全12回。 関連記事: 魔王「わたし、もうやめた」 1 2 3 4 5 6 7 魔王「世界征服、やめた」 1 2 3 4 5
──ふわり。
身体のほとんどが砕かれ、身動きが取れないガーゴイルの視界に一つの影が落ちた。
上空から木の葉のように落ちてくるそれは次第に大きくなり、
すとん。と、まるで重力を感じさせずに落下した。
元スレ
魔王「世界征服、やめた」
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飛竜「ピュイ♪」
魔王「ご苦労様、ありがとう」
運んでくれた飛竜に右腕で手を振る。
飛竜は嬉しそうな声を上げ、空の彼方へと姿を消した。
魔王「──おお、ガーゴイルか。随分と面白い格好をしているね」
ガーゴイル「………………なっ」
絶句。
ガーゴイルの耳に入った声は聞きなれた、主の声。
しかし、見た目は声を失うほど大きな違いがあった。
まず髪の毛。長く美しい黒髪は何処へやら、肩にかかるかどうかのショートヘアーへと変貌をしている。
そしてなにより。
──肘から先の左腕が欠落していた。
ガーゴイル「なっ、ななな……」
魔王「しかし、まあ。少し目を離した隙に随分と荒れ果てたものだね」
ガーゴイルの驚きなど他所に、草原へと目を配る。
草原は亡者共の血や腐肉。ゴーレムらの亡骸で荒れ果てている。
それに加え、苛烈な戦いによって地が抉れ地形すら変化していた。
魔王「一体、どう言う戦い方をしたらこうなるんだろうね」
ガーゴイル「────魔王様ッッ!!」
魔王「ひゃっ──って、もう! いきなり大声を出さないでよ、驚くでしょうに」
ガーゴイル「その髪は! その腕は! 一体どうなされたと言うのですか!!」
魔王「あー……」
魔王の表情が濁る。
言葉に換えるのであれば「面倒くさいなあ」と言った感情が見て取れた。
魔王「ああ、まあ、ね。戦いでね」
ガーゴイル「……」
大臣は言葉を失った。
主である魔王が、片腕を失って現れたのだ。
彼の心境も頷ける。
けれど、当人の魔王はあっけらかんと状況の説明を求めた。
魔王「──で、下はどうなったの? 上は片付いたよ。まあ、被害は見ての通りだけれど」
ああ、痛い痛い。と付け加えて、大臣の言葉を待つ。
傷口からは未だにぽたぽたと血が滴っていた。
ガーゴイル「……はぁ」
大きな溜息を一つ吐いて、満身創痍な身体のまま状況の説明をする。
説明はそう長いものではなかった。
リッチが総力戦を仕掛けてきたこと。
アンデッドを全て吸収し、巨大な魔力を得たこと。
自身は破れ、見ての通り。
そのリッチを倒したのは──。
魔王「あれ、か」
視線の先。
魔剣を振り下ろし、動かずに固まっている魔物が一匹。
デュラハンだった。
全ての魔力を放出したために、意識を失っている。
魔王「なるほどね」
事実上、彼女はアンデッド族最後の生き残り。
この世における最後のアンデッドモンスターとなっていた。
ガーゴイル「処罰はいかがなさいますか。今なら──」
魔王「──彼女にも応急手当が必要だね。わたし程とは言えないだろうけど、重症だ」
処分も容易だ。
そう言いかけたガーゴイルの言葉を塞ぎ、魔王が口にする。
魔王「リッチを倒したのは彼女なんでしょう?」
ガーゴイル「……ええ」
魔王「なら問題ないじゃないか。誰も彼もを殺す必要はないよ」
ガーゴイル「……」
優しすぎる。
彼女の長所ではあるが、魔王としてどうなのだろうか。
それ故に、今回のようなことが起きたと言える。
そんなことをガーゴイルは考えていた。
だがそれは違う。
魔王。彼女はおよそ一般的な優しさから来る思考からそう言った言葉を発している訳ではない。
全ては「面倒だから」の一言で説明がつく思考からの言葉であった。
魔王「従者たちも無事だと良いけど」
斬り崩された城門に目をやる。
城内も荒らされていることがわかった。
ガーゴイル「わかりかねます。この状態では魔力を探るのもままなりません」
魔王「うん。わたしもなんだ。疲れすぎていて、細かい作業が出来ない。正直に言うと、このまま倒れて寝てしまいたい気分だよ」
おふざけではない、本心からの吐露だった。
心身ともに疲弊しきっている。
出来ることならば直ぐにでも眠ってしまいたいほどだった。
ガーゴイル「魔王様。次はそちらの説明をお願いいたします」
目線は頭部と左腕。
つまり、欠落した部位はどう言うことだ。と目で訴えかけていた。
魔王「……あーっと」
ヘカトンケイルを倒す為に、犠牲になった。
そうとしか説明が出来ない。
ガーゴイルは言葉を失うほかなかった。
魔王「魔王だし、生えてくるかなーって思ったんだけど……」
ガーゴイル「……」
スキュラなどの再生力を持つ魔物や、ガーゴイルのような無機物な魔物。
それ以外の魔物が腕を生やすことなどありえない。
魔王だからなんて関係がなかった。
生えないものは生えない。
肘から先が残っていれば縫合してどうにかなったかもしれない。
が、魔王の腕は粉々に砕け散り跡形もなくなっている。
どうにもならなかった。
ガーゴイル「気を、失いそうです……」
魔王「そりゃねえ……それだけ体がバラバラになってたら痛いでしょう」
意味が通じていない。
ガーゴイルの言っていることは自身の苦痛ではなかった。
主のこれから先を慮ってのことである。
魔王「さて。ここで話しててもしょうがないね、帰ろうか」
魔王城へ。
魔王はそう言って、ガーゴイルの半身となった体を右腕で抱きかかえた。
軽い。岩石の身体はとても重いはずなのに、上半身だけとなったガーゴイルはとても軽かった。
ガーゴイル「なっ、魔王様! 魔王様に運んでいただくなど──」
魔王「良いから良いから。足がないんだから、無理しないの」
ガーゴイル「魔王さっ──魔王様っ! 姫様っ!」
魔王「ちょっ、暴れないでよ。ただでさえ片腕なくしてバランス取りにくいんだから」
聞く耳を持たず、歩き出す。
ガーゴイルが思わずこぼした“姫様”と言う単語で口角が上がった。
懐かしい。
そう言えば昔は“姫様”と呼ばれ抱っこされていたものだと思い出した。
魔王「ガーゴイル。お前はしばらくその姿のままでも良いかもね」
ガーゴイル「──なっ」
ふふっ。
可愛らしく笑う。
随分と長いこと留守をしていたような気さえする。
ただいま。
そう小さくこぼし、斬り崩された城門をくぐった。
