【前編】の続き

135 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:09:27.35 6AV7Yszr0 102/213


―――――


「美樹さん、鹿目さん。お昼一緒にどう?」


―――――


放課後、まどかは一人学園内を散策していた。

どこか、目的地があるわけではない。
ただ、歩きたくなったのだ。
天気は良いし、体を通る風も気持ちがいい。
日もまだ高く、歩くには絶好の時間と言えた。

鳳学園の敷地内は歩いているだけでも目まぐるしく景色が変わり、飽きることはない。
運動場では生徒が集まり試合をし、カフェを覗けば怪しげな部活やサークルが活動している。
少し歩けば、海が見える小高い丘もあるし、牧場の近くに出れば様々な動物も見ることができた。

さやかはいない。

今日は図書館に寄っていくと言っていた。
何でも音楽室で、七実に音楽の知識の浅さをバカにされたらしい。
そのため見返すために、勉強するとのことだった。







元スレ
まどか「世界を!」ウテナ「革命する力を!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1325231440/

136 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:10:28.88 6AV7Yszr0 103/213



何となく歩いていると、妙な建物の前に出た。

授業でも、ここに来たことはない。
大きな建物だが人の気配はなく、所々壁が朽ちており、蔦が建物を覆っている。
全体的に古い建物であり、色あせた印象があった。

まるで、建物全体が喪に服しているように生気がない。

使われているのだろうか。
もしかしたら放棄された場所なのかもしれない。
大きな学園なのだから、手が届かないそんな場所もあってもおかしくはない。

そう考えた時、扉が開いた。


「あ、姫宮先輩」






137 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:12:26.67 6AV7Yszr0 104/213



建物から出てきたのは、姫宮アンシーだった。


「どうもどうも」


アンシーは、気の入らない返事をした。

まどかが、アンシーと寮以外で出会ったのはこれが初めてだ。
当り前のことだが、アンシーもここの生徒であり、授業を受けているのだということを思い出す。
どんなに不思議な雰囲気を持つ先輩でも、それは変わらないのだ。


「あの…、ここは?」


アンシーが出てきた建物を見上げる。アンシーが現れたということは、ここは使われている建物なのだろう。
しかしこんな場所が何に使われているのか、想像がつかない。


「ここは、根室記念館ですよ」


その名前を聞き、まどかは体を強張らせた。

根室記念館。
鳳学園の片隅にある、年代物の建物。
生徒手帳にも記載されておらず、話によると、学園からは半ば放棄されたような建物らしい。

そのため、ここに近寄る人間は少ないと聞いている。
今では、『御影ゼミ』と呼ばれるゼミがここで行われている以外、使われることはないらしい。







138 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:16:04.58 6AV7Yszr0 105/213



まどかが緊張したのは、ここに関する噂のためだ。

例えば、この場所では火事があり、百人の少年が生き埋めになった。
そんな噂がある。

他にも、流れている噂は様々だ。
何年も年を取らない生徒が住んでいる。
建物の地下には墓地がある。
『永遠』を探す研究がおこなわれている。
どんな悩みも、たちどころに解決してしまう根室記念館の面会がある。

根室記念館の場所を知らなくても、根室記念館の噂は知っている。そんな生徒もいる。

実際に根室記念館を見ると、そんな噂が流れていることも納得できた。
半ば朽ちたように、時間を止めたような建物。
まるで、閉鎖された病院のような雰囲気がここにはある。

これなら、いくらでも噂や怪談が立つことだろう。
どんな突拍子もない噂も、この建物なら――。


「噂は本当ですよ」

「え?」


根室記念館の扉の前に居る、アンシーが呟いた。


「ここの噂、色々と聞いているのでしょう? 
その噂は本当です。だから、あまり近づかないほうがいいですよ。用があるなら仕方ありませんが」

「は、はぁ…。姫宮先輩はどうしてここに?」







139 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:17:37.59 6AV7Yszr0 106/213



「私は、兄の用事でちょっと」

そういえば、姫宮先輩は理事長の妹さんだったと、まどかは思い出した。
簡単な仕事なら手伝っているのかもしれない。
優しそうな人であったし、兄妹の仲もいいのだろう。


「私はこれから薔薇園に向かいますが、鹿目さんはどうしますか?」

「えっ、姫宮先輩の薔薇園ですか? ぜひ見てみたいです!」

「といっても薔薇しかありませんけど」


そんなことはない。
薔薇を育てているだけでも凄いのに、様々な種類の薔薇を育てるなんて、尊敬できることだ。

まどかは、薔薇を育てることがものすごく大変なことを知っている。
父親の知久も一時期チャレンジしたが、あえなく失敗に終わってしまった。
後にも先にも、知久が花を育てることに失敗したのはこれきりである。

それじゃあ行きましょう、とアンシーは校舎の方に足を向けた。

あわてて、まどかはその後についていく。
姫宮先輩はマイペースそのものだ。
あまり周りの動きに関係なく、自分の速度で何事も進めている。

まどかはいつも周りに翻弄されてばっかりだ。
どっしりと腰を据えた彼女のような生き方を自分も見習いたい。







140 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:19:15.75 6AV7Yszr0 107/213



(根室記念館……)


ふと、後ろに遠ざかるその建物をまどかは見つめた。

アンシーの薔薇園には以前から興味があったし、見たいと思ったのも本当だ。

ただ、本心を言えば、まどかは一刻も早くこの根室記念館から離れたかった。
ここに用があるわけではない。
そもそも散歩をしていて、たまたまここに出ただけなのだ。

なのに、この場所には何か引き付けられるものがあった。
理由は自分でもわからない。
それが、一番恐怖を感じた。

なぜこんな不気味な場所に、そんなことを感じてしまうのか。
何か自分が自分でなくなってしまったような、そんな感覚に陥る。
自分の知らない部分が、この場所に魅力を感じている。
まるで、自分の汚い部分を見せつけられているようだった。


(噂は本当ですよ)


噂。根室記念館にまつわる、様々な噂。

そのどれもが、陰鬱で暗いものばかりだ。
本当の噂とは、どの噂のことを指しているのだろうか。
まさか、墓地や年を取らない生徒がいるわけではあるまい。

ならば、ここで百人の少年が生き埋めになったという話だろうか。
それならば、建物が朽ちていることにも納得がいく。

やはり、怖い。
あまりここには近寄りたくない。そう、まどかは思った。







141 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:20:14.34 6AV7Yszr0 108/213



―――――


「わぁ…!」


アンシーの薔薇園は、見事なものだった。

校舎の中庭にある、鳥かごのような形をした温室。
そこが姫宮アンシーの薔薇園である。
中には様々な種類の薔薇が育てられ、その香りは渾然一体となって、温室に入ってきた者を迎える。

温室に入ってその香りに迎えられたまどかは、今まで体験したことのない感動を味わっていた。


「すごい…。これ全部、姫宮先輩が育てているんですか?!」

「はい。私以外、世話をする人はいませんから」

そう言い、アンシーは黄金色の金属製の如雨露に水を入れ、薔薇の手入れを始めた。







142 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:21:32.45 6AV7Yszr0 109/213



薔薇園にある薔薇は様々だ。
赤いバラ、白いバラ、ピンクのバラ、黄色のバラ、オレンジのバラ。
同じような色のバラにしても、白が混じったものや、花弁の形が違うものが沢山ある。

これだけの種類の薔薇を、一人で世話をしているのだろうか。
おそらく、ここまで育てるのには並々ならぬ苦労があったのだろう。
こんなにも薔薇を育てられることは、もはや才能だとまどかは思う。

そんなことを考えるまどかをよそに、アンシーはいつ間にかそばに居たチュチュと共に薔薇に水をあげていた。


「こんなにたくさん、薔薇を育てるなんて姫宮先輩はすごいです」

「そんなことありませんよ。コツさえ掴めば、誰にでもできますよ」

「私のパパも一時期家で薔薇を育てようとしたんですけど、失敗しちゃったんです。薔薇を育てるって、難しいことだって聞いてますよ」

「剪定の時期を間違えたんじゃないでしょうか。バラは時期を見極めるのが重要だから」


ああこらチュチュ、とアンシーは如雨露で遊ぶチュチュを叱った。
チュチュを摘み上げて肩に乗せると、再び薔薇の世話に戻る。
一つ一つのバラに、丹念に世話をしていく。
その姿に、まどかは見惚れてしまった。







143 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:22:58.11 6AV7Yszr0 110/213



「どうかしました?」


まどかの視線を感じて、アンシーは微笑んだ。

そこで我に返り、まどかは顔を赤くした。
まさか同性に見惚れるとは思わなかった。
何かいけないことをしてしまったように思い、混乱する。


「え、あ、いや、あ、そ、その…」

「?」

「き、きれいだな…って」


それを聞き、アンシーは「どうもどうも」と、声を返した。

気の抜けたアンシーの返事に、まどかは落ち着きを取り戻した。
マイペースなアンシーの言動は、気持ちを落ち着けるには最適だ。
どんなときでも変わらないものがあると、そこを指針に立て直すことが容易になる。

気持ちが元に戻ると、まどかは改めて温室の中を見渡した。







144 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:24:39.69 6AV7Yszr0 111/213



鳥かごのような形の温室は薔薇の楽園だ。
中央にはまどかの背丈ほどもある花瓶のような置物がある。
そこにバラが巻きつくように栽培されており、一つの芸術品のように見えた。
他のバラはそれを取り囲むように、温室の壁に沿って栽培されている。
空からは太陽の光が降り注ぎ、薔薇を美しく照らしていた。

同じ学園の中のはずなのに、空気すらもこの中では清純に感じられた。

バラに囲まれるアンシーの後継は、とても調和に満ちていた。
あるべきものがそこにある。
静かに時間は流れていき、秩序で満たされた空間は永遠のもののように感じる。
この温室だけ、世界から切り離されたようだ。

ここは姫宮先輩の一番の居場所だ。
そんなことを、まどかは考えた。
それほど、彼女がこの温室に居ることは絵になっていた。


「……姫宮先輩」

「なんでしょうか?」

「私ってこの学園に馴染めていると思いますか?」







145 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:27:27.72 6AV7Yszr0 112/213



「どうしたんですか、急に」


言葉とは違い、アンシーはまどかの問いに特に驚いた様子はなかった。


「なんだか、私ってこの学園には場違いなような気がして……」

「美樹さんは違うんですか?」

「さやかちゃんは、明るいから誰とでも仲良くできるんです。すぐ友達もできたし……」


さやかは、すぐにクラスに馴染んだ。
明るく面倒見の良いさやかの性格は、どこに行っても歓迎される。
さやか自身も壁を作ることはあまりないので、友達を作りやすい。


「私は、鹿目さんのクラスを知りませんから。よくわかりません」

「そうですよね…」


当然と言えば、当然の答えだ。
アンシーはまどかのクラスに来たことはないのだから。


「ただ、あなたと美樹さんが来てから、ウテナ様は楽しそうです。普通の後輩ができたって喜んでいます。
鹿目さんがこの学園に来たことを、ウテナ様は喜んでいますよ」

「それは……」


喜んでいい……ことなのだろう。

何はともあれ、自分が誰かを笑顔にできたのならそれは良いことだ。
馴染んでいるかどうか、という問いに対する答えとしては微妙なところだが。







146 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:28:50.55 6AV7Yszr0 113/213



やっぱりだめだ。
馴染んでいるかどうかを、他人に聞く方がそもそも間違いなのだ。
それも、受け入れ先の学園の先輩に聞くなんて。相手にしてみれば、こんなにも答えづらい質問もないだろう。
先輩だからと言って、甘えるにもほどがある。

さやかのこともそうだ。
まどかは、自分がさやかに甘えていることを自覚していた。
さやかに貰ってばかりで、何一つ返すことができていない。


「……姫宮先輩」

「なんですか?」

「このままで、いいんでしょうか…。いえ、ダメなんです。このままじゃ…」


まどかの問いに、アンシーは何も言わない。


「私、一人じゃ何にもできないんです。さやかちゃんに、色々してもらってばかりで…」


それでも、まどかは止まらなかった。

何か言ってほしかった。
自分は、ダメだと。
このままではいけないのだ、と。







147 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:30:03.28 6AV7Yszr0 114/213



「私って、勉強も運動もダメなんです。人に自慢できることも何もなくて……。
このままじゃ、ずっと、誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。それで……」


そこで、まどかは口を閉じた。

また、甘えている。
誰かに言われなければ、自分は何もできないのか。

ここ数日、幾度も抱いた自己嫌悪。
それが、まどかに再び襲いかかる。
ダメだと分かっているのに、何もできない。
それが自分の弱さだった。

いい加減にしたほうがいい。何のために、自分はここに来たのか。

姫宮先輩に謝ろう。
口にたまった弱音を、まどかは飲み込んだ。
先輩をこんなことに付き合わせてしまったことを、まどかは申し訳なく思った。
これは、自分で解決しなければならない。
そうでなくてはならない。

そうしなければ自分は、何も変わらない。変わらずにずっと――。







148 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:31:12.07 6AV7Yszr0 115/213



「いいんじゃないですか、別に」


アンシーの言葉が、薔薇園に響いた。

まどかは、頭が真っ白になる。
謝罪の言葉も、新たな決意も、頭から消えてしまった。

上手く口から言葉が出ない。


「女の子は、みんな誰かに守られるものです。鹿目さんだけが特別じゃありませんよ」


まどかの状態を知ってか知らずか、アンシーは続けた。


「で、でも…」

「それで、今までよかったのでしょう? 美樹さんが貴方のことを気に入っているのは見ていてわかります。
彼女は、貴方を見捨てたりはしませんよ」

見捨てられる。

その言葉は、まどかの心をえぐる。
自分はさやかの友達でいられているのか。
それは、時折まどかが抱いた疑問だ。

だから、自分は変わろうと――。







149 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:33:15.87 6AV7Yszr0 116/213



「あなたの王子様は、お姫様を見捨てませんよ」


再び、アンシーの言葉が考えを遮る。


「お、王子様…?」

「美樹さんは、貴方にとっては王子様なんでしょうね。そんな感じがしますから」


王子様。
お姫様の女の子を助ける、素敵な王子様。

確かに、さやかはまどかにとって王子様のような存在だ。
転校して、馴染めなかったまどかにさやかは手を差し伸べてくれた。
そこから友達も少しずつ増え、まどかは孤立せずに済んだ。
今こうやって立っていられるのは、さやかのおかげと言ってもいい。


「王子様は、お姫様を守ってくれますよ。ずっとね。それが王子様ですから」

「そ、そんなの…」







150 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:34:48.02 6AV7Yszr0 117/213



「だから、無理に変わる必要なんてありません。鹿目さんは鹿目さんのままでいればいいんです。
美樹さんも、それを望んでいるはずですから」


さやかが、それを望んでいる。

自分が変わっても、さやかは変わらず友達でいてくれるのだろうか。
さやかは、まどかの唯一無二の友達だ。
それが失われることを想像すると、まどかは地面がなくなったような感覚を受ける。

ならば、自分は変わらないほうがいいのか。

守られ続けるだけの存在。
迷惑をかけるだけの存在。
誰の役にも立てない透明な存在。
王子様が優しく守ってくれる、そんな存在。







151 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:36:50.21 6AV7Yszr0 118/213



「ひ、姫宮先輩は…」

「なんでしょうか?」

「姫宮先輩は、それでいいんですか…?」


アンシーを見つめる。
そこには何の迷いも、戸惑いもない。
ただほんのりとした、微笑みがあるだけだ。
どうして、そんな顔ができるのか。
まどかにはその理由がわからない


「姫宮先輩だって、天上先輩に、その、守られてばかりじゃないんですか? 
そんな自分が嫌にならないんですか? そのままで、本当にいいんですか……?」


天上ウテナと姫宮アンシー。

その関係は、自分とさやかの関係とよく似ているように思えた。
アンシーは人前に出るのが苦手で、ウテナがそれを引っ張る。
友達を作るのが苦手なのは、自分も同じだ。

事実、鳳学園で自分の力だけで出来た友達はいない。
親しい人間は、全部さやかのおかげで出来たようなものだ。

アンシーは自分と同じなのだと思っていた。
友達に何も返せず、頼ってしまっているのだと。
だから、『ウテナ様』なのではないかと。







152 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/16 21:38:12.87 6AV7Yszr0 119/213



まどかの問いに、アンシーは何の躊躇もなく答えた。


「はい」


アンシーが微笑んだ。

薔薇に囲まれたアンシーは美しい。
赤いバラ、白いバラ、ピンクのバラ、黄色のバラ、オレンジのバラ。
様々な色の薔薇がまどかの瞳に映った。

ふと、花以外の物が目に入る。
その美しさを守るために、薔薇の葉や蔦には棘が生えていた。
その棘は鋭く、あらゆる敵から花を守っている。

ここでは、薔薇の美しさを汚すものは許されない。
薔薇だけが世界の正しさであり、真理だ。


「私とウテナ様は友達ではありません」


ここはアンシーのために用意された場所であり、アンシーによって成り立っている。
ここに在るものは、全てアンシーの一部である。
その世界にまどかは立っている。


「私は、あの方の薔薇ですから」


まどかは、薔薇園から逃げ出した。

さやかと自分は友達ではない。
そう言われるのが、怖かった。







157 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:46:04.18 U3DqddSY0 120/213


―――――


「美樹さん、鹿目さん」

「私、『かなめ』です」



―――――

やはり、自分には無理だったのだ。

夕暮れの日差しが、目に沁みる。
放課後になり、校舎の人はまばらだ。
人が少なくなると、とたんに学校は見慣れない景色になる。
あるはずの生徒がいないと、不安を掻き立てられる。

もっとも、人が居ても自分には大して変わらないのかもしれない。
この学園での知り合いは少ない。
誰かが人が歩いていても、その人のことを知らないのなら、それは石ころが歩いていることと同じことだ。
もっとも、この学園での石ころは自分の方かもしれない。

校舎を歩いているが、特に何か用事があるわけではない。
交換学生というくくりなら何か誘われることはよくあるが、個人的な用事あったことはない。
あるとすれば、ウテナに料理の手解きをしてもらうことくらいだ。
それも寮での用事なので、校舎に残る類のものではない。







158 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:47:51.16 U3DqddSY0 121/213



(仁美ちゃん達。元気にしてるかなぁ…)


当てもなく歩きながら、見滝原での友達のことを思い出す。
メールや電話で連絡を取っているが、やはり顔を合わせて、お喋りをしたい。

帰りによく寄るアイスクリーム屋さんのこと。
新しくできた小物屋さんのこと。
新しくできる予定のショッピングモールのこと。
少し見ない間に何か変わったのか、聞きたいことはたくさんあった。

見滝原での放課後のことを思い出す。

さやかと仁美と3人で下校して、色んなお店を回る。
本屋にアクセサリーショップ、時間があるなら映画もいい。
疲れたら、ハンバーガー屋に入り、お茶をしながら今日一日のことを話すのだ。
中身は他愛無いお喋りだが、楽しくて、そして大切な時間。
何時までも続いてほしいと思う、そんな時間が三人の間で流れていくのだ。

もう一度、あの時間を過ごしたい。

見滝原に帰れば、それも叶うだろう。
きっと、帰れば元に戻るのだ。
友達も、自分も、学校も。全部、元通りだ。







159 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:49:05.01 U3DqddSY0 122/213



(それで、いいの……?)


まどかは、鞄が少し重くなったように感じた。

持っている鞄には、秘密のノートが入っている。
まどかが、自分の成りたいものを書いた落書帳。
そこには、何かになりたいという願いが込められている。

そのノートが自分に言っていた。
このままで、いいはずがない。変わらなければならない、と。

鞄の取っ手を握りしめる。

まどかはそれを無視することも、捨てることも出来なかった。
ただ持っていくだけだ。
自分の不甲斐なさを恥じ、謝ることしかできない。

分かっている。
何の解決にもなっていない。

しかし、解決する力が自分には無い。
すべて自分が悪いのだ。
何にもできない、弱い子である自分が。


「あ、まどか!」


名前を呼ばれて、まどかは我に返る。
顔をあげると、そこには見知った顔があった。







160 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:51:32.23 U3DqddSY0 123/213



「さやかちゃん……」

「どうしたの? 一人でこんなところでぶらぶらして」

「さやかちゃんこそ、どうしたの?」

「あたしはちょっと手洗いに……。って、恥ずかし! まどか、あんまり女の子に恥かかせるなよー!」

「さやかちゃんが勝手にいったんじゃん!」

「冗談冗談。まどかにならそんなこと話しても恥ずかしくないもんねー」

「もー、さやかちゃんたら」


いつも通りさやかは明るい。

見滝原に居た頃と変わらない笑顔。
さやかの顔を見ると、まどかは安心する。
その安心する自分が、まどかは情けない。


「あ、そうだ! 暇なら、一緒に音楽室に行かない?」

「え?」

「例の薫くんがさ。今日、ピアノを聞かせてくれるっていうんだ。
あのうるさい七実も今日はもう帰ったみたいだし、一緒に行こうよ!」


あれからも、さやかはちょくちょく音楽室に顔を出している。
薫幹の話も、よくまどかは耳にしていた。
薫幹も、上条恭介のことを知っており、彼の話題で話が弾むと、さやかは嬉しそうに話していた。

さやかが嬉しそうだと、まどかも嬉しくなる。

まるで自分の事のように思えた。
さやかとはずっと友達でいたい。







161 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:53:42.69 U3DqddSY0 124/213



友達で、いられるのだろうか。

自分はさやかに、何もしてあげることができない。
ただ、守られているだけだ。
たぶん自分がいなくなっても、さやかは何も感じることはないだろう。
さやかは誰とでも仲良くできる。
自分は、そんな『誰か』の中の一人でしかない。

それは嫌だ。

まどかはさやかの友達でいたかった。
『誰か』ではない。『鹿目まどか』として覚えていてほしい。

それには、何かにならなくてはいけないだろう。
何もできないのではなく、何かができる人間ではなくてはダメなのだ。

今の自分には無理だ。
何にも一人ですることができない、ただ守られるだけの存在である。

だから、いつか必ず。今は無理でも、いつかはそんな人間に。

さやかがまどかの手を取る。
まどかはさやかの手を握り返した。
さやかは優しい。いつでも自分の手を取ってくれるだろう。

だから、今は甘えさせてほしい。

必ず、自分から手を伸ばす人間になる。
だから、今は弱い自分を守ってほしい。


「じゃあ、行こうか。まどか!」

「うん!」







162 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:55:54.53 U3DqddSY0 125/213


―――――


音楽室にピアノの音が流れる。

放課後の静かな時間に、音色が響き渡る。
心に沁み渡るような旋律。
物悲しくも美しく、今は忘れてしまった大切なものを思い出させるような、そんな曲だ。

ピアノの腕の良し悪しなど、まどかにはわからない。
しかし、このピアノを聞くと何だか心のどこかが癒される感じがした。
知識などなくても、それが感動であることは理解できた。
そして、そんな曲を弾ける薫幹は、やはりただ者ではないのだということを実感する。

『光差す庭』。
それがこの曲の名前である。

幼いころ薫幹が妹と共に作曲した曲であり、お気に入りの一つでもあった。

やがて、幹は演奏を終えた。
余韻でぼうっとしている、まどかを慌ててつつき、さやかは拍手を送った。


「ごめん、退屈だったかな?」

「そ、そんなことないです! 聞いてて気持ちよかったから、ボーっとしちゃって…」

「なんかまどか、エロいよそれ」


ふぇっ?!とまどかは妙な声を上げた。

それを聞いて、幹は思わず笑ってしまう。
それを見て、まどかは顔を真っ赤にし、さやかをぽかぽかと叩いた。







163 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 21:59:23.65 U3DqddSY0 126/213



「でも、僕だってまだまだですよ。上条さんには及ばないなぁ」

「そんなことないって。恭介のバイオリンと比べても、薫くんのピアノは凄いってば」


さやかは上条恭介のバイオリンは幾度も聞いている。
心が落ち着く恭介のバイオリンの音色が、さやかは大好きだ。

しかし、幹のピアノの音色も決して負けてはいないと思う。
実のところの一番は恭介のバイオリンだと思うが、これはたぶん自分の好意の問題だろうとさやかは思う。


「僕のピアノはまだまだ未完成です。一度コンクールで上条さんのバイオリンを聞いたけれど、彼の演奏は素晴らしかった。
尊敬しますよ、彼のことは」

「いやー、それは買いかぶり過ぎじゃないかなー」

「と、いうと?」

「いや恭介って、デリカシーないし、妙なところでボケてるし。
ミッキーのほうが、凄いって。フェンシングもやってるし。恭介って運動音痴なんだよ?」

「僕場合、色々やらないとすぐに集中が切れてしまうから。
上条さんみたいに、ずっと一つの物事に集中できないんですよ。やっぱり、違うなぁ僕とは」


いやいや、どう考えても恭介よりミッキーの方が凄い。

恭介はバイオリンしかできないが、ミッキーは音楽に加えてフェンシングに勉強もできるのだ。
前に数え役満に例えたが、実際に見てみるとそれどころではない。
トリプル役満状態だ。
役満一つの恭介では太刀打ちは出来ないだろう。







164 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:01:19.43 U3DqddSY0 127/213



「上条さんは普段どんな音楽を聞いてるんですか? 美樹さん」

「うーん、やっぱりクラシックが多いなぁ。アヴェ・マリアとか昔からお気に入りだけど、最近はドビュッシーとか…」


そこから、さやか達はクラシック談義に花を咲かせた。

まどかは、飛び交う曲名になかなかついていけない。
が、そういうとき幹がピアノをひくと、どこかで聞いたことがある曲であることが分かった。
意外と、クラッシック音楽は身近なものだと、幹は言った。
確かに、奏でる曲は聞いたことのあるものばかりだ。

勉強しなよー、とさやかは目を丸くするまどかにからかう様に言った。
さやかは、音楽のテストは得意なのだ。
実技は散々なのだけれど。







165 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:02:48.48 U3DqddSY0 128/213



 それにしても。


「なんか、仲良いね。さやかちゃんと薫くん」

「へ? そうかな」

「そうだよ。さやかちゃん、『ミッキー』って呼んでるし」


さやかが音楽室に通っていることは知っているが、ここまで打ち解けているとは思わなかった。
あだ名で呼ぶなど、かなり進展した仲だろうと思う。

そこに幹は、ああそれは、と言葉を入れた。

「そっちの方が僕は落ち着くから、そう呼んでくれるように頼んだんです。
鹿目さんの『薫くん』の方が何か違和感がありますよ」

「ほらほら、まどかもミッキーって!」

「え! ええと…、ミ、ミッキー?」

「はい。やっぱり、こっちの方が落ち着くなぁ」


男子をあだ名で呼ぶなど、まどかはあまり経験がない。
何となく気恥ずかしさを感じてしまう。
恥ずかしがっているまどかに、さやかは大げさだなぁ、と声をかけた。







166 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:04:18.47 U3DqddSY0 129/213



「みんなそう呼んでるんだから、恥ずかしがることなんてないじゃん」

「で、でも、男の子をあだ名で呼ぶなんてあんまりないし…」

「パパと弟がいるのに、まどかは男子に耐性がないねぇ」

「鹿目さんは弟さんがいるんですか?」

「そう。たっくん、ていってね。まだ三歳なんだ。かわいいよねぇ」

「いいなぁ。僕は双子で、小さいときを可愛がることは出来なかったから。
今ではすっかり生意気になっちゃって。前にも……」


音楽室の時間は静かに過ぎていく。日がガラスから入り、キラキラと光った。

やはり、さやかといると楽しい。
さっきまで廊下を歩いていた時の憂鬱な気分が嘘のようだ。
さやかと居れば、苦手な異性との会話もこんなに弾む。
自分一人では、まごまごしてしまって、こんなふうに話すことは出来ないだろう。







167 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:05:05.02 U3DqddSY0 130/213



「いやぁ、それにしても…」


 と、急に幹はさやかの顔をまじまじと見つめた。


「ん? どうしたの、ミッキー」

「いや、美樹さんって何だか話しやすいなぁって、思って」

「おいおい、ミッキー。いきなり、さやかちゃんに告白かー?」

「え?! そ、そうなの!」


 ち、違いますよ! と幹は慌てて否定した。


「クラッシックの知識もあるし、こんなに話せる人、なかなかいなかったから」

「ふっふっふ、友達を作るのは私の才能だからね!」

「でも、凄いよさやかちゃん。クラスでもすぐ友達作っちゃったし」

「まどかだって、友達いるじゃん」

「私は……」


さやかちゃんのおまけだから、と呟く。

しかし。声が小さかったのか二人には聞こえなかった。







168 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:05:49.05 U3DqddSY0 131/213



「でも美樹さん達は交換学生なんですよね。いなくなったら寂しくなるなぁ」

「おいおい、ミッキー。終わるのはまだ先だってば。あと2週間もあるし!」


2週間なんてあっという間ですよ、と幹は言った。


「もっと顔を見せてください。鹿目さんも、遠慮する必要なんてないですから」

「う、うん」

「でも、たまに七実がいるしなぁ。アイツ、こっちの顔を見るとすぐに噛みついてくるし」

「七実くんは…まぁ、悪い人じゃないですから。大目に見てください」

「でも、この学園って面白いし、確かにもっと居たいって感じるなぁ。
いっそこのまま、ずっといるのもいいかもねー」







169 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:06:57.61 U3DqddSY0 132/213







  え?







今、さやかは、何と言ったのか。


「それなら、編入試験を受けなくてはいけませんね。
いっておきますけど、うちの学園は甘くないですよ?」

「うーん、じゃあミッキー。家庭教師よろしく! 
ついでに生徒会権限で試験を免除してくれたらうれしいっス!」

「生徒会は自治も兼ねてますから。それなら入学したらすぐに退学ですね」


うげぇ、とさやかはつぶれたような声を出した。
幹もつまらない冗談を言って笑いあう。

しかし、まどかは笑っていなかった。







170 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:08:27.23 U3DqddSY0 133/213


さやかがいなくなる。自分の風景から、この学園へ。

さやかがいない世界を想像する。
そこにいるのは、一人ぼっちの自分だった。
友達も自分で作れない、空っぽな存在がそこにある。
そんな自分を誰が好きになるというのだろうか。

まどかは一人では何もできないお姫様だった。

そしてお姫様には守ってくれる王子様はいない。
ガラスの靴を持って来たり、目覚めのキスをしてくれる相手のいない、一人ぼっちのお姫様。

さやかを引き留めることは、自分にはできない。
まどかには誇れるものが何もない。
自分が、さやかに与えられるものは何もない。

そんな自分が、どうやればさやかを引き留められるというのだろうか。








171 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:09:41.20 U3DqddSY0 134/213



わかっている。
さやかの言ったことは、ただの冗談だ。

本当に鳳学園に転入することなどないだろう。
幼馴染の上条恭介も見滝原に居るのだ。
あの場所を離れることなど決してない。
後、二週間もすれば、まどかの世界は元に戻る。

その世界がいつまでも続くなど、どうして考えたのだろう。

気づいてしまった。
さやかが、明日そばに居てくれる保証などどこにもないのだ。
もしかしたら、何かの拍子にいなくなってしまう。
そんなことだってあるのだ。

その時、何かできなければいけない。
何かできなければ、自分はさやかを失ってしまう。
友達でいることも、さやかも助けることができない。

変わらないと。

変わらないと。

そうしなければ、失ってしまう。

しかし現実の自分は、何も変わることはできない。







172 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:13:02.39 U3DqddSY0 135/213


―――――

さやかたちに断りを入れ、まどかは音楽室から退室した。
寄るところがあると、一言添て。

本当は寄るところなどない。
自分は、この学園では何もない人間なのだから。

まどかは歩いた。
ただひたすら歩いた。
行先など、何もない。
その姿は、何かから逃げているようだ。
しかし、逃げることなど決してできない。

それでも、まどかは歩いた。
歩いて前に進めば、そのうち何か解決するのではないか、そんな淡い期待を込めて。

自分は変わらなければいけない。
しかし、現実は自分に変わる力はない。







173 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:13:58.92 U3DqddSY0 136/213



『君は、君のままでいればいいんだ。君の普通は、君だけのものだ。無くしちゃダメだよ』

違う。
自分は変わらなければいけない。


『だから、無理に変わる必要なんてありません。
鹿目さんは鹿目さんのままでいればいいんです。美樹さんも、それを望んでいるはずですから』


そうでなくては、色んなものを失ってしまう。


『でも、この学園って面白いし、確かにもっと居たいって感じるなぁ。いっそこのまま、ずっといるのもいいかもねー』


しかし、変わることは出来ない。

まどかは、歩き続ける。
いつの間にか校舎を出て、外を歩いていた。
校庭やカフェテラスでは様々な生徒が思い思いの活動をしている。

しかし、自分にはやることは何もない。







174 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:15:13.64 U3DqddSY0 137/213



どうして、こんなことになったのだろう。

まどかは変わることも変わらないことも、どちらも選ぶことは出来なかった。
変わる力も、変わらないことで失うことに耐える力も、自分にはない。
ただ、何もできないまま周囲に流されていくだけだ。
大切なものが失われても、おそらく自分はそれを受け入れるしかできないのだろう。

そして自分は何者にもなれないまま過ごしていくのだ。

何で自分はこうも弱いのだろうか。
まどかは泣きたくなった。
失うことになっても、それを繋ぎ止めることも出来ない。

昔から何も変わっていないのだ。
さやかが近くに居たから忘れていた。
弱いままの自分、一人じゃ何もできない自分のことを。

友達も自分で作れたわけではない。
さやかがいたから出来ただけだ。
さやかが居なければ自分は何もできない、どうしようもない人間だ。

嫌だ。そんなのは嫌だ。







175 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:16:20.88 U3DqddSY0 138/213



だが、どうすることもできない。

自分を変える力がないことは、この二週間、鳳学園で過ごして、嫌というほど突きつけられた。
誰が、自分のことを覚えてくれただろう。
結局自分は、交換学生であって『鹿目まどか』として見られてなどいない。
ただの、ラベルを張られた人間だ。 

