「努力は必ず、報われますから」
ふむ、今まで大した努力もして来なかったので、俺にはちょっと分からない。
奉太郎「そうだと良いな」
える「絶対にです!」
える「私、努力をしている人は好きなので」
奉太郎「……そうか、それに俺も当てはまると良いんだが」
える「何を言っているんですか、折木さんが努力をしてきたのは、私が一番良く知っています」
奉太郎「……ああ、まあ」
千反田が言う事は、分かる。
俺も手を抜いて練習していた訳でも無いし、周りから見たらそれは努力をしていると呼べるのかもしれない。
だが何だか、自分で僕は努力をしていますと言うのも違うので言葉を濁してその話は終わらせる事にした。
える「まだ少し時間があるので、練習しましょうか」
奉太郎「そうだな、そうしよう」
……あれ、ちょっと待て。
奉太郎「ちょっといいか、千反田」
える「はい? 何でしょうか」
奉太郎「千反田は、知っていたんだよな」
奉太郎「皆で同じ料理……卵焼きを作ると言う事を」
える「勿論です、知っていましたよ」
奉太郎「なら何で、練習をすぐにそれに変えなかった?」
俺がそれを問いただした時、千反田はちょっとだけ焦っていた。
言葉にすれば、多分……しまった。 とかそんな感じの顔をしていた。
える「ええっと……」
える「あの、一緒にお料理をするのが……楽しかったので」
さいですか。
~折木家~
そして、その日がやって来た。
俺はいつもより少しだけ早く起き、それに取り組む。
とは言っても、大して練習する時間も無かったのは事実であり、結果にもそれは出ていた。
奉太郎「……なんと言うか」
卵焼きと言うよりかは、炒り卵と言った感じか。
手を抜いた訳では無いが……まあ、時間も無いし別に大丈夫だろう。
卵を焼いたのは事実なのだし。
俺はそれを小さい容器に入れ、鞄の奥へと仕舞う。
そのまま鞄を背負い、家を出て行った。
える「おはようございます、折木さん」
奉太郎「おはよう」
家を出るとすぐに、千反田が目に入ってくる。
これにも最近では随分と慣れてきた。
最初来た時は、事前に何も言われていなかったので相当驚いたが。
える「どうでした? 上手く作れましたか?」
学校までの道で、横に並んで歩く千反田が声を掛けてくる。
いつもはまあ、本当に他愛も無い会話をしているのだが、今日は勿論あれの事だろう。
奉太郎「ううむ、上手く……とはとても言えないな」
える「と言いますと、失敗したんですか?」
奉太郎「結論から言うと、そうだな」
奉太郎「卵焼きと言うよりは、炒り卵と言った方が近いかもしれない」
える「そうでしたか……でも、焼いた事には変わりは無いので、大丈夫ですよ」
なんだ、俺は随分と投げやりにその結論を出したのだが……
千反田に同じ事を言われると、本当にそれが正しい気がしてくる。
奉太郎「そっちはどうなんだ?」
える「私ですか、私もあまり成功とは言えないかもしれません……」
奉太郎「珍しいな、失敗したのか?」
える「いえ、そう言う訳では無いのですが」
える「あ、それでしたら」
える「お昼に一つ、食べますか?」
奉太郎「いいのか? 放課後に食べる分もあるんじゃないか」
える「いいえ、実はですね」
える「最初から、そのつもりだったので」
奉太郎「そうか……なら、貰おうかな」
える「ええ、福部さんや摩耶花さんには内緒ですよ」
奉太郎「分かっているさ」
奉太郎「それより、千反田が成功とは呼べない物には少し興味があるな」
える「気になりますか?」
奉太郎「いや、そこまでじゃない」
える「気にならないんですか?」
奉太郎「……それも違うが」
える「どちらですか、それが私、気になってしまいます」
奉太郎「どっちかと言うと……少し、気になるかもしれない」
える「そうですか! それなら折木さんが気になる物、お昼まで楽しみにしておいてくださいね」
千反田はそう言うと、ようやく見えてきた校舎の中へと走って行ってしまう。
奉太郎「……何が満足なんだか」
俺は、聞こえてはいないだろう千反田の背中に向かってそう言うと続いて校舎に入って行った。
~古典部~
午前の授業も終わり、俺は古典部へと足を運んだ。
扉を開けると、すぐに窓際に座っている千反田が目に入ってくる。
一緒に古典部まで行けばいい、とは思うのだが……なんだかそれは、俺も千反田も自然と避けていた。
奉太郎「早いな」
える「そうでもないですよ、折木さんが遅いだけです」
……否定はしないが。
その言葉は軽く流し、千反田の向かいの席へと俺も腰を掛ける。
奉太郎「それで、成功しなかった卵焼きとやらを見せて貰おうか」
える「あの、あまりそればかり言わないでくださいよ」
千反田はそう言いながら、鞄から小さな容器を取り出した。
える「そう言えば、折木さんには一度、卵焼きを作ってましたっけ」
あったっけか、そんな事が……
ああ、映画を一緒に見た時か。
奉太郎「とは言っても、かなり昔だな」
える「ふふ、そうですね」
える「時が経つのは早い物です」
千反田はそう言い、窓の外に視線を移した。
やめてくれ、まだ若いままで居たいから、そんな年老いた雰囲気は出さないで欲しい。
奉太郎「それで、食べていいか」
える「あ、そうでしたね」
える「どうぞ」
千反田は容器に手を掛け、開いた。
……なんだ、見た目は全然普通だな。
むしろ、俺のと並べたらそれは多分悲惨な事になるだろう。
奉太郎「じゃあ、いただきます」
俺はそう言うと、一つ卵焼きを口に入れる。
奉太郎「……うまいな」
何故、千反田が成功したと言わなかったのかが分からないくらいに、美味しかった。
える「本当ですか?」
奉太郎「ああ、こんな事で嘘は付かない」
える「少々、味付けを失敗したんですが……ちょっと濃くないですか?」
奉太郎「……いや、別に?」
える「そうですか、それなら良いのですが」
ここまで美味しいのに、成功じゃないと言われてしまったら俺はどうすればいいのだろうか……
奉太郎「俺が作った奴も、食べてみるか」
える「良いんですか? 是非!」
そこまで期待されても困るが。
奉太郎「じゃあ、ほら」
鞄から容器を取り出し、千反田の前で開ける。
える「これは、確かに卵焼きと言うよりは炒り卵と言った方が正しいですね」
奉太郎「だろうな」
える「でも、食べてみなければ分かりませんよ」
そう言うと、千反田は少しだけその卵を取り、口に入れた。
える「おいしいですよ、折木さん」
……何だか、照れるな。
正面から言われると、どうにも目を合わせられない。
奉太郎「……そうか、それなら良かった」
それからは、それぞれの容器を仕舞うと弁当を広げ食べ始める。
まあ、千反田が美味いと言ってくれたから……これで少しは安心できると言う物だ。
味も最悪だったら、伊原に何と言われるか分かった物じゃないからな……
~放課後~
里志「と言う訳で、皆作ってきたかな?」
摩耶花「勿論、作ってきたわよ」
摩耶花「皆に聞くより、一人に聞いた方が良いと思うけど」
伊原はそう言いながら、俺の方に顔を向けてくる。
奉太郎「失礼な、俺もしっかり作ってきたぞ」
摩耶花「へえ、楽しみにしておくわね」
里志「じゃあ、ホータローのは最後のお楽しみにしておくとして、最初は僕でいいかな?」
える「そうですね、ではお願いします」
里志「了解! とは言っても普通のだけどね」
里志が取り出したのは、一見すると言葉通り、普通の卵焼きであった。
摩耶花「それじゃ、貰うわね」
伊原の言葉を合図に、里志を除く三人が箸を伸ばす。
奉太郎「……うまいな」
何だろうか、少し辛い? そんな感じの味だ。
える「これは、明太子ですか?」
里志「そう、流石は千反田さん! 食べてからすぐに分かって貰うのは作る側として嬉しいよ」
摩耶花「……確かに、悔しいけど美味しいかも」
里志「ただの卵焼きじゃ、何だかつまらないと思ってね。 一工夫してみたんだ」
……なるほど、里志らしい考え方と言えばそうかもしれない。
摩耶花「次は私かな?」
える「あ、私でも構いませんよ」
里志「いやいや、次は摩耶花に頼みたいかな」
える「どうしてですか?」
里志「それは勿論、落差を楽しみたいから」
……覚えとけよ、里志め。
千反田は何か言いたそうな顔をしていたが、里志の勢いに流されてしまう。
摩耶花「それじゃあ、私のはこれ」
伊原のも、一見して普通の卵焼きか。
……見た目で違いなど、分かる訳無いか。
奉太郎「どれどれ」
卵焼きを一つ箸で掴み、口に入れる。
奉太郎「む……甘いな」
える「みりんとお砂糖ですね、私はこの卵焼きも好きです!」
……さっきから思うが、千反田が料理の先生に見えて仕方ない。
里志「うん、美味しいね」
里志「……これだけ出来るなら、食べ比べる必要も無かったんじゃないかなぁ」
摩耶花「それ、ちーちゃんのを食べてから言って欲しいな」
える「そんな、私のも皆さんと同じくらいですよ」
千反田はそう言いながら、鞄から容器を取り出す。
摩耶花「なんか見た目から、とっても美味しそう」
里志「そうだね……って」
里志「気のせいかな、器に比べて中身が少なくない?」
本当に、小さい事を気にする奴だな。
える「あ、あのですね、器がこれしか無かったので……」
摩耶花「ふうん、まあ一つ貰うわね」
何とか誤魔化せたみたいだが、千反田の慌てっぷりから少々冷や汗を掻いてしまった。
もう少し、上手く誤魔化せない物か……
摩耶花「わ、これ美味しい」
里志「ほんとだ、味付けは普通に醤油かな?」
える「ええ、何か工夫をしようと思ったのですが……色々思いついてしまって」
摩耶花「それで、結局最初に戻ったって訳ね」
える「ふふ、そうです」
里志「まあ、それでも僕達のとはやっぱり比べ物にならないなぁ」
える「そんな事無いですよ、福部さんのも摩耶花さんのも、とても美味しかったですよ」
摩耶花「そうね、ふくちゃんのも美味しかったなぁ」
摩耶花「今度、作り方教えてもらおっと」
里志「うん、何か新しいのにもチャレンジしてみたいし、いいかもね」
里志「それより、一ついいかい?」
える「はい、何でしょうか」
里志「あ、いや。 千反田さんじゃなくて、ホータローに」
俺に? また急に……何だと言うのか。
里志「ホータローは、千反田さんのを食べないのかい?」
……さっきは千反田に、心の中でダメ出しをしたが、どうやら俺もやらかしたらしい。
奉太郎「ああ、いや……食べる」
くそ、余計な事を考えすぎていたか。
える「は、はい。 どうぞ」
千反田も慌てながら渡してくる物だから、余計に怪しくなってしまう。
奉太郎「ありがとう、じゃあ貰うか」
俺も千反田の卵焼きを一つ貰い、口に入れる。
奉太郎「……美味いな」
ううむ、里志や伊原のとは違い……いや、二人のも十分に美味かったが。
比べるとやはり、千反田のは美味かった。
里志「それじゃ、次はホータローの番だよ」
奉太郎「……ほら」
そう言い、俺は鞄からそれを取り出し、机の上に置く。
摩耶花「よっ」
勢い良く、伊原がふたを開いた。
里志「ホータロー、今日作ってくる物は何だっけ」
奉太郎「……卵焼きだな」
摩耶花「それで、折木が作ってきたのは何?」
奉太郎「……卵を焼いた物だ」
里志「違うね、これは卵を炒った物だよ」
さいで。
える「み、見た目はともかく、味も大事ですよ!」
千反田のフォローが、少し辛い。
里志「うーん、まあいいか」
里志「それじゃ、頂きます」
里志と伊原と千反田は、それぞれ箸を伸ばす。
里志「……ちょっとしょっぱいかな?」
奉太郎「……醤油を入れすぎたかもな」
摩耶花「ちょっと、あんた真面目に作ったの?」
失礼な、かなり真面目に取り組んだつもりだと言うのに。
里志「やっぱり、練習した方が良かったかもね」
千反田との毎日の練習を、こいつらに見せてやりたい。
える「あ、あの……折木さんも、真面目にやられていたと思いますよ」
摩耶花「無いって! 絶対適当にやってたでしょ」
里志「そうそう、ホータローが真面目にやるのは、面倒事を避ける時だけだよ」
随分と酷い言われ様である、まあ……今に始まった事では無いので別にいいが。
奉太郎「それじゃ、今日のは終わりでいいか」
摩耶花「なんか納得行かないけど……ふくちゃんとちーちゃんのは、勉強になったしいいかな」
里志「了解、日が落ちると寒くなるから、そろそろ帰ろうか」
そう言い合うと、それぞれ自分の荷物へと手を伸ばした。
える「……待ってください」
何だ、この後に及んでまだ何かあると言うのか……
奉太郎「どうしたんだ」
える「折木さんは、真面目に作っていました」
える「絶対に、適当にやっていた何て事は無いです」
える「……納得、出来ないんです」
別に、俺自身は大して気にしていないのだが……
える「一週間、一緒にお料理の練習をしていたんです」
える「毎日、学校が終わった後に」
える「そんな折木さんが今日、適当に作ってくる事は無いんです」
こうなってしまっては、千反田は結構頑固だ。
里志「そ、そうだったのかい。 ごめんね、千反田さん……ホータローも」
珍しく怒っている千反田に、里志は少し慌てていた様子だった。
それが見れただけでも、今日は散々言われた甲斐があったと言う物だ。
摩耶花「ご、ごめん。 知らなくてつい」
える「……すいません、少し言い過ぎました」
える「お二人がそれを知らなかったのも、当たり前の事です」
奉太郎「……まあ、俺は全く構わないんだがな」
奉太郎「今度何か奢って貰う事で、許してやろう」
里志「はは、それは冗談かい?」
奉太郎「それをどっちと取るかは、里志と伊原に任せるさ」
摩耶花「……急に偉そうになったわね」
……冗談のつもりだったが、普段冗談を言わないだけでこうも言われるのか。
える「では! 帰りましょうか」
える「もう少しで日が落ちてしまいますし」
里志「そうだね、また今度……次は何がいいかな?」
摩耶花「そうね、今度はちーちゃんに教えて貰って作りたいかな」
える「私で良ければ、いつでも大丈夫ですよ」
奉太郎「……俺はもう勘弁して貰いたいが」
摩耶花「折角教えて貰ってたのに、そんな事言うんだ」
里志「ホータローは、千反田さんの料理じゃ参考にならないって言いたいのかなぁ」
える「え、そうなんですか……折木さん」
……これは、またしても厄介な事になりそうである。
える「決めました、今日は寒いので……」
える「折木さんが、帰りに暖かい飲み物をご馳走してくれるみたいです」
ほら、なった。
奉太郎「却下だ」
里志「ああ、寒くて寒くて僕は倒れそうだ」
奉太郎「……却下だ」
摩耶花「私も……さっきから体の震えが止まらない」
奉太郎「……却下だ」
える「折木さんは、友達を見捨てるんですか!」
千反田、一つ教えてやろう。
その台詞は、笑顔で言う物では無いと。
うう……気温も低ければ、財布も寒くなる物なのだろうか。
……いかんいかん、これは年老いてからの駄洒落だろう。
そんな事を思い、かぶりを振りながらどう切り抜けようかと考える。
しかし良い考えが思い浮かばず、それならば別に、飲み物の一本や二本くらい……別に良いか。
……いや、良くはないだろうが。
外を歩き、肌には秋らしい冷たさが感じられる。
だが、不思議と暖かかった。
第22話
おわり
奉太郎「物は出来たのか?」
摩耶花「勿論! 去年はちょっと少なかったからね」
摩耶花「今年は、結構作ってきたわよ」
そう言い、伊原は例のアレを取り出す。
里志「お、本にして改めて見ると……良いデザインだね」
える「ええ、去年は迷惑を掛けてしまったので……今年は頑張ります!」
奉太郎「それにしても、後一週間か」
里志「そうだよ、ホータロー」
そう言い、里志は俺の肩に腕を回して来る。
里志「どうだい、時が経つのは早い物だろう?」
奉太郎「……そうだな、それは里志の言う通りだった」
今だからこそ、俺はそう思っていた。
具体的にそれを感じ始めたのは、いつだっただろうか。
える「楽しみですね、折木さん」
……千反田と、付き合ってからだ。
一日一日が名残惜しい程に早く、過ぎ去っていく。
奉太郎「ああ、今年で最後だからな」
里志「そうだよ、僕達にとってはこれが最後になるんだ」
摩耶花「そう言われると、何だか寂しいわね」
える「そうも言っていられませんよ、楽しみましょう!」
最後、か。
思えば一昨年、去年、殆どを古典部の部室で過ごして居たっけか。
……今年は少し、見て回ってみようかな。
奉太郎「……文化祭か」
~帰り道~
奉太郎「……千反田は」
奉太郎「約束とか、あるのか?」
える「約束? ええと、何のお話でしょうか」
奉太郎「あ、すまんすまん」
奉太郎「文化祭の時、一緒に見て回る友達とか居るだろう」
える「そう言う事でしたか」
危ないな、千反田の説明を飛ばす癖が俺に感染でもしたのか。
える「今の所は……居ない筈です」
奉太郎「そうか、なら」
奉太郎「その、一緒に回るか……文化祭」
える「本当ですか!」
える「折木さんの事でしたので、また店番をすると言い出すかと思っていました」
奉太郎「俺だって、最後くらい……見てみたいと言う気持ちはあるぞ」
える「そうでしたか、何だか感動してしまいそうです」
……俺が部室から動くだけで、感動するのか。
失礼な奴だ、全く。
奉太郎「それで、どうする」
える「あ、是非お願いします!」
奉太郎「じゃあ決定だな」
奉太郎「里志も今年は委員会の仕事が無いらしいから、店番は順番でやろう」
える「分かりました。 明日早速、お二人にもお話しましょう」
奉太郎「……だな」
千反田があんな反応をしたせいで、明日がちと怖い。
普段からやたらと言ってくるあいつらが、俺の意思を知ったら何と言うか……
える「話が変わりますけど」
……何だろうか。
千反田がこう言う風に、急に話題を変えるのはちょっと珍しいな。
える「今度の週末、何か予定はありますか?」
奉太郎「お前が一番良く知っているだろ、予定なんて入っていない」
える「そうですか、それなら」
える「私が、予定になりましょう」
つまり、何かしら千反田にはしたい事があるのだろうか?
奉太郎「わざわざどうも」
奉太郎「それで、どこか行きたい所でもあるのか?」
える「ええ、あります」
奉太郎「あまり遠い所は勘弁してくれよ」
える「大丈夫ですよ、すぐ近くですから」
まあ、それなら別にいいか。
える「日曜日の夜ですが、良いですか?」
奉太郎「日曜日? 次の日は学校だろ」
える「そんな遅くまではならないと思いますよ」
奉太郎「……じゃあ、その言葉を信じるか」
える「ふふ、ありがとうございます」
奉太郎「それにしても、夜に行きたい場所なのか?」
える「はい、そうです」
聞けば多分、千反田は答えるだろうが……ちょっと考えてみるか。
確か、千反田はすぐ近くと言っていたな。
とすると……神山市の中だろう。
あの公園だろうか?
……いや、それならばそう言う筈だ。
何回も行っているのに、わざわざ場所を言わない理由は無い。
ううむ、予想以上に難しい問題かもしれない。
奉太郎「……その場所は、俺が行った事のある所か?」
える「ええ、そうですよ」
千反田も俺が考えている事に気付いたのか、場所を言おうとはしなかった。
で、行った事のある場所か。
……学校?