……。
…………。
………………
──ズチャッ。
勢いそのまま、地面へと激突する。
顔に付着する泥が不快感を引き立てていた。
じくじくと腕の痛みが継続して続き、血は今も流れ出ている。
魔王は苦痛に顔を歪めながらも後ろを振り返った。
魔王「…………」
巨人。ヘカトンケイルの身体がゆっくりと“ズレ”た。
魔王が残した剣線をなぞり、ずり落ち、二つに別れ、やがて力を失い地に伏せる。
──上出来だ。
短く魔王剣が口にする。
その言葉は、ヘカトンケイルの死を明確に告げたものだった。
魔王「勝てた……んだ……」
──ああ。拙いながらも、巨人の王に勝ったのだ。誇るが良い。
魔王「……」
ゆっくりと身体を起こす。
何時までも地面に抱きついている趣味はなかった。
魔王「──はれっ?」
ずちゃ。決して気持ちよくない音と共に、再び地面との抱擁を交わす。
起き上がったつもりなのに、立てない。
頭上にクエスチョンマークを浮かべる魔王に答えたのは魔王剣だった。
──片腕を失ったのだ。バランスを取れていないのだろう。
魔王「あ……ああ、なるほど」
納得する。
ヘカトンケイルには勝利した。けれど、その代償も大きい。
ふらつきながらも立ち上がる魔王。
その心境は憂鬱で一杯だった。
魔王「はあ……」
──どうした。勝利者の顔とは思えぬほど締りがない。
魔王「腕、生えないかな……」
──スキュラじゃあるまいし、生える訳がないだろう。
魔王「うう……」
ハッキリと告げられる。
それは、魔王にとって死刑宣告に等しいものだった。
魔王「この先、どうやって生活するんだよう……」
読書。料理。入浴と洗髪。
お題は山済みだった。
魔王「後先考えないからあ……」
涙ぐむ魔王。
その顔はどこからどう見ても、少女のそれである。
──“これ”に負けたのか。巨人の王も憐れな……。
魔王「はあ……だから片腕を犠牲にする作戦なんてイヤだったのに……」
文句を呪詛のように垂れ流す魔王。
そんな主に呆れている魔王剣を他所に、二つに裂かれたヘカトンケイルが消滅しようとしていた。
──おい、主よ。良いのか。
魔王「……へ?」
──消えるぞ。
そう言って、意識をヘカトンケイルへと向かせる。
生命活動の維持が出来なくなった体が徐々に灰へと変化していた。
魔王「良いのかって、どう言うこと?」
──消えてしまっては聞き出せなくなるぞ。色々と、な。
魔王「……」
灰になった箇所からサラサラと風に流されて消えていく。
王の死を知ったのか、配下たちの悲痛なる鳴き声が遠くから響いてくる。
魔王「そうだね。一応、理由を聞いておこうか」
よたよたとヘカトンケイルの頭部へと歩み寄る。
魔王の全身よりもその頭は大きい。それほどのサイズだった。
ヘカトン「……」
魔王「あー、その。なんだろ……」
──久しいな。巨人の王よ。
魔王「へ?」
ヘカトン「お前が起きていたのなら、他の戦い方もあったのだがな……」
──抜かせ。
状況が理解できない魔王を置き去りにし、魔王剣とヘカトンケイルが言葉を交わす。
──貴様が腰を上げた理由はなんだ。
ヘカトン「語る必要もあるまい。これだけ戦えることがわかった、それで充分だ」
──……。
ヘカトン「とんだ腑抜けと思ったが、力がない訳ではないようだ」
──この我を起こす程度の力はあったからな。
ヘカトン「全くだ」
魔王「ちょっと。わたしを抜きに話しを進めないで欲しいんだけど」
──なに。理解する必要もない。
魔王「お前が理由を聞けと言ったんじゃないか……」
無駄口を叩く間にもヘカトンケイルの身体は朽ちていく。
時間はもう、さほど残されてはいなかった。
ヘカトン「魔王よ、人間はお前が思うほど温厚な動物ではない」
魔王「……え?」
ヘカトン「それだけは……肝に命じ、て……お──」
灰化が一気に進む。
巨人の王。ヘカトンケイルの身体は全て灰になり、風に乗って魔界の空へと消えていった。
魔王「……」
──と言うことらしいぞ。
魔王「って言われても、ねえ」
顔をしかめる。
一体なにが言いたかったのだろう、と魔王は納得がいかなかった。
──それはおいおい考えるが良いさ。主はまだ若い。
魔王「……それもそうだね。考えるのも面倒だ」
──う……む……。むう……。
魔王「うん?」
──主よ。我は眠る……供給された魔力が尽きた……ようだ……。
魔王「ああ、そっか。魔力がなかったらまた寝ちゃうんだね」
──う、む。……また、呼ぶが良い。話し相手……くらいに、は……。
言い終える前に反応がなくなる。
魔王剣が完全に沈黙した。
魔王「話し相手が剣しかいなくなったら、魔王も終わりだろうけどね」
含み笑いをしながら答えた。
軽口は帰ってこない。
初めて皮肉で勝てたなと、魔王はおかしな気分になった。
魔王「さて、帰ろうかな」
口笛を鳴らし、飛竜を呼び寄せる。
遠くから「ピュイ」と鳴く声が聞こえた。
滑空してくる飛竜の背に飛び乗る。
片腕のバランスにも次第に慣れ、体勢を崩すこともない。
飛竜「ピュイ♪」
魔王「ご苦労様、ありがとう」
優しく首元を撫でてやると飛竜は目を細め喜んだ。
戦闘で荒れた心が少しだけ和らぐ。
巨人の島から離れ、自身が住まう居城へと飛び立つ。
魔王としての責務を真っ当した彼女の表情は、満足気なものが浮かび上がっていた。
……。
…………。
………………
魔王「くかーっ……んん……」
気持ちよく眠っていると、カーテンのすれる音が耳に入った。
曇天模様の空から光が射すようなことはないが、これが起きろと言う合図であることはわかる。
魔王「んー……」
気分的にはまだ起きたくない。
わたしは布団を体で巻き込み、起きたくないと態度でアピールをした。
してみた。
けれど、それは無駄な努力だ。
いつも通りに布団を剥がれる。
うう……優しくないなあ。
アラクネ「はい、おはようございます」
魔王「……おはよう」
無理矢理に布団を剥がれて、なんだか肌寒い。
気温が寒いとかじゃなくってなんだろうね? 自分の半身を引き剥がされるって表現したら良いのかな。
うーん……。
アラクネ「ほらほら。もう朝ごはんが出来てますからね」
魔王「ん。ありがとう」
あれから。
あの戦いから少しばかりの時間が過ぎていた。
魔王「アラクネ。もう身体に支障はないのい?」
アラクネ「もう。心配して下さるのは嬉しいですが、何度目ですか。ここ最近、毎日ですよ」