どうしようもない。息苦しい。
不安が自分を押しつぶす。

あれだけ澄んでいた鳳学園の空気すら、今は毒のようにちくちくと体と心を傷つける。
自分を取り巻く世界が、自分を責め立てているような気がした。

いや、違う。おかしいのは自分なのだ。

世界は何も変わっていない。
ただ自分が気づいただけなのだ。
自分が置かれている、本当の世界に。

こんなこと、どうすれば解決できるのだろう。

自分の力では無理だ。
自分は、一人では何もできないのだから。







176 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:17:37.93 U3DqddSY0 139/213



「あ……」


気が付くと、古びた建物の前にまどかはいた。

半ば朽ちたように、時間を止めたような建物。
所々壁が朽ちており、蔦が建物を覆っている。
まるで、閉鎖された病院のような雰囲気がここにはある。


根室記念館。


生徒手帳にも載っていない、不思議な建物。

まどかは思い出す。
そこでは、どんなこと悩みも解決してくれる秘密の面会があることを。

鳳学園の生徒の間に流れる、不思議な噂の一つ。
根室記念館の面会室の噂。

噂は噂だ。本当にそんな話があるわけがない。







177 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/19 22:19:01.76 U3DqddSY0 140/213



『噂は本当ですよ』


アンシーの言葉が、脳裏に蘇る。

入口の扉に手を伸ばす。
ひんやりとした感触が手のひらに広がった。

外からの印象通り、根室記念館は冷え切った建物だった。
生きているものの居ない時間を止めた建物であり、冷たさしかない。
日当たりの良い建物なのに、暖かみは全く無かった。

まどかは、扉を開けた。



「……誰かいませんか? ……すいません。どなたかいらっしゃいませんか? 
あのー、予約とか取ってないんですけど、よろしいですか?」








181 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:16:25.37 UfEIbf4s0 141/213

 


 面会の方は
 必要事項を記入して
 お待ちください。

     根室記念館




受付にて、面会は受理された。
 
渡された紙に、必要事項を記入する。
記入を終えると、椅子に座って待っているようにまどかは言われた。
言われた通り、まどかは呼ばれるまで待つことにする。

どのくらい待つのだろうか。

ふと見てみると、受付の壁には写真が何枚も飾ってあった。
写真には、沢山の少年の集合写真や、黒い服を着た『剣』をもった人間の姿が映っている。
ここの人たちの写真だろうか。
おかしな写真だと、まどかは思う。

やがて名前が呼ばれ、案内に従って奥に進むように言われた。
奥に進むと、壁に沿っておかれた椅子に、案内の看板が置かれていた。







182 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:17:37.32 UfEIbf4s0 142/213





☜面会室




根室記念館の中は薄暗い。

真っ暗というわけではないが、廊下の先が良く見えない。
案内が置かれているのは、親切だった。
これに沿っていけば迷うことはないだろう。




☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室☜面会室




やがて廊下には、いく手を阻むように椅子が置かれていた。

やはり椅子には案内の看板が置かれている。
その先には取っ手に『面会室』の札が付いた、一つの部屋があった。




☜面会室☜面会室☜面会室




まどかは部屋に入った。








183 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:18:51.52 UfEIbf4s0 143/213


―――――


人一人が何とか座れる、狭く、薄暗く、寒々しい個室。

冷たい壁には蝶の標本が飾ってある。中には白塗り椅子が用意してあり、前には鏡がある。
その作りは、さながら教会の懺悔室を思い出させた。

根室記念館。その面会室。

困った時はどんな相談でも聞いてくれるという秘密の部屋。
今は、そこに一人の少女が、訪れている。


「あの…。中等部1年、交換学生。鹿目まどかです」


部屋に、優しい声が響く。


「では、始めてください」







184 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:19:42.46 UfEIbf4s0 144/213




ゴウン… 




面会室が動き出す。地下へ。深いところへ。


「あの…私って、昔から得意な学科とか、人に自慢できる才能とか何もなくて…。
きっとこれから先ずっと、誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。
それが嫌でしょうがなかったんです」







185 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:20:20.60 UfEIbf4s0 145/213




ゴウン… ゴウン… 




「中学生になっても何も変わらなくて…。
だから自分を変えたかった。このままじゃいけないって。
今回の、交換学生の話を受けたのも、そう思ったからで…」







186 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:21:04.18 UfEIbf4s0 146/213




ゴウン… ゴウン… ゴウン…




「…これで何か変わる。もしかしたら新しい自分になれるかもって、そう考えていました」







187 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:22:38.61 UfEIbf4s0 147/213



部屋が、止まる。静寂が部屋を包んだ。


「深く…。もっと深く」


声は先を促す。
まどかは一瞬躊躇し、しかし話し出した。


「…でも」


再び面会室は動き出す。地下へ。さらなる深淵へ。








188 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:23:17.80 UfEIbf4s0 148/213




ゴウン ゴウン ゴウン




「結局、何も変わりませんでした。
それどころか、自分は昔から何も変わってなかったってことがわかって…。
さやかちゃんがいないと、私って友達も作れなくて…」


蝶はサナギになる。







189 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:23:58.18 UfEIbf4s0 149/213




ゴウン ゴウン ゴウン ゴウ ゴウ ゴウ…




「何で私ってこんなにダメなんだろう…。
パパも、ママも、さやかちゃんも…。
ウテナさんやアンシーさんだって、みんな凄くて何か取り柄があって…。
それなのに私には何の取り柄もなくて…。
私がいる意味…、私の価値ってあるんでしょうか…」


サナギは幼虫になる。







190 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:24:44.13 UfEIbf4s0 150/213




ゴウ ゴウ ゴウ ゴウ ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…




「嫌…。何にもできないのは嫌…! 
何者にもなれないのはやだ…! 
守られてばっかりはやだ…! 
さやかちゃんみたいになりたい…。
困っている人を助けられるさやかちゃんみたいに…!」


幼虫は卵になる。原初の姿へ






191 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:26:15.88 UfEIbf4s0 151/213



「誰かの役に立ちたい…。
役に立って、胸を張って生きていきたい。
そうじゃなきゃ、私の居る意味なんてない…! 
誰の役にも立てないまま、迷惑ばかりかけていくなんて、そんなのいやだ…! 
必要とされたい…! 何かになりたい…! 
何もできないままでいたくない! 石ころみたいに生きていくのはやだ…! 
透明なままはやだ…! 
何かになりたい…。何か…。何か…。何か…!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――――――――――――――――

192 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:27:03.50 UfEIbf4s0 152/213






ガコン!






193 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:27:41.19 UfEIbf4s0 153/213



轟音と共に、部屋の動きは止まった。
どうやら、最下層についたようだ

まどかは、力なく椅子に座っていた。


「わかりました」


背後に、いつの間にか一人の青年が佇んでいた。

青年・御影草時は、優しく、救いの手を差し伸べた。


「貴方は世界を革命するしかないでしょう。
あなたの進むべき途は用意してあります」







194 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:29:25.27 UfEIbf4s0 154/213


―――――


ミッキーとの話を終え、さやかは寮に帰ってきた。

本当はもう少し話をしていたかったが、今日はさすがに夕食を作るのを手伝わないとマズイ。
ここ二、三日はまどかが手伝ってばかりだ。
はっきりとした取決めがあるわけではないが、まどかばかりに押し付けるのは良くない。
まどかと自分は対等な立場なのだ。

周りからは似合わないとよく言われるが、さやかは音楽が大好きである。

幼馴染の恭介と一緒にいると、嫌でも音楽は耳に入ってきた。
最初は眠くなるような音だと思っていたが、恭介の話を聞くと、その音の意味・表現している物・楽しみ方が理解できた。
以来、音楽はさやかのお気に入りになった。

今日も楽しかった。

ミッキーにクラシックについての話も聞けて非常に実のある時間だった。
学園一の音楽の手ほどきを受け、今のさやかは無敵状態だ。
これで七実や、見滝原に帰れば恭介も驚かせることができるかもしれない。
それを考え、さやかは一人にやにやと意地の悪い笑顔をするのだった。









195 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:30:51.41 UfEIbf4s0 155/213



部屋に入ると、まどかは戻っていなかった。

まだ用事が終わっていないのかもしれない。
しかし、まどかもちゃんと自分抜きで付き合う友達ができていたのだと思うと、さやかは安心した。
それと同時に、何となく寂しい気分にもなる。
まるで独り立ちした我が子を見る母親のようだ。

そんなに老けてないって―の! 

自分自身にさやかはツッコミを入れる。
この年で母親気分を味わうなど、花の中学生にあるまじきことだ。
まどかを見ていると、庇護欲がむくむくと湧き上がってくるのは確かだが。

そんなことを考えながら制服を脱ぎ、部屋着に着替えると、少し時間が空いてしまった。
天上先輩はまだ帰ってきていない。
自分一人ではメニューを決められないし、お米はすでに研いでセットしてある。
現状、自分が夕飯の手伝いにおいてやれることは何もない。
 
さて、どうするか。

宿題をするか、それともミッキーから聞いた話を忘れないうちにメモっておくか。
うん、宿題は後回しにしよう。
そんなことよりも、音楽の方が大切だ。
それに、音楽も立派な学生がするべき勉強だろう。
ならば、メモをした方が一石二鳥というものだ。
ええと、確か、今日の話で出てきたのは――







196 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:31:58.48 UfEIbf4s0 156/213



「さやかちゃん」


「ふぇっ?!」

急に名前を呼ばれて、さやかは背中に冷水をかけられたように飛び上がった。
見ると、いつの間にかまどかが部屋に戻ってきていた。


「ああ、まどかかぁ。お帰り」

「うん。ただいま、さやかちゃん」

「いやー、びっくりしたわ。あんた部屋に戻ったんなら、もっと早く声をかけてよ」


今のは心臓に悪い。
いつ帰ってきたのだろうか。
階段を上る音も聞こえなかったし、ドアを開ける音もしなかったはずだ。


「とにかく着替えなよ。そんなところで立ってないでさ」

「…」








197 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:32:50.94 UfEIbf4s0 157/213



「…まどか?」


まどかは何もせず、たださやかを見ていた。
どことなく気が抜けてぼんやりしたような表情をしている。

何か、体からが抜け落ちているかのようだ。
まどかをまどかにしていた『何か』が、今のまどかには無い。

まどかの様子がおかしい。

そう思った時、さやかはまどかに抱きつかれていた。


「ちょっ…!」

「…」







198 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:33:48.26 UfEIbf4s0 158/213



「ど、どうしたの、まどか?」


返事はない。
ただ、ぎゅっとさやかは抱きしめられた。

まさか、誰かに何かされたのだろうか。
容疑者として、自分に突っかかってくる七実の顔が浮かんだが、確証はない。

小学生の頃、たまにいじめられていたことがあったのをさやかは思い出す。
それなら、あの落ち込んでいたような雰囲気も納得がいく。
心細くなってこんな行動に出たのだとしたら、かなりの重傷だ。


「……大丈夫だよ、まどか」


さやかは、まどかを抱きしめ返した。


「……あんたはこの私が守ってあげるから」

「……」

「だから、辛いことがあったんなら話して」

「……」

「私はアンタを傷つけるやつは許さないから。だから――」







199 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:35:03.72 UfEIbf4s0 159/213



「さやかちゃん」


さやかの声を遮り、まどかは声を出した。


「私ね。さやかちゃんみたいになりたかったの」

「まどか……?」

「さやかちゃんって凄いよね。誰とでもすぐ仲良く出来るし、いつだって明るいし」

「う、うん。ありがと……」

「私は、そんなさやかちゃんみたいにならなきゃいけないの。そうしないと、何にもできないから」

「あんた、何言って――?」

「だから、さやかちゃん」


まどかの手が、さやかの胸に触れた。

その手に黒い指輪がはめられていることに、さやかは気が付かなかった。







200 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:36:12.86 UfEIbf4s0 160/213



「貸してね?」


その瞬間、どくん、と何かがさやかの中で蠢いた。

驚き、まどかを体から引きはなす。
しかし、胸の違和感は止まらない。
どくん、どくん、と何かが形になろうとしているようなそんな感覚。
それが、さやかの身体を満たす。


「あ、あ、あ」


さやかは、何かを守るように胸を押さえた。

が、止まらない。
何かが、自分から引き抜かれようとしている。
自分の思考、感情、理想、心。
そういったものが引きずり出されたような感覚。
その感覚に、さやかは悶える。

その様子を見て、まどかは微笑んでいた。







201 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:37:05.67 UfEIbf4s0 161/213



「あ、あ、あ。ああああああああああああああああ!!!!」


絶叫と共に、さやかの身体が弓なりに反った。

体を天に捧げるように、胸を天上に突き出す。
そして、さやかの胸から、何かが引き抜かれてきた。

『剣』だ。

反りの入った刀剣。
力強いが、拙い人間が使うのか、柄には手を守るためにナックルガードがついている。
幼い理想が具現化したような、そんな剣だ。

まどかは、その剣をさやかから引き抜いた。

さやかが床に倒れ伏す。
しかし、まどかはさやかの事を気にも留めなかった。

いとおしそうに、引き抜いた剣を見つめる。
手に取り、握りしめると、それだけで力が湧いてきた。
これが力。弱い自分を変え、世界を変革する力だ。


「これで私は、何かになれるんだね」


まどかは、小さくつぶやいた。







202 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:37:55.77 UfEIbf4s0 162/213


―――――

日は沈み始め、鳳学園には夕焼けが差し始めていた。

ウテナは鞄を持ち、寮に帰ろうと校舎を歩いていた。
既に人はまばらで、廊下を歩いているのは自分くらいのものだった。
騒がしい学園も好きだが、こんな静かな学園もウテナは気に入っていた。

帰ったら、さっそく夕食の支度をしなくてはならない。
今日は、どっちが手伝ってくれるのだろうと、ウテナは想像する。

まどかは慎重すぎて、さやかは大雑把だ。
どちらか、あるいは両方が来ることを想定して、何をやってもらおうか考える。
こんなことを考えるのも、ウテナのここ数日の楽しみになっていた。

献立と役割当番に頭を動かしている内に、下駄箱に到着した。
ウテナは自分のロッカーに手を伸ばし、扉を開ける。







203 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:38:28.69 UfEIbf4s0 163/213



そこには手紙が張られていた。




エンゲージする者へ 
夕刻 決闘広場で待つ




今日も鳳学園の裏の森で、決闘が始まる。







204 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:39:36.06 UfEIbf4s0 164/213


―――――


影絵少女は、かく語る。


「ごうがーい。ごうがーい。ごうがーい」



「ねぇ、貴方。私って役に立っている?」

「ああ、君は役に立っているよ」

「でも、私そんな実感がわかないの。だから、何でも言って! 私は役に立ちたいの!」

「じゃあ、食事を作ってくれ」

「わかったわ!」

「ついでに、洗濯もしてくれ。毛糸のパンツの扱いには気を付けてな」

「わかったわ! 縮まないように注意するわね!」

「さらに、掃除もしてくれ。ベットの下は覗かないでくれよ」

「わかったわ! もし見つけても、机の上に並べたりしないわよ!」








205 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/22 22:40:57.07 UfEIbf4s0 165/213



「最後に、これにサインしてくれ。婚姻届だ」

「わかったわ。ああ、楽しい楽しい。人の役に立つって、なんて楽しい。なんて満たされるの。
もう私は貴方がいないと生きていけないわ!」

「ふっふっふ、バカな奴だ。これで俺はアイツをゲット! 一生こき使ってやるぜ!」


ウテナは小さくつぶやいた。


「女同士は無理ですよ、結婚」







211 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:41:07.31 eNJv5dBt0 166/213



鳳学園の裏の森。
普段は立ち入りを禁止されているその場所に、決闘広場の入り口は存在する。

木々に囲まれた道を抜けると、水に囲まれた庭園が姿を現す。
水が広がるその中央を割るように通路があり、その奥にある巨大な薔薇のレリーフが飾られた門がある。

ウテナはその門に触れる。
すると水滴が一粒生まれ、ウテナの指にはめられている薔薇の刻印に、ぴちゃり、と降りかかった。

薔薇の門が開き始める。

庭園から水が引いていく。
仕掛けが動きだし、門が姿を変えていく。
何人たりとも通さない、何重にも閉ざされた薔薇の門が開いていく。

やがて、ウテナの前には道が開かれていた。
巨大な薔薇の門を潜り、ウテナは先を目指す。

道の先には、巨大な柱がある。
柱は天を貫き、雲の上まで続いている。
その柱を螺旋階段が取り囲んでおり、空への道を作りあげていた。

その先に、決闘広場がある。







212 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:43:02.30 eNJv5dBt0 167/213


BGM 絶対運命黙示録
(http://www.youtube.com/watch?v=7G_xvzqpibI)


絶対運命黙示録
絶対運命黙示録


出生登録 洗礼名簿 死亡登録


絶対運命黙示録
絶対運命黙示録


わたしの誕生 絶対誕生 黙示録


闇の砂漠に 燦場 宇葉

金のメッキの桃源郷

昼と夜とが逆回り

時のメッキの失楽園


ソドムの闇 光の闇

彼方の闇 果てなき闇


絶対運命黙示録 
絶対運命黙示闇

黙示録 

もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも







213 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:44:15.16 eNJv5dBt0 168/213



ウテナは階段を上り続ける。

そして、ウテナの姿が変わる。
彼女が憧れる、王子の姿に。
凛々しく気高いその姿は、王子を目指す純粋な魂の体現だ。

やがて、階段の終わりが見えてくる。
見上げると、空には永遠があるという幻の城が、逆さになってぼんやりと浮かんでいた。

あの城には永遠が眠っている。
薔薇の花嫁を手に入れた者は、やがて『世界を革命する者』となり、あの城に眠る永遠の、奇跡の力を手に入れると言われていた。

ウテナはそんなものに興味はない。
そんなもののために姫宮を奪い合う、この決闘ゲームが嫌いだ。

決闘に向かおう。姫宮が待っている。







214 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:47:15.30 eNJv5dBt0 169/213



天空の決闘広場に着くと、やはりそこには姫宮がいた。

ティアラを付け、真っ赤なドレスに身を包み、まるでその姿は一輪の薔薇のようだ。
それが、薔薇の花嫁としてのアンシーの姿だった。

そして、今回の相手は――。


「な……」


その姿を見て、ウテナは驚愕する。

ある時期を境に、決闘広場には異変が生じている。
そして今回も、広場には奇妙な光景が広がっていた。

広場の床には、模様が浮かび上がっている。

人の形をした赤い模様だ。

その模様は、人が倒れたような形をしていた。
それが広場を覆い尽くすように、床に描かれている。

それは、死体を連想させた。
まるで、ここで沢山の人間が死んだようかのようだ。

そして、広場にはあるものが置かれている。

机だ。

大量の机が、広場に置かれていた。
ただ置かれているのではなく、規則正しく並べられたその眺めは、学校の教室を思い起こさせた。

机の上にはノートが置いてあった。
何の変哲もない、ただの落書き帳。
ページが開いており、中には絵が描いてある。
それが広場全ての机の上に、置いてあった。







215 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:49:48.20 eNJv5dBt0 170/213


そして、広場と並べられた机の中心に、彼女はいた。


「この黒バラにかけて誓う」


なんで。
どうして。

ウテナは混乱する。

少女は胸に飾られた薔薇に手を当てる。
その姿は、ここ数日ようやく着慣れた鳳学園の制服ではない。
黒い喪服のような決闘装束に彼女は身を包んでいた。

彼女にそんな姿は似合わない。
人一倍、優しい子だったのに。


「まどか…ちゃん」


どうして、まどかがここに居るのだ。


「この決闘に勝ち、バラの花嫁に死を!」


まどかは剣をウテナに向ける。
それで、ウテナはようやく決闘相手が誰なのか理解した。







216 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:52:37.85 eNJv5dBt0 171/213



「姫宮! どうしてまどかちゃんが……」

「おそらく、香苗さんや梢さんと同じです。いつもの鹿目さんではありません」

「あの黒薔薇のせいか……!」


まどかの胸に飾られた黒薔薇を、ウテナは睨みつけた。

黒い薔薇を胸に飾ったデュエリスト。
彼らは何者かに操られ、正気を失い薔薇の花嫁を殺すために襲い掛かってくる。
元に戻すには薔薇を散らし、決闘に勝利するしかない。


「さあ、剣を抜いてください。天上先輩。でないと……」


うつろな目をした、まどかが笑う。


「姫宮先輩を、殺してしまいますよ?」

「……! 姫宮!」


やるしかない。
戦わなければ、姫宮は奪われ、まどかも元に戻せない。

ウテナは、覚悟を決めた。







217 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:53:48.32 eNJv5dBt0 172/213


決闘BGM  地球は万物陳列室
(http://www.youtube.com/watch?v=TBgX0JwNs4c)



「気高き城のバラよ…」


アンシーの胸元が輝きだす。
小さな光が集まり、やがて大きな輝きとなった。


「私に眠るディオスの力よ。主に答えて、今こそ示せ…」


その身に宿る力を捧げるアンシーの身体を、ウテナは優しく抱きかかえた。
その姿は姫を守る王子様そのものだ。

やがて光の中心から、柄が現れる。

薔薇の装飾が施された、美しい剣。
その柄が主の呼び声に答えて、その姿を現した。

かつてこの世界に居た王子・ディオス。
姫宮アンシーの中に眠るその理想が、剣となって顕現する。







218 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:55:16.74 eNJv5dBt0 173/213



ウテナは剣を、アンシーから引き抜いていく。
アンシーからウテナへ、その理想が引き継がれる。
世界を救う、ひた向きな気高い理想が。

ウテナは万感の思いを込めて、その剣を引き抜いた。

姫宮が自由を奪われ、まどかが正気を失い戦わされる世界。
そんな世界があるならば、自分が変えてみせる。

姫宮を、薔薇の花嫁から解放するために。

まどかを、元に戻すために。

そのために――。



「世界を、革命する力を!」



そして、決闘開始の鐘が鳴る。







219 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:56:10.53 eNJv5dBt0 174/213



まどかの刀剣と、ウテナの剣がぶつかり合った。

重い。
まどかの刀剣を受け、ウテナは腕が飛ばされそうな感覚を味わった。
体勢を崩され、続けてくる攻撃が受けられない。


「はぁっ!」

「くっ……!」


まどかの第二撃をギリギリで躱し、ウテナは一時的に距離をとった。
その隙に体勢を立て直す。

彼女のどこに、こんな力が眠っていたのか。


「天上先輩、どうしたんですか。そんなんじゃ、先輩を倒す意味がないじゃないですか」


そんなウテナの姿を見て、まどかは不満げに言葉を漏らした。
再び、刀剣を握り、ウテナに剣を振るう。







220 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:57:23.70 eNJv5dBt0 175/213



まどかは、剣の腕があるわけではない。

これまでウテナが戦ってきた者たちと比べると、格段に見劣りする。
最低に近い腕だ。
大振りであり、一度剣を振ればその後は隙だらけになる。
ただ力任せに刀剣を振り回しているだけであり、剣技と呼ぶにはあまりにも程遠い。

が、ウテナは攻めきれずにいた。

一撃を受け止めるたびに、剣を飛ばされそうになる。
その力は、何よりも強い。
このまま受け続けていれば、やがて剣をへし折られてしまいそうだ。

幼稚極まりないが、それ故に何よりも暴力的な力を持つ。
それがまどかの持つ刀剣の力だった。

さらにもう一撃が来る。

机が邪魔になり躱せない。
再び、ウテナはまどかの剣を受け止める。凄まじい衝撃に腕が痺れた。

大量の机が置かれた決闘広場では動きが制限され、躱すのにも限界があった。
かといってまどかの身体を傷つけるわけにもいかない。
攻めあぐねているウテナに対し、まどかは勢いに乗って攻め続ける。

状況に守られ、まどかの剣はウテナの剣と互角に渡り合えるものとなっていた。







221 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 21:58:51.82 eNJv5dBt0 176/213



「でも、どうしてだ! まどかちゃん、君は戦うような子じゃないはずなのに!」


鍔迫り合い状態になり、力比べの場面になる。
しかし、両手で剣を支えているにも関わらず、じりじりとウテナはまどかに押されていった。

ウテナの必死の叫びに、まどかは言葉を返した。


「そう。わたしはそんなことができなかった。戦うことができなかった。だから失うしかなかった。
でも、そんなのは嫌なんです!」

「何?!」

「何もできなくて失うのは嫌。だから私は自分を変えるんです!」


まどかが全力を持って、ウテナを吹き飛ばす。
飛ばされたウテナは、机に叩きつけられた。

全身が痛むが、まだやれる。

机に寄りかかりながらも、ウテナは立ち上がった。







222 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:00:15.30 eNJv5dBt0 177/213



「それで君は何になるっていうんだ! 優しい君を捨てて、それで本当にいいのか!」

「今のわたしじゃ、何も変えられない。だから私は私を変えるんです! その為なら何だっていい。今の弱い私なんかいりません!」


まどかは剣を振り回し、ウテナに襲い掛かった。

剣を振り回した風で、机の落書き帳のページがめくれていく。
中にはアニメのキャラやアイドル、友達など様々な絵があった。
描かれているものに、整合性はなかった。


「そうやって捨てていったら、本当に何もなくなってしまう。目を覚ますんだ!」

「それでも、今よりはいい!」

「今あるものを大切にするんだ! それが出来なきゃ、君は捨てることしかできなくなってしまうぞ!」

「私はこの力で世界を変える! 先輩を倒して、先輩を超える力を手に入れる! 世界を変えて新しい自分になるんだ!」


そこで、ウテナはまどかの手が目に入った。

赤く腫れ上がり、今にも壊れてしまいそうなほどのダメージを負っている。
刀剣は、持ち主自身をも傷つけていた。
有り余るその力は、扱いきれない者にも無慈悲に襲いかかる。
資格がない者がその刀剣を持てば、持ち主にすらも牙をむく。

誰に対しても平等であり、その理想の妨げになるならば自身をも破滅させる。

邪魔な者は全て敵。
幼稚な故に、単純な理屈。

こんなのは、本当にただの暴力だ。
そんなもので、何が変えられるというのだろうか。

これ以上、長引かせるわけにはいかない。

ウテナは勝負に出た。







223 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:01:36.83 eNJv5dBt0 178/213



「終わりです、天上先輩!」


まどかの全力をこめた一撃が来る。
暴風のような一撃。
これを受ければ、間違いなくウテナは剣を持てなくなるだろう。

その一撃をウテナは後ろに跳ね上がり、躱した。

全身を使って、一気に跳躍する。
ただただ理想の高みを目指す、ウテナだからこそできる芸当だ。

まどかの一撃は、ウテナに届かない。

相手を見失った刀剣が、周囲の机を破壊した。
その上にあった落書き帳が引き裂かれ、バラバラになっていく。

空にある幻の城が輝きだした。

アンシーはそれを見る。
幻の城から現れる、ディオスの幻影。
着地し、最後の一撃を繰り出そうとするウテナに、その幻影は舞い降りた。







224 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:02:57.17 eNJv5dBt0 179/213



「はぁぁぁぁぁっ!」


その時アンシーには、ウテナの姿が王子・ディオスと姿と重なった。

ウテナの身体が、一発の弾丸のようになる。
地面を全力で蹴り上げ、一気に加速する。
剣を突きだし、その力の全てを剣先に込めた。

全身全霊を賭けた、一撃必殺の突き。

それがまどかに撃ちこまれる。
体中にある力を使い、ただ前に全力で突き進む。
そこには、何の躊躇も悔恨もない。
それによってウテナの一撃は、目にも止まらぬ高速の必殺剣となる。

その速さに、まどかは対応できない。

ウテナの剣先が、まどかの胸の黒薔薇を破壊した。

胸の黒薔薇が散る。
風に乗って、その花は空に流れていく。

決闘場に鐘が鳴り響く。
それは、今回の決闘の勝者が決まったことを意味していた。







225 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:04:46.63 eNJv5dBt0 180/213



「あ、あ、あ」


まどかの絶叫が、決闘広場に響き渡った。
顔を手で被い、全身を襲う苦しみにまどかは翻弄される。


「ああああああああああああああっ!」


叫びに呼応するように、決闘場に在った机が動き出す。
片付けられるように、机は四隅に集まっていく。
まるで、一つの舞台が終わったかのようだ。

全てが片付いた舞台の上で、まどかは苦しみ続ける。

やがて、まどかの指にはめられた、黒い薔薇の刻印が崩壊した。

その瞬間、まどかは糸が切れた人形のように広場に倒れ伏した。
手に持った刀剣も消滅する。

倒れたまどかは床に描かれた赤い人影と重なり、その姿はまるで死体の様だった。







226 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:06:51.59 eNJv5dBt0 181/213



「まどかちゃん……」


ウテナはまどかを抱きかかえる。
死んでなどいない。眠っているだけだ。
おそらく、これまでと同じように、黒薔薇に操られていた時のことは覚えていないだろう。


「誰が……」


唇をかみしめる。

誰が、黒薔薇を使って人を操り、姫宮を亡き者にしようとしているのか。
まだ見ぬ黒幕に、ウテナは怒りを燃やす。
みんなを影から操り、自分の手は汚さずに事態を見ている人間は誰なのか。

そんなウテナを、アンシーはじっと見つめていた。







227 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:07:46.02 eNJv5dBt0 182/213


―――――

棺の一つが、奈落へ落ちて行った。

瞬間、業火が燃え上がり棺を焼き尽くす。
役目を終えた棺が焼かれていく。
中に入っている人間の過去も感情も、一切合財、灰に還していった。

根室記念館の地下。
焼却炉の前で、御影草時は、一人今回の決闘を振り返る。


「失敗か。思ったよりも善戦したが、所詮は間に合わせだったね」


心を凍結させたデュエリストでは、天上ウテナは倒せない。
少しは期待してみたが、その結論は変わらないようだ。







228 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/26 22:10:37.73 eNJv5dBt0 183/213



ただ、あの少女が他人から剣を抜くのは想定外だった。

が、おかげでいいデータが取れた。
心の剣が手に入っても、剣が紛い物では何の意味もない。
やはり、『質』を考慮しなければならないようだ。

天上ウテナを倒すにはもっと強い薔薇の力が必要だ。
強い心を持った人間と、その心の剣を扱える人間が。

やはり、生徒会だ。
彼らの心なら、天上ウテナを倒せる、強い剣に結晶する可能性が一番高い。
後は、その心を扱える人間を、用意しなければ。

その日、根室記念館の煙突からは、煙が上がっていた。







234 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:11:54.93 KZZc0D8n0 184/213


―――――


最後に掃除機をかけ、部屋の掃除が終わった。

やり残した場所がないか、部屋を見回してみる。
ベッドはふかふか。
クローゼットとテーブルも汚れはない。
窓もピカピカだ。
床にも埃一つ落ちていなかった。

まどかは部屋に初めて入った時のことを、思い出した。
古めかしい寮だったが、部屋はとてもきれいで、花瓶に入った薔薇の香りが漂っていた。

あれから一か月、この部屋で過ごして楽しかった。
今は入ってきたときに負けないくらい、部屋は綺麗になったと自信がある。
唯一負けるとすれば、それは薔薇の香りの有無だ。

今日は、鳳学園で過ごす最後の日。明日で交換学生も終わりだ。








235 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:13:07.82 KZZc0D8n0 185/213



「まどかー。そっちはどうー?」

「うん、終わったよーさやかちゃん。台所はー?」

「こっちも、完了―!」


階下から聞こえてきたさやかの声に、返事をした。
さやかは下の食堂で掃除をしている。
まどかは部屋の掃除担当で、さやかは台所担当だ。


「天上先輩たちがお茶にしようってさー。おいでよー」

「うんー」


こっちの部屋の掃除も終わったところだ。
ちょうどいいタイミングだった。
窓を閉めて、食堂に向かう。

ふと、まどかは振り返って部屋を見渡した。

ありがとう。

小さくおじきすると、まどかはこんどこそ食堂に向かった。







236 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:14:10.91 KZZc0D8n0 186/213


―――――


「にしても、これでまどかちゃん達とはお別れかぁ。なんだか、あっという間だったなぁ」

「それ、アタシたちのセリフっすよ。天上先輩」

「ええー、いいじゃないか。ボク達が後輩との別れを惜しんだって。なぁ、姫宮?」

「ええ、ウテナ様」

「あ、姫宮先輩。お茶のおかわりはどうですか?」

「ええ。お願いします鹿目さん」

「そういえば、まどかちゃんは姫宮から薔薇の育て方を教わったんだよね」

「はい。パ……お父さんが前に失敗しちゃったから、姫宮先輩に教えてもらおうと思って。
上手く育てられたら喜ぶかなって」

「まどかってばここ最近、放課後はずっと姫宮先輩と一緒に居たもんねー」

「で、薔薇は育てられそう?」

「な、なんとか……」

「一通りは教えましたけど、環境が変わればやり方も変わってきますから。
気を付けてくださいね鹿目さん」

「は、はい!」







237 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:15:17.77 KZZc0D8n0 187/213



「そういえば、友達のお別れはすんだの?」

「はい。みんなに毛糸のぬいぐるみをプレゼントしました」

「それが天上先輩、聞いてくださいよ! まどかが全員分プレゼントするんだって言って大変だったんですよ! 
アタシまで作るの手伝わされたし!」

「ああ、それでここのところ夜遅くまで起きてたのか」

「あ、そういえばコレ。お二人の分です」

「え、ボク達にも?」

「ありがとうございます。鹿目さん」

「うわ、良く出来てるな。これボク?」

「先輩たちにはお世話になりましたから頑張ってみたんですけど、どうですか?」

「可愛いですね、ウテナ様」

「あははは、これ姫宮? 何か目がジトーってしてるなぁ」

「どうもどうも」

「あとこれ。幹くんと七実さんの分なんですけど。昨日会えなくて……」

「まどかも物好きだよねぇ。ミッキーはともかく、何で七実の分まで作ったんだか」

「ダメだよ、さやかちゃん。七実さんにはお世話になったんだから」

「何か、ケンカばっか売られてた記憶しかないんだけど。
ていうかアイツにプレゼントしても、『何よこんなもの』とか言って捨てる姿しか想像できないよ」

「それでもいいの。感謝してるって、伝わればいいから」

「報われないなぁ……」







238 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:15:52.84 KZZc0D8n0 188/213



「ええと。じゃあ、渡しておけばいいのかな?」

「はい、お願いします。ええと、黄色いのが七実さんで……」

「青いのがミッキーだよね。こっちもよく似てるなぁ。特に七実のつり眼なんかそっくりだよ」

「ほほう。意外な才能ですな、まどか殿?」

「そ、そんなことないよ。こんなの誰にでもできるし」

「ボクはこんなのできないよ。やっぱり師匠は腕が違うなぁ」

「し、師匠?!」

「おー、凄いねまどか。あの学園のヒーロー天上先輩を舎弟にするとは……」

「や、止めてよさやかちゃん! そんなんじゃないってば!」

「師匠。また裁縫教えてくださいね」

「て、天上先輩!」

「あらあら、ウテナ様ったら」







239 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:16:57.05 KZZc0D8n0 189/213


―――――


食堂は賑やかだった。
ティーカップに紅茶を注ぐと、相変わらず薔薇の香りが芳しい。

しかし、この食堂でこの薔薇の香り嗅ぐのも最後だ。
それを考えると、やはり寂しくなる。
そういえば、寮に運ばれて目が覚めた時も時も、この香りが最初に気が付いたことをまどかは思い出した。

疲労で倒れたときのことをまどかは覚えていない。

あの日は外を散策していたような気がするが、その記憶はおぼろげだ。
自分が何をしていたのかも思い出せないほど、あの時の自分は疲れていたのだろう。
運よく通りかかった天上先輩によって寮に運ばれたらしいが、その時のことは全く覚えていない。
気が付いたら、寮の自室で寝かされていた。

話を聞くと、さやかも同じころ部屋で倒れていたらしい。
自分もさやかも、環境の変化で疲労が溜まっていたのだろうか。
結局、次の日は二人して授業を休むことになってしまった。

一度ゆっくり休むと、体の調子はすこぶる良くなった。

その前までの身体のけだるい感じはどこかに行き、すっきりと体は軽くなった。
それと同時に気分も良くなり、それまでの陰鬱とした気持ちが、嘘のように晴れ渡っていた。







240 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:18:37.44 KZZc0D8n0 190/213


それからの学園生活は充実したものだった。

新しい友達とも仲良くすることも出来るようになった。
一日休んで学校に行ってみると、クラスメイトから多くの身体を気遣う声を聴くことになった。
そこで気が付いたのだが、どうやら自分は体の弱い子だと思われていたらしい。
何となく距離を取られていたのも、無理はさせられないということが原因だったようだ。
命に別状はないかという質問を聞いて、ようやくそこに気が付き、慌てて誤解を解くと、安堵の声が広がった。

それがきっかけとなって、何となくクラスのみんなとは仲が良くなった。

誤解を解くために話す機会が増えたこともあるが、どことなくそこから話しやすくなった印象がある。 
もしかしたら、自分が周囲に対して壁を作っていたのだろうか。
それが自分から話す必要が出来たせいで無くなったのかもしれない。

とにかく、以前よりも友達は増え、さやかに頼らずとも交友関係を深めることができた。
裁縫ができる友達も出来たし、男子生徒とも以前よりも喋れるようになった。
男子の友達は、さすがに難しいところだ。







241 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:19:43.78 KZZc0D8n0 191/213



また余裕ができたのか、色々なことにチャレンジすることもできた。
アンシーにバラの育て方を教えてもらうように頼んだのもその中の一つだ。
アンシーは特に何も言わずに快諾したため、それから放課後は毎日アンシーの都合が良ければ薔薇園に通っていた。
意外とアンシーの教え方は厳しく、水やりや剪定の仕方はもうお手のものだ。

その他にも料理・スポーツと色々と手を出してみた。
そういうことが得意なウテナの協力もあって、様々なことを試すことができた。
あまり芽が出たものはなかったが、それでもウテナや時にはさやかと共に色々とやってみるのは、楽しかった。

何となく、倒れてから憑き物が落ちたようだ。

あれだけ何か焦っていた気分はなくなり、学園生活も実りあるものになった。
結局のところ、自分で何もしないでただ悩んでいるのが悪かったのかもしれない。

すこし勇気を出して一歩を踏みだせば、その分周囲は変わる。
当り前のことだが、何もしないでいては何も変わらないのだ。
動けば動いた分だけ、何かしら変化は訪れる。
自分に必要だったのは、とりあえず動いてみることだったのだろう。







242 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:21:26.41 KZZc0D8n0 192/213



「にしても、まどかと同時に倒れた時はビックリしましたよ」

「びっくりしたのはこっちさ。外からまどかちゃんを運んでみれば、部屋じゃさやかちゃんが倒れているんだから」

「なーんか倒れた時のことよく覚えていないんですよね。何かまどかと会ったような気がするんですけど」


さやかは倒れた時のことを思い出す。

自分は部屋で着替えていたはずなのだが、気が付けばベットで寝かされていた。
あの時、まどかが部屋に入ってきたように思うのだが、記憶は曖昧だった。
確か、そのあとまどかに……。


「まどかさんは外で倒れていたんですから、それはありませんよ。
夢でも見ていたんじゃないですか。ねぇ、ウテナ様?」

「うん、それはないね。その時まどかちゃんは僕が背中におぶさっていたし」

「うーん……」


まぁ、そうならアレは夢なのだろう。

そもそも、あんなことが現実に起きるわけがない。
突拍子の無さも夢なら全部説明がつくことだ。
あんな夢を見る自分の頭が少々心配になるが。







243 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:22:27.64 KZZc0D8n0 193/213



「あの時は迷惑かけちゃってすみません、天上先輩」

「いいよいいよ、気付かなかった僕たちも悪いんだし。そんなにかしこまらないで」


それよりも……、とウテナは言葉を続けた。
どことなく、緊張しているようにも見える。


「鳳学園はどうだった? これで君たちは離れるわけだけど、楽しかったかな?」


実際、ウテナは緊張していた。

後輩と呼べる後輩が出来たのは、これが初めてなのだ。
自分が先輩として、そして鳳学園で一番身近に接してきた者としてまどか達に何かできたのかが心配だった。


「そりゃあもう! 学園生活は楽しかったし、ミッキーとの音楽談義は身になりましたもん! これで終わるのが名残惜しいくらいですよ!」


さやかは元気よく答えた。

思えばさやかはこの学園にすぐに馴染み、学園生活を楽しんでいた。
ミッキーや七実とも仲良くしていたし心配する必要はなかったのかもしれない。







244 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:23:56.92 KZZc0D8n0 194/213



「まどかちゃんは、どう?」


ウテナの視線を、まどかは受け止めた。

何かできたわけではない。
結局、変われたというほど変われたとは思えないし、人に誇れるほどの自信が付くようなことができたわけでもない。
それでも一歩は踏み出せたと思う。変わることができる、その一歩を。

しかし、それと同時にそれまでと違う場所に来て、分かったこともたくさんあった。

変えようと思えば、いくらでも世界は変わる。
現に自分は変わる一歩を踏み出せた。

しかし、変わることはそんなに難しいことではないのだ。
むしろ、世界は簡単に変わってしまう。それこそ、本人の意思と関係なく、大きな流れによって。

そして、変わることで失うものもあるのだ。

ウテナやアンシーの言葉を思い出す。
アンシーは変わらなくても、良いと言っていた。
あの言葉を全て受け入れることは出来ない。
変わらなければいけない時は、必ずはある。

現に、何もできないことが嫌いだった自分は変わる必要があった。
そうしなければ、いつまで経っても大切なことに気付かないまま、人生を過ごしていただろう。
成長という名の変化に価値が無いなど、そんなことは絶対にない。







245 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:25:28.09 KZZc0D8n0 195/213



が、変われば得るものがある代わりに、それだけ失うものもある。
変化とは良い事ばかりとは限らない。

脱ぎ捨てた衣に、大事なものを捨ててきてしまうことだってある。
大人になって、子供の頃の元気さをなくしてしまうのが良い例だ。
変わることで全てが上手くいくなら、とうの昔に世の中は平和になっていることだろう。

変わることは良い事なのだと思っていた。

しかし、実際は違う。
変わるとは、何かを得て何かを失うということだ。
そして、その失ったものにこそ価値がある場合もあるのだ。

それをキチンと考えなければ、ただ自分を捨てるだけになってしまう。
何が欲しいのかもわからず、ただ追い求めて今の自分を失い続けるだけ。
それはとても悲しいことだろう。








246 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:26:23.26 KZZc0D8n0 196/213



変わるとは、捨てること。


そしてその捨てるものは、決して自分一人だけで得たものではない。
ウテナの言葉を思い出す。
自分を大事にしないことは、その子の友達や家族、好きな人に対する裏切りだということを。
変化とは決して綺麗なものではなく、今までの自分の好きな人たちへの裏切りなのだ。

変わることと、変わらないこと。
そのどちらが自分にとって良い事なのか、まどかはまだわからない。

でも、ただ変わることだけを望むのは止めることにした。
今の変わらないでいられた自分は、間違いなく誰かに望まれたおかげでここに居るはずなのだ。
変わるということは、何にせよそれを裏切ることであり、決して綺麗なものじゃない。







247 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:27:42.80 KZZc0D8n0 197/213



それでも、何かあった時。
変わらなければならない時は、変わろうと思う。

自分が変わるとき。あるとすれば、おそらくどうしてもやりたいことが見つかった時だろう。
それはきっと、自分にしか出来ないことなのだ。
もしかしたら、誰かのためかもしれないし、自分の為かもしれない。
しかし、それはどんな理由であれ、それは裏切りだ。
決して素晴らしい事じゃない。

それでも、そうしなければならないのなら、自分は迷うことなく一歩を踏み出そう。

その時になったら、一言ごめんといい、自分を望んでくれた人には謝ろう。

そして、気持ちを無駄にしないような選択をしよう。

そして、変わると決めたなら迷うことはしない。
自信を持ってしっかりと、誰にも負けないような一歩を踏み出すのだ。

潔く、かっこよく。この先輩、天上ウテナのように。

まどかは、この学園に来て確かに変わっていた。
それは変わったと呼ぶには、あまりにも小さい変化だ。
でも、これを得ることができただけでもここに来た意味が絶対にあったのだ。
 
だから、まどかはウテナを見つめ返し、こう答えた。







248 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:28:48.03 KZZc0D8n0 198/213



「楽しかったです!」


まどかの返事に対して、ウテナは笑った。


「そっか。うん、それならよかった」


二人の後輩は、この学園での生活を楽しんでくれたようだった。
それだけで、ウテナにとっては十分だった。


「明日には、君たちともお別れだね」


明日には、まどか達はこの鳳学園を去る。
こうしてゆっくり話せるのは、今日が最後だ。

色々あったが、楽しい一か月間だった。
まどか達がいなくなれば、この寮もまた静かになることだろう。


「戻ったら連絡入れますよ。携帯のアドレス教えてください天上先輩!」


そういえば、まどか達はウテナの携帯番号を知らなかった。
何時も寮に行けば出会えたから、聞く必要がなかったのだ。







249 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:30:11.29 KZZc0D8n0 199/213



「ごめん、ボクケータイ持ってないんだ」

「え! マジですか?!」

「ボク、そういうの苦手だから」

「姫宮先輩は……持ってませんよね」

「私は持ってますよ」

「え、そうなの?!」

「はい。兄が持たせてくれてましたから。だから、兄からしか電話はきませんけど」

「いや、携帯電話持っているなら番号増やそうよ姫宮」

「と、とにかく。ケータイ見せてください。赤外線でアドレス送れるかも……」

「はい」

「……あの、姫宮先輩?」

「何でしょうか?」

「これ、いつの時代の携帯ですか! つーかこんなトランシーバーみたいなやつ使って入れる人初めて見ましたよ!」

「あら、そうですか?」

「さやかちゃん。これ、メールも打てないんじゃないかなぁ……。アルファベット描いてないよ」

「ていうか、マジでこれ何時のですか……? これ博物館に飾れるんじゃないですかね?」

「どうもどうも」

「褒めてませんよ! 姫宮先輩!」







250 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/01/30 22:31:13.77 KZZc0D8n0 200/213



さやかが吼える。
アンシーがのらりくらりとかわす。
まどかはさやかをなだめ、ウテナはアンシーにツッコミを入れる。

この寮で、この一か月間繰り返された光景だ。
それも今日で終わる。


「どうしたの。まどかちゃん」

「あ、いえ。こうやって天上先輩たちと話すのも、これが最後なんですよね……」


そういうと、ウテナはなぁんだ、と言って笑った。


「そんなことないよ」

「え?」


永遠の別れなんてなんてない。
会いたいと思っていれば、きっといつか再会できる。

どんなに時間がかかっても、そのことさえ忘れなければ、きっといつか。


「また、どこかで会えるよ。必ずね」

「っ! はい!」


別れなんて、いつでも一時的なものなのだ。







255 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:08:26.41 ZL3dlQd80 201/213


―――――


交換学生の二人がいなくなり、東館の寮は静かになった。

また、この寮にはウテナとアンシーだけだ。
友達や生徒会メンバーが尋ねてくることもあるが、夜になれば静かになる。
夜という時間は眠る時間であり、この寮もまた夜となって眠ったように静まりかえっている。

今は部屋にはウテナ一人だ。
姫宮は、今は理事長館に赴き、暁生との兄弟水入らずの時間を過ごしている。

アンシーの兄の暁生は優しい人物だ。
いつも妹であるアンシーの事を気にかけている。

このような時間も、何かと人見知りの激しいアンシーに対して週に一回は二人で会う様にしようという、兄妹の約束だった。







256 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:10:20.91 ZL3dlQd80 202/213



部屋でウテナは思い出す。
この寮に短い間居た、二人の後輩のことを。

静かになると、どうしてもあの一か月のことが頭に浮かぶ。
騒がしくも、楽しい日々だった。
もちろん、今が楽しくないとかそういった意味ではないけれど、それでもあの時間はウテナにとっては特別なものだった。

親しい後輩ができるなど、初めての事だった。
多くの後輩の女生徒は、ウテナに対して羨望の眼差しを見つめるだけだったのだ。

あの二人のことを思い出す。
彼女たちはウテナにとって、初めてできた後輩と言える後輩だった。

それと同時に、ウテナはある種の憧れのようなものを二人に抱いていた。
それは友達同士という間柄だ。
まどか達の普通の友達という関係が、ウテナにはうらやましい。
他愛ないお喋りや、じゃれ合う姿。
まどか達の何気ない日常の一つ一つが、友達という間柄をウテナに再確認させた。

いつか、自分も姫宮と本当の友達になりたい。
お互いに、何でも話し合う。何か困ったことがあったら相談し、何でも助け合う。
姫宮とは、そのような友達になりたい。そう思う。







257 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:11:33.31 ZL3dlQd80 203/213



そして、彼女たちに手を出した。黒薔薇の黒幕を許すつもりはない。

ウテナは窓の外を見つめた。
外は暗く、学園は静まり返っている。
このどこかに、黒薔薇でみんなを操っている犯人がいるのだろうか。

まどかは何も覚えていなかった。
さやかもあの時のことは夢だと思ったのか、何も言うことはなかった。
おそらく、しばらくたてば完全に忘れることだろう。
しかし、彼女たちを危険にさらしたことには変わらない。

ウテナは自分の不甲斐なさを噛みしめる。

どんなことがあっても、それは避けるべきことだった。
彼女たちを決闘ゲームに巻き込んではならなかったのだ。

またいつか会おうと、自分は彼女たちに言った。
しかし、彼女たちと再び向き合うならば、それは全てが終わった時になるだろう。
そうでなければ、彼女たちに合わせる顔がない。

この決闘ゲームを終わらせ、姫宮を開放する。

それが出来なければ、自分は彼女たちに再会する資格はないのだと、ウテナは感じた。







258 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:12:29.77 ZL3dlQd80 204/213



結局、彼女たちに姫宮を自分の友達と紹介することは、最後まで出来なかった。

今度会う時には、自身を持って言えるだろうか。
姫宮アンシーは自分の友達だと。

部屋は静かだ。
テレビも着いていなければ、ラジオも音を出していない。
一人の部屋は寂しかった。

そして自分が寂しいと思うことが、ウテナには意外だった。
幼いころに両親を亡くしてからは、部屋は一人でいることが普通だったはずなのに、いつの間にか姫宮が傍に居ることの方が普通となっていた。

そう、自分は寂しいのだ。姫宮が傍にいないことが。

その寂しさが、ウテナには何よりも暖かいものに感じられた。







259 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:14:53.64 ZL3dlQd80 205/213


―――――


鳳学園から戻った当初は、それは忙しかった。

まずは、先生方に報告や、学んだことを題材に感想文を提出しなければならなかった。
それに友達の志筑仁美やクラスメイトに鳳学園の話を迫られるなど、学問以外でもしばらくは周りは騒がしかった。

しかし、いつまでも同じような日々が続くことはない。
話題の旬が過ぎると、またいつもの日々が戻ってきた。

まどかの家の庭には薔薇が育っていた。

アンシーから教わった通りに育てた薔薇は、元気に育っている。
このまま上手くいけば、きっと綺麗な花を咲かすことだろう。
家庭菜園は父の知久の仕事だが、薔薇の世話は基本的にまどかの役目だ。







260 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:15:46.03 ZL3dlQd80 206/213



順調な薔薇の世話とは裏腹に、料理の方はなかなか上達していない。
鳳学園での一見以来、一層努力しようと心に決めたのだが、こちらは目に見えた成果は上がらなかった。

弟のタツヤは三歳になった。
元気に幼稚園に通っている。
今のお気に入りは、絵を描くことだ。
今日もヒーローの絵を描いていることだろう。

母・詢子やさやかとの関係は相変わらずだ。良い関係が続いている。

他にも色々あった。
良いことも悪いことも含めて、まどかの周りの世界は変化していく。

春になり、まどかは二年生になった。







261 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:17:18.85 ZL3dlQd80 207/213


―――――


「はー。あぶない、あぶない。新学期早々遅刻するところだったよ」


何とか予鈴ギリギリで教室に滑り込み、まどか達は一息ついた。
朝から走って息が荒い。机に座ると、ドッと汗が体から吹き出てきた。


「まどかさん。大丈夫ですか?」

友人である志筑仁美が、心配そうな顔でまどかを見つめた。

仁美は良家のお嬢様である。
しかしそんな家柄に対する小さな反抗心なのか、通学は徒歩で行っていた。
そのおかげで、まどか達は毎日同じ道を通って一緒に登校している。


「だ、大じょう……ぶ……」

「情けないなー。2年生になったのに、もっと頑張りなよー。ほら、あの先輩みたいにさ」






262 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:18:08.48 ZL3dlQd80 208/213



「先輩?」


誰の事だろうか。見滝原中学校に運動が得意な知り合いはいなかったはずだが。


「ほら、あの鳳学園の寮で一緒だった……。あれ、何て名前だったっけ?」


そういえば、そんな先輩がいたような気がする。
姫宮先輩は、薔薇を育てるのが好きな人で運動は得意ではなかったはずだ。

しかしその先輩の名前を、まどかはどうしても思い出すことができなかった。


「はーい。みんな席に座ってー」


と、そこへ担任の早乙女先生が入ってきた。
周りの生徒が席に戻り始める。
じゃあまた後で、とさやかと仁美も席に戻っていった。

今日から新学期だ。また新しい生活が始まる。







263 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:20:07.07 ZL3dlQd80 209/213


―――――


「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように」

そういうと、早乙女先生は突然目玉焼きの話を始めた。
どうやら、また付き合っていた男性と上手くいかなかったらしい。
今回は目玉焼きが原因だったようで、前の方に座っている中沢君がまた犠牲になっていた。

新学期になっても、変わらない光景。


「何か変わらないねー。二年生になったら、色々新しくなると思ってたんだけど」


隣の席のさやかが言う。
今学期はさやかとは席は隣同士だった。


「でも変わらないのもいいんじゃないかな?」


世界は何もしなくても変わっていく。
変わらないものの方が少ないと、まどかは思う。
だから変わらないことは、決して悪いことではないのだ。







264 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:21:57.62 ZL3dlQd80 210/213



「そんなもんかねぇ」


さやかは、退屈そうな声を出した。
その視線は前の空いた席に注がれている。
あの席は、幼馴染の上条恭介の席だ。

彼は交通事故にあい、現在は病院で療養生活を送っている。
あの事故以来、さやかは毎日病院にお見舞いに通っていた。
さやかにしてみれば、幼馴染のいない学校は退屈なものなのかもしれない。
しかし、この世に変わらないものがないように、彼もまた学校に通えるような日が来るだろう。

変わることと変わらないこと。その両方の正しさを自分に教えてくれたのは、一体誰だったろうか。


「はい。あとそれから、今日はみなさんに転校生を紹介します」

「ついでかよ!」


早乙女先生の天然かどうかわからないボケに、さやかがツッコミを入れる。
周囲から笑い声が上がった。

それにしても転校生か。
いったいどんな子なのだろう。







265 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:23:45.54 ZL3dlQd80 211/213



「じゃ、暁美さん。いらっしゃい」


そう言うと教室のドアが開き、女の子が入ってきた。

赤いメガネをかけた子だ。
長い髪の毛をふたつ三つ編みして、お下げにしている。

人前に立つことに慣れていないのか、その子は顔を真っ赤にしていた。
少し前を向くと、みんなの視線を受け止めてしまったのか、慌ててまたうつむいてしまった。

早乙女先生が名前を書いているが、書き終わるまでに緊張で倒れてしまいそうだった。


「なんか大丈夫かな? 泣き出しそうだよ、あの子」







266 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:25:05.97 ZL3dlQd80 212/213



その姿を見て、まどかは昔の自分を思い出した。

自信がなくて、自分に価値なんてないなんて思っていた自分。
小学校の時転校してきて、周りが全部怖かった自分。
自分が何もできないから、周りの人が怖くて仕方がなかった。
いらないと言われてしまえば、本当に自分が消えてしまいそうで。

そんなことはない。
価値が無いなんてことはない。
価値が無い人間なんていないように、人には良いところが必ず沢山あるのだ。

君は、君のままでいればいいんだ。君の普通は、君だけのものだ。
無くしちゃダメだ。この言葉を自分に言ってくれたのは、誰だっただろうか。

もし彼女が自分に自信が無いのなら、言ってあげたい。
誇れるものが無いなんて、そんなことはない。
貴方は誰かに望まれたから、ここに立っている。
だから自信を持ってほしい。貴方は必ず、誰かに好かれているのだから。

そうだ、今度は自分があの子を優しくしよう。

かつてのさやかが、自分を助けてくれたように。

自信が無いのなら、自分があの子の良いところをたくさん見つけよう。
自分に自信が持てるようにしてあげよう。今度は自分が、あの子を助ける番だ。







267 : ◆ctuEhmj40s[sag... - 2012/02/02 21:26:15.87 ZL3dlQd80 213/213



「あ、あの…。あ、暁美…ほ、ほむらです。
…その、ええと…どうか、よろしく、お願いします…」


あの子と友達になろう。まどかはそう決めた。




―まどか「世界を!」ウテナ「革命する力を!」  完―








【後日談】に続きます。

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