違う、夜に行って肝試しでもするなら別だが……時期が違うか。
それに千反田は、肝試しとかそんな遊びをする時は必ず里志や伊原にも声を掛けるだろう。
と、なると……
奉太郎「もしかして、千反田の家か?」
える「あ、凄いですね」
奉太郎「なら、当たりか」
える「ふふ、惜しいですけど」
……違ったのか。
だが、凄いと言ったからにはかなり良い線だったのだろう。
ああ、そうか。
奉太郎「当たって欲しくは無いんだが」
奉太郎「俺の家か」
える「それならば、折木さんにとっては残念な結果です」
奉太郎「……さいで」
にしても何故、俺の家なのだろうか。
奉太郎「俺の家に来ても、面白い事やお前が気になる事なんて無いぞ」
える「いいえ、それが次の週末にはあるんです」
……また問題を提示されてしまった。
だがちょっと、難しいな……これもまた。
える「あ、それは考えては駄目です」
奉太郎「えっと、どうして?」
える「ふふ、お楽しみにしておいてください」
奉太郎「……ま、答えは出そうに無かったしいいが」
える「絶対ですよ?」
奉太郎「分かってる」
える「家に帰ってからも、考えないでくださいよ?」
奉太郎「わ、分かったからちょっと離れてくれ」
える「約束してくださいね」
奉太郎「ああ……するよ」
全く、考えなくても良いと言われ、更にはそれを約束しろとは……いつも千反田にはこうであって欲しいな。
……そうでもないか?
しかし、考えるなと言われると却って気になるでは無いか。
日曜日の夜……何かあるのだろうか。
える「折木さん、考えてますよね」
奉太郎「いや、まあ」
える「誤魔化さないでください、折木さんが考えている時は、顔を見ればすぐに分かるんですから」
奉太郎「……それは参ったな」
奉太郎「分かったよ、考えない」
える「……」
うう、そうもじっと見られていては、考えようとしても考えられないと言う物だ。
奉太郎「……そろそろ着くぞ」
える「……あ、そうですね」
える「では、また明日」
奉太郎「ああ、またな」
える「絶対に考えないでくださいね」
奉太郎「約束するさ、別の事でも考えておく」
える「別の事、ですか?」
奉太郎「例えば、そうだな」
奉太郎「文化祭の時、どこを回ろうかとか」
える「それは良いですね」
える「ふふ、楽しみにしておきますね」
……余計な事を言ったか。
奉太郎「ま、じゃあな」
える「ええ」
そう言い、俺は自分の家へと歩いて行った。
奉太郎「……もう秋か」
この文化祭が終われば、もう後は受験だけか。
今年ももうすぐ終わり……とまでは行かないが、後3ヶ月程度しかない。
そう言えば、千反田がどこの大学へ行くかも、まだ聞いていなかった。
……文化祭が終わってから、聞いてみるか。
奉太郎「……久しぶりに公園にでも寄るか」
公園に行った事自体は結構最近の気がするが、一人で来るのは随分久しぶりな気がする。
思えば本当に、色々とあった高校生活だった。
一番俺に影響を与えたのは、間違い無く千反田だろう。
そんな事を考えていた時、丁度公園の入り口が見えてきた。
~公園~
俺はベンチに腰を掛け、綺麗に彩る紅葉を眺めながら思考する。
もし、千反田と会っていなかったら、どうなっていたのだろうか?
あの日、古典部に行った時、千反田が居なかったら。
俺は恐らく、名前だけを古典部に置いて、活動らしい活動なんて一切しなかった筈。
学校が終わればすぐに帰り、自分の部屋で本でも読んでいたのだろう。
里志に誘われて遊びに行く事もたまにはあったかもしれない。
……文化祭には、何か出すだろうか?
姉貴の存在のおかげで、何かしら文集らしい物は作ったかもしれない。
勿論、氷菓の名前の由来や関谷純が伝えたかった事も、一切知らないで。
そうして今も、この公園に足を運ばなかったのかもしれない。
……それは、悪い事だろうか?
そうでは無い、悪い事では無いのだ。
ただ、良くある高校生の過ごし方だと思う。
なら別に、千反田と出会わなくても良かったのでは無いか。
良かった、とは思わないが……それもあり得た道ではある。
しかし、どうだろうか。
今となっては、それは多分……
千反田と出会っていなかった日常、恐らく。
奉太郎「……つまらんな」
そうあっさりと結論を付け、目の前に落ちてきた葉っぱを一枚手に取った。
そのまま、神山市を一望出来る所まで移動する。
俺は手すりに寄りかかり、手に持っていた葉っぱを風に乗せた。
気持ちいいくらいの勢いで、それは町へと飛んでいく。
だが、どこまでも行きそうなそれでも……この町から出ることは叶わないのだろう。
一人で飛んでも、結局はまた、同じ地へと戻ってくる。
そこにあるのは多分、孤独……そんな所だろうか。
そんな葉っぱに少しだけ俺は、寂しい気持ちになり、すぐに馬鹿らしいとかぶりを振った。
奉太郎「……寒くなってきたな、帰るか」
誰にともなく、呟く。
そうして俺は、一人……帰り道を歩いて行った。
第23話
おわり
私は、折木さんに見送ってもらった後に、ある事に気付きました。
ついつい夢中で話していて、学校に忘れ物をしてしまったのです。
私とした事が、と言ったら傲慢に値するかもしれません。
そうして私は、本日二度目の下校をしている所でした。
える「まだ門が開いていて良かったです……」
そんな事を呟き、帰り道をゆっくりと歩きます。
町を彩っているのは、綺麗な紅葉でした。
える「……今度、折木さんを誘って紅葉でも見に行きましょう」
神山市は、自然に恵まれていると思います。
紅葉が良く見れる場所は知っていますし、悪い案では無いかも知れません。
問題は……そうですね、折木さんの気分が乗るかでしょうか。
そんな時、ふと風に乗って一枚の葉っぱが飛んできました。
それはゆっくりと、風に揺られながら地面へと落ちていきます。
える「どこから飛んできたのでしょうか……気になりますね」
こんな時、折木さんが居れば……私が考えもしない方法で、答えを出してくれるのですが。
今は残念ながら、私一人です。
そして私は、地面に落ちた葉っぱの下へと歩いていきます。
える「ふふ、良かったです」
どこからともなく飛んできた葉っぱは、木の根元に落ち、そのすぐ傍にはもう一枚の葉っぱがありました。
それはどこか、寄り添っている様な、そんな気がして……不思議と幸せな気分になります。
える「……ちょっと寒くなってきましたね」
風邪を引かない内に、帰りましょう。
それにしても、次の日曜日は楽しみです。
私はそんな事を思いながら、一人帰り道を歩いて行きました。
第23,5話
おわり
日曜日と言うだけあり、テレビでは既にバラエティ番組等を放送している。
奉太郎「……18時か」
千反田との約束は19時だった筈、とは言っても一度、千反田の家まで迎えには行くのだが。
夏なら日が落ちるのは遅いので構わないかもしれないが、この時期でこの時間ともなると、辺りは暗い。
まあそれも、俺が千反田に言った事だったので面倒とは感じていなかった。
幸いにも……とでも言えばいいのか、姉貴はまたも外国へと旅立っている。
……いや、別に姉貴が居ても構わない。
千反田は何度も家に来ているし、姉貴も俺と千反田の事は仲が良い友達くらいにしか思っていないだろう……恐らく。
その、あれだな。
……千反田と二人っきりと言うのは、あまり良くないかもしれない。
俺の気持ち的にも、一般論からしても。
待て待て。 俺は別に千反田と二人で家に居る事になるからと言って、変な事になるとは思っていない。
……多分、恐らく。
ああ、駄目だ。
やはり一人でこう、考えていも落ち着かない。
少し早い気もするが、千反田の家に向かうとしよう。
~千反田家~
俺が家の前に着くと、既に千反田は外で待っていた。
奉太郎「なんだ、外で待っていたのか」
千反田は空を見ていた様で、俺が声を掛けるまで気付かなかった様子だ。
える「こんばんは」
える「少しだけ、気になる事があったので」
奉太郎「一日に一回は何かしらあるな……」
奉太郎「で、その気になる事って言うのは?」
える「いえ、もう大丈夫です」
珍しい事もある物だ。 自分で解決出来たのだろうか。
奉太郎「……そうか、ならいいが」
奉太郎「でも、あまり外に居ても風邪を引くぞ」
える「ふふ、ご心配ありがとうございます」
える「それでは、行きましょうか」
奉太郎「だな」
にしても、9月の終わりとは言った物の、夜になると冷え込むな……
箪笥の置くに仕舞いこんでいる冬着も、そろそろ引っ張り出さなければなるまい。
そんな事を考えていたら、唐突に千反田が話しかけてきた。
える「もしものお話をしてもいいですか?」
奉太郎「……構わんが」
える「もし、ですよ」
える「私と折木さんが知り合ったばかりの時、私が今日と同じ様にお誘いしたら、折木さんは付き合ってくれましたか?」
奉太郎「知り合ったばかりの時か」
ううん、どうだろうか。
奉太郎「多分、千反田に付き合う事になっただろうな」
える「そうですか」
奉太郎「……例えば」
奉太郎「伊原や里志、あいつらが同じ事を言ってきたら断っていたかもしれない」
える「えっと、何故でしょうか」
奉太郎「俺が、お前の頼みを断った事があったか?」
奉太郎「……強制的に、って事が多いけどな」
える「何回も、嫌だと言われた気がしますけど……」
奉太郎「最終的な話だよ、結果的に」
える「ふふ、それでしたら無いかもしれませんね」
奉太郎「だから多分、今日の様な事を知り合ったばかりの時に言われても、最後は付き合う事になってただろうな」
える「そうでしたか、それは良かったです」
奉太郎「……良かったって、何が」
える「秘密です」
奉太郎「……さいで」
人に話をしておいて、秘密と来たか。
ま、別に物凄く気になる訳でも無いし、いいけどな。
奉太郎「それより、今日は何で俺の家で?」
える「もうすぐ分かりますよ」
える「てっきり、折木さんの事ですから……もう考えていてしまったのかと思いました」
奉太郎「失礼な、折木奉太郎は約束を守る男だ」
える「ふふ、良い事を聞けました」
奉太郎「……無理な約束はしないけどな」
える「色々と、約束を頼んで見る事にしますね」
……何を約束されるか、分かった物じゃないな。
奉太郎「……そろそろ着くぞ、その話は今度にしよう」
える「ええ、次の時までに考えて置きます」
~折木家~
奉太郎「ただいま」
える「お邪魔します」
奉太郎「……まあ、誰も居ないけどな」
える「先に言って下さいよ、意地悪です」
奉太郎「家の明かりが消えているんだし、分かるだろう」
える「……それもそうですね」
奉太郎「分かればそれでいい、お茶でも飲むか?」
える「……」
何だ、返事が無い。
ふと玄関の方を振り向くと、未だに家の中に入らず千反田は外を見ていた。
奉太郎「おい、聞いてるか?」
千反田の肩に手を掛けると、ようやく千反田は気づき、振り向く。
える「あ、ごめんなさい」
える「お茶ですよね、頂きます」
聞いていたのなら、返事くらいはして欲しい物だが。
まあ……いいか。
俺はそのまま千反田をリビングに通し、台所でお茶を淹れる。
える「あれ、折木さんお茶を淹れられるんですね」
奉太郎「……新歓の時に、信じられないと言った顔でお前に見られたからな」
える「そこまでは思っていませんよ」
奉太郎「俺にはそう見えた」
える「……ちょっとだけ思ったかもです」
奉太郎「ま、そのおかげで俺はお茶を淹れる事が出来る様になった訳だ」
える「そ、それは良かったですね」
そんな事を話しながら淹れたお茶を、千反田の前に一つ置いた。
一緒に淹れていた自分のも取り、千反田の向かいに腰を掛ける。
奉太郎「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
える「……ええっと、何の事でしょうか」
える「あ、丁度良い味ですね」
奉太郎「どうも、じゃなくてだな」
奉太郎「今日、何で俺の家に来たかったって事だ」
える「なるほど、そろそろ時間も良い筈なので」
える「聞くよりは、見た方が早いと思います」
奉太郎「見た方がって、何を……」
俺のその言葉を聞いたか聞いていないか、千反田は立ち上がると窓の方へ寄って行った。
そのままカーテンを開き、俺の方を向くと手招きをしている。
奉太郎「……何か面白い物でもあるのか」
そう言い、千反田の方へと歩いて行く。
える「あれです」
千反田が指を指すのは、空だった。
奉太郎「……そういう事だったか」
える「ふふ、今日は何の日か、ご存知ですか」
奉太郎「わざわざそんな言い回しをするって事は」
奉太郎「中秋の名月、か」
える「お見事です」
奉太郎「だからか」
える「と、言いますと?」
奉太郎「いや、最初に会った時も……空を見ていたからな」
奉太郎「それと、家に入る時も」
える「気付いていたんですか」
奉太郎「本当に気付いたのは、たった今だけどな」
える「そうでしたか」
俺と千反田は、そのまま窓を開け、足だけを外に投げ出し座り込む。
奉太郎「明るいな」
える「……私とは、違った感じ方ですね」
奉太郎「何だ、そう思わないのか?」
える「月が明るいのは、太陽のおかげなんですよ」
える「月だけでは、あんなに綺麗な輝けません」
奉太郎「……それもそうだな」
辺りには虫の鳴き声が響き、風は冷えていて、秋らしさが感じられた。
奉太郎「それと一つ、聞きたい事がある」
える「はい、何でしょうか」
奉太郎「何故、俺の家で見たかったんだ?」
奉太郎「こう言うのも何だが、千反田の家で見た方がずっと見やすかったと思うんだが」
それもそう、千反田の家の縁側で見れば……こんな窮屈な思いをしなくて済んだ。
つまり、一般的な家庭の窓辺に二人が座ると、どうにも狭いのだ。
える「折木さんの家でお話する事が、あまり無かったので」
える「たまにはと思っただけですよ」
奉太郎「……そうか」
千反田は月を見続ける。
俺はふと、そんな千反田に視線を移した。
月明かりに照らされた千反田の横顔は、何故かとても儚いものの様に……俺には見えていた。
える「折木さん」
奉太郎「……ん、どうした」
える「先程のお話の続きをしましょうか」
奉太郎「ええっと、いっぱい話したからな……どれの続きだろうか」
える「折木さんが約束を守る男だと言う、お話です」
奉太郎「……記憶に無いと言ったらどうする」
える「私は覚えているので、大丈夫ですよ」
奉太郎「さいで」
える「それでですね、一つ守って貰いたい約束があるんです」
奉太郎「俺に出来ることなら、構わんが」
える「はい、それで約束ですが……」
える「もし、私と折木さんが」
える「別れる様な事があった時、悲しまないでくれますか」
奉太郎「悪いが、それは約束できない」
える「もしものお話ですよ」
奉太郎「だとしても……無理だな」
える「そうですか……」
奉太郎「何故、急にそんな話をしたんだ」
える「いえ、ただ言ってみただけです」
ああ、何だ……すぐに分かるじゃないか。
それがすぐに分かったと言う事は、去年よりは俺も少し成長しているのだろう、やはり。
つまり、千反田は何か……隠しているのだ。
問い詰めれば千反田は言うだろうが、千反田に言う気が無いのならば、俺も無理に聞こうとは思わなかった。
奉太郎「……俺からも、一つ頼みたい約束がある」
える「何でしょうか?」
奉太郎「もし、俺と千反田が別れる様な事があった時、悲しまないでくれるか」
える「自分では守れない約束では無いですか」
奉太郎「俺の方も努力はするさ」
俺がそう言うと、千反田は顔を一瞬伏せ、口を開いた。
える「……分かりました、約束します」
える「自分で言い出した事ですからね」
奉太郎「けどな」
奉太郎「まず、何かあったら言って欲しい」
奉太郎「俺はそう言うのに気付きにくいんだ、千反田の準備が出来てからでいいから」
奉太郎「必ず、言って欲しい」
える「はい、そちらも約束します」
そう話し終わると、俺と千反田は再び月に視線を移す。
える「先程のお話の続きをしてもいいですか」
奉太郎「……今度はどの話だろうか」
える「もしものお話の事ですね」
奉太郎「あれか、確か良かったとか最後に言っていたな」
える「ええ、その理由ですが」
える「折木さんが、私に頼まれた時だけ断らないと言ってくれた事です」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「まあ、それはあれだ」
える「強制的に、と言うのは余計ですけどね」
俺が言おうとした言葉を、千反田は笑顔を向けながら言ってくる。
奉太郎「……仰る通りで」
える「ふふ、でも嬉しかったのは本当です」
奉太郎「……どうも」
千反田は時々、こう気持ちを率直に伝えてくるので、どうにも恥ずかしくなる。
嫌では無いのだが……
奉太郎「それより、俺も……もしもの話をしてもいいか」
える「それはちょっと気になりますね、お願いします」
奉太郎「もし……だが」
奉太郎「俺と千反田があの日、出会っていなかったらどうなっていたんだろうな」
える「あの日、と言うのは初めて部室でお会いした時ですか?」
奉太郎「ああ、そうだ」
える「……それは」
千反田は腕を組み、しばし思考していた。
やがて腕をほどき、首をかしげながら口を開く。
える「ごめんなさい、少し難しいです」
奉太郎「まあ、そうだよな」
奉太郎「俺は多分、会っていなかったら……何とも無い高校生活だっただろうな」
える「いえ、そうでは無くてですね」
える「もう会ってしまったのですから、考えても答えは出そうに無いんです」
える「それに……どうなっていたかの予想は、あまりしたくありません」
奉太郎「……はは、それもそうだ」
千反田から言わせれば、それを考える事すら無駄と言う事だろう。
俺も随分と無駄な事を考える様になった物だな。
そんな事を考え、目を部屋の中へと移す。
視界に入った時計によると、現在の時間は22時少し前らしい。
奉太郎「……さて、そろそろ遅い時間になってきたな」
俺の言葉を聞き、千反田も部屋の中へと視線を変える。
える「本当ですね、早い物です」
える「それでは、私はそろそろ帰りますね」
奉太郎「……何言ってるんだ、送って行くぞ」
える「悪いですよ、もうこんな時間ですし」
奉太郎「こんな時間だからだよ、自転車で二人乗りでもすればすぐさ」
える「知っていますか、折木さん」
奉太郎「ん、何を?」
える「自転車の二人乗りは、道路交通法で禁止されているんですよ」
奉太郎「知ってるが……去年した時は、そんな事言わなかったよな」
える「そうでしたっけ」
奉太郎「ああ」
える「まあ、いいじゃないですか」
奉太郎「そうか」
える「ええ」
奉太郎「なら、二人乗りも別にいいな」
える「そう来ましたか……ううん」
奉太郎「おい、こういう話し合いは時間がある時にいくらでもしてやるから、今日はとりあえず帰るぞ」
える「ふふ、そうでしたね」
~折木家前~
奉太郎「で、俺の自転車を持って帰るつもりか?」
える「いいえ、違いますよ」
奉太郎「なら、何で千反田がハンドルを握っているんだ」
える「前は折木さんが漕いでくれたので、次は私の番なんです」
奉太郎「……さいで」
何か納得いかんが……無理矢理どけて乗る必要も無いか。
渋々、俺は後ろへと乗った。
える「では、行きましょうか」
奉太郎「ああ」
と言って漕ごうとしたのは良い物の、とてもふらふらして今にも転びそうである。
奉太郎「……大丈夫か?」
える「え、ええ。 多分大丈夫です」
千反田が多分と言うって事は、かなり大丈夫じゃないかもしれない。
奉太郎「やっぱり俺が漕ぐ、後ろに乗ってくれ」
える「は、はい」
える「あの、実は私もそうお願いしようと思っていた所なんです……」
奉太郎「まあ、千反田の家に着く前に何回転ぶかってのを試してもいいけどな」
える「……明日は学校に行けなくなりそうですね」
奉太郎「なら変わろう、文化祭の前にケガはしたくないからな」
そう言い、俺は一度自転車から降り、千反田と入れ替わる。
千反田が後ろに乗ったのを確認して、漕ぎ始めた所でちょっと悪戯心が働いた。
える「あの、前は確かもう少し安定していたと思うのですが……」
奉太郎「何故ふらふらしているかって事か?」
える「ええ、そうです」
奉太郎「簡単な事だ、恐らく」
奉太郎「千反田の体重が、増えたのだろう」
いて、脇腹を思いっきり抓られた。
える「……」
奉太郎「と言うのは多分、気のせいだと思う」
俺はそう言い訳をして、今度はしっかりと自転車を漕ぎながら、千反田の家へと向かった。
尚も抓り続ける千反田を後ろに乗せて。
今日の教訓は……そうだな。
千反田を怒らせると結構怖い、と言った所か。
俺はそう学び、脇腹の痛みに顔を歪めながら、なるべく急いで千反田の家へと自転車を漕いで行った。
第24話
おわり
奉太郎「ふわぁ……」
