プロローグ
――――――――――
夢を見ていた。 最近よく見るようになった、奇妙な夢だ。
見渡す限り真っ白な空間に、一人の女の子が横たわっている。
わたしはその子のすぐ横に、寄り添うように伏せていた。
「――――――」
彼女は消え入りそうな声で何か言うけれど、何を言っているのかは聞き取れない。
「――――――」
でもその声で、わたしは彼女が、ほむらちゃんであることに気づく。
思えば最初からずっと、ほむらちゃんはわたしに顔を向けていたのに……
なぜかその時まで、わたしはそれに気が付かない。
元スレ
まどか「だってわたしは、魔法少女……鹿目まどかだから」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1355407558/
そして唐突に、わたしは知ってしまう。
もう、ほむらちゃんの命が永くないこと。 それなのに、わたしに出来ることは何もないこと。
でも、彼女はそれを…… 死んでしまうことを、どこか喜んでいること。
「――――――」
ほむらちゃんは幸せそうな笑顔で、わたしに何かを話しかける。
相変わらず何を言っているのかはわからないけど、でもそれが、自慢話のようなものであることはわかる。
これから死ぬんだよ、羨ましいでしょう? とでも言うように、少し得意げな顔をして、それからにっこり笑うから。
わたしはそれが悲しくて、悔しくて仕方がないのに、涙は一滴も出ない。
何かを言うことも出来ないし、顔を歪ませることすら出来ない。
ただ、ほむらちゃんの顔を見つめていることしかできない。
「――――――」
ほむらちゃんは、そんなわたしの頭を撫でてくれる。
だけどそれからすぐに、動かなくなってしまう。
わたしはそれを、ただずっと見つめている。
そんな夢だった。
――――――――――
1
――――――――――
例えば、幽霊が見える体質の人。 いわゆる霊感がある人。
まどか「…………」
まどか『……ねえ、キュゥべえ』
QB『6分28秒』
まどか『嘘…… もっと経ってるよね?』
QB『嘘じゃないよ』
まどか「…………」
そういう体質なのに、お化けに対して何も出来ない人。
お経も知らないし、御札も持ってないし、超能力も特にない。
もし幽霊に目をつけられたら、震えながらお寺に駆け込むしか出来ない。
ただ、見えるってだけの人。
まどか『ねえキュゥべえ…… あとどれくらいで来ると思う?』
QB『なんとも言えないね』
QB『最短距離で来れば、10分かからないと思うけど』
まどか『で、でもマミさんの家って、そんなに遠くないよね?』
QB『この時間は外で見回りをしてることが多いから、あまり関係ないよ』
まどか「…………」
QB『あ、ちなみにさっきの質問は3回目だね』
まどか「…………」
それが、今のわたしだった。
まどか『ねえ…… 外にいる魔獣ってさ』
まどか『わたしが不味そうだったら、見逃してくれたりしないのかな……?』
QB『前例はないね』
まどか「…………」
QB『ちなみにこの質問は4回目さ』
まどか「…………」
……どうしてこうなっちゃうんだろう。
…………………………
マミ「良い? 鹿目さん」
マミ「近ごろは妙に瘴気が濃いから、夜は一人で出歩いちゃダメよ?」
数日前、マミさんから言われたことが今になって身にしみる。
瘴気が濃い、というのがどういう状態なのかは想像がつかないけれど、
平たく言えば、最近「魔獣」の発生する確率が上がってきているらしい。
もちろん、そんな状況で外に出ようとは思わない。
でも、気がついたら家を抜けだしてしまっていたのだから仕方がない。
何かとてつもない悪夢を見て飛び起きたとこまでは覚えているけど、そこから先の記憶は無かった。
キュゥべえが危険を知らせる声にはっとして我に返ると、何故かパジャマのまま素足に靴を履いて、
深夜の誰もいない道をとぼとぼ歩いていた。
なぜそんな行動をとっていたのか、自分の身に何が起こっていたのか……
キュゥべえなら知っているかもしれないが、今はそれを確認している余裕も無い。
まどか『キュゥべえ…… まだ、外にいるの?』
QB『うん、すぐ近くに居るよ』
まどか「…………」
とっさに近くの公衆トイレへ飛び込んだは良いものの、逃した獲物を探しているのか、
あの「魔獣」がこの辺りから離れる様子は当分無いようだ。
立て付けが悪くてぴったり閉まらないドアの隙間から、慎重に外をうかがってみる。
まどか「……っ!」
一瞬声を上げそうになったのを、辛うじてこらえる。
キュゥべえの言うとおりすぐ近く、それも本当に目と鼻の先に、彼は居た。
それは一見すると、普通の人間のようにも見えた。
灰色のローブのようなものをまとった、男性の人影。
若いとも、お年寄りともつかない顔は文字通りモザイクがかかったようになっていて、
厳しく引き締められた口元だけが、街灯に照らされぼんやり浮かび上がっている。
ただ、人間にしてはあまりにも背が高い。 というより、全体的に大きい。
どう見ても2メートル以上はあるのっぽの怪物が、手を伸ばせば届きそうな場所に突っ立っている。
ゲームやお話の中では日常茶飯事でも、実際に遭遇してみると信じられないほど圧迫感があった。
魔法少女という名前には多少のあこがれがあったけれど、
こんなものと戦わなければならないなら、わたしにはどの道無理だったかもしれない。
まどか『……ね、ねえキュゥべえ』
たまらず目を逸らし、胸に抱いた白い猫のような動物に話しかける。
話すといっても、この状況じゃ声は出せない。 この不思議な生き物は、いわゆるテレパシーを使えるのだ。
本当なら、魔法少女の才能が無い人間にはテレパシーはおろか、姿を見ることすらできないのだけど、
何故かわたしはその例に当てはまらないらしい。
QB「…………」
まどか『えっと、ここに隠れてから何分くらいたったかな?』
QB「…………」
まどか『……? キュゥべえ?』
QB「…………」
……おかしい。 何の反応も無い。
別にこんなことを聞いたところで何か変わるわけではないけれど、
この状況で話し相手すら居なくなってしまったら、とても正気を保っていられない。
物音をなるべく立てないように気をつけながら、わたしはキュゥべえの体を揺さぶった。
まどか『キュゥべえ…… どうしたの? 返事してよ!』
QB『……ああ、ごめんねまどか』
まどか『! やだもう…… びっくりさせないで』
QB『向こうとの通信に集中したくてね、ちょっと距離がギリギリだったものだから』
まどか『向こう……?』
わたしがその言葉の意味を理解するよりも早く、止まっていた状況が動き出す。
もうすっかり聞き慣れた声が、テレパシーではなく、直接周囲に響き渡った。
マミ「――待たせたわね、鹿目さんっ!!」
…………………………
魔法少女は、「魔獣」を狩る力を持った人たちのことだ。
その身体能力は数倍にも高められ、さらには魔法によって傷を癒すことさえできる。
しかしそんな彼女たちも、流石に素手であの怪物に立ち向かうわけじゃない。
槍や弓矢など、それぞれが独自の武装をもって戦いに挑む。
ベテランの魔法少女であるマミさんは、銀色の単発銃を武器としている。
そしてやっぱり今晩も、駆けつけた彼女が手にとったのは銃だった。
まどか「マミさん!」
扉を押し開けて外を見ると、ちょうどさっきの魔獣の正面に、その半分ほどしかない小さな影が立っていた。
彼女はこちらを一瞥し、まるでスカートを払うような動作で右手を後ろに振り上げる。