魔王「それだけの怪我だった。ってことだろう」
アラクネ「ええ、まあ、はい。そうですけど」
そう言って笑うアラクネ。
なんのかんのと言って、あの戦いで一番の重傷者はアラクネだった。
わたしの左腕は、まあ置いといて。
ガーゴイルは放っておけば直るし、スライム娘たちに被害はない。
スキュラもダメージなんて負ってないし。
壁に叩き付けられ、全身を強く打った彼女こそが一番ダメージを受けた者と言えた。
アラクネ「魔王様こそ、その“腕”の調子は如何なんです?」
散らかったわたしの部屋をかたしながら、視線を左腕に移す。
視線の先。
なくなったはずのわたしの左腕部には新たなる腕が“装着”されている。
まあ、義手なんだけれどね。
魔王「まだ慣れはしない、かな。球体関節と言うのは、どうにも動かしにくくて」
アラクネ「それ特注品らしいじゃないですか」
魔王「うん。ガーゴイルが“ドール”の連中に無理を言って作って貰ったらしい」
“ドール”。それは魔界でも数少ない種族だ。
人形に魂が宿った魔物。
種族的には無機物と言うことで、ガーゴイルの威光が少しだけ役に立つ形になった。
魔力を流せば自由に動かせる。
まだ装着したばかりとあって自在に動かせはしないけど、正直たすかってる。
髪を洗うのも一苦労だったし、なにより片手じゃ読書が手間だった。
アラクネ「よっし、片付け完了。一日でこれだけ汚すんですから、これも才能ですかねぇ」
魔王「そんなに汚れてはいないと思ったけど」
一見、散らかってるように見えるかもしれない。
けれど少しだけ待って欲しい。
積み上げられた本は、読みたい順に並べられている。
服だってそうだ。乱雑に脱ぎ捨てただけじゃなくて、洗濯に回す分とか別けているんだ。
決して汚れているわけじゃないことを理解して貰いたい。
アラクネ「はいはい。そう言うのを整頓出来ないって言うんですよー」
魔王「なっ」
アラクネ「はーい。髪を梳かしますから動かないで下さいね」
魔王「むう……」
アラクネ「短い髪もお似合いですねぇ」
似合うかどうかは知らないけど、洗髪の時も楽だし眠る時も楽なのは事実だ。
出来ることならずっと短いままでいたいのだけど。
アラクネ「伸ばすんですか?」
魔王「どうだろう。ガーゴイルがうるさい……」
アラクネ「なるほど」
くすりと笑われる。
長い髪の方が威厳がある。とか意味わからないじゃないか。
まさか、自分の趣味を押し付けているんじゃないかと勘繰ってしまうよ。
そんなはずはないって分ってはいるんだけどね。
アラクネ「さっ、これで大丈夫ですよ」
魔王「ん。ありがとう」
なんだか身の回りの世話を焼いてもらうってのはむず痒い気分になる。
あの後。
片腕が欠落したわたしの面倒は再び従者隊に任せられた。
最初はもう大変だったよ……。
スライム娘には任せられないと、従者長であるスキュラが担当してくれた。
思い出したくもない。
あのタコ足は髪を洗うのに適してないんだよ。
言葉も一方通行だしさ……。
アラクネが復帰してくれて大助かりした。
義手が完成した今も、こうやって面倒を見てもらっている。
当初の宣言はどこへやら。
自身のことは自身でやると言ったのに、このていたらく。
ちょっと恥ずかしい気もするけどさ。ほら、まだ腕も本調子じゃないし……。
色々と面倒だし……。
もうしばらくは良いかなって。
魔王「今日も美味しそうだ」
顔がにやける。
スキュラの作ったご飯は美味しい。
あんなんだけど、料理の腕前は本物だ。
伊達に長の名を冠しているわけではない。
魔王「いただきます」
アラクネ「はい、めしあがれ」
うん。美味しい。
まだちょっとだけ眠気が残っているけれど、問題なくご飯は進む。
アラクネ「──そう言えば魔王様?」
魔王「んー?」
ぱくぱくと食を進めているとアラクネが声をかけてきた。
声色からはなにかを尋ねたい。そんな雰囲気を感じさせられる。
アラクネ「ほら、あの子。アンデッドの」
魔王「デュラハン?」
アラクネ「ええ、はい」
魔王「が、どうしたの?」
アラクネ「いや。どうしたって言うか、どうなったのかなぁと」
なるほど。
自分を痛めつけた相手がどうなったのかを知りたいと。
いや、違うか。
アラクネはそんなに狭量なやつじゃない。
心が狭かったらあのスキュラと上手くやっていけてる訳がないしね。
魔王「うん。今はわたしの配下だよ」
アラクネ「……あら。そうなんですか」
魔王「今頃はリッチの使っていた館を改装でもしてるんじゃないかなぁ」
──。
────。
──────。
魔界西方領。
“四王”であり“死王”であったリッチが納めていたのがこの地だった。
─死者住まう閨─
腐臭で満ちていたはずの部屋。
そこいら中に朽ちた死体が転がり、亡者共の呻き声が交じり合っていた部屋。
しかし、それは過去の姿であった。
この館の主人であるリッチが総力戦にあたり、全ての駒を。
死体を、魂を駆り、喰らった。
今やこの館には亡者の魂はおろか、死体の一つも転がってはいない。
そんなガランとした館に一匹。
甲冑を着込んだ、魔物が足を踏み込んだ。
デュラ「……」
かつて、亡者共が狂ったように溢れた部屋はもうない。
彼女が訪れた屋敷は、主と住人を失い静寂のみを生み出し続けていた。
デュラ「……」
彼女はゆっくりと廊下を歩き、ある一つの部屋を目指していた。
誰の入室も許さなかったリッチの私室。
館の最深部にあるその部屋に、彼女の目的はあった。
デュラ「……」
目的の部屋へと辿り着く。
カタカタと震える体を黙らせ、扉を開いた。
──キィ。
音を鳴らし開く扉。
デュラハンを迎えたリッチの私室は異様なものだった。
部屋を囲むように作られた棚。
棚に飾られているのは、透明な瓶。
その瓶に詰められたものは、人間の“頭部”だった。
デュラ「……」
ざわつく胸の内をなんとか諌め、頭部が詰められた瓶を一つ一つ確かめていく。
その殆どが女性。それも、美しい容貌を持った者たちである。
ある一つの瓶の前でデュラハンの動きが止まった。
ブロンドの長髪。長く伸びたまつ毛。まるで眠っているだけかのように、安らかに眠る首だけの美女。
そっとその瓶を手に取り、胸にしまいこんだ。
思わず腰が折れ地べたに崩れ落ちる。
──みつ……けた……。
特殊な溶液に漬けられ、腐敗することなく眠り続ける生首。