える「お客さん、来ないですね」
奉太郎「去年は結構売れたんだがな……」
える「やはり、二年も経つと忘れられてしまうのかもしれませんね」
奉太郎「かもな」
文化祭初日、俺と千反田は二人で店番をする事となっていた。
先日、話し合った結果……初日は俺と千反田。
二日目は伊原と里志が店番をと言った風に決まったのだ。
窓の外からはいつもと違い、賑やかな声が聞こえてくる。
奉太郎「そう言えば、ここの高校の文化祭はどんな感じなんだ?」
える「折木さん、その台詞を言うタイミングは二年前ですよ」
奉太郎「……今まで興味なんて無かったんだ、仕方ないだろ」
える「では、今年は興味があると言う事でしょうか?」
奉太郎「まあ、そうだな……少しはあるさ」
える「そうですか、それならばそんな折木さんの為に、説明しますね」
奉太郎「どうも」
える「えっとですね、まずは……凄いんです」
奉太郎「どんな風に?」
える「人がいっぱいなんですよ、色々な部活が色々な事をしているんです」
奉太郎「……それで?」
える「そうですね……」
える「声を出して、皆さん頑張っていますよ」
奉太郎「……千反田」
える「はい、何でしょうか?」
奉太郎「いや、やっぱり良い」
える「む、折木さんが言おうとした事が……気になりますね」
言ったら多分、千反田にまた抓られる恐れがある。
……もしかすると、次は足でも踏まれるかもしれない。
そんな俺の気持ちを汲み取ってくれたのか、本日一人目の客がやって来た。
奉太郎「……これはこれは、わざわざ」
まさか、一人目の客がこの人だとは……思いもしなかったな。
田名辺「久しぶり、元気にやってるみたいだね」
える「あ、田名辺治朗さんですね。 お久しぶりです」
田名辺「君は、部長さんだったかな」
える「ええ、一年の時はご迷惑をお掛けしました」
田名辺「はは、気にしないで」
田名辺「君の頼みなんて、大した事じゃなかったよ」
田名辺「どっちかと言うと……」
そう言い、俺の方に視線を移してきた。
奉太郎「はは」
それに俺は苦笑い。
奉太郎「それで……先輩は、ただ話をしに来た訳では無いですよね?」
田名辺「しっかりしてるな、君は」
田名辺「ま、元々買うつもりだったしね、一冊貰うよ」
奉太郎「どうも、ありがとうございます」
える「ありがとうございます」
そのまま先輩は帰るのだと思ったが、一度俺達に向き直ると何か考えている素振りを見せる。
田名辺「……ううん」
える「どうかされましたか?」
田名辺「いや、君達を題材にしたら、良い漫画が出来そうだと思ってね」
える「そ、そんな! 折木さんはともかく、私なんて面白くは無いですよ」
何がともかくだ、千反田め。
田名辺「はは、まあ頑張ってね。 今年は流石に手伝ってあげられないから」
そう言い、先輩は古典部を後にした。
える「……そうですよね、今年は私達で何とかしないといけないんですよね」
奉太郎「ま、今日は一冊売れたし良いんじゃないか」
奉太郎「里志と伊原に任せれば、全部売りさばいてくれるだろ」
える「駄目ですよ、半分半分で売らなければ駄目です」
奉太郎「そうか、なら何か案があるのか?」
える「案……と言う程の事でも無いですが、一つ考えがあります」
奉太郎「ほう、聞こうか」
~古典部前~
奉太郎「……良い案だと思うか?」
える「まだ分かりません」
奉太郎「場所を部室の中から廊下に移して、客が増えると思うか?」
える「ま、まだ分かりませんよ」
える「あの中よりは、人目に付きますし……」
奉太郎「それもそうだが……元から人の気配が殆ど無いぞ、ここ」
える「で、ですが……」
と話している内に、どうやら本当に人目に付いたらしく、近づいてくる人影があった。
奉太郎「今日は先輩に良く会う日何ですかね」
入須「何だ、私の他にも来ていたのか?」
える「ええ、田名辺さんが来てましたよ」
入須「ああ、そう言えばさっき……職員室で盛り上がっているのを見かけたな」
なるほど、珍しい事もあると思っていたが、先生達への挨拶ついでと言った所だったのだろう。
奉太郎「それで、入須先輩はどうしてここに?」
入須「君は随分と酷い奴だな、文集を買いに来た以外に、ここに来る理由があるか?」
える「そうですよ、お客さんにその言い方は酷いです」
奉太郎「すみませんでした、じゃあ200円になります」
入須「顔見知りは半額かと思ったが、そうでは無いらしいな」
奉太郎「困っているんですよ、手伝ってください」
入須「構わんが……」
入須「それにしても、また随分な量を用意したな」
奉太郎「去年はすぐに売れましたからね、ちょっと増やしてみたんです」
入須「そうか、それで今年は?」
奉太郎「見れば分かると思います」
入須「廊下で売っているくらいだしな、何となく察しは付いた」
入須「まあ……仕方ないな、もう一冊貰っていくよ」
える「いえ、そんな……悪いですよ」
入須「客が買うと言っているんだから、遠慮なんてするな」
奉太郎「なら、もう200円になります」
入須「君はもう少し遠慮を知った方が良いかもしれないが……」
奉太郎「すみませんね、困ってる物でして」
入須「見れば分かるさ」
入須「それで、今年は何か手伝わなくていいのか?」
奉太郎「……ええ、それは大丈夫です」
入須「ほう……」
入須「自慢になる様で悪いが、私が話して回れば売れ行きは確実に伸びると思うぞ」
奉太郎「それはそうでしょうけど、今年は自分達の手で、何とかしてみせますよ」
入須「ふふ、そうか」
入須「なら最終日にでも、また様子を見に来るよ」
える「嬉しいです、お待ちしてますね」
入須「それじゃ、また明後日に」
そう言い、入須は俺達に背中を向ける。
……そうか、まだ入須には用事があるではないか。
奉太郎「入須先輩」
入須「ん、どうした」
奉太郎「最終日に来ても、恐らく売り切れていると思うので、もう一冊どうですか?」
俺がそう言うと、横から何だか冷たい視線が飛んでくる。
入須「……分かったよ、もう一冊買っておく」
入須「これで最後だからな、完売を期待しているよ」
奉太郎「ありがとうございます、先輩」
俺が一度頭を下げると、入須は背中を向け、手を軽く挙げながらその場を去って行った。
える「今のはどうかと思いますよ、折木さん」
奉太郎「仕方ないさ、売り切る為には」
える「納得できませんが……次はちゃんとした方法で売ってくださいね」
奉太郎「分かった、次からな」
奉太郎「にしても、千反田」
える「はい、何でしょう」
奉太郎「……中に入るか、廊下はちと寒い」
える「奇遇ですね、私も同じ事を思っていました」
~古典部~
奉太郎「さてと、後は何冊くらいだろうか」
える「えっとですね、私達で一冊ずつと、糸井川先生の分と、後は売れた分」
える「……まだまだ先は長そうですよ」
確か、刷ったのは60部だっただろうか?
一年の時より大変では無いが、去年の売れ行きから部数を増やしすぎたかもしれない。
える「折木さんには、何かアイデア等は無いんですか?」
奉太郎「と言われてもな……」
える「そうですか……ううん」
俺と千反田が二人して考え込んでいる所に、三人目の客がやって来た。
奉太郎「……久し振りだな」
大日向「廊下で会えば挨拶くらいはしてたじゃないですか、久し振りって訳でも無いですよ」
大日向「あれ? 二人だけですか?」
える「ええ、摩耶花さんと福部さんは二人で見て回ってますよ」
大日向「二人でですか? いいなぁ」
大日向と千反田は例の一件から、何か話したのだろうか。
俺が思っていたよりも、二人共に自然な感じであった。
大日向「何か、良いですよね」
大日向「恋人同士で文化祭を一緒に回るって、素敵じゃないですか?」
える「まあ、その……そうですね」
大日向「折木先輩は、どう思いますか?」
奉太郎「お、俺か?」
奉太郎「……別に、なんとも思わんさ」
大日向「そうですか、先輩らしいですね」
大日向「らしいですよ、千反田先輩」
大日向「折木先輩は恋人同士で文化祭を回る事に、特に何も思わないみたいです」
大日向「酷いですよね……彼女の前で」
奉太郎「お前……知っていたのか」
える「誰にも話してはいないんですが、大日向さんが何故分かったのか……気になります」
大日向「知ったのは今ですよ」
大日向「勘って奴です。 女の勘はよく当たるんです」
まんまと嵌められたって訳か、面倒な奴め。
大日向「それよりも、やっぱり……お二人って付き合っていたんですね」
奉太郎「まあ、そうなるな」
大日向「へえ、いつからです?」
える「少し前ですよ、夏からですね」
大日向「え? 夏から? 今年の?」
奉太郎「何を驚いているか分からないが、そうだ」
大日向「そりゃ、驚きますよ」
大日向「だって、仮入部した時から付き合っていると思ってましたから」
奉太郎「何故、そう思う?」
大日向「仲良く見えたからですよ、それだけです」
そんな事を言われ、ふと横に居る千反田に視線を移す。
すると、千反田も同じ事を考えていた様で、意図した訳でも無く目が合った。
同時に顔を逸らす、何だか恥ずかしい。
大日向「本当に、仲が良さそうですね。 妬けるなぁ」
大日向「あ、そろそろ時間なので行きますね」
奉太郎「おい、ちょっと待て」
大日向「えっと、何です?」
奉太郎「これ、1冊200円だ」
大日向「あはは、分かりましたよ。 買います」
奉太郎「鑑賞用にもう一冊買って行ってもいいぞ」
える「お、れ、き、さ、ん」
える「押し売りは駄目です、ちゃんと売りましょう」
大日向「怒られてる先輩は、珍しいですね」
大日向「今日はいい物が見れましたよ、ありがとうございます」
そう言いながら、大日向は頭を下げる。
奉太郎「……古典部に戻ってくるつもりは、無いか」
大日向「そこは微妙な所です、と言うか」
大日向「先輩達、もうすぐ卒業じゃないですか」
奉太郎「そうか、そう言えばそうだった」
奉太郎「悪いな、引き止めて」
大日向「いえいえ、それじゃそろそろ失礼しますね」
やはり、大日向にも色々と考えがある様だ。
今では普通に接しているが、戻るに戻れなくなっていた……と言う事も考えられる。
もし、俺がもうちょっとだけ気遣ってやれば、今年の文化祭は一緒に氷菓を出していたかもしれない。
大日向「でも、誰も居なくなった古典部を延命させるくらいなら、構いませんけどね」
去り際、大日向はそんな事を呟く。
甘かった。
大日向を理解する為の時間は、あまりにも足りていなかった。
やはりとか、考えているだろうとか、俺にそんな事を推察する権利など無いのだ。
一年の時に、千反田に対しても同じ事を考えた事がある。
俺はあの時から、成長していないのだろうか?
しかし、それでも。
それでも、大日向はそう言ってくれた。
奉太郎「結局、俺はお前との約束を守れなかったな」
える「大日向さんを古典部に戻す、と言った事ですか?」
奉太郎「ああ」
約束を守る男など、どの口が言えた物か。
一人の人間を一つの部活に入れる事すら出来ないと言うのに。
える「気にしていますか?」
奉太郎「……」
える「例えば」
える「一人の人が、一人の人を助けると言ったとします」
える「結果は失敗、助ける事は出来ませんでした」
奉太郎「……ああ」
える「ですが、助けようとした人は努力をしました」
える「自分が出来る事は全部して、助けようとしたんです」
奉太郎「だが、結局は助けられなかったんだろう」
える「そうです」
える「でも……それでも、その努力は助けて貰おうとした人にも伝わっているとしたら、どう思いますか?」
奉太郎「それはあくまでも、予想だろ」
奉太郎「結果的に助けられなかったら、約束を破ったことになる」
える「そうですね、折木さんが仰っている事は正しいです」
える「ですが、その努力……約束を守ろうとした姿勢は、素晴らしい事だと思います」
える「前にも言いましたが、私は努力をしている人が好きです」
える「結果は駄目でしたが、それでも努力を尽くした折木さんの事は、好きです」
奉太郎「……ありがとな」
える「ふふ、ですから今回の氷菓も頑張って売りましょう!」
奉太郎「ああ、分かった」
える「それと、この前の日曜日にした約束も、努力してくださいね」
奉太郎「勿論だ、分かっている」
える「まずは氷菓ですね」
える「私、ちょっと宣伝をしてきますね」
俺が代わりに行こうか、と言いそうになるが押し殺し。
それ自体が面倒と言う訳では無い、俺と千反田……どちらが宣伝するのに向いているか考えればすぐに分かる事だ。
奉太郎「ああ、店番は任せろ」
える「折木さんにも何か任せたい所ですが……」
奉太郎「実はな、一つ考えがある」
える「本当ですか! 何でしょう?」
奉太郎「少し時間が掛かるからな、戻ってくる頃には出来ていると思う」
える「そうですか、では行ってきますね」
そう言い、千反田は部室を出て行く。
さて、俺もやる事をやらねば。
必要な物は幸い、部室に揃っている。
固まった体を解しながら、俺は席を立つ。
奉太郎「……何をしている?」
える「いえ、戻ってくる頃には出来ると言われたので、戻ってきました」
奉太郎「お前の冗談は分かりにくい……それは冗談か?」
える「ふふ、冗談です」
える「今度こそ行ってきますね、折木さんの考えを楽しみにしています」
奉太郎「宣伝の方、宜しく頼んだぞ」
俺が作ろうとしている物は、一日目が終わる頃にようやく出来た。
千反田の宣伝効果がどの程度あったのかは分からないが、まばらには客が来ていた気がする。
3日目は去年同様、ほとんど無いに等しい。
勝負は明日、伊原と里志に任せる事となる。
氷菓残り部数-----42部
第25話
おわり
える「では、行きましょうか!」
千反田はそう言い、俺の手を引いて歩く。
奉太郎「分かった、分かったからもう少しゆっくりと歩
こう」
何も一緒に回るからと言って、手を繋ぐ必要は無い
と思うが……
奉太郎「それにしても、本当に色々とあるんだな」
える「そうですよ、楽しまなければ損です」
大体の部活は、その部活に合った内容の物を出し
ている様だ。
まあ、当たり前と言えば当たり前だな。
奉太郎「しかし、こう改めてみると……」
奉太郎「古典部の場所が、如何に悪いか良く分かる」
える「それは……確かにそうですね」
える「でも、やり様によっては……あの場所でも大丈夫ですよ」
える「折木さんが出した案も、きっと成功します」
奉太郎「だといいがな」
奉太郎「とりあえず、見て回りながらやって行くか」
そう言い、俺は手に持っていた手提げ袋……これは
里志から借りている物だが。
何でも手芸部では、いくつかこういった袋を作っているらしい。
それの一つを里志に頼んで貸して貰っている。
その袋から、何個かの封筒を取り出し、千反田に手渡した。
奉太郎「これ、千反田の分だ」
える「これですね、分かりました」
える「あの、中を見ても良いですか?」
奉太郎「別に見なくとも、内容は知っているだろ」
える「それもそうなんですが、どの様に書いてあるか気になりまして」
奉太郎「終わった後で見ればいいさ、目の前で読まれるのはあれだ……恥ずかしい」
える「ふふ、分かりました。 それならば終わるまで我慢します」
俺が作った物は、つまりは氷菓のあらすじ。
簡単な物であったが、それを10個程、別々の書き方をしたのだ。
える「ですけど、折角作って頂いてあれですが……」
える「本当にこれで、お客さんは来てくれるのでしょうか」
奉太郎「恐らくはな」
奉太郎「たった10枚でも、勝手に人が人を呼んでくれる」
奉太郎「一人が読めば、それを他の奴に言うだろう」
奉太郎「そして言われた奴も、他の奴にそれを言う」
奉太郎「ここの生徒は千人程だ、全員に噂が広まる事はまず無いが……」
奉太郎「半数、五百人がそれを聞いたとしよう」
奉太郎「その内の十人に一人が買おうと思い、足を運べば完売だ」
える「五百人ですか、中々に厳しい数字では無いですか?」
奉太郎「噂の広まる速度は凄いぞ、例えば……」
奉太郎「昨日の大日向、俺と千反田が付き合っている事を知ったよな」
奉太郎「あれも恐らく、もうかなり広まっているかもしれない」
える「……そんな、恥ずかしいです」
そう言うと、千反田は今まで繋いでいた手を離す。
奉太郎「冗談だ、大日向はそんな奴じゃない」
える「だと良いのですが……」
こう言う、小さな反応が中々に面白い。
それを楽しんでいる辺り、俺のモットーも大分薄くなってきているのかもしれないな。
奉太郎「とりあえず、行くか」
奉太郎「ずっと廊下で話していても噂が広まる事も無いしな」
える「そうですね、まずは何から見ましょうか?」
奉太郎「と言われても、俺は特に見たい物は無いからなぁ」
奉太郎「任せる、千反田が気になる物を回ればいいさ。 それに俺は付いて行く」
える「そうですか、では行きましょう!」
~1時間後~
奉太郎「はあ」
結論から言うと、千反田とはぐれた。
俺の予想を超える事が、二つ程あった。
一つは、神山高校文化祭の人の多さ。
これは、今まで部室に引き篭もっていた自分が悪い。
とは言っても、一日ずっと部室に居たわけでは無い。
……しかし、それでもここまで人が多いとは思わなかった。
もう一つは、千反田の好奇心。
これは知っていた筈だ。
だが、あそこまで人込みを掻き分けて行くほど、強い物だとは知らなかった。
……けど、予め予想は出来た筈だ。 俺がしようとしなかっただけで。
とどのつまり、俺の注意力が不足していただけなのだろう。
奉太郎「さて、どうした物か」
ここでこうしていても、何も変わらない。
仕方ない、千反田を探す事にしよう。
そう思い、廊下を歩く。
そこまで千反田と離れているとは思わないが……
向こうも多分、探していると思う。
探している、よな?
奉太郎「まだはぐれた事に気付いていないって事は……無いと願いたいが」
呟き、廊下を更に進む。
やがて、何か妙な物が目に入ってきた。
奉太郎「あれは、テントか?」
テントの前には【占い研究会】と言った文字が見える。
占い研究会……確か、千反田の友達が入っていると聞いている。
名前は確か、十文字だったか。
奉太郎「一応、聞いてみるか」
結論を出し、テントの入り口を塞いでいるカーテンを捲る。
十文字「こんにちは」
奉太郎「早速ですまんが、尋ねたい事があってな」
十文字「構わないけど、まあ入って」
その言葉を聞き、俺は中に入り、床に座る。
十文字「久しぶり、折木君」
奉太郎「話すのは大分久しぶりな気がするな」
十文字「そうね、まあそれは置いといて」
十文字「聞きたい事って言うのは?」
奉太郎「千反田の事だ、あいつがどこに居るか知らないか?」
十文字「ごめんね、私は生憎何も知らない」
十文字「それより、えると二人で見て回ってるの?」
奉太郎「そうだが、それが?」
十文字「なるほど、と思っただけ。 気にしないで」
なるほど……? どういう事だろうか。
奉太郎「違ったら悪いが、もしかして」
奉太郎「文化祭を一緒に、回る事になっていたか」
十文字「驚いた、えるから聞いてはいたけど、本当に探偵みたいね」
何を言った、千反田の奴。
奉太郎「悪いことをした、すまん」
十文字「いいよ、気にしてないから」
十文字「それより、ちょっとだけ嬉しいし」
奉太郎「嬉しい? 何でまた」
十文字「えるにも、そんな人が出来たんだなって思うと」
十文字「だから嬉しいし、気にしてない」
奉太郎「……さいで」
十文字「折角だし、占って行く?」
占いか、信じている訳では無いが……何かヒントでも得られれば、多少は良いかも知れない。
奉太郎「それじゃ、お願いするかな」
十文字「タロットでいい? 一番得意なの」
タロットカードには良い思い出が無いんだが……まあ、別にいいか。
奉太郎「ああ、それでいい」
十文字「了解、じゃあ何か一つ……質問を」
奉太郎「質問か、そうだな……」
奉太郎「これから先の事、千反田と会えるか」
十文字「随分と素直な質問ね、分かった」
十文字はそう言うと、床にカードを並べる。
並べ終わった所で、今度はそのカードを混ぜ始めた。
並べる必要はあるのか? と聞きたかったが、ちゃんとした意味があるのかもしれない。
俺は占いに詳しい訳では無かったので、その疑問を口に出す事はしなかった。
その後、十文字は混ぜたカードから二枚を引き抜き、机に再度並べる。
十文字「じゃあ、行くわね」
奉太郎「ああ」
十文字「まずはこれ、恋人達」
十文字「正位置の意味する事は」
十文字「そうね、選択の時……と言った所かな」
奉太郎「選択の時? 俺の選択で千反田が見つかるって事か」
十文字「そこまでは分からない、けどもしかすると、これから先……もっと先の事を意味しているかもしれない」
奉太郎「もっと先……?」
十文字「いつか、分かる時が来ると思う」
また随分といい加減な……
そういう物なのだろうか?
