【前編】の続き
7
――――――――――
かつて――という言い方をすれば、少しおかしな話になるけど――この世界には、鹿目まどかという少女が居た。
けどそれは、「僕」のことではない。
今まで物語の中心に居た、既に魔法少女であった鹿目まどかとは別の存在だ。
彼女が存在していた世界は既に改変されているので、僕と彼女の間に時間的な順序というものは存在しない。
しかし彼女のために僕が生まれたのだから、彼女の方がオリジナルであることは疑いもない。
僕、つまり『リボンを付けていない方のまどか』は――ただの偽物なのだ。
この偽まどかが存在している世界の、どこにその発端があるのか…… 僕にも明確な判断はつかない。
僕が初めてほむらと出会った時か、その死を看取った時か。
それとも、鹿目夫妻の間に、本来産まれるはずのない長女が誕生した時だろうか。
その全てが、重要な要素ではあるだろう。
でも、僕はあの瘴気の濃い、騒がしい夜に彼女と話した瞬間こそ――この話の始まりにふさわしいと思う。
その時初めて、僕は鹿目まどかという存在について知ったのだから。
…………………………
僕は元々、キュゥべえと呼ばれていた。
正確にはインキュベーター。 魔法少女の候補たちと契約し、その魂をソウルジェムに変換する者たちだ。
姿形は人間とはかけ離れているけれど、知的生命体であることは共通している。
しかしその知性においても、僕らと人間との間には大きな隔たりがあった。
人間ならば誰しも持っているであろう「感情」を、僕らは持ち得ないのだ。
だからこそ、僕らはこうして地球まで遠征し、感情の生み出すエネルギーを採取するために
魔法少女の契約を交わしているのだが……
しかしながら、僕らにも知的好奇心というものは存在する。
知らないことを知ろうとする、より多くの知識を蓄えようとする傾向。
喜んだり悲しんだりということが殆ど無い僕だって、気になることは知りたいと思うのだ。
そしてそれは、暁美ほむらという魔法少女が頻繁に口にする、ある言葉に対しても向けられた。
――まどか、って誰のことだい?
あの夜、ソウルジェムの浄化をしている彼女の背中に向かって、僕はこう問いかけた。
それ以前から、彼女がその名を口にするたびに気になっては居たのだ。
彼女の周りには同じ名前の人物は居なかったし、過去までさかのぼったとしてもそれは同じだった。
それなのに、彼女がその名前を呟いたのは一度や二度では無い。
全く架空の人物である可能性ももちろん考慮したけれど、鹿目タツヤという、
「まどか」と同じ姓を持つ少年がその名を知っていたことから、その線は薄いと判断せざるを得なかった。
存在しないはずの人物。 しかし名前だけは知られている。
この奇妙な現象に、僕は少しばかり好奇心を持った。
それ自体は、特におかしなことでも何でもない。 実際、興味のレベルは低い方だった。
でもその好奇心は、ちょうど暇そうにしていた彼女へ
ちょっと質問をするくらいの行動を僕に起こさせるには、十分なものだったのだ。
――私の友達よ
彼女は簡潔に、そう答えた。 僕は最初、彼女が嘘をついたのだと思った。
だから、そんな名前の人物は君の周りには存在しないよ、と指摘した。
すると彼女はため息をついて、鹿目まどかに関する、とても信じがたい物語を語って聞かせてくれたのだ。
…………………………
簡単に言えば、それはこの世界が改変されたものである、という話だった。
そしてその大いなる改変は、鹿目まどかという少女の契約によって行われたらしい。
改変される前後の世界では魔法少女のシステムに若干の違いがあり、
少女たちはそれに対して少なからず不満を抱いていた。
それが原因となって、まどかやほむら、その周りの魔法少女たちと僕らとの間に様々ないざこざが起きた結果、
類まれな素質を持ったまどかが、この世界の変革を願って契約をした。
その祈りは間違いなく世界を変え、今のこの世界が誕生した。
しかしその代償に、鹿目まどかは自らの存在を否定する形で消滅し、ただの概念となってしまった……
筋の通った話ではある。 でもそれが事実だと証明する方法は無い。
だから僕も、それを完全に信用したというわけではなかった。
けれど、あの時。
そのまどかという概念について知ってしまったあの瞬間から、僕は彼女と繋がりを持ってしまったのかもしれない。
この世に存在しないはずの者であっても、それを覚えている誰かが居れば、完全に消えたわけではない。
鹿目まどかは世界の改変の果てに消滅したはずだが、ほむらはその名を知っている。 形見のリボンさえ持っている。
だから、本当に消えさってしまったというわけでは無いのかもしれない。
ほむらの記憶を楔にして、世界という円環の外に、かろうじてまどかという存在を残しているのかもしれない。
そしてあの夜から、僕もその楔の一つとなった。
……だからこそ、僕は変わることができたのかもしれない。
…………………………
――これで、終わりみたいね
それは僕が暁美ほむらと出会ってから、数年後のことだった。
霧が立ち込める小さな泉の畔で、魔獣の群れと戦った時。
彼女は最後の魔獣を倒した後、そのまま倒れ伏してしまった。
そばに寄って声をかけると、彼女は消え入りそうな声で言った。
――もう、体が動かないのよ
彼女が何を言いたいのかはわかっていた。
僕はインキュベーターだから、魔法少女については誰よりも詳しい。
そしてこの何年か、ずっと彼女のそばに居たから……彼女のことも、一番よく知っていた。
彼女の体はとっくに、限界を迎えていたのだ。
駄目だよ。
口をついて出たのは、そんな言葉だったと思う。
まだ駄目だ、まだ……君は戦わなくちゃならない。
そう、契約したじゃないか。
自分でもあまりに非論理的すぎて、何を言っているのかよくわからなかった。
それでも言わなければならない気がした。 彼女を引き止めなければならない気がした。
――ごめんなさい……でも、もう許して
そう言いながら、彼女は笑っていた。 幸せそうに笑っていた。
まるで自慢話のように。
これから死ぬんだよ、羨ましいでしょう? とでも言うように、少し得意げな顔をして、それからにっこり笑うんだ。
何かをしなければ、と思った。 でももうどうしようもない。
グリーフシードはもう無いし、あったとしてもとても足りない。
他の魔法少女なら、魔法で彼女を癒すことも出来たかもしれないが……
その時、彼女はもう一人だった。
さやかも、マミも、杏子も……もうとっくの昔に死んでしまっていた。
――これで、やっとあの子に会える
彼女はそんな僕の頭を、優しく撫でてくれた。
でも、それからすぐに、動かなくなってしまった。
おかしな話だけど。
僕はその時初めて、自分の中で感情が目覚めていたことに気がついた。
…………………………
僕らと人間との間には、大きな隔たりがあった。
人間ならば誰しも持っているであろう「感情」を、僕らは持ち得ない。
しかし、例外はある。
そもそも僕らが全く感情を持たないのであれば、どうしてこのシステムを作り上げられるというのだろう?