それはかつての彼女自身。
どれ程の長い間、眠っていたのだろう。
恐らく、彼女を知る人間はもう居ない。
あまりにも時間が流れすぎた。
なにより、彼女はもう人ではなく魔物である。
瓶を抱きしめるデュラハン。
瓶詰めにされた頭部。その双眸から涙のようなものが浮かんでいるのは、気のせいではなかった。
……。
…………。
………………
─魔王城 謁見の間─
ガーゴイル「魔王様」
魔王「ん」
玉座に腰を下ろす一人の少女。
髪は短く、未だ幼い顔立ちであるこの子こそが魔界を統べる王だった。
ガーゴイル「謁見の希望を申し出ている魔物が一匹おります」
魔王「そうか」
ガーゴイル。
身体、翼、そして尻尾。
その全てが岩石で構築された魔物。
魔王の右腕とも呼ばれ、大臣と言う職を担っていた。
先の大戦で負傷した傷など見受けられず、身体は完全に再生されていた。
魔王「その魔物はどこに?」
ガーゴイル「控えさせております」
魔王「通せ」
ガーゴイル「ハッ」
短いやりとり。
全てはすでに決まっていた事柄だった。
ガーゴイル「アンデッド族。デュラハン。参れ!」
ガーゴイルの号令によって、一匹の魔物が姿を現した。
甲冑を見に纏い、鎧兜を小脇に抱えている。
デュラハン。
アンデッド族。
“首なし騎士”とも呼ばれる魔物。
けれど、彼女の首にはソレが存在していた。
玉座に座る魔王に対峙し、跪く。
魔王「やあ」
デュラハン「お久しぶりです……」
魔王「思ったより、整った顔をしている」
デュラ「お恥ずかしい……限りで……」
頭部を取り戻したデュラハン。
自身の首に合わせ、結合させる。
そのことによって全てを思い出した。
自身が人間であったこと。
リッチによって、魔物に身をやつしたこと。
出来うることならば思い出したくないようなことまで、全てを思い出した。
デュラ「……」
魔王「さて──デュラハン。お前の処遇だったね」
デュラ「ハッ」
戦いの後。
全ての魔力を放出し気を失ったデュラハン。
そして同じく、全ての魔力を撃ち放ち呪縛を解き放った“ベルセルクの大剣”。
一匹の魔物と一振りの魔剣は魔王によって身柄が拘束されていた。
──。
────。
──────。
デュラ「……ん」
魔王「お。目覚めたか」
目を覚ますと、見慣れない景色が視野に入る。
眼前にはショートカットの少女。
良く見ると、その子の左腕は欠落していた。
デュラ「……」
魔王「ん? まだ寝惚けているのかな」
デュラ「腕……」
思わず、口に出てしまう。
寝惚けている。
そうだ、確かにそうだろう。
良く思い出せない。
もしかしたら、寝惚けているどころではなくこれは夢。
私は眠っているんじゃないだろうか。
そうだとしたら、この霧に囲まれたような記憶の混乱も頷ける。
魔王「腕。ああ、腕ね……全く、これからどうしよう。本当に……」
私の問いに本気で考え込む少女。
その姿は年齢相応に可愛らしいものだった。
魔王「──っと、すまない。一人で考え込んでしまった」
デュラ「……」
魔王「現状を把握できているか?」
私の方が明らかに年上なのに、この子はどうしてこんなにも偉そうなんだろう。
いや、違う。
──偉そう。
なんじゃなくって、きっと偉いんだ。
よくよく顔を見れば幼さを押し退けてある種の気品が見て取れる。
何度かお目にかかったことがある、私なんかよりもずっとずっと位の高い他国の姫様。
この子は、そのお姫様と同じような気品の高さを感じるもの。
デュラ「……あれ?」
──現状を把握できているか?
この言葉を聴いて、私は。
私は、
デュラ「……」
言葉が詰まる。
えっと……私って、私は。
──わたしって、なんだろう。
デュラ「……」
魔王「……」
言葉をなくした私に対して、少女は微笑んだ。
魔王「そうか、記憶がないんだね」
デュラ「……」
魔王「わからないのなら、わからないまま聞いてくれ」
デュラ「……」
私の沈黙を肯定と受け取ったのか、少女は口を開き色々と説明してくれた。
魔王「お前の名は“デュラハン”。首なしの騎士。アンデッドと言われる種族だ」
デュラ「アンデ……ッド……」
魔王「うん。そして──」
そこからの説明は突拍子もなさすぎて、ビックリした。
私が魔物だとか、目の前の少女が魔王だとか。
けれど話しを聞いていく内に思考がスッキリとしていく。
勿論、全ての記憶を思い出した訳ではない。
──魔剣を、魔剣を振るって意識が混濁したところまでは思い出した。
そうだ。
私は、ご主人様……リッチの命にしたがって城を内部から。
デュラ「──それで、剣を見つけて」
魔王「うん。みたいだね。ガーゴイルめ……私に黙ってあんな剣を保管していたなんて……」
デュラ「あっ、あの……」
再び一人で話し始める少女。いや……“魔王様”に向かって私は口を挟んだ。
デュラ「わっ、私は……どうなるの……で、しょうか……」
詰まる。
どうなる。そんなの決まっている。
私の主人は“リッチ様”だ。
魔剣に飲み込まれたといは言え、主人を殺した。
その罪は大罪と言えるだろう。
殺されるに決まっている。
馬鹿な質問をしたなと内心で嘆いていると、
魔王「どうなりたい?」
デュラ「……は?」
魔王「どうなりたいの?」
予想を裏切る質問が返ってきた。
私の処遇を断定する言葉ではなく、私がどうしたいかの質問。
少し間を空けて、私は答えた。
デュラ「死にたく……ない……です……」
もう死んでいるようなものなのに、おかしな話だ。
でも、死にたくない。
死にたくなかった。
魔王「うん。それなら大丈夫、殺さないから」
デュラ「……へ?」
魔王「うん?」
デュラ「えっと……私の処罰は……」
魔王「処罰? なんで?」
心底「わからない」と言った表情を作る魔王様。
本当にこの子が、魔界の王かと疑りたくなるほど可愛らしい顔だと思った。
デュラ「私……は、リッチ様を……」
魔王「うん。殺したんだったね」
デュラ「……はい」
そう、私は殺した。
主人を。魔界四方領の一角を任せられている“死王”のリッチ様を。
許されるはずが──。
魔王「いやあ、お陰で助かったよ」
デュラ「……」
魔王「聞いた話しじゃかなり強くなったらしいからね。それも、わたしレベルに」
な、なにを言ってるんだろう。
魔王「そんなリッチに魔剣の力を借りたとは言え勝ったんだ。いや、大したものだよ」
褒められている……?