十文字「何だか納得していない顔、もう一度やり直す?」
奉太郎「ううむ……いや、やっぱりいい」
奉太郎「そろそろ探しに行かないと、あいつも探しているだろうし」
十文字「そ、早く見つけてあげてね」
奉太郎「ああ、占いありがとうな」
十文字「君ならいつでも占ってあげる、またのお越しを」
そう言い、十文字は頭を下げる。
やはりと言うか、こいつもまた千反田と同じ様な立場に居るだけあり、とても様になっているお辞儀であった。
俺も十文字に軽く頭を下げ、テントから出る。
奉太郎「さて、結局何のヒントも掴めなかったが」
こんな時、あいつはどこに行くのだろうか?
逆に考えよう。 行けば会えそうな場所、だ。
となると……何個かあるが、一つずつ潰して行くしか無いか。
まずはそうだな、一番近い場所からにしよう。
~古典部~
里志「それで、ここに来たって訳かい?」
奉太郎「まあそうだな」
摩耶花「で、会えなかったって事ね」
奉太郎「お前らしか居ないなら、そうなる」
里志「悪いけど、今日は戻ってきてないよ、千反田さん」
奉太郎「……そうか」
摩耶花「そんな折木に良い事教えようかな」
奉太郎「お前の良い事は俺にとって悪い事なんだが、大体は」
摩耶花「何よ、知りたくないの?」
奉太郎「聞くだけ聞こう」
摩耶花「何か上から目線ね……」
伊原は俺の態度に顔を歪め、本当に嫌そうに語り始める。
摩耶花「さっき、一回教室に戻ったんだけどね」
摩耶花「一回会ったわよ、ちーちゃんに」
奉太郎「本当か? どこで会った?」
摩耶花「会ったのは廊下だけど、軽く話しただけよ」
摩耶花「ちーちゃんも折木の事探してたわ」
奉太郎「そうか、じゃあまた探してくる事にする」
摩耶花「ちょっと待って、伝言を頼まれてるから」
奉太郎「伝言?」
摩耶花「うん」
摩耶花「もし会ったら上に居ますと伝えてくださいっ
て言ってた」
上に? 一応はここが一番上の階なのだが。
ああ、そうか。
奉太郎「分かった、なら風でも浴びてゆっくりするさ」
摩耶花「ゆっくりするって、探さないの?」
奉太郎「探し回るのは面倒だ」
摩耶花「……あんた、また!」
怖い怖い、言い方を俺も気をつけた方がいいかもしれない。
里志「摩耶花、すぐに怒鳴ると年を取るよ」
摩耶花「そう言われても、折木がまた……」
里志「ホータローも、素直に言えばいいのに」
奉太郎「俺はいつも素直だ」
里志「分かっているんだろう? 千反田さんの場所」
奉太郎「まあな」
摩耶花「なら最初からそう言いなさいよ、ほんっと素直じゃないわね」
奉太郎「お前にだけは言われたくない」
摩耶花「ふん」
腕を組み、そっぽを向いた伊原に向かって、ひと言お礼を言うと、俺は部室を後にする。
向かう先は、あそこだ。
~屋上~
奉太郎「よう」
える「遅いですよ、大分待ちました」
奉太郎「本はといえば、千反田が急に人を掻き分けて進んだのがいけない」
える「私に付いて行くと言ったのは、折木さんの方です」
奉太郎「それを言われると、何も言えんな……」
奉太郎「でもまあ、文化祭を楽しんでいる様で何よりだ」
える「楽しんでいませんよ、一人で回っても面白く無いです」
奉太郎「お前な、そんな賞とかをぶら下げて良く言えたな……」
える「これは、その……声を掛けられてですね」
奉太郎「もしかして、はぐれた事に最初気付いていなかったか」
える「それは、あの」
奉太郎「ま、いいさ」
奉太郎「結果的に会えたなら、いいさ」
える「そうですか、でも何だか疲れてしまいました」
奉太郎「俺もだ、後はゆっくり回るか?」
える「ええ、お話でもしながら、回りましょうか」
その言葉を聞き、千反田の方に視線を向ける。
手に持っていたのは、どこか見た事がある様な物。
奉太郎「その手に持っているのって、写真か」
える「はい、そうです」
える「……見せませんよ?」
奉太郎「ただ懐かしいと思っただけだ、気にするな」
そう言い、屋上から降りる為の扉に手を掛けた。
える「待ってください、折木さん」
後ろからそう聞こえ、空いていた方の腕を掴まれる。
奉太郎「何だ」
える「……折木さんは、何故この写真を見て懐かしいと思ったのですか?」
あ、まずい。
奉太郎「いや、あれだ。 しばらく写真を見てなかったから、似たような見た目だったし」
自分で言って、ちょっと苦しいとは思う。
える「それだけじゃありません、何故これが写真だとすぐに分かったんですか?」
える「折木さんの目線からは、裏しか見えなかった筈です! 何故すぐに写真だと分かったか、気になります」
奉太郎「それは……あれだ」
える「あれとは?」
奉太郎「……男の勘って奴だ」
える「私は納得しませんよ、折木さん」
える「しっかりとご説明、お願いします!」
うう、参ったな。
える「場合によっては、じっくりとお話する必要が……」
奉太郎「た、例えば……どんな場合だったら?」
える「そうですね、例えば」
える「一年生の文化祭の時、折木さんが私の写真を見ていた場合、等ですね」
そして、にっこりと笑顔を向けてくる。
俺はそれに引き攣った愛想笑いを返し、なんとかこの状況を脱出できない物かと、思慮する。
える「それで、どうなんですか?」
奉太郎「ええっと……」
時には多分、諦めも肝心なのだろう。
こんな事なら、屋上に来るのでは無かった……
しかしあれだ、後悔先に立たず。
俺は恐る恐る、何故それが写真と分かったか、語る
のであった。
第26話
おわり
える「折木さん! あそこに行ってみましょう!」
去年は色々とあり、私は文化祭に参加する事は出来ませんでし
た。
その分、とでも言えばいいのでしょうか。
いつも以上に、楽しむつもりで私は心待ちにしていました。
何より嬉しかったのは、折木さんが一緒に回ろうと声を掛けてくれ
た事です。
先約があったのですが、思わず二つ返事で快諾してしまいました
。
勿論、先に約束していたかほさんには謝りました。
私ももう少し、しっかりとしなければいけないかも知れません……
奉太郎「これは、奇術部か?」
える「ですね、マジックをやるみたいです」
奉太郎「マジックか、里志が言っていた奴かな」
える「福部さんは何かご存知だったんですか?」
奉太郎「いや、ただ面白いって言っていたな」
奉太郎「その後に駄目な所を指摘していたが……」
える「福部さんらしいですね」
える「では、中に入りましょうか」
奉太郎「そうだな」
奉太郎「それにしても、マジックに興味があるのか?」
える「はい、面白いと思いませんか?」
奉太郎「俺は特に……」
える「そうですか……折木さんにマジックをやって貰おうと思ったのですが」
奉太郎「やらんぞ」
える「残念です」
奉太郎「本気で言っていたのか」
える「そう思いますか?」
奉太郎「さあな」
える「ふふ、冗談です」
える「さ、行きましょうか」
奉太郎「ああ」
その後は、教室の中で奇術部のショーを一緒に眺めていました。
折木さんは口では先程の様に言っていましたが、意外にも集中して見ていました。
える「面白かったですね」
奉太郎「確かに、高校生にしては凄かったな」
える「折木さんはやはり、他に気になる所はありませんか?」
奉太郎「うーん、そうだな」
奉太郎「千反田に付いて行って回った方が、俺も楽しいかな」
える「そ、そうですか」
そんな事を言われ、何だか恥ずかしくなってしまいます。
える「あ、次はあそこに行きましょう!」
恥ずかしさを紛らわす為、手短にあったお店を見つけ、足早に向かいます。
える「これは、クイズでしょうか?」
どうやらそこではクイズ研究会の方達が、何やら小さな大会を開いている様です。
私は少しの間それを眺めていたのですが、司会者らしき人に手招きをされ、参加する事となってしまいます。
思いの他、クイズに夢中になってしまい、終わってみれば優勝していました。
ええっと、それより何かを忘れている様な……
そんな思いも、興味が惹かれる様々な物によって消えて行きます。
色々な場所に行き、最後に辿り着いたのは……占い研究会のテントでした。
える「こんにちは」
十文字「えるじゃない、どうしたの?」
える「色々と見ていたら、ここに着いたんです」
十文字「そう」
える「あ、これって」
十文字「そういえばさっき」
同じタイミングで声を発して、二人とも口を閉じます。
十文字「どうしたの? 先に言っていいよ」
える「すいません、ええとですね」
私は、床に置いてあるカードを指し、続けます。
える「私の前に、お客さんが来ていたんですか?」
十文字「うん、来ていたよ」
える「一枚だけ、まだ捲られていない様ですが」
十文字「随分と慌しいお客さんでね、一枚の結果だけ聞いて人を探しに行っちゃった」
える「ふふ、そうですか」
十文字「でも、あまり良い結果では無いし……聞かなくて正解かも」
える「どんな結果だったんです?」
私がそう聞くと、かほさんは伏せてあったカードを捲ります。
十文字「逆位置の運命の輪」
える「……確かに、あまり良い結果では無いですね」
十文字「でしょ?」
える「知らぬが仏、と言った所ですか」
える「それで、かほさんは先程、何を言おうと?」
十文字「……やっぱり大丈夫、気にしないで」
える「そう言われると気になります……」
十文字「ふふ、えるらしいね」
十文字「それより、大丈夫なの?」
える「ええっと、大丈夫とは?」
十文字「今日、一緒に見て回る人が居たんでしょ? 見た所……える一人だけみたいだけど」
える「……そうでした! すっかり忘れていました」
十文字「ほら、早く探しに行かないと」
える「すいません、ありがとうございます!」
かほさんに言われて、ようやく思い出しました。
今頃、折木さんは探しているのかも知れません……
私はかほさんに頭を下げ、そのテントから足早に去ります。
~廊下~
まずいです、見当たりません……
一度、古典部に戻った方が良いでしょうか?
そうです、もしかすると折木さんは部室で待っているのかも知れません。
私はそう思い、古典部へと続く廊下へと足を向けます。
丁度、その時でした。
摩耶花「あれ、ちーちゃん?」
える「摩耶花さん! 助かりました!」
摩耶花「え、ええっと。 助かった?」
える「ええ、実は折木さんとはぐれてしまいまして……」
摩耶花「ちーちゃんをほったらかしにするなんて、酷い奴」
える「い、いえ。 私がどんどんと先へ進んでしまって……」
摩耶花「それにしっかりと付いて行く位じゃないと、駄目ね」
える「そうですか……あ、もし会ったらですが」
える「上に居ます、とお伝えお願いできますか」
摩耶花「上に? どういう事?」
える「ふふ、折木さんなら多分、分かってくれます」
摩耶花「ふうん、まあいいけど」
摩耶花「でもちーちゃん、あんま折木に期待しない方が良いわよ」
える「そうですか? 頼りになりますよ」
摩耶花「そっか、ちーちゃんがそう言うならそうかもね」
える「ええ、ではお願いします」
摩耶花「りょーかい!」
私と摩耶花さんは手を振り、別々の場所へと向かいます。
そんな時、後ろから声が掛かりました。
摩耶花「ちーちゃん」
一度振り返り、摩耶花さんの姿を再び視界に入れます。
少しだけ、悲しそうな顔をしていたのが印象に残っています。
える「はい、どうしましたか?」
摩耶花「あの事、まだ折木には言ってないの?」
える「……まだ、言えません」
摩耶花「そっか」
摩耶花「卒業までには、ちゃんと言ってあげてね」
える「はい、分かっています」
える「……もし」
える「もし、黙って居たままだと、どうなりますか?」
摩耶花「そうしたら私が言う、言わないって選択は出来ないよ」
える「ふふ、そうですか」
える「……安心してください、ちゃんと伝えます」
摩耶花「それが聞けて安心したよ、それじゃあまた後で!」
える「ええ、ありがとうございます」
再び、私達は別々の場所へと向かいます。
私は、屋上へ。
摩耶花さんは、部室へ。
その行動が、もしかするとこれからの事を表しているのでしょうか。
今はまだ、分かりません。
~屋上~
える「風が冷たいですね」
える「もう、すっかり秋ですね」
える「冬も近いです」
そんな私の呟きに、答えてくれる人は居ませんでした。
先程の摩耶花さんの言葉がよぎります。
える「まだ、勇気が出ないんです」
でも、言わないままだと……去年と同じ事になってしまいます。
しかし、言えば何かが変わってしまいそうで、私はそこに踏み出す勇気がどうしても出ませんでした。
える「……一人は辛いですよ、折木さん」
……折木さんはどこに行ったのでしょうか。
でも、私が勝手に離れ、はぐれたのです。
……折木さんは来てくれるのでしょうか。
それもまた、私の勝手な願いです。
いけません、折角の文化祭、こんな暗い顔をしていては駄目です。
そんな時、私の願いが通じたのか、校舎に繋がる扉の奥から足音が聞こえてきます。
すぐに分かりました。 この足音は折木さんの物だと。
今までの暗い顔を消し、いつも通りの顔に戻します。
やがて扉が開き、一番会いたかった人の顔が見えます。
奉太郎「よう」
える「遅いですよ、大分待ちました」
折木さんはそのまま私の隣まで歩き、一緒に景色を眺めます。
二言程、やり取りをした気がします。
やはり、言わなくては駄目でしょう。
私が、高校を卒業したら……
神山市を去ると言う事を。
第27話
おわり
里志「見事完売! 皆お疲れ様」
古典部の部室に、里志の声が響き渡る。
奉太郎「と言っても、結局一人三冊買う事になったけどな」
摩耶花「完売は完売でしょ、気にしない気にしない」
える「これで、最後の文化祭も終わりですね……何だか寂しいです」
千反田は顔を少しだけ伏せ、漏らす様にそう言った。
里志「確かにね。 早い物だよ、本当に」
摩耶花「でも良かったんじゃない? 折木も最後はようやく部室から動いたし」
一年の時も二年の時も、それなりに動いたと言うのに……
奉太郎「一年や二年の時だって、全く動かなかった訳じゃないぞ」
里志「へえ、どのくらい?」
奉太郎「……15分くらい」
里志「それって、殆どトイレでしょ」
奉太郎「それでも部室から出るには出た」
里志「微妙な所だね、それは」
える「でも、氷菓の売上に大きく貢献していると思いますよ」
奉太郎「ほら見ろ、俺のおかげだ」
千反田の言葉を聞き、少しだけ胸を張る。
える「皆さんのおかげですよ、折木さん」
だそうで、失礼しやした。
摩耶花「ちーちゃん、折木を褒めても何も出ないって」
奉太郎「何だ、折角打上げで俺の家に呼ぼうと思っていたのに、残念だな」
里志「ホータロー、そういう大事な事は先に言わないと駄目だよ」
奉太郎「さいで」
える「ふふ、ではこれから折木さんのお家で打上げをしましょう!」
奉太郎「まだ思っていると言っただけで、呼んではいないんだが……」
える「え、そうなんですか……」
千反田が少しだけ、悲しそうな顔をしていた。
それを見て、真っ先に口を開く奴が一人。
摩耶花「あ、悲しませてる」
里志「折角、打上げ出来ると思ったのになぁ」
いや、二人だったか。
奉太郎「……分かったよ、今から俺の家に行こう」
里志「さすが、良く分かってるよホータロー」
奉太郎「千反田の家でも良いと思うがな」
える「あ、私の家でも大丈夫ですよ」
里志「いやぁ、たまには小さい所でやりたいと思わないかい?」
里志「千反田さんの家は、確かに良いんだけど……悪く言う訳じゃないんだけどね」
里志「落ち着かないって、感じかなぁ」
える「そうですか、でも折木さんの家は落ち着ける、と言うのは分かりますね」
摩耶花「そうそう、丁度良い狭さよね」
奉太郎「お前ら、よく揃いも揃ってそこまで失礼な事が言えるな」
里志「はは、褒めているんだよ」
奉太郎「どこがだ」
摩耶花「褒めてるとしても、それは折木じゃなくて家に対してだけどね」
奉太郎「……さいで」
える「あの、お話はここまでにして、そろそろ時間が……」
摩耶花「もうこんな時間? 急がないと」
奉太郎「んじゃ、そのまま行くか?」
える「ええ、そのつもりです」
摩耶花「あ、私は一回帰ろうかな」
奉太郎「そうか、里志は?」
里志「うーん、僕はそのままでも良いんだけど」
里志「いや、やっぱり一度帰るよ。 また後で」
える「は、はい。 また後ほど」
里志が変に俺と千反田の方を見て、自分の意見を変えた様だ。
……もしかすると、里志はもう気付いているのだろうか?