僕らの中にも、極めて稀な精神疾患として――感情を持つものは居たのだ。
しかしなぜ、僕が……その疾患を抱えることになったのか、はっきりとはわからない。
前に言った通り、まどかという存在を知り、繋がりをもってしまったからなのか。
長い間一人の魔法少女のそばに居続けたために、その影響を受けていたからなのか。
それともこれこそが、契約によって起こされる紛い物では無い、本当の奇跡というものなのだろうか?
わからない。 わかった所で、何かが変わるというわけでもない。
もう何もかも、起こってしまった後なのだから。
彼女の死を看取った後、僕が何をしたのかは……もうわかるだろう?
僕は自分自身と契約し、その魂を小さな宝石へと変えた。
そして気がつくと、あの青い部屋に僕は居た。
正確に言えば、あの部屋にあった扉の向こうに入り込んでいた。
消えたはずの……鹿目まどかの腕に抱かれて。
…………………………
『あなたにとっては、はじめましてだね……キュゥべえ』
そこには、彼女と僕しか居なかった。
薄紅色のやさしい光で満ちていて、けれど、他には何も無い。
家具も、壁も、上下も、時間さえ無い。
ただそこには彼女が居て、その腕の中に僕が居た。
QB「君は?」
そう問いかけると、彼女はにっこりと笑った。
『ほむらちゃんから聞いてない?』
QB「……そうか、君がまどかなんだね」
長い髪に、白いドレス。 そして彼女のトレードマークである、2本のリボン。
ほむらの話していた通りの姿だ。
彼女こそ、世界を変えるほどの力を持った最大の魔法少女――鹿目まどかなのだ。
まどか『そうだよ……ふふ、なんだか懐かしいな』
QB「え?」
まどか『だって、キュゥべえと話すことなんて……もう無いと思ってたから』
QB「……ああ、そうだね」
QB「感情を持たない僕らには、契約なんて出来るはずもないからね……」
まどか『でも、あなたはここに来たよ』
まどか『ほむらちゃんと出会って、心を持って……ただのキュゥべえじゃなくなって』
まどか『……あなたは、何を望んだの?』
QB「僕は……」
頭の中に、彼女の顔が浮かんだ。 死の間際に浮かべた、最後の笑顔。
QB「……僕は、君をここから出すために来た」
自分自身との契約に、僕が願ったことはとても単純だった。
QB「僕はもう一度彼女の、暁美ほむらの笑顔が見たい」
でもそれは、僕には出来ない。
彼女にあんな顔をさせられるのは、きっとただ一人しか居ないのだろう。
まどか『…………』
QB「それには、君が居なくちゃだめなんだ……まどか」
QB「だから世界を再び作り変えて、彼女のそばに君が居る世界へ戻す」
QB「そのために、僕はここに来たんだ」
それさえ出来れば、僕はどうなっても構わない。 それ以上は何も望まない。
大切な人を失う悲しみも、その笑顔を見ることのできる喜びも、みんな――彼女から貰ったものなのだから。
彼女のために差し出せるならそれで良い。
でも、僕にはそれすら許されはしなかった。
まどか『……それは、無理だよ』
QB「どうして……!」
まどか『あなたはたくさんの少女と契約を結んできた。 だから、とても強い力を持っているの』
まどか『けど、それでもまだ……世界そのものを変えるには、力が足りないから』
QB「あ……」
埋めることの出来ない溝が、まどかと僕の間にはあった。
存在の壁を無理矢理超えて、彼女と出会うことまでは出来る。
しかし、そこから引きずり出すには……力が足りない。
僕には、はじめから不可能だったのだ。
まどか『……でも』
QB「え?」
まどか『わたしの、体だけなら……有ったことにできるかも』
気がつくと、僕は彼女の顔を真正面から見つめていた。
さっきまで僕を抱き上げていた彼女の手は、今は僕の手を掴んで――
――手?
まどか『わたしのリボンは、ほむらちゃんと一緒に残すことが出来た』
まどか『だから、わたしの魂は無理でも……』
まどか『物質としての体だけなら、あなたの力でもなんとか持っていけるかもしれない』
まどか「でも、魂は…… っ!!」
喉から出た声は、目の前の彼女と同じものだった。
声だけではない。 腕も、足も、顔も、何もかもが……鹿目まどかのものだった。
まどか『その体を、あなたにあげる』
背後で、扉が開く音がした。
そこに吸い込まれるような感覚と共に、僕とまどかの距離が開いていく。
まどか「時間、切れ……?」
まどか『あなたのソウルジェムは、わたしが預かっておくね』
まどか『わたしと強くつながることのできるあなたなら、ここからでも体を動かすのに問題は無いと思うから』
まどか「駄目だ、まどか……待って!」
まどか『大丈夫だよ、濁らないようにしておくもの』
まどか「違う、そうじゃない! 僕は、僕じゃ彼女を……!」
まどか『――大丈夫だよ』
まどか『ほむらちゃんの声があなたに届いて、あなたを変えたように』
まどか『あなたの声が、ほむらちゃんに届くのなら……きっと奇跡は起こせるから』
まどか『それでもいつか、これが必要になった時は……またここに来て』
まどか「…………」
扉に近づいていく僕に、まどかは小さく微笑みかけた。
その手の中には、透明なソウルジェムが握られている。
まどか「でも君は……それでも良いのかい?」
まどか「僕がまどかになってしまえば、君が戻ることは万が一にも無くなるよ」
まどか『……そうだなあ』
まどか『じゃあ、体をあげる代わりに……わたしと約束してくれる?』
まどか「約束……?」
まどか『そう。 契約ってほどじゃないけど、約束』
そして、扉を通り抜ける瞬間。
僕とまどかは、一つの約束をした。
まどか『……ほむらちゃんを、皆を、最後まで守ってあげて』
まどか「わかった……約束するよ、まどか」
…………………………
そして、世界は再び改変された。
といっても、鹿目まどかがやった時ほど大掛かりなものではなかった。
ただ、鹿目詢子と鹿目知久の間に……本来は産まれるはずのなかった命が、誕生したにすぎない。
しかしそのために、一部の記録や記憶は書き換わった。
その中でもっとも大きかったのは、僕自身の記憶だろう。
僕は真実を封印し、一人の人間として――鹿目まどかとして、この十数年間を生きてきた。
ほむらに必要なのはキュゥべえでは無くて、まどかに他ならない。
僕の記憶が蘇れば、それが台無しになる……だから、僕はそれを思い出すまいと必死だった。
けれど、思い出さなければならないこともあった。
それこそが、この『ワルプルギスの夜』なのだ。
…………………………
まどか「……ほむらちゃんは数年間の間、たった一人で戦ってきたの」
青く巨大な扉の前で、僕は自分の記憶の封を解きはじめた。
すぐそばにはさやかちゃんが居るが、さっきの口ぶりからして、彼女は全て知っているのだろう。
まどか「さやかちゃんも、マミさんも、杏子ちゃんも……とっくに消えてしまった後だった」
しかもその内、マミさんと杏子ちゃんが居なくなったのはほぼ同時だった。
さやかちゃんの死は、その願いの性質上どうしても避けられないものだったけれど……こちらはそうではない。
まどか「……ワルプルギスの夜」
そう、この時だ。
この日起こった大発生こそが――全ての分岐点となる。
まどか「この日、二人の仲間を同時に失ったほむらちゃんは……次第に病んでいった」
まどか「一人で戦うことの辛さ、寂しさ」
まどか「それを癒してくれる人は、周りに居なかったから」
さやか「……でも、まだ変えられるよ」
さやかちゃんは扉を指さして、僕の肩に触れた。
さやか「あの向こうに、あんたのソウルジェムがある。 ……あたしは無理だけど、あんたならこの扉を開けられる」