その細い手が一瞬黄色い閃光に包まれたかと思うと、既にしっかりと魔法の武器が握られていた。
それは確かに銃器の類だったけれど、普段使っている細長いライフルとは似ても似つかない、奇妙な形状をしている。
持ち手が極端に長く、反対に銃身は短い。 銃というよりは、ハンマーのような形だ。
実際、マミさんはそれを鈍器として扱うつもりのようだった。
マミ「……えいっ!!」
ぼんやりと立ちつくしている魔獣に一瞬で詰め寄り、くるりと一回転しながら
その短く巨大な銃身の撃鉄側を渾身の力で叩きこむ。
もちろん、ただ殴っただけではない。
その銃身が敵に触れる寸前に、相手とぶつかるのとは反対側、つまり銃口から巨大な弾丸が放たれる。
そしてそのまま、銃とマミさんのすぐ近くで、それは容赦なく炸裂した。
魔法による爆発の衝撃波を受けて、それ自体が銃弾のように加速したハンマーが魔獣の体に叩きつけられる。
ひょろりとした長い体が、綺麗にくの字を描きながらまっすぐに吹き飛んでいった。
一瞬遅れて伝わってきた破裂音が、耳と体を打つ。
マミさん自身もその衝撃を受け止めきれなかったのか、しばらくその場で回転した後、半ば武器を投げ捨てるようにして
こちらへ駆け寄ってきた。
マミ「鹿目さん!」
まどか「あ……っと」
マミ「大丈夫? 怪我はない?」
まどか「は、はい…… ちょっと音にびっくりしただけです」
マミ「そう…… 間に合って良かったわ」
いくら自分で起こした爆発とはいえ、流石にさっきの行動は無茶だったのだろう。
マミさんの衣服は左側が少し焼け焦げ、グローブは破れて血が滴っていた。
遠距離から撃つことも出来たのに、あえてわたしから引き離すことを優先してくれた結果だ。
マミさんは一度左右に首を振ると、帽子の位置を直しながらわたしに向き直った。
マミ「良い? 鹿目さん、落ち着いてよく聞いてね」
まどか「はい……?」
マミ「本当なら、あなたのそばを離れたくはないんだけど……」
マミ「……今日出現した魔獣は、一体じゃないみたいなの」
まどか「え? でも……」
わたしが見たのは一体だけだった、と言いきる前に、マミさんは先程の魔獣が飛んでいった方を指さした。
マミ「あっちの方に、多分……さっきのも合わせて10くらいは居るわね」
まどか「……!」
マミ「それも、こっちに向かってゆっくり移動しているわ」
マミ「おそらく、あの一体はただの斥候だと思う」
まどか「そしたら、マミさんは……!」
マミ「大丈夫、私ひとりでも十分倒せる量よ」
マミさんは小さく笑って、自分の胸を軽く叩いてみせた。
間に合ったことに安心したのか、さっきまでの焦りは一切ない。
それでもどこか、声には不安そうな響きが交じっているようだった。
マミ「……でも、あなたを守りながら戦うのはちょっと厳しいかもしれない」
マミ「だから私が向こうに行ったらすぐに、走ってここから離れなさい」
マミ「わかった?」
まどか「……はいっ!」
マミ「じゃあそろそろ行くわね……キュゥべえ! 後は頼んだわよ!」
キュゥべえからの返答を待たず、マミさんは暗闇に向かって駆けていった。
それとほぼ同時に、腕の中にあった感触がするりと抜け落ちる。
キュゥべえは音も立てずに着地すると、少し離れてから振り返った。
冷たい深紅色の両眼が、暗い道路の上でぼんやりと光る。
QB「ほら、僕らも行こうよまどか!」
わたしははっとして、慌ててキュゥべえの後を追いかけた。
…………………………
QB「――まどか! 次の角を右に曲がって!」
公衆トイレのあった公園からずっと走り通して、そろそろ足がもつれるようになったころ。
すぐとなりを涼しい顔で並走していたキュゥべえが、急に声を張り上げた。
まどか「えっ!? げほっ……で、でもまっすぐ行かないと、家に……」
わたし達がさっきの魔獣に出くわしたのは、家からそう遠くない細い道だった。
でも必死で逃げている内に、家から少し離れた公園までたどり着いてしまっていたらしい。
しかも、マミさんが飛び込んでいった暗がりは正にわたしが走って来た方向で、つまりは家への帰り道でもあった。
そこから離れようとして走れば、必然的に家からは遠のいてしまう。
だからわたし達は、マミさんが戦っている道路を大きく回りこむようにして家に向かっていた。
当然、走らなければならない距離は行きの倍以上にもなる。
ただでさえそんな回り道をしているのに、キュゥべえが曲がれと言った方向は、家とはまるで正反対だった。
QB「そろそろ疲れてきているだろうけど、仕方がないよ。 我慢してくれ」
まどか「そん……ぜえっ、そんな……はあっ、はあっ……」
QB「だってまどか…… 正面に見える、あの民家の屋根を見てみなよ」
まどか「へっ……?」
わたしはその曲がり角の辺りで、半ば立ち止まって息を整えながら、言われるままに前を向いた。
民家と言っても、あの辺りの建物はみんなそうだ。 ただ民家の屋根と言われても、どれを指すのかすぐにはわからない。
それでも、キュゥべえが何を言いたいのかは、はっきり理解できた。
今わたしが立っている場所の、少し奥の方にある家の屋根の上に、それは居た。
身の丈2メートル以上は優にある灰色の巨人が、体を折るようにして下の道を覗き込んでいる。
ここにきて新たに湧いてきた魔獣は、下を通る獲物を、わたしを待ち構えていた。
QB「だからまっすぐ進むのは無理だよまどか…… まどか? 聞いているのかい?」
走らなければならない。 すぐにここから離れなければならない。
わかっているのに、体が動かない。
走っている途中は気にならなかった汗が、顔を伝って垂れていくのが感じられた。
顎まで流れて来た末に、しずくとなってアスファルトへ落ちる。
その瞬間、モザイクがかかった魔獣の首が、ぐるりと回ってこちらを向いた。
気がつくと、わたしは無我夢中で走っていた。
隣を走るキュゥべえが鋭く叫ぶ。
QB「次の三叉路を左へ曲がって! また新手だ!」
今度は余計な口を挟まず、言われた通りに左へ進む。
後ろのほうで、何かが呻くような音が聞こえた。
振り向いて確認する勇気は無い。
前を向いたまま、ひたすら走り続ける。
既に、街の風景は見慣れないものになっていた。
魔獣たちを避けている内に、普段はあまり行かない方まで来てしまったようだ。
何時になったら家に帰れるのか、いよいよわからなくなってきた。
随分と長い外出になったけれど、家族にはもう気づかれてしまっているだろうか。
走りすぎて朦朧としてきた頭で、ぼんやりとそんなことを考える。
QB「――まどか! 気をつけて!」
キュゥべえの声が頭に響き、わたしははっとして顔を上げた。
目の前は一直線の細い道路だ。 横道も曲がり角も無い。
……その少し先に、いつのまにか灰色の巨大な影が立ちふさがっている。
慌てて振り返ると、追いかけてきた方の魔獣はもうすぐそこまで迫っていた。
すでに、見上げないと全体が見えないくらいの距離だ。
まどか「……あ」
思わず立ち止まった途端、足が唐突に動かなくなった。
まどか「え? わっ……」
糸が切れたように膝が折れ、その場で為す術もなく尻餅をつく。
……ろくに運動もしない体には、既に限界が来ていたようだ。
QB「まどか、立って! 触れられる前に逃げるんだ!」
まどか「……っ!」
無理だよ、と叫ぶ余裕すら無い。
酷使し続けた足はがくがく震え、まるで体から切り離されたように少しも動かせなかった。
後ろに突っ張った腕も、体を支えるのに精一杯で這うことさえできない。