まあ、別に知られたからと言ってどうって訳でもない。
ただなんとなく、言いそびれただけだ。
~帰り道~
奉太郎「ようやく終わったな」
える「私にとってはとても短かったです」
奉太郎「そりゃ、あれだけ楽しんでいればそうだろう」
える「最後の文化祭を、折木さんと一緒に回れたのは嬉しかった
です」
奉太郎「……それは、俺も思った」
える「ふふ、そうでしたか」
奉太郎「とにかく、これで行事って言う行事は全部終わったな」
奉太郎「後は、卒業だけか」
すると、千反田がとても不思議そうな顔をしながら俺の顔を覗き込んでくる。
奉太郎「……何だ」
える「まさか、本当に忘れているんですか」
奉太郎「えっと……何を?」
える「修学旅行です! 今月ですよ?」
奉太郎「ああ……そう言えば、そんな話もあった気がする」
奉太郎「で、場所は?」
える「北海道です、楽しみですね」
奉太郎「……寒そうだ」
える「もしかすると、雪も見れるかもしれないです」
奉太郎「雪か」
俺はそれを聞き、ただなんとなく……去年の事が頭をよぎった。
第27,5話
おわり
奉太郎「寒すぎる、まだ十月だぞ」
里志「とは言っても、十月も終わりさ」
里志「もう十一月みたいな物だよ」
奉太郎「まあそうだが……」
里志「それで、実際の所どうなんだい?」
奉太郎「どうって、何がだ」
今、俺と里志は北海道のとある旅館の一室に居た。
二泊三日の修学旅行、何もこんな寒い所まで来なくても良いと思うのだが……
むしろ、夏にして欲しかった。
里志「千反田さんとの事さ」
里志は窓際に腰を掛け、続ける。
里志「僕の予想が正しければね」
里志「奉太郎と千反田さんは……」
奉太郎「付き合っている、って所か?」
里志「はは、分かっているじゃないか」
里志「それで、どうなんだい?」
奉太郎「……否定する理由も無いな、お前の予想通りだ」
里志「そうかい」
そう言った里志の顔は、どこか悲しそうな……そんな顔だった。
奉太郎「別に隠していた訳じゃない」
里志「言う必要が無かったから?」
奉太郎「そういう訳でも無い、と思う」
里志「なら、そこまで言う理由が無いから?」
奉太郎「そういう事でも無い……なんだろう」
奉太郎「なんとなく、言い辛かったのかもな」
里志「ホータロー、それを隠していたって言うんだよ」
里志「それに気付いて居ない所が、ホータローらしいや」
奉太郎「……そうか」
里志「ま、僕は良いと思うよ」
里志「千反田さんは美人だし、頭脳も明晰だ」
里志「それに行動的だしね、実にお似合いじゃないか」
奉太郎「お前、遠まわしに俺を馬鹿にしているだろ」
里志「はは、やっぱりそう思う?」
奉太郎「まあ、お前の言う通りかもしれない……一点を除いて」
里志「つまり?」
奉太郎「俺は面倒臭がりだし、頭も良いって程でも無い」
里志「確かに」
奉太郎「里志、お前よりは良いけどな」
里志「否定出来ないのが辛いね」
奉太郎「それで、さっきお前はこう言ったよな」
奉太郎「俺と千反田はお似合いだと」
里志「ああ、少なくとも僕はそう思うよ」
奉太郎「もっと広い視野で見ると、違うんじゃないかと思う」
里志「広い視野で?」
奉太郎「……千反田は、詰る所……お嬢様だろ」
奉太郎「俺は何でもない普通の奴だ」
奉太郎「それを考えても、お似合いだと言えるか?」
里志「ホータロー」
里志「それは、違うんじゃないかな」
奉太郎「どう違うんだ」
里志「周りから見てどうかなんて、関係ないよ」
里志「千反田さんは、ホータローの事が好きだから一緒に居るんだ」
里志「今ホータローが思っている事、それは千反田さんを裏切る事になるんじゃないかな」
里志「それにね」
里志「少なくとも、千反田さんはそんな事……考えていないと思うよ」
奉太郎「それは、お前の予想だろ」
俺が里志にそう言うと、困ったように笑いながら返答した。
里志「話の続きは今度にしようか、そろそろ行かないと」
そう言いながら、里志は部屋に掛けられている時計を指差す。
奉太郎「もうか、まだ着いて少ししか経ってないぞ……」
里志「文句を言うなら僕じゃなく、先生方に」
奉太郎「へいへい」
里志「……ホータロー」
部屋を出ようとした俺の背中に向かって、里志が声を掛けて来る。
奉太郎「まだ何かあるのか」
里志「後で少しだけ、言っておきたい事があるんだ」
里志「時間が取れる時で構わないんだけど」
奉太郎「歩きながらとかでも良いだろ、あいつらと合流した後だって」
俺が言うあいつらとは、伊原と千反田の事である。
高校生活を送るにつれ、古典部のメンバーと行動を共にする事は大分多くなった。
そのせいか、修学旅行での行動も一緒にする事となっていた。
里志「できれば落ち着いて話せる所が良いかな」
奉太郎「そうか、なら夜だな」
里志「うん、分かった」
里志「じゃあそろそろ行こうか、怒られて無駄な時間は過ごしたく無いし」
奉太郎「ああ、そうだな」
一日目は特に街に出て回ることも無く、何やら説明が多かった気がする。
その後は班毎に分かれ、明日からの計画の確認、と言った所だ。
奉太郎「何で冬も近いのに北海道なんだろうな」
里志「冬だからこそって考えようよ」
摩耶花「でも、夏の北海道より冬の北海道って方がそれっぽいよね」
それっぽいとは何だ、具体的に説明して欲しい。
える「夏も良いんですよ」
える「自然が豊富な地域なので、冬とはまた違った感じで楽しめます」
える「ひまわり畑やラベンダー畑も有名ですね」
摩耶花「あ、それテレビで見たことあるかも」
里志「僕達の地元じゃ見られない光景だからね、夏は中々良い物だよ」
奉太郎「なら、やはり夏で良かったな」
里志「って言っても、冬も中々に良いと思うけどね」
える「そうですね」
える「冬はお祭や、イベント等が沢山ありますね」
摩耶花「でも、雪祭りって二月じゃない?」
里志「まあ、そうなんだけどね」
奉太郎「なら、何度も言うが夏で良かったな」
里志「この時期に来ちゃったんだから仕方ないさ、何も無いって訳じゃないんだし」
える「そうですよ! 折角の修学旅行ですよ!」
奉太郎「あ、ああ」
最終的には力技となり、俺も結局は納得する……させられる事となる。
える「一緒に楽しみましょう、折木さん!」
奉太郎「わ、分かった、分かったらちょっと離れよう」
里志が嫌な笑い方をしていた、ほっとけ。
里志「どうしよっか、そろそろ部屋に戻る?」
摩耶花「そうね、話す事も無さそうだし……」
える「分かりました、では一度戻りましょうか」
部屋に戻ってからはすぐに夕食の時間となり、それが終わってからは風呂に入る。
全部終わった頃には20時くらいで、部屋の窓から見えるのは街の小さな光だけだ。
奉太郎「それで、昼間言っていた話って言うのは?」
里志「覚えていたのかい、珍しいね」
奉太郎「あんな風に言われたら、嫌でも覚えてるさ」
里志「それもそうだね」
奉太郎「で、何だ」
里志「これは多分……多分と言うか、言っちゃ駄目な事なんだけどさ」
奉太郎「なら別に、言わなくてもいいぞ」
何だろうか、里志がこんな前置きするのは滅多に無い事だ。
里志「……話の内容は千反田さんの事だけど、それでもかい?」
奉太郎「だから何だ、言いたくないなら言わなくて良いって言っている」
里志「分かった」
里志「回りくどい前置きをして悪かったね、僕も悩んでいたんだ」
奉太郎「……構わない」
里志「じゃあ、本題に入るけど」
里志の顔が、珍しく真面目な物へと変わる。
それと同時に、空気が変わるのも感じた。
里志「千反田さんが居なくなったら、ホータローはどうする?」
奉太郎「千反田が居なくなったら? どういう事だ」
里志「考えた事はあったのかなって、思っただけだよ」
奉太郎「無いな」
里志「……そうかい」
奉太郎「……急にどうしたんだ」
里志「ホータローが昼間言っていたじゃないか」
里志「俺と千反田はお似合いなのか、って」
里志「勿論、ホータローの考えも分からない訳じゃない」
里志「でも、もし千反田さんが居なくなるとしたら……君はまた同じ事を言うのかなって思ったんだよ」
奉太郎「俺は……」
そんなのは嫌だと、はっきりとした気持ちが湧いて来るのは分かった。
だがそれでも、やはり考えてしまう。
以前、千反田に距離感について話したことがあった。
あいつは恐らく、もうそんなのは感じていないと思う。
しかし俺は、俺はどうなのだろうか。
付き合う事で、そんな物は無くなると思っていた。
だが、ふとした事でそれを思い知らされる。
日常のちょっとした動作から、家の事。
これは多分、他人に聞く事ではないのだろう。
ならば自分で考えるしか、無いか。
里志「もう一度、聞くよ」
里志「もし千反田さんが、居なくなるとしたら……君はどうするんだい?」
俺は。
奉太郎「……諦めない」
里志「それを聞けて安心したよ、ホータロー」
里志「話したら喉が渇いたね」
里志「飲み物買ってくるけど、何か飲むかい?」
奉太郎「……なら、コーヒーで」
里志「了解」
そう言い、里志は扉に手を掛けた。
奉太郎「一つ、聞いていいか」
里志「何かな」
奉太郎「さっきお前が言っていた、千反田が居なくなるって言うのだが」
奉太郎「……あれは、冗談か?」
里志「……」
その問いに、里志は答えなかった。
第28話
おわり
俺と千反田は、一緒に雪を眺めていた。
肌を突き刺す様な寒さの中で、一緒に。
奉太郎「去年の暮れも、雪が降っていたな」
える「ええ、そうでしたね」
奉太郎「もうすぐ一年経つのか、早い物だ」
える「私も、同じ事を思っていました」
俺は小さく「そうか」と返事をし、手すりに積もった雪を払い、そこに腕を置く。
奉太郎「そろそろ戻らないと、ばれたらまずいぞ」
える「折木さんがその気になるまで、ご一緒します」
その言葉に俺は視線を千反田の方へと移す。
千反田はどうやら、雪玉を作っている様だ。
奉太郎「風邪を引いても知らんぞ」
える「心配いりませんよ」
える「その時は、折木さんに看病して頂くので」
奉太郎「さいで」
何故ここでこうしているかと言うと、要は千反田に呼び出されたからである。
そして、話は既に終わっている。
俺はてっきり、こいつはすぐに戻るかと思ったのだが……どうやら違っていた。
える「できました」
そう言い、俺のすぐ目の前に雪だるまを置いてくる。
今日は、ちょっと疲れたな。
奉太郎「なあ」
える「はい」
奉太郎「明日はやはり、積もりそうだな」
える「そうですね、一面の雪景色というのも……素敵かもしれません」
奉太郎「……だな」
そう言い、空を見上げる。
空には星が輝いていて、手が届きそうにも思えた。
顔にいくつかの雪が降りてきて、溶ける。
そうして俺は、今日の事を思い出していた。
あの時、里志は答えなかった。
いつもなら、いつものあいつの冗談なら、すぐに「冗談さ」と言う筈だ。
つまり、あいつの言っていた事は冗談では無いのだ。
なら、どういう事か?
簡単だ。
千反田は居なくなる、って事か。
それに俺ははっきりと嫌だと感じた。
ならどうする?
多分、千反田が前々から隠していたのはこれだろう。
隠していたって事は……言いたくないって事でもある。
それならば問い詰めるのは得策とは思えない。
勿論、今すぐにでも……何故黙っていたのか聞き出したい。
しかし、里志が俺に話したのがそれではばれてしまう。
そうなるとは思えないが、下手をしたら里志と伊原の関係も変わってしまうかもし
れない。
俺一人の行動で、それだけ変えてしまうのは避けたかった。
ならばどうする?
待つ、しかなさそうか。
千反田が話してくれるのを。
その時、丁度部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
俺は思考を一回止め、扉の方に足を向ける。
大方、扉を開けられずに里志が困っているのだろう。 面倒な奴だ。
奉太郎「両手が塞がっているなら、一回下に置けばいいだろう」
言いながら扉を開ける、しかし目の前に現れたのは里志ではなかった。
える「え、えっと」
噂をすればと言う奴だろうか。
奉太郎「すまん、里志と間違えた」
目の前に来たらどうなるか分からなかったが、俺は不思議と落ち着いた気分にな
れていた。
える「そうでしたか」
千反田はそう言うと、いつもの様に笑顔を俺に向ける。
奉太郎「それで、何か用事だったか?」
俺も多分、いつも通りに話せていたと思う。
える「ええ、お話したい事があるので……お時間大丈夫ですか?」
恐らく、と言うか……ほぼ例の事だろう。
タイミングと言い、どこかで話を聞いていたのでは無いだろうか。
奉太郎「構わないが、里志に飲み物を頼んでいてな」
える「分かりました、なら30分後でも良いですか?」
奉太郎「ああ」
える「では、30分後に屋上でお待ちしてます」
そう言うと、足早に自分の部屋へと戻って行く。
できれば外より中の方が良かったんだが……寒いし。
別にいいか、今更追いかけるのもあれだ。
俺は少し着込んで行くことにし、部屋の中へと戻る。
奉太郎「俺はどうしたいんだ」
言いながら布団に横たわる。
何故、こうも面倒な事が立て続けに起きるのだろう。
千反田の家柄のせいだろうか?
勿論、それは多少あるのかもしれないが。
だが、他の奴なら面倒な事……とは思わないかもしれない。
それは結局、俺が今まで面倒な事を避けてきたせいで、そう思えてしまうのだろう。
奉太郎「整理してみるか……」
何の特徴も無い天井を見ながら、ゆっくりと思考する。
まず、里志の言葉だ。
あいつが言うには、千反田は居なくなってしまうらしい。
らしいと言うのも変だが……そこには、里志の勘違いだったと言う俺の希望があるのだろう。
そして何故、あいつははっきりと言わなかったのか。
俺に言わない様にと、千反田か恐らく伊原辺りにでも言われている筈だ。
それらがあったから、あいつはわざと回りくどい言い方をしたのだ。
次に、千反田が居なくなるとして……俺はどうするのか。
正直に言うと、分からない。
何故居なくなるのかも分からないし、それは分かった所でどうにかなる問題なのだろうか。
里志は恐らく、それを知っていて……俺ならばどうにか出来るかも、と考えた可能性はある。
そして昼間の会話、確か千反田と俺の違いについてだ。
俺が話をして、それを聞いて里志は口止めされていた話をする気になったのだ。
ならば、家絡みの事だろう。
去年の事もあった、だからいきなり明日居なくなるって事は無い。
少なくとも千反田は、同じ事を2回繰り返し等しない。
ならばもう少し先、と言う事は。
奉太郎「……大学か」
それくらいしか、無さそうだった。
里志「おーい、聞いてるかい?」
奉太郎「うわ、いつから居たんだ」
突然里志の声が聞こえ、飛び起きる。
里志「酷いなぁ、少し前からだよ」
思いの他、考えすぎていた様だ。
奉太郎「悪いな、ちょっと考え事をしていた」
里志「無理もないさ、何故かは分からないけどね」
奉太郎「そうだな」
奉太郎「そういえば、何故かは分からないが……さっき千反田が来た」
里志「そうかい、何て?」
奉太郎「何やら話があるらしい」
里志「なるほど、何の話だろうね」
奉太郎「行けば分かるさ、そろそろ約束の時間だ」
里志「先生が見回りに来たら、誤魔化しておくよ」
奉太郎「悪いな、それと」
奉太郎「コーヒー、ありがとな」
里志「いいさ、そのくらいお安い御用だ」
そのまま里志から貰ったコーヒーを手に、部屋の外へと足を向ける。
里志「ホータロー」
奉太郎「何だ」
里志「ごめんね、力になれなくて」
奉太郎「何の話だか分からんな」
奉太郎「それに、このコーヒーだけで十分だ」
里志「ホータロー」
奉太郎「何だ」
里志「120円だよ、それ」
奉太郎「……冗談か?」
里志「さあ、どうだろう」
そう言う里志は、いつもの顔だった。
俺はその言葉に軽く手を挙げ、外に出る。
全く、隙がない奴だな……
まあ、でも幾らか気持ちは楽になった、気がする。
しかし……未だに俺は結論を出せていなかった。
~屋上~
扉を開けると、一瞬で中へ引き返したくなるほどの寒さを感じる。
それに加え、空からはチラチラと雪が降りてきていた。
奉太郎「……寒い」
える「お待ちしてました」
扉のすぐ横で、千反田は待っていた。
雪に降られないように、僅かな雨よけがある場所で。
奉太郎「悪いな、寒かっただろ」
える「ここに呼んだのは私ですよ、折木さん」
奉太郎「そういえば、そうだったな」
える「先程、窓から雪が降っているのが見えたので……ここにしちゃいました」
奉太郎「なるほど」
える「流石に、いくら十月と言えども……寒いですけどね」
奉太郎「……そうだな」
える「どうですか、北海道は」
これは、千反田の癖なのだろう。
何か言い辛い事がある時、こいつは話を切り出さない。
問い詰めても良かった。 用事は何だ、と。
だが俺はそうしなかった。
……聞きたく無かったのかも知れない。
える「折木さん?」
奉太郎「ああ、すまん」
奉太郎「北海道か、まあそれなりにはって感じだな」
える「ふふ、そうですか」
俺は手に持っていたコーヒーを一口、飲み込む。
える「あ、私も欲しいです」
奉太郎「予想通りだな、言うと思った」
ポケットに手を入れ、途中で買っておいた紅茶を手渡す。
奉太郎「ほら」
える「ありがとうございます」
そう言い、千反田は蓋を開けると紅茶を一口飲んだ。
える「美味しいですね」
奉太郎「寒いから、余計にそう思うのかもな」
える「ですが、折木さんが淹れてくれたお茶の方が美味しいです」
奉太郎「そりゃどうも」
二人で雪を眺めていた。
える「結構降りますね」
奉太郎「北海道だしな」
える「積もるかもしれないですね」
奉太郎「これだけ降っていればな」
える「寒いですね」
奉太郎「それは、さっき言ったな」
える「……そうでした」
話す事が無くなったのか、沈黙が訪れる。
このままで良かった。
こいつと二人……並んでいるだけで俺には十分だった。
だが、そうはならない。
える「ごめんなさい」
奉太郎「何故謝る」
える「私がお呼びしたのに、本題を切り出せなくて、です」
奉太郎「覚えていないのか」
える「すいません、覚えていないと言うのは?」
奉太郎「千反田の準備が出来てからで良い、と俺は言った。 前にな」
奉太郎「だから、何時間でも待つ」
える「……はい」
千反田はもう一度、紅茶を飲むと大きく深呼吸をした。
える「分かりました、折木さん」
える「本題に、入りましょう」
第29話
おわり
奉太郎「……準備はいいのか」
える「はい、もう大丈夫です」
奉太郎「……分かった、聞くよ」
すると千反田は、雪に降られるのに構わず、柵の方へと歩いていった。
える「まずは、謝ります」
える「折木さん、騙していてすいません」
俺の方に振り向き、頭を下げる。
それを見て言葉を返そうとし、寸前で飲み込む。
とりあえずは最後まで話を聞こう。
える「私は」
える「来年、神山市を去ります」
予想はしていた。
していたのだが、それはあくまでも予想であった。
千反田の口から出た言葉は、その予想を事実へと変える物だった。
奉太郎「……そうか」
奉太郎「去ると言うのは、どういう事だ」
える「大学です」
える「私が受ける大学は、東京にあるんです」
やはり、そうか。
奉太郎「そうか、それがお前の選択か」
える「……ええ、そうです」
そう答えた時、千反田は俺と眼を合わせなかった。
える「もし、落ちてしまったら残りますけどね」
奉太郎「無いだろう、そんな事」
える「まだ分かりませんよ」
そうは言っているが、千反田が落ちる事なんて絶対にあり得ない。
つまり、4月で千反田は神山市から去る。
える「ですので、折木さん」
える「ごめんなさい」
奉太郎「何故謝る」
奉太郎「お前が悪い訳じゃない」
える「どうでしょうか」
千反田は夜空を見上げていた。
未だに、雪は降り続けている。
える「折木さん」
奉太郎「……どうした」
える「折木さんが私に好きだと言ってくれた時、正確に言えば私が言ったんですが」
える「あの時、既にこれが決まっていたと言ったら、怒りますか」
奉太郎「付き合う前から、決まっていたって事か」
える「……はい」
奉太郎「怒りはしない」
える「何故ですか、私は騙していたんですよ」
奉太郎「お前の、千反田の気持ちは本当だったんだろ」
える「それは、そうですが」
奉太郎「なら、その必要なんて無いさ」
俺はそのまま、千反田のすぐ近くまで歩いて行く。
える「……はい」
奉太郎「何でそんな悲しそうな顔をするんだ」
える「当たり前じゃないですか、折木さんは悲しく無いんですか」