確かにそう聞こえるのだけど。
魔王「んん?」
デュラ「……」
私が唖然としていると、魔王様は「ははーん」口角を吊り上げながら含み笑いをした。
魔王「あれかな。もしかして、リッチを殺したから処罰されると思っているのかな」
デュラ「は、い……」
魔王「あーあー、なるほどね。そんなことを気にしていたんだ」
「そんなこと」って。
私からすればとても重大なことで、それこそ処罰を受けても仕方がないことで……。
魔王「アレは謀叛を起こした。どう転んだにせよ、死罪確定だよ」
デュラ「……」
魔王「だから、君は手間を省いてくれた。ここまでは、よろしいかい?」
デュラ「……はい」
魔王「君の“これまで”なんてどうでも良いことなんだ、悪いけどね。人間だったとか、主人を殺したとか」
デュラ「……」
魔王「わたしが話してるのは、君の“これから”なのだけど」
言葉が出なかった。
次々と魔王様の口から飛び出てくる言葉たち。
そのどれもが私の悲観した想像を打ち砕いてゆく。
魔王「デュラハン。わたしの部下になれ」
デュラ「……」
魔王「しばらくの間、時間を与える。それから答えを出せば良いよ」
デュラ「あの……」
魔王「ああ、申し訳ないが魔剣は持たせられない。あれは、だいぶ危険だからね」
デュラ「あの、ちがくて……」
魔王「うん? 魔剣のことじゃないのか?」
デュラ「はい。……その、ありがとう……ございます」
魔王「くくっ。礼を言うにはまだ早いよ。もし部下になるのなら、きっと面倒な仕事を押し付けられるだろうからね」
違うの。
そうじゃないの。
下に付くとかそう言うのじゃなくって。
私を一人の、一匹の存在として扱ってくれて嬉しかった。
魔王「結論はそう焦らなくて良い。魔王城も修理でごたごたしているしね」
デュラ「……あ。じょっ……城門…………」
魔王「見事な斬れ口だった。目下、城の損害は君が飛び降りて壊した天井と、君が斬った城門だ」
デュラ「す、すみません……」
魔王「良い。君が部下になったら、その時に仕事を押し付けて責任を取って貰うからね」
──。
────。
──────。
これが魔王様との初対面だった。
そして、私は魔界西方領へと足を向ける。
自身の頭を求めて。
デュラ「……」
──アンデッド族。デュラハン。参れ!
呼ばれた。
さあ、行こう。
あれから私は頭を見つけた。
身体に頭部を結合して、思い出す。
人間だった頃の記憶を。
魔物になった馴れ初めを。
思い出したかったけど、思い出したくなかった。
泣くだけ泣いて、嘆くだけ嘆いた。
今、私はこの城にいる。
第二の人生と呼ぶにはかなり憂鬱だけれど。
受け入れたくないけれど。
生きていくしかないから、私は魔王城の城門を叩いた。
さあ。
壊した天井と城門の責任をとって、面倒くさいお仕事とやらを魔王様から頂戴しよう。
さて──デュラハン。お前の処遇だったね。
透き通るような魔王の声。
玉座に座る少女を前に、デュラハンは深く頭を垂れている。
魔王「ん。面を上げて良いよ」
デュラ「ハッ」
デュラハンは昔を思い出していた。
自身が未だ人間であり、姫であり、騎士であったころ。
こうして、他国の王に謁見を賜ったことがあった。
老齢の王に比べれば目の前に座す王は余りにも幼い。
が、懐の深さも圧力も人間の非ではない。
デュラハンはそう感じている。
魔王「わたしの期待している通り、と思って良いのかな」
デュラ「はい……私めを、どうか魔王様の配下に」
魔王「ん」
満足気に目を細める魔王。
小さく頷き、横に立つ大臣になにかしらの合図を出した。
ガーゴイル「ではデュラハンよ。そなたの配属に付いてだ」
デュラ「配属……」
ガーゴイル「うむ。アンデッド族は先の大戦で全滅……残るはお主だけとなっている」
魔王「だからさ、デュラハン。君には“魔界西方領・領主”になって貰いたいんだ」
デュラ「……なっ」
文字通り、目が丸くなる。
魔界の四方を守る砦。
四方領の一角を任されると言うことは、そのまま“四王”の名を冠すると言うことになる。
常識では考えられない采配だった。
ガーゴイル「と言うのも理由がある。西方領は魔界でも特に瘴気が強い。アンデッド族でなければ営むことが難しい」
魔王「って訳なんだ」
デュラ「しかし……」
魔王「言ったよね? 面倒な仕事を押し付けるって」
デュラ「……」
有無を言わさぬ魔王の笑顔。
これは、もう決定事項なのだと表情が物語っている。
デュラ「しかし、私はまだ若輩者です……」
魔王「まぁまぁ。話しを最後まで聞いてみなよ」
ガーゴイル「うむ。任せる……と言ってもお主はまだ魔物としての力量が足りておらぬ」
デュラ「はい。記憶を取り戻し、痛感しております」
ガーゴイル「“四王”となり“死王”の名を冠しても、満足に同胞を増やす術も知るまい」
魔王「うんうん」
ガーゴイル「よって、だ……はあ……」
段々とガーゴイルの語気が弱まっていく。
その声には、どこか困ったようなものが含まれている。
ガーゴイル「しばらくの間、このガーゴイルがお主の片腕として勤めよう」
デュラ「えっ……」
魔王「うんうん」
媒体を使用し、魔力を絡めての召喚魔法を扱える魔物は少ない。
まして、瘴気が強い西方領で活動出来る者となると更に人選は限定される。
その点、ガーゴイルは全ての条件を満たしていた。