唯一動く顔をあげ、眼の前に迫った敵を見上げる。
真正面から見ると、ドアの隙間から覗いたのよりも、その異常な大きさが目についた。
人間のような形をしてはいるが、決してそうではない。
屍肉みたいな肌の色や、表情を感じられない顔がどうしようもなくそれを示している。
しかしあくまで、その動作は人間のように……それはゆっくりと、衣服の隙間から長く痩せこけた腕をつきだした。
QB「――伏せてまどか!」
折り曲げた肘がアスファルトにぶつかり、小さな痛みが走る。
構わず腕に力を込めても、重い下半身が枷になって動けない。
仮に動けたとしても、うしろには既にもう一体の敵が待ち構えているのだろう。
もう逃げることはできない。
それなのに、魔獣はしばらくの間、寝転んだようになったわたしに手を差し伸べたまま突っ立っていた。
少し腰を曲げれば手の届く距離に居るにもかかわらず、その最後の一歩を踏み出そうとしない。
まるで何かに気を取られているかのように、口を少し開けたまま、ぼんやりと遠くの方を見つめている。
まどか「……あっ!」
汗が流れこんでぼやけた目を擦り、もう一度見上げた時、わたしは初めてそれに気がついた。
モザイクのようなもので覆われた頭の真ん中に、いつの間にか何かが突き刺さっている。
あまり長くない棒状のもので、その形は矢に近い。
それ自身がぼんやりと光っているにも関わらず、濃い紫色の矢は、背景の夜空にすっかり溶け込んでいた。
「――遅れてごめんなさい、まどか」
背後から、親友の声が聞こえたその瞬間。
それまでしぶとく立っていた魔獣は、無数の矢で剣山のようになりながら、音も立てずに倒れこんでしまった。
…………………………
QB「いやあ、ギリギリだったねほむら」
ほむら「……あなたが自分の足で駆けまわっていれば、もう少し早く来れたかもしれないわ」
魔獣の残骸はしばらくモザイクの塊のような状態で道路に横たわっていたが、
やがてモザイクの欠片が小さくなり、最後にはいくつかの小さな立方体が転がるのみになっていた。
彼女たちがグリーフシードを呼ぶそれを拾い集めながら、ほむらちゃんは肩に乗ったキュゥべえを睨みつけた。
QB「それは無茶というものだよ、僕にはまどかの道案内という仕事があったんだからね」
ほむら「わかってるわよ……少し言ってみただけ」
彼女はわたしのクラスメイトで、友人の一人で、魔法少女でもある。
ただ、そのことを知ってはいたものの、彼女の魔法少女としての姿を見るのはこれが初めてだった。
紫色のシンプルな服を着て、黒い弓を左手に握っている。
さっきまで広げていた奇妙な翼のようなものは、どこにどうたたみこんだのか、既に見えなくなっていた。
全体的に黒っぽく落ち着いた色合いの中で、長い黒髪をまとめたリボンだけが可愛らしく派手なピンク色をしている。
それは彼女がもっとも大事にしているリボンで、普段から常に身に着けているものだった。
まどか「……ほむらちゃん?」
ほむら「どうしたの? まだ痛むところがあるかしら?」
まどか「あ、ううん……さっき治してくれたので全部だよ」
まどか「あんまり怪我したわけでも無いし」
ほむら「……そう。 良かった」
まどか「……ねえ、ほむらちゃんはキュゥべえのことが嫌い?」
ほむら「別に……? 好きでもないけど」
まどか「……そっか」
QB「きゅっぷい?」
キュゥべえがきょとんとした顔でこちらを見る。
感情があまり無いというのを自覚するだけあって、魔法少女からの評価にも興味が無いらしい。
それよりも、と前置きして、キュゥべえは小さく首を傾げながら言った。
QB「まどか、君はどうしてこんな夜中に外出したんだい?」
まどか「えっ?」
QB「急に起きたと思ったらそのまま家を飛び出して、とりあえずついていったんだけど」
QB「途中話しかけても何も返事をしないし、ずっと疑問に思っていたんだ」
まどか「あ……それは」
ほむら「そうね……私にも聞かせて欲しいわ」
ほむら「最近瘴気が濃いということは、あなたにも連絡が行っていたと思うけど?」
まどか「……それが、よく覚えてなくて」
正直に白状すると、ほむらちゃんは少し呆れたような、困ったような目でわたしを見た。
それでも本当に覚えてないのだから仕方がない。
まどか「ほ、ほら……夜中に起きだしちゃう病気とかあるでしょ?」
QB「夢遊病のことかい? でも僕が見ていた限りでは、意識ははっきりしていたよ」
QB「僕の言葉には返事をしなかったけど、しゃべってもいた」
まどか「え? そんなの全然覚えてないよ……どんなことを言ってたの?」
QB「魔法少女達の名前を呟いていたかな……具体的に言うと、マミ、杏子、そして一番よく言っていたのはほむらだね」
ほむら「私……?」
QB「ああ、そういえばさやかの名前は言っていなかったね。 何か思いだせたかい?」
わたしは黙って首を横に振った。
キュゥべえの話の中で覚えているのは、夜中に飛び起きたということだけだった。
ほむらちゃんたちの名前を言った覚えも、外に出かけた覚えもない。
QB「それと、随分焦った様子で言っていた言葉が一つあるよ」
まどか「それも、誰かの名前?」
QB「いや、ただ一言――」
でも。
その次にキュゥべえが言ったことは――別にそれを覚えていたというわけではないけれど、それでも何か、
わたしにとっては重要なことだったらしい。
らしいというのは、それを聞いた途端、頭を殴られたような衝撃が走って……
わたしはそのまま、気を失ってしまったそうだ。
わたしは翌朝目が覚めてから、そのことをキュゥべえから聞いた。
そして何度も反芻してみたけれど、まだ、それが何なのかは思い出せてはいない。
QB「――ワルプルギスの夜、と」
――――――――――
2
――――――――――
マミ「……それで、頭の方はどう? まだ痛むかしら?」
魔獣に追い掛け回された、二日後の昼休み。
例のテレパシーを通じて、わたしは学校の屋上に呼び出されていた。
まどか「いえ、大丈夫です」
まどか「……起きた時には、もうどこも痛くなくって」
まどか「それから一回も、痛くなったりはしてません」
マミ「それは良かったわ…… きっと、暁美さんが治療してくれたのね」
マミさんは虚空から取り出したティーカップに紅茶を注ぎながら、どこか申し訳なさそうな表情をした。
自分ひとりで対処しきれず、後輩の手を借りたことを気にしているのかも知れない。
こちらとしては彼女も命の恩人には変わりないけれど、それを口にだすのは思いとどまった。
この生真面目な先輩は、そんなふうに慰めようとすればなおさら落ち込んでしまうだろう。
マミ「あなたから連絡が来た時、一応暁美さんと佐倉さんにも伝えておいたのよ」
マミ「最近、なぜか大量に発生することが多かったから…… もしかしたらって思って」
マミ「そしたら案の定、ってわけ」
まどか「……あれ、普通じゃないんですか?」
マミ「明らかな異常事態だったわ」
マミ「あんなにぽこぽこ出てくるなんて…… 私が今まで見た中でも最大規模よ」
マミ「全部退治するのに、昨日は朝までかかったんだから」
まどか「原因は……何か、あるんですか?」
マミ「今、佐倉さんに調べてもらってるところ」
まどか「そうですか……」
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
マミさんはこの妙な状況について何か考えこんでいるのか、真剣な顔をしてカップを睨んでいる。