奉太郎「約束、しただろ」
奉太郎「あの時から、少しだけ気付いていたのかもしれない」
える「こうなる事を、ですか」
奉太郎「……ああ」
千反田の横を通り過ぎ、柵に手を置く。
える「そうですか」
それを見て、千反田が隣まで歩いて来た。
える「雪が綺麗ですね」
奉太郎「ああ」
俺の手の上に、千反田が手を重ねてきた。
える「私」
える「……嘘を、付きました」
奉太郎「嘘?」
える「ええ」
える「私が東京の大学に行くのを決めたのは、私自身では無いんです」
奉太郎「……親か?」
える「……はい」
える「これは、決まり事の様でして」
奉太郎「そう、か」
それもまた、仕方の無い事なのだろう。
奉太郎「あまり気の効いた事は言えないが……」
俺は、千反田の頭の上に手を置く。
奉太郎「頑張れよ、大学」
千反田の体は少しだけ震えていた、それは寒さのせいか……すぐには分からない。
える「わたし」
える「本当は、本当はですね」
える「普通の家で生まれて、普通に勉強をして、普通に遊んで」
える「普通に恋愛をして、普通の大学へ行って、普通に!」
える「……幸せに、なりたかったです」
奉太郎「……そう言う事は、俺の前だけにしておけよ」
える「なら、それなら今は良いですよね」
える「私はもっと、一緒に居たいです」
える「古典部の皆さんと、もっと遊びたいです」
える「折木さんとは、これからもずっと一緒に居たいです」
える「……ごめんなさい、本当に」
える「少しの間だけでも、夢を見たかったんです」
……千反田の目からは、涙が零れていた。
奉太郎「お前の本音が聞けて良かった」
える「……はい」
奉太郎「けど、俺とお前とじゃ……やっぱり違うんだ」
奉太郎「今はとにかく、家の事を頑張れ」
奉太郎「応援してるから、千反田なら絶対にうまくやれる」
える「……嫌です、そんな事言わないでください」
える「……いつもの様に、解決してください!」
声が震えていた、顔はくしゃくしゃになっていた。
奉太郎「俺は、そんな優しい奴ではない」
える「嘘です、そんな訳ありません!」
奉太郎「どうしてだ、何故そう断言できる?」
苦笑いしながら、俺は続ける。
奉太郎「俺はもしかすると、いつも適当な事を言っているだけかも知れないぞ」
える「そんなのは、あり得ません」
える「私、わたし、知っているんですから」
える「折木さんが、摩耶花さんに言った言葉を」
伊原に言った言葉? 何か不味い事でも言ったっけか。
える「入須さんへのプレゼントを、摩耶花さんが破いてしまった時です」
参ったな、言ったのか……伊原の奴め。
える「折木さんはこう言ったんです」
奉太郎「もしまずい事になったら、とりあえず俺のせいにしておけ」
奉太郎「だったか」
える「はい、そうです」
える「自分を犠牲にして、人を助けようとした人が、優しく無い訳ないですよ」
奉太郎「それを優しいなんて、言えるのか」
える「そう思わない方も居るでしょう、ですが私は」
千反田の言葉を遮るように、口を開く。
奉太郎「別に、そっちの方が楽だったってだけだ」
奉太郎「あいつが下手に隠そうとするより、俺が適当な理由を付けた方が面倒じゃない」
える「本当に、そう思っていますか」
奉太郎「それは……」
える「折木さん、もし本当に面倒だったなら……始めから、何も見ていない振りをするのが一番なんですよ」
何も、言い返せなかった。
える「それでも、折木さんは違うと言いますか」
奉太郎「……分かった、分かったよ」
奉太郎「それで、俺にどうしろって言うんだ」
える「私を……千反田えるを、遠くに連れて行ってください」
それは多分、千反田の本心だった。
だが、俺はそれに答えていいのだろうか。
それをして良いほどに、俺は偉いのだろうか。
その後、本当に千反田は幸せになれるのだろうか。
一人の人生を背負うほど、俺はまだまだ出来てはいない。
奉太郎「……ごめん」
える「どうして、ですか」
える「摩耶花さんは助けて、私は助けてくれないんですか!」
言った後、千反田ははっとした顔になる。
俺も思う事はあったが、今は千反田の気持ちを受け止めるしかできない。
える「ご、ごめんなさい」
える「……折木さん」
える「私は……すいません、本当にすいません」
千反田は未だに、泣き続けていた。
黙って、隣で頭を下げる千反田を抱きしめる。
今の俺には……これくらいしかできそうになかった。
何分だろうか、何十分かそのままでいた気がする。
やがて、千反田が口を開く。
える「ごめんなさい、もう大丈夫です」
それを聞き、千反田を抱きしめていた腕を解く。
える「折木さん、一つお願いをしても良いですか?」
奉太郎「俺に出来る事なら、何でも」
える「最後の時まで、一緒に居てくれますか」
奉太郎「そんな事、当たり前だろ」
奉太郎「引き受けよう」
える「はい、ありがとうございます」
そう言う千反田の顔は、寂しそうに笑っていた。
俺は街に降り続ける雪を見ながら、口を開く。
奉太郎「去年の暮れも、雪が降っていたな」
~現在~
える「すっかり積もって来ましたね」
その言葉を聞き、辺りを見回す。
少し考え事をしている間に、一面はほとんど雪で覆われていた。
奉太郎「そうだな、明日は部屋でゆっくり過ごすか」
える「駄目ですよ、折角来たんですから」
奉太郎「冗談だ」
える「それなら良いんですが……」
そう言うと、千反田は小さくあくびをする。
奉太郎「そろそろ戻った方が良いんじゃないか」
奉太郎「風呂にも入りなおさないといけないしな」
える「……そうみたいです、折木さんも戻りますか?」
奉太郎「俺は……ああ、もう少しだけここに居る」
奉太郎「コーヒーもまだ、少し残っているし」
える「分かりました、ではお先に失礼しますね」
奉太郎「見つからないようにな」
える「ふふ、もし見つかった時は」
える「今屋上に居る方に、無理矢理と言う事にしておきます」
奉太郎「……そいつは笑えない冗談だな」
える「では、失礼します」
奉太郎「ああ、また明日」
そうして千反田は部屋へと戻って行った。
俺は一人、夜の街並みを見下ろす。
奉太郎「ごめんな、千反田」
里志から貰ったコーヒーは、もうすっかり冷めてしまっている。
奉太郎「今の俺じゃ、答えなんて出せなかったんだ」
これで終わりなのだろうか。
俺は……はっきりと嫌だと思ったのに。
だが、今の俺にどうこう出来る問題では無いのも明らかだ。
しかし、それでも。
それはあくまでも、今の俺だからだ。
奉太郎「……俺は、諦めないぞ。 千反田」
誰も聞いてはいないだろう呟きを、自分自身に約束させる様に……言葉にした。
第30話
おわり
12月の終わり、つまり1年の終わり。
正確にはまだ数日あるが、もう終わりと言っても問題は無いだろう。
そんなある日、俺は休みの学校の前で人を待っていた。
える「お待たせしました」
俺が待つ数人の内の一人がようやく姿を現す。
寒さのせいか、千反田の顔は少し紅潮していた。
奉太郎「ああ」
結局、千反田とはあれから何も変わらずに、前と同じように付き合っている。
奉太郎「里志達はまだみたいだが、先に行くか?」
千反田もその事には触れなかったし、俺も敢えて触れようとは思わなかった。
える「折角ですし、お待ちしましょう」
勿論、俺が考えている事なんて言えない。
奉太郎「そうか」
千反田はもう、決心が付いたのかもしれないから。
奉太郎「それにしても、この時期は忙しいんじゃないのか?」
える「ええ、そうですね」
える「今日は何とか、予定を空けて置きました」
俺は一度、千反田と距離を取ろうか悩んでいた。
だが、里志に相談したら「摩耶花にばれたら、来年を迎えられないかもね」等と脅してくる物だから、千反田とは以前と変わらず接している。
こんな感じで理由を付けるのは簡単だ。
実際の所……俺も諦めてはいない物の、それがうまく行かなかった時の為に保険を掛けていたのだろう。
千反田との思い出と言う名の保険を。
それに少しだけ罪悪感を感じながら、千反田と二人で里志達を待っていた。
える「私はこうして静かに待っているのも良いのですが」
える「何か、お話でもしませんか?」
ふいに千反田が話しかけてくる。
奉太郎「いい案だが、俺には生憎……話のネタは持ち合わせて居ないな」
奉太郎「千反田は何かあるのか?」
える「ええ、一つあります」
奉太郎「ほう、聞こう」
千反田は小さく「コホン」と咳払いをし、口を開く。
える「今日の夕方の事なのですが」
奉太郎「……言い方によっちゃ、今も夕方だけどな」
える「あの! 最後まで聞いてください」
千反田は俺に顔を近づけ、そう言った。
……これには未だに慣れない。
える「ええとですね、チョコレートを食べていたんですが」
奉太郎「夕方に? 太るぞ」
える「おれきさん」
奉太郎「わ、分かった。 最後まで聞く」
える「……いつもお菓子を食べる様に、二つほど食べたんです」
える「その時、丁度電話が鳴ったので」
える「私は電話を取る為に、そこから一度離れたんですね」
える「電話の内容は取り留めも無い物でした」
える「それでですね、戻ってみると……無かったんです」
奉太郎「チョコレートが?」
える「はい、そうです」
える「私、それが少しだけ気になっていまして」
なるほど、要は「気になります」と言う奴か。
奉太郎「考えてみろって所か、構わんが」
奉太郎「まず、家に千反田以外は居たのか?」
える「ええ、母親が居ました」
奉太郎「なら母親が仕舞ったんじゃ無いのか」
える「私もそう思いまして、聞いたのですが」
奉太郎「否定された訳か」
える「……はい」
奉太郎「だけど、家には千反田以外だと母親しか居なかったんだろう?」
える「その筈ですね」
奉太郎「ならそうとしか考えられないんだが」
える「私も、それで間違いは無いと思います」
奉太郎「……そう言うことか」
奉太郎「つまり、過程が気になるって事だな」
える「そうです、私が電話を受けている間」
える「何故、チョコレートが消えたのか」
える「何故、母は否定したのか」
える「気になるんです」
そうは言われても、流石に話だけから答えを出すのは……ちと厳しい。
ならばどうするか、だが。
奉太郎「物はついでだな」
える「と、言いますと?」
奉太郎「どうせこの後、千反田の家だろ?」
奉太郎「その時に、その場所とかを案内して貰えば答えが出るかもしれない」
える「ふふ、現場検証……と言う奴ですね」
奉太郎「そこまで言うほどの物でも無いけどな」
千反田は何故か、嬉しそうな表情をしていた。
奉太郎「にしても、遅いな」
える「そろそろだとは思うのですが……」
奉太郎「俺と千反田も、そろそろ携帯でも持った方が良いかもな」
える「かもしれませんね」
そうだ、二つほど聞いておきたい事があったんだ。
奉太郎「最後に二つ、確認していいか」
える「はい、何でしょうか?」
奉太郎「あまり関係は無いけど」
奉太郎「千反田が食べたチョコレートって、あれか」
奉太郎「中に酒が入っている奴か?」
える「ウィスキーボンボンですね、そうです」
奉太郎「だからか」
える「と言うのは?」
奉太郎「いや、いつもより顔が赤かったから」
える「本当ですか、気付きませんでした……」
奉太郎「それより、前より強くなったか?」
える「何故ですか?」
奉太郎「性格が変わっていなかったからな」
える「前がどの程度だったのか分かりませんが……折木さんが言うならそうかもですね」
と言うか、たった2個で酔われてしまっては面倒な事この上無い。
それと、今回のはアルコールが弱かったのか。 前回のはちょっと強すぎたからな……
奉太郎「ま、それなら二つ目の確認したい事は必要無いな」
える「私、それも少し気になりますが」
奉太郎「そうか」
それにしても、里志達がまだ来ない。
全く、人を待たせるとは随分といい身分になった物だな。
える「気になります」
奉太郎「そうかー」
タイミング的には今来てくれると非常に助かるのだが……
える「教えてください、折木さん」
千反田は俺の腕を掴み、ぶんぶんと振ってくる。
奉太郎「お前、やっぱり酔っているだろ」
える「折木さんが教えてくれれば、問題ありません」
助け舟はまだ来そうにない、か。
奉太郎「分かった、説明する」
える「はい! お願いします」
奉太郎「聞く前に一つ頼みがある」
える「どうぞ、お聞きします」
奉太郎「聞いても怒らないって約束してくれるか」
える「つまり、私が怒るような内容と言う事ですね」
奉太郎「念の為言っただけさ」
える「聞いてから決めます」
奉太郎「……さいで」
奉太郎「俺が聞きたかったのは」
奉太郎「千反田、お前が気付かない内にチョコレートを全て食べた可能性についてだ」
奉太郎「だが、それも無いだろう」
奉太郎「何故かと言うと、お前が普段どおりだからだ」
奉太郎「もし、全て食べていたなら今頃俺は帰りたいと思っていた筈だ」
奉太郎「と言う事なんだが……」
える「……」
ほら、怒ったじゃないか。
千反田は頬を膨れさせ、俺の方を見ていた。
える「私、そんな欲張りではありません」
奉太郎「……けど、前に千反田が持ってきた時はほとんど食べてなかったか?」
える「それは、そうですけど……気になってしまったので」
奉太郎「なら別に、俺が言っている事はおかしく無いと思うが」
える「それでも、酷いです!」
だから、そんな顔を近づけないで欲しい。
里志「あれ、珍しい喧嘩だね」
そう言いながら、ようやく助け舟が来たようだ。
奉太郎「遅いぞ里志、凍死させる気か」
里志「ごめんごめん」
里志が遅刻するのは珍しい事でも無いし、その場はそれで終わる。
える「話を逸らさないでください、折木さん」
と思っていた、ついさっきまで。
摩耶花「どしたの? 何かあった?」
奉太郎「何でもない」
える「では一度、私の家でお話しましょう。 皆さんも一緒に」
千反田の微笑みが、今日は少し怖い。
奉太郎「何だか、今日は用事があった気がしてきた」
里志は別に問題無い、あるとするなら伊原の方だ。
こいつはやけに千反田の肩を持つせいで、一方的に俺が被害を被る事になるだろう。
里志「あはは、ホータローに用事とは、今年も終わりだけど最後に笑わせて貰ったね」
そう言うと、里志は俺にだけ聞こえる様に小さく続ける。
里志「それにさ、ホータローの用事には全部千反田さんが絡んでいるじゃないか」
里志「違うかい?」
こいつも敵だった。 すっかり忘れていた。
奉太郎「……ああ、用事なんて無かったな」
奉太郎「はぁ」
える「ふふ、それでは皆さん揃いましたし、行きましょうか」
里志「そうだね、あまり外に居たら風邪を引いちゃうよ」
摩耶花「ちーちゃんは1回、風邪引いてるしね。 気をつけないと」
待たせたのはどこの誰だ、と言いたいがやめておく。 これ以上腫れ物には触れたく無いからだ。
あれ、そう言えば……今日は何の集まりだったっけか。
そんな疑問を、口にした。
奉太郎「……今日は何の集まりだっけか」
摩耶花「今日? あれ、何だっけ」
える「ええと、そう言えば目的ある集まりではありませんね」
里志「いや、あるよ?」
奉太郎「あるのか? じゃあどんな目的だ?」
里志「そうだね、敢えて言うなら」
里志「古典部忘年会って所かな」
はあ、忘年会ね。
……何で俺は、今日参加したのだろうか。
こたつが恋しい。
第31話
おわり
える「それでは」
える「今年一年、お疲れ様でした」
える「古典部として活動する時間も大分少なくなって来ましたが……」
える「最後まで、頑張りましょう!」
里志「いいね、やっぱりこういうのは千反田さんに任せるべきだ」
千反田のスピーチで、里志曰く「忘年会」
俺からすれば、ただの集まり……が始まる。
える「ふふ、ありがとうございます」
それにしても、改めて思うが……もう今年も終わりか。
……思えば早かった。
里志の言葉は、概ね正しいのかもしれない。
終わってしまえば、過去の事なんてあっという間だと。
千反田との事も、考えねばならない。
何か良い、最善の策はある筈だ。
今まで何度も考えてきて、色々な問題に答えを出してきたんだ。
きっと、今回の事も考えさえすればどうにかなるだろう。
しかし、その反面……それは俺の希望なんじゃないかとも思う。
……もし、もし何も答えが出なくて、どうしようも無くなってしまったら。
せめて千反田との約束だけは果たそう。
別れる時に、悲しまないという約束だけは。
里志「ホータロー?」
奉太郎「ん、何だ」
里志「中々に神妙な面持ちをしていたからね」
里志「まあ、無理も無いとは思うけど」
そう言う里志は苦笑いをしていた。
奉太郎「そうだな……」
里志「僕に出来る事なら手伝うからさ、何かあったら言ってね」
里志に何か出来る事……か。
そう言えば、何か忘れている気がする。
ええっと、確か……
える「折木さん、現場検証をしましょう!」
ああ、そうだった。
千反田のチョコの謎があったのか。
里志「現場検証? 面白そうな話だね」
奉太郎「そうだな、里志や伊原にも話しておくか」
すると俺の言葉が聞こえたのか、伊原も近くに寄ってきた。
摩耶花「何? またちーちゃんの気になる事?」
奉太郎「ああ、その通りだ」
奉太郎「えっとだな……」
里志「なるほど、千反田さんのチョコが消えたって事だね」
摩耶花「でも、その話を聞く限りだと……」
奉太郎「そうだ、千反田の母親にしか出来なかったんだ」
える「ですが、母は知らないと……」
里志「ううん、確かにそれは妙だね」
奉太郎「ああ、だから現場検証って訳だ」
そう言い、俺は立ち上がり、そのままの足でテーブルの近くに行った。
上に並んでいるのは簡単なお菓子や飲み物。
その殆どは、千反田の家に来る途中買った物だった。
その内の一つの皿を手に取り、千反田に問い掛ける。
奉太郎「千反田、これは?」
える「え? ええっと、それはお菓子ですよ、折木さん」
奉太郎「そうだな」
それを聞き、俺はその皿をテーブルへと置き直す。
次に違う皿、これは冷蔵庫に入っていたのか少しだけ冷えていた。
その皿を持ち、千反田に再度聞く。
奉太郎「じゃあ、こっちは?」
える「あの、もしかしてお菓子の種類ですか?」
える「それならば、そちらはマドレーヌですね」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「皿の大きさに比べて、乗っている数が足りない気がするんだが」
える「あ、ええっとですね……」
える「最初は、私と両親で食べようと思っていたんです」
える「ですが、皆さんが来ると聞いたので……」
奉太郎「なるほど、それで皿に移したって事だな」
える「いえ、そのお皿には元々乗せていました」
奉太郎「ああ、そうか」
一つだけ気になる事があるが……どうした物か。
ん、待てよ。
奉太郎「これ、一つ貰うぞ」
える「ええ、どうぞ」
俺はその言葉を聞き、マドレーヌを一つ口に運ぶ。
える「ふふ、おいしいですか?」
奉太郎「ああ」
とにかく、これで先程の疑問は解けた。
後は、一連の事を繋げるだけなんだが……まだ足りない事もあるな。
里志「ホータロー、まさかマドレーヌが食べたかったってだけじゃないよね」
奉太郎「何だ、里志も欲しいのか」
摩耶花「ちょっと、冗談は良いけど、何が何だか分からないんだけど」
……あまり伊原を怒らせない方がいいだろうな。
奉太郎「じゃあ、そうだな」
奉太郎「場所を変えるか」
奉太郎「千反田、そのチョコが置いてあった場所に案内してくれるか」
える「ええ、分かりました! いよいよですね」
える「では、台所にまだあると思うので、行きましょうか」
~台所~
える「良かったです、まだありました」
そう言い、千反田はチョコが入っていたと思われる箱を指差す。
奉太郎「なるほど、確かに一つも残ってないな」
箱には20個程入っていたのだろう、だが中には一つも残されていない。
摩耶花「あれ、こっちの箱は?」
伊原が指差すのは、隅に置いてある箱だった。
見た目的には確かに、お菓子の箱みたいだが。
える「それは、先程のマドレーヌが入っていた箱です」
里志「なら、関係は無さそうだね」
確かに……一つ一つ見ると、関係は無いように見える。
奉太郎「ふむ」
俺は一度、考えを整理する為に廊下に出る。
台所の方からは、微かに三人の話し声が聞こえていた。
奉太郎「さてと」
廊下は冷たく、少しの風が吹き込んでいる。
しかしなんとなく、こっちの方が集中できる気がした。
奉太郎「……まず」
考えるべき事を纏めよう。
千反田のチョコを隠したのは誰なのか?
何故、そんな事をしたのか?
そしてまだ、そのチョコはあるのか?