岩石で出来た体は瘴気などものともしない。
補佐として、教育係として。
これ以上ない人選だった。
ガーゴイル「魔王様、良いですか。くれぐれも私が居ない間に──」
魔王「はいはい。その話題はもう充分にしたでしょう」
デュラ「……」
魔王「おっと。置いてけぼりにしちゃったね」
デュラ「や、いえ……」
魔王「もう一つ。これは余計なお世話なのだろうけれどね」
そう言って、手を叩く。
デュラハンの後から、一匹の魔物が姿を現した。
???「ども」
デュラ「……彼女は?」
血の気のない表情。
光沢のない眼球。
包帯をいたるところに巻きつけ、手術着のような衣装に身を包んでいる。
とても大きな肩掛け鞄をかけているのが印象的だった。
ガーゴイル「魔人族に属する魔物でな。“ネクロマンサー”と言う」
ネクロ「です」
魔王「わたしが呼び寄せたんだ」
デュラ「はあ……」
状況が飲み込めずに間抜けな声を出す。
ネクロマンサーと言われても、デュラハンに理解は出来なかった。
魔王「ネクロマンサーはね、死体を扱うプロフェッショナルなんだ」
ネクロ「それほどでも」
デュラ「死体を……」
ネクロ「なんでも聞いて」
表情をなに一つ変えずに発言する。
抑揚のない声は感情が読み取りにくく、独特の雰囲気を持っていた。
魔王「デュラハン。身体を彼女にエンバーミングして貰うと良い」
デュラ「え、えんばー?」
魔王「ふふ」
エンバーミング。
それは、最近になって魔王が書物から覚えた言葉だった。
使ってみたくて仕方がなかったのか、満足そうに笑みを浮かべている。
ネクロ「魔王様マジ博識」
魔王「ふふふ」
ガーゴイル「エンバーミングとは、要約すると遺体の修復、保存処理を施すことを言う」
魔王「あっ、こら」
勿体つける魔王を尻目にガーゴイルが説明を入れた。
ネクロマンサーはデュラハンの身体をエンバーミング……修復するために、城へと呼ばれていた。
魔王「もう。ってこと、君も女の子だ。身体は綺麗に保ちたいだろう?」
デュラ「……」
デュラハンの胸中は、不思議な感覚で溢れていた。
魔物になってしまった自身の身体を、女性として案じてくれている。
腐敗している身体に嫌気が差してもどうしようもない。
悲観して、諦めて、渋々受け止めていた現実。
嬉しくて嬉しくて、涙が出そうになった。
デュラ「ありがとう……ございます……」
魔王「うん。女の子だからね」
心から。
この少女に、魔王に仕えようとデュラハンは誓った。
魔王「よし、じゃあ綺麗にして貰って来ると良い」
ネクロ「綺麗にしてあげよう」
デュラ「お、お願いします……」
ネクロ「良いってこと。“死王”と仲良くなって損はない」
ネクロマンサー。
死霊使い。アンデッドを使役する者。
自身でも生み出すことは出来るが、魔人族であるネクロマンサーに生み出せるアンデッドはどうしてもレベルの低い個体となる。
強い固体を手に入れるには、協力者の存在が不可欠であった。
ネクロ「先代のリッチはケチだった」
魔王「くくっ。だろうね」
ネクロ「だから、期待してる」
デュラ「はい……なんだか、良くわかりませんけども」
会話を交えつつ謁見の間を後にするデュラハンとネクロマンサー。
再び謁見の間は魔王とガーゴイルの二人だけになった。
魔王「これで西方領も安心だね」
ガーゴイル「私は魔王様が心配ですが……」
魔王「せいぜいクーデターでも起こらないように気をつけるよ」
ガーゴイル「はあ……」
魔王「(ふふふ……しばらくは邪魔者なく自由に暮らせる……)」
内心でほくそ笑む。
楽しい日々の始まりを予感していた。
──。
────。
──────。
スキュラ「むぅ……」
アラクネ「ん? スキュラじゃない。どうしたの」
頭巾を被り、その多脚に掃除道具を装備した従者長。
スキュラが珍しく難しい表情を浮かべ、唸っていた。
スキュラ「き、汚い……」
アラクネ「あーぁ」
場所は謁見の間。
ふかふかの赤い絨毯、綺麗な装飾品。
塵一つ許されない部屋。
けれど、現状は惨憺たるものだった。
アラクネ「(大臣が留守してるから……)」
スキュラ「うー……毎日、そ、そうじ……してる、のに」
玉座にだらしなく腰かけ、涎を垂らしながら眠り込む魔王。
その周囲は見事に食い散らかされ、読み終わった本やこれから読む本などがうず高く積み上げられている。
魔王「くかー……」
スキュラ「うう……ね、寝てるるし……」
アラクネ「はあ……」
なんとも幸せそうな表情を見せて眠っている。
この少女を見て、どこの誰が魔王だと言うことを信じようか。
どこからどう見ても、だらけきったニートだった。
スキュラ「ひ、ひっぱたいて……いっかな……」
アラクネ「いや。それも不味いでしょう」
布団で眠っているのなら、引っぺがすのも手だ。
しかし魔王は玉座で力尽き寝落ちてしまったせいで、布団も被っていない。
だからといって一応は君主なのだから引っ叩くわけにもいかない。
アラクネ「よっと」
アラクネは糸を吐き出し、ちょいちょいと細工を施した。
アラクネ「ちょいちょい……」
作り出したものは“こより”。
それを器用に魔王の鼻腔へと侵入させる。
スキュラ「おー……おふふっ」
意図を理解して、スキュラが笑んだ。
スルスルと深部へと侵入するこより。
魔王「くかー……かー……ふぇ、あふぇ……」
──はくちぇっ!