その表情からは普段の柔らかさが消え去り、隠し切れない緊張が見て取れた。
恐ろしい何かが明確に近づいてきているのに、その正体がまるでわからない。
その恐怖と不安が、長い間戦ってきたはずの彼女をひどく焦らせているのだろう。
まどか「……あの、マミさん」
それでも、わたしはそれが落ち着くのを待ってはいられなかった。
どうしても聞きたいことがあったからだ。
マミ「何かしら?」
まどか「その…… 今日も、ほむらちゃんが……学校休んでるんですけど」
まどか「何か、聞いてませんか?」
マミ「……暁美さんなら、佐倉さんとは別に、何か調べることがあるとか言っていたような」
まどか「そう、ですか……」
まどか「……あの、なんとかして会えませんか?」
マミ「会えませんかって……携帯電話の番号とか、知らないの?」
まどか「出ないんです、昨日から……家も留守にしてるみたいで」
マミ「あら…… でも、暁美さんには珍しくないことだし、そんなに急がなくてもすぐ会えるでしょう?」
まどか「なるべく早く、聞きたいことがあるんです」
マミ「どんなこと?」
まどか「それは……」
――ワルプルギスの夜。
一昨日の晩――深夜だったので正確には昨日の早朝だが――わたしはその言葉を聞いて気を失った。
なんでもないような言葉なのに、なぜそこまでショックを受けたのか…… 今になっても、まだ何も思い出せない。
それでも、それがわたしにとって大切な言葉だということは変わらないし、自分でもそういう気がしていた。
だから、どうしてもそれが何なのかを思い出したい。
そしてその手がかりになりそうな人は、ほむらちゃんしか居なかった。
キュゥべえには色々聞いてみたけど、一昨日聴いた以上のことは知らないらしい。
わたしを家に送り届けた後、ずっと連絡が取れないのは何か知っているのかもしれないし、それに……
あの時わたしが一番多く口にしていた名前は、彼女だったそうだから。
マミ「……鹿目さん? どうかした?」
まどか「えっ? あっ……大したことじゃないんですけど」
マミ「そう……? あっ、そうだ」
マミさんが軽快に指を鳴らす音が、静かな昼休みの屋上に鳴り響く。
少しびっくりしてそちらを見ると、さっきまで持っていたティーカップがたちまち細かい光の粒になって、
跡形もなく消え失せてしまった。
マミ「そんなに会いたいなら、あなたも明日家に来たらどうかしら?」
マミ「佐倉さんが探してきた情報を、私の部屋に集まって発表することになってるの」
マミ「……たぶん、暁美さんも来ると思うわ」
まどか「! ……でも、いいんですか? わたし、魔法少女でも無いのに……」
マミ「あなたの場合は、ちょっと事情が特殊でしょう?」
マミさんはベンチから立ち上がると、小さく伸びをした。
休み時間の終わりを告げる鐘の音が、壁の向こうでぼんやりと鳴るのが聞こえる。
マミ「あなたは魔獣も、キュゥべえも見ることができる。 テレパシーも通じる」
マミ「ただ契約することだけができない…… でも彼らを感じられるということは、相手にとっても注意を引くものよ」
まどか「狙われやすい、ってことですか?」
マミ「ええ…… 一昨日のようなことがまた起きないとも限らないし」
マミ「もしそうなったら、私ひとりじゃ力不足かもしれないし…… やっぱり、あなた自身も、色々知っておくべきだと思うわ」
まどか「はい! ……ありがとうございます」
マミ「べ、別にお礼をされるようなことはしてないけど……?」
まどか「……あの時、助けてもらったお礼です。 まだ、言ってなかったから」
マミ「! ……ああ、そのこと?」
マミ「……ふふ、どういたしまして」
マミさんは少し困ったような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべて、こめかみのあたりを軽く叩いてみせた。
ふと同じところを触ってみると、さっきお辞儀をしたせいかヘアピンの位置がずれている。
……きっと今は、わたしも彼女と同じような顔をしているだろう。
慌ててヘアピンを直しながら、わたしはそんなことを考えた。
――――――――――
3
――――――――――
わたしには、魔法少女の知り合いが4人いる。
いや、居た、と言うべきだろうか。
というのも、その内一人は、もうこの世には居ないのだ。
彼女はわたしの親友で、かけがえのない存在だった。
彼女を失ってからもう結構経つけれど、未だにベッドに入るたび、彼女のことを思い出してしまう。
いや、むしろいつまでもこうして思い出していたいから、忘れたくないから、
わたしはこのヘアピンをつけているのだろう。
…………………………
彼女……美樹さやかが唐突に居なくなったのは、ほむらちゃんが転校してきてからすぐの事だったと思う。
その頃のわたしは彼女が契約していたことも、魔法少女の存在すらも知らなかった。
今思えば、その失踪の少し前に起きた奇跡――当時小さな記事となって新聞の片隅を飾ったりもした、
ある天才少年の劇的な復活が、そこに関係していたのは間違い無いだろう。
といって、彼女の幼馴染であった彼にその責任を求めるわけにはいかないし、
また当時のわたしがそれを知ったところで、何になるということもない。
ただわたしや、その他魔法少女というものに縁のない彼女の知り合いにとっては、
彼女が突然姿を消して、もう二度と帰ってこないという事実だけがあるのだった。
あの時のわたしの動揺と言ったら……一週間以上もふさぎ込んでいたように思う。
わたしにとって、友人の存在は想像していたより遥かに大きいものだった。
あの時ほむらちゃんが頻繁にわたしを訪ねてきてくれなかったら、慰めてくれなかったら……
もしかすると、今も立ち直れていなかったかもしれない。
しかし、彼女を失った悲しみや喪失感の裏には、常にもやもやとした疑念のようなものがあった。
彼女には家出をするような理由は無いし、状況もそれにはそぐわない。
何者かに誘拐されただとか、そういった事件に巻き込まれたにしても、何か違和感が拭えない。
友人や家族のおかげで回復していくにつれ、わたしの中でその疑問はだんだん大きく、無視できないものになっていった。
そしてついにわたしは家を飛び出して、彼女の失踪した場所にたどり着き――
そこで初めて、キュゥべえと出会った。
彼は何もかも知っていた。
魔法少女のことも、彼女が何を願い、何を為すために契約を交わしたのかも、その最期のことも……全てを話してくれた。
まもなくわたしは彼を通して、マミさんと、その仲間でさやかちゃんの友達でもあった杏子ちゃんと知り合った。
そして、ほむらちゃんも魔法少女だったことを、その時初めて知った。
彼女は全て知っていながら黙っていたことを謝って、わたしにさやかちゃんが残した唯一の遺品を差し出した。
わたしはそれを見てやっと、かけがえのない親友を一人、永遠に失ってしまったことを理解した。
その日わたしが泣き止むまで、ずっとほむらちゃんが抱きしめていてくれたことを、今でも鮮明に覚えている。
…………………………
こうして、それまで何もつけていなかったわたしの髪に、小さなヘアピンが加わることになった。
それから何度か、マミさんの部屋にお邪魔したり、魔法少女に関する話を聞いたりしたけれど、
わたしは契約ができないということもあって、直接魔獣と出会ったことは無かった。
それが今になっていきなり大量の魔獣に襲われたのは、何かが起こる前触れなのだろうか?