今まで見た事を繋げれば、答えは出る筈だ。
しばし俺は、集中して考えた。
台所に繋がるドアを開ける。
すると、すぐに三人の視線が俺の方に向いた。
奉太郎「何だ、何か顔に付いてるか」
里志「敢えて言うなら、目と鼻と口、眉毛って所かな」
摩耶花「そうじゃなくって、何か分かったの? 折木」
奉太郎「……まあ、一応はな」
える「本当ですか!」
やはり、最初に反応を見せたのは千反田であった。
里志「さすが、ではご説明願うよ」
奉太郎「ああ」
特に焦らす必要も無いし、俺はそのまま説明に入る事にする。
奉太郎「まず、そうだな」
奉太郎「誰が千反田のチョコを隠したかって所からか」
里志「悪く言うなら、犯人って所だね」
奉太郎「そう言う事だな」
える「それで、犯人は?」
奉太郎「これはまあ……全員予想が付いているだろ」
摩耶花「って事は、ちーちゃんのお母さん?」
伊原の問いに、頷く。
奉太郎「そうだ、もし母親以外だったらそれこそオカルトになるな」
里志「はは、それも中々に面白そうだけどね」
奉太郎「俺も別に嫌いって訳じゃないが、今は省くぞ」
える「やはり、そうでしたか……」
える「でも……何故、母はチョコを隠したのでしょうか?」
奉太郎「それは少し、長い説明になるが」
奉太郎「どこから説明するか……」
奉太郎「ああ、その前に千反田に一つ聞くことがある」
奉太郎「聞くと言うよりは、頼み事だな」
える「私にですか? 何でしょうか」
奉太郎「今日のチョコの一連の流れを再現してくれるか」
える「分かりました、では」
その言葉を聞き、里志と伊原は場所を空ける。
える「まず、この場所でチョコを食べていました」
千反田が指したのは、簡単なテーブルと椅子がある場所。
える「それでですね、途中で電話が鳴ったので……」
奉太郎「一度、席を離れたんだったな」
える「はい、そうです」
える「それで、戻ってきた時には既に無くなっていたんです」
奉太郎「ふむ、その後確か……親に聞いた」
える「ええ、ここにあったチョコを知らないか、と言った内容の事を聞きました」
そう言い、千反田は先程見せたチョコの箱を指差す。
奉太郎「なるほど……やはりそうか」
摩耶花「え? 別におかしい所なんて無かったと思うけど」
里志「でも、聞けば聞くほど変な話だよね」
里志「千反田さんのお母さんは、千反田さんが尋ねた事に何で答えなかったのか」
里志「やっぱり、オカルト的な何かなんじゃないかな」
える「本当ですか、私の家にはお化けが出るのでしょうか……」
奉太郎「んな訳あるか」
奉太郎「いいか、まず千反田の癖について話す」
える「私の癖、ですか?」
奉太郎「そうだ」
奉太郎「さっきのマドレーヌ、元から皿に乗っていると言ったな」
里志「それは僕も聞いたけど、それがどうかしたのかい?」
奉太郎「手作りって訳じゃないんだろ? 千反田」
える「はい、そうです」
奉太郎「さっき伊原が箱を指したとき、それにマドレーヌが入っていたと言ってたしな」
奉太郎「つまり、千反田はわざわざ箱に入っていたマドレーヌを皿に移したって事だ」
奉太郎「それも、俺達が来るからでは無くて元からな」
里志「え? 僕達が来るって事だから移したんじゃないのかな?」
奉太郎「違う、それだったらわざわざあんな大きな皿には乗せないだろう」
奉太郎「見た限り、丁度良さそうな皿なんていくらでもあるぞ」
里志「なるほどね、それで元から乗っていたって事が分かる訳だ」
える「で、ですがちょっと待ってください」
える「それとチョコに、どういった関係が?」
奉太郎「千反田は恐らく、そのチョコも皿に移していたんだろう」
奉太郎「それで皿に乗っていたチョコを食べていた、そこに電話が来る」
奉太郎「それで戻ってみたら……無くなっていたんだ、皿に乗っていたチョコが」
里志「……なるほどね」
奉太郎「そして千反田はその場に居た母親に聞いた、チョコはどこにあるのか、と」
える「ですが、それなら母が答えなかった理由が……」
奉太郎「この箱を指差して、言ったんだ」
摩耶花「って事は、ちーちゃんのお母さんは箱に入っている物とお皿に乗っている物を別々に捉えたって事?」
奉太郎「そうだろうな、そう考えれば答は出る」
奉太郎「千反田、冷蔵庫を開けてみろ」
える「は、はい。 分かりました」
そう言い、千反田は冷蔵庫を開く。
里志「はは、灯台下暗しって所かな」
える「どうして気付かなかったんでしょう……」
奉太郎「まあ、千反田の母親も悪気は無かっただろうさ」
摩耶花「でも、でもさ」
摩耶花「ちーちゃんはお菓子とか用意したのに、なんで気付かなかったの?」
摩耶花「開ければすぐに気付くよね? ここなら」
奉太郎「そうとも限らんさ」
そう言い、俺は先程まで居た部屋へと足を向ける。
当の千反田は、もう気付いている様子だった。
~居間~
奉太郎「これだ」
俺は皿を一つ手に取る、マドレーヌが乗った皿だ。
奉太郎「まだ分かるかもな、食べてみろ」
摩耶花「……うん」
伊原は依然、納得出来なさそうな顔をしている。
渋々、と言った感じでそれを口に運んでいた。
摩耶花「……あ、冷たい」
里志「なるほど、分かったよ」
里志「千反田さん、このマドレーヌは冷蔵庫に入ってたんじゃないんだね」
える「正しく言えば、そうですね」
摩耶花「……私も分かったかも」
奉太郎「そう、それが入っていたのは」
奉太郎「冷凍庫だ」
里志「はは、マドレーヌやケーキは冷凍保存できるからね」
里志「それで気付かなかったんだ、冷蔵庫に入ったチョコに」
える「なるほど、確かに冷蔵庫の方は見ていませんでした」
える「やはり、母が仕舞っていたんですね……」
ま、千反田の気になる事がこれで解けたなら、めでたしと言った所だろう。
里志「じゃあ、気を取り直して……って言うのもあれだけど、忘年会の続きをしようか」
里志の言葉を受け、千反田と伊原は再び席に付き、何やら話を始めている。
……随分と切り替えが早い奴らだな。
俺はと言うと、楽しそうにしている里志達に気付かれない様、そっと部屋を出た。
いつもの……と言うのも変か、俺の家じゃあるまいし。
縁側に座り、かなり冷たくなった風を浴びていた。
俺は一つの事を考えていた。
今日の問題みたいに、簡単に解決できない物かと。
変わらずにあいつと接していると言っても、やはり妙な距離感は感じてしまう。
千反田はどうか分からないが……
一度、里志にでも相談してみようか。
意外と頼りになるしな、あいつは。
伊原も頼りにはなるが……里志の方が、まあ気楽に言えると言う物だ。
後数日すれば、今年も終わる。
卒業式はいつだったか、3月だっけか。
って事は、後2ヶ月程度か?
それまでに答えは出せるのか、俺に。
……にしても寒い、流石は12月か。
北海道の方が寒かったが、こっちもこっちで寒い物は寒い。
何か暖かい飲み物でも持ってくれば良かったか……
そんな事を考えていた時、ふと後ろに気配を感じる。
姿を見ずとも、なんとなく誰かは分かった。
奉太郎「千反田か」
える「凄いですね、後ろに目でもあるのでしょうか」
奉太郎「どうだろうな、気になるか?」
える「ええ、少し」
笑いながら、千反田は俺の隣に腰を掛ける。
奉太郎「なんとなくな、分かっただけさ」
える「そうでしたか、本当に目があるのかと思いました」
俺の事を化け物とでも思っているのだろうか。
奉太郎「それで、何か用事だったか?」
俺がそう聞くと、千反田は手に持っていたコップを一つ俺に手渡す。
それは暖かい紅茶だった。
奉太郎「凄いな、テレパシーでもあるのか」
える「え? どういう事でしょうか……」
奉太郎「いや、何でもない」
二人並んで座り、紅茶を飲む。
……やはり俺の淹れたお茶より、こっちの方が数倍美味い気がする。
える「あの、一つ良いでしょうか」
奉太郎「ん、どうした」
える「先程のチョコの件なんですが、分からない事がまだあるんです」
奉太郎「……ああ、何となく察しは付く」
奉太郎「何故、千反田の母親はそれが千反田が聞いたチョコだと分からなかったのか、だな」
える「ええ、そうです」
える「いくら私が箱を指していたと言っても、おかしくは無いでしょうか」
える「もし、私が逆の立場だったら」
える「お皿に乗っていたチョコを思い出して、これの事か聞いていたと思うんです」
奉太郎「確かに、その通りだ」
える「それなのに、何故母は言わなかったのでしょう」
奉太郎「……真実が分かるのは千反田の母親だけだが」
奉太郎「もしかしたら、何か言わない理由があったのかもしれない」
える「言わない理由……ですか」
奉太郎「俺はお前の母親の性格とかは知らないし、考えも分からないが……」
奉太郎「何かの目的が、あったんじゃないか?」
奉太郎「それを言わない事でどうなるか、考えれば……お前になら分かるかもな」
える「それを言わない事で、何が起こるか……ですか」
える「……」
千反田は集中して考えいてる様子だった。 何もそこまで集中しなくていいだろうに。
千反田が考えている間、俺は紅茶を啜る。
3分くらい経っただろうか、千反田の口から言葉が漏れた。
える「……もしかしたら」
える「母が言わない事で起きた事、分かったかもしれません」
奉太郎「ほう」
奉太郎「それで、起きた事とは?」
える「今日の事です」
今日の事……と言われても、どれを指しているのか分からないでは無いか。
奉太郎「えっと、今日のどの事だ」
える「全部ですよ」
える「折木さんが推理した事、全てです」
奉太郎「俺がした事?」
奉太郎「すまん、良く意味が分からないんだが……」
える「あ、すみません」
える「実はですね」
える「良く、母とお話しているんです」
える「折木さんの事を」
千反田は恥ずかしそうに、そう言った
第32話
おわり
1月のとある日、俺は里志を家に呼び出した。
理由が無く呼び出した訳では無い、俺はそういう奴では無いから。
里志「ホータローの部屋に入ったのは随分久しぶりな気がするね」
奉太郎「そうだったか?」
里志「前に来たのは、確かホータローが風邪を引いた時だったかなぁ」
ああ、去年の話か。
奉太郎「そんな事もあったな」
奉太郎「あの時は随分な扱いをしてくれて、ありがとう」
里志「はは……悪いとは思ってるよ」
里志は少しだけ顔を引き攣らせながら笑い、壁を背に座る。
里志「それより、今日は思い出話の為に呼んだのかい?」
奉太郎「そうだと言ったらどうするんだ」
里志「別に? ホータローにもそういう感情があるんだな、と関心するかな」
奉太郎「そうか、なら関心はされないな」
里志「はは、そうかい」
里志「それなら、本題は何かな」
恐らく分かっているだろうに、こいつも性格が悪い。
奉太郎「の前に、何か飲むか?」
里志「お、気が効くね」
里志「なら、お茶でも貰おうかな」
奉太郎「ああ、ちょっと待ってろ」
俺はそう言い、部屋を後にする。
台所でお茶を淹れ、考える。
今日、里志を呼んだのは……千反田の事で相談したかったからだ。
だが、それだけでは解決できないのかも、と言った想いもある。
俺は……誰かに話したかったのかもしれない。
そんな事を考えている間に、お茶を淹れ終わった。
カップを二つ持ち、自分の部屋へと戻る。
奉太郎「待たせたな」
里志「ホータローが自ら動いて淹れてくれたお茶なんて、一生に一回飲めるか飲
めないかじゃないか」
里志「いくらでも待つよ」
奉太郎「さいで」
里志に片方のコップを手渡し、俺はベッドに腰を掛けた。
奉太郎「それで、本題だが……」
奉太郎「里志も大体の見当は付いているだろ」
里志「……ま、付いていないと言えば本当の事では無いね」
奉太郎「なら話は早いな、千反田の事だ」
里志「僕が提案できる事なんて大した事では無いけど、いいかな」
奉太郎「構わんさ」
俺の言葉を聞き、里志は天井を見ながら口を開いた。
里志「まず、さ」
里志「ホータロー自身は、どうしたいの?」
奉太郎「俺自身か」
奉太郎「そりゃ……別れたくは無い」
奉太郎「俺が考える最善は」
奉太郎「千反田の気が……千反田と言うか、千反田の両親のだが」
奉太郎「進学する大学を神山市内にする事にした……それと」
奉太郎「俺が付いて行く、千反田に」
里志「……そうかい」
そう言う里志の顔からは、いつもの笑いは消えている様に見えた。
里志「まず、前者だけどね」
里志「遅すぎるってのが、正直な感想かな」
奉太郎「そりゃ……そうだろう」
里志がそう言うのも無理は無い、この時期に進学する大学を変える等……無理な話だ。
里志「後者だけどね、それはホータロー自身は望まないんじゃないかなって思うよ」
里志「勿論、千反田さん自身もね」
奉太郎「……ああ」
千反田は最初こそ、自分を連れて遠くに行こうと提案していた。
しかしあれは、駄目だ。
千反田は恐らく、もう決心は付いている。
俺がもし、千反田に付いて行く等言ったら……あいつはどんな顔をするのだろうか。
それが少し、怖かった。
奉太郎「どっちにしろ、遅すぎるって事か」
里志「……だね、ホータローの出した案だとそう言う事になるよ」
奉太郎「……もし」
奉太郎「もし、里志が逆の立場だったら……どうすると思う?」
里志「それはつまり、僕がホータローの立場だったらって事かな」
奉太郎「そうだ」
里志「うーん」
口ではそう言っていた物の、里志はあまり考えている様には見えなかった。
里志「無難に別れるって選択肢を選んだら、後が怖そうだね……」
奉太郎「おい、別に相手を伊原で考えろとは言ってないぞ」
里志「はは、冗談だよ」
里志「逆の立場だったら、か」
里志「……質問に質問で返して悪いんだけどさ、ホータローはこのままだとどうなると思う?」
奉太郎「このままだと? そんなの、決まっているだろ」
奉太郎「……別れるしか」
里志「やっぱり、そう思ってるのか」
俺の言葉を途中で切り、里志は口を開く。
里志「何でそうなるのかな?」
奉太郎「何でって、誰が考えてもそうなるだろ」
里志「はは、それは違うよ」
里志「僕だったらね、伝えるよ」
奉太郎「伝える……って言うのは?」
里志「想いをね、ちゃんと伝える」
奉太郎「それは……迷惑だろうが」
里志「何でそうなるのかな?」
奉太郎「千反田はもう、決心が付いているんだ」
奉太郎「なのに、それを揺らがせる事を言ってどうする?」
里志「……はは」
里志「ホータローはさ、おかしいと思わなかったの?」
奉太郎「……何がだ」
里志「今日の事さ」
今日の事……?
里志「君はこう思っているんだよね」
里志「千反田さんに自分の気持ちを伝えるのは、千反田さんの決意を折る行為だと」
奉太郎「……そうだ」
里志「でも、君は僕に相談した」
里志「どうすればいいのか、とね」
里志「はは、おかしいと思わない?」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「俺が言っている事は、そういう事か」
里志「そうさ、矛盾しているんだよ」
……言われるまで、全く気付かなかった。
里志「矛盾が起きたのは仕方ないよ、ホータローは他人に優しすぎる」
里志「去年と同じ事を言うけど、気持ちは伝えた方が良いと思う」
本当に……奇しくも、去年と同じ様になっていた。
俺は、あの時から成長していないのだろうか。
奉太郎「そう、か」
だがそれだけで、良いのだろうか。
千反田に気持ちを伝えるだけで、解決するのだろうか。
何かある筈だ。 何か。
俺は何度も考えた、悩んだ。
今の俺では、どうする事も出来ないと。
……なら、そうなのではないだろうか?