盛大にくしゃみをかます魔王。
勢い良く、鼻と涎とがアラクネの顔面を襲った。
魔王「はぇ?」
アラクネ「……」
スキュラ「ぷーっ、くすくすっ」
アラクネ「魔王……様……?」
魔王「あ、アラクネ? ん。なんで鼻が出てるんだろう」
ズズッ、と鼻を啜る。
寝惚け眼のまま周囲を見渡すと、掃除の為に完全武装したスキュラの姿も目に入った。
アラクネ「おはよう……ございます」
魔王「ん、おはよう。そっか、昨日はここで寝落ちたのか」
スキュラ「も、もー! そう、じ。きき汚い!」
魔王「それにしても、アラクネ。顔が汁まみれだ、ちゃんと顔を洗った方が良い」
アラクネ「……」
ピクピクと表情が歪む。
どんな言葉で魔王を罵倒するか、脳内が高速回転を始めていた。
魔王「ふぁ……シャワーでも浴びようかな」
スキュラ「お、お掃除、して? い?」
魔王「うん。悪いけど頼むよ」
どっこいしょ。と声を上げて玉座から腰を上げる。
アラクネが魔王を罵倒しようと口を開こうとしたその時、
魔王「アラクネ。行こうか」
アラクネ「────へ?」
出鼻を挫かれる。
文脈が読み取れない。
魔王「風呂だよ風呂。まだ顔を洗ってないんだろう? 丁度良い、一緒に入ろう」
アラクネ「え? え? や、そうじゃなくってですね」
魔王「良いから良いから。ほら行くよ」
アラクネ「ちょっ」
スキュラ「いてらー」
アラクネの背中を押して浴室へと向かう。
すでに魔王に対する怒気は霧散していた。
平和で、怠惰な日常が過ぎていく。
──。
────。
──────。
ガーゴイル「身体的に問題がないとは言え、長居したい場所ではない」
デュラ「あ、あはは……」
魔界西方領。
“死王”リッチが納めていた館には二匹の魔物が居た。
片方は前任のリッチに変わりその座に着いた“デュラハン”。
新たなる“死王”であった。
そのデュラハンを補佐するように、隣に立つのがガーゴイル。
大臣と言う、魔界でも上位に位置する立場を持つ魔物だった。
ガーゴイル「それにしても、この館も随分と様相が変わったものだ」
胸糞が悪くなる館だったが、と付け加えるガーゴイル。
現在、この館にリッチの用意した調度品は一切おかれていない。
人間を原料とした家具など使用したくない。
デュラハンは館の改築に当って、まず最初にリッチの犠牲となった人間の亡骸。
その供養をしていた。
デュラ「大臣のお陰です。石造りの調度品って、良いですね」
ガーゴイル「……造作もない」
新たに建てられた屋敷はガーゴイルが練成したものだった。
飛竜に協力を頼み、上質な岩石を空輸し、それを元に館を作った。
家から、家具、寝具、全てが石で出来ている。
デュラ「さすがに、お布団まで石と言う訳にもいきませんけど」
くすりとはにかむ。
この頃は随分と表情も豊かになってきていた。
ネクロマンサーによる“エンバーミング”によって、身体が修繕された影響だった。
以前は良く回らなかった舌も、円滑に動くようになり会話も滞りなく行える。
デュラ「ネクロさんも、このお屋敷に住んでくれたら嬉しかったんですけどね」
ガーゴイル「魔人族と言えどこの瘴気の中で生活するのは難しいだろう」
デュラ「ですよねー」
定期的な身体のメンテナンスをネクロは承っていた。
もちろん、無料ではない。
それなりの見返りは要求している。
ガーゴイル「では、今日も始めるとしよう」
デュラ「了解です」
毎日繰り返される召喚の儀式。
低レベルとは言え、少しずつアンデッド族を生み出せるようになってきていた。
デュラ「──そう言えば」
ガーゴイル「なんだ」
デュラ「ネクロさんの一族と仲良くなれば、アンデッド族って盛況すると思うんですけど?」
ガーゴイル「……だろうな。これほど相性の良い種族もそうはいまい」
デュラ「なんで友好関係じゃなかったんでしょうか」
ガーゴイル「リッチはそう言う女ではなかった。それだけだ」
デュラ「あ、なるほど……」
ふむん。と顎に手を当てて唸る。
人間の時から、考え込むときに取るデュラハンの癖だった。
ガーゴイル「集中しろ。魔力が乱れるぞ」
デュラ「……決めました」
ガーゴイル「?」
デュラ「ネクロさんの一族と仲良くします! あ、私とネクロさんはもうお友達なんですけどね」
ガーゴイル「……」
デュラ「そうすれば、アンデッド族の再興も捗ると思うんですよ」
ガーゴイル「随分と人間臭い考え方だな」
デュラ「はい。なにせ、元人間なので」
ガーゴイル「今までにリッチがしてきたネクロマンサーへの嫌がらせ等は聞いているか?」
それは、リッチによる迫害とも呼べた。
ネクロマンサーの一族は、魔人でありながらアンデッドを使役する。
逆に言えば、アンデッドが居なければネクロマンサーはまともに戦うことも出来ない。
魔人族のはみ出し者たちとして蔑まれている。
であれば、相性の良いはずであるリッチに友好関係を求めるのは当然のことであった。
デュラ「……はい。ネクロさんに聞きました」
しかし、リッチはその手を取ろうとはしなかった。
それどころか、さらにネクロマンサーたちを追い詰めさえした。
低レベルとは言え、自身以外の魔物がアンデッドを生み出すことを良しとせず。
その上に使役するなど侮辱以外のなにものでもないと彼女は捕らえていた。
こうして長い年月、ネクロマンサーの一族は迫害を受け、魔界の隅っこで細々と生活を営んでいた。
ガーゴイル「彼らの心を氷解するには時間がかかるぞ」
デュラ「大丈夫ですよ。ネクロさんともお友達になれましたし、きっと他の方とも」
ガーゴイル「あの娘は……変わり者だからな……」
デュラ「大丈夫ですよ、きっと」
目を細め、笑顔を浮かべる。
その表情に曇りや翳りは見受けられない。
まだまだ未熟ながらも、デュラハンは“王”としての道を着実に歩みはじめていた。
……。
…………。
………………
誰もが寝静まった深夜帯。
わたしは一人、玉座へと腰をかけていた。
魔王「……」
魔王城から見れる風景。
ついこの間まで戦闘で荒れ果てた大地は、最近になってようやく元の風貌を取り戻していた。
魔王「デュラハンが抉ったところは、さすがに時間がかかりそうだ」
地形を変形させるほどの攻撃。
あの魔剣はどれだけの力を秘めているんだろうか。
なんて、どうでも良いか。
魔王「魔剣と言えば……」
“魔王剣”。
ヘカトンケイルとの戦闘以降、一度も魔力を注いでないや。
一瞬、話し相手にでもなって貰おうかと思ったけれど──。
魔王「剣しか話し相手がいないってんじゃ、魔王も終わりだよね」
思いとどまる。
それになにより、魔王剣に魔力を食わせるのは相等に疲れるんだ。
自分から疲れる行為をするなんて、馬鹿のすることじゃないか。
疲れるのって好きじゃないんだよね。
ってことで、今回はパス。
魔王「ふう……平和だ……」
ガーゴイルはまだ出張先である“西方領”から帰ってこない。
つまり、自由な時間は継続中。
なんでこんな時間に起きていて、尚且つ玉座に腰を下ろしているのか。
答えは簡単。
昼間、眠りすぎて眠くないんだ。
魔王「……」
完全なる昼夜逆転生活。
文章を読み漁るのも良いけれど、こうしてボーッとする時間も最近になって増えてきている。
平和を噛み締めている、って言ったら聞こえが良いだろうか。
魔王「……」
ほら、戦いなんてなくったって毎日が楽しい。
人間界を攻め込まなくったって生きていける。
ヘカトンケイルを退けてからは、兄様や姉様。
そう言ったうるさかった人たちの説教もなしのつぶてだ。
魔王「うんうん」
──わたし、もうやめた。
──世界征服、やめた。
玉座でそう呟いてから、大した時間は経っていない。
かなり思い切ったことを言ったなあ、なんて今は思ったりしているけれど。
良かった。
言って、良かった。
それを実行して良かったと心から思っている。
だって、今の生活を凄く気に入っているから。
魔王「──まだまだ続くわたしの人生。楽しみきってやろうじゃないか」
人間界に赴くのはまだまだ遠い道のりだけれど。
きっと何時か行ける様になると思う。
アレもしたい、コレもしたい。
夢は広がるばかりだ。
やめて、正解。
世界征服、やめて良かった。
魔王「ふふっ」
明日はなにをしよう。
考えるだけで、笑えてくる。
魔王「……そうだ!」
ここで名案。
稲妻のように、素晴らしいアイディアがわたしの脳天に突き刺さった。
────魔王、やめよう。
終り。
760 : ◆H7NlgNe7hg[sag... - 2012/09/19 22:53:50.22 vT1ojqeZo 501/509
長々とありがとうございました。
ゲームシナリオっぽく、選択肢を用意してADV風なのを書いてみたい……。
と言うのが事の発端なのですが、皆さんからお叱り頂いたように安価とはミスマッチだったようです。
反省。
文章量 約380KB
ライトノベルだと大体2冊分くらいの容量かと思います。
時間を割いて読んで貰い、その上に感想までいただいて幸せです。
本当にありがとうございました。
763 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/19 22:55:53.44 WTTRtSWxo 502/509別の選択肢選んでたらどうなってたのかも気になるな…
おつおつ面白かった
765 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/19 22:58:43.17 CzW5TtQ/o 503/509盛大に乙
面白かったよ
ADV風ってのは新しくて良いと思うけど参加してるスレ民は1人じゃないからルート選ぶ時にバラバラになって変に拗れることもあるね
全部の選択肢見たいってのもあるから続けてほしいな
766 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/19 23:09:38.74 tmLchSj2o 504/509俺は全部の選択肢とかじゃ無くてこのままこの続きが見たいな
769 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/20 08:53:51.80 iEjdiRSTo 505/509別ルートってことはこのデュラハンは居なくなるのか
それはちょっと寂しいな
へたするとこのデュラハン自体存在しない事になっちゃうのかね
775 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/21 09:39:54.57 WLDBiycd0 506/509お疲れ様です。
すごく楽しませてもらいました。
安価は嫌って人も居ましたけど、ゲームぽくて個人的には非常に良かったです。
続きがあるなら強くてニューゲーム的な発想で時間は少し戻った状態でデュラハンは今の終わった状態、とかも面白いかもしれませんね。
777 : ◆H7NlgNe7hg[sag... - 2012/09/21 18:34:49.12 Xjqqb4XQo 507/509皆さんありがとうございます。>>1です。
続きなのですが、やはり難しいです。
何人かもおっしゃってますが、続ける場合巻き戻しをしなければならない。
巻き戻した場合、デュラハンも居なければ髪も長く腕も健在。
ゲームで言う一つのエンディングを見た、と言う状況なので本当に最初からやらねばならない。
このまま物語りを続けるのも個人的にただの引き伸ばしになってしまいそうで。
と言うことで、週明けにでもHTML化依頼を出してきます。
一応、最初に用意しておいたプロット、ではないのですが。フラグ別のエンディングだけ晒しておこうかと思います。
用意してる時はノリノリだったのでしょう。安価で下記をやらせようとか、無理ゲーすぎました。
深く反省です。
778 : ◆H7NlgNe7hg[sag... - 2012/09/21 18:38:49.14 Xjqqb4XQo 508/509
条件
* 勇者フラグ。
条件、魔人王のイベントを進める。
(*妖精の谷必須)
ベルセルクのフラグを成立させている→ノーマルエンド。
フラグを成立させていない→バッドエンド。
* 特定フラグが立たないまま時間経過。
複数回怠ける+中途半端なイベント進行で“ヘカトンケイル”出現→強制ルートへ。
→ノーマルエンド。
* ベルセルク。
フラグ三種類。
魔王城→侵入or来場。
侵入の場合、ガーゴイル死亡。魔王との戦いへ→バッドエンド。
来場の場合、ガーゴイル生存。魔界統一or勇者ルートノーマル解除。
時間経過でヘカトン強制ルート移行。エンディング変化。デュラハン・リッチ殺害。
イベント進行無し→地獄界へ退場。
* 魔界統一。
四王のフラグを均等に進める。
堕天使と謁見を済ませておく。
城内の魔物とのイベントを見ておく。
ベルセルクを配下にしておく。
“ちぃ姉様”を発見しておく。
“サキュバス”を常駐させておく。
→トゥルーエンド。
* 怠惰王。
フラグを一切たてず、怠ける選択肢のみを選び続ける。
日常が延々と続く。
安価による選択肢をポイント化。
一定のポイントでフラグ成立。
ルート移行。
779 : ◆H7NlgNe7hg[sag... - 2012/09/21 18:41:28.47 Xjqqb4XQo 509/509以上です。
舞い上がりすぎてお恥ずかしい限りではありますが、こんな感じになってました。
現実みれてなかったようです。
終了です。
お目汚しいたしました。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。
※全12回。 関連記事: 魔王「わたし、もうやめた」 1 2 3 4 5 6 7 魔王「世界征服、やめた」 1 2 3 4 5
中途半端な終わり方になったのはやはり安価選択を失敗したからか
スケールの大きな話なだけにこれ以上続けてもらうのは大変だろうし、書籍化でもしない限り続かないよな…
個人的に書籍化決定とかいう流れは好きじゃないしここまでで我慢するわ
何はともあれお疲れ様でした