そして、その直後に現れた……ワルプルギスの夜、という言葉は何を示しているのだろう?
襲われてから3日後の日曜日。
わたしはその答えを知るために、マミさんのすむマンションへと向かっていた。
――――――――――
4
――――――――――
まどか「お邪魔しま……あっ」
マミさんの部屋に入った途端、いつもの紅茶の香りに混じって、甘い匂いが鼻を突いた。
遅れないようになるべく早く来たつもりだったが、主役は既に到着しているらしい。
急いで居間に通じるガラス戸を開けると、テーブルの向こう側に彼女は居た。
お菓子が大量に入ったコンビニ袋を周りに並べ、背中を丸めてうずくまっている。
どうやら、テーブルの上に座り込んだキュゥべえと何かを話し合っているようだ。
声をかけていいものか迷っていると、向こうの方から気づいて声をかけてきた。
杏子「……? お、まどかじゃん」
まどか「杏子ちゃん……ごめん、待たせちゃったかな?」
杏子「いや、今はほむら待ち。 ……ていうか、こんなに急いで来なくたってよかったのに」
QB「まだ最後の作業が終わってないしね」
杏子「うっせ」
杏子ちゃんがキュゥべえの耳を引っ張った拍子に、一枚の紙がテーブルから落ちた。
拾い上げてみると、どうやら見滝原の地図のようだ。
所々に赤いペンで点が書き込まれ、その右上に小さく日付が付け加えられている。
その中で、2日前の日付が書かれた点だけが大量に、しかも密集して打たれていた。
まどか「……あ、これわたしが魔獣に会ったところだ」
杏子「ん? ああ、それはここ最近の魔獣の出現位置だよ」
QB「魔獣の発生は自然的なものだからね。 これからの予測を立てるには、データをまとめる必要があったのさ」
まどか「ふーん…… やっぱり、あの時のはすごかったんだね」
QB「この地域だと、ここ10年でも最大規模だよ」
杏子「ま、そのへんは後で話すからさ。 それより、ちょっと話があるんだけど」
まどか「……? 何?」
杏子「…………」
地図を受け取ると、杏子ちゃんはキュゥべえを無造作に放り投げ、わたしの方へ向き直った。
その表情は意外なほどに真剣で、目には隠し切れない不安が現れている。
わたしはその場に腰を下ろして、次の言葉を待った。
杏子「あいつの……ほむらのことなんだけどさ」
まどか「ほむらちゃんの……?」
杏子「いや、思いすごしだったら良いんだけど、あいつって……」
杏子ちゃんがなにか言いかけたその時、背後でドアが開く音がした。
見ると、大きめのお盆をかかえたマミさんがひょっこりと顔をのぞかせている。
マミ「紅茶とケーキの用意できたわよ……あら、鹿目さん。 何の話してるの?」
杏子「あっ……ごめん、やっぱ後で」
彼女はさっと顔を赤らめて、急いで地図とキュゥべえに向き直ると、それきりそのことには触れなかった。
…………………………
部屋のインターホンが再び鳴ったのは、ちょうどお昼ごろのことだった。
わたしがドアを開けて迎え入れると、彼女は少し驚いたようにわたしの顔を見つめた。
ほむら「まどか? どうしてあなたまで……」
まどか「マミさんが、わたしも話を聞いておいた方がいいって」
ほむら「……そう」
まどか「それと……あの時のこと、ほむらちゃんにも聞いておきたかったから」
ほむら「倒れた時のこと?」
まどか「うん、どうしても気になってて」
ほむら「…………」
ほむらちゃんはしばらくの間、何かを考えこんでいるように、じっと黙っていた。
人形のように整った顔はどこまでも無表情で、相変わらず何の感情も読み取れない。
しかしふと、その白い頬がうっすらピンク色に染まって――
――気がつくと、彼女はいつの間にかすぐそばまで近づいてきていた。
中指に銀色の指輪をはめた細い手が、わたしの髪を優しく、繊細な手つきで撫でる。
突然のことにびっくりして硬直していると、彼女はわたしの耳のあたりに触れたまま、
少しかすれた、小さな声でささやいた。
ほむら「あなたは、このヘアピンをつけるまで……何もしていなかったの?」
まどか「え? ……う、うん」
ほむら「もっとおしゃれをしてみたいと思ったことは無い? そう……リボンなんて、似合うと思うわ」
まどか「……ほむらちゃん?」
彼女はさっと手を引いて、小さくうつむいた。
その顔はさっきまでと同じ無表情を通していたけれど、伏せた視線には動揺が現れている。
ほむら「……何も」
まどか「え?」
ほむら「あの晩は、倒れたあなたを家に運んだだけで…… キュゥべえが知っている以上のことは、何も言えないわ」
まどか「あ…… そ、そうなんだ」
ほむら「役に立てなくて、ごめんね」
まどか「いいよ……そんな、気にしないで」
ほむら「……ありがとう」
ほむらちゃんはそう言ったきり、また黙りこんでしまった。
どう声をかけていいかわからずにぼんやり突っ立っていると、後ろの方からもどかしそうな声が響いてきた。
杏子「おい! もう始めてもいいかい、お二人さん?」
…………………………
杏子「結論から言うと、これは自然災害みたいなもんだね」
杏子ちゃんはテーブルの上に例の地図を広げて、細長いお菓子で指しながら説明を始めた。
テーブルを囲んで座ったわたしたちの視線が、地図の上のある点に集中する。
杏子「昨日一日使って、キュゥべえと一緒に魔獣の出現位置を調べてたわけなんだけど……」
杏子「まず、ここが二日前湧きだした魔獣の群れの、最初の一匹が出た場所な」
マミ「鹿目さんが襲われた道路ね」
杏子「そう、ドンピシャさ。 あいつらはあんまり動かないし、迎えに行った形になるね」
まどか「えっ? そ、そうなんだ……」
マミさんが不思議そうな顔でこちらを見た。
もちろん、魔獣の出る位置を予想することなんてわたしには出来ない。
マミ「引かれていた、ということかしら……? 家を出た時の記憶は無いんでしょう?」
まどか「はい……」
マミ「……やっぱり、あなたも来てよかったわね」
ほむら「…………」
杏子「……まあ、まどかがなんでそんな丁度いいとこに居合わせたかも気になるけど」
杏子「そっちはとりあえず置いとくとして……ちょっと見てな」
チョコレートで覆われたお菓子の先端が地図上を滑り、別の点に移動する。
杏子「魔獣の出現は一体じゃないことが多い。 どうも連鎖してるっぽいんだけど、だから最初の一匹が重要なんだよね」
杏子「それで、今まで出てきた日の、最初の位置を日付順に辿ってくと……」
まどか「……あ」
お菓子は幾つもの点の上を通過しながら、地図の上に一つの図形を描いているように見える。
その図形が見滝原を覆うくらいの大きさになった時、杏子ちゃんはお菓子を口にくわえて、
代わりに指輪をはめた手をかざしてみせた。
するとその軌跡をなぞるように、赤く細長い光が浮かび上がり、再び図形を描き出す。