さやか「今から変身して戦えば、きっと結末を変えられるはずだよ」
その顔は真剣で……全て知っているはずなのに、まだ僕のことを考えてくれている。
そのことが嬉しかった。 それを嬉しいと思えることも、嬉しかった。
まどか「……もう、『夜』は始まっているの?」
さやか「ここと向こうとじゃ、時間の流れが違うけど……まだ始まってはいないみたい」
まどか「じゃあ、まだ間に合うんだね」
さやかちゃんが力強く頷く。
僕はそれに頷き返して、扉に手を添えた。
だけどそれを押す前に、ずっと聞きたかったことを聞こうと思った。
まどか「……ねえ、さやかちゃん」
さやか「ん、何?」
まどか「さやかちゃんは……契約して、そのために消えちゃったこと」
まどか「後悔、してない?」
彼女は一瞬驚いたような顔して、困ったような笑みを浮かべた。
さやか「ぜーんぜん! 後悔なんて、あるわけない……って、言えたら良いんだけどね」
さやか「……本当はさ、今でもちょっとだけ、悔しいなって思うことがあるんだ」
まどか「…………」
さやか「あたしが、治したのに……どうして、あいつの側にいるのがあたしじゃないんだろ、って」
まどか「……じゃあ」
さやか「でもね、まどか」
言いかけた言葉を遮るように、彼女は続ける。
その顔は泣きそうで、でも笑っていた。
さやか「あたしは、契約して良かったって思ってるよ」
さやか「誰かのために願って、裏切られて、悲しくって、後悔して……でもそれが当たり前なんだ」
さやか「だって、こんなに悔しいのは……私が、恭介を好きだからだもん」
まどか「さやかちゃん……」
さやか「……だから、契約して良かったと思う」
さやかちゃんは僕の後ろにまわって、その両手を肩に置いた。
一瞬振り返ろうと思ったけれど、すぐに思い直して前を向く。
さやか「まどか……あんたも、後悔することがあるかもしれない」
まどか「……うん」
さやか「こんなこと、願わなきゃ良かったって思うかもしれない」
まどか「うん」
さやか「でも、願うことも、希望を懐くことも、間違いじゃない……そう思える日がきっと来るから」
さやか「だから、最後まで諦めないで。 ……わかった?」
まどか「……うん!」
さやか「よし! じゃあ……行ってらっしゃい!」
まどか「わっ……!?」
勢い良く背中を押されて、すこしつまづきながら――
まどか『……いらっしゃい。 久しぶりだね』
僕は再び、ここへ来た。
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8
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やさしい光で満ちた、何もない空間。
前に来た時と変わらない光景の真ん中に、まどかは居た。
その手には、透明な宝石のはまったソウルジェムがのっている。
まどか『これが必要な時が、来たんだね』
まどか「……うん」
彼女は僕が頷くのを見ると、ソウルジェムを乗せた手のひらを差し出した。
それを受け取ろうとして伸ばした手を、不意に掴まれる。
ソウルジェムを挟むように握手したまま、彼女は静かに口を開いた。
まどか『まだ、覚えてる?』
まどか「え?」
まどか『……約束』
契約した時に、彼女と交わした約束。
それがあったからこそ、僕は今ここに居る。
まどか「……うん、覚えてるよ」
本当は全て忘れたはずだった。 僕じゃなくなるために。
ほむらちゃんに必要なのは、僕じゃなくて鹿目まどかだったから。
それでも、忘れることが出来なかったこと。
まどか「ほむらちゃんも、マミさんも、さやかちゃんも、杏子ちゃんも」
まどか「パパも、ママも、タツヤも、学校や街のみんなも」
まどか「僕の……ううん、わたしの、大切な人たちだから」
まどか「だから……この約束だけは忘れられない」
彼女と繋いだ手を、指を絡めてしっかり握り直す。
もう、引き離されないように。
まどか「わたしは戦うよ」
まどか「あなたとわたしの、大事なものを守るために」
まどか「だってわたしは、魔法少女……鹿目まどかだから!」
合わせた手のひらの隙間から、桃色の光が溢れ出る。
やがて光は形を変え、わたしたち二人を包み込む。
まどか「………!」
わたしが着ているパジャマも、彼女の白いドレスも、溶けるように消えて光の一部になる。
裸になった彼女の肩越しに、見たこともない形の文字が流れていくのが見えた。
まるで洗濯機の中に放り込まれたように、わたしも彼女もぐるぐる回る。
流れる文字と光の中でもつれ合いながら、彼女は楽しそうに笑う。
彼女につられて、わたしも笑っていた。
まどか『……ありがとう』
ぽんっ、と何かが弾けるような感覚と共に、彼女と繋いだ手が白いグローブに覆われる。
彼女と交差した足には赤い靴が現れ、
彼女に抱きしめられた体は、いつの間にか可愛らしいフリルのついた服を纏っていた。
最後に、額へ軽くキスをされてから――
まどか『みんなをよろしくね……もう一人の、わたし』
わたしは走りだした。
あの時、変えたいと思った未来じゃない―― もう一つの未来を、描くために。
…………………………
私は今までに二回ほど、死にかけたことがある。
もちろん魔法少女である以上、命の危険にさらされることは少なくない。
でも、本当に死んだと思ったのはこの二回だけだ。
一度目は契約した時。
家族とドライブ中に事故にあって、本当に死ぬ寸前だった。
でもその時に起こした奇跡で、私は魔法少女になった。
それは、もうそんな奇跡を使うことができなくなったということでもある。
二度目は、少し前の話。
病院に現れたとある魔獣と戦った時に…… 一瞬の気の緩みが原因で。
あの時は、暁美さんと仲間になった直後で浮かれていたのかもしれない。
その暁美さんが助けてくれたおかげで今の私があるのだから、あれはきっと、あるべき失敗だったのだと思うけれど。
でも私はあの時から、もう二度とこんな事態には陥らないと決めた。
戦場では、ほんの少しの油断もあってはならない。
たとえ敵の拘束に成功しても、背中を守ってくれる仲間が居たとしても。
……いえ、後ろに仲間が居るからこそ、気を抜くことはできない。
みんなを残して、死ぬことは許されない。
そう誓ったのだ。
それなのに。
もう二度と気を抜かないと決めたはずなのに。
恥ずかしい話だけれど、私は圧倒されてしまっていたのだ。
今までに見たこともないような数に。
数…… そう、数だ。
真の意味での量に、質はもはや関係ない。
自分がどれほど強くなっても。
絶対に気を抜くまいと、どれだけ集中しても。
そんなものは、もう関係ないのだ。
私は……私という存在は、結局たった一つで。
それが2つの力に勝ったとしても、3つの力には敵わない。
それだけの話だったのだろう。
ワルプルギスの夜。
それはまさに地獄絵図だった。
道路を、屋根を、地を、いや、空までも覆い尽くさんばかりの……大量の魔獣たち。
視界は全て灰色に塗りつぶされ、夜空の黒さえ見えはしない。
私は何もできなかった。
戦わなければならないのに。
その場に跪き、流れる涙を拭うことすらできなかった。
私は……圧倒されていたのだ。
一面灰色の世界を舞う、何百、何千もの――魔法少女たちに。
赤、青、黄、紫、ピンク、それに白。
色とりどりという表現がぴったりの、可愛らしい衣装を纏った少女たち。
しかも、様々な色をしているのは衣服だけでは無い。
肌が白いもの、黒いもの。 金色の髪、茶色の髪、真っ黒な髪。
あちこちで上がるかけ声だって、私と同じ言葉のものは少ないくらいだ。
その日本語でさえも、ときどき聞いたこともないような単語が混じっている。
これは、夢だろうか?