つまり、そう言う事だ。
ああ、何だ……そんな事だったのか。
奉太郎「……はは」
里志「びっくりさせないでくれよ、いきなり笑うなんて」
奉太郎「すまんすまん、ただ……ちょっとな」
里志「ま、いいさ」
里志はゆっくりと立ち上がり、俺に向けて口を開いた。
里志「それで、答えは出たかな」
奉太郎「まだ、はっきりとは分からない」
奉太郎「だが、後2ヶ月はあるし」
奉太郎「千反田と別れる日までには、出しておく」
奉太郎「……最悪の結果になっても後悔はしたくないしな」
里志「大丈夫だよ、心配いらない」
里志「最悪の結果って言うのは、何も起こらない事だろうしね」
里志「少なくとも、この状況なら……だけど」
そう言った里志の顔には、いつも通りの笑顔が出ていた。
奉太郎「もうこんな時間か」
ふと時計に目が行き、時間を確認した。
既に針は夕食時を指している。
里志「本当だ」
里志「思いの他、話し込んでいたみたいだね」
奉太郎「だな」
奉太郎「ああ、そうだ」
里志「ん?」
奉太郎「今日、姉貴が家に居るんだが……飯、食って行くか?」
里志「お! 久しぶりのお姉さんのご飯か、頂いてもいいかな?」
奉太郎「構わん、姉貴に伝えてくる」
俺は扉に手を掛け、開いた。
そのまま廊下に出て、閉め掛けた所で一度その手を止める。
奉太郎「……里志、最後に一ついいか」
里志「うん? まだ何かあったのかい」
奉太郎「俺は、去年から成長しているのだろうか」
それを聞くと、里志は一瞬きょとんとした顔をした後、すぐにいつも通りの顔に戻る。
里志「今更? そんなの分かりきってるじゃないか」
里志「ほら」
そう言いながら、里志は指さす。
俺はその先に、視線を移した。
そこには、先ほど俺と里志が飲んでいた紅茶のカップが二つ、並んでいた。
里志の言いたい事を理解し、俺は苦笑いしながらリビングに居る姉貴の元へと向かって行った。
第33話
おわり
奉太郎「何だ、珍しく早いな」
里志「そりゃ、最後くらいは一番乗りしたいからさ」
奉太郎「普段からそれをしていれば、どんだけ楽だったか」
里志「今更だよ、それは」
奉太郎「さいで」
まだ少し寒さが残る中、いつもの場所で里志と落ち合う。
いつも、とは言った物の毎日って訳では無いが。
摩耶花「ふくちゃんと折木が先に居るなんて、今日は雪でも降るのかしら」
奉太郎「どっちかと言うと、里志だけに言って欲しい台詞だな」
里志「はは、次からはちゃんと来るからさ。 勘弁してよ」
奉太郎「次、か」
奉太郎「その次って奴は、いつになるんだろうな」
摩耶花「そっか、今日でもう」
える「遅くなりました!」
伊原が最後まで言い終わらない内に、千反田の声が聞こえた。
える「おはようございます、皆さん」
里志「おはよう、千反田さん」
摩耶花「おはよ」
奉太郎「おはよう」
里志と会う場所に、全員が揃う。
それもまあ、最後くらいは全員で行こうと言う里志の提案なのだが。
奉太郎「で、遅れたと言ってもまだ5分前だぞ」
摩耶花「ちーちゃんは折木とは違うのよ、時間を大切にする人だから」
奉太郎「ほう、つまり俺は時間を大切にしていないって事か」
摩耶花「そりゃそうよ、休みの日なんて家でゴロゴロしているだけでしょ」
ごもっとも、何も言い返せない。
里志「まあさ、これで皆揃ったね」
える「あ、福部さんも来ていたんですね」
里志「ち、千反田さん。 冗談だよね?」
千反田も随分と里志の扱いに慣れた様だ、見ていて面白い。
奉太郎「じゃあ、そろそろ行くか」
える「はい、そうですね」
摩耶花「桜も咲いてるし、良い日かな?」
里志「そうだね、卒業式の日だし上出来じゃないかな」
そう、今日は神山高校の卒業式だ。
~古典部~
里志「暇だねぇ」
一度教室に行った後は、時間まで自由行動となっていた。
それも多分、最後に友達と話したり思い出に浸る時間を与える為だろう。
教室には、仲間と話す奴や先生と話す奴。
いつも通りに本を読んでいる奴やトランプで遊んでいる奴も居た。
俺は半ば強制的に、この古典部まで連れてこられたのだが。
奉太郎「ただ待つだけだろ、それに目的も無く俺を呼ぶな」
摩耶花「そういえば、卒業生のスピーチってふくちゃんだったよね? 練習とか大丈夫なの?」
……確か、そんな話も聞いた様な気がする。
里志「うーん、最後に笑いを取りたいんだけど……中々良い案が出ないんだよね」
奉太郎「壇上から降ろされる姿が目に浮かぶな」
摩耶花「あはは、それ分かるかも」
える「ですが、去年のスピーチは良かったと思いますよ」
里志「やっぱり普通にやるのが良いのかなぁ」
むしろ、普通以外の選択肢は無いだろう。
奉太郎「それはそうと、去年のスピーチで思い出したが」
奉太郎「誰だったか、卒業生のスピーチの中で大声を出した奴が居たな」
里志「はは、居た居た」
える「や、やめてくださいよ! 思い出すと恥ずかしいです……」
摩耶花「二人共やめなって、ちーちゃんが可哀想だよ……あはは」
奉太郎「そう言うお前も笑ってるじゃないか」
摩耶花「だって、思い出したら可笑しくて……」
える「皆さん酷いですよ、もう……」
笑い疲れたのだろうか、そこで一度会話が途切れた。
摩耶花「……今日で最後だね」
奉太郎「卒業だからな」
里志「楽しかったよ、三年間」
える「……最後じゃありません」
える「また、いつか皆さんで会うんです!」
える「だから、最後ではありません!」
摩耶花「ちーちゃん……」
里志「そうだね、うん」
里志「また会えるさ、きっと」
奉太郎「……まあ、そうだな」
奉太郎「それより、そろそろ行かないと遅れるぞ」
そう言いながら、俺は時計を指さす。
える「もうそんな時間ですか、あっという間ですね」
俺はそのまま、廊下へと繋がる扉に手を掛ける。
摩耶花「にしても、ほんっと折木はいつも通りね」
里志「はは、ホータローが卒業を悲しむなんて、あんま想像できないよ」
全く、失礼な奴らだ。
俺にだって卒業が悲しいと言う気持ちくらいはある。
ただ、あまり考えたく無いだけだ。
進学する大学すら、見事に全員ばらばらと来ている。
もしかすると本当に、こいつら全員と会えるのは今日が最後かもしれない。
……いかんいかん、あまり考えないで置こう。
それより今は、卒業式に集中しなければ。
いつの間にか前を歩く三人を見ながら、俺はそう結論を出した。
思えば。
思えば本当にあっと言う間の三年間だった。
最初は部活に入る気なんて無かった。
姉貴のせいで古典部へと入る事となり、そこで千反田と出会ったんだ。
俺が入部した理由はただ、姉貴に言われただけ。
千反田が入部した理由は、あいつの叔父の件……氷菓の事だ。
里志も入部して、気付けば伊原も入部していた。
そんなあいつらと活動している内に、少しずつ楽しくなってきたのかも知れない。
いや、古典部らしい活動はほとんどしてなかった気がするが……
それでも、千反田が「気になる事」を持ってきて、里志が補足して、伊原が頭を悩ませる。
最初こそ乗り気では無かったが、次第に俺も考える様になっていった。
誰に頼まれるでも無く、最初に自分から考えようとしたのはいつだっけか。
……確か、二年のマラソン大会の時。
あの時、俺は何故自分から考えたのか。
多分、千反田の事を信じていたからだろう。
あれから余計に、千反田の事を意識していたのだ。
そして気付けば、好きになっていた。
ずっと一緒に居たかった。
あいつは俺に無い物を沢山持っていた。
そんなあいつを見ているだけで、俺は幸せだった。
……千反田のパーソナルスペースの狭さには未だ慣れないが。
慣れないとは言った物の、不快に感じている訳では無い。
ただ、少し照れ臭いって感じだろう。
しかし、それも今日で……
里志「ホータロー?」
奉太郎「ん、どうした」
里志「どうしたって、そう聞きたいのはこっちだよ」
里志「卒業式が終わってから、ずっとそんな調子じゃないか」
奉太郎「ああ、まあそうだな」
奉太郎「すまんな、それで何か用か?」
里志「うん、千反田さんが探してたみたいだよ」
奉太郎「……そうか」
里志「いつまでもこうして学校に居られる訳じゃ無いし、会ってきたら?」
奉太郎「いや……もう少し、部室にいる」
里志「そうかい、なら僕はお手洗いにでも行こうかな」
奉太郎「ああ」
頬杖を付きながら返事をする。
数十秒後、気配で里志が部屋から出て行ったのが分かった。
何分だろうか、しばらくそのままの姿勢で窓の外を眺めていた。
里志が出て行ったときの時計と今現在の時計によると、三十分は経ったかもしれない。
三十分? ここからトイレまでは十五分あれば十分往復出来る筈だ。
なら、何でまだ戻って来ないのだろうか。
そう思ったとき、丁度扉が開く。
来た奴の顔を見て、里志が戻ってこなかった理由がすぐに分かった。
える「探しましたよ、折木さん」
奉太郎「別に隠れていた訳でも無いがな」
奉太郎「俺に何か用だったか?」
える「酷いですよ、最後くらい挨拶させてください」
最後……か。
さっきは最後じゃないとか言っておきながら、結局は自分もそう言ってるでは無いか。
多分、千反田自身がそう思いたくなかったから出てきた言葉なのだろう。
わざわざそれに、突っ込むことはしなかった。
奉太郎「そうだったな……場所、変えるか」
える「ええ、そうですね」
える「では、また屋上でもどうでしょうか」
俺は千反田の案に、黙って頷いた。
~屋上~
屋上に出ると、流石にまだ冷たい風が体を刺す。
手すりがある所まで歩き、下を眺めた。
既に帰り始めている生徒がちらほら居て、校門の左右に並んでいる桜がそれを見送る。
そんな卒業式の日にぴったしな光景が、目に入ってくる。
える「どうでしたか、古典部は」
奉太郎「ま、終わってみれば楽しかったな」
える「ふふ、そうですか」
奉太郎「そう言う千反田はどうだったんだ?」
える「私ですか」
える「私は、本当に良い人達と出会えました」
える「三年間、楽しかったですよ」
奉太郎「はは、だろうな」
える「ふふ」
千反田が楽しく無かったと言ったら、どんな顔をすればいいのか分かったもんじゃない。
だから、俺の予想通り楽しいと言った時には自然と俺も笑っていた。
える「あの、折木さん」
奉太郎「ん?」
える「あの約束は、守れそうでしょうか?」
奉太郎「前に言っていた奴か」
える「はい、そうです」
奉太郎「そうだな、なんとか大丈夫そうだ」
える「そうですか」
奉太郎「千反田の方はどうなんだ」
える「私、ですか」
える「今の所はですね、大丈夫です」
奉太郎「……そうか」
える「ですが、あまり一緒に居ると約束を破る事になりそうです」
奉太郎「なら、そうだな」
奉太郎「……今日の所は帰ったらどうだ」
素直に言えない自分が、少し嫌になる。
今日の所は、なんてよく言えた物だ。
千反田は、今日帰ったらすぐに神山市を出ると言っていた。
それを見送っても良かったが、多分大勢の人が来るのだろう……詳細は知らないが。
その大勢の中の一人になるのは、あまり気が進まなかった。
える「……そうですね」
千反田も、その言葉を否定する事はしなかったが。
える「それでは、ここが私達のお別れの場所ですね」
千反田は優しく笑い、そう言った。
奉太郎「……俺は、もう少しだけここに居る」
える「分かりました」
える「さようなら、折木さん」
奉太郎「……」
屋上から、千反田が出て行った。
本当に、何とも呆気ない終わり方であった。
俺は不思議と、落ち着いて居たと思う。
何度か頬を風が叩く。
日は傾き始め、後1時間もすれば暗くなっているだろう。
俺達生徒達は、最終下校時刻までは残っていいとの事を伝えられていた。
なので、いつも見る放課後より残っている人数は多かった様に見える。
俺は少しだけ、視線を下に移す。
友達と話している生徒、学校内を歩いて思い出に浸る生徒。
そんな中に一人、見知った姿を見つけた。
……千反田えるだ。
あいつは屋上に居る俺の方を向くことは無く、ゆっくりと校門に向かって歩いていた。
心無しか、いつもより歩く速度は遅いように見える。
丁度半分くらい歩いた時、俺は思わず苦笑いをしてしまう。
知っていたのだ、この光景を俺は。
そう、一年と少し前、あの公園で見た光景だ。
あの時は、まるで桜道を歩いている姿の様に見えた。
そして今。
校門までの道を彩る桜の間を、千反田は歩いていた。
それを見て、俺はゆっくりと口を開く。
奉太郎「ありがとう、千反田」
その声は、恐らく……届いてはいなかった。
第34話
おわり
奉太郎「ええっと、明日は来れそうか? 無理なら家まで行くが」
里志「うーん、大丈夫かな。 何とか時間は作れそうだよ」
奉太郎「そうか、なら20時に公園で会おう」
そう言い、携帯を切る。
高校の時や大学の時には別に、無くても特に問題は無かったが……仕事を始めてからは俺も携帯を持つようにしていた。
気付けば、千反田と別れてからもう7年が経とうとしていた。
俺はそこまで変わっていないと思う。
里志も、伊原も。
あいつらは未だに付き合っているらしい、そろそろ結婚の話も出ているみたいだが……詳しい事はあまり知らない。
やはり、学生時代は呑気な物だったと今更ながら思う。
あの時も随分と時間を早く感じた物だが、仕事を始めてからそれを更に感じる様になっていた。
暑いと思えば寒くなっていて、新しい年が始まったと思えば一年が終わっている。
俺は未だに神山市に居て、里志や伊原も地元に残っていた。
あいつらとは未だに、月に1回くらいは顔を合わせている。
三人で飲みに行く時もあれば、本当に数分話しただけで別れる時もある。
社会人なんて、こんな物だろう。
明日もまた、仕事だ。
俺は疲れた体を横にし、ゆっくりと目を瞑った。
一日の仕事が終わり、帰路に付く。
家の近くまで来た時、スーツのポケットの中で携帯が揺れているのに気付いた。
ポケットから取り出し、携帯を見る。
ディスプレイには、見知った名前が表示されていた。
奉太郎「里志か? どうした」
里志「ああ、良かった。 やっと繋がった」
奉太郎「今帰っている所だ、それでどうした」
里志「そうかい、悪いんだけど」
里志「時間を勘違いしててさ、もう公園に着いちゃったんだよね」
高校時代はよく遅刻していたのに、社会人になってからは早く着くと来た物か。
これも、反動なのだろうか。
奉太郎「あー、分かった」
奉太郎「丁度家に着くところだし、鞄を置いたらそのまま行く」
里志「助かるよ、ついでに温かい飲み物とか」
言い終わらない内に電話を切る。
余計な注文を付けるな、全く。
奉太郎「くそ、着替える時間も無いな」
そう一人声を漏らし、俺はあの公園へと歩いて行った。
~公園~
奉太郎「よう、久しぶり」
里志「確かに、そう言われて見れば……顔を合わせるのは久しぶりかもね」
奉太郎「だな」
奉太郎「ほら、お礼を期待しておく」
俺はそう言い、途中で買っておいたコーヒーを里志に渡す。
里志「お! さすがだよホータロー」
里志「四月とは言っても、夜になるとまだ寒いから助かったよ」
奉太郎「早く来すぎなんだよ、お前は」
奉太郎「高校の時からそれだったら、伊原を怒らせる事も少なかっただろうな」
里志「はは、そう言われると参っちゃうね」
ベンチに腰を掛けている里志の横に、俺も同じ様に腰を掛けた。
奉太郎「それで、頼んでおいた物は?」
里志「ああ、ちゃんと持って来たよ」
里志「何で直接摩耶花に頼まないで、僕を経由するのかが分からないけどね」
奉太郎「あいつと直接話したら、何て言われるか分からんからな」
奉太郎「この年になっても怖い物は怖いんだよ」
里志「はは、それこそ直接は言えない事だ」
そう言い、里志は持っていた袋を俺に手渡す。
奉太郎「悪いな、伊原にも礼を言っておいてくれ」
里志「了解」
里志「あ、それでその袋なんだけど」
奉太郎「ん、使うのか?」
里志「ご名答、摩耶花が使えるから取っておいてってうるさくてさ」
奉太郎「あいつもすっかり年を取ったな……同棲ってのは大変そうで」
里志「あはは、間違いないや」
俺は袋の中にある物をポケットに仕舞い、袋を里志に返す。
里志「それじゃ、僕はそろそろ帰るよ」
奉太郎「ああ、わざわざすまんな」
里志「いいさ、それより最後にひと言いいかな」
奉太郎「ん?」
里志「期待しているよ、ホータロー」
里志はそう、高校時代俺によく言っていた言葉を使った。
奉太郎「さいで」
俺は素っ気無くそう返し、里志に片手を挙げる。
それを見た里志は、ゆっくりと公園から出て行った。
俺は一度ベンチを離れ、神山市を一望できる場所へと移る。
にしても、あいつのせいで随分と時間が余ってしまった。
全く、余計な事をしてくれる奴だ。
前より少しだけ暖かくなった夜風を浴びて、俺は心の中で愚痴を吐いた。
その時、ふと背後に気配を感じる。
ああ……これはあれか。
前言撤回と言う奴だろう。
奉太郎「早かったな」
俺は振り向かず、そう言った。
~7年前・卒業式の日~
屋上から、千反田の後姿を見ていた。
俺は気付き、千反田に小さな声で礼を言った。
ありがとうと、気付かせてくれてありがとうと。
もし、この光景を見ていなかったら俺は一生気付かなかったのかもしれない。
それを気付かせてくれたのは、やはりあいつだった。
あの日、一年前の冬の日。
俺は「さようなら」と言って離れて行く千反田に声を掛ける事が出来なかった。
何故、と言われると俺にも分からないが……恐らく、省エネの結果だろう。
我ながら、笑えてきてしまう。
だが、そんな省エネ主義を俺は最後まで捨てられなかった。
あの日も、そして今も。
あの時から違うとすれば、そうだ。
今、千反田に声を掛けずに後悔するのと、声を掛けてこの気持ちをどうにかする事と、どちらが結果的に省エネになるか……そう考えている事だろう。
俺が出した答えは、後者だ。
今ならまだ、間に合う。
幸い千反田はいつもよりゆっくりと歩いている。
なら、俺が急げばまだ……間に合う筈だ。
そこまで考え、俺は急いで屋上から降りる。
階段を駆け下り、廊下を走り抜ける。
途中で先生らが何か言っていたが、関係無いだろう。 今日でこの学校とはおさらばだ。
上履きのまま、昇降口を飛び出す。
千反田は……居た。
丁度、あの日と同じ距離だろうか。
あの時は届かなかった声、今は……
奉太郎「千反田!」
ゆっくりと歩いていた千反田の足が、止まった。
千反田が振り返るのも待たず、俺は続ける。
奉太郎「待っているから、お前が戻ってくるのを!」
奉太郎「何年でも! 何十年でも!」
奉太郎「だから、だから必ず戻って来い!」
ありったけの声を出して、そう千反田に俺は言った。
千反田は振り返り、先ほどよりも少しだけ足早に俺の方へと向かってくる。
顔は伏せられていて、表情は見えなかった。
俺のすぐ目の前まで戻ってきた千反田は、ゆっくりと口を開いた。
える「……ずるいです」
える「……折角、約束を守れそうでしたのに」
える「そんな事を言われてしまっては、守れないじゃないですか」
そう言うと、千反田は顔を上げた。
千反田は、今にも泣き出しそうな顔をしていて……
える「本当に、ずるいですよ」
そう言った。
奉太郎「……すまん」
奉太郎「だけど、どうしても伝えないと駄目だったんだ」
俺はまともに千反田の顔を見れず、視線を外したまま言う。
える「ふふ、ありがとうございます」
そこでようやく千反田の顔を見れて、あいつは……とても嬉しそうに、笑っていた。
俺はそれを見て、また口を開く。
奉太郎「なあ、千反田」
える「はい、何でしょう」
奉太郎「お前が向こうで頑張っている間、俺も沢山勉強する」
奉太郎「足りない物なんて、沢山ありすぎるしな」
える「はい」
奉太郎「それで、もう2年くらい前になるか」
奉太郎「俺が始めて、傘を持った時の事だ」
える「生き雛祭ですね」
奉太郎「ああ」
奉太郎「あれが終わった後、千反田は話してくれたよな」
える「ふふ、覚えていますよ」
奉太郎「一つは、商品価値の高い作物を作ることで、皆で豊かになる方法」
奉太郎「もう一つは、経営的戦略眼を持つことで生産を効率化し、 皆で貧しくならない方法」
奉太郎「だったな」
える「ええ、そうですね」
奉太郎「千反田は、後者を諦めて前者を選んだ」
える「はい」
奉太郎「その、後者の方だが」
奉太郎「……俺が修めるというのはどうだろう?」
ようやく、言えた。
たったこれだけの事を言うのに、一体何年掛かったのだろう。
える「あ、あの。 折木さん、それって」
奉太郎「千反田、俺と」
そう言おうとした時、千反田が声を出して制した。
える「ま、待ってください!」
える「あの、まだ心の準備が……」
奉太郎「あ、ああ」
える「……少しだけ、時間が掛かりそうなので」
える「また、次に会った時まで待っていただいてもいいですか?」
奉太郎「構わんさ、いくらでも待つ」
奉太郎「ついでだし、その時までにはもっと良い言葉を考えておく」
える「ふふ、楽しみにしていますね」
奉太郎「ならそうだな」
奉太郎「千反田は必ず戻ってくる、俺はその時までに良い言葉を考えておく」
える「では、それが私達の約束ですね」
奉太郎「ああ」
奉太郎「それより、時間は大丈夫なのか?」
える「まだ少しありますが、準備もあるのでそろそろ……ですね」
奉太郎「ああ、分かった」
奉太郎「気を付けてな、いつか絶対戻って来い」
える「はい! その約束は、必ず守りますね」
そう言うと、千反田は振り返り、校門に向かって歩いて行った。
少しだけ離れた所で俺は一つ思い出し、口を開く。
奉太郎「千反田!」
千反田はもう一度、振り返った。
奉太郎「またな!」
それを聞いた千反田は、一瞬だけ驚いた様な顔を見せて、次の表情は……
今までで一番、綺麗な笑顔だった。
~公園~
そして今日、千反田が神山市に戻ってくると聞いた。
俺達はこの7年間、やり取りはほとんど無かった。
多分、声を聞けば会いたくなるし、手紙を交わせば話したくなるからだろう。
それでもずっと、実際の距離は果てしなく遠いが……千反田との距離感は、感じなかった。
戻ってくると聞いたのが先月の事で、里志に頼んでおいた物はようやく今日準備が出来たと言った所である。
タイミングはまあ、悪くなかったが。
える「折木さんの方こそ、早いですね」
奉太郎「俺はまあ、少し前まで人と会っていたからな」
える「む、浮気ですか?」
奉太郎「……俺が里志と浮気しているとでも?」
える「それは……想像したくないですね」
奉太郎「だろうな」
える「福部さんでしたか、懐かしいですね」
奉太郎「7年ぶりだからな」
える「折木さんは随分と、変わりましたね」
奉太郎「そうか? 里志や伊原にはそんな事、言われないんだけどな」
える「ずっと一緒に居ると、変化には気付きにくいんですよ」
える「私からしたら、随分と変わられました」
奉太郎「ほう、どんな感じに?」
える「何と言うか、そうですね」
える「仕事に疲れたサラリーマン、と言った所でしょうか……」
奉太郎「悪かったな、スーツで」
える「ふふ、冗談ですよ」
奉太郎「さいで」
そこで一度会話が途切れた。
吹く風はどこか、心地良い。
奉太郎「……久しぶり」
える「お久しぶりです、折木さん」
奉太郎「約束は、守ってくれたみたいだな」
える「当たり前です、私にとっては何より大切な約束でしたから」
える「ずっと、会いたかったです」
奉太郎「俺もだよ、千反田」
優しく、千反田を抱き締めた。
える「これから、忙しくなりますよ」
奉太郎「分かってる」
える「私は、少し心配です」
奉太郎「大丈夫だ、ずっと勉強してきたしな」
える「ふふ、それは期待できますね」
奉太郎「あ、そうだ」
俺はそう言い、千反田から一度離れる。
える「どうかしましたか?」
奉太郎「千反田は約束を守ったからな、俺の番だ」
える「あ……はい、ちょっと待ってください」
える「すいません、少し緊張してしまって」
奉太郎「気にするな、待つのには慣れてきたからな」
える「む、それはちょっと酷いです」
える「なので、もう大丈夫です」
奉太郎「はは、そうか」
奉太郎「……千反田」
える「……はい」
俺はポケットに入れていた小さな箱を取り出しながら、その言葉を千反田に言った。
奉太郎「-----------」
その瞬間は確実に、人生で一番嬉しくて。
幸せで。
待ち遠しくて。
緊張して。
素晴らしくて。
暖かくて。
最高な瞬間だった。
第35話
おわり
える「古典部の日常」
完
※この後、少しだけ短編集があります。