今度は、さっきは指していなかった点まで含まれていた。
ほむら「……渦巻き、に見えるわね」
それは一昨日の点を中心として、見滝原全体を覆う巨大な渦だった。
渦を形作る線はあちこちで分岐したり、途切れたりしているが、それでも明らかに方向性を持って伸びている。
杏子「そ。 こいつらは二日前のこの1点に向かって、渦を巻きながら集まってきてんのさ」
マミ「集まってる……でも、さっきは自然災害って」
QB「自然災害のようなものさ。 この行動は彼らの意思では無いからね」
まどか「どういうこと?」
QB「魔獣たちは人間を襲い、エネルギーを収集する」
QB「その目的は未だ不明瞭だけど、どうやら好みのようなものはあるらしい」
杏子「あいつらは絶望とか、悪意とか、そういう暗い感情が集まる場所に優先して出るんだ」
杏子「その仕組みもわかってないけど……ま、美味いんだろうね、その方が」
杏子ちゃんはそう言うと、くわえていたお菓子を頬張った。
口がふさがった彼女の代わりに、今度はキュゥべえが説明役を引き受ける。
QB「でも、魔獣の出現にはもう一つの要素が関係している。 それが瘴気さ」
QB「魔獣が出現すると、その場の空気が魔力を帯びて瘴気となる。 それが濃いと、その場に魔獣が出現しやすくなる」
まどか「だから、一度に何匹も出てくるんだ」
マミ「それは聞いたことがあるわね……でも、放っておけば薄くなって消えちゃんでしょう?」
QB「まあね。 でも、少しは残る」
QB「それが気流の関係などで集まると、そのルートに魔獣が出てくる確率が上がることもあるんだ」
QB「そして極稀に、負の感情を抱く人間、濃い残留瘴気による魔獣の出現の連鎖が歯車となって」
QB「その挙句にある地点での大量発生を引き起こすことがある」
まどか「それが……一昨日のあれってこと?」
QB「いや、あれはただの前触れさ」
QB「消えなくなった瘴気はもう街全体を覆い尽くしている」
QB「その中でも一際濃くなった中心で、小さな爆発が起こっただけのようだね」
過去10年以内でも最大の大量発生が、これから起こるさらに大きな災害の前座に過ぎない。
あまりに衝撃的な事実に、その場がしんと静まり返る。
杏子「……実は、こういう例は過去にもあったらしくてね」
杏子「百年に一度もあれば多い方だけど、きちんと記録も残ってる」
杏子「そしてそのほとんどの記録に、ああいう前触れが起こったって記述があるんだよ」
ほむら「……猶予は、あとどれくらいあるのかしら?」
杏子「記録によれば、前触れが起きてからだいたい一週間……あと4、5日だな」
マミ「5日……その間に、なんとかみんなを避難させることはできないのかしら?」
QB「無理だね。 人々が恐慌状態になれば、それがきっかけになってしまうかもしれないし」
QB「それに、発生する魔獣を片端から倒さなければ、魔獣たちはより勢いづいてしまう。 逃げることはできないのさ」
マミ「迎え撃つしか無い……ということね」
まどか「ま、魔法少女って、みんなの他には居ないの? 三人だけじゃ……」
杏子「一応、知ってるだけの魔法少女には連絡してきたけど……それでも、この見滝原全体を覆うほどの規模だしねえ」
QB「彼女たちが協力してくれても、一番激しく発生するこの中心部は、君等だけでやるしかないだろうね」
まどか「そんな……」
避けられない大災害に対して、たった三人で立ち向かわなければならない。
理不尽な現実を前にして、それでも、彼女たちは希望を捨てては居ないようだった。
ほむら「……でも、やるしか無いんでしょう?」
杏子「まあね……あたしは覚悟を決めてきたよ」
マミ「……そうね、私たちにしかできないことだもの、やるしかないわね」
マミ「それに、私達は一人じゃないから……きっとなんとかなるわ! ね、キュゥべえ?」
QB「この大発生がどれくらいの規模になるかはまだわからないけど、君たちは歴代の魔法少女の中でも優秀な方だ」
QB「切り抜けられる可能性は十分にあると思うよ」
杏子「へえ、あんたがそういうこと言うくらいなら、心配は要らないね?」
マミ「よし! そうと決まれば、まずは準備を初めましょうか」
マミ「まだ私達の知らない魔法少女も居るだろうし、そんなに大規模なら作戦を立てておいた方が良いでしょう……」
マミ「……あ、そういえば」
マミ「ねえ佐倉さん、この現象は、昔の記録にも残ってるって言ってたわよね?」
杏子「ん? ああ、そうだけど」
マミ「何か、名前とか付けられてないのかしら? 今のままじゃ呼びにくいし」
杏子「ああ……確かあったよ。 えっと……」
ほむら「――ワルプルギスの夜」
杏子「そうそう、それだ……って、何だよ、知ってたわけ?」
思いがけない言葉に、はっとしてほむらちゃんを見る。
その顔は相変わらずの無表情で、何の感情も読み取ることはできなかった。
ほむら「……いいえ」
ほむら「なんとなく……そうなんじゃないかと思っただけよ」
――――――――――
5
――――――――――
杏子「……そういえばさ」
作戦会議が終わった後の帰り道。
会合が予想よりも長くなってしまったせいで、あたりはもう薄暗い。
そのため、三日前のようなことが起こらないよう、杏子ちゃんがわたしを送り届けてくれることになっている。
しばらくは無言で歩いていたけれど、半分くらい来たところで、突然彼女が口を開いた。
杏子「さっき、ほむらが来た時なんか喋ってたよね?」
まどか「え? う、うん」
杏子「何話してたわけ?」
まどか「わたしが襲われた時のことを……ちょっと」
杏子「……そうか」
杏子ちゃんはポケットから取り出したお菓子の包みを開けて、おもむろに食べ始めた。
その横顔には、どこか不安そうな色が見て取れる。
こんな状況なら当然のことだろうけど、なぜかわたしはそれが気になった。
食べ終わるのを待って、今度はこちらから声をかける。
まどか「ねえ」
杏子「うん?」
まどか「今朝、何か話しかけてたよね? あれ、なんて言おうとしてたの?」
杏子「……ああ、あれか」
まどか「確か、ほむらちゃんがどうって……」
杏子「あー……」
彼女は困ったように頬を掻きながら、次のお菓子を手にとった。
包み紙を取って、しかし口に入れる前に話し始める。
杏子「……考えすぎかもしれないけど」
杏子「昨日、キュゥべえと一緒に街をまわってた時、あいつに会ってさ」
まどか「ほむらちゃんに? ……どこで?」
杏子「確か、学校の辺りだったかな」
まどか「学校? でも、昨日はほむらちゃん休みだったよ」
杏子「あたしが見たのは夜中だからな、授業を受けに来たわけじゃないんだろうね」
まどか「忘れ物でもしたのかな……?」
杏子「多分違うと思う。 ……わんわん泣いてたし」
思わず立ち止まって、杏子ちゃんの後ろ姿を呆然と見つめる。
……ほむらちゃんが、泣いていた? 学校で?