突然現れた魔法少女たちは、まるで古い映写機でうつされた映画のようにぼんやりと光り、
時折その姿が揺らいでいる。
あまりにも非現実的で、夢のような光景だ。
だけど……まだ私は目覚めているし、ちゃんと生きている。
だって、さっきまでの戦いで負った傷が、まだ痛むから。
「――――?」
しかしその傷も、たった今目の前に降り立った魔法少女によって跡形もなく消されてしまう。
彼女は何やら外国語で――たぶんイタリア語だと思う――何かを言っている。
「――――」
それに何も言い返せずに居ると、彼女は再び笑顔で声をかけ、戦場へと戻っていった。
……イタリア語は、正直全くわからない。
でも私には、彼女が何を言ったのかわかっていた。
――大丈夫?
――心配しないで、私が守ってあげる
衣服も、武器も、国も、言葉も、時代さえ違う。
けれど、その瞳に込められた思いは、その武器を構えた理由は同じなのだから。
ただ、この地獄から――人々を守ること。
仲間を守ること。
なぜなら私たちは……魔法少女なのだから。
「過去に消えていった魔法少女を、一時的にこの世界へ呼び戻す……」
「……これが、わたしの魔法なんです」
そして、振り返れば仲間がもう一人。
いつの間にか、私はその優しさに包まれていた。
「だからもう、大丈夫ですから……泣かないでください、マミさん」
…………………………
あたしの親父は牧師だった。
いわゆる神様に仕える職業って奴だ。
当然、親父は神様を信じていた。
あたしだって、昔は信じてたと思う。 いや、家族はみんな信じてた。
でも裏切られた。
だからみんな死んだ。
その時から、あたしは神様を信じるのをやめた。
神様は自分を信じる者を助けたりなんてしない。
親父は首を吊ったし、家族はみんな死んだし、あたしは今、この有様だ。
もう、魔獣がすぐそこまで来てる。
でも、瓦礫に挟まって身動きが取れない。 ……武器も砕かれちゃった。
新しい武器を作り出すほどの魔力も、もう残ってない。
マミとも、ほむらとも……もうずっと連絡がつかない。
もうすぐ、あたしもみんなの仲間入りをするだろう。
……でも、神頼みはしない。
神様は信じていないから。 神様は裏切るから。
裏切る? ……いや、違うな。
裏切ったのはあたしだ。
親父はあたしが絶望させて、家族はあたしが死なせて……あたしは自業自得なんだ。
みんな……みんなあたしのせいなんだろうか。
大事な家族も、かけがえの無い仲間も、一人ずつ消えていって。
最後に、あたしだけ取り残される。
それが、あたしに与えられた罰なんだろうか。 全部あたしが悪いんだろうか。
……だとしても、もうどうでも良い。 どうせ、それももうすぐ終わる。
誰かに置いて行かれるのは、もうたくさんだ。
このまま死んだとしても、ずるずる生き残るよりずっとマシかもしれない。
すぐ目の前に、魔獣の手が差し出されているのが見える。
だけどあたしは、何もせずに目を閉じた。
もう、みんなの所に行きたかったから。
「……この程度で、諦めちゃうわけ?」
でも。
それでもまだ、あたしは楽になれないんだ。
「もっと強いと思ってたんだけどな…… ま、仕方がないから一緒に戦ってあげるよ」
馬鹿で、偉そうで、おせっかいで、大切な……友達が。
「……一人ぼっちは、寂しいもんね?」
それを許してくれないんだ。
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9
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知らなかった、と言えば嘘になる。
改変される前の世界の記憶も、何度も繰り返した一ヶ月のことも、彼女からもらったリボンも……
私はみんな持っていた。
そしてそれが、この世界にまどかが居るということと矛盾しているのも、わかっていた。
だから、知らなかったと言えば嘘になる。
そのことに、気付いていなかったわけが無い。
今この世界に居る鹿目まどかが、私の知る彼女では無いということ。
そして、私は結局あの子を守れなかったのだということ。
気付いていなかったわけじゃない。
でも、出来れば考えたく無い可能性ではあった。
だから私は目を背けてきた。
彼女は最後に契約してしまったけれど、でもなぜか――例えば奇跡が起こって、消えてしまうことは無かった。
そう思い込んできた。
そんな都合のいい奇跡なんて無いことを、知っているはずなのに。
……ワルプルギスの夜。
私には随分縁の深い言葉だけど、それを彼女が知ることはあり得ない。
だからあの夜の出来事は矛盾であり、矛盾である故に私の認識を根底から揺るがした。
膨らんだ不安と疑念はすぐに無視できないものになり、私にはそれを否定する証拠がどうしても必要だった。
私はそれを、前の世界と今の世界の間で不変であるはずのもの――つまり私が彼女と出会うより前の記録に求めた。
そのために、役所や学校、彼女の家にさえも、久々の不法侵入を試みた。
そしてその結果、私はついにごまかすことができなくなった。
調査の中で明らかになったのは、彼女の過去が、私の知るものとは食い違っているという事実だけだった。
例えば彼女には、産まれてから今に至るまで、髪にリボンを付けていた時期が無いということ。
幼少の頃は感情に乏しく、両親から心配されていたこと。
中学に上がるまでは、あらゆる方面で非常に成績が良かったこと。
もちろんそれだけでは無い。 行事の時などに撮られた写真の内容。 作文の文体。 得意科目と苦手科目。
何もかも……私の知っている彼女とは異なっていた。
私にはそれが耐えられなかった。
どうしようもなく悲しかったし、悔しかった。
なぜあの子はまどかじゃないんだろう、とさえ思った。
彼女は私の前から消えさってしまった。 死ぬまで彼女に会うことはない。
それを理解しても、結局受け入れることはできなかった。
……それでも。
たとえ全て嘘だったとしても。 偽物だったとしても。
私は――
…………………………
バタフライ効果……だっただろうか。
内容はおぼろげにしか覚えてないけど、昔どこかでそんな言葉を見かけたことがある。
蝶の羽ばたきのように小さな風でも、いつか天候に大きな影響を与えるかもしれない。
それと同じように、ごくわずかな差であっても――例えば、一人の少女が存在するか否かといった程度のことでも、
過去を改変することは、未来に予想以上の違いをもたらすことがあるらしい。
前の世界でも、わたしはこの大災害――ワルプルギスの夜を経験した。
だから、魔法少女たちの配置や、そこからどう動くかについても当然知っている。
一時間ほど前、この世に戻ってきたわたしは、まずマミさんの戦っている場所へ向かった。
当時、もっとも発生数の多い地点を担当していたのがマミさんだったからだ。
あたり一面を覆い尽くすほどの魔獣に苦戦したマミさんは、その時キュゥべえだったわたしを通して、
すぐ近くで戦っているほむらちゃんに援護を求めた。
わたしはほむらちゃんの肩にくっついていたから、その後どれくらいマミさんが戦っていたのかはわからない。
だけどわたし達が到着した時には、既に抜け殻しか残っていなかった。
それからほむらちゃんは杏子ちゃんと合流して、残りの魔獣たちと戦った。
最終的には全ての魔獣を倒すことに成功したけれど、その戦果の大部分は、杏子ちゃんの自爆魔法によるものだった。
わたしはこの結果を覆すために、おおまかな計画を立てた。
わたしの固有魔法を使えば、全ての魔獣を駆逐すること自体は難しくない。
けど、端から順に倒している間に誰か一人でも死んでしまっては意味が無い。
そこで、まずもっとも危険なマミさんの救助に全力を注ぎ、その後近くにいるほむらちゃんを援護する。
その間、出現数の一番少ない場所で戦っている杏子ちゃんはさやかちゃんに任せておいて、
マミさんたちの安全を確保した後に杏子ちゃんと合流する。
この中で、マミさんを助け、杏子ちゃんの元にさやかちゃんを送り込むのには成功した。
しかし…… ほむらちゃんは、未だに見つけられていなかった。
…………………………
まどか「……えいっ!」
わたしは鍵のかかったドアを蹴破って、既に廃墟となっているビルの中に飛び込んだ。
間髪入れず、すぐ側に突っ立っていた魔獣にステッキを突き刺し、さらに引き抜きながら弓に変化させて矢を放つ。
それがもう一体の魔獣に刺さったのを確認してから、背後に迫った三体目の魔獣を蹴り飛ばして距離を取り、
再び矢を放って止めを刺す。
自分の体が借り物であることを意識してしまえば、それを意のままに操るのは難しいことでは無かった。
まどかのものとは違う、キュゥべえとしての冷徹さが効率のいい戦い方を教えてくれる。
あまり好ましくない過去でも、記憶を取り戻すのは悪いことばかりでは無かったようだ。
まどか「ほむらちゃん!! 聞こえたら返事をして!」
廃墟の暗闇に向かって、あらん限りの声で叫ぶ。
返事は無かった。 しかしこの先を捜索しないわけには行かない。
濃密な瘴気のせいでキュゥべえさえも魔法少女の位置を把握できない中、
彼女がどこに居るのかはまったくわからないのだ。
声を出せない状況にある可能性も、もちろん無視することはできない。
彼女が最後に向かったというこの一帯を、虱潰しに探して回るしか方法は無いのだ。
…………………………
魔獣の出現状況が、前の世界と異なっている。
さやかちゃんからの報告を受けて初めて、わたしはこの異変に気がついた。
マミさんの居た地域には大した差が無かったものの、杏子ちゃんの担当区域では明らかに魔獣の数が増えている。
そしてこの変化は、ほむらちゃんの行動にも影響を与えたらしい。
わたし達がほむらちゃんの居るべき場所にたどり着いた時、既に彼女の姿は無かった。
……バタフライ効果。
おそらくわたしの存在が、回りまわってこの変化を引き起こしたのだろう。
その結果、彼女の行方は完全にわからなくなってしまっていた。
…………………………
まどか「ほむらちゃん! げほっ、げほっ……ほむらちゃんっ!!」
人気のない通路に、わたしの声だけが虚しく反響する。
どこかで火事がおきているのか、通路には白煙が充満していた。
当然見通しは悪く、数メートル先も満足に見えない。
この白い壁の向こうに彼女が居るのかどうか、入ってみなければわからないだろう。
まどか「……でも、もう時間がない」
キュゥべえが最後にほむらちゃんの位置を確認した時から、既に一時間は経過している。
この一帯は魔獣の発生数が比較的少ないものの、一人だけで持ちこたえるにはギリギリの時間だ。
もしこの通路の中に彼女が居なければ、さらに時間をロスすることになる。
まどか「先に他の場所を……いや、でも」
まどか「……仕方ないか」
迷っている間にも時間は過ぎていく。
わたしは悩むのをやめて、とりあえず他の場所を回ることにした。
なるべく早く移動するため、渾身の力を込めて足を振り下ろ――
まどか「……うわっ!?」
――そうとした場所に、2つの光が浮かんでいる。
それが小動物の両目だということに気付くと同時に、わたしはバランスを崩して真後ろに倒れこんだ。
後頭部がアスファルトに直撃し、目の前が真っ白になる。
心のなかでまどかに謝りながら激痛に悶えていると、おなかの上に重みを感じた。
おそらくは先ほどの動物――続けて聞こえた唸り声から察するに、猫のようだ――が乗っているのだろう。
まどか「っ……?」
ゆっくりと目を開くと、真っ黒な猫がきょとんとした顔で覗き込んでいた。
こちらの気も知らずに悠然としている猫を見ていると、いつの間にか緊張が緩んでくる。
まどか「……そうだよね、焦ったって仕方ないか」
話しかけてみると、猫はそれに答えるように、小さく鳴き声をあげた。
その拍子に、何かが猫の口から転がり落ちる。
まどか「ん? これって……」
猫を下ろしながら拾い上げて見ると、それは小さな黒い立方体だった。
それは魔獣の残骸からのみ得られる、魔法少女の必需品。
ソウルジェムに溜まった穢れを取り除くために使われる、モザイクの欠片のようなもの――
まどか「……グリーフシード?」
毛色に同化していて気が付かなかったが、おそらく猫がくわえていたものだろう。
わたしの足元に落ちていたものを、餌かなにかだと思って拾いに来たのかもしれない。
慌てて周囲の地面を見渡すと、他にも煙に紛れて転がっているものが幾つかある。
魔獣の残骸から出来るものがあるということは、ここで魔獣が狩られたということに他ならない。
だけど、わたしはまだこの場所で魔獣を倒しては居ない。
固有魔法で呼び出した過去の魔法少女たちは、全員マミさんの居るあたりで戦っているはずだ。
まどか「ってことは……ほむらちゃんが?」