まどか「どうして……」
理由も無く体が震えた。 得体のしれない不安に、飲み込まれそうになる。
……いや、本当はその理由を知っているのだろう。
それがどうしても思い出せないから、なおさら恐ろしく感じているのだろう。
杏子「ん? 何か心当たりでもあんの?」
まどか「え……あ、ううん」
それでも、わたしは思い出したくなかった。
思い出すのが怖かった。
そのことを思い出せば、何もかもが崩れてしまうような、そんな気がしていた。
まどか「ちょっと、意外だっただけ……」
杏子「……そっか」
杏子ちゃんは再び前を向いて歩き出した。
その手には、いつのまにか新しいお菓子が握られている。
少し距離を開けたまま、その背中に付いて行く。
杏子「そんくらいで大騒ぎするなんて、バカみたいだって思うだろ?」
まどか「そんなこと無いよ……」
杏子「いや……ちょっと神経質になってるんだ、あいつが……居なくなってから」
まどか「…………」
杏子「そういえばあいつも、よく隠れてああいう風に泣いてたな……ってさ」
杏子「考えすぎだって思うけど、でも…… これ以上、仲間が消えてくのが嫌なんだ」
杏子「そうやって、いつか一人になったら……きっと、寂しいと思うからさ」
とうとう封を切られないまま、お菓子がポケットに戻される。
街灯に照らされた杏子ちゃんの背中は、思っていたよりずっと小さく見えた。
まどか「……大丈夫、居なくなったりなんてしないから」
気がつけば、勝手に口が動いていた。
それは彼女に向けた言葉なのか、自分に向けた独り言なのかもはっきりしない。
それでも、言わなければ気がすまなかった。
まどか「ほむらちゃんも……マミさんも、杏子ちゃんだって」
まどか「もう、もう誰も消えたりなんかしないから……」
まどか「……そんなこと、わたしがさせないから」
まどか「だから、杏子ちゃんも……そんなふうに思わないで」
杏子ちゃんが驚いたような顔でこちらを見ている。
何の力も無いこんなわたしが大口を叩いたことに、呆れているのかもしれない。
お前に何がわかるのかと、不愉快に思っているのかもしれない。
しかし彼女は、さわやかに笑って…… お菓子を一つ、投げてよこした。
杏子「あんたもさ……居なくなったり、すんなよ?」
まどか「……うんっ!」
わたしが強くうなずくと、彼女は照れくさそうに前を向いて、もう一度歩き出した。
それからわたしの家に着くまで、杏子ちゃんは一言も口を利かなかったけれど――
次から次にお菓子を頬張る横顔は、どこか満足気に見えた。
――――――――――
6
――――――――――
早めに布団の中に入って、目を閉じたはずだった。
次に目を開けた時、わたしは空を飛んでいた。
ぼやけた視界は真っ青に染まり、頬を緩やかな風が撫でている。
体中がふわふわとした感覚に包まれて、上下の感覚すらも曖昧だった。
地面からどれくらい離れているのだろう?
風が吹き荒れる音がひっきりなしに聞こえてくるのに、なぜか体はあたたかい。
絵本の1ページに出てくるような、白い雲の上に横たわっている自分を想像した。
もちろん、そんなことはありえないけれど。
「――目、覚めた?」
頭上から聞こえる声に、寝ぼけた頭が現実へ引き戻される。
目をちゃんと開いて見ると、そこは空色の壁紙が貼られた小さな部屋のようだった。
敷物も天井も、視界の隅に見える扉も全てが青い。
しかも天井は藍色、床は空色というようにそれぞれが微妙に異なった色をしていて、
その鮮やかな濃淡が、この部屋をより空のイメージに近づけていた。
「ふふっ、驚いたでしょー。 さっきまで、部屋で寝てたんだもんね」
どこか聞き覚えのある声が、再び上から降ってくる。
どうやら、彼女に背を向ける形で膝枕をされているようだ。
寝返りをうってそちらを向くと、やはり見覚えのある顔がそこにあった。
まどか「……さやか、ちゃん」
さやか「うん。 久しぶり、まどか」
彼女は部屋の色に合わせたのか、青い制服のようなものを着ていること以外は
最後に会った時から何も変わっていなかった。
肩のあたりで切りそろえた髪も、悪戯っぽい笑顔も、何もかも昔のままだった。
まどか「久しぶり、じゃないよもう……いつも勝手なんだから」
もう一度寝返りをうって、さやかちゃんのお腹のあたりに顔を埋める。
背中に手を回して抱きつくようにすると、服越しに彼女の体温が伝わってきた。
……あたたかい。 まるで生きているように。
だからこそ、これが現実では無いことを再確認する。
不安な時や、辛い時。 こうして彼女の夢を見ることは、珍しくもないことだった。
いつまでたってもわたしは弱いままで、だから別れたはずの友だちにまで頼ってしまうのだ。
さやか「おっ? しばらく会わない内に、まどかも甘えん坊になったねー」
まどか「……ねえ、さやかちゃん」
さやか「んー?」
まどか「知ってる? 今……みんな大変なんだよ」
さやか「ああ……ワルプルギスの夜、って奴?」
まどか「……そう」
さやか「もしあたしが居たら、そのくらいぱぱーっと!……は無理だろうけど」
さやか「きっと、手助けくらいはできたと思うんだけどな……ごめんね、肝心な時に居なくってさ」
まどか「……本当だよ」
みっともない弱音を吐いて、さらに深く顔を埋める。
青いスカートの端に、いつの間にか小さな水玉模様ができていた。
まどか「わたしは……杏子ちゃんだって、もっと一緒に居たかったのに」
まどか「一緒に、生きていて欲しかったのに」
まどか「どうして……死んじゃったの? さやかちゃん……」
さやか「……ごめんね」
さやか「でも――」
まどか「……えっ?」
小さな痛みが、頬に走った。
それはどう見ても、さやかちゃんがわたしの頬を軽くつねったからに他ならないのだけど――
さやか「でも……だからこそ、あたしはまどかをここに呼んだんだよ」
――どうして、夢の中で痛みを感じるのだろう?
さやか「へへ……夢だと思った?」
さやか「残念。 正真正銘、本物のさやかちゃんでした」
…………………………
さやか「……もう、落ち着いた?」
隣に腰掛けたさやかちゃんが、わたしの顔を覗きこみながら問いかける。
まどか「う、うん……もう、大丈夫」
突然の再会から、数分ほど経っただろうか。
なぜさやかちゃんが、そしてわたしがここに居るのか? ここは一体どこなのか?