それ以外に考えられない。
そしてもしそうならば、彼女はこの通路の先に居ることになる。
まどか「……っ!!」
わたしは今度こそ地面を蹴り、白い壁の中へ飛び込んでいった。
…………………………
――夢を見ていたような気がする。
見渡す限り真っ白な空間に、私は横たわっていた。
半分閉じた視界の真ん中には、消えてしまったはずの彼女が見える。
彼女はぽろぽろと涙を流しながら、膝にのせた私の顔をのぞき込んでいた。
とうとう終わりが来たのだろうか。
私はこの戦いで命を落とし、彼女の元へ行くのだろうか。
そんな可能性を振り払うように――彼女は私を強く抱き締めた。
「良かった…… 今度は、間に合ったんだね」
彼女の胸から直接伝わってくる鼓動が、私を現実に引き戻す。
私は魔獣との戦いの最中、少し気を失ってしまっていたらしい。
まだ体のあちこちが痛むけれど、命にかかわるような傷は無いようだ。
だから今目の前に居る彼女は、この世界の――もう一人のまどかなのだろう。
「……ねえ、ほむらちゃん」
「わたしね、未来から来たんだよ」
彼女は私の耳に口を寄せて、小さな声で話し始めた。
表情は見えないけれど、泣いているのだけはわかる。
「あなたと出会って、たくさんのことを教えてもらって、色んなあなたを見てきた」
「だけど最後まで、わたしは何も伝えられなくて……何の助けにもなれなくて」
「だからもう一度あなたと会うために、ここに来たの」
「わたしは……あなたの知ってるまどかじゃないんだよ」
震える声で語られるのは、私の知らない事実。
でもそれは、私がよく知っている感情でもある。
「ごめんね……わけ分かんないよね……失望するよね」
「ほむらちゃんにとってのわたしは、大切な人の偽物でしか無いんだもんね」
「でも、わたしにとってのあなたは……」
言葉を切り、彼女は一層強く私を抱きしめた。
私はそれに込められた思いを知っている。
知っているけれど、それを受け取る側になったことはない。
激しい感情に、少し戸惑う。
それでも、不思議と拒絶する気は起こらなかった。
「……わたしは、ずっと自分のことを忘れてた」
「ほむらちゃんも、マミさんたちも、みんな戦っているのに……思い出したくなかった」
「……怖かったんだ。 あなたに、嫌われるのが」
「でも、もう戦わなくちゃ」
腕に込められた力が緩み、彼女の体が私から離れていく。
燃えるような深紅の光が宿る目に、既に涙は浮かんでいなかった。
「……あなたを守る」
「それが、わたしが自分自身と交わす最後の契約だから」
「わたしはどう思われても構わない。 ほむらちゃんが生きていてくれればそれで良い」
「それでもどうか――お願いだから」
「あなたをわたしに守らせて」
彼女は落ちていた弓を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった。
白い闇の中に、2つの紅い瞳が揺らめく。
わたしはそれを見つめたまま、ふらつく足に力を込めて立ち上がり――
――左手に握っていた弓を、彼女の方へ向けた。
…………………………
ほむら「――それには及ばないわ」
ほむらちゃんの冷静な声が、狭い通路に響き渡る。
その意味を理解する前に、紫色の閃光が顔のすぐ脇を通り抜けていった。
まどか「……っ!」
振り向きながら矢をつがえ、そのまま撃つ。
後ろから近づいていた魔獣は、狙いをつける必要すら無いほど近くに居た。
胸に2本目の矢を受け、魔獣の体が大きくのけぞる。
駄目押しに足元を蹴り払うと、そのまま地面に倒れこんでしまった。
追撃をかけるまでも無く、モザイクの欠片が空中に散り始める。
ほむら「……あなたと出会って、どれくらいになるかしら?」
まどか「えっ?」
いきなり背後から質問を浴びせかけられ、あわてて振り返る。
ほむらちゃんは弓を構えながら、通路の奥に目を配っていた。
まどか「えっと……三ヶ月、くらいかな」
その背中に答えを返しつつ、自分も反対側の通路に視線を戻す。
ほむら「そう…… もう、そんなに前のことなのね」
まどか「……それほど長くは、無いよ」
ほむら「そうかもしれないわね…… でも私にとっては、一ヶ月でも十分長いわ」
彼女と背中合わせになりながら、言葉を交わした。
顔は見えないけれど、表情はなんとなく想像がつく。
ほむら「……私は覚えてる。 あなたと会った時のこと」
まどか「彼女のときとは……違ってた?」
ほむら「ええ、色々ね。 やっぱり、あなたはその髪型が一番似合ってるわよ」
まどか「…………」
ほむら「……まるで昨日のことみたいね」
まどか「……そうだね」
ほむら「でも、全部覚えてる。 あなたと、みんなと過ごした時間……」
ほむら「……たとえあなたが嘘をついていたとしても、この三ヶ月間が嘘になるわけじゃない」
ほむら「あなたがまどかじゃなくても……私の友達であることに変わりはないわ」
思わず振り返ると、彼女もこちらを向いていた。
その背中には、いつのまにか大きな翼が広がっている。
空間の裂け目のようなそれに、周囲の白煙が吸い込まれては消えていく。
ほむら「だから、私は戦い続ける」
ほむら「あの子が守りたいと思ったからじゃない。 私が、守りたいと思うから」
ほむら「あなたや……大切な仲間たちが居る、この世界を」
煙が晴れ、クリアになった闇の中で、わたしは彼女と向き合った。
その肩越しに見える敵の群れも、今は目に入らない。
ただ彼女だけを見て、彼女の言葉だけに聞き入っていた。
まどか「ほむらちゃん……」
ほむら「だからあなたに、守られるだけでいるつもりは無いわ」
ほむら「でも……もし、良かったら」
ほむら「……一緒に、戦ってくれる?」
そう言って、彼女はにっこりと笑った。
いつか、わたしが願ったこと。 魂と引換えに望んだもの。
わたしの心が、生まれた理由。
まどか「……うん!」
力強く頷いて、わたしは彼女に背を向けた。
もう少し見ていたかったけれど、そうもいかない。
せっかちな魔獣たちは通路にひしめき合い、既に灰色の壁となって押し寄せてきている。
まだ……夜は明けていなかった。
それでも。
それでも、負ける気がしない。
もう、挫けるなんてあり得ない。
だって――
まどか「行くよっ! ほむらちゃん!」
ほむら「ええ! ……まどか!」
――今はもう、君が居るから。
――――終わり
234 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/12/20 23:40:24.45 owJF4dbao 190/218ここで一応、話としては終わりです 最後まで読んでくれてありがとうございました
でもこのあと、ちょっとしたおまけがあるので それが終わってからhtml化依頼を出します
気付いてくれた人も居るかもしれないけど、これ一応OP再現SSなんで……
そのおまけが無いとちょっと抜けがあることになるというか 長々とすみませんね
エピローグ
――――――――――
雲ひとつ無い、真昼間の晴天。
その中を、ピンク色の風船が横切っていく。
さやか「綺麗だなあ……」
こうして青空を見上げていると、思わずそんな言葉が口に出る。
……女子中学生が言うような台詞じゃ無いな。
それでも、綺麗なことに変わりはないけど。
頬を撫でる風に混じった、瑞々しい草の匂いも。
足元の方から微かに聞こえる、川の流れる音も。
何もかもが心地いい。
今までは気が付かなかったけど、この世は本当に綺麗だ。
さやか「さて……そろそろ行かなきゃかな?」
いつまでもこうして居たいけど、流石にそれはまずいかもしれないし。
このままほっとけば、北海道辺りまでなら余裕で飛んで行きそうだ。
足を振り上げて勢い良く立ち上がると、体中から草が落ちてきた。
マントだけは軽く払って、後はそのままにしておく。
多分、風で飛ばされていくだろう。
きゃー。 たーすーけーてー。
……上のほうから、なにやら間の抜けた叫び声が聞こえてくる。
むしろ、それ以外は何も聞こえない。
休日の昼間だっていうのに、川原の土手には他に誰も居なかった。
さやか「いっちにっ、さんしっ……と」
軽く準備体操をしてから、ブーツのつま先で地面を小突く。
用意ができたらクラウチングスタートの姿勢をとって、頭の中でカウント開始。
3。
2。
1。
さやか「……せーのっ!」
おもいっきり地面を蹴って、川に向かって走りだす。
そのまま少し助走してから、あたしは大きくジャンプした。
魔法で強化された足が、あたしの体を数メートルも跳ね上げる。
普通の人間ならまず味わうことがないような浮遊感を、しばし楽しむ。
だけどあたしは魔法少女。 この程度では終わらない。
加速が止まり、体が落ち始めるその前に。
あたしは膝を折り曲げて、もう一度振り下ろした。
その瞬間、足元に青い魔法陣が現れる。
構わず足を振りぬくと、壁を蹴るような感触と共に、再び体が加速した。
――これぞ秘技、多段ジャンプ!
さやか「……おっ! 追いついた!」
そのまま空中を飛び跳ねて行くと、さっきの風船が見えてきた。
いや、あれは風船ではない。
……服がパンパンに膨らんで、ロケットのように吹き飛んではいるけれど。
元はれっきとした魔法少女なのだ。
さやか「まどかー! 待っててね、今助けてあげるから!」
空中で一回転し、その勢いでマントから剣を引き抜く。
まどかがぎょっとした顔でこちらを見る。
さーやーかーちゃーん。 やーめーてー。
……許してまどか。 もうこれ以外に方法は無いの。
あたしは魔法陣を蹴って加速しながら、思い切って剣を突き出した。
その切っ先が、まどかの服に刺さった瞬間。
さやか「……うわっ!?」
穴から吹き出した空気が、あたしとまどかの両方を吹き飛ばした。
……あれ? おかしいな。
もっとおだやかに、ぷしゅー、って萎むと思ってたんだけどな……
…………………………
道具に頼らず、一人だけで空を飛べる人間はそうそう居ないだろう。
でも、空も飛べないような魔法少女は滅多に居ないと思う。
魔法少女と一口に言っても、その魔法や武器は色々だ。
だから魔法少女はあれが出来る、これが出来ると一概に言うことはできない。
それでも、空中でジャンプしたり、翼をはやしたり、何かを飛ばして、その上に乗ってみたり。
空をとぶための色々な方法を、何一つ使うことができない魔法少女というのは……流石に珍しい。
そして、鹿目まどかはそのうちの貴重な一人だった。
空を飛ぶだけじゃない。 簡単な治療、探索、その他もろもろの基本的な魔法。
そのすべてが、まどかの苦手分野なのだ。
箒で空を飛ぼうとすれば、スピードを制御できず電柱に衝突し。
風船のように浮こうと思えば、さっきのアレと化し。
雲のような物を出して上に乗ろうとすれば、間違って蜘蛛の大群を出し。
召喚の固有魔法を生かそうとすれば、何故か犬が出るわ謎のクリーチャーが出るわ……
どうやら、あの固有魔法は魔法少女以外に使うと安定しないらしい。
あ、でもカラスを出した時はちょっと飛べてたかも。 すぐ落っこちたけど。
マミ「なんて言うのかしら……考え方がちょっと硬いのよね」
マミ「あまり理屈っぽくて男性的な思考は、魔法を使うのには適さないのよ」
とはマミさんの言葉。
仲間内ではもっとも多彩な魔法を扱えるマミさんでさえ、匙を投げるほどの不器用っぷり。
戦闘にかけては誰も敵わないくらい強いけれど、それ以外はからっきし。
それが魔法少女としての、まどかだった。
…………………………
まどか「もう……刺すなんて酷いよさやかちゃん……」
まどかが突っ込んでいった廃工場は、衝撃で滅茶苦茶になっていた。
床と天井には穴が空き、その周りは八割方が瓦礫になっている。
……その下から聞こえてくるにしては、随分緊張感の無い声だけど。
さやか「あはは……ごめんごめん」
まどか「まあ、どの道落っこちるしかなかったけどね……そっちは、怪我とか無い?」
さやか「あたしは、魔法陣踏みながらちょっとずつ降りたから……」
まどか「……そう」
まどかの声に、少し悲しそうな響きが混じる。 あれ、傷つけちゃったかな。
どうやら、まどか自身はこの不器用さを結構気にしているみたいだ。
便利な固有魔法を使えるんだから、そんなに気にしなくても良いのに。
というか、瓦礫の下に埋まってる人から体の心配をされるとは思わなかった……
さやか「ええっと……これ、どかそうか?」
まどか「ううん、大丈夫。 ちょっと離れててね」
言われた通りに離れると、瓦礫がいくつか転がり落ちてきた。
出来上がった隙間から、まどかがするりと這い出てくる。
元々体と魂が別物だからか、こうして上手く体を扱うことだけは得意らしい。
さやか「ていうかそっちこそ怪我は……って、あんた凄いことになってるね」
まどか「え? ……うわっ」
土煙の中から現れたまどかの服は、元の形からは想像もつかないほど露出度が上がっていた。
スカートは半分以上が千切れて無くなり、お腹の部分に開いた――というかあたしが開けた――穴からは、ちらりとお臍が覗いている。
ストッキングを履いていたはずの足には糸くずのようなものが引っかかってるだけで、靴も片方なくなっていた。
しかし一番ショッキングなのは……そんな壊滅的な破れ方をした服の下にある、
まどかの肌の方には傷一つ付いていないということだ。
さやか「……何をどうすれば、そんな状態になれるわけ?」
まどか「ぶつかる瞬間に体を捻って、衝撃を逃したりとか……」
さやか「それでなんとかなるもんなの!?」
まどか「えへへ……大事な体だもん、粗末に扱えないよ」
さやか「いやそういう問題じゃないんだけど……まあいいか」
さやか「っていうか、そこまで出来るんだったら魔法くらい使えなくても良いじゃん」
まどか「……そう、かなあ」
さやか「なんでそんなに気にしてるわけ?」
まどか「べ、別に……」
まどかは困ったように目をそらして、そのまま黙りこんでしまった。
もっと上手く話を逸らせばいいものを……妙に素直で単純なところは、いつまでたっても変わらない。
……そういえば、前にもこんな風にはぐらかされたことがあったっけ。
この前の特訓の……正体不明のクリーチャーを出してマミさんに怒られた時だったかな。
杏子には早々に見捨てられ、マミさんにも匙を投げられ。
じゃあなんでほむらを呼ばないのかって聞いたら――
――なるほど。
さやか「ふふん、やっぱりそうなんだあ……」
まどか「え? ……何が?」
さやか「いや、前は自分のこと僕って呼んでたしさ、口調も少年っぽい感じだったし」
さやか「やっぱりあんたって、中身は男の子だったんだねー、ってさ」
まどか「!?……なんでそうなるの!?」
さやか「え? だって……あれでしょ? 好きな娘の前ではカッコつけたい、っていう……」
一瞬ぽかんとした顔になって、すぐにみるみる赤くなる。
本当にわかりやすい子だ。
まどか「ちっ……ち、違うよ! そういうのじゃないからっ!!」
さやか「はいはい応援してるよ」
まどか「だから! わたしはただ……」
さやか「あ、それより一回変身解いたほうが良いんじゃない? 風邪引くよ?」
まどか「……もうっ!」
まどかはソウルジェムに手を当てて、何やらつぶやきながら目を閉じた。
白い光と赤い光が交じり合い、ピンク色になってまどかの全身を包む。
さやか「……あれ? 解かないの?」
まどか「こ、これくらい……魔法で直せるよっ!」
どうやらムキになっているらしい。 可愛い奴だ。
もちろん、ただでさえ不器用なまどかが、気が散った状態でそんな魔法を使えるわけがないけど。
……光が消えた後には、なぜかちょっとエロい下着姿のまどかが立っていた。
まどかの悲痛な泣き声が、がらんとした廃墟に虚しく響いた。
…………………………
さやか「……って感じかなー」
青い壁紙が貼られた、小さな部屋。
そのまん中に添えつけられた真っ白なソファに座って、あたしは今日の出来事をまどかに……
……円環の理と呼ばれている方のまどかに、なるべく詳しく話していた。
まどか『……そっか』
さやか「やっぱり、男っぽい所があるから魔法が上手く使えないのかな?」
まどかの方はソファに座らず、ふわふわと浮いている。
その姿はどこかの女神さまのように荘厳だけど、ころころ変わる表情はあっちのまどかと大差ない。
笑ったり、驚いたり……そして話が終わった今は、少し悲しそうに目を伏せていた。
まどか『それもあるんじゃないかな……でも一番大きな理由は、あの子の感情がまだ不完全だからだと思う』
さやか「不完全?」
まどか『そう。 ……元々、色々な偶然が重なって生まれただけの不安定な心だったから』
まどか『まだ、あの子は人間と全く同じ感情を持ってるわけじゃないの』
さやか「そう、なんだ……」
さやか「……茶化して、悪かったかな」
まどかは何も言わずに、曖昧な笑みを浮かべた。
……それにどんな意味があるのか、あたしにはわからない。
しばらくして、まどかが口を開く。
まどか『……そういえば、どうだったの? 上條くんのこと……』
さやか「ああ……やっぱりあたし達は、魔法少女以外には見えないみたい」
まどか『……そっか』
さやか「……世の中、そう上手くいかないね」
ソファの背もたれに寄りかかって、綺麗なスカイブルーの天井を見上げる。
ついさっきまで見ていた空にそっくりで、でもやっぱりどこか違う色。
照明も無いのになぜか明るい天井は、あの空ほど眩しくは無かった。
まどか『そうだね……不都合ばっかりで、なかなか上手くはいかないね』
でもね、と前置きしてから、まどかの靴が壁を蹴る。
ふわふわと部屋の中を漂って、天井を見ているあたしと目があった。
まどか『それでも……あの子は絶望しないよ、絶対に』
さやか「どういうこと?」
まどか『あの子はまだ色々な感情を持ってないけど……その中には絶望もあるの』
まどか『だから諦めるっていうことを理解できない。 どんな絶望的な状況でも、希望を捨てられない』
まどか『そんな彼女だからこそ、あの固有魔法を使っても平気で居られるの』
さやか「そう、か……悪いことばかりじゃ、ないんだ」
後ろのほうで、扉が開く音がした。
古い映写機が止まりかけているように、まどかの体が明滅する。
まどか『そう……融通のきかない世界だけど、それでも悪いことばかりじゃないよ』
まどか『……あの子のおかげで、こうやってさやかちゃんとも話せるようになったしね』
まどかの姿が消えるのと同時に、開いていた扉がばたんと閉じる。
再び静かになった青い部屋で、あたしはいつものように天井を見上げた。
ふと思い立って目をつぶってみると、まぶたの裏にさっきまで見ていた空が広がる。
さやか「……そうだね」
……どこからか、バイオリンの音が聞こえてくる。
もうそんな時間か……
あたしはこのまま、少しだけ眠ることにした。
――――――――終わり
269 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/12/24 22:52:29.78 X6DOBiSWo 218/218これで終わりです 最後まで見てくれてありがとうございました
ブラヴォー!