聞きたいことも話したいこともたくさんあったけれど、今の今まで、話は一時中断したままだった。
わたしはあまりにショックな事態に混乱して、とても話を聞ける状態では無かったからだ。
情けない話だけれど、そこまで責められるようなことでも無いと思いたい。
まどか「でもまさか、もう一度こうやって会えるなんて……思ってなかったよ、さやかちゃん」
……なにせ、こんな状況なのだから。
さやか「あはは……まーね、驚くのも無理ないよね」
さやか「魔法少女は、その力を使い果たした時……」
まどか「この世から消えちゃう、でしょ?」
さやか「そ。 ……自分が消える、っていうのがどんなことかはよくわからなかったけど」
さやか「それでも、もう後なんて無いんだ、って……思ってたからなー、あたしも」
さやか「まさか、こんなことになるなんてねー……」
さやかちゃんは真っ白なソファの背に体を預け、頭の後ろに手を回した。
すると、何かに気がついたらしい。
はっとした表情をして再び身を起こし、わたしの頭のあたりを見つめている。
さやか「そうだ……ねえまどか、話をする前にちょっと良い?」
まどか「何?」
さやか「その、ヘアピンさ。 あたしのでしょ?」
まどか「え?……あっ」
笑顔で手を差し出す彼女に一瞬戸惑いながら、すぐにその意味に気付く。
わたしはヘアピンを外して、彼女に手渡した。
さやか「サンキュ。 ……ずっと持ってたんだね」
まどか「ごめんね、勝手に使ったりして」
さやか「ううん、いいよ。 でも、たぶん邪魔になっちゃうからね、これ」
まどか「え……?」
彼女は手の中のヘアピンを弄びながら、しばらくの間、
何かを言いかけてやめたり、じっと考え込んだりを繰り返していた。
どのように話そうか、言葉を選んでいるようだ。
やがて考えがまとまったのか、さやかちゃんはヘアピンを素早く自分の髪に差して、
私の方へと向き直った。
さやか「例えば、このヘアピンとか」
さやか「あたしの家族とか、部屋とかカバンとか……まどかとの思い出とか」
さやか「そういうものはみんな、あたしが生きていた証拠になる。 でしょ?」
まどか「え? う、うん……」
さやか「でも、あたしは魔法少女として死んで、元いた世界からは消えて無くなった」
まどか「……うん」
さやか「これって、結構おかしいことなんだよね」
……おかしい、だろうか。
さやかちゃんは存在しないにも関わらず、その痕跡は残っている。
確かに、言われてみればすこしおかしいかもしれないけれど。
さやか「この世……っていうのも変な言い方だけど」
さやか「まどかの住んでる宇宙は、一つの大きな輪になって回ってるの」
まどか「輪?」
さやか「例えば、雨が降って川になって、海に流れて蒸発して、また雲になっていくみたいに」
さやか「色んなことが輪になって繋がってる。 ……だから、誰かが得をすれば、絶対に誰かが損をする」
さやか「あたしたちはそういう仕組みになってた、はずなんだけどね」
まどか「さやかちゃんは……違うの?」
さやか「そう、あたしみたいな魔法少女だけは、そこから外れてるってわけ」
さやか「本当なら、契約するときに奇跡を願ったぶん、誰かを呪わずにはいられない」
さやか「でもその前に、ツケを払わされる前に、輪っかの中からはじき出されちゃえば……」
奇跡の代価を、払わずに済む。 世界に対して、何のマイナスも抱かずに済む。
上手いようだけど、どこか自己犠牲的な論理。
結局は、全てを抱えて消え去る運命の悲しい契約。
さやか「円環の理……って、マミさんは言ってたっけ」
さやか「あたしたちは、奇跡を望む代わりに、そうやって消えることになった」
さやか「で、実際にあたしは……消えた」
まどか「…………」
さやか「……でも、実は完全に消えたわけじゃない」
まどか「え?」
さやか「言ったでしょ? この世は輪っかになって、何もかもが繋がってるって」
さやか「本当に消えるってことは、そういう繋がりが全部なくなる、ってこと。 でもあたしはそうなってない」
さやか「記憶とか、形見とか、そういうもので……まだ、繋がってる」
さやか「それが全部消えちゃわない限り、あたしたちは本当に消滅したことにはならないってわけ」
それは大きな円環から伸びた、細い糸のように魔法少女たちを繋ぎ止める。
本来ならば、それすら残らなかったのだろう。 何の痕跡も残さずに、消えてしまうはずだったのだろう。
それでも、完全になりきれない理は、それを切ることができなかった。
なぜ、円環の理が完全でなくなったのかは――あるいは、それこそ本当の奇跡だったのかもしれない。
まどか「じゃあ、さやかちゃんは……」
さやか「うん、あたしも宙ぶらりんになって、ぎりぎり引っかかってるわけ。 ま、このヘアピンは返してもらったけど」
さやか「でも……あたしはいろんなものを残してきたつもりだよ」
さやか「魔法少女として助けてきた人々とか、友だちの記憶の中にも」
さやか「……恭介の腕にだって、あたしが残ってる」
最後に彼の名前を口にした時、さやかちゃんの顔が一瞬陰ったような気がした。
しかしそれは本当に一瞬で、すぐに晴れやかな笑顔へと変わる。
さやか「まどかだって、覚えててくれたもんね?」
まどか「……うん」
さやか「だから、簡単には切れない…… ここは、そういう魔法少女たちがたどり着く場所」
さやか「有るっていうことと、無いっていうことの隙間―― 魔法少女の、死後の世界だよ」
まどか「死後の……」
消えたはずのさやかちゃんが居る時点で当たり前のことだったかもしれない。
しかし明確に口に出してみて、初めて実感する。
ここは、この小さな青い部屋は、死者しか入ることのできない場所なのだ。
ということは……
まどか「……じゃあ、わたしは死んだの?」
さやか「ううん、そうじゃないよ」
思い切って聞いてみると、あっさり否定された。
いつ死んでもおかしくない状況ではあるし、覚悟を決めていただけに肩透かしを食らったような気分だ。
同時に、少なからず安心もしていた。 死んでいたわけではなかった、最悪の事態は免れた……と。
まどか「ならどうして……」
さやか「……それは」
しかし現実はいつも、予想できる範囲には収まってくれないものだ。
さやか「それは、これがまどかの力だからだよ」
まどか「ちから……?」
平穏で幸せな生活を求めても。
さやか「契約した時の祈りによって決まる、それぞれの魔法少女に固有の特別な魔法……」
さやか「あたしなら治癒、杏子なら幻惑。 そして、あんたのはこれ」
そのために、いくら自分を押し殺したとしても。
さやか「『消えて無くなってしまったものとつながる』――それが、まどかの魔法ってわけ」
まどか「ま、魔法、って……そんな、それじゃわたし……!」
さやか「……そうだよ」
いつかは、向き合わなくてはならない。
さやか「あんたは……もうずっと前から、魔法少女なの」
…………………………
突然、視界が真っ暗になる。
黒一色の背景に、色々な映像が流れ、消えていく。
たくさんの少女たちが契約を交わし、戦い、そして死んでいった。
わたしが知っている顔もあれば、知らない顔もある。
そして、ある少女の死を最後に、映像は途切れてしまう。
その時間は多分ほんの一瞬だったけれど、全てを理解するには十分だった。
さやか「辛いのはわかってる。 でも今それを思い出さなくちゃ、あんたはきっと後悔する」
さやかちゃんの声がぼんやりと頭に響く。
わたしはいつの間にか目を閉じていた。
再び訪れた暗闇の中に、もう一度彼女の顔が浮かぶ。
さやか「全部、思い出して……まどか」
それを見て、わたしは再確認する。
あの、契約の時のこと。 そしてもうひとつ……それとは別に交わした、『約束』のこと。
さやか「あんたには――」
まどか「わかってるよ、さやかちゃん」
目を開くと、さやかちゃんは今にも泣きだしそうな顔をして立っていた。
その目線の先には、壁一面を占領するほど大きな扉がある。
わたしは、その向こうに何があるのかを知っている。
まどか「わたしには……ううん」
円環の理。 ――本当の鹿目まどかが、そこに居るのだ。
まどか「……僕には、やらなくちゃならないことがあるんだね」
――――――――――
【後編】